東方捨鴻天 【更新停止】   作:伝説のハロー

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まず誤字報告をして頂いた方にお礼申し上げます。
御業の書き方を変えました。

ハーメルンの特殊タグには助けられています。感謝。

何度も書き直した。大事な、大事な、戦闘話。描写、頑張りました。



第二章・第十翼「烏天狗の意地 下」

 

蒼天の空の下。

闇色と灰色がぶつかり合う光景を、不安に眉を寄せた光躬が見ていた。二人の攻防を、一瞬たりとも見逃さぬようにと。

 

「劫戈……」

 

相対する二人は同じ烏天狗であり、血の繋がった親子。しかし、あり方は全く違う。

 

想い人を奪おうとした、実績もある上に風の化生を体現する強大な古き天狗。

役立たずの烙印を押され、しかし新たな風を起こし得る存在へ駆け昇る天狗。

 

実力差、経験の差は歴然。

しかれども、それは勝敗を決する絶対条件ではない。

 

現に、食い下がる劫戈は、古強者の日方に手傷を負わせている。

 

しかし一歩足りない。意表を突いたとしても、まだ足りない。致命傷になる御業を行使しても、直撃させられなければ意味はない。口だけ達者では勝てないのである。

 

日方の手刀、特に御業は厄介であった。掌大の嵐の塊なのだ。防御よりも回避が望ましい事は、発動の瞬間から察していた。

数多の敵対者が、骸を晒した風の化生たる絶技。

 

このままでは、彼が危ない。

 

(あの時のように……)

 

幼き日、引き裂かれた時のように。

奈落へ落され、生死を彷徨ったに違いない。

実際、劫戈は生きていたけれど、生きた居心地がしなかった。

 

(それだけは駄目っ! それだけは……)

 

今度こそ会えるか解らない。かつては死んだと諦めてしまったが、今こうして生きて言葉を交わす事が出来ているのだから。

 

「……日方」

 

鎗のような男を睨む光躬。時折、胴を穿つような抜き手や頭を吹き飛ばしかねない風球に、ひやりとする場面が多い。

 

───奴に掛けた、異能(まじない)を使うべきか。

 

光躬は思案する。彼女は、この闘いに乱入する腹積もりでいた。

 

劫戈の覚悟に水を差す事は解っている。とはいえ、救いたい気持ちが募る。喪ってからでは遅いのだ。今までしてやれなかった幼き日とは違うのだから。

元より、日方を許す気のない光躬は、将来の群れの為に冷たく切り捨てる算段であった。古く蔓延している身内をも蹴落とす血生臭い競争よりも同じ種として強固な信頼を築き、有能な筈の者が除け者にされずに切磋琢磨出来るようになれば、将来の群れの建設は安泰である筈と思っている。

 

故に、劫戈を除いた木皿儀の血族は抹殺すべしと腹に決めていた。誓い、とも言えよう。

 

 

光躬は、已む無し、と一歩踏み出そうと決意する。

 

 

「───え?」

 

 

一瞬、光躬は何が起きたのか理解出来なかった。

 

劫戈が御業を行使してから、常に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

それは劫戈を起点とする小さな噴出孔、と形容出来るもの。

 

五百蔵曰く、木皿儀劫戈は“神憑き”である。妖怪の身でありながら神仏の祝福を受けた特異な存在。

 

烏天狗なのに、神仏に愛されるとはどういう事か、と当初、光躬は真剣に悩んでいたりする。神聖な存在である神仏とは相反する闇の化生たる妖怪を、如何な理由があってそのような事をしたのか聡明な光躬をもってしても解らなかった。

何の神かは予想出来ても定かではない。その正体は劫戈が微々たるものながら戦いの最中に垂れ流す未知の力が教えてくれるだろう。

 

だから、それはいい。

 

「そん、な……」

 

光躬は困惑し、呆然と呟いた。

徐々に、日方に掛けたもの───“呪い(まじない)”を、こそぎ取っていく感じがしたからだ。近い内に消え去るだろう程に弱まり、効力が失われていく。

 

いざという時に、確実に抹殺する為に掛けた、彼女の掌で強者をも殺す異能。

劫戈を喪った、と思い込んだ矢先に発言した“異能”だ。御業とは異なる、妖というあり方を無視する“妙なる法理”とでも言える代物。過去現在含めて、他の烏天狗には発現しておらず、強烈な妖術のそれとは一線を画すものであった。故に、当時格上だった日方に掛ける事が出来たし、その格上でもある津雲(つぐも)にも掛かった。

 

弱者強者問わず、敵対者を相手に試してきた。

その効果は覿面であったのだ。術者の光躬以外の者が払い除ける事は叶わない。

 

強者、弱者を問わない、“妙なる法理”。

 

だからこそ、それを神の如く神聖な力に近いもので払っていく様を見せられて、光躬は困惑した。“妙なる法理”が何に強くて何に弱いのかは今のところ解らないが、自分にしかない強力無比であった筈の異能が容易く消耗させられている。冷静に見て、種は違えど、劫戈もまた自分と同じ“妙なる法理”を持っていて、払い除けたのだと解釈出来るが。

でも、彼を助けるために邪魔者となった輩を折角排除出来る力を無力化されてしまった。

 

劫戈の実力は知っている。信じてはいる。しかし、人伝に聞いただけの評価。

 

光躬は実際に見た訳ではなかった故に、備えていた。だというのに、日方を自然と殺す事叶わなくなってしまった。その衝撃は大きい。

彼にしかない特異性に喜ぶべきか、なんて事をと咎めるべきか、素直に喜べず惑うばかりであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

二つの御業が交差する。風の刃が無数に束ねて必殺級にまで昇華された白刃と手刀が走り、空に十字を幾度となく描いていく。造られた嵐を携え、雌雄を決するべく殺傷の風を巻き起こす。

 

片や我流の劫戈。

 

───破怪嵐衝

 

片や古流の日方。

 

───風滅爆衝

 

突き、凪ぎ、払い、殴り、蹴り。弾き、いなし、打ち、逸らし、躱す。

五体を活かしての攻防の中で、翼をも使って殴打し、畏るる風魔で相手の急所を狙う。

 

「ぐっ!」

「ぬぅっ!」

 

攻防の中で生じる一瞬の隙。互いに突き崩そうと、腕や脚を伸ばしながら身体を捻って躱そうとし、肩や頬を掠める。余波で、羽根が抜けて舞い上がり、周囲の木々の枝が圧し折れて吹き飛んでいく。

劫戈はただ己の実力を示し、日方を打ちのめしたかっただけなのだが、最早、殺し合いの域に達していた。妖怪同士の験比べのようなものは実に殺伐と言えよう。

 

「はぁっ!」

「うっ……!?」

 

風球を伴う正拳突き。しかも人体並みに巨体。

 

反射で急下降、回避した。

右顔の半分、傷跡を掠めた。元より、右眼を失っていた劫戈だが冷や汗をかいた。下手をすれば、頭半分が潰れた果実と同類になっていただろう

 

(まずい……このままでは……!)

 

劫戈の中で焦りが募る。右腕は使い物にならず、今や肉の盾と化しており、追い詰められる。御業を維持するにしても、長い間の集中を必要とする。限られた妖力を絞るように練り上げ、致命傷を受けないように且つ相手に的確な傷を負わせなければならない。

 

しかも右腕の所為で少なくない血を流してしまっている。

血を流しているのなら、片方のつま先をやられた日方にも言える事だが、傷口を妖術で無理矢理塞いだのか出血は既に止まっていた。戦いの最中の出来事である。

 

傷の応急処置も早く、妖力の練り方も格段に上であり、大技も連発してくる。長期戦は非常に危険であった。

 

「どうした? 動きが鈍くなってきているぞ」

「さあ、何故ですかね……ふっ!!」

 

日方の鋭い眼光に、強がりを返す劫戈。

思い付きで振るった釼に纏わせている嵐の刃を直線状に飛ばす。御業を利用した飛び道具に近い使用だった。

 

ところが、四方から飛んできた風球がこれを圧殺した。パァン、と甲高い破裂音と共に、呆気なく消え失せた。

 

そこへ。

 

「おおおおッ!!」

「むっ!?」

 

間髪入れずに吶喊した。劫戈は驚く自分を封じ込め、勝機を見出して突っ込む。逆に日方は突飛な戦法を取る劫戈に瞠目する。

これくらいやってのけて、攻め続けなければ、相手の掌中から脱する事は出来ないと劫戈は痛感したばかり。

焦りを機会と糧にして、寧ろ日方が手玉に取られる勢いを求めて動き出す。

 

劫戈は躊躇いのない白刃を頚目掛けて振るう。

 

対し、日方は慣れたように頸を横へ逸らす。彼が逸れたまさにその後ろから風球が轟音を立てて劫戈に直進する。

 

「っ……う、おっ!!」

 

咄嗟に反応出来た劫戈は、振るった刃で正面から迎え撃つ。

 

衝突。

 

金属の戦慄(わなな)き声が響く。

 

「ぐ、がぁぁああっ……!!」

 

嵐の刃と衝突した風球は減衰していくが、風の刃が散るごとに、それは意思を持ったように劫戈に注がれていく。向きを与えられた風の刃は完全に消される事なく、雨のように至近距離の劫戈に殺到した。

 

彼の身体の至る所に裂傷痕を作っていく。

 

巧妙な技であった。劫戈に向かったその風球は、特別複雑な螺旋を与えられていたのだ。迂闊に迎え撃った場合、完全な無力化が不能な仕組みにされている。日方の経験が成せる恐ろしき妖技に、劫戈は本日何度目になるか数え忘れた冷や汗をかく。

 

しかし。

 

(だから、どうしたッ!)

 

風は壁ではない。抜け目が無数にあるのだ。

 

(突破口はあるっ!!)

 

風球は、元は風であり物体ではない。故に、抜け目を狙えば突き破る事は出来ると劫戈は柔軟な思考を以って瞬間的に判断する。

 

今の()()()()()()()()()()()()、彼は祝詞を紡ぐ。

 

―――駆け抜ける、嵐の(つるぎ)―――

 

―――乱れ駆けよ、風傷の流れ―――

 

より大きな破壊の風を、押し通す為に。

 

―――【破怪嵐衝・連華(れんげ)―――

 

嵐の釼が大きく膨れ上がる。

 

「……お、ぉあああああああああああッ!!!」

 

雄叫びと共に、劫戈は妖気を集中させて、左腕に掛かる負荷を無視して強引に振り抜いた。一点集中型の嵐の刃を竜巻のように延長させて回避した日方目掛けて届かせる。

 

更に昇華した御業であった。

 

「……まだ伸び代があるのか! 小賢しい奴めっ!」

 

隙を突こうとしていた日方は、思わず大きく距離を取る。

大してそこまで力を込めていない風球が破られたのに驚きはないものの、力技で打破せしめた事に日方は嬉色を隠せないでいる。

 

「越えるのか!? この私を! ならば、やって見せろ!」

 

この機を逃せない。

劫戈は生じた竜巻を利用し、渦に乗って回転する。進行方向に対して水平方向の回転だ。

そこに嵐の刃が榛爪牙を中心に暴風を起こす。四方八方の風向きを持つ不規則な渦───“乱気流”とでも言えようか。彼に力を増大させる勢いを与えるには充分であった。

 

風の化生の神髄。

 

凄まじい風の後押しと回転によって加速する劫戈は、音を置き去りにして眼にも止まらぬ速さで日方に肉薄した。瞬きすら許さず、百尺*1あった距離は既にない。

 

「───ぬ、ぅッ!!?」

 

灰色の突風。

 

胴に、袈裟懸け。日方の反応速度を超えて遂に届いたのだ。

致命傷。その裂傷は、斬撃による単純なそれではなく、錐で肉を抉って掻き回したかのような、見るに痛々しいものであった。

 

瞠目する日方は傷付けられて初めて、自分が斬られたのだと自覚した。

 

「……ぐ、ふっ───」

 

日方は吐血する。

 

 

 

 

 

 

だが、彼は笑みを見せた。

 

「っ!?」

 

悪寒を感じ、距離を取るべく後退した劫戈。片翼で半身を守りながら様子を窺うと、その正体はすぐに解った。

 

「釼は入った……けど、これは……」

「ぐっ……ご、ふっ───フ、フフ……くははっ!!」

 

避けなかった。

日方は致命傷になる攻撃を回避せずに受けたのだ。少なくない動揺が劫戈の内に飛来する。

何故、と。日方ならば回避や防御のそれすら出来た筈なのだ。

 

その答えはすぐそこにあった。

 

致命傷を受けて尚、喜色満面の日方がいたのだ。

 

「おお、震える……! 魂が震える! 息子相手に、命の危機を感じている! 滾るぞ、風の化生としての本能が疼く!」

 

不敵な笑みと共に、日方は眼を見開いて、劫戈を見据える。

そして彼から放出し始めたのは、目視可能にまで濃密になった暗い色の妖力。妖しく輝き、蠢いて、三対にも及ぶ闇色の翼を形作った。

過剰な妖力の放出。明らかに、何かを代償にしている。

 

「……っ!」

 

考えられるものは一つ、───寿命だ。

劫戈は呻いた。日方が命を燃やして、己に挑まんとしているのを理解したのだ。

 

かつて樋熊と相対した際の禍々しいそれとは異なるも、今眼にする日方の妖力は純粋な力の塊であった。命を絞り出し、将来の全てを力に変えているかのようだった。

 

───父からの最期の贈り物。

 

そう、解釈する劫戈の心中は荒れた。強者への畏怖と、父への感謝の念が入り交じり、身体が震えている。明らかな動揺であった。

日方は、劫戈の動揺を鋭く感じ取ったのか、貌に怒気を孕ませる。

 

「臆するな!! 震えるな!! 劫戈よ!!」

「ち、父上……!」

 

劫戈はこの時に立って、日方の絶大さを知る。

一個の命が、まるで台風と対峙しているかのような錯覚を覚えた。

 

 

「全力で行くぞ! ここまで来たからには───我を越えてみせぇぇええええいッ!!」

 

 

咆哮する日方は、大気を震わせる妖気をあらゆる方向に放った。数多の風が、日方の意思に共鳴して暴れ出す。

 

「くっ……うお、おぉぉおおぉおぉおおお!!?」

 

慌てて劫戈は大きく後退し、吹き荒れる風から逃れていく。予備動作なく、何もない離れた空間から闇色の風刃を引き起こし、飛ばしてくるのだ。

 

風であるにも関わらず、金切り音が響く。

 

(考えろ! 考えろ! 消耗している中で、どう対処する───!)

 

そこで本能を頼りに、榛爪牙で受け止めて干渉、風刃から微風へ無害化する。間髪入れずに、それを自らの力に転化する。元は自由な風なのだ、出来ない事はない。

 

次々と飛来する闇色の風刃を散らせて、己の背で集めて再利用する。灰色の風刃で殺到する闇色の風刃を相殺し、一部を日方へと向かわせる。

 

「くぅあ……っ!? で、出来た……!?」

 

曲芸紛いな事をやってのけた劫戈は己でも驚くも、そんな余裕はない。次々と迫りくる恐ろしき風の刃。対峙した当初よりも圧倒的に量と質、威力が増しているのだから。

 

「そうだ! それでいい!! しかぁしッ!!」

 

声を張り上げた日方の三対翼から断続的に刃が生まれて飛んでくる。

 

あるものは、緩やかな弧を描いて。

あるものは、素早く直線的に。

あるものは、ゆっくりと追いかけて。

あるものは、不規則且つ流動的に。

 

全部、ほぼ同時にだ。

 

「くそッ!!」

 

回避、防御。身を捻ってやり過ごし、嵐の釼を以って身を守る。

しかしながら、空中でしっかり双方をこなしているというのに、余波だけで体勢を崩され、吹き飛ぶように逸れるしかない劫戈。完全に劣勢と化していた。

 

「ぐっ!! 攻められない……!」

 

劫戈は心の底から畏怖していた。

日方の背を見て育ったというのもあるが、それは幼き間だけ。実際の実父の戦場(いくさば)を体感した訳ではなかった。

今まで烏天狗と敵対してきた全ての妖怪達との生存競争に置いて常に最前線にいたのが木皿儀日方という男である。強さが段違いなのは、言うまでもない。

 

榛の命を背負っている劫戈だが。

“神憑き”でもある劫戈だが。

 

目の前の実父だけには、勝てない。打ち負かせない。認めてもらえない。

 

そんな諦観が膨れ始めていた。

 

風の化生は伊達ではないのだと。まるで“異国の大狼(ふぇんりる)”を冠する狼へと変化した五百蔵を相手にしているよう。暴風の猛攻は、劫戈の心身共に削っていく。

 

「この程度で喚くな。返して見せろ」

 

闇色の刃が、風球に変わった。

全力になる前の風球と同じ。当然、嵐を束ねた極悪な球体だ。

 

更に強烈なのが来た。と、同時に。

 

「く……ごほっ……!」

 

日方の吐血が増えた。顔には死相も見え始めている。

胸の裂傷だけではなく、全体的に命への負荷が大きいのだろう。実に馬鹿げた行為であると取られ兼ねないが、日方はそうするに足ると判断して命を懸けている。そう、この場に来る時から。

 

劫戈は、馬鹿な奴め、などと思わない。

 

これだけの立ち振る舞いに、寧ろ一妖怪としての憧憬の念を持てるものがあった。

 

一度深手を負い、それでも尚、数多の面子を畏怖させ、己では届かぬと思わせる。

 

この場、この時ですら、日方は満面の笑みながら真剣な眼差しでいる。かつて向けられた侮蔑、感嘆、不信の色はどこにもない。

 

「父上……」

 

己がもっと父の期待に応えられていたら、もっと早くからその期待する眼で見てくれただろうか。

 

でも、そうすると榛の親愛を知る事はなかったかもしれない。

今までの出会いも、別れもどうなっていたか。

 

もう既に時は遅い。巻き戻る事はないし、戻す術もない。

 

(今更だな……)

 

状況は我に利あらず。

もし、たら、れば、を考えている場合ではない。

 

どうすればいい。

 

(どうすれば、いい……?)

 

どうすればいいのだろう。打つ手はないのか。

 

啖呵を切って返り討ち。なんと安い酒の肴か。

 

本当に、打つ手はないのか。

こうして悩んでいる内に、飛来する風球は止まない。ひたすら回避して、翼の甲でいなして、嵐の釼で障壁を張って乱して、逃れていく。或いは、自身へ転化していく。

時に左へ旋回し、時に宙返りし、時に右へ牽制動作を取ってやり過ごしていくものの悉く追随する風球は、刻一刻と劫戈を追い立てていく。

 

───劫戈はこの闘いの中で、表面上焦ってはいるが頭は冷静になりつつあった。

 

ある意味、日方の姿勢を改めて見て、冷静になれた。

 

(どうにかしたい……)

 

何か、方法はないのか。己には、何が出来るのか。

 

 

 

 

 

 

(あ……)

 

 

 

 

 

 

そんなもの。

 

 

 

 

 

───()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『───羽搏け、我が愛し仔よ。汝の赴くままに』

 

 

 

 

 

 

 

 

頭上から天女の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

「───“我は汝の(もと)帰依(きえ)(たてまつ)る”」

 

無意識だった。

 

()()()()()()()()()()を唱えた瞬間、嵐の釼の灰色に()()()()()()

釼から燐光が漏れ出始めた。灰色の風を纏い、釼の軌跡から銀の残像が空に走る。

 

確信と本能に従って、釼を振るった。無造作な横凪ぎに見えるそれは、驚くべき事に闇色の風球を受け止めた。

あまりに風の圧が強過ぎるのか、風同士の鍔迫り合いで熱が生じた。眩い閃光を発し、視界を遮る。

 

「ぐっ……?」

 

だが今はそれどころではない。

風の流れが不適切と感じ、嵐の刃を小さく調整する。銀色の燐光が徐々に増していく。

 

「……まだ、昇るというのか。劫戈よ」

 

日方は増大する未知の光に驚愕する。

下方の観戦者から感嘆の声が飛び上がるが、気にしていられない。

 

「貴方に……何としても届かせるッ!!」

 

その事だけを考えて───風球を切り裂いた。

 

「ッ!!」

 

瞠目。

数瞬まで、弾くのがやっとだったのにも関わらず、不可能を可能にしていく。

 

信じ難い成長速度だ。だが、納得出来る。元来、劫戈は相応しい力と環境を与えてやれば出来る存在なのだろうと日方は悟っていた。劫戈はただの烏天狗ではない、事実として烏天狗にそぐわない力を持っていた。故に烏天狗流の教えは、逆に成長を妨げてしまった。

 

その証左が示された。

 

「ならば、これを見せねばな」

 

日方の雰囲気が変わった。空気が鳴動するほどの鋭い殺気を放つ。

 

「まだあるのかッ!!」

 

劫戈は手数の多さに慄いた。流石にもうないだろうと思ったが故に。

 

されど現実は非常なり。日方の御業には、底知れぬ切り札があった。

 

 

 

 

 

六つの闇色の風球が日方の前でくるくると回り始める。高速で円を描き、次第に一つに合わさった。

 

 

───汝、我を恐れよ───

 

───数多、我を照覧せよ───

 

 

闇色が更に濃くなっていく。

最早、嵐という単語では形容出来ない、暴力的で壊滅的で無茶苦茶な風球が出来上がる。

その意味は、誰しもが理解出来た。

 

 

───我は万物の風災───

 

 

神をも粉砕する、風の化生が持つ本物の畏業。

間違いなく、五百蔵の“殲呀”と同等かそれ以上の次元にある力。

 

 

───(ひと)しく 朽ち果てよ───

 

───我己(われは) 抗能否(あらがいあたわせず) 粉砕成(ふんさいす)───

 

 

 

 

真の妖とは、文字通りの災害を体現す。

 

 

 

 

―――漸鵠殲(ざんこくせん)―――

 

 

 

「刮目せよ、我が真の御業っ! 受け継がれし我が父祖の奥義をっ!!」

 

 

 

 

集められた風球が意思を持った台風と化す。暗雲の如く闇色の風魔、複雑怪奇な災禍を形成した。

 

 

 

誰しもが驚愕し、未熟な者は恐慌し、届かぬ者は戦慄し、同格の者は身構え、格上の者は溜息を吐いた。

 

何という理不尽。

 

止めるべきか、と年配者達は眼で会話する。

明らかに過剰だ、という意見と。まだ見守れる段階だ、という主張が交差する。この場で将来の期待を背負う若者に無理をさせ過ぎではないだろうか、とはいえ各々が求める時と場が揃ってしまっている。

日方に食い下がるという快挙を成し遂げる劫戈を案じてはいるが、折角の機会を台無しにするのは憚れると思う常連たち。

当人達の意見を尊重するべきとの落ち着いた眼差しが五百蔵(いおろい)より発せられ、そんな柔な育ちはしておらんと彼の者の眼が暗に語った。

 

無言のやり取りは、見守る方針に落ち着いた。

 

 

それはさておき。

 

 

 

 

 

「それが木皿儀の奥義……!」

 

轟音振りまく風害に対し、銀色の鴻鵠は凛として立つ。決して蛮勇を示そうとしているのではなく、確固たる不撓不屈の信念で立ち向かった。

打破しうるものを、()()()()()が故に。

 

 

───偶然なる眩い発光を。

 

 

「ならば風の化身よ、その先にある光を見よッ!!」

 

 

劫戈は応えて声を張り上げる。

打倒するに能うものが、彼にはあった。彼の黒翼が榛爪牙と連動するように銀色を放ち始め、彼の周囲に漂う妖気を吸い始める。今まで放出して辺りに散って充満していた妖力の残滓、妖気だ。それは彼自身のもあれば日方のものも交じっている。妖力を操作するという観点に於いて、彼は瞬間を以って両者の残滓を吸い込んでいく。

 

闘いの最中に覚えた自身への転化。

 

そして、己の中にある未知なる力の噴出孔を緩ませていく。

それこそが最善であると直感が働いて、身体がどうすべきか動き、頭が何をするべきかを思考する。

 

故に、発するは祝詞。

 

思うがままに形成された力の塊。

 

理不尽には、理不尽を以って返答せしめんとす。

 

 

───其の(まなこ)を焼いて───

 

 

眼に焼き付いたもの。

 

 

───其の泥濘(ぬかるみ)()いて───

 

 

感じた事のない熱量を知り至り。

 

 

───空を奔るは 知恵の熱波───

 

 

知恵を回して死地を超えんとして練り上げる。

 

 

───峻烈(しゅんれつ)なるを以って───

 

 

万物を滅する無慈悲を感じ得たが故に。

 

 

───我己(われは) 諷否(ほのめかせず) 消滅(けしはらむ)───

 

 

祝詞の文字通りに、灼光熱風を以って消し飛ばす。

 

 

 

 

 

 

 

―――槭滅火(せきめっか)―――

 

 

 

 

 

その祝詞で、劫戈の手元が劇的な変化を遂げた。纏っていた嵐の釼が、一挙に焔の釼へと転じたのだ。

数多の衆生を恐れさせた、神からの贈り物として伝わる火。それが突如として風から転じ、生まれ出でたというのだから目撃した面々は驚嘆を通り越して畏怖を抱く。

しかもそれは、風同士の鍔迫り合いで生じた熱光を基にしたもの。決して、何もない場所から火は生まれない。

それは嵐の釼を内側で幾重にも衝突させて生じさせたものである。

 

銀色の燐光を迸らせ唸る、(かえで)の如き赤い釼だ。

 

「う、ぉぉおおおおおおおおおおおおおおお───ッ!!!」

 

そして、全身全霊の振り下ろし。

距離も百尺以上も離れ、眼前には日方全力の御業が迫る中、避ける事も防ぐ事もなく、劫戈は間合いの外であるにも構わす焔の脅威を振り下ろした。

 

そうして突如、それは起きた。

 

 

 

 

 

「……見事」

 

 

 

 

 

日方は晴れ晴れと呟いた。

一点突破とも言える猛威を放たんとしていた彼は、無意味と断じてその場で抵抗せずに佇んだ。

 

劫戈の振り下ろしから生まれたそれは見渡す山々一面が紅葉によって真っ赤に染まったかのような、巨大な炎熱であった。

 

燃え盛る劫火。例えは幾らでもある、畏れるべき大火。

 

直撃していないにも関わらず、眼を刺すような痛みを伴う熱量だ。向きを与えられて日方に迫る熱波の壁。逃げ場など何処にもない。

例え、二百尺*2空いた空間であっても瞬く間に押し寄せる滅風に焼き殺されるだろう。

 

日方ですら、防ぐ気も逃げる気も失くす巨大な猛威であった。

 

 

 

 

 

 

敗北。

 

 

 

 

 

その二文字が彼の脳裏を(よぎ)る。

 

 

 

だが、強者を誇る彼には憤りも憂いもなかった。

 

 

 

 

 

あったのは、たった一つ。

 

 

「ふ─────」

 

 

純粋な安堵であった。

 

 

 

 

 

閃光と共に焔の津波が台風を食い荒らした。

 

眼を焼く焔熱が収束する。妖気を空気ごと焼き払った一撃は、日方を呆気なく墜落させる。

地に伏せた日方は、微動すらしない。全身の皮膚が炭化する程の火傷に加え、大きな一対の翼は消し炭になって崩れていた。

 

そこへ駆け寄った巳利(みとし)は、その惨状を知り、息を呑んだ。

 

「っ!」

 

他の観戦者は遠巻きに見ている。誰も近寄るべきではないと理解していた。

 

 

 

 

降り立つ劫戈。

 

「父上……」

「……新しきを求める若者の時代……古き者は、害悪でしかないか……」

 

半ば朽ち果てた日方は、力なく徐に呟いた。

純然と己の結末を受け入れているようであった。

 

 

「ならばよし……」

 

 

純然に、闇の化生として、後輩に畏怖を示せた嬉しさが彼にはあった。

 

「巳利よ。励めよ……」

「ち、父上」

 

涙声で、最期を見やる巳利。

 

「劫戈……どこにいる?」

「ここに」

 

間もなく返答する劫戈は、日方の傍で膝をついていた。

 

「いる、な……?」

「はい」

 

ひゅう、と掠れた声が漏れる。吐息のようで、吐血のようで、しかし小さく笑ったようだった。

 

「よくやった……」

 

これ以上の褒め言葉はない、と言わんばかりに日方は微笑んだ。

今まで見向きもしなかった挙句、排除と称して殺さんとした鎗のような男。最後の最期で、彼は自らの本分を全うして、捨て去った筈の長子に向き合った。

 

「悔やむな……私は長生きし過ぎた……妖は、獣が断崖を飛翔した衆生。しかれども不死ではない」

 

邪魔な老人は轍を残して立ち去るのみ、と語る。

 

すると彼はボロボロと崩れていく。炭化の影響ではない、妖力を使い果たしたのだ。自らの寿命を削って、奥義を放っていたが為に。

若輩の御業を受けても尚も存命出来てはいるが、身体が限界を迎えていたようだった。

 

「……父上」

「フ……まだ子供だな。お前は、私に、勝った……殺したのではない。誇れ───」

 

日方は、最期に息子を安んじて、敗北を認めて、笑んで───掻き消えた。

 

妖としての消滅だ。転生も蘇生もない。生の終わり。

 

 

 

「父上……ありがとう、ございました……」

 

 

 

震える声を絞り出した劫戈は、銀色の涙を落した。

 

 

*1
約30 m

*2
約60 m





前話では近日公開としたものの結局伸びる。
しかも分割した意味がないほど膨れてしまった。いや、戦闘を望む読者的にはいいのかもしれないが。

これが私の限界であった。

次回、第二章最終話。


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