久しぶりの戦闘話です。
「お前が……」
「なんです?」
「こうも様変わりするとは、思わなかった……」
対峙する元親子。
日方が、微量でしかなかった劫戈しか知らない為か、今の過去と隔絶した劫戈の妖力の質量を感じ、雲泥の差といっていいものを覚えていた。
かつて矮小と断じ、されど弱小から脱却せしめた我が子。日方に届き得る大妖怪の強靭な妖力。
しかし、大妖怪は妖力の質量がものを言うのではない。制御する技量共に評価されるのだ。
まだ百年も生きていない幼子に、劣るほど日方は弱くないし簡単に届く存在でもない。
「父よ。木皿儀日方殿。不肖ながらこの劫戈がお相手致す」
畏まって劫戈が会釈する。
「うむ。こちらは相手を選ばぬ。餓鬼が何をなどと言うつもりはない。ただし、全力で掛かって来い」
「元より承知の上───!」
合図はない。
間髪入れずに、互いに飛び出した。勿体ぶる理由など何処にもない。
先手必勝と言わんばかりに両者は同時に初撃を放つ。交差するかに思われた、腕の横凪ぎと抜刀斬撃。
疾風と白刃が迫る。
「───っ!」
劫戈は直感の下に中断、納刀と同時に身体を捻るように回避して通り抜け、日方は無言無表情で躱されても折り返すように追撃した。両者の軌道が離れる最中で再度、日方から腕の横凪が振るわれる。まるで野草を刈る鎌のように劫戈へと襲い掛かる。
腕に纏われた妖力は瞬間的ながら濃密で、防御が出来なければ容易く命を削り取ったであろう。
(……来るっ!!)
喪失した右目が疼いた。
背から襲い来る即死の一撃に、劫戈は咄嗟に逆手で抜刀する。
幾度となく強敵を葬って来た大妖怪級の一撃だ。劫戈は相棒の白刃───榛爪牙から最大限の補助を受けてこれをしっかりと感知して迎え撃った。
「ぐぅ───っ!!」
メキッ、と鉄がひしゃげるような轟音。
劫戈は落石に当たったのではないかと錯覚した。幸い、更なる追撃はなかった。
弾き飛ばされるも、日方を視界から外さないように後退する。榛爪牙に刃毀れはなく、直撃を防げたが、僅かに腕が痺れてしまった。
「ほう、その刃……」
値踏みする声を聞いた劫戈は、躊躇いを敢えて見せるように、すぐに鞘に収めた。
「何故、納める?」
「……」
「今、お前は強者を相手にしているのだ。
「これは、義母です」
「……なるほど。お前を包む者は、義母か。五百蔵の血族と見受ける。ならば二人相手するつもりで行く」
よく見抜ける、そう感嘆する劫戈に焦りの汗が伝う。
「……流石に引っ掛かりませんか」
「年季が違うのだ、当然よ。なればこそ抜け、小僧。躊躇うな。我は格上なるぞ」
「……っ!」
鋭く睨む日方に、劫戈は畏怖の念を抱いた。
天狗の常道を行くと思い、敢えて慢心を誘ったが、それでは届かぬと思い直す。舐めて掛かった訳ではないが、これも経験の差。
今度こそ出し惜しみをしないと誓った。
「そら、ゆくぞ」
未熟者、と言わんばかりに語気を強める日方。翼を広げて、妖としての祝詞を紡ぎ出した。
「御業かっ!?」
短文ながら、それは妖怪の技としては上級。
規模の大きさから回避は無理と直感した劫戈は、痺れる腕で無理に白刃を抜刀、降り抜いた。迎撃の為に繰り出された、灰色の妖気を乗せた風が弧の字の障壁を形成する。
そして、違う色同士の妖力が激突し───爆散した。
「が、ぁっ!?」
辛うじて余波を片翼で凌ぐも、劫戈は怯む。後退する中、衝撃を受け流すしかない。
その威力たるや、凄まじい、の一言である。
余波でさえ、劫戈の経験上ないものであった。以前、敵対した事のある樋熊の邪気よりも強いと断言出来る威力である事は言うに難くない。
「ぐっ!」
持ちこたえ、姿勢を取り戻すと突っ込んでくる日方目掛けて、大きな両翼を一振り、小さな竜巻を正面に起こした。自然に発生するそれではなく、高速で回転する幾重にも束ねた風刃による防壁だ。
轟、と周辺の木々を仰け反らせる余波を生む。
「温いぞ!」
しかしその一言と共に、いとも容易く薙ぎ払われた。
妖力の力量の差は、質と量であるのは変わらぬ事実。
日方の妖力は黒々しく、大妖怪一歩手前と言える様相を見せている。今まで強敵を屠って来た実績もあって、絶大だ。無言で落ち着いている光躬も正面からはやり合いたくなさそうな顔をして観ている程だ。
対する劫戈は、小手先が通じぬと解ってはいるが、出来る事は出し切るつもりでいた。
とはいえ、一つ一つ出せる手札を易々と潰されていく光景は矢張り焦りを生むもの。
妖力の差は不明であった。榛と一緒の劫戈は質こそ大妖怪に匹敵するが、日方は小出しにするも歴戦の経験からか質量共に底知れなさを見せていた。御する力量は間違いなく日方が上である事は言うに難くない。
しかし。
榛の妖気を自分の分と合わせて放出し、白刃に纏う。
劫戈は一人ではあるが、独りではない。
卑怯などとは言わないし、言われもしない。彼の義母が自らの意思で託し、利用出来るものは何でも利用せねば生き残れない世であるから。
妖ならば。烏天狗ならば。
これくらい出来ないで、吼えるな、と嗤われたであろう。
「……遅いぞ。努力はしたようだが、最初から何もかも上だった者を超えるには早過ぎる。勝機を、ただの思い上がりと───っ!?」
首を捻った日方の右頬から鮮血が流れる。
「ぬ……!」
発破音。
次いで、斜め上から飛来した槍を模した空気の渦が地へ衝突した。日方は首を捻って直撃を回避し掠めるに留めたが、その威力は自らに届いていると直感し、反応出来ていた。
日方が視線を戻せば、劫戈は恥じるように顔を歪ませていた。
「五百蔵さんに拾われてから烏天狗と戦うのは初めてだった。心のどこかで油断、慢心があった、が……ここからは一切なしと思って頂く!」
「……お前という大物を見抜けず、活かせなかったのは我が落ち度。私も老いたか……」
「っ!」
自嘲の色を虚しく見せた日方。
この堅物に、純粋に称賛される日が来ようとは、劫戈は内心嬉しかった。
◇◇◇
一方、観戦の席では、仰天の嵐が起こっていた。若い烏天狗の娘達は歓声を上げている程だ。
日方の言に、誰もが驚いている。空将は、劫戈の挙動を見逃さず分析しているようだった。
「あんなに強かったのか。五百蔵殿は後進を育てるのが上手いと見た。神狼の血族は伊達ではないか」
「わしを持ち上げるな。あれは劫戈の素質によるものじゃぁ。持ち前の才覚もある」
「ふむ。なるほど、そう言われると確かに。あの翼……否、力の根源は命を凝縮した刃か。助力を受けているとはいえ、それを十全に扱うとは。いくら才覚のある者でも、異な術もなしに異種の命を扱うのは容易ではない」
「ほう……しっかり見ておるな」
「私見ですがね」
五百蔵はさらりと空将を見た。
かつて戦場で一度会った事しかないが、空虚な雰囲気が印象に残る人物として記憶していた。今、見違えるように積極的に動いている空将の様子を見て、娘に尻を蹴られたかと内心笑っていたりする。
「ところでお前さん、劫戈を今になって受け入れるのは何を思っての事か」
「……徒に生を貪る真似は止めようと思ったまで」
今更ながら、と自嘲する空将に五百蔵は微笑んだ。
「おぬしらは変わったのぅ。嬢ちゃんのお陰か」
「……恋とは、天狗の鼻を折る力を持つのだと思い出したのです」
溜息と共に飛び出たその言葉に、五百蔵は口を閉じる。これ以上は言うまいと、笑いを堪えた。斑に脇腹を摘ままれながら。
「
◇◇◇
「ほほう……私に追随するとは……」
日方は驚きを露わにした。怪我を負い衰えた様子の日方は満足に全力を出せないでいる。
が、そこは経験豊富な妖怪である。劫戈の力量を冷静に測り、対処せんと動く。
掌に風が集まる。
謬、と空を切る音。
(風の刃を、放たずに集めた……!)
「遅い!」
劫戈に向かって放たれた球体は、徐々に大きくなり、速さも増していた。それだけではなく、単に直線的な回避を取っても追いかけてくる。
「くっ……うっ!?」
一瞬、防御を考えたが、日方が肉薄する方が早かった。
風刃を纏った横凪を、高度を低めて回避。髪の毛数本が散る中で辛うじて危機を脱する劫戈は、今度こそ迫っていた風刃の球体と衝突する。
「ぐっ……ぉぉぉおおおおっ!!」
されど自らの翼で防御、妖力を満遍なく行き渡らせた翼は堅牢だった。翼越しに掌底を叩きこみ、その衝撃で風の流れを乱し、粉砕してみせた。
「ほう、これを凌ぐか。ならば、この数は?」
「っ……」
日方は苦も無く、いくつも空に球体を浮かべた。
数にして八つ、全て同じものだ。絶句する劫戈の蟀谷から汗が伝う。
「嵐を小さく起こし、掌大に押し留めて操る……か。なんともえげつない技よ」
五百蔵が観戦する一同の言葉を代弁する。まさにその通り、多くの者達が息を呑んだ。
嵐は荒れ狂う強風を伴うもの。自然で起こるそれを妖が生じさせると、小規模であるが、全体の威力を一転に集める為に、それは凶悪な威力を発揮する。
元々、風が扱える烏天狗が行使しようものなら、更に悪辣なものと化す。
要するに、山々一体で生じた大嵐を圧縮して、一瞬でその身で受けるようなものだ。なんの力も持たない只の人が受ければ、細切れになるだろう。
だが。
「当たらなければどうとでもなる!」
「抜かせぇ!」
急上昇する劫戈は、回避すると思わせて回り込んだ。そして太陽を背にして、日方へ突っ込む。
「───!!」
球体が追いかける中、高速で交差する。
それは一瞬の攻防、結果は互いに無傷。
日方は掌大の風の幕を裏拳のように用いて劫戈の一閃をいなしていた。劫戈の振るった白刃は、防御や回避を見越して連撃としたが、悉く弾かれてに終わる。
十数近い攻防の交差を繰り返し、二人は上昇していく。
「先程の威勢はどこへいった!?」
「ぐっ……!」
日方の腕が槍のように劫戈へ伸びる。繰り出された刺突は、より苛烈になった攻防の所為か鋭さを増していた。
辛うじて顔面の直撃を避け、反撃に横一閃。
「!?」
が、迫る白刃を日方は真っすぐ伸ばした指で挟み、無力化してしまった。
再び、日方の攻勢が始まり、真下からの蹴りが劫戈を襲う。
すかさず右翼で守るが止まらぬ連撃が劫戈を苛む。離れたくても、剣先を掴まれて距離が変わらない。
「ぐ、ぁあっ!!」
妖力を込めた渾身の蹴りが、劫戈の防御をすり抜ける。執拗に胴体へ向けられていた蹴りが、突如として釼を持つ腕へと牙を剥いたのだ。ごしゃり、と右腕から嫌な音が鳴る。
しかし、劫戈は痛みに耐えながら好機到来と言わんばかりに、空いた手でつま先を掴んだ。
灰色の妖力が妖しく光る。
「むっ……!!」
一瞬の怯みを日方が見せる。まさか、圧し折るつもりかと身構えるのが解る。
直後、接触点から発破した。
弾ける音。
平手を打ち付けたかのような音とは裏腹に、遥かに凌駕する衝撃が日方のつま先を襲い───滅茶苦茶にした。
「ぬ、ぁっ!?」
熱した鉄を押し付けたかと錯覚する激痛を受けて、日方は驚愕しながら距離を取った。掴んでいた剣先をも手放してしまう。
彼が声を上げたのは、痛みによるものだけではなかった。
風を操るのが主体の烏天狗が、火を接触部から引き起こすなど前代未聞であったからだ。あまりに奇天烈な現象、目を白黒させて劫戈の左手を見やる。
「賭けだったが、なんとか上手くいったか……」
にやりと笑む彼の掌は、やはり焼け焦げていた。火を使ったのが解る火傷だ。
彼は、掌にある熱を無理矢理増幅させたのだ。手に搔き集めた妖力に強く熱する意思を込めて念じ、次いで外へ向かって弾けるように意識した。
結果、接触した部分が、あたかも爆発したかのような現象を起こした。局地的で小さなものだったが、それでも威力は恐ろしいものだった。
高温により皮膚は爛れ、肉は衝撃で一部の骨まで見える程に引き裂かれており、また普段では受けない筈の大きな圧力が加わった為に上手く動かせない。骨が肉を突き破っているのを見るに、もう役に立たないだろう事は明白だった。
「馬鹿な……」
それは、風の化生と言われた烏天狗の固定観念を塗り替えた。劫戈の見せたそれは、妖怪が脆弱な人のように学び方を変えれば、人のような器用さを得るという事実を意味した。
火傷を布で覆いながら釼を右腕から左腕へと持ち変え、驚き冷めぬ日方を攻め立てる。
「……まさか、斯様な芸当が出来るとは思わなんだ!!」
劫戈の接近に、意識を切り替えた日方は叫ぶ。心做しか、日方の口元は吊り上がっていた。
「五百蔵から教わったか! それとも独学か!」
白刃と手刀が交差する。金属音を響かせて、妖しい光を火花に乗せて。
「どっちもだ!!」
劫戈もまた叫ぶ。日方を押し込まんと力を込める。
「妖力は強引に引っ張るものじゃない。立ち登り、流れ行く先を、扇ぐだけでいい」
ゆらり、と煙のように立ち昇った妖気が、不自然に揺らめいた。
「手繰り寄せるのでもない。ただ、出て来たものを靡かせるだけでいい」
意思を持ったかと思えるほど素早く、滑らかに、劫戈の妖力は彼を中心に停留した。
「なに……!?」
溜まらず、その場から引いた日方。彼の蟀谷から一筋の汗が伝う。
長年の経験から齎される直感警鐘を鳴らしたのだ。現に、両者の妖力が触れる度に、見えない壁と壁がぶつかる様を引き起こしている。
劫戈は、その障壁を利用し自らの妖力を練り上げる。
もっと、もっと強い、もっと強力な、もっと強靭なものへと。
「“操る”とはこういう事だと気付くのに……長かった」
轟ッ!!
そして、白刃を軸として一個の竜巻が生み出された。刃に纏う、荒れ狂った無数の風。
それ一つ一つが風の刃を成していく。更に、形を整え、より鋭利な釼へと凝縮されていった。
それは、日方の御業を見様見真似で、即席で作り上げた御業。
風害を纏った風刃なり。
「なんと……」
日方は今日何度目になるか解らない驚きを味わっていた。
劫戈の妖力はかつて感知した色は然程変わっていない。量も一般でいう普通とは言えない、底辺だったと記憶している。
だが目の前の文字通り成長した劫戈の妖力は異質に感じた。量はかつてと比べてそんなに変わっていない。
ただ質が変化していた。白刃の恩恵もあるだろう。何より、異様に大きい翼と刃が劫戈の格を高めている。だがそれだけの筈だ───何かが違う。
一見、義母が命を代償にして刃となり、妖力を貸し与えている───ように見える。溶け合っているのでもない。
何か、
「なんだそれは……」
日方は、未知の力を見た。
長い月日を生きた経験が、それを見通し感知するところまでを可能としていた。五百蔵はこれを見抜いて育てたのか、光躬は最初からこれを知っていたのか。などと、今更抱いた疑問はすぐに掻き消えていく。それよりも、もっと見てみたいという思いが勝った。
実子が自らを大きく超えた存在になるという確信を抱いた日方は、得も言われぬ歓喜と共に心が震えた。
彼は、知らず知らずのうちに、笑っていた。もう嗤いはしない。
「行くぞ、父上ぇ!」
「……掛かって来い、
◇◇◇
「父上が、あんなに嬉しそうに……なぜ」
巳利は唖然と、二人の戦いに見入っていた。
木皿儀家の破滅を齎した遠因ともいえる実兄と闘う父は、憎たらしい筈の実兄に喜ぶような笑みを見せているのだ。
彼は困惑し、理解出来ずに、ただただその高度な妖としての闘いを目に刻んでいた。
「何故、だ……奴は、我々を……! 奴さえいなければ……だのに」
結んだ口元から血が見えた。
卑怯な切り方で、すんまそん。一応、ここまでです。続きは、近いうちに。
~現状開示出来る登場人物情報(一部抜粋)~
●
本小説の主人公。根は真面目な少年風の烏天狗。なのだが、本人としては外部の者が関与した結果生まれた亜種ではないかと思っているが、まさにその通りである。
幼少期に虐待まがいな厳しい教育を受ける中、ヒロインの光躬と恋仲になるが、両親や周囲の有力者に猛反発され、遂には不要と断じられて群れを追放。実父・日方の独断で殺されかける。瀕死の中、敵対関係にあった白い狼の群れに拾われ、群れ長の五百蔵や茅、朴といった白い狼達との交流を経て、また榛の義子となり、研鑽していく。しばらく経った頃、突如として、狂気に呑まれた樋熊三兄弟に群れが襲われ、最中に朴や榛を失い、烏天狗種を超えた力を発現した。灰色の妖力とは違って時折、銀色の光が生じる。五百蔵曰く「彼は“
尚、容姿は黒髪、灰色の瞳(右眼喪失)。妖力は、灰色。