東方捨鴻天 【更新停止】   作:伝説のハロー

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お久しぶりでございます。

論文作成、成果なしの発表、残された僅かな時間で実験、長かった卒業。
実に多くの事があり、更にまたも休む暇もなく就業へ奔走、転居の準備……etc
生きるのは大変です。

さて、そんな作者が書くのは、烏天狗が()()()の物語。
彼の生きる道もまた大変です。

では久し振りの本編行きましょう。ちょっと長くなりましたが、どうぞ!



第二章・第六翼「授かりし翼は何色か」

沙羅。

 

私は白い狼の一族。所謂、白狼の妖怪。

茅の幼馴染で、兄さんが榛さんと結ばれてからは茅と私は義兄妹の関係にあった。仲は悪くはないようだが、妹の(ひよ)を喪ってからは、日常は暗くなってしまった。それは数年経った今でも続いていたと思う。

 

最近、おかしな事が起こり出した。

 

毎夜、夢に見る。平凡な日常が邪悪な妖気を纏ったナニカに蹂躙される夢を。

 

樋熊の残した傷跡は癒えないでいる。

烏天狗に兄さんを殺されて、今度は樋熊に妹をも殺された。唯一身を寄せられる想い人()は、群れの幹部の一員となっている。直には長の補佐役か長代理を務める事になるだろうと遠目で見ていた。

段々と離れていく。彼の隣には、はぐれとなった隻眼の烏が居座っている。彼はとても稀有な妖怪で、妖怪には毒な筈の───()()()()()()()()()()()で、まったく変に見えた。でも、同時に妖怪には心地良い何かを持っている不思議な烏さんだった。

 

そんな彼を今更、憎いとは思わない。

彼の父親が兄さんを殺したとしても、憎いとは思えない。彼もまた父親に殺されかけ、大事な人と離れ離れになって、やっと助かった白い狼の群れ(私達の住処)で、無惨にも義母(榛さん)を喪った。

 

 

なんて理不尽。

 

 

私達は妖怪。人の畏れから生まれた、闇の化生だと自分達───妖怪は知っている。

だというのに、理不尽を味わっている。人が妖怪に襲われたような事を、逆に自分達が味わっている。

 

 

これはなんなの?

 

 

この身の中に現れ出でた、黒い感情? 否、靄のようなナニカは。

 

『──────』

 

言葉では表せられない、そう混沌みたいな───。

 

 

おかげで……御蔭で、痛い思いをした。死にそうになった。でもこれは、いつの事?

 

矛盾した現実()が、幻想()であって欲しいと何度も願った。

 

 

……ところがな、天は(屑野郎どもは)私達を(俺達を)知らんぷりをする(嘲笑っている)。何故なら、私達(我々)が妖怪だからだ。

 

 

なに、なんなの?

なにかが、怖いものが入ってきた気がする。

恐いよ、叫んでしまいたかった。

 

この苦痛を言えば、必ず幼馴染()は心配する。周りの子達も不安になる。

大人達にも要らぬ不安感を持たせる。そうして大事な人()は、もっと心配する。

 

今叫ぼうとしたら、出来なくなった。なんで、そんなのおかしい。

 

……おかしい(おかしくはねえ)目の前にナニカが迫る(そりゃ、オイラだぞ)

 

怖い、恐い。

振り払えれば楽かもしれなかったけれど、腕に絡みつく何かがあると思って───

 

振り向いて今すぐ手を伸ばせば、間に合うかもしれない。

でも、おかしいな。なんでだろう?

 

どうして身体が全然動かないの?

 

それに見えるものが黒い靄に見えてきて、ナニカが近寄って語り掛けて来る。嬉しそうに、ぼそぼそと呟いている。

 

『クヒャ、ハハッ……ならオイラに寄越せ、その身体』

 

思うように動かない身体。もう何も見えなくなった。

 

音も聞こえない。なんだろう、勝手に体が動いて、ナニカが膨れて飛び出した。

 

『アア、あアアアアああア、アア……気持チいイぞ!? ィいやッたァ! 外ダァ!!』

 

赤くて黒い、ナニカが胸から這い出て来た。何が何だか、解らない。見た事もないし聞いた事もないナニカが───。

 

でも、どうしてか気持ち悪さが無くなっていくのが解る。

 

少し寒くなって、瞼が重いけれど、もういいかな。

 

ああ、血がいっぱい流れ出ているのが解る。温かいのが離れていくからかな?

 

それに五体が変な方向を向いている。中身も抜け落ちて、眠いかな。

 

もう疲れた。

だれか、終わらせて。

 

 

 

助けて、兄さん。でもどこにもいない。

 

ごめんね、鵯。やっぱりどこにもいない。

 

お姉ちゃんね、もう駄目みたい。

 

……茅───話がしたいよ(まずはこいつ)会いたいよ(食っちまうか)

 

本当におかしくなっちゃったから。せめて貴方()に触れたいよ。

 

 

せめて───最期には、想い人()に。

 

 

 

 

 

 

 

……あれ。(んあ?)

 

 

 

 

 

 

おかしいな。

 

 

 

 

 

 

 

……あなたはだぁれ?(なんで、てぇめえがいる?)

 

 

 

 

 

 

 

そうなのね。

 

 

 

 

 

 

ああ、良かった。私の眼に間違いはなかった。

 

 

 

 

迷惑を掛けてごめんなさい。

 

 

 

 

───()()()()さん。

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

狼達の視線を一斉に受ける彼女の表情は、能面のように虚無。それに加えて、寒気を催す邪気を放っている。

何かがあった事は明白だ。

これには茅が一番早く反応した。

 

「なんで……さっきまでいつも通りに……」

「……茅よ、お前は下がっておれ」

「爺さん……だけどよ! あれは、沙羅から溢れているものは……!」

「そんなもん解っとるわ! だから下がれと言っとるんじゃ!」

 

深刻な焦りを見せる五百蔵と茅。

それもその筈だった。親類に近しい者が、よりにもよって()()()()()()()()を放っているのだから。

沙羅から漏れ出している妖気、それに交じって黒い何かが(うごめ)いているのが見える。

 

 

「───」

 

何かが焼けるような、染み込むような不気味な音が沙羅の口から発せられる。もちろん、それは言葉ではない。

 

ぎょろり。

 

眼が動いた。茅は顔を青くしながら受け止める。

 

ギョロリ。

 

また眼が動いた。劫戈は冷や汗を流した。

 

「……い」

 

ひんやりとした声。

 

「……え?」

 

何を言っているのか、劫戈には聞き取れなかった。

だが声に当てられ、背筋が冷たくなるのが解る。隣の茅をチラリと見やれば、幼馴染の態度に思わず恐れ、どう受け取っていいのか解らず困惑していた。

 

「……ぃ……イ」

 

また。

 

「───」

 

追い打ちを掛けるように沙羅から不気味な声が響いた。何を言ったのかは解らない。

妖気が溶けだした。氷が水に変わっていくように、ドロリとした空気に変わって───いや、侵していく。

 

「───死して尚、オレの血族に宿るか。クソ樋熊」

 

尋常ではない怒気を露わにした五百蔵が妖気を漂わせて近付いていく。樋熊と殺し合った時のような言動へと豹変して。

そして、少しした所で止まる。

 

「五百蔵さん!?」

「誰も前に出るな! 呑まれるぞ…………チッ、一点に集めてこれか、化け物め」

 

大妖怪の白い妖力は邪な妖気に衝突し、ジュワッという音がしたと思うと、何度もパチパチと火が弾ける音が生じる。その異様な妖力の在り方は、見ているあるいは聞いている者達に心理的に作用した。

顔を青褪めさせて口元を押さえ込む者、目を逸らして耳を押さえ込む者、唖然としながら過呼吸に陥る者。

 

「これは……あの時の」

 

樋熊と遭遇した時の邪悪な妖気が劫戈達の視界にはっきりと見えた。

濃さが極限まで()()()妖力は、時に神力すら圧倒する事もある。質の悪い、怪物と化す事があるのだと、朧気ながら実父に教えられたのを思い出す。

 

「濃さが増している……あの樋熊はいったいなんなんだ!?」

 

劫戈の身体は終始震えている。年月を経た劫戈でさえ、樋熊の恐ろしさは十二分に覚えており、そして二度と相対したくない相手でもあった。それが、突然強大になって()()()()()()()()()。辛うじて気をしっかりと保てているのは、腰に差した愛刀(義母)のお蔭か。

五百蔵が前に出て防壁と化す今、茅はゆったりと耐えるように五百蔵の元へ歩いていく。

 

「五百蔵の……爺さん」

「なんだ」

「わりぃ、沙羅と話をさせて───」

 

茅の言に。

老練な狼は、あろう事か身内に殺意を向けた。

 

「駄目だ。もう、ありゃ手遅れだ」

「ッ!? 爺さん!」

「───お前もオレに始末されたいか?」

「な……!」

「無理だ。オレの妖力で拮抗、つっても直に超えられるだろうが……あれは樋熊の邪気だ。ずっと潜んでやがったんだ。もう心が食いつくされちまっている。楽にしてやるしかない」

「おい……。ふざけんな、なんでそうなる! どうして殺すんだよ!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()。意味が解らないか?」

「……ッ!?」

 

五百蔵の言葉に、食い下がる茅は絶句し、その意味を()る。

 

今、以前樋熊の邪気に当てられた沙羅は、あの狂った樋熊に準ずる何かに変性しようとしている。兆候はなかったが、それが兆候でもあったのだ。潜伏し、心を徐々に浸食し、遂に今になって表へ出て来ようとしている。

 

蛹の中にいる蝶が()づるように。

 

要するに、もう亡骸に等しいのだ。中身は荒らされ、凌辱され、養分が入っているだけの入れ物と化している。

 

五百蔵の言葉はそういう意味であった。

 

茅は、崩れ落ちた。

信じられないといった顔を曝け出し、眼の焦点は合っていない。明らかに気が動転している。

 

「茅……!」

 

見かねた劫戈は茅の元へ。五百蔵に縋りつきそうになっている茅を劫戈は引き止めた。劫戈は五百蔵に顔を向けたが見向きもされない。じっと沙羅を見据えており、断腸の思いなのが伝わってくる。

 

「……もう、俺達じゃ駄目なんですか?」

「ああ」

 

淡々としていて、怒りが滲み出ている五百蔵の言葉。自分へ向けているのか、要らぬものを遺した怨敵に向けたものかは解らない。

 

(もう手遅れ……なのか?)

 

首を横に振る。下手に自分が手を出したら、拗れてしまう。

そう判断した劫戈はゆっくりと、茫然とする茅を引き摺る形で離れて行った。

 

すると、徐々に───沙羅の赤い瞳が劫戈へと動いた。片目だけだが、茅を追っているようにも見える。

 

そこでようやく、劫戈は知覚した。

 

今は亡き義母───(はる)を思い出させる赤い瞳が、劫戈の灰色の瞳を釘付けにするように映す。

 

「ぁ……」

 

()()()()()()()聴こえた。

 

肉を突き破る音と共に、鮮血を撒き散らす音と共に。

 

「アア、あアアアアああア、アア……気持チいイぞ!? ィいやッたァ! 外ダァ!!」

 

悍ましい、思い出したくもない。

でも、はっきりと覚えている。

 

憎々しい樋熊の声だ。

 

バシャリ

 

沙羅が仰向けに倒れた。

直後、華奢な身体を突き破って出て来た珍妙な赤黒い生き物───樋熊に見えるそれは、口元が愉悦に歪み、歓喜の狂声を上げた。

そんな小さな狂気の塊(樋熊)は、沙羅の胴体を突き破っていた。赤ん坊のようで赤ん坊を冒涜する生まれ方に、怒りが沸き上がる程の気味の悪さを覚えた。

人の赤ん坊ほどの大きさだ。されど樋熊の再来を意味した。

 

「貴様……オレの血族を弄ぶとはいい度胸だ!」

 

五百蔵は激昂して、襲い掛かろうとして───沙羅が奇妙な動きで立ち上がって来た。糸で引っ張られたような意志に反した動きだ。

五百蔵は訝しんだが、手刀による刺突の構えを取る。

 

「……いイのカぁ? まぁだ、助カルかもシれないンだぞぉ?」

「駄目だ! 五百蔵さ───」

 

言葉が終わる頃には、五百蔵は樋熊と一体化したと思しき沙羅の真横を通り抜ける。有無を言わさず殺し切るつもりで通り抜けるつもりだったのだろう。ほんの僅かな戸惑いから、躊躇ってしまったと見て取れる。

舌打ちと共に樋熊を睨み付けた。次いで、早く言えと催促する。

 

「キ、ヒャッハハハァ!!」

 

すると、それを好機と見た樋熊は黒い靄で辺りを包んだ。

そして顔を顰める狼の面々は、黒い靄から聞こえてくる沙羅の聲を聞いた。

 

(これは……!?)

 

 

 

天狗が来る?

天狗のところに行く?

……怖い(いイねぇ)

どうして……

天狗に?

嫌ぁ!

……殺される(楽しミだぁ)

いや、来ないで!

罠、罠なの?

……殺されちゃう(できっこねぇよ)

危ない、危ないのに

解ってる筈なのに

ねぇ、どこにいるの?

でも群れが危ないの!

……また死んでいく(くハ、気持ちいイね)

危ないから、でも

手を組まないと

鵯、どこ?

こわいよ(食っちゃる)

 

 

一気に流れ込んで来た。

 

「う───」

 

この数瞬の間、五百蔵の後ろに近かった劫戈は自分以外の黒い感情に触れて、心底苦しい顔をする。

 

感情の本流が、押し寄せて来る感覚。実際に起きている訳ではない。

劫戈は沙羅から発せられた黒い感情を()()()()()()()()()()()()()()のだ。

それだけの身の丈になった劫戈は出来てしまった。だが、自分の黒い感情ならまだしも、得体の知れない他人の黒い感情だ。

いつの間にか真正面に立つ少女は今にも折れてしまいそうで、突き飛ばせば呆気なく壊してしまえる。樋熊の攻撃すら弾いた強靭な翼で風を起こせば、切り裂かれ四散さえ出来てしまえる。

 

(茅の義妹だぞ……見殺しにしていいのか? もう、本当に助けられないのか?)

 

いっそ、楽にしてしまおうか。五百蔵は暗にそう言っているが、どうすればいいのか。

 

 

 

『───ならぬ』

 

 

 

だが、その身体(どっちつかずの身体)背負った者(背から視る者)存在(■■)が彼を踏み止まらせる。

 

あの時を思い出す。

 

───自分にとって眩しい太陽(光躬)が、手を伸ばしてくれた時の事を。

 

だから。

 

(───沙羅は……まだ救える!)

 

そう、直感的に確信した。

 

「五百蔵さん、下がって!」

「……何? 小蔵、戯言に───」

「“下がれ”と言った!」

「……ぬ、ぅ?」

 

有無を言わさぬ言葉で、無意識にて縛る。束縛を掛けられた五百蔵は、困惑を見せた。この時、劫戈には自然と出来てしまう程の気迫があった。

 

彼女はまだ救える段階にある。自分がそうだったように。

状況が二転三転し、多くの命が喪われた忌まわしい日を境に、沙羅という少女は壊れかけていたのだろう。茅が傍にいて気に掛けるべきだったろうが、生憎若手の中で最年長と言う立場にいる彼は率先して群れの立て直しに動いていた。頼りになる、支えとなる者が傍に居なくて、不安に陥り落ち掛けたと言っていい。

 

「茅、少し下がっていてくれ」

「ぁ……あ、ああ。わかった……」

 

だからこそ茅を下がらせる。これからやる事には力の抜けた彼が傍に居ては、危ないと劫戈は感じた。

 

(今の俺なら出来る! そうなんだな?)

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そういう確信があった。

 

沙羅に向き、否───この場に集まった者達に向けて声を発する覚悟を決めた。腕を広げ、身の丈を超える大きさの翼を拡げて。

 

「五百蔵さん、どいてください」

「……な、に、を?」

 

五百蔵は背後から投げ掛けられた劫戈に困惑を隠せない。

大妖怪たる己を縛る若者がいままでどれほどいたか。恐らくいないのではないか。有頂天に達した困惑と疑問が五百蔵を動けなくさせていた

 

「……おいッ!?」

 

劫戈は前に出るなと言った境界線を意に介さず越えて行った。静止しようと声を荒げて───

 

五百蔵は瞠目し、凍り付いてしまった。

 

 

 

五百蔵は感じ取った。

 

『そうだ。届かせよ、我が仔よ』  

 

荘厳なる神性の声。主は、女だ。されども、どの体系かは解らない。

五百蔵は確かにその声と、神性を垣間見た。金色の大きな翼、輝く宝玉、母性溢れる美貌の女神。

 

―――我は辿り着く―――

 

―――(いのり)を画き―――

 

劫戈は祝詞を続ける。言葉を発するが、別人が言い放っているようにも見える。

口が勝手に動いている気がするも、かつての無意識下とは違い、自分の意識下で言葉を投げ掛ける。沙羅が半分(うわ)(そら)でも祝詞を重ねた。

 

―――想いを繋ぎ―――

 

―――祝詞を詠い―――

 

―――終を告げる―――

 

―――(オン)迦楼羅那(ガルダヤ)蘇婆訶(ソワカ)―――

 

 

 

其れは、偉大なる鴻鵠。邪悪を討滅する事を約束する、強く在りし聖なる鳳凰を示す真言。

 

地上全ての鳥類の祖にして、烏天狗の祖先にあたる神格。

 

その祝詞が示す力は妖怪が持ち得る“御業”の類とは別格。明確な神性によるものを由来とする絶技だった。

 

「なんダ、なんナンだ! なンでぇ、てめエェはぁ邪魔をスるンだァァぁ……────」

 

樋熊は消し飛んだ。たったそれだけの事で。

五百蔵すら震撼させた強大な狂気の塊を、百も生きていない若造が消し飛ばした。

 

 

言葉だけの浄化を齎す。それはかつて騒ぎを鎮めたものと同じ言動。

非常に妙で、形容し難い言辞。何もかも受け入れたような情の深いもの。悟った者が発するような、落ち着き払ったもの。

 

「沙羅。ここに……」

 

差し出された劫戈の掌中には、何があったのか。それは沙羅にしか解らず、確かに存在していたのだろう。

 

食い入るように見入る沙羅の瞳が揺れ動く。その様子を見ていた茅は何がどうなっているんだという心境で何も見えず怪訝になるが、彼女からははっきりと見えているのだろう。

 

「以前、君は俺に言ったね。“闇であって、闇を否定出来る者”と」

「ぁ……あ……あれ?」

 

 

 

───お姉ちゃん、もう大丈夫だから。

 

 

 

「……鵯?」

 

 

 

 

瞬間、フ───と()()()()が翼から放たれた。

光が晴れると、沙羅の眼から濁りが消えた。と、共に意識が掻き消える。

 

「お、おい!」

 

慌てて、唖然と見ていた五百蔵が受け止めに入った。不思議な事に、沙羅は五体満足で先の鮮血が嘘のように無くなっていた。

見渡せば、集まった者の何名かが力無く倒れているではないか。他に居た者はまるで寝起きのように瞼をパチパチとさせ、眼を擦っている。

 

「ふぅ……」

 

その場に座り込む劫戈は、滂沱(ぼうだ)の如き汗を流す。翼を団扇代わりにし、ぐったりとした。

やりきった風に疲れを癒す劫戈は、確信とまでは行かないが納得した表情で己の掌を見やった。

 

(そうか……俺は。だが妖怪……で合っているのか?)

 

今まで普通とは言い難い妖怪としての在り方に疑問が湧くが、半分ほど自然と、()()()()()()()と受け入れてしまっている己がいた。戸惑いなのか、安心なのかさえも解らない。

ただ、自分はこういう妖怪なのだという漠然とした事しか解らないのだ。

 

沙羅がかつて言った───“闇であって、闇を否定出来る者”とは、樋熊を例とした狂気に彩られた者を()()()()()()()()()()()なのかもしれない。

 

云々と思考の渦に入り込む劫戈だが、片足を突っ込んだところで脳天に拳を受けた。

 

「ぃだッ!?」

「おいこら! 勝手に終わらすな!」

 

見事に中心点へと入った苦痛に激しく顔を歪める劫戈に声を荒げて問いかける五百蔵。

 

「お前さん、いったい何をした!?」

「え、ぇ? ああ、いえ。邪気を祓い、ました」

「祓った、じゃと…………そうか。やはり、あの時見えたのは───」

 

「待ってくれよ! ど、どういう事だよ! あの邪気を祓う!? お前本当に妖怪か!?」

 

劫戈がさらっと言い放つと、五百蔵は神妙に頷き、事態に付いて行けなくなっていた茅は鋭い剣幕で詰め寄った。

本人としては己が何をしたのかは解っているので話すが、己の正体がよく解らなかった旨を頭に残していた。

だが、正体は不明でもある程度察する事は出来た。

 

「妖怪……でいいのかは、はっきりは解らない。けど、今のではっきりした。俺は半分妖怪なんだと思う。もう半分は……」

「…………」

 

肩の荷が下りたように言う劫戈に、茅は安んずるべきか呆れるべきか怒るべきか、複雑な気持ちになる。おっかなびっくりの劫戈は事の説明をした。

 

茅はこれで何度目になるか解らない複雑な思いに支配された。

 

幼馴染がいつの間にか不穏な感情を抱いていた事、それに気付けないほど群れ全体しか見ていなかった事も含め、弟分が何かを決意したように翼を拡げたらとんでもない事が起きたのだから。

 

銀色の何かが湧きだしたと思ったら、自然と不思議な事が出来た。

 

例えるなら───白銀の涅槃(ねはん)

 

その場が涅槃になったかのようだった。あらゆる雑念を吹き消したような空間とでも言えようか。

その中で、嫌悪感が込み上げる音が消え、澱んだ空気が澄み渡っていく。枯れた草木が息を吹き返したかの如く、普遍に広がった温かさが降りて来たようだった。

 

「そういう事もあり得るのかのぅ。……劫戈よ。お前さんは……神格の愛し仔だな」

「ど、どういう事だよ……爺さん?」

「先祖返りか、あるいは神に祝福されて生まれたか。稀有なものじゃぁ」

「は、はぁ?」

 

五百蔵は、厳しい顔で思案する。ジッと劫戈の隻眼を見通そうとしている。

 

「こ、今回はここ一帯の邪気を全て祓いました。何人か倒れたのは、その人達にも巣くっていたからだと……直感的にですがそう思います」

「ほう」

 

二人の遣り取りも聞いた茅は、前にもこんな事があったなぁ、と内心で語った。

 

「……不思議な奴だよな、お前は」

 

その茅の言辞は推し量れない感情が秘められていた。

 

「やっぱり……そう、なんだよなぁ」

「まあ、助かった事は確かだ。ありがとう」

「でも、こういう事が出来る妖怪って……ある意味、これは気味が悪いって事、なんだよな」

 

自嘲気味に俯く劫戈は、狼達を救ったと言うのに、歯切れが悪い。対する茅は先と打って変わって、明るく感謝の言葉を述べる。切り替えの良さは、誰かさんのお蔭で慣れてしまったようだ。

 

「そうかも知れんがよ。本当にそうとは限らねぇぞ」

「俺自身、よく解らないし……」

 

余念を振り払うようにガシガシと頭を乱暴に掻き、茅は周囲を見渡す。

 

「あーあぁ……」

「……これでは、しばらくは無理じゃなぁ」

 

意識がなく倒れた者、ぼーっとしている者、何が何だか解らず困惑する者。

 

混沌図が出来ていた。これでは当初の目的が果たせない。

邪気を祓ったはいいが、この有様だ。こんなことになるとは、誰が予想出来ようか。

 

三人は深い溜息を吐いた。

張りつめていた緊張は、もう既に霧散して存在しなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

銀色の光が視界の端から入り込んだという事実。

昼間だと言うのに、視界が真っ白になる感覚。一瞬だけでも少し離れているのに凄まじいものであった。

 

あれから少し経って。

 

事の発端を五百蔵(いおろい)(いさ)は事を終えてから話し合っていた。千里眼で注視していなくても、劫戈から銀色の光が溢れたのを見ていた。

 

「五百蔵様……やはり彼は」

「然りだ、斑よ。あの子は神の愛し仔、つまりは“神憑(かみつ)き”じゃろうな。それもただの神憑きではない」

 

普段なら落ち着きを見せる斑だが、この時は声に焦りのようなものが混じっている。対し、彼の老爺が神妙に答えた。

 

彼の言う“神憑き”とは。

魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)(ひし)めくこの世には、主に人や物に()りつくものがいる。八百万の神のような霊体であったり、呪詛が積み重なって生まれた怨霊であったり、妖怪に乗り移られたりと、多くある事象の中で被る側の者を指すのが“憑き物”。

基本的に憑かれた者は大変な目に遭う。呪われ落命したり、死ぬまで言いなりになったりと様々である。

 

そんな憑き者の中でも特別なのが、“神憑き”である。

神霊の類───しかも名のある神に憑かれるのだ。憑かれると言っても、乗り移る、呪われる、加護を受ける、といったと様々な例がある。それだけで、尋常ではない恩恵と代償を強いる。

 

どちらにしろ、多くの視点から見ても碌な目には遭わないのだ。

 

五百蔵の言葉に、斑は怪訝な顔になる。皺が増え、ますますおかしいと口を開く。

 

「普通の類ではないと? そうは言いましても、妖怪の身でそうなっているのは明らかに異常です」

「うむ。劫戈は妖怪じゃぁ、それはそうとも。じゃが、相反する神気を持ち得ておる。あの祝詞を聞く限り、……鳥の神格じゃろうな」

 

妖怪でありながら神聖さを持ち、鳥の神格と繋がっている。

妖怪にとって神聖なものは猛毒である。だが、彼自身はケロッとしており、故に神に愛されていると表現された。

その証拠に、ある事が想起された。

 

「偶然とはいえ、幼子が日方(大妖怪)の一撃を受けて死なぬとは思えんからな」

 

それは尤もな証左足り得た。

 

「それに……」

 

五百蔵の脳裏には、初めて出会った血まみれの幼子の姿が蘇る。

死んでいる───そう思ってもおかしくはなかった。ただし、千里眼を使わなくともまだ息がある、生きていける、と根拠のない確信めいた何かが湧いたのだ。

 

だが、疑問が残る。斑はすぐに問う。

 

「本来の神憑きは人が成るものではないですか。妖怪など邪悪な生き物と淘汰される側にある筈。それに神気を帯びるなどと……我々には猛毒でしかないというのに」

「そう、その通りじゃぁ。じゃから、()()()()()()()()()この世を探しても片手で数えるほど稀じゃろう。妖怪が余程の事がなければ神に手を付けられるなどあり得ぬじゃろうて」

 

実際、劫戈は生きており、邪気を祓うなどという妖怪の領域を完全に無視した行為を披露した。今度は、明確に。

神憑きと思わない方がおかしい。五百蔵の知見の下で、断定されたも同然だ。

 

「偶然生まれた……とは言い難い。恐らく、何かしら望まれたんじゃろう。烏どもには解り得ぬほどのものを」

「となると、烏に連なる神に……何を望まれたとお思いです?」

「解らん。わしは元々この国の生まれではないからな……。そもそも神話のやりとりは首を突っ込まん主義じゃぁ。こちらで住まわせて貰っているのも、天照に許しを得ているからでもある。劫戈があのような事をしてしまったが、未だに音沙汰なしという事は()()()()()なのじゃろう」

 

まだ全貌は解らないが、関与している神々はきっと劫戈の存在を知っている。

そして邪魔する気もない。すくすくと育つのを待っていると見ていいだろう。

 

木皿儀劫戈は神憑きである。

彼が妖力を最低限しか持ち得ない理由は、その神聖さが相殺していたからだ。しかも持ち得るのは神力ではなく、()()だ。

古来より妖魔を祓う力である霊力と、恐れを撒いて怪を成す妖の証たる妖力の双方を持っている。普段は榛により後押しされた妖力が彼の妖怪としての力を振るうが、時に退魔の力として霊力を振るう事が可能と言う事になる。

なんという特異個体。稀有中の稀有だ。

 

「日方はこれを知っていたのか。今や、訊けぬが気になるなぁ」

「彼の木皿儀日方に見る目がなかったという事でしょう。彼は本来なら猛毒となる力で私達を救ってくれました。そんな子を受け入れてあげられなくては、大人が廃るというものですよ」

 

と、話を区切って斑が感嘆を込めて五百蔵を見る。申し訳なさが溢れているのが解った。

 

「……今回の件は、私共の落ち度。いかようにも……」

「罰するも何も。わしは殺す事しか考えられんかった。じゃからよ。誰も責められん」

「長を責めるなど致しません。ですが……今後はもっと注意しないとなりませんね。皆が、一人一人」

「本当にそうじゃなぁ……」

 

すまんのぅ、と頭を下げるやり取りは、疲れ切った老夫婦にも見えた。そんな関係ではないのだが、この群れは誰しもが、仲が良い事の証だろう。

 

そこで、ふう、と互いに息を吐いた。その息には、疲れやら愁いやら多くのものが混じっていた。

五百蔵は、徐に空を見る。澄み渡った昼の空だ。

 

 

 

「神が介入するという事は……何も気にするなという事か。それとも汝は渦中にあれという事か?」

 

 

 

その呟きは、そよ風に乗って消えて行った。何事もなかったかのように、風に乗って無になる。

 

 

───彼の者は、妖怪でありながら、神に許された愛し仔、之即ち、銀翼の烏也。




遅くなりましたが、劫戈が一体何者か。解って頂けたかと思います。
神格の正体はぶっちゃけ、作中の祝詞に答えがあります。よく解らない方は調べてくださればよろしいかと思います。

今更ながらハーメルンに斜体とか右寄せとかこんな文章機能があったんですね。ルビを振るか傍点くらいしか使っていなかったから、新しい試みでちょっと斬新な気持ちで満たされていました。

次投降するのは、転居して、ネット環境を整えて、仕事に慣れて、執筆してからになります。
それまで、皆様もお元気で!

第三章の結末について

  • 取り返しのつかないバッドエンド
  • 痛み分けのノーマルエンド
  • 邪魔者を排斥出来たハッピーエンド
  • 作者におまかせ(ランダム選択)

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