苦労しましたが、無事に執筆活動が再開出来ました。
本拙作をお読み頂いている読者の皆様、これからも何卒、宜しくお願いします。
何があったか解らない方は、活動報告の方に詳細が載っていますので御確認の程を。諸事情により少し予定より遅れてしまいましたが、無事に投稿出来て一安心です。
さて、大事な本編行きましょう。どうぞ、ご覧ください。
射命丸文は荒れている故郷へと戻っていった。それを最後まで見通した劫戈は、五百蔵に最終判断を仰いだ。
「わしと来い。皆を納得させる為には、今回ばかりはお前さんの言葉が要る。いい加減、現状維持は危ういからのう」
「じゃ、俺は皆を集めてくる」
劫戈が五百蔵の重い言葉にやや緊張する傍ら、茅は皆を集めると言い放って、幹部連中と一緒にさっさと行ってしまった。
残された劫戈と五百蔵は、伝えるべき広場に向かった。道中、劫戈は自分の感情や持論混じりに言ってしまった事もあり、不安がありありと表情に出ている。五百蔵は振り向くと、劫戈に笑みを見せた。
「何を不安に思う?」
「……あの、すみません。五百蔵さん。納得させる、と言っても……」
劫戈は歯切りが悪い。こうもトントン拍子に進んでいる事に加えて、群れの方針に関わるのは事実、初めてという事もある為だった。
烏天狗側の提案───というより懇願とも要請とも受け取れる内容だったが───に賛同を示したのは劫戈自身が先である。
憎しみや恨みの感情だけに囚われずに、子孫を存続させるにはどうすべきか。大恩ある群れのために出来る事は何かないか。
そんな考えを持つ劫戈だから、不安の募る現状が払拭出来ればと提案を呑むべきと主張したのだ。生まれる以前から樋熊と戦った時と似たような惨状が起きたと思うと、もう止めにしたかった。
主張したまでは良かったが、こうも重役扱いされてしまうとは困惑してしまってもおかしくはない。
「確かに、良い顔しない奴もいるじゃろう。しかし、このままでは良くないって事が解らんほど愚かではないぞ。わしらの群れはな」
心配するなと劫戈の肩を叩くのは、群れ長の五百蔵。彼はそのまま歩み出て、あっという間に集結していた白い狼達に向かって行った。
「……榛さんにみっともない姿を見せる訳にはいかないか」
白鞘を、撫でながら微笑みかけた。
愛情を注いでくれた義母が、きっと見ているであろうから。
「皆、伝える事がある───」
─────────
そうして皆に向かって。まずは同盟の受け入れを決定する旨を五百蔵が伝えた。
集められた面々は射命丸文が持ちかけた来訪と同盟への話を聞いて、疑問と困惑、怒りを露わにする。五百蔵は、彼らの言葉、思い、じっと黙って聞き及んでいた。幹部面子もまた静かに彼らの声に耳を傾ける。
何を今更、と。
言葉巧みに騙されるな、と。
烏を信じるなんてごめんだ、と。
深い軋轢から諍いが生まれ、祖父母の代から血の上に血を重ねる事が何度もあった。
それを耐え、それに耐えて───耐える事が日常化してしまった。
だからか、今の彼らは暴発一歩手前となりかけているのを劫戈は感じた。彼らは五百蔵の手前、勝手な振る舞いをしない事から、自重はしているようだが、果たしていつまで持つか解らない。
彼らの言い分は尤もであり、悲憤が募るばかりだった。
「そうじゃな。そうじゃろう……」
感慨深く、頷く五百蔵。
五百蔵も彼らと同じ苦しみを味わい、彼らの苦しみを分かち合い、共に抱えて生きて来た。五百蔵は年長者だ。他の誰よりも深い悲しみと激しい怒りを抱いたに違いない。
群れの狼達もそれを知っている。父祖たる五百蔵の長きに亘る苦しみを、彼らは傍で分かち合ってくれたからこそ知っていた。
この場にいる誰もがそうだった。
五百蔵の背を見やる劫戈も、自身の苦難の道筋を思い出す。木皿儀劫戈としてこの世に生を受け、ここまでやって来た道筋を。
幼き日、得も言われぬ理不尽を知った。最初は、解らなかった。
思うように狩りが出来ないからと酷い目に遭わされた。痛かった。
お前は弱くて使い物にならないからと恥辱を与えられた。辛かった。
本分を全う出来ないお前は足手纏いだからと殺されかけた。憎かった。
好きな娘と一緒に居るとおかしいからと恨まれて罵倒された。寂しかった。
優しく暖かな義母は子供の笑顔が守りたいからと自分を庇った。悲しかった。
感じて来た今、嫌と言うほど味わった。だから、二度と苦しみたくはなかった。
この世は苦しみに満ちている。
許せなかった。多くの苦しみを生み出す元凶達が。
故に抱いた、負の感情───腹の底から沸き上がる静かな憤慨を。
この世は苦しみに満ちていて、でも輝く太陽があった。
嬉しかった。苦痛よりも心地良いものをくれる者達がいて。
故に希った、親愛の熱───心の底から許し合える喜びと親愛を。
冷たく物言わぬ“世”という怪物に対し、暖かく包み込む“愛”という慕情がある。
苦しい事だらけだから、苦しくなくする為に暖かいものを欲して生きている。生き物なら、誰だってどんな奴だって、そうする。
人だってそうだ。敵わない強大な存在から身を守ろうと集まって、作って生み出し、工夫しながら暮らしている事が何よりの証左だ。
(人、も? ……ああ、そういえば人もそうだったか。妖も人も、変わらないのか……)
劫戈はふと、人間と妖怪があまり大差ない事に思い至った。知性があり、理性があり、感情がある。苦しい事に対して、苦しくなくする為に生きている。自然から生まれた、ただの獣ではないのだと。
『然り』
「───」
音が消え、色が失せた。
───◇○◇───
彼の見えない筈の右眼に、白い空間が入り込んだ。日差しのような眩しいそれが劫戈の視界を侵す。
「───」
突然の出来事だった。だが、劫戈は慌てる様子を見せない。
ただの変哲もない背景を見渡しているような、意識がはっきりしない虚ろなものと化していた。意図しない、想像も出来ない、不思議なものが目に映る。そこに金色の人型が現れ、劫戈の前へとふわりと漂った。
劫戈は絶句した。全ての雄を狂わせてしまいそうな金色の睛を持つ女性だ。
この場にいる者達は突如現れた金色の存在に、誰も目を向ける事無く凍り付いていた。口の動きは止まり、瞬きもなく、誰も認知していないようでもあった。
突然の事で茫然とする劫戈は自分が酔っているようなふらつきを覚えた。
『然り、ぞ。広い視野を持てたようで何よりだ』
「は……?」
『我が愛し仔よ……久しく見に来たが、なんとも逞しくなった。そなたの成長、嬉しく思うぞ。お蔭で届きやすくなった』
「……誰、だ?」
意識がぼんやりとする劫戈だったが、話し掛けられたお蔭か、反応する事が出来た。それでも動きは緩やかで、酒に酔った者を思わせる。
『なんと……! 今の私を認識出来るのか……いや、そうか』
「……?」
『そなたの義母のお蔭か。異種と言えど、優しい狼よ。これは良きかな、実に良きかな』
金色の人型は微笑み、嬉しそうな声音で一際大きい翼を労う手つきで撫でた。背から生える一対の烏天狗を象徴する黒く艶やかな翼を、誇らしそうに見やっている。
そんな金色の存在は、口調や声からして成熟した女性である。容姿は眩しくて曖昧だが、一目見れば忘れないほどの
「誰だ……?」
『以前と違ってはっきり見えるのか。
しかし、厳格過ぎる。荘厳な女性と言えば、実母くらいしか覚えがないがアレは刺々しい───なのに、眼前の女性はとても身近に居るように接してくる。
『すくすくと育っておるのは喜ばしいぞ、我が愛し仔よ。しかし……』
慈しむ様子の金色の女性は、微笑んでいたが、転じて悲しみの表情へと変わった。陰る彼女の顔は隠しきれない憂いがあるようだ。
『少し性急になってしまった事に謝罪をさせて欲しい』
「しゃ、ざい?」
『すまなんだ。本来は、もっと時間を掛けるべきなのだろうが』
「……よくわからない」
ぼやけた視界に映る金色の女性は意味不明な事ばかりしか言わない。半ば一方通行に感じ取れる劫戈は、自分の知らない事を知っているのではないかと咄嗟に感じた。
「あの、俺のなにを、知って……」
『ああ、すまぬ。そろそろ時間だ。
「そんな……また何を言って……」
すまなさそうに微笑む女性は劫戈の発言を拒む。これ以上は危ないと暗に言っているようで、問答無用さを臭わせた。
「……俺のため、ですか?」
『然り』
「……そうですか」
ただ一言の肯定。
腑に落ちない劫戈だが、話を聞くには早すぎると思ってもいいのだろう。慈愛を感じ取れる以上は、身を案じている事は明白であった。
『ではな、愛し仔よ。次は
「ま、って……貴女はいったい……誰なん、だ?」
『私は■■■■。そなたの祖なる者よ』
そう言い残した女性は、金色の燐光を残しながら露と消えた。
───◇○◇───
その間、劫戈の時は停止していた。そう気付くのに、そう時間は掛からなかった。
(っ!? お、おれ……俺は何をしていた!?)
はっと我に返った。慌てて周りを見渡す劫戈だが、近くにいた茅は怪訝な視線を向けて来るだけ。
「馬鹿な……」
「おい、緊張してるのか? 落ち着けよ───」
茅が心配そうに見て来るが、それどころではない。劫戈が見渡すと先に見えた空間はどこにもなかった。
見えて聞こえる光景は、五百蔵が集まった狼達に説明をしている最中なのだ。
(今の遣り取りは夢ではなかった! では、なんだ。あれは、あの人は……いや、
劫戈は困惑した。
(気にも留めないほどの遣り取りだった? 忘れたい内容だった? いいや、そんな筈はない! 今のは鮮明に覚えているぞ! どういう事だ!?)
過去にあれほどの女性との邂逅を、衝撃的な出会いを、覚えていないのはおかしい。薄い記憶であった筈はなく、記憶に残らない些事であるなど信じられない。まるで、会話もせずに柔肌を撫でた時の軽々しさだ。
(そう、まるで軽く触れて来たような……)
そう。
今回は何かが触れて来た。
そんな感じがした。
肉体的ではない。例えるなら、妖力のような形のない、何かが自分の意識に触れたとも受け取れる。凡愚だ、劣等と、罵られた劫戈だが、段々と自分の異常性が意識出来るようになってきていた。
そもそも何故、凡愚であった自分が得体の知れない存在と───
(………………いや、深く考えるのは止めよう)
混乱の極みに至りそうになって。ただただ、そういうものだと認識するしかない。
気持ちを切り替えろ。
今は、白い狼の群れが直面している危機を脱するために集中すべき時だ。五百蔵が気配を察しただろう、チラリと劫戈に視線を向けた
「───でな、劫戈の言を聞いて決めたのだ。こやつが言っていた事、皆も聞くと言い」
そこで主導権を手渡された。
下がる五百蔵に変わって劫戈がさっと前に出た。意志を確かに、胸を張って、出過ぎずに。
先程の慌て様はもうそこにはなかった。一礼し、皆へ向き直る。
「劫戈です。俺から言う事は、気付いている方は解っていると思いますが……」
一旦は言葉を切り、見渡して口を開く。
「皆の言いたい事は尤もでしょう。……烏天狗達と、今までとは違う意識を持った若手連中と手を組んでいこうと言ったのは、この俺です」
続けて、劫火干戈は口を開く。
「これ以上、遺恨は続けさせるべきではない。このままだと、俺達の子供達が今の俺達と同じ事を続ける事になります。終わらないんですよ。今までの事を、水に流せとは言いませんよ。だけど、ここで歩み寄る事をしなかったら? 他でもない自分達の子供の未来を壊す事に繋がるんです!」
殺し合いをいつまで続けるのか。子供達に不幸を残すのを是とするのか。劫戈は投げ掛ける。
ざわめきが起きた。疑義の視線が劫戈を貫くも、劫戈はしっかりと狼達を見て言葉を発する覚悟をした。
「これは、群れの未来を考えた上での結論なんだ。……正直、今のままでは群れが危ない。いくら五百蔵さんが居ても、限度がある事は明白だ。あの樋熊の事もあって、余計にそれを痛感した者はどれほどいる? このまま平穏であると思い込んでいる場合じゃない。だったら……!」
ここで劫戈の語句が強みを帯びた。
彼の頭の中には、彼らを説得させるとかの心配事は既になかった。どうか解って欲しいという願いから、訴えに変わっていたからだろう。
「他の妖怪と手を結ぶ必要がある! 幸い、力になってくれそうな者達が、俺達と手を取りたいと言ってくれた者達がいる! この機を逃したら、本当に危うい事になる!」
群れの面々は聞き入っていた。異種の若者がこうも、親身に語っているのを邪魔する者はいなかった。何人かは、同意を示すように頷いている。
幹部連中だけでなく茅も感嘆の様子で劫戈を見ていた。
「……移住なんかの細かいところは、向こう側の統領が来てから詳しく話す事になっている…………」
思わず身を乗り出しそうになっていた事に気付いた劫戈は、姿勢を正しながら、白い狼達を見回した。
「……俺は若く、生まれる前の事はあまり知りません。でも、喪う時の悔しさとか喪った時の苦しさとか、そういう気持ちは解ります」
沈痛な表情を見せ、己の翼に触れる。榛が自らを引き換えにして授けた恩恵は、劫戈にとって榛を喪ってまで欲しかった力ではない。
その事を悔やんでいるし、悲しんでいる。そう、皆には捉えられた。
「俺はそれを二度と味わいたくないし、自分の子供にそんな思いをして欲しくない。だから、もう終わりにしようと進言しました。皆さんはどうですか?」
劫戈の言葉が狼達に届いた。だが、黙して難しい顔をしている者だらけだ。
どれくらい経ったか、深呼吸した劫戈が集いを見渡して気持ちを持ち直した。言うべき言葉を劫戈は懇願の思いで、
「……どうか、ここは受け入れてください。お願いします」
一人頭下げた。
大丈夫なのかとか、信じられるのかとか、馬鹿な事を言うなとか。そういった糾弾を覚悟していた劫戈は、相手からは見えない眼を閉じて堪えていた。
だが。
束の間の静寂が気になり、劫火干戈はゆっくりと首を上げた。
「……!」
彼は目を見張った。
そこにいる者達は、納得出来ないと言う不服そうな顔が消え失せており、安んじる場所をくれと言う気疲れしたような顔を浮かべる者が大半だった。
実のところ、幾人かの狼達はこの前の会議に参加せずとも優れた耳で聞き取っていた。長も幹部連中も賛同しているし、何より無事に明日を迎えられるのなら、とそう考えている者が多かった事から、介入は一切なかったのだ。
これが他種族や人間であったなら、不満が爆発してあの場に駆け付けた事だろう。
それでも大人しかったのは、偏に五百蔵が代表として怒りを見せた事が大きい。今までの恨みもあるが、元々温厚な種故の性が抑えていたというのもあった。
それでも生き残りの、取り残された者達の怒りは大きい
───が。
皆がこんな表情をしているのは、心に傷を負っている事が一番の理由だった。
突然現れて多くの同胞や伴侶を殺した樋熊への恨み、絶対の信頼を寄せる五百蔵すら圧倒し得る樋熊への畏れ、事が終わったからの虚脱感と喪失感、この後先を喪った者無しで明日を迎える憂い───原因を挙げればキリがなかった。
先程、反発の声を上げたのは不満を発散する為でもあった。本気であった訳ではない。
頭を上げ、内心で不安になる劫戈はもう一度、狼達を見渡した。
そして、劫戈は彼らの顔を見て、呆気に取られた。
「そりゃ、嫌さ。いっつも奴らの所為で……。でも、お前さんの言う事も一理ある」
「俺も父ちゃんが……。だけど、やっぱり嫌だな」
「あたしも、もう恨みっこは疲れたよ……」
「おいらもだ」
憤慨を見せた彼らだが、劫戈の意見を聞く事により、彼らも渋々と理解を示していき、いい加減に矛を収めよう、という意思が生まれつつあった。
「……お前さんがそこまで言うなら」
「あぁ、わかったよ。もう止めにする」
「これ以上、僻んでいても駄目よね……」
殆どが頷き、同意の声がちらほらと上がっているのを耳にした。何も異論はないと暗に伝えてくる。
五百蔵や茅は見渡すと、良かったと言わんばかりに安堵した様子だった。
そこで───
「───……な、に?」
空気が凍った。
群れの中に異物がいたのを、今になって五百蔵は悟った。
今更になって何を、と疑問を抱くだろう。
自他共に認める五百蔵は強者だ。狂乱なる樋熊の長兄を屠ったその実力は本物である。
だが老練な彼をして、ひやりと感じさせて、且つ思わせたのは、他でもない特殊な存在だった。
「皆、散れぇぇぇえええええ!!!」
ありったけの声量で叫ぶ五百蔵。
五百蔵が見つけた異物。
それは。
───
その異物は。
「な……んだ、これは……」
「どういう、ことだ!?」
劫戈と茅は、大慌てに散開しつつ危険から逃れる群れの狼達に交じって、信じられないものを見た。
異物の正体は、群れの一員だった。
「くっ……そんな事がありえるのか!?」
「どうしてお前が……!」
二人ともの心情はあり得ないの一言で、しかし認めてしまえる邪気を放ち始めていた。
「何故だ、沙羅!?」
───沙羅だった。
長らくでした。以前投稿していた第二章・第五翼から、大幅に改訂した内容となっております。大まかなストーリーに変化はありませんが。
作者は忘れていた沙羅ちゃんをログインさせました。
近日、次話投稿予定。
第三章の結末について
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取り返しのつかないバッドエンド
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痛み分けのノーマルエンド
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邪魔者を排斥出来たハッピーエンド
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作者におまかせ(ランダム選択)