東方捨鴻天 【更新停止】   作:伝説のハロー

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ここから始まるのは、過酷な茨の道への加速。世の中、よくある事。



序章・第一羽「殻はいつ割れるか」

白き落雪を乗り越えて、極寒が開けた季節。

時期は暖かくなり始めた辺りで、動物達を常日頃から見守るようになった。

風は強く吹いてはいないが、肌寒さを感じさせる程冷たく、人の肌を容易に乾かせるだろう。まだ残滓が漂っている最中だった。

 

そんな最中の出来事だ。

 

「何度やれば気が済むのだ……劫戈(こうか)っ!」

 

狩りから帰って来て早々、劫戈は烏天狗一族の長の説教を受ける。

 

場所は烏天狗らの縄張りを意味する門前。群れが拠点を置く森の中、その玄関口だ。

木で作られているそれは、端に烏の羽毛を弦で括りつけて、烏のものだという事が一目で解るように工夫されている。雨風対策すらされていない簡素なものだが、手間が掛かる反面、何度でも修復出来きて変更が利く。

 

そんな門の前で、がみがみと煩い声が風に乗る。

説教の回数は、初めて怒られてから何回目なのか忘れてしまう程のものである。数十回目ではないだろう、もう既に三桁は達しているのかもしれない。

 

「まったく……いい加減にしろ、小僧が!」

 

目の前で怒鳴る老爺、他の誰よりも長生きで老練な男性―――射命丸津雲(つぐも)は、この烏天狗一族の長を務めている。口煩く厳しい人で生真面目な人だが、群れで小さな劫戈への対応はいつも苛立ったもので、優しい顔を向けられた事があるのか怪しいものだった。

説教の理由は単純。

彼、劫戈が足を引っ張ったから、らしい。

 

「……申し訳、ありません」

「何度言わせる……獲物の牽制が利いている時にお前と来たら、暇を持て余す! いい加減にせんか、お前は!」

「返す言葉も……ありません」

「小僧……儂は何度もその言葉を聞いたぞ。同じ過ちを繰り返すなど滑稽の極み。若人は皆、力を示し、我等烏一族に貢献しておるのだ。謝れば済むとでも思うたか? 若輩者達の訓練も含んでいるというのに……恥を知れぇッ!!」

「……っ!」

 

しゃがれた怒声は、怒りに染まった皺だらけの顔で発せられ、酷く厳しい様子を呈した。

くどくどと煩い事この上ない説教なのだが、津雲の言う事は大いに過ちを含んでいる為、劫戈としては説教と言うよりも八つ当たりされているように感じた。

 

このような津雲の取り合おうとも思わぬ姿勢は、優れた自分等がそのような愚考を成す筈がないという彼等の傲慢から来ていた。自分の方針は間違っているとすら思わず、自分等が正しいと言わんばかりに、劫戈を欺瞞な事を吐く餓鬼としか扱っていない。

一族の中で劣る劫戈を見下げ、悦に浸って優れる己を見せつける。最早、十八番に近いものだ。

 

(老衰したジジイが……何も見えていない癖に)

 

陰口を貯水する劫戈は、理不尽だと思う。

 

この世に生まれて十と余年。

集団で行う森での狩り。生きる為、血肉を追う殺伐とした日常風景。同世代の男達と一緒に行う食料の確保は、野良動物を捉える初歩的なもので、誰もが経験し継続する最重要な事だ。

幼い頃からやっているが、どうしてか上手く連携が取れない。いや、取らせてはくれなかったのが実状だ。

 

「くっくっく……」

「へっ……弱いくせに意見しちゃってよぉ」

「俺の指揮だってのに、言う通りにしないからなぁ。これだから劣等は」

 

長から視線を横へと移すと、離れた場所で五人の仲間が意地悪そうに嗤っている。

そう、今まさに嗤っている仲間の彼等に、狩りの最中にちょっかいを出され、連携を乱された。

その挙句、獲物を取り逃がした責任を擦り付けられてお前の所為だなどと理不尽を連発してくる。

今日までのこの罵倒や説教は、彼等が引き起こした劫戈へのいじめが発展したものだったのだ。

 

「……ッ!」

 

何て汚い野郎共。男として如何なものか。

そう内心で奴らを非難し、劫戈は怒りを湧き上がらせる。

 

「がッ―――!?」

 

そこで長からの鉄拳をくらう。眼にも止まらぬ容赦ない手加減無しの一撃。

抱いた怒りをも吹き飛ばす勢いで飛ばされ、門の木にぶつかり、地面にどしゃりと沈み込む。体全身に痛みが走る他、顎が砕けたんじゃないかと思えるくらいの衝撃で頭がぐらついた。

 

これがこの群れでの実力主義体制の実状。

実力は絶対であり、小さな間違いや失敗すらも厳罰対象になるのだ。

―――要は、常に優れる者であれ、という事。

長として群れを支える責務故に、弱い者には厳しく教育し、強くさせようとするのは解る。しかし、幼い身には厳し過ぎる。それでいて、傲慢な性格も相俟って、彼にとって居心地の悪い風潮が出来上がっていた。

 

良く思っていないのは自分を含めて他に何人いるのだろうか。

門の先にある集落から、様子を見る視線が幾つか。

未熟であるから、視線の持つ複数の意味を一度に理解するのは難しい。それでも、劫戈には少しだけ解った。

長の方針に逆らう者はいないように感じる。皆、保身で精いっぱいなのだろう。

取り敢えず痛む頬を押さえながら、顔を向けて長の視線を受け止める。

 

「劫戈、お前の父から厳しい沙汰がある。覚悟しておけ」

「……っ。はい」

 

俯きながらの小さな返事となった劫戈。

さっさと去ろうとする津雲の冷たい言葉に若干慄くも、理不尽を受けた衝撃の大きさが意識を塗り替える。此度の罰は今まで以上に厳しい罰を言い渡される事に嫌悪感を持つが、返事をしなければ更に怒鳴られてしまうのだ。

 

「―――いっつぅ……」

 

頭に響いた鈍痛が、今まで受けて来た虐待的な仕打ちを甦らせる。

 

何度反論しようとも、親や大人達に救いを求めても、取り合ってはくれなかった。

劣等扱いの非才の存在など足手纏いであり、疎ましいとしか思われていないのが現状だったのだ。

最早、弱小の少年ではどうしようもなかった。

 

―――故に、彼は話し合いを諦めてしまっていた。

 

老獪な長然り、優良な両親然り、意地汚い仲間達然り、誰も自分に手を差し伸べてくれる者はいないと知ってしまったから。だから、人目のある場合はその場に任せ、お前が悪いと罵倒されるのを耐え抜く日々を受け入れた。

精々、今は覚めない良い夢を見ていろ、というように。

いつか、飛び起きるような驚きを刻み込んでやる、と意気込んで耐えるのだ。

 

津雲が不機嫌を撒き散らして集落の奥へと向かうと、今まで端に居た五人もの少年達が蟻の群れのように押し寄せる。

そして、劫戈を囲み、口々に罵り始めた。

 

「ぶははっ! 無様だなぁ、劫戈(こうか)!」

「劣等がでしゃばるからだ。ばぁ~か!」

「何処にいるのか解らない、影が薄い劫戈くぅん? どうしようもないですね~? ハハッ」

「またお前と組むとなると嫌になるよ。あのさぁ、お前連携に向いてないんだから、来るなよ……本当にさぁ」

「足引っ張り続けるとか、やめてよね。足手纏いは引っ込んでいてくれよ」

 

周囲から罵られる醜態を晒し、悔しげに睨むしかない劫戈。

 

次々と飛来する罵倒の数々に、悔しさを纏わせ必死に耐える。彼は現在進行形、侮蔑の眼で蝕まれ、終わりの見えない苦痛だらけの網を突き進んでいた。

 

(煩い、黙れ、何もしゃべるな……)

 

憤りが腹の底で蠢き、積を増していく中で彼は口を開く。

 

「……俺だってやれる。皆の手助けくらい出来るんだ! その眼で―――」

 

「ならん」

 

冷淡な静止が響き、あれほど騒がしかった若人達を静まらせる。冷たく鋭い刃が差し込まれた場は、物静かに成り替わった。

各々は、凍えてしまう錯覚に囚われ、身動きが制限されてしまう。

 

「っ!? ち、父上……」

 

唯一その声音と雰囲気を知る劫戈が振り向くと、そこには彼の親がいた。

津雲に呼び出されたのだろう、若い者達とは全く異なる威厳に満ちた衣装を纏う者。群れの上位者。群れの中でも名高い家名を持つ男性。筋肉質で屈強な男とは真反対の細身な身体を持つが、麻の衣服越しでも引き締まった体格をしているのが解る程に鍛え抜かれている。目付きが据わっているのは一目瞭然で、経験貧しい子供等でも理解出来る強者。

男は劫戈の実父であり、群れの中でも非常に優れた“精鋭”に名を連ねる日方(ひかた)という者だ。

 

彼を物で例えるなら―――“鎗”。

 

細い得物だが、薙ぎ払う事も出来る鎗。

細身でひ弱そうに見えても、中身は圧倒的攻撃力を備える矛。

 

鋭く言い放つ様は、鎗のように飛び出す言葉は、常時貫徹の矛として劫戈に降り掛かった。

 

「お前は集団での狩りに出てはならん。我が家の汚名を拡げる行為でしかない」

「そ、そんな……」

「お前は一人で行け」

「……ひ、一人で、って……う、嘘ですよね―――?」

「碌に飛べぬお前が行っても、他への迷惑だ。また、他の者と同じ場所での狩りも禁じる。場の空気を下手に荒らされては、獲物に乱れが生じてしまう。明日改めて、指定した場所を通告する。今日は代わりに私が行く、森で鍛練なり遊ぶなりしていろ」

 

間隔がなく、すらりと言われた無関心に近い冷酷な言葉。

面倒そうな色が口調から推察出来る通り、日方の態度は本当に彼の親なのか、と疑問視する程の冷淡なもので、顔すらも似ていない事も更なる拍車を掛けている。対し、群れを重要視する方針とは真逆の言葉に、口を開いて唖然とする劫戈。

 

普通ならそのような事は在り得ない。群れとは互いを支え合うものだからだ。

しかし、そんな集団での行動を徹底する群れの中で、彼が爪弾きにされるのは、彼の存在自体がそれを妨げているのが理由であった。

此処にいる劫戈はそれを打ち壊してしまう要因であり、どうしようもない異例に他ならない為に、狩りへの参加を否定された。

 

それを見た仲間達は、如何したものかと、互いを見合わせた。

今まではからかう程度で、親までが出て来る程なものではなかったからでもあり、こんな状況になるなど誰が予想しようものか。困惑するのも無理もなかった。

家には家のやり方がある訳で、下手に入る訳にもいかない。上下関係がある今、あまり関わりたくない雰囲気が出来上がっていた。

お前が行けよ、といった具合で互いに肘で突き合い、先頭にいた若者達の筆頭が仕方ないと言わんばかりの気まずい様子で割って入った。

 

「―――えっと……日方様、俺達と一緒に行くと解釈しても?」

 

言葉を選んで恐る恐る訊ねる若者筆頭。

 

「ああ。今回は特別に教授してやろう。大物を仕留め、高らかになれるようにな。先に行け、後で追いつく」

「っ! 承知しました。―――よぉし、行くぞ。お前等!」

「ひゃっほう!」

「おうよ!」

「よっしゃぁ!」

「こりゃ、腕が鳴るぜぇっ!」

 

烏独特の黒い翼―――元の数倍近い大きさのそれを広げ、我先へと空を掛け上がる。繋がるものがない自由な空間へ飛翔する。狩りの時間だ、と若者達はうきうきとしながら一斉に飛んでいく。勢いは上々、良い出発だった。

また、精鋭の筆頭争いに参じている者からの励ましは若人にとって、非常に心強い後押しになる為に皆張り切っていた。

本当は、関わりたくないと言うのが本音だろうが。

日方の言葉に意気揚々と飛び立つ者達は、殻破れぬ烏とその親鳥を置き去りにして行く。残ったのは、抜け落ちて舞う黒い羽毛とそれを巻き上げる轟風のみ。

 

未だ、言葉を失ったままの劫戈。

そんな彼から興味が失せたように離れると、一瞥すらもなく翼を拡げた。

何色にも染まらぬ黒い翼は、劫戈の精神的衝撃で濁った眼に強く焼き付ける。

そして、日方は漸く口を開く。

 

「夕刻までには帰れ。良いな?」

「……はい」

 

一方的に近い投げやりな言葉は、まさしく鎗。劫戈の心に深く突き刺さった。

無情に告げられ、その場に残された劫戈はずっと立ったまま、仲間と父親が駆け抜ける空を眺めていた。

 

天狗は総じて、頭の回転が速く、策が巧みで非常に狡賢い強みがある。

先祖代々受け継がれて来た生きる道。群れでの集団生活は、時が経つに連れて肥大化して大所帯となった為に、ある程度の規律やらを立てていく事を定めた。

結果、文武最優良の者を長とし、実力的な差で決まる体制が形成されていく。彼等は群れる為、実力主義の風潮が生まれつつあったのだ。

 

それは他の妖怪からも然り、周知の事実であった。

 

―――だが、これは何だ。

 

腕をいっぱいに伸ばしたくらいの長さしかない羽根は、他の烏天狗と比べて一回り小さい。―――故に、跳べるが、飛べない。

最弱と見下される微量な妖力は、大笑いされる程の少なさで弱々しい。―――故に、敵味方に察知されにくい為、連携を根底から破壊するお荷物。

 

神は小さな雛の烏に残酷な運命を与えた。

 

劫戈は脆弱な烏天狗として生を受けてしまった。

親からの徹底的で厳しい教育を受けたのにも関わらず、周りと比べて見ると明らかに劣っている。母からは醜いとまで言われる始末。

彼がそう思い始めたのは、親友である彼女と出会って数年経過した最近になってからだった。

 

強き者が正しい世の中、弱肉強食の世。

その中で、こんな小さくて弱っちい烏は、ある意味で異形だった。

 

「畜生……」

 

悔しさの尾が引く、嗚咽交じりの呟き。

 

「……俺はぁッ! 頑張っているのに……どうしてこんな思いを、しなきゃならないんだ!」

 

悲痛に声を上げたが、疲労の所為でその声量は小さい。

 

悲しい。悔しい。そして何より、虚しい。

 

誰にも手を貸して貰えない、助けてはくれない。押し寄せる感情の渦は、負の思考を連鎖させてく。視界に映る仲間の鬱陶しげな視線が、じりじりと迫っているようにも見えた。

孤独になっていく事への苦痛が、心を追い詰め、自棄になりそうな感情の乱れが蝕んでいく。

 

「……くそぉッ!」

 

だが、呑まれる事は許さない。呑まれてはいけない。湧いた負を嫌悪し、眼を強く瞑って意地でもぐっと耐える。耐えるのには慣れてはいるが、今出来る気勢はこれで最後。後は、考えないようにしないといけない。振り払うように、空を仰ぎ見た。

相変わらずお天道様は煌々とした暖かな光を降らせるが、その暖かさに似合わぬ光は痛いくらいに眼を焼く。黙って見つめても、最中に吹いた冷たい風が身体の傷を撫で、心身の傷を抉るだけ。

 

「どうしたらいい……」

 

彼の心情はその一言に尽きた。

妖怪がそれを言うのか、と自分でも馬鹿らしく思えるがそんな状況ではない。

太陽を天に見立てた“神”に答えを求めても、いつもどのような苦行に置かれていても答えてはくれない。

 

(自分でどうにかしろ、って? それなら当の昔にやっているんだよッ)

 

人間以外に顔、いや、視線すらも向けてはくれない神様。

同じ命ある人間達はいつも祈って助けを請うて成就しているのに、妖怪である自分等はいつも日陰者で見向きもされない。無慈悲な扱いであった。

挙句には、とある王国では不浄なる者として祓われる始末なのだ。

 

希望を見出しては絶望を思い知る。己に立ちはだかる壁を壊し、奴等の先を踏破するには、現状手段がないのは明白だった。

 

ここにいても意味はない。

劫戈は踵を返して、これから何をするか考え始めた。

 

(……また鍛練でも―――)

 

「劫戈っ!」

 

後ろの空から、知った声が彼を呼んだ。

 

 




次話は近い内に投稿予定。

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