東方捨鴻天 【更新停止】   作:伝説のハロー

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今回は榛の視点から始まります。内容が、女性の方にとって不快にさせるかもしれないので、先に謝罪しておきます。すみません。
五百蔵の秘密が暴露され、後は……読んで御理解下さい。
では、続きをどうぞ。

12/28、誤字脱字修正


第一章・第十一羽「陰日向」

雲遮らぬ晴天にて。

 

赤い眼を往復させ、榛は劫戈を探していた。

塒からそこまで離れていない修行場の広場に行ったことは五百蔵から既に聞いている。赤と茶色に染まった景色の中を掻き分けて行った。

 

吹き抜けるように風が舞うのを感じると、広い場所に出る。無論、修行場であった。

 

「あっ……」

 

目的の探し人は、その真ん中で横になっていた。

 

「遅いと思ったら……」

 

そこから、少し離れた場所の草原。

そこは端から端まで一走りで到達出来る、広くもなければ狭くもないほどの空間だった。心置きなく、誰にも邪魔される事はないだろう。

すうすう、と小さな烏は大の字で寝息を立てていた。そんな無防備を晒している彼の元へ、歩み寄っていく。

 

「……涎出ちゃってる」

 

思わず笑みが出た。

劫戈は修行で疲れたのだろう、実に幸せそうに眠っているものだから、少し起こすのが忍びないと思った。取り敢えず、その開けた草原で腰を下ろす。

よほど疲れているのだろう。隣に座る榛に気付く事なく、手足を投げ出してぐっすり眠っていた。

 

「ぐっすり、ね……」

 

雪色の尻尾を膝に乗せ、すやすやと寝入る劫戈を見守る榛は手を伸ばす。

慈しむように、出会った時よりも僅かに伸びた前髪を払うと、右目がある筈の場所に抉られた傷跡が陣取っている。実の父から受けたらしいそれは、五百蔵が治療したにも拘らず、未だに強く刻み付けられていた。

 

「――――――」

 

失われた右目を、掌で優しく包み込み、ゆっくりと撫でる。それだけで、彼の胸中が如何に痛めつけられて来たかを悟った。

 

眼を瞑る。脳裏にあの忌まわしい日を思い起こした。

 

 

 

――――――

 

 

 

五百蔵が不在の時を狙って、群れが襲われた。

殺気立っていた日方が優れた配下を率い、問答無用で同胞を殺し回って行った。

無論、予め何かあった時の為にと作った穴倉の中へと女、子供を先に逃がし、男達が立ち塞がる。群れ総出で迎え打ったが、流石に大妖怪への領域に片足を突っ込んでいる輩を止めるのは困難であり、多くの仲間や親類を失う事となった。

地を走る者と空を舞う者の差は、動きの自在さにある。行き場を取られればすぐに連携は瓦解すると知っている日方は、徹底的に潰して回った。

 

蹂躙された。

それは、白い狼の群れが少数精鋭に近い構成であった事、五百蔵のみが強力過ぎた事による惰性があった事にも起因する。数の差も、積み重ねた練度も、圧倒的に烏天狗が上であり、もはや敵う道理はなかった。

 

夫は憤怒に駆られ、烏の癖に烏合にもならない雑魚を一掃する。

五百蔵の腹心を任されるほどの逸材となった彼だけが唯一対抗しうる戦力だ。

彼ならば、と期待を寄せるが、天狗最強と名高い津雲が相手では突破口を許してはくれない。他の大人連中も数に翻弄され、気を回す事が出来ないでいる。

 

その隙をいいようにされるという、最悪なものだった。

 

矛先が向けられた時、走馬灯を埋め尽くすほどの思いがあった。

本来ならば茅以上に強い筈の己は、子を身籠っている為に、戦う事は愚か、満足に動く事は出来ない。迫りくる理不尽に憤り、対して何も出来ない事が悔しかった。

 

悲しくて堪らなかった。

生まれてくる子の母として、生ませてやれず、抱いてやれず、外の世界を見せてやれない。無力に打ち拉がれる思いで、ただ悲しかった。

 

両親が、己を庇う。肉を引き裂き、骨を断つ一撃で肉片と化す。最初は父が、次は母が犠牲になった。

思わず叫んでしまい、いい的になった。

逃げ果せれば良かったものを、不意を突かれる。日方に眼を付けられ、万事休す。そんな時―――

 

夫が振り切って戻って来た。

そして、他でもない己を抱擁した。

 

一対多の中、足手纏いでしかない妻を、しかし彼は捨て置く事をしなかった。

 

直後、意識が暗転し、気が付くと全身の激しい痛みに呻いた。

朦朧とする意識の中で、怒り狂った咆哮を上げる五百蔵が、数十近い烏を葬ったのを見た。安堵する中、血生臭さと生暖かい何かに包まれている感覚に疑問を覚えつつも意識を手放した。

 

 

起きてから視界に映ったのは、よくぞ生きていてくれた、と涙ぐむ高祖父の姿だった。

周りには、傷付いて互いに寄り添う狼たちがいて、遺骸に縋り付いて泣いている者がいたのが音で伝わってくる。見渡そうとしても、腹部の鈍痛と動かないほどに重い我が身で呻く他なかった。

 

真っ先に夫はどこかを聞くと、五百蔵は押し黙る。答えは見つめる先にあった。

視線をすぐ隣に移すと、彼はいた。寝かされ、無惨な姿で冷たくなっている状態で。

 

それを見て、悲鳴を上げ、悟った。夫が身を挺して守ったのだと。

激痛を伴う事を無視し、もう動かない彼に泣きついて、置いて逝かれた事に納得いかず、必死に名を呼んだ。

 

彼は片腕が無く、腹から下も無かった。

何度呼びかけても、返事もなければ微動する事もない。愛した夫を失った事実が心に刻まれていくだけだった。

 

笑い合った事も、触れ合った事も、充足を与えてくれた事も、全て思い出の中へ追いやられた。これから作っていく事は叶わない。

 

だが、絶望の淵に立たされたというのに、更なる悪夢が待っていた。

 

泣き散らす己に、五百蔵は泣きながら謝って来た。若者を守るべき先達がなんという為体(ていたらく)だ、と自責する五百蔵。高祖父は悪くないと知っている己は彼の御方を宥めるも、その腕に収められている小さなものを見て固まった。

 

一瞬、血溜まりかと思ったが、形があった。バラバラにされたと思われるそれは夫の手足かと思うも、違うものと推測出来る。

よく見れば、五百蔵の方手で押さえられて、妖力での治療を受けている己の腹部から出ている管と繋がっている。五百蔵が慌てて告げようとするも、それが決定打になった。

 

血が繋がっていたからだろうかは解らない。その正体はすぐに解った。

 

 

 

 

それは―――生まれてくる筈の我が子だった。

 

 

 

――――――

 

 

 

見つめる先には、憎き男の顔を受け継いだ子がいる。でも、恨みをぶつける相手ではない。彼もまた、被害者なのだ。

 

間違いなく殺すために向けられた鎌鼬は眼を穿ったが、子供だから簡単に死ぬだろうと手加減された故に、生を掴めた。あの日、腹の中にいた我が子と違って、彼は生きる事が出来た。

何故、我が子ではなくて貴方が生きているの、と思うがそれは我が子を救えなかった己の未熟さ故だ。そのような事は守れなかった己の責任でしかないし、もう帰っては来ない。

 

だから、今ある命を大切にする他ない。

 

生まれ出る命が。

祝福すべき新たな命が。

あるだけで素晴らしい筈の命が。

 

―――こうも傷だらけで、悪意に犯されている。

 

何故ここまで非常になれるのか、何故子供をここまで痛めつけられるのか、背筋が凍る思いだった。

 

「そんな事は、もうさせない」

 

私がいる限りは、と心に誓う。

ふと、呻きが聞こえて、そこへ見やると苦しそうにする劫戈が映った。我に返り、力を込めてしまった手を引っ込める。

もう目を覚ます寸前だ。感傷に浸る己の所為で起こしてしまったと反省し、頭を振る。

 

神妙な顔を見せまいと、子供に見せるべきではない顔を終い、この子の母としての顔に切り替える。劫戈が不安にならないように努めて、起きるのを待った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

懐かしい夢を見た。

 

光躬と追いかけっこしている夢。まだ、大人に何も言われる事のなかった頃の夢だ。

 

だが、どんな会話をしたのか忘れて―――否、吹き飛んでしまった。

 

目が覚めると、白い双子山が見えたのだ。

前にも似た光景だな、と既知を感じて、それの正体を理解すると同時に顔が熱くなった。

 

「やっぱり、男の子ね」

「―――!!」

 

声が裏返る。ばっちり知られていた。

さぁー、と血の気が引いていき、悲鳴が出そうになった。恥ずかしさのあまり、眼を逸らすしかない。

榛の方はからかっているようで、咎めているような視線を向けて来る。

 

「凝視するのはあまりよろしくないからね?」

「……はい、ごめんなさい」

 

否定など出来るものではないと思う劫戈は声を絞り出す。男として生まれたのなら、その反応は仕方がないのだから。しかも年頃の男の子なら、無理もなかった。

申し訳なさやら、恥ずかしさやら、情けないやら、でもちょっぴり嬉しいやらで、顔が熱を持つ。綯交ぜの気持ちで頭が埋め尽くされた。

 

「っ!」

「ふふふっ」

 

それでも榛は笑って撫でる。優しく包み込むような手は、慈愛溢れる思いが詰まっていた。

そんな榛の手を、温かいな、とまんざらでもなく受け入れる劫戈。心地よい風と相まって、思わず笑みが漏れているのに気付かなかった。

 

そこで。

 

「……あ、そういえば」

「ん、どうしたの?」

 

すっかり忘れていた事を思い出す。今の状況なら絶好の機会であると判断し、素早く身体を起こして榛に向き直った。

 

「五百蔵さんの事を訊かせてください」

 

今まで気になっていた事を口にした。

 

 

 

――――――

 

 

 

五百蔵という大妖怪には、少し謎がある。

多くの狼達から尊敬され、慕われている。それは良いのだが―――どこか妖怪らしくないところがあった。

 

滲み出る親しみ易さだ。妖怪らしい強さ、統率者―――つまりは王のような大妖怪たる格があるにも関わらず、気さくに話しかけてくるお爺ちゃんという印象が強い。津雲と対照的、いや真反対とも言えるだろうか。

だからだろう、劫戈は近しい何かを感じて止まなかった。

 

五百蔵という大妖怪は大いに魅力で溢れている。劫戈は以前から五百蔵について知りたかった。

 

最初は己を支持してくれた恩師であるから、もっと知ってみたいという探求心が働いたからでもあった。試しに、朴や群れの大人達―――葦、樒などの者達に聞いて、ただ凄いのだとくらいの言葉で濁され、期待出来る返答がもらえなかった。

 

少し不貞腐れた。

その所為で思考を鈍らせてしまった為に、修行でもして忘れようと一人打ち込んでいたのだが、気付いたら疲れて寝てしまったというのは榛には内緒である。

 

起きれば、血族であり身近にいる榛が現れた。実に好都合と言えば好都合であり、戸惑いもなく問うた訳である。

 

「そうだったのね。葦さんも、御人が悪いわね……。わかったわ、そういう事なら教えてあげるね」

 

あっさり了承した榛が代弁すると言った。劫戈の期待は大きく膨らんでいく。

劫戈の眼は、さぞ輝いている事だろう。そんな彼を、榛は暫し見つめたかと思うと、顔を笑みで綻ばせた。

今の榛にとっては少し違うようにも見えたが、好奇心に突き動かされている劫戈は気付く事はない。

 

「五百蔵様のどこが知りたいの?」

「全部です!」

「ぜ、全部ね……」

 

苦笑しながらも背筋を伸ばし、毛品のある咳払いをする榛。劫戈もそれに倣うように、慌てて背筋を伸ばし、榛の言葉を俟った。

 

「まず、五百蔵様の先祖は、この倭の国とは違う場所……つまりは、違う大陸で生まれた妖怪なのよ」

「えっ…………あぁ……」

 

驚き、そして納得が行ったように頷いた。

劫戈は己らがいる山々や大地がある倭の国を“島”と呼ばれている事を一応知っていた。海を越えた先にある別の、島とは比べ物にならないほどの広大な土地を“大陸”と呼ぶ事も、忌々しい父に教わっていたのだ。

その大陸では、島である倭の国よりも比べるのが烏滸がましいとさえ思ってしまう、凄まじく強大な妖怪が跳梁跋扈しているというのだ。そこで生まれたとあれば、納得は出来よう。

 

「海に面した大陸から遥か西。“北欧”という場所で生まれたと聞いているわ」

「ほくおう……?」

 

聞きなれない言葉に、鸚鵡返しの如く呟いた。

大陸とは言え、あまりに広過ぎる土地。そこから西へ海しか見えなくなる場所へ進むと、五百蔵の先祖が生まれた故郷があるというから驚きだ。

 

「北欧では、多くの神々がいて、色々と穏やかではない日々があったそうよ」

「え……神達は争っていたんですか……?」

「似ているけど、少し違うかも。人間を見守っている神がいて、互いを高め合っていた神もいて、親を殺した神もいる。千差万別、と言えばいいかしら」

「……」

 

聞いた内容は小難しい、全く範疇外の事だった。

 

神といえば、妖怪を汚らわしい獣や邪な化生と宣っては問答無用で排斥する印象しか抱けない。妖怪連中からすれば、挙ってふざけるなと言いたい癪に障る存在で知られるのが一般的だった。

 

劫戈は唖然としながらも、榛から齎された情報を咀嚼した。

実に物騒な場所で生まれ、強く生き抜いて、大妖怪になった。そして、現在に至る。

大体の事情は解ったが、そこには謎が残った。劫戈はそこへ行き着き、すぐに榛へと問う。

 

「どうして、ここに来たんですか?」

 

謎の正体は、それに尽きるだろう。

多くの山々、川、果ては海までが待ち受けているのに、大陸から渡って来たというのだから、どんな事があったのか。

正直、圧倒的な存在だと思える五百蔵、その先祖が簡単に死ぬとは見えないし、信じられない。物騒な場所でも力が示せれば、何ら問題はない筈なのだ。それが妖怪なのだから。

 

劫戈の疑問に、予想していたのか、榛はそれはね、と続ける。聞き入る劫戈に聴かせるように、言葉を繋いでいく。

 

「五百蔵様の御祖父様。私から言えば、六世前の方ね……。その御方は神が生んだ狼だとされているわ」

「へえ、神から……って、え!?」

「―――ふふっ……」

 

それで、と続きを所望し、食いつく劫戈の反応に榛は微笑する。上品に、笑みが零れる口を手で遮った。

 

にっこり顔に、ふわりと垂れた耳、細められた赤い瞳。隠れた艶やさがあり、実に映える仕草だった。

 

「――――――!」

 

その仕草に、思わず瞠目した劫戈。必死に顔を取り繕うが、隠すのに失敗して崩れた酷い顔を晒した。

 

「ふっ……ふふふ……」

 

それが堪らず、堪え気味の笑い声が上がった。

 

「は、榛さん。からかわないでくださいっ」

「あら、こんなお義母さんは嫌だった?」

「―――ッ! いえ、それは……」

 

苦言が即行で返され、それに乗ってしまう。そんな中でも、劫戈は少なからず嬉しさを感じていた。

 

「……嫌じゃ、ないですけど」

 

だから、笑みを見せる。他でもない、己を引き取ってくれた義母(ひと)に対して。

 

「……そう。ごめんね」

「いえ……」

 

謝るも、ふと、笑みを止めて視線を落とす榛。何とも言えない己に、内心で嫌悪した。

 

「……まだお義母さんって呼んでくれないのね」

「あ―――」

 

一瞬、呼吸が止まった。

何気ないようで悲しそうな声音で本音を漏らしたであろう、目の前にいる女性は、それはもう大事な人だ。故に敬意を込めて母として見、敬称を付けて呼んでいる。

 

されど、気安く“お義母さん”と呼べなかった。

 

抵抗があった、恥ずかしかった―――そんなものはない。が、どうしても避けてしまう。何かに拒まれているような気がして、だけどもそんな事がなかったように、よく解らないでいた。

 

「もう、ちょっと……待って、くれませんか」

 

故に、先延ばしにするしかなかった。

苦笑を装い、劫戈は己の内にある歯切れ悪い思いに嫌悪する。情けなくて、恩を仇で返そうとする姿勢を見せる現況に、腹の底で酷く嫌悪した。

 

「―――無理に言ってごめんね」

「いえ……すみません」

 

榛も個人的な願望も少なからずあるのか、言及して来なかった。

これは他でもない劫戈本人の問題だ。だから、敢えて言及はせずに、榛は優しく、忘れてもいいように謝罪した。

 

「それでだけど……」

「あ、えっと……五百蔵さんのお祖父さん、からでした」

 

気を取り直す二人。顔は笑みが張り付いている。どこからどう見ても、親子水入らずの光景がそこにあった。

 

「そうだったわね。……その御方、親族から酷い仕打ちを受けたらしいの。残った親兄弟も、祖を残して皆狩られてしまったそうなの」

 

飛び出したのは、己と似た境遇の話。同情とか、憐れみとか、それらの感情をかなぐり捨てて、思わず聞き入った。

 

「五百蔵様は、その御方が密かに産んでいた仔等の余蘖(よげつ)なの。身の危険を感じて、倭神の介護下にあるこの地に住処を変えた狼の子孫」

 

それはまるで御伽噺のように、語られていく。葬った記憶の墓を掘り返すような話だ。

 

「流れる血は倭とは違えど、この地で五百蔵様は生まれた」

 

それから、長い時間を過ごし、やがて一匹になった頃。五百蔵は多くの出会いと別れを経験し、倭の国を巡り続けたという。

 

「五百蔵様が妖怪となってから少しして、この山に行き着いた頃の事よ。数代前の昔、白い狼は烏天狗に家畜のような扱いを受けていたの……」

「もしかして五百蔵さんは……」

「もちろん五百蔵様は憤ったわ。でも、突然現れた余所者でしかなかった。だから、最初は静観していたそうよ」

 

曽祖父にして白い狼の群れの開祖である五百蔵。そんな偉大な曽祖父を語る曾孫娘は、とても誇らしげで、我が身のように嬉しそうであった。

 

「我慢ならなかったんでしょうね。虐げられるのが、耐えられなかった。だから―――」

「だから、五百蔵さんは狼達を引き抜いて狼を守るために群れを作った、そういうことですね?」

 

それを遮ったのは訊ねた劫戈自身。途中で語りを妨げるのは悪い気がしたが、合点がいった事に嬉しくて、つい口が滑ってしまった。

けれど、榛は何も言わなかった。聡い劫戈ならすぐに解ると踏んでの事だろう。

 

「……そう、確執が生まれたのはそこからなのよね。五百蔵様も、自分で撒いた種だ、って言っていたし……」

 

互いに、神妙な顔になるのは避けられなかった。

持ち出した話題がこんな事になるなんて思いもしなかった、というのは言い訳にしかならない。予想していなかったから、納得と困惑の合間を行ったり来たりするしかなかった。

 

「いろんな意味でお相子……生易しい言葉だけど、そうなってしまうのよね」

「榛さん……」

 

なんと声を掛ければ良いのか、劫戈は榛の名を呟くだけで、横顔を見る他なかった。

ただの好奇心で訊いたつもりが、反って暗い話になってしまうなんて予想も出来ようもない。榛の心を抉ってしまったのではないか、と内心では恐々としていた。

 

「話してくれて、ありがとうございます」

 

榛の悲しそうな顔を見るのが嫌だった。端麗な顔が憂いに染まるのを、是とは出来ないのは男の性。

故に、早く切り上げるのが妥当だった。

 

「榛さん、戻りましょう。俺を探していたんですよね?」

 

暗い圧空を振り払うように立ち上がって手を差し出す。

榛が迎えに来た、と解釈するのは容易だ。いつもなら茅か、彼と一緒にいる鵯あるいは沙羅が呼びに来るのだから。

 

「まだ余裕はあるけれど、ね」

 

苦笑する榛は劫戈の手を取る。彼女を立たせて、後は塒に向かうだけだ。

余計な言葉は要らない、義母を伴い群れの皆がいる場所へ行く。短い道のりではあるが、それだけで十分だった。

 

―――二人が親と子の充足を感じるのは。

 

榛の手を握る劫戈の手は、いつもより力強く且つ優しかった。

その後ろ姿を誰かが見ていたなら、間違う事もなくこう言っただろう。

 

―――親子、と。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

翌日、陰りない朝。

 

「ふんふふ~ん♪」

 

鼻歌交じりに塒から少し離れた海岸へ向かっているのは、小さな狼の娘子―――(ひよ)。姉と同じく白い耳と尻尾を持つ妖怪の子供だった。

今は、宴の名残で気の抜けた大人達の輪からこっそり抜け出して、山を降って少し経ったところ。ご機嫌だったのが後押しして、一人で出歩いてしまっていた。

普段なら、こんな事は絶対にしない。大好きな姉や義兄に再三言い付けられているからだ。

 

しかし、彼女は破ってしまった。

 

全ては、姉に負けたくない意志が強い故に、好意を寄せる義兄の為に。こうして、海岸へと向かっていた。

 

おめかしして気を引きたい。

 

たったそれだけの単純で、大きな思いで足を運ぶ。恋は盲目とはよく言ったものであるが故に、彼女は無茶を承知で―――

 

「わあぁ……!」

 

目を奪われた。

水平線で眩しいくらいに乱反射する光が、眼を更に輝かせる。潮風がゆっくりと流れ、日が注ぐ光景は、まさしく眼だけでなく心も奪われる絶景だった。

 

「ん~っ! 綺麗……」

 

太陽が顔を覗かせる時間であり、空気も冷たいものから温かいものへと切り替わる。身に染みる空気が心地良かった。

自然の中で生まれた妖怪なら、心底最高の気分だろう。鵯は眼を閉じて、余韻すらも余す事無く浸った。

 

「さぁて、探そっ!」

 

勢いよく飛び出して、海岸の砂浜へと辿り着く。足の裏に刺さる土とは違った細かな感触に、くすぐったさを感じて一人笑い出して踏鞴を踏んだ。

 

「あははっ。なにこれぇ!」

 

さくさく、と鵯が動く度に砂の音が奏でられ、波音に乗っては掻き消えていく。

しかし、目的は忘れない。一通り楽しんで、打ち上げられた岩のある方へ走り抜けた。

 

岩の影から伸びているものを見て、目を見張り、顔を輝かせた。

 

「……あったぁ!」

 

目的のもの―――藤色の花。

秋に入る頃に顔を出し始め、冬に入ると一切見られなくなる秋の七草の一つだ。愛らしい小さな花弁を持つそれは、博識な五百蔵に“なでしこ”と呼ばれている。

 

今の鵯の機嫌は最高潮だった。

これさえあれば、男はイチコロといった具合に大はしゃぎ。幼い心は、未来の期待に打ち震えた。

 

大事に、そっと、丁寧に茎から千切り取る。花弁が痛まないように、慎重に慎重を重ねた。

 

すると、手のひらには求めたものが―――

 

「あれ……?」

 

そこでふと、気付く。

 

―――自分の影が大きくなった。

 

差し込む日の出が眩しいから背にしていた事もあって、海は一切視界に入っていなかった。だからこそ、気付く筈もない。何か(・・)が後ろに陣取っている事など―――

 

「―――……っ!?」

 

 

 

 振り返るな、振り返るな―――絶対に、振り返るな。

 

 

 

背筋が凍るとはこの事か。冷汗と悪寒が止まらないだけでなく、身体が金縛りに遭ったように動かない。

 

鵯はこれを知っていた。むしろ経験があると言っていい。

そう、かつて悪ふざけで五百蔵に叱られた時に似たもの。

 

―――他でもない、恐怖だ。

 

されど今回ばかりは、置かれた状況と格が圧倒的に違う。怒りから来るものでは断じてなく、正真正銘の敵意、或いは殺意からの恐怖だ。

 

杞憂だったなら、どれ程楽な事だろう。小さな希望観念が溢れ、きっと気のせいだと助長させる。他にどう思えようとも、今の幼い彼女にはそれしか抱けず、それ以外頭の中に無かった。

 

そして―――ゆっくりと振り返った。

 

「ぁ……、……ぁっ―――」

 

鵯が出せた、言葉にならない声はそこまでだった。

 

彼女の赤い瞳に映ったのは、自分よりも何倍もの体躯の存在。鼻息が荒く、全身毛だらけで濡れている。それが、血走って焦点の合わない眼を向ける彼の者が、大きな腕を振り被る姿が、瞳に強く焼き付いた。

人間のような二足でいて、四肢の先端には鋭利な爪が、華奢な容赦なく襲う。悲鳴すら上げる暇もなかった。

 

自分がどうなるのか思考する瞬間、身体に飛来した衝撃で意識が刈り取られた。

 

―――二度と目を覚ます事のない一撃なのは確かだった。

 

 




補足しておきますが、烏天狗と白狼との軋轢の発端は、元は五百蔵と津雲の衝突です。
五百蔵の元ネタはもうお解かりでしょう。彼は……そうですね。そういう存在なのだと思って下さい。
彼の先祖が辿った道を解りやすく例えると―――
故郷にある企業に勤めようとして、ブラック過ぎて止めたくなり、邪魔されない土地に移って個人事業を始めた。
―――といった感じです。……五百蔵の若い頃を別枠で書きたいなぁ。いつになるやら(遠い目)

……遂に悲劇が始まった。
あぁ、自分で書いておいてなんですが、犠牲者の一人が幼い少女だというのはね……心が痛みますね。―――白々しくてすみません。

今回もコミケ行ってきます。実に楽しみだ、イヤッホォォオオイ!
会場で御会いした貴方にはきっと福が来るでしょう(棒読み)。

第三章の結末について

  • 取り返しのつかないバッドエンド
  • 痛み分けのノーマルエンド
  • 邪魔者を排斥出来たハッピーエンド
  • 作者におまかせ(ランダム選択)

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