東方捨鴻天 【更新停止】   作:伝説のハロー

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本作とは別に、幻想入りする話を書いてみたいなと思い、捨鴻天ほったらかしで設定を構築していました(オイ)
ただ、普通とは違う斜め上なものになってしまって……遊び心でやったのに書きたくてたまらなくなりました。
まあ、それは置いておいて、本編に行きましょう。

思い出す―――それは、忌まわしいもの。凡愚の濫觴。
では、どうぞ。




第一章・第八羽「思い出して」

 

かつて、暖光が満ちていた。

それは暖かく、しかし冷たさに埋もれた傷跡だった。

 

(……あ、れ?)

 

気が付くと、そこに彼はいた。生い茂る緑に囲まれ、ただ佇んでいた。

辺りに見える緑の群れは、二度と見る事は無いと思っていた、生まれ故郷のもの。嘉卉(かき)の葉擦れが、烏の囀りが、川のせせらぎが、虫のさざめきが、一斉に聞こえ出す。

 

(ここは……ここは、まさかっ!?)

 

その光景に、劫戈は思わず息を呑む。奏でられた自然の音色に、呼吸が震えた。空っぽの右空洞に込み上げるものがある。

 

そして。

 

(なん、だ……?)

 

その先に、小さな烏を見た。

蹲る子供がいる木陰は悲壮と嗚咽に包まれており、それを心配そうに多くの烏達が垂れ下がる葉の隙間から覗いている。

 

(―――なっ、馬鹿な……!?)

 

声を掛けようと歩み出る前に、突如現れたそれを見て気を取られた。

現れたのは、蹲る子供と同じくらいの少年だった。思わず驚愕を呈する劫戈を余所に、木陰へと近寄った少年は言葉を発する。

 

「みつみちゃん、どうしたの?」

 

少年が名を呼ぶと、蹲っていた子供―――少女が反応する。振り返った彼女は、泣いていた。

乱雑な木々の中で、繊細で華奢な身を蹲って、泪を流していた。幼いにも拘らず妖美な顔を悲しみに歪めて。

 

「―――こうか君……」

 

(これは……)

 

少し離れた所で、寄り添う少年を劫戈自身は唖然と見ていた。二人は己という第三者がいるのも関わらず、そっちのけで会話を続けている。己よりも更に幼い二人は、劫戈が何よりも知っていた。

 

「え……ど、どこか怪我したの!?」

「……違う、よ……そうじゃ、ないから……」

 

(光躬と……俺?)

 

慌てて少女の泪を拭ってやる少年は、紛れもなく己だった。眦に触れた覚えもある。

 

なぞる光景を見る劫戈は疑問に襲われた。過去の己を見ているのか、どういった理由でみているのか。

 

だがそれはすぐに解る事だと思う。これは現実ではない、己が心のどこかで求めた夢か何かだろうと結論付ける。

 

(そうだ、覚えている。これは―――)

 

映し出される光景は劫戈にとって懐かしい、幼い頃の記憶だった。只々無垢で、碌に何も知らなかった幼少時代の己等。

 

少年はしゃがんで、少女をあやしながら事に至った理由を聞いていた。

 

「え……長とけんかしたの?」

「……うん」

「どうしてそんなことを……」

「っ……いいの、気にしないで。私のわがままを聞いて、くれなくて……かなしいだけだからっ」

「そ、そう……?」

 

無理に笑顔を作る少女を、怪訝に見やる少年。無理に聞かないで、と暗に言っているのを読み取った少年は、踏み込んだりはしなかった。

 

(あの時ははぐらかされたけど、凡愚()と関わるなって事だったんだよな……)

 

後に解った事を思い出し、自嘲気味に目を伏せる劫戈。

己への不信感もなく、ただ練磨を繰り返していた幼き日。妖怪としては弱小で、酷い凡愚で無自覚。

それは、罵られ、嗤われ始めた時にようやく判明した事だった。

 

 

 

凡愚。

 

罵倒の基盤となった劫戈の評価は、第一に父親が口にした。簡単には拭えない暗黙の暴力が瞬く間に群れ中へと無慈悲に伝播していく。

群れの使い物にならないという理由が、群れの為に貢献しようと琢磨する劫戈の心に罅を入れ、自他共に認めてしまった。

 

 

群れに凡愚は要らない。

 

烏天狗の塵。

 

射命丸光躬の御荷物―――。

 

(光躬……君はあの時から―――いや、俺が関わったから……ああなったのか?)

 

記憶に刻まれた今までの光躬。彼女の眼、聞こえた声、過ごした日々。

それは―――劫戈しか向けられていない眼、最も感情に富んだ声、彼女自身よりも劫戈を優先する物事。

 

劫戈、というよりも男からすれば、とても嬉しいものだろう。

 

だが、よくよく考えてみれば、執着しているようにも思えた。劫戈ただ一人を慕う盲信染みた行動。

そうさせたのは他でもない、己だった。

改めて、彼女との関係が異常なものに映る。込み上げた不穏なものに、懐かしさが塗りつぶされ、眩暈がしそうだった。

 

尚も劫戈を余所にして、しゃがんでいた少年は、立ち上がって小さい手を差し伸ばした。

 

「じゃあ、俺とあそぼうよ」

「え……?」

「いやなことは、わすれよう! ほら!」

 

少年の手は、少女からすれば救いに見えただろう。嫌な事を忘れようとする恣意的なものだ。

 

しかしそれは―――魅力がたっぷり込められた堕落の手。

それで少女を毒してしまったのだ。今なら解る、己は彼女を誑かした害悪だったのだと。

 

(ああ、そうだ。俺は馬鹿だ……とんだ大馬鹿だ)

 

出来損ないの癖に、調子に乗って彼女を好きになった。

天地、その差を知らぬが故の烏滸がましさを、幼き己は知らないというのに好いてしまった。

 

(俺に関わらなければ、彼女は……)

 

泣かずに済んだのかもしれない。劫戈という凡愚に盲信しなくて済んだのかもしれない。

 

今言える事は、己は彼女の隣に相応しくないという事。

劫戈は激しく後悔した。大事に思い過ぎて、発露した好意で彼女を歪めてしまったと。

 

思考すればするほど深みに嵌まっていく。

 

「ねえ……」

 

すると。

 

「……みつみちゃん?」

「ねえ、劫戈(・・)

「え―――」

 

少女が、少年を―――見ずに、こっち(・・・)を見た。

 

「ねえ、貴方はどうして凡愚なの?」

 

(っ!?)

 

肝が凍り付いた。

何を言われたのか、劫戈には解らなかった―――いや、理解したくなかった。

 

 

 見るな、あれはまやかしだ。己の自責から生まれた虚言だ。

 

 

 

好き通った紅い眼が、無感情にじっと見つめてくる。恐ろしいものを見ているのに、逸らす事が叶わない。

あんなにも綺麗だった紅い瞳が、食いついて離さない。

 

突然。

 

(なっ!)

 

暗くなって、何も見えなくなった。

 

と、思えばすぐに明るくなって―――景色が若干変わっていた。

 

(こ、ここは……?)

 

広がった景色に、困惑する劫戈。

嘉卉たる故郷の木である事は変わらないが、生えている木々の丈が見て解る程伸びている。

 

「―――そっちにいったぞぉっ!」

 

劈く幼い声。

放った声の主に、劫戈は思わず振り返った。と、同時に、それらは通り過ぎた。

 

「よっし! 上手く引き込んだぞ、追え!」

「……あっちにはっ! 誰が行ったっけ!?」

「確か、劫戈がいた筈だけど―――」

 

(お前達は……)

 

背に備えた黒い羽根、麻の衣服、童顔の幼子。己を罵り嗤った、同期達だった。

忘れたくても忘れられない憎き顔共が揃って、何かを追っている。

 

言うまでもない、狩りだ。

 

獲物を捕らえ、食料にする。実に、言葉では単純でいて、困難を極めた行いだ。

 

先祖の時代から継がれ、妖怪として確立した烏天狗。

群れる者は基本、連携で狩りを行う。烏天狗も例外ではないが、成熟して人間を凌駕する知覚を得ると、単体での狩りを行うようになる。連携するのは主に、幼く未成熟な子供等だ。

 

劫戈も追放されるまで、連携した狩りの経験がある。内容は散々ではあったが。

 

(このまま行くと……俺が、取り逃がすんだよな)

 

そして、この先で起こる事を、己は誰よりも知っている。他者は全く以って知る由もないし、信じられない事だ。

 

いや、信じる事など、誰が出来ようか。

 

歴史を準える、もとい―――傷を抉られる気分だが、そういうものなのだ。割り切る他、道はない。凡愚、それが劫戈に課せられた、重く振り落せない事実だった。

 

ひゅ、と地を蹴って跳躍した。

若干の浮遊感と僅かな滑空感を、劫戈は懐かしい風の音を含めて感じ取る。その中で、追っていた少年等を悠々と追い越した。

今見ている記憶から、数年経過した劫戈の身体とは明確な体格差がある。今の彼と、かつて見下し蔑んだ少年等との身体能力は比べるまでもなかった。

 

それを流し目で見る劫戈の胸中は、僅かな優越感と悲しい感懐で染まっていた。

案の定、そこには烏共に追い詰められた鹿がいた。焦りを抱え、迫り来る烏天狗への警戒として四方八方を見渡している。

 

(茂みの中だったな……)

 

丁度、鹿を見ている正反対の茂みの影に、上手く隠れている少年―――かつての己がいた。

葉と葉の間から眼を覗かせて、今か今かと待ち望んでいるその眼は劫戈にとって、とても哀れに思えた。

 

 

劫戈自身の眼に見えない存在に対する探知能力は、まさしく妖怪の底辺―――残念な事に人間並みである。妖力や気の流れ、呼吸音から心音、臭いなどでの感知を始めとして、一切合財が人間と同等か少し飛び出た程度。迫害されるのも頷けた。

そんな劫戈に出来るのは、並の妖怪とは段違いの第六感での危機察知ぐらいで、あまりお世辞にもならないものだった。

 

それが木皿儀劫戈という妖怪の格なのだ。

 

後に思い知らされる事になるが、この頃は己も他者と何ら変わらないと誤解している時期だ。木皿儀の子だからと、粋がる生意気な餓鬼だから己を信じて疑わない。

 

それが崩壊したのが眼前の出来事だ。

 

「―――」

 

少年が瞠目した。

 

劫戈は、己が妖怪として底辺だと理解している。どうしようもない弱小だと。

 

それに加えて、これ(・・)なのである。

 

少年のぎょっとする顔を、劫戈は左の視界に捉えた。茂みから飛び出そうとするその瞬間の出来事である。

幼いが故、彼の精神的衝撃は、心に強く圧し掛かっていた。

 

「え……なんで―――」

 

言い切るよりも早く、鹿は劫戈等から反発するように跳躍した。完璧の筈だった、と唖然する少年を置き去りにして。

 

(そう……俺が獲物に近付くと、必ず(・・)気付かれる)

 

背後から、音もなく、慎重に、進み出て、手刀を叩き込む寸前で―――獲物は怯えた眼で少年を視界の中央に捉えた。

鋭敏化された生存本能が齎す危機察知能力なのか、まるで見えているかのように劫戈が飛び出すより逸早く逃げ果せてしまう。決してもたもたしていた訳でもないし、臆して襲う瞬間を逃した訳でもない。教わった通りに、瞬きが起きた瞬間を狙って飛び出したのにも関わらずこれだ。

 

(こうして見ても、未だに原因が解らない……)

 

獲物となった筈の鹿は、劫戈の手が届き得る範囲を超えた広い距離で知覚する動きを見せていた。こんな信じがたい事が毎度である。

この摩訶不思議現象が、今までの狩りに必ず起こっていた事を親にも相談したが、結果はどうにもならずであった。問題視されるというよりも、連携が足らんと一蹴されてしまっていたのだ。

 

(最初の狩りで……。向こうは、何故こうも簡単に気付ける……?)

 

しかも、二度目以降は予めそこに劫戈がいる事が解るかのように避けるのだから、尚更打つ手がない。ならばと、視認外距離から襲ってみても、すぐに察知されると言う残酷な結果が待っている始末。

 

「なんで、なんだよぉっ……!」

 

悲痛に叫び追うものの、少年は跳べても飛べない。ならば走る―――いいや、無茶だった。

いくら妖怪とは言え、幼少期の身体能力を超える動物など、ごまんといる。妖力の操作も満足に出来ない為、加速も不可能だった。

 

子供に容赦ない現実だ。

 

「どうして……!」

「おい、劫戈……お前っ! なにやってんだよっ!」

「おい、どうした!?」

 

見る見るうちに置いて行かれて見失った。

そんな少年に血相変えて掛け付けた同輩達との様子を、劫戈は身体も眼も離さず見続けた。当時の、封印したいくらいの醜い己を。

その後の獲物は、突如変貌した動きを見せた。最初の逃げる勢いが桁違いになり、どんなに回り込んでも突破口を作るという出鱈目を披露したからだ。

子供等ではお手上げ状態となり、大人になる段階を進む筈が、息詰まって恥辱を得るという予想外の展開になってしまった。

 

それから容赦なく月日が経っていく。

二度目、野兎。一定の距離を保たれ、失敗。

三度目、鹿の親子。阻害として進行方向に枝を投げようとして退避され、失敗。

四度目、鼠。仲間が仕留め、成功。が、速過ぎる上に察知出来ず、連携すら出来なかった。

五度目―――。

 

(結局、原因は不明。俺がいるから、狩りは一向に成功しない……)

 

何度も繰り返し、取り逃がし、連携という概念に喧嘩を吹っかける有り様。救い難い、群れへの不貢献者を呈していた。

 

一度や二度の失敗は、多少は眼を瞑ってくれるが、何度も起こすようでは流石に大人達も怒り心頭だろう。貢献したいのに、逆に足枷となる皮肉。

 

麒麟児であったなら、どれほど良かったか。腸が煮え繰り返る思いだった。

 

「――――――」

 

(っ、光躬……?)

 

目を伏せようとした時。再び暗闇に包まれたと思うと、目の前に光躬が現れた。さっきまで見ていた姿よりも少し成長した―――日方によって吹き飛ばされる最後、眼に焼きついた姿で、だ。

 

今の彼女は異様で。それでいて、不気味だった。

 

音もなく、声もなく、今まで向ける事のなかった無感動の顔で、劫戈を見つめている。

 

「――――――」

 

彼女の口だけが動く。

美しい筈の顔が能面のようで、伝来した仏像の如く固まっていた。見ているようで見ていない。発音しているようでしていない。

口の動きから、同じ言葉を一定の間隔で羅列していくのが解る。疑問しか浮かばない光躬の行動から、聞き取れる規模の微かな声量が漏れ始めた。

 

「――――――」

 

(…………っ!?)

 

すぐに悟り、汗が噴き出した。

 

(み、みつみ……や、めろ―――)

 

味わった事のない恐怖が、劫戈を襲った。その場から一歩も動く事が出来ず、息も絶え絶えで震えが止まらない。

 

(や、やめろ……)

 

聞きたい筈の声で、予想を裏切る言葉を呟いている。望む言葉とは真反対の悪夢を放っている。

劫戈の心を抉るには十分過ぎるものだった。

 

「凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め。凡愚め―――」

 

遂に聞きたくなかった言辞が紡がれる。劫戈は身が引き裂かれているのかと思った。だが、生きている事を認識しているのもまた事実。

 

これは身を引き裂く悪夢だ。

募った負が、己を攻め立てる。行き場を失くした感情が、己の中から放たれた。

凡愚―――いや、屑。多くの者を狂わせる害悪として罵られる。

 

(―――……ぁぁぁああああああっ!! やめろっ! やめろっ!!)

 

そこで、不意に脚先の感覚が消えていく事を理解する。確認する暇はなく、もがいて抜け出そうとした。

劫戈が更に悲鳴を上げると、追い打ちを掛けるように、無数の黒い手が彼に絡みついた。それらは一つ一つが在り得ない握力で、劫戈の細い身体を握りつぶす勢いで殺到してくる。

 

(やめろ、やめろっ!! やめてくれ、やめ―――!)

 

引きずり込まれる、奈落の底。

 

「おいで」

 

おいで、おいで、と。

 

聞いた事のない光躬の、悍ましき声が響いた。

 

(――――――)

 

全身を覆い尽くした手と痛みに、悶える暇も与えられない劫戈は、天へと必死に手を伸ばした。されども、黒い何かが劫戈の逃れを拒む。

 

「おいで、凡愚」

 

その愉快そうな一言で―――遂に力尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――否』

 

(――――――っ!?)

 

強大な否定の意志が闇を祓った。その差は川と海の違い。

一瞬にして劫戈は解放され、暗闇が消え去り―――春夏秋冬が入り乱れる花鳥風月に抱かれた。

温かな若葉が包み、暑い深緑が守り、穏やかな紅葉が癒し、冷たい吹雪が闇を討つ。

 

 

『己を責め過ぎるのは良くないな』

 

 

大自然溢れる万象へ黄金の光と共に優しげな声が注がれた。それはかつて聞いた厳かでいて、慈しみのある女性のものだ。

今まさに、劫戈を赤子のように抱き上げていた女性から放たれていた。母のようで、母ではない誰かから。

 

 

『そなたが思っている程、想い人は脆くはなく、そなたを罵る事は無い』

 

 

人間や妖怪とは程遠い―――こことは違う場所から来たと思われる未知なる黄金の存在は、自らの腕に抱いた劫戈へと語り掛ける。

女性の顔は、綺麗とか、美しいとか、そんな陳腐なものでは表し切れないものだった。最早、それらを超越しした窈窕たるものでいて、女性として極まっている。

そんな女性を見た劫戈は絶句する他なかった。全ての雄を狂わせてしまうかのような輝かしさを持つ金色の眼を向けてくる。

 

灰色と視線が交差した。

 

 

『……はっきりとではないが私が見えるのか。ようやく解き放たれたな……心底嬉しいぞ』

 

(…………)

 

輪郭は勿論見えるものの、鮮明とまではいかない。金色が眩しくて全体像が掴めない。そんな女性から薄らと笑みを向けられた気がした。

 

回した手で劫戈の頭を撫で、彼を安堵させる女性もまた、憂いが晴れたように安堵していた。

光躬や榛とは違った優美さを持つ彼女に、劫戈は言葉を失い、眼を動かせないでいる。見惚れていると言うよりも、異なった事が起きているのだ。

圧倒的な格に、本能が動く事を許さず、そこから先の動きを阻害していた。顔を覗き見るのが恐ろしく思っているように。

困惑の濫觴(らんしょう)が解らず、劫戈は更に困惑を深めた。

 

 

『安心せい。想い人とは、いずれ、会う日が来るであろう。私とそなたが、こうして会えたように』

 

 

不意に開いた手が翳され、緩やかな眠気を誘う。母を超えた何かが慈愛の下に微笑むだけで、劫戈の周囲を舞う風は鎮まった。

ゆっくり、自然と瞼が落ちていくのに、そう時間は掛からなかった。

 

 

『恐れるなかれ。会おうた時に問えばよい。信じているのであるならば、必ずや、応えてくれるであろうて』

 

 

優しく、優しく、言い聞かせる女性。

負の感情が見せた一時の悪夢は終わり。何事もなかったかのように、劫戈は解放される。

 

(あ……―――)

 

そこへ繋がる言葉はなく、劫火から静かに寝息が漏れる。瞼を閉じ切る直前、声の主を見た気がしたが、最早彼にそれを認識する力はなかった。

 

 

『……巣立ちの時は、無事に迎えた。飛べる(・・・)日は近い』

 

 

そっと労わるように彼の頬へと置かれた手には、黄金の燐光が纏われていた。

金色の宝石から光る雫が零れ落ちると劫戈の右眼跡を濡らし、ゆっくりと瞼の間から染み込んでいく。吸い込まれてから、再度、女性は彼を覗いて念願の思惟を告げる。

 

 

『ここまで長かったな、愛し仔よ』

 

 

棚引く黄金の髪の下で、屈託のない至高の笑顔を向けた。

我が子のように、抱き締めた。大事な、大事な、翹望(ぎょうぼう)の果てに生まれた仔を、繊細なものを扱うように、ゆっくりと。

 

 

『嗚呼……ようやく会えたな。待望の仔よ、私の―――』

 

 

 

それは彼女にとっての宿願―――憂いと愁いを払拭する希望。

劫戈に課せられた、険しい宿命の始まりだった。

 

 




今回ですが、副題の通り、「思い出して」なので劫戈は“過去”を夢として追憶する内容となっています。そこへ途中介入する謎の御方が……。
尚、本話は劫戈の細かな実態が描写されていなかった事を反省として執筆しました。ただ凡愚云々だけは物足りないな、という事で至った次第です。現時点での彼がどんな妖怪なのか御分かり頂けたらと思います。
諄いようですが、直に接してきた御方。これだけ描写したら正体に気付いている方いるんじゃ……いや、そんな事は無いか(疑心暗鬼)

自分で作った謎を、少しずつ明らかにしていくのって結構しんどいものですね。


次回、近い内に投稿。

第三章の結末について

  • 取り返しのつかないバッドエンド
  • 痛み分けのノーマルエンド
  • 邪魔者を排斥出来たハッピーエンド
  • 作者におまかせ(ランダム選択)

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