銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第七十六話:作戦名イオン・ファゼカスの帰還 宇宙暦796年8月6日 惑星ハイネセン、第三六戦隊司令部及び第一二艦隊司令部

 宇宙暦七九六年八月六日。自由惑星同盟最高評議会は賛成多数で帝国領侵攻作戦の実施を決定。昨日、トリューニヒトが予想したとおり、反対は彼自身と財務委員長ジョアン・レベロと人的資源委員長ホアン・ルイの三人。俺がそのニュースを知ったのは、第三六戦隊司令部の士官食堂で参謀達と一緒に食事をとっている最中だった。こうなるのがわかっていても、がっくりきてしまう。

 

 前の歴史では「諸惑星の自由」だった作戦名は、今回は「イオン・ファゼカスの帰還」に変更されている。国父アーレ・ハイネセンが流刑地から脱出する際に用いた宇宙船「イオン・ファゼカス号」から名前を取った野心的な作戦名だ。

 

 食堂のスクリーンの中では、ロイヤル・サンフォード最高評議会議長がスピーチを続けている。いつも通り、スピーチライターの書いた原稿をただ読み上げているだけの退屈な内容。記者の質問に対しても、官僚に吹き込まれたことがはっきりとわかるような型通りの答えを返している。

 

「建国以来未曾有の大作戦というのに、まったくこみ上げるものを感じさせてくれませんね。これも一種の才能かもしれません」

 

 そう酷評するのは情報部長ハンス・ベッカー中佐。追い詰められて亡命した彼にとって、イオン・ファゼカスの帰還作戦は待ちに待った機会であるはずだ。それなのにずいぶんと冷めている。

 

「この方の指導で帝国に侵攻するというのは不安ですな。対テロ総力戦の前科があります」

 

 サンフォード議長のリーダーシップに対する懸念を示しているのは、人事部長のセルゲイ・ニコルスキー中佐。

 

 対テロ総力戦において、サンフォードが目立った失策を犯したわけではない。目立ちすぎたせいで、軍や警察の不手際の責任を押し付けられる形になってしまっただけだ。今回は正当な手続きを踏み外したことによって、ロボス派を除く高級軍人からの批判が集中するだろう。

 

 考えてみると、サンフォードもアンドリューと同じように、ロボス元帥とアルバネーゼ退役大将に汚れ役を押し付けられたようなものかもしれない。

 

「そういえば、対テロ総力戦が始まると同時にサンフォード議長の支持率上がったね。夢よもう一度ってところかな。国費で選挙対策というのは感心できないけどね」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐はのんびりした口調で辛辣なことを言う。反戦派である彼は、成算の有無にかかわらず大規模出兵を望んでいない。そんなことに使う金があったら、財政再建に取り組むべきと考えるのが反戦派だからだ。

 

「今、出兵されると困るんですよねえ。誰かさんが湯水のように使ってくれるおかげで、ビーム砲のエネルギーパックのストックが全然足りないんですよ。また集めなきゃ」

 

 後方部長リリー・レトガー中佐は俺の方を見てため息をつく。俺だってちょっと使いすぎてるんじゃないかとは思っている。しかし、訓練には金がかかる。訓練回数が多くなれば、物資の消費も多くなる。訓練内容に応じて、将兵に手当を支給する必要もある。しっかり鍛えておきたいという思いがある。用兵能力の欠如は練度で補うしかない。

 

「ほら、半リットルの汗は五リットルの血を節約するって言うじゃん」

「フィリップス提督、半リットルの汗をかくには一〇〇〇ディナールのお金がかかるんですよ」

 

 西暦時代の名将の格言を引いてごまかそうと思ったのに、見事にやり込められてしまった。

 

「でも、部下の命には換えられないじゃないか。きっちり訓練して前線に送り出すのは、指揮官としての義務だよ」

「砲撃訓練の回数が平均の二倍。他部隊から多すぎると苦情が出ています」

「でもさ、できるだけのことはやりたいよ」

「他の部隊だってそう思っているでしょうよ。それなのに泣く泣く予算を抑えています。そんな中でうちだけがたくさん予算を遣っていたら、反感を買いますよ。少しは自重してください」

 

 訓練や環境改善に熱心な俺の部隊運営には金がかかる。トリューニヒトとのコネを生かして、多額の予算を獲得して部隊の質を高めてきた俺に対し、他の部隊から不満が出ているとレトガー中佐は言っていた。

 

「わかった、気をつける」

 

 俺の返事にレトガー中佐は満足そうにうなずいた。彼女はドーソン中将の子飼いでトリューニヒト派の一員であったが、バランス感覚に優れている。

 

 トリューニヒトが国防委員長に就任して以来、二年連続で国防予算は増額されたが、増加分の多くは地方部隊増強に回されて、正規艦隊の予算はほぼ据え置き。正規艦隊に所属する部隊はやりくりに苦労して、訓練回数を抑える傾向があった。

 

 そんな中、優先的な予算配分を受けているトリューニヒト派の指揮官に対する反感は高まっていた。トリューニヒト派の中でも特に贔屓されている俺は、歩く不和の種のようなものだ。部隊間の不和は敗北のきっかけになる。注意する必要があった。

 

 スクリーンの中では、サンフォード議長の会見が終わり、出兵案に反対した財務委員長ジョアン・レベロの会見が始まった。自由惑星同盟最高評議会の評議員会議は、多数決方式を採用している。議論を尽くしたという形式を整えるため、評議会決定と異なる意見を述べた評議員の発言も認められている。

 

「これ以上市民に負担を強いるべきではないという私の考えを理解いただけなかった。それが残念です」

 

 憔悴しきったレベロは言葉少なに語った。語られた内容よりも語った人物の表情からより多くのメッセージを感じ取れる。彼は政策議論には長けているが、スピーチはうまくない。言葉で人を魅了する力はトリューニヒトの足元にも及ばないだろう。しかし、口下手だからこそレベロの言葉は信頼できると考える有権者も多い。その評価を裏付けるようなスピーチだった。

 

 レベロの次は国防委員長ヨブ・トリューニヒト。主戦論者の彼が出兵案に反対したというのは、多くの者にとって意外だったようだ。士官食堂でスクリーンを見ている者のほとんどが驚きの色を示している。トリューニヒトの政策をちゃんと知っていれば、彼が国内治安を最優先していることは理解できるはずだ。パフォーマンスにばかり注目されて、政策が注目されないのは残念に感じる。

 

「私は愛国者です。しかし、これは常に主戦論に立つことを意味するものではありません。私がこの出兵に反対であったことを覚えておいていただければ、それで十分です」

 

 トリューニヒトは落ち着いた表情で自分が愛国者であること、そして反対したという事実を強調して語る。ここでも政策論を押し出そうとしない。有権者のイメージに訴えるトリューニヒトらしいといえるが、自分が作り上げた強硬な主戦派というイメージに引きずられている部分もあるように思える。

 

 トリューニヒトが会見を終えると、一週間前に未成年女性相手の性交疑惑で辞任したグロムシキンの後任の情報交通委員長コーネリア・ウィンザーがマイクの前に立った。かつては主戦派寄りのニュース番組「フリーダム・ニュース」のキャスターとして人気を博し、気品のある美貌と歯切れのいい口調に定評がある。巧みなパフォーマンスによって主戦派の人気を集めていた。政治スタイル、支持層ともにかぶっているトリューニヒトとはライバル関係にある。

 

「アーレ・ハイネセンがアルタイルの流刑地から脱出して三百二十三年。民主主義がゴールデンバウム朝を打倒する時がやってきました。本日をもって、人類は専制政治に対する総反撃を開始します」

 

 地味な服装で背筋をまっすぐに伸ばしたウィンザーは、修道女のように禁欲的に見えた。凛とした声は儀式の開始を告げるかのようだ。

 

「ルドルフの帝国を打倒し、人類を圧政から解放する。その崇高なる目的のために私達は戦い続けてきました。そして、ついに最終決戦の時を迎えるのです。正義は私達に味方しています。三色旗を掲げた解放軍が赴くところ、敵はことごとく粉砕されることでしょう。私は皆さんにこの戦いを支持したという事実を伝えられる機会を与えられことを心の底から誇りに思います」

 

 ウィンザーの語る言葉は単なる美辞麗句であったが、元ニュースキャスターらしい透き通った声質と計算された抑揚はある種の音楽のようだった。軽快なポップスのようだと言われるトリューニヒトのスピーチに対し、美しい聖歌のようだと言われるウィンザーのスピーチの真骨頂を見た思いがした。

 

 士官食堂のあちこちから拍手の音が聞こえる。俺が出兵に賛成する立場だったら、一緒に拍手していたかもしれない。そんなことを思っていると、同じテーブルからむやみに大きな拍手の音が聞こえた。

 

「いやあ、素晴らしいですね!心がたぎりますよ!」

 

 拍手の主を確認して、軽く頭痛がした。人事参謀のエリオット・カプラン大尉だ。

 

「俺ね、子供の頃からウィンザー先生のファンなんですよ。ほら、お姉様って感じじゃないですか。フリーダム・ニュース、毎日見てました」

 

 おまえの女性の好みなんか知るか、と思ったが、突っ込むのも面倒くさくて黙っていた。同じテーブルを囲んでいる参謀達も、「何言ってんだ、おまえ」と言わんばかりの表情でカプラン大尉を眺める。ウィンザーの著書を何冊も持っている作戦部長代理クリス・ニールセン少佐すら、非好意的な視線を向けている。

 

「これから忙しくなりますね、提督」

 

 食べかけのサンドイッチを右手に持った参謀長チュン・ウー・チェン大佐は、何事も無かったかのような口ぶりでそう言って、強引に話題を変えてくれた。こんな時、空気をまったく読まない人は強い。

 

「そうだね、参謀長」

「おそらく、今回の出兵では第一二艦隊も動員されます。昼食が終わったら、対応策を練る必要があるでしょう」

「司令室に戻ったら、さっそく参謀会議を招集するよ」

 

 食事を終えて司令官執務室に戻ると、第一二艦隊司令部から連絡が入っていた。緊急の艦隊将官会議を開くから集まれというのだ。出兵案通過を受けて、第一二艦隊全体の対策を協議するのだろう。参謀会議を開くどころではなくなった。俺はすぐに準備をして、副官のコレット大尉、参謀のカプラン大尉を連れて公用車に乗り込んだ。

 

 

 

 艦隊将官会議には、第一二艦隊司令官ウラディミール・ボロディン中将、副司令官兼第一分艦隊司令官ヤオ・フアシン少将、参謀長ナサニエル・コナリー少将、副参謀長シェイク・ギャスディン准将の他、分艦隊司令官三人、戦隊司令官一六人が出席した。

 

 アイボリー色の髪を綺麗に撫で付け、口髭を整えている紳士的な風貌のボロディン中将は、シトレ派らしいノブレス・オブリージュの持ち主だった。平時にあっては自制的態度、戦場にあっては指揮官先頭を旨とする。慎ましい性格で自己アピールを好まず、交際を広げようともしない。同盟軍エリートの一つの理想像とも言えるその姿からは、前の歴史の帝国領侵攻作戦において、味方を逃がすために直率部隊だけで踏み留まり、残り八隻になるまで奮戦して自決した闘将の面影は感じられない。

 

 そんなボロディン中将がトップにいる第一二艦隊の上層部では、反戦的なシトレ派が多数を占めていた。将官会議では、統合作戦本部の頭越しに出兵案を最高評議会まで持ち込んだ宇宙艦隊総司令部の若手参謀グループの行動を「軍部の秩序を乱す行為」と批判する意見、イゼルローン要塞を手中にした今こそ和平の機会なのに出兵はおかしいという意見、アスターテで失われた三個艦隊の再建を優先すべきという意見など、現時点の出兵に対する異議が相次いだ。

 

 彼らに同調して意見を述べたいところであったが、この艦隊の反戦的な感情の矛先は、主戦派指導者の国防委員長ヨブ・トリューニヒトに後押しされて提督になった俺にも向けられている。将官の中で最後任だったこともあって、将官会議での俺の発言権は皆無に近かった。

 

「必要性も正当性も皆無。成否以前の問題」

 

 そう断じた参謀長コナリー少将に対し、列席した将官達は惜しみない拍手を送った。拍手をするかどうか迷い、控えめに手を叩くことで同調の意志を示す。

 

 拍手の仕方一つでも他人に遠慮しなければならない立場というのは本当に窮屈だ。出世すればするほど権限は大きくなっていくが、立場上できないことも多くなっていく。トリューニヒトが言ったとおり、正しい答えがわかっていても、その答えを選べない理由がわかってしまうというのが政治の泥沼である。

 

「議論が尽くされたところで、今日の将官会議は終了とする」

 

 ずっと腕を組んで一言も発言していなかった司令官ボロディン中将は、拍手が鳴り止んだのを見計らって、会議の終了を宣言した。

 

 結局、今日の第一二艦隊将官会議は納得行かないという出席者の感情を発散するだけの結果に終わった。非生産的といえば非生産的かも知れないが、出兵案の詳細が現場まで下りてきていない現状では、実行面に踏み込んだ議論のしようもないだろう。ガス抜きをさせるつもりでいたから、ボロディン中将は黙っていたのかもしれない。

 

 

 

 出兵案に反対したトリューニヒトは言うまでもなくスピーチの達人。レベロとホアンは反戦派の中でも名うての論客。彼らが揃って反対しても、出兵案を覆すだけの説得力を持てなかった。前の歴史で言われていたような愚案なら、簡単に評議員を説得できただろうに。成功の可能性を感じられる案であるがゆえに、権力闘争の世界で生き抜いた猛者達が乗ってしまった。

 

 アンドリューが凡人でもわかるような愚策を出すような狂人になってしまっていたら、俺だって前の歴史で起きたことを踏まえつつ、論破できただろう。しかし、この歴史のアンドリューは聡明で、前の歴史にあったような素人にもわかる穴は見当たらない。

 

 いや、アンドリューを論破することには全く意味が無い。表に立って動いているのは彼を中心とする若手参謀グループだが、実際にはバックにいる実力者のロボス元帥とアルバネーゼ退役大将が自派の総力を上げて作戦案を作り上げたに違いない。アンドリューは得意の行軍計画を担当したに過ぎないだろう。友人を説得することもできない俺には手も足も出ない。あのトリューニヒトですら、敵に回せば破滅すると言った相手なのだ。

 

 エル・ファシル動乱、第七方面管区司令部襲撃、エルゴン星系侵入、対テロ総力戦の一連の流れの中で軍情報部の威信が傷つかなければ、アルバネーゼ退役大将がロボス元帥と手を組むこともなかったはずだ。前の歴史では起きなかった事件がアルバネーゼ退役大将を引きずり出して、作戦案に説得力を与えてしまった。

 

 さらに言うと、エル・ファシル動乱の引き金となった五年前の地上戦も前の歴史では起きていない事件だ。そして、これらの事件は前の歴史の七九六年時点で帝国の捕虜収容所にいた俺を、今の歴史で提督まで押し上げる原動力となっている。今の歴史と前の歴史は同じような事件が起きつつも、エル・ファシルを台風の目として異なる展開を見せつつある。

 

 前の歴史における帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」は惨敗によって同盟に打撃を与えた。しかし、今回の「イオン・ファゼカスの帰還」は勝利によって同盟を混沌に陥れるだろう。帝国領侵攻作戦の成功という巨大な戦果は、結果オーライの暴走を軍人に許す悪しき前例となる。

 

「ほどほどに負けて手を引いてくれないか」

 

 そんな思いが頭の中によぎり、すぐに打ち消した。味方の負けを願うなど、軍人としてあってはならないことだ。どのような未来が待ち受けていようとも、俺にできるのは能力と権限の範囲で最善を尽くすことだけである。

 

『我々はいずれもっと強くなる。いずれアルバネーゼの力が落ちる時も来る。今は一つの局面にすぎない。戦いはこれからも続く。今は耐えてくれたまえ』

 

 トリューニヒトが昨日の別れ際に語った言葉を思い出した。今は耐える時だ。

 

 テルヌーゼンの補欠選挙で勝負を焦ったトリューニヒトは、憂国騎士団の暴力に頼って敗北した。正当な手続きを踏まなければ、一時的な成功を収めても最終的には信用を失って敗北してしまう。

 

 今の俺がなすべきことは目の前の職務に精励して、信用を積み重ねることだった。俺の軍人生活において、一番の力になったのは努力によって勝ち得た信頼、そして一緒に汗をかいた仲間達だった。

 

 出兵準備のために深夜まで残業した俺は、誰もいなくなった戦隊司令官室でトリューニヒトへの直通ホットラインを開く。軍部でこのホットラインを使えるのは、俺、国防委員会防衛部長クレメンス・ドーソン中将、統合作戦本部管理担当次長スタンリー・ロックウェル中将ら数人だけだ。

 

「どうしたんだね、エリヤ君」

 

 スクリーンの中のトリューニヒトは、深夜だというのにきっちりとスーツを着こなしていた。国防委員会も深夜まで出兵の準備に追われていたのだろう。

 

「第三六戦隊司令官辞任のお話ですが、お断りさせていただきます」

「彼らの私戦に付き合うつもりかい?」

「私戦に付き合うつもりはありません。しかし、四ヶ月近く育てた部隊には付き合いたいと思っています」

 

 俺がそう答えると、トリューニヒトは小さくうなずいた。

 

「君らしい答えだ。私は君の選択を尊重しよう」

「委員長閣下が支持者を裏切れないように、俺も部下を裏切ることはできません。さしたる才能もない俺にとって、唯一の財産は信用です。それを大事にしたいのです」

 

 一瞬だけ、トリューニヒトがとても悲しげな表情をしたように見えた。しかし、スクリーンの中のトリューニヒトはいつものように穏やかな笑みを浮かべている。

 

「本当に惜しむべきは、君の生き方だった。泥沼に浸かっていると、そんな簡単な事も忘れてしまうらしい」

「どういうことですか?」

 

 トリューニヒトは俺の問いに答えずに、通信を切った。

 

 今回の出兵に関して思うところはいろいろあるけれど、第三六戦隊から離れることはできない。その決意をトリューニヒトに伝えることで、俺は迷いを振り切った。


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