銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十八話:カーニバルは終わった 宇宙暦796年2月~4月上旬 イゼルローン方面辺境星域~惑星ハイネセン

 世論の圧倒的な支持のもとに、国内の敵を一掃するかに見えた対テロ総力戦体制は思わぬところでつまずいた。

 

 二月五日にアスターテ星域で三個艦隊が半数に満たない敵に壊滅させられたという知らせは、報復に熱狂する市民に強烈な冷や水を浴びせた。正規艦隊の四分の一が消滅するという同盟軍史上でも稀に見る惨敗に、最高評議会議長ロイヤル・サンフォードの強い指導者というイメージは失墜してしまった。

 

 政府は奮戦した第二艦隊副参謀長ヤン・ウェンリー准将や戦隊司令官ポルフィリオ・ルイス准将らを英雄として顕彰することで善戦したように見せかけようとしたが、あまりに見え透いていて、市民を白けさせている。一度気持ちが冷めてしまうと、これまで見過ごしていたあらも気になってくるものだ。

 

 最初に市民の目についたのは、テロ捜査の停滞だった。情報機関と警察の総力をあげた捜査にも関わらず、第七方面管区司令部襲撃の実行犯をなかなか特定できずにいた。エル・ファシル解放運動、ヴィリー・ヒルパート・グループ、カッサラ暴動の煽動者グループなどのメンバーの供述から浮上した「先生」と呼ばれるフィクサーが鍵になっていると見られ、帝国の関与も濃厚であったが、未だ手がかりは掴めていない。

 

 苛立った市民は捜査機関の無能を激しく批判した。風向きが変わったことを察知したマスコミは、自分達が飛ばし報道で無関係の人間を犯人扱いしたことを棚に上げて、捜査機関の怠慢や過失を盛んに報道している。

 

 対テロ総力戦の二本目の柱である宇宙海賊討伐にも懐疑的な視線が向けられ始めた。第一艦隊と第一一艦隊の快進撃の水面下では、深刻なモラル低下が生じていた。将兵による暴行、窃盗、強姦などの犯罪が多発して、地域住民を失望させた。捕虜虐待、故意に民間人を巻き込んだ作戦行動も多く報告されていた。マスコミの報道の影響もあって、地域の官憲や住民は日を追うごとに非協力的になり、作戦行動にも支障をきたすようになった。

 

「ヤム・ナハルなんかでこんなに足止めを食うとは思わなかったな」

「当初の想定では、一週間で作戦完了するはずだったんですが」

「民間人の支持が無いと、こうも苦戦するとは。驕兵必敗とはまさにこのことだ」

 

 司令室のスクリーンに映っているのは、ようやく平定を終えたヤム・ナハル星系の星図である。宙域は狭く障害物も少ない。一つの有人惑星と三つの無人惑星はいずれも地形が平坦だった。これほど海賊が隠れにくい星系もそうそう無いはずなのに、思いのほか手こずってしまった。第一分艦隊司令官のルグランジュ少将が嘆きたくなる気持ちもわかる。

 

「こんな報道が飛び交っていては、小官だって軍に疑いを抱きたくなってしまいますよ」

「うむ、まったく軍の恥晒しとしか言いようがない。我が部隊にこのような不届き者がいないのは幸いだ」

 

 俺がルグランジュ少将に見せた新聞には、第一艦隊に所属する分艦隊の将兵が一〇人の民間人を殺害したという疑惑が報じられている。分艦隊司令官サンドル・アラルコン少将は否認しているものの、限りなくクロに近いというのが一般的な見解だった。うちの分艦隊はかなり不祥事が少ないが、いつこのような事件が起きるかわかったものではない。

 

「クブルスリー中将がアラルコン司令官更迭の意向を示しているのが幸いです」

「あの人は非戦闘員への暴力には容赦しないからな。こういう時は心強い」

「これで軍に対するイメージが良くなってくれたら、こちらとしても助かります」

「貴官の前で言うことではないが、うちの司令官は…」

 

 言葉を濁したルグランジュ少将に対し、手のひらを下に向けてひらひらさせて曖昧な同意を示す。ドーソン中将も軍規には厳しいけど、クブルスリー中将の厳しさとは違う種類の厳しさである。クブルスリー中将は倫理を正すためなら頭を下げることも厭わないが、ドーソン中将はそれができない。秩序の守り手である自分が頭を下げたら、秩序が崩れてしまうと思っているのだ。

 

「やはり、貴官を副参謀長に選んで良かった。どういうわけか、治安に強い者は人に頭を下げない傾向がある。さっさと頭を下げれば、それで済むことも多いだろうに」

「ルールを破ると面倒だと思わせるには、守らせる側の人間が面倒な人間になるのが一番なんです。面倒な相手の言うことはしぶしぶ聞いてしまうでしょう?」

「ああ、確かに貴官の言うとおりだ。士官学校の風紀委員が付き合いやすい奴だったら、毎日でも門限を破りたくなる」

「閣下は門限を破る側だったんですか?」

「まあ、若かったしな」

 

 ルグランジュ少将は口を大きく開けて、愉快そうに笑った。プラチナブロンドの髪を角刈りにしていて、顔の輪郭も角張っている彼は見るからに強面だが、感情表現が素直で愛嬌に富んでいる。そして、物分かりもいい。面倒な人間じゃないと務まらない治安には一番不向きだろう。そんなことを思っていると、ルグランジュ少将の指揮卓に据え付けられた端末に連絡が入ってきた。

 

「ふむ、わかった。その件はフィリップス大佐に任せよう」

 

 しばらく何事かを話した後にそう言うと、ルグランジュ少将は端末を切った。

 

「次の戦地になるムシュフシュ星系の政府から、民間人居住地域の半径二〇キロ以内に立ち入らないで欲しいという申し入れがあった。随分と嫌われたものだ」

「困りましたね。民間の宇宙港が使えないと、補給と整備に差し支えます」

「交渉は貴官に任せる。あちらの窓口は星系政府の第一国務次官だそうだ」

 

 思わずため息が出てしまう。大きな基地がない辺境星系では、民間のインフラを利用しなければ補給も整備もままならない。受け入れを拒絶されたら、作戦行動ができなくなる。少し前まではどこに行っても歓迎されたのに、変われば変わるものだ。

 

「たった一か月でこうも空気が変わるなんて思いませんでした」

「テロ一つで変わる程度の空気だ。会戦一つで変わっても不思議はない」

 

 言われてみればその通りだ。去年九月のテロのショックは一日にして空気を一変させてしまった。同じことがアスターテ星域の敗戦のショックで起きてもおかしくはない。三個正規艦隊壊滅というのは、それだけの大事件だ。

 

「確かに閣下のおっしゃるとおりです」

「しかし、こうも空気に左右されるとは、民主主義というのは難儀な体制だな」

 

 前の歴史でルグランジュ少将がクーデターを起こして軍事独裁政権を作ろうとして非業の死を遂げたことを思い出して、ぎょっとしてしまった。あの当時の世情は帰ってきたばかりの俺から見ても切羽詰まっていた。民主主義に失望するのも無理はなかったかもしれない。しかし、どんな世情であろうとも、彼のような人には幸福に長生きして欲しかった。

 

「めったなことをおっしゃらないでください」

「そんな怖い顔をすることもないだろう」

 

 ルグランジュ少将は首を傾げている。

 

「あ、いや、最近流行ってるじゃないですか。反民主主義みたいのが。小官のような小心者には怖いんですよ」

「ああ、マルタン・ラロシュみたいなやつか。馬鹿馬鹿しい、あんなのルドルフの猿真似だろう」

 

 マルタン・ラロシュは数年前から台頭してきた極右勢力の指導者だ。七九一年総選挙において彼の統一正義党が同盟議会の第四党になったことが、主戦派の改革市民同盟と反戦派の進歩党の連立政権樹立に繋がった。大手マスコミには黙殺されてきたが、去年のテロをきっかけに顔を出すようになり、過激な言動で視聴者の人気を博した。軍部でも支持者が増えている。一言で言うと、民主主義を無くしてしまおうというルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの亜流だ。

 

「ラロシュを最高評議会議長にしようという空気になって、民主主義そのものが無くなるなんてことになったら嫌ですよ。そういうことだって起き得るでしょう」

「貴官は心配症だな」

 

 俺が本当に心配しているのはルグランジュ少将のことなのだ。しかし、自分で口に出してみてわかったが、こんなに世間が空気で動くのなら、何かの拍子でラロシュが議長になってしまってもおかしくない。前の歴史では七九七年総選挙でトリューニヒト率いる国民平和会議に惨敗して表舞台から消えたが、今回も同じような展開になるとは限らない。ラロシュに逆風を吹かせた極左の反戦市民連合もカリスマ指導者ジェシカ・エドワーズを得ていない現時点では、単なる弱小政党だ。

 

「小心ですから」

「はっはっは。あいつが政権を取ってラロシュ朝銀河帝国を作ろうなんて言い出したら、私と貴官でクーデターを起こして民主主義を復活させればいいじゃないか」

「そういう冗談はやめてください」

 

 背中が冷や汗でびっしょり濡れてしまう。前と今の歴史は違うのに、俺は何を恐れているのだろうか。何はともあれ、大事なのはまだ見ぬ未来じゃなくて、目の前にある現在だ。ムシュフシュ星系との交渉をどう進めようか、思案することにした。

 

 結局、ムシュフシュ星系との交渉は成功して、何とか海賊の平定を終えることができた。第一分艦隊は複数の星系を転戦して、三月末にイゼルローン回廊手前のティアマト星系まで到達した。第一一艦隊に所属する四つの分艦隊の中で、第一分艦隊が平定した星系、獲得した捕虜、拿捕もしくは破壊した海賊船は最も多い。途中からは気が重くなる戦いだったが、どうにか全うすることができた。

 

 

 

 四月一〇日。イゼルローン方面航路の宇宙海賊討伐を終了した第一一艦隊は、半年近い遠征を終えてハイネセンに帰還した。四一の有人星系と一九五の無人星系を平定し、滅ぼした海賊の総勢力は四万隻以上。巨大な武勲を立てた第一一艦隊に対して、世間の目は冷ややかであった。

 

 第一一艦隊が遠征中に引き起こした不祥事の数々は、同盟軍に対する市民の信頼を失わせるには十分なものであった。いかに武勲が多くとも、同盟国内の戦いで民間人相手に非行をはたらくようではどうしようもないということだ。すっかり人気を失ってしまったサンフォード政権が俺達を英雄として扱ったことも、悪印象を与えてしまっている。

 

 第一一艦隊司令官ドーソン中将は海賊討伐の任務を成功させたものの、不祥事が多発したことで評価を落としてしまった。責任を真摯に受け止めようとするクブルスリー中将と比べると、明らかに見劣りがすると世間ではみなされた。結局、ドーソン中将とクブルスリー中将の昇進は見送られ、勲章授与のみとされる見通しだ。

 

 武勲の量だけなら、第一一艦隊と第一艦隊からは大量の昇進者が出るはずだった。しかし、軍人の昇進というのは多分に政治的事情に左右される。数々の非行から世論の反発を買った両艦隊に昇進を大盤振る舞いするというのはいかがなものかという意見が続出し、現在も議論が続いている。

 戦果が最も多く、不祥事が最も少なかった第一分艦隊の主要メンバーは全員昇進確実と言われていた。俺が昇進すれば准将になるが、将官人事というのはいろいろとややこしい思惑が絡む。俺と一緒に副参謀長を務めたクィルター大佐は、すっかり舞い上がって礼服を新調したそうだが、いかがなものかと思う。サンフォードが受けている逆風は俺達にも吹いているのだ。

 

 最高評議会議長ロイヤル・サンフォードは、テロ捜査、海賊討伐、対帝国戦のすべてにおいて期待を裏切ったとみなされて、テロ直後の熱狂の反動も手伝って、呼吸をしているだけで批判の的にされる存在に成り果てた。海賊討伐作戦「終わりなき正義」作戦終結後に、対テロ総力戦の勝利宣言を行って非常指揮権を返上することで、戦勝を誇示しようとしたが、かえって反発を買った。対テロ総力戦の間に強大な権限を与えられた軍、警察、情報機関が引き起こした数々の不祥事の責任を問われ、与党議員からも激しい攻撃を受けている。弾劾訴追の動きまで出ている有様だ。

 

 一方、国防委員長ヨブ・トリューニヒトは、アスターテ星域の惨敗と海賊討伐部隊の不祥事にも関わらず、ほとんど声望を落としていなかった。テロ初日の演説以降は裏方に徹していたため、世間ではサンフォードが軍事を主導していると見られていた。責任を追及できる材料があるとしたら、海賊討伐に治安戦のベテランが揃っている第四艦隊や第六艦隊を起用せずに、子飼いの第一一艦隊を起用したことぐらいだろう。

 

 しかし、サンフォードに対する悪印象が強すぎて、相対的に小さいトリューニヒトの責任が問われることはほとんどなかった。表舞台から姿を消している間に、改革市民同盟内部での多数派工作に精を出し、軍需産業や各種圧力団体の支援も取り付けて、政治基盤を飛躍的に強化した。

 

 トリューニヒトは軍部での多数派工作も熱心に行っていた。予算獲得に期待を寄せる国防委員会の軍官僚、地方重視の姿勢を歓迎する地方部隊幹部、二大派閥に不満を抱く若手士官を中心に支持を拡大し、ロボス派からの離脱者も取り込んでいる。

 

 次代の指導者候補と目される第一一艦隊司令官ドーソン中将は海賊討伐の任務を成功させたものの、不祥事が多発したことで指導者としての資質を疑問視された。ロボス派から寝返った首都防衛司令部ロックウェル中将、第二艦隊司令官パエッタ中将らは、年齢的に次代の指導者にはなり得ない。有力な指導者候補不在がトリューニヒト派の不安材料といえよう。

 

 対テロ総力戦体制では、財務委員長ジョアン・レベロの役割は小さかった。失点が全くなかった彼の評価は相対的に向上して、総力戦の中で肥大化した軍隊と警察の権限縮小を訴えたことでさらに高まり、サンフォード政権の良心とみなされた。対テロ総力戦の支出でさらに苦しくなった財政を切り回す手腕を持つ唯一の人物としても期待が集まる。次期議長にふさわしい指導者を問う世論調査では、トリューニヒトをリードして第一位となった。数ヶ月後には進歩党委員長に就任して、反戦派の最高指導者として来年の総選挙で政権獲得を目指す。

 

 二年前のヴァンフリート星域の戦いから精彩を欠いていた宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥は、去年のエルゴン星域の戦いで完全に名声を失墜させてしまった。往年の果断は短絡に、寛容は無責任に取って代わられたと評された。二月に帝国軍が侵入してきた際には、能力を不安視する声が相次ぎ、第二艦隊司令官パエッタ中将に指揮権が与えられるという屈辱を味わった。結果としてアスターテ星域の敗戦の責任を負わずに済んだが、今年で任期満了となる司令長官職の再任は絶望視されている。有力な指導者候補を持たないロボス派の求心力は急落し、離脱する者も日を追うごとに増えていた。

 

 統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の推進した少数精鋭による地方防衛戦略は、地方部隊の戦力低下を招いてエル・ファシル動乱を引き起こしたとの批判を浴びた。海賊討伐作戦で巻き返しをはかったものの、不祥事の多発によってさらに苦しい立場に追い込まれた。アスターテ星域出兵において、ロボス元帥の宇宙艦隊総司令部を外して作戦指導を行ったことで敗戦の責任を問われることとなり、今年で任期満了となる本部長の再任の可能性は皆無と見られている。ただ、宇宙艦隊総参謀長グリーンヒル大将、第一艦隊司令官クブルスリー中将、第一〇艦隊ウランフ中将といった次代の指導者候補を抱えているため、派閥の求心力は落ちていない。

 

 去年のエルファシル動乱と第七方面管区司令部陥落に始まる対テロ七か月戦争は、この社会をすっかり塗り替えてしまった。大きく変動した政界と軍部の勢力図は、来年の総選挙、確実な統合作戦本部長と宇宙艦隊司令長官の後任問題などをめぐって、まだまだ大きく動くことだろう。

 

 経済面では、七か月続いた惑星間航行の制限が流通を停滞させて全国的な物価高を引き起こしている。財政赤字の拡大、各分野における熟練労働者の不足も大きな不安材料だ。フェザーン中央銀行総裁は同盟経済の先行きに対し、重大な懸念を示した。

 

 軍人は政治や経済に大きく左右される職業だ。前の人生で起きたような大変動があれば、無事ではいられない。春の陽気は暖かく、窓の外では桜の花が咲き誇っている。ベッドの中では、ダーシャが気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

 世界はこんなにも綺麗なのに、政治や経済はどうしてあんなに混沌としているのだろうか。時間がこのまま止まればいいのにと願わずにはいられなかった。


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