銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十六話:対テロ総力戦体制 宇宙暦795年9月12日~10月 惑星エル・ファシル~惑星ハイネセン

 宇宙暦七九五年九月一二日。エルゴン星系惑星シャンプールの第七方面管区司令部はテロリストの攻撃によって陥落。情報は錯綜しており、被害状況、犯人ともに不明。

 

 主要マスコミは報道特番を組んで、巨大な司令部ビルが崩落する画像を繰り返し流した。ネットでは、眉唾ものではあるが刺激的な情報が書き込まれている。最高評議会議長ロイヤル・サンフォードは、テロが発生から二時間後に国家非常事態宣言を議長権限で発令した。士官食堂から部屋に戻った俺は眠ることもできずに、テレビを眺めていた。

 

 画面には同盟議会が映しだされている。現在は戦時特別法に基づく最高評議会議長への非常指揮権の付与動議、三百億ディナールの対テロ臨時予算案について話し合われていた。最高評議会議長は同盟軍全軍の最高司令官であったが、通常は議会によって指揮権を制限されている。議会が戦時特別法に基づく非常指揮権付与措置を承認して初めて、完全に指揮権を振るうことができるのだ。予算案については、言うまでもないだろう。統治権力の肥大を嫌う反戦派の抵抗が予想されていたが、最左派の反戦市民連合以外は反対の意向を示していていない。

 

 議員に向けて演説をする最高評議会議長ロイヤル・サンフォードの声は小さくて抑揚に欠けており、内容もスピーチライターが用意した原稿を棒読みするだけだった。この七十過ぎの太った老人が、未曾有の国難に立ち向かう指導者たるにふさわしいと思っている者は誰一人としていないだろう。閣僚歴、党役員歴ともに豊富で、先例を尊重して他人を立てながら組織を円滑に運営する能力に長けているサンフォードは、最高評議会書記局長か党幹事長であれば、立派に務め上げるだろう。しかし、リーダーシップは今ひとつだ。このような人物の指導で悪魔のように狡猾なテロリストに立ち向かうことを思うと、心細さを禁じ得ない。

 

 サンフォードが退屈な演説を終えて、型通りの拍手を背に演壇を降りると、国防委員長ヨブ・トリューニヒトが代わって演壇に登る。原稿は持っていない。若くてハンサムな彼が演壇に立つと、老齢で風采が上がらない議長の演説は前座でしか無かったように錯覚してしまう。

 

「市民諸君。今日、我々の祖国が暴力による挑戦を受けた。犠牲となった人々は、祖国のために命を捧げてきた兵士だった。そして、誰かの父親であり、母親であり、兄であり、弟であり、姉であり、妹であり、友人であり、隣人だった人々だ。卑劣で残虐な暴力は、国家から兵士を、市民から家族や友人を永遠に奪い去った」

 

 犠牲者が統計の数字ではなくて顔のある人々であることを、トリューニヒトはしんみりとした調子で語りかけてくる。抑制されてはいるものの、力強い声と相まって心に染み入っていく。サンフォード議長とはまるで違う。

 

「第七管区司令部ビルの崩落は、単に一つのビルが破壊されたという以上の意味を持っている。我々の家族や友人が取り巻いた炎の中で生きながら焼かれていき、ビルの崩落に巻き込まれて生き埋めになったのだ」

 

 テレビで流れた司令部ビル崩落の映像の中で、どれほど多くの人が死んでいったかをトリューニヒトは強調した。今日一日でうんざりするほど繰り返し見せられた映像だ。嫌でも脳内にイメージが浮かび上がってくる。

 

「テロリストはこのような暴挙を行うことができるのか。誰かにとって大切な家族であり、友人である人々を殺すことに心の痛みを覚えなかったのか。なぜ、我々の家族や友人は殺されなければならなかったのか。そう思うたびに悔しさと悲しみが湧き上がってくる」

 

 トリューニヒトの問いかけに沈痛な思いがにじんでいるように聞こえて、うるっときてしまった。親しい人がテロの犠牲者になっていたら、泣いてしまっていたかもしれない。そう思われる名調子だ。

 

「テロリストは家族や友人を殺すことで、我々が恐れをなして屈服するとでも思っているのかもしれない。しかし、それはとんだ思い違いだ。愛する者を奪った相手に屈服する者がこの世のどこにいるというのだろうか。怒りや悲しみはあっても、恐怖するいわれなどない。我々を屈服させようというテロリストの企みは、既に失敗に終わっている」

 

 シンプルだけど正しい。俺だってダーシャやアンドリューを殺されたら悲しい。殺した奴の言うことなんか聞きたくない。

 

「我々は誇り高き自由の民だ。ゴールデンバウムのくびきですら、我々を縛ることはできなかった。まして、テロリストなどに何ができるというのか。暴力で我々を支配しようと言う者に屈してはならない。我々の父親、母親、兄、弟、姉、妹、友人、隣人を殺そうとする者を許してはならない。自由の砦、我らが祖国、自由惑星同盟に殺人者や脅迫者の居場所など、寸土たりとも存在しない」

 

 自分達が自由の民であることを強調する一方で、テロリストを殺人者、脅迫者と断じるトリューニヒトの口調は、やや熱を帯びてきている。いつの間にか、彼の目も強い輝きを放っていた。一言一句足りとも聞き逃すまいと、画面を食い入るように見詰めた。

 

「暴力への抵抗。それは自由の本質である。アーレ・ハイネセンが長征一万光年の旅に出発してから三三二年にわたって、自由と暴力の戦いは続いてきた。暴力でビルを打ち砕くことはできても、我々の精神を打ち砕くことはできない。それは歴史が証明している。自由とそれを求める意思より強いものはないのだ」

 

 さらに言葉に熱がこもった。トリューニヒトはテロリストとの戦いは自由と暴力の戦いなのだと強い調子で語る。彼の言葉を聞いていると、まるで自分も強くなったような気分になってくる。

 

「我々の力を祖国の旗のもとに結集しよう。自由を守るために戦おう。家族や友人が暴力に脅かされることのない世界のために」

 

 トリューニヒトが顔を紅潮させて、大きく力強い美声で戦いを呼びかけると、議場は大きな拍手に包まれた。ほとんどの議員は与党反主流派のトリューニヒトに非好意的なのに、それでも心からの拍手を送らざるを得ない。議員たちの気持ちは良く分かる。内容よりも何よりも彼の演説は耳に心地良い。一種の音楽みたいなものだ。いつもの気さくなトリューニヒトも魅力的だけど、演説をしている時のトリューニヒトも魅力的だった。

 

 同盟議会は最高評議会議長への非常指揮権付与、対テロ臨時予算案を反戦市民連合を除く全会派の賛成で可決。これはトリューニヒトの名演説とは関係ないだろう。与党第二党で反戦派最大勢力の進歩党が反対の意思表示をしなかった時点で趨勢は決まっていた。

 

 テロの続報は気になるが、さすがにそろそろ寝ないとまずい。もう四〇時間以上も起きているのだ。テレビを消そうとすると、ニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。ぼんやりする頭でテロップを見る。

 

『二三時頃、帝国軍艦隊がイゼルローン回廊からティアマト星系に侵入』

 

 指揮通信機能が集中している司令部ビルが完全に破壊されたことによって、エルゴン星系からイゼルローン星系に至る辺境星系の警備を統括する第七方面管区の機能は著しく弱体化した。司令官も未だ生死不明のままだ。副司令官を兼ねる巡視艦隊司令官ホールマン少将はエル・ファシルの動乱収拾にあたっていて、すぐには動けない。ティアマト星系に侵入した敵艦隊の数は不明であるが、組織的な抵抗は困難だろう。まだまだ、自由惑星同盟の悪夢は終わりそうになかった。

 

 

 

 第七管区司令部陥落から二週間。三万隻を越える戦力を有する帝国軍はほとんど抵抗を受けずに進軍を続けたが、エルゴン星系で宇宙艦隊司令長官ロボス元帥率いる同盟軍三個艦隊と遭遇した。エルゴン星系を攻略されたら、イゼルローン側の辺境星系は戦わずして帝国の手に落ちるだろう。ロボス元帥の判断ミスから敵の左翼部隊の側面奇襲を受けて、一時は全軍潰走の危機に陥ったものの、第一〇艦隊司令官ウランフ中将の奮戦によって痛み分けに持ち込み、どうにか進軍を食い止めた。

 

 一方、一世紀ぶりの非常指揮権を手中にしたロイヤル・サンフォードのもと、同盟社会は対テロ総力戦体制に突入していった。軍の地上部隊と警察の治安警備部隊は総動員されて、政府施設、軍事基地、核融合発電所、エネルギー備蓄基地、通信センター、空港、ターミナル駅、大規模港湾といった重要施設の警備にあたった。すべての宇宙港は軍の統制下に置かれて、惑星間の航行は大きく制限されている。デマの蔓延を防ぐため、すべての通信手段は中央情報局の統制下に置かれることとなった。報道は所轄官庁である情報交通委員会の統制下に入っている。

 

 政府の措置は同盟憲章に定められた個人の権利を大きく制限するものであったが、テロリストによる方面管区司令部陥落と辺境星系失陥の危機という事態に衝撃を受けた市民はこれを受け入れた。

 

 同盟軍は一五〇年の長きに渡る対帝国戦争を通じて、社会の守護者というイメージを市民の意識に深く植え付けている。現在の社会で安住している大多数の者にとって、第七方面管区司令部ビルの崩壊は日常の崩壊だったのだ。対帝国戦争と不景気は強い閉塞感をもたらしていたが、日常が続くことを疑う者はいなかった。テロリストの攻撃は漠然と社会が共有していた秩序信仰に大きな一撃を加えたのである。

 

 秩序の敵であるテロリストを滅ぼさなければ、日常を取り戻すことはできない。そういう市民感情がテロリストへの報復を求める世論を急速に広げていった。テロにタイミングを合わせたかのような帝国軍の侵攻も追い風となった。低迷していたサンフォードの支持率は驚異的な高水準に跳ね上がった。

 

 メディアには右派論客の統一正義党代表マルタン・ラロシュ、愛国作家連盟専務理事エイロン・ドゥメックらが連日登場して、テロリストとそれに同情的な人々を激しく攻撃した。政治に無関心と見られていた有名人も競って愛国的な発言を行い、ネットはサンフォード支持とテロリスト糾弾の書き込みで埋め尽くされた。

 

 一方、政府に対して懐疑的な者、テロリストに同情的な者はたちまち吊し上げにあった。テロの六日後に政府の強権化を憂慮する共同声明を出した反戦派作家二十四名は世論の批判を浴びて、声明撤回に追い込まれている。

 

 警察と情報機関の総力を上げた捜査にもかかわらず、同盟社会の憎悪を一身に集めるテロリストの正体は未だ判明していない。テロ組織のエル・ファシル解放運動や宇宙海賊のヴィリー・ヒルパート・グループと関係していることは明らかだったが、どちらの線からも有力な情報は得られなかった。

 

 具体的な犯人を求める世論に応えるように、マスコミは、亡命者、新興宗教、退役軍人といったイメージの悪い社会的少数者、各惑星の自治権拡大を求める分権主義者、各星系共和国において同盟からの離脱を唱える分離主義者といった反体制派などが事件に関与しているかのような報道を繰り返していた。

 

 久々にハイネセンの土を踏んだ時、かつてのように英雄に祭り上げられて、反テロ宣伝に利用されるんじゃないかと身構えていた。しかし、第七方面管区司令部陥落とそれに続く帝国軍侵攻、対テロ総力戦争という大きな渦の中では、俺がエル・ファシルで立てた功績はちっぽけなものだった。現在の英雄はテロとの戦いを指揮するサンフォード議長、オピニオンリーダーにのし上がったラロシュやドゥメックらであって、他の英雄は必要とされていなかった。

 

 英雄にこそならなかったものの、軍はエル・ファシル動乱で活躍した者の功績を正当に評価してくれている。アーロン・ビューフォート大佐は念願の准将、俺とフョードル・パトリチェフ中佐は大佐への昇進を果たして、勲章も獲得した。駆逐隊首席幕僚スラット、駆逐隊情報幕僚メイヤー、臨時保安参謀長イェレン、臨時保安司令官副官コレットらあまり頼りにならなかった部下達もみんな一階級ずつ昇進した。ダーシャ・ブレツェリ中佐は勲章のみで昇進はしていない。

 

「ジェネラル・テレビジョンが地球教に名誉毀損で訴えられたって」

 

 ベッドに潜っている俺の隣でダーシャは携帯端末をいじっていた。たぶん、ネットニュースを見たのだろう。ジェネラル・テレビジョンは特にひどい飛ばし報道をしている。訴えられたとしたら、いい気味だ。

 

「へえ、何やらかしたの?」

「脱会トラブルを扱った番組の最後に、第七方面管区司令部ビルの崩落映像に『地球は我が故郷、地球を我が手に』ってテロップを付けた映像を挿入したみたい」

「ああ、今の情勢でそれやったらアウトだよね」

 

 今はテロリストと繋がりがあると思われるだけで、社会生命が絶たれかねない。エル・ファシル解放運動を二〇年前に脱退して組織と完全に縁を切った元幹部が経営する会社が、テロの二日後にすべての取引先から取引停止を告げられるという事件も起きている。訴訟を起こすという地球教の対応は妥当だろう。

 

「これ凄いよ。エリューセラ民主軍が例のテロへの支持を撤回」

「ジュニアスクールの卒業式の会場にゼッフル粒子をばらまいて、二〇〇人の児童もろとも市長を爆殺したような連中が世論を気にするなんて。ほんと、凄いことになってるね」

 

 同盟のテロリストにとって、地方の治安を統括する方面管区司令部は憎たらしい存在だ。テロで陥落したら、両手をあげて歓迎するはずだと思ってた。しかし、実際はほとんどの組織が黙殺、あるいは不支持を表明している。支持を表明した組織も次々と撤回していた。あまりの非道ぶりに「全人類の敵」と言われたエリューセラ民主軍まで支持撤回に追い込まれる空気が恐ろしくなる。

 

「凄いことというか、怖いことって言ったほうがいいかな」

「怖い?」

「いや、だって。社会全体があのテロリストを憎まないといけないって流れじゃん。ちょっとでも同情的なことを言うと、袋叩きにされるでしょ。エリューセラ民主軍まで空気に流されてるのが怖いよ」

 

 前の人生で俺が捕虜交換から帰った時のことは忘れられない。帝国領侵攻で空前の大敗を喫して正規艦隊主力を失ったことに衝撃を受けた人々は、団結を強めなければ帝国に滅ぼされると信じ込んだ。過激な反帝国発言や愛国発言がもてはやされ、団結を乱す非国民とみなされた者への迫害は苛烈を極めた。エル・ファシルで市民を見捨てて逃げたという汚名を背負った俺は格好の迫害の対象だった。

 

 しかし、最初からすべての人が俺を迫害したわけではない。俺が故郷に戻って間もない頃は、同情を示す人も少しはいたが、嫌がらせにあって同情を示すのをやめていった。一番熱心に弁護してくれた姉のニコールは、右腕を骨折して入院した日から、俺を視界に入れるのも嫌がるようになった。今の空気はあの頃の空気と似ている。

 

「意外ね。エリヤは空気に流されるのが怖くないタイプだと思ってた」

「荒んだ空気に流されるのは嫌だよ」

 

 前の人生で経験したことなんて、話せるわけもない。正直な話、前の人生の記憶がだいぶ邪魔に感じてきていた。嘘がない関係を誰とも築けないというのは、とても寂しかった。特にダーシャのような素直な相手には、申し訳なく感じてしまう。

 

「可愛いなあ、もう」

 

 ダーシャは笑って俺の髪をくしゃっと撫でた。今のセリフのどこが可愛いんだろうか。なんか恥ずかしくなってしまう。

 

「さ、そろそろ行かなきゃ。準備しよう」

 

 照れているのがばれる前に無理やり話題を変えて、ベッドから上体を起こして背を向ける。今日はエル・ファシルからハイネセンに戻ってから、宇宙艦隊総司令部付の肩書きで待機していた俺達が新しい辞令を受ける日なのだ。

 

「えー、まだ早いじゃん」

「軍隊は十分前行動です。定時ギリギリは遅刻だよ」

「もうちょっとのんびりしようよ」

 

 ダーシャは甘ったるい声でそう言うと、背後から俺の首に両腕を回して、グッと体重をかけて引っ張ってきた。ちょっとだけ心が動いたが、気を取り直して立ち上がる。彼女の腕は俺の首からするっと離れていった。

 

「はい、早く着替えてね」

 

 クローゼットを開けた俺は、ダーシャの軍服と下着を手早く取り出して、ベッドに放り投げた。それから、自分の軍服と下着を取り出して手早く着用する。今日でこんな朝も終わりかと思うと少し寂しいが、仕事だから仕方がない。

 

 市民の怒りはテロリストだけでなく、宇宙海賊にも向けられていた。もともと、宇宙海賊は市民に憎まれている。星間国家にとって、各惑星を結ぶ流通路は生命線だ。近年の同盟では宇宙海賊の活動が活発化して、星間流通の停滞を引き起こした。民間船の警備コスト、高額な航路保険料などの安全保障費用が物価を押し上げた。生活を圧迫する宇宙海賊への怒りは日増しに高まっていたが、先日のテロにエル・ファシルの海賊組織が協力していたことで頂点に達した。

 

 クブルスリー中将率いる第一艦隊がフェザーン方面航路に治安出動することはだいぶ前から決まっていたが、世論の後押しを受けてイゼルローン方面航路にも正規艦隊が出動されることが決定した。二方面の海賊を一挙に掃討しようという一大治安回復作戦だ。

 

 テロリスト、そして宇宙海賊。七九五年後半期の同盟軍は治安を脅かす内なる敵との戦いに全力を尽くすことになる。俺とダーシャ、ビューフォート准将はイゼルローン方面に出動する艦隊に転属することが決まっていた。


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