銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十九話:ダーシャと一緒に歩く因縁の街 宇宙暦795年5月初旬 エル・ファシル市

 俺が最後に惑星エル・ファシルに降り立ったのは、四年前の秋のことである。衛星軌道上から三個艦隊が浴びせかける艦砲射撃、航空部隊による爆撃、八〇万の地上軍部隊によるしらみ潰しの掃討攻撃によって、エル・ファシルを守る帝国軍地上部隊が壊滅状態に陥った後、その司令官であるミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将に儀礼的な降伏勧告を行う目的で、半壊したエル・ファシル星系政庁に赴いた。丁重に降伏を拒絶した後に部下と国歌を唱和して、ジーク・カイザーを叫びながら爆炎の中に消えていった闘将と、お飾りの義勇旅団長だった自分の身を引き比べた時に感じた惨めな思いは今でも忘れられない。

 

「勉強していたつもりだったけど、思っていたよりずっと酷いね…」

「あれから、四年も経っているのに」

 

 俺と一緒にエル・ファシルに赴任したダーシャ・ブレツェリは、市街地の惨状に唖然としていた。今もなお壊れたまま放置されているビル、昼間だと言うのにシャッターが閉まったままの商店、ひび割れが酷い道路、生気のかけらも感じられない通行人。かつてこの惑星を襲った戦火の痛手は、今もなお癒えていない。前の人生で見た同盟滅亡後のハイネセンを思い出す。

 

「七年前はどうだったの?」

「こういう言い方は変だけど、人が生きている感じのする街だったね」

「そっか…」

 

 七年前にリンチ司令官の逃亡に憤り、俺の記者会見に賞賛を送り、ヤン・ウェンリーの指揮にてきぱきと従って奇跡の脱出作戦を成し遂げた人々の面影は、目の前の荒廃した街には残っていない。三年間の疎開生活、戦火で破壊された故郷、復興事業の停滞がエル・ファシル住民の心を打ち砕いてしまったように見える。

 

「わかったろ、俺は英雄なんかじゃない。その本が書いてることが正しい」

 

 その本とは、ダーシャが手にしている『検証-エル・ファシルの英雄は誰を助けたか』の文庫版。士官学校時代には風紀委員として、権力批判の書籍を持ち込もうとする有害図書愛好会のダスティ・アッテンボローやヤン・ウェンリーと争った彼女だったが、意外なことに政治信条はきわめてリベラルだった。反戦派ジャーナリストの中で最もラディカルと言われ、有害図書問題や士官学校の首席争いで激しく衝突した宿敵ダスティ・アッテンボローの父でもあるパトリックの本の愛読者である。リベラルな彼女が有害図書愛好会を敵視した理由は、「ルールはルールだし、あいつらのひねくれた根性が気に食わないから」だそうだ。

 

「エリヤは悪くないよ」

「悪くなくても、ろくなものじゃないよ。誰の力にもなれなかった英雄なんてね」

「次に頑張ればいいよ。帳尻なんて、後から合わせればいいの」

「そうかな」

「私は颯爽とした英雄エリヤ・フィリップスより、真面目で不器用なあなたの方がずっと好きだよ」

 

 にっこりと笑うダーシャにドキッとして息が止まりそうになった。こういう不意打ちがあるから、本当に油断ならない。

 

「なに赤くなってるのさ。本当に可愛いなあ、もう」

 

 君の方が可愛いだろ、と内心で思ったけど、照れくさくて口には出せない。ごまかすために話題を強引に転換する。

 

「君の友達の陸戦部隊の子って、エル・ファシル奪還戦に参加してたんでしょ?何か聞かなかったの?」

「あの子、仕事の話はしないからねー。エリヤみたいな仕事人間とは違うから」

「どうせ、俺はつまんない奴ですよ」

「エリヤが可愛いって話ばかりしてたよ」

 

 ごまかすつもりが藪蛇を突付いてしまった。ダーシャはもともと、メディアの中の英雄エリヤ・フィリップスを爽やかすぎて嘘臭いと嫌っていた。「陸戦部隊の子」はそんなダーシャが俺のファンになるきっかけを作った人物なのだそうだ。女性なのに陸戦隊員でしかも俺の熱烈なファンだなんて、よほど変わり者に違いない。そんな奴には関わらないに限る。

 

「海賊退治がうまくいったら、エル・ファシルの人達の力にちょっとはなれるかな」

「なれるよ、きっと」

 

 エル・ファシル星系の首星である惑星エル・ファシルは宇宙暦七八八年に帝国に占領されて、七九一年の奪還戦で焦土と化した。インフラは完全に破壊され、主要産業だった農業と林業は壊滅状態に陥った。

 

 二大政党の改革市民同盟と進歩党がいずれも緊縮財政と公共事業縮小を推進していたために、十分な復興予算が付かなかったことがエル・ファシルの復興を遅らせた。税収減によって財政難に陥ったエル・ファシル星系政府は、地方財政健全化を推進する地域社会開発委員会の勧告を受け、公債発行額を抑えて予算規模を縮小しようと試みた。その結果、地方税の引き上げ、警察官を含む公務員の解雇、福祉予算の削減、公共施設の売却などが実施され、エル・ファシル星系の経済と治安は完全に崩壊した。

 

 GDPは占領前の八割にも満たず、失業率は全国でも最悪の一九パーセントに達した。わずかな求人も大半が同盟最低賃金ぎりぎりで、生計を立てていくには厳しい。職を求めてエル・ファシルを離れる者が相次ぎ、占領前に三〇〇万を数えた人口は二五〇万まで減少している。犯罪率は占領前より倍増して、反比例するように検挙率は急落した。多重債務、家庭崩壊、薬物乱用、アルコール中毒などの社会問題が深刻化。麻薬密売業者、人身売買業者、臓器売買業者、違法賭博業者、売春斡旋業者、詐欺師といった犯罪者が希望を失ったエル・ファシルの住民を食い物にしようと群がった。宗教団体、反体制組織なども急速に支持を広げている。そんなカオスの中、宇宙海賊がエル・ファシル方面航路での活動を活発化させていた。

 

 宇宙海賊とは数隻から数十隻の編隊を組んで、星間航路を通行する貨物船や旅客船を襲撃して略奪を行う非合法武装集団だ。乗っ取った艦船の売却、奪った積み荷の売却、人質の身代金などを主な収入源にしており、違法品の密輸や麻薬密売を兼業することもある。シンジケートを結成して組織的に海賊行為をはたらく者もいれば、血縁者や友人知人などの縁で結ばれた海賊もいる。反体制組織、民間警備会社などが資金集めに海賊行為に乗り出すケースも少なくない。元航宙士、退役軍人、元技術者といった専門家が中核を成しており、同盟軍正規艦隊にひけをとらない練度を有する海賊集団も存在するという。

 

 自由惑星同盟の国防委員会が毎年発行する国防白書では、帝国軍と宇宙海賊が二大仮想敵とされている。経済の生命線とも言える星間航路の安全は、星間国家にとっては死活問題であった。宇宙海賊との戦いは警戒活動がメインで、戦闘が発生しても両軍合わせて数十隻から数百隻の規模に留まる。数万隻の大艦隊同士が衝突する対帝国戦争と比較すると、世間の注目度は格段に低い。しかし、海賊から星間航路を警備する巡視艦隊や警備艦隊の合計人員は、対帝国戦に従事する正規艦隊の合計人員より多かった。

 

 エル・ファシル星系で活動する海賊集団の総勢力は艦艇約千六百隻、構成員は戦闘要員と支援要員を合わせて約二十万人と見積もられる。一方、エル・ファシル星系警備艦隊の総戦力は艦艇六四三隻、将兵七万八〇〇〇人。単純な数では警備艦隊が劣勢だが、すべての海賊集団が団結して立ち向かってくることは有り得ない。広大なエル・ファシル星系全体に数隻から数十隻単位の小集団で活動している海賊を、一二〇隻前後の群や三〇隻前後の隊に分かれて掃討するのが警備艦隊の任務となる。

 

「七年前にエル・ファシル警備艦隊で勤務していた時は一等兵だった。リンチ司令官の旗艦で補給員をしてた。それが今や駆逐艦三三隻を指揮する中佐の駆逐隊司令。我ながら信じられないよ」

「二七歳で中佐って士官学校上位と同じぐらい早いもんね」

 

 今の俺の肩書きはエル・ファシル警備艦隊第二九九駆逐群所属の第一三六七駆逐隊司令。普通の士官学校卒業者は三五歳前後、下士官からの叩き上げはよほど優秀な人が五十を過ぎてから就任するようなポストだ。第二九九駆逐群副司令を兼ねているから、普通の駆逐隊司令よりやや格が高い。ちなみにダーシャは中佐に昇進して、エル・ファシル警備艦隊第一八七巡航群所属の巡航艦「ノヴァ・ゴリツァ」艦長の辞令を受けている。

 

「やっぱ、エリートに見えるのかな」

「あれ、まだ気にしてるの?」

「まあね。ずっと、自分が非エリートだと思ってたから」

 

 あれというのは、エル・ファシルに向かう船の中で起きたちょっとした事件のことだ。泥酔した中年の曹長に絡まれて、「士官学校のエリート様には、俺らの気持ちなんかわかんねえよ」と言われて、半日ほどへこんでいた。前の人生では一等兵より高い階級に昇進できなかったし、下士官や古参兵にさんざんこき使われた。その経験が染み付いてるせいで、自分が下っ端に思えてならない。

 

「エリヤを士官学校卒って勘違いしてる人多いからね」

「どうしてなのかなあ」

「勉強家で体を動かすのも好き。真面目で人当たりがいい。士官学校でいい成績取るタイプ」

「勉強嫌いだったし、運動も苦手だったよ。付き合いも悪かった」

「それ、何年前の話?」

 

 今の人生が始まったのは七年前だった。しかし、公式にはハイスクールを出るまでってことになるのかな。

 

「一〇年前」

「いい加減、そんな昔のことは忘れなよ」

 

 ばっさり切り捨てられてしまった。前の人生のことを覚えているのは俺だけだ。長年にわたって植え付けられた負の自己評価を払拭するのは難しい。秘密を持っているのがこんなに辛いこととは思わなかった。どうせ人生をやり直すなら、過去の記憶は消して欲しかった。そうしたら、素直に自分を好きになれたかもしれない。

 

「忘れられないよ。過去に戻って変えるわけにもいかないだろ」

「私は覚えてないから」

「なんだよ、それ」

「過去のエリヤがどんな子だったかは知らないってこと」

「関係ないだろ」

 

 ダーシャが知ってるか知らないかじゃなくて、俺が知ってることが問題なんだ。俺自身の問題なんだから。

 

「前に見せたジュニアスクール時代の写真、覚えてるよね」

「ああ、あの写真ね」

「成績表も見せたよね」

「覚えてるよ」

 

 写真の中のダーシャは本当に太っていて、ださい服装と髪型も相まってとても不格好に見えた。成績表もかなり悪く、俺よりちょっとマシ程度だった。今とは全然違っていて、本当に驚いたものだ。

 

「私のこと、馬鹿で不細工って思う?」

「そんなわけないじゃん。どっからどう見ても秀才で…、」

「で?」

「か、可愛い…」

「でも、昔は馬鹿で不細工だったよ?」

 

 いきなり、何を言い出してるんだろうか。昔のことなんて関係ない。あったとしても、むしろ誇るべきことじゃないか。彼女の努力に尊敬の念を感じても、馬鹿だの不細工だのとは思わない。

 

「関係ないよ。頑張って今のようになったんでしょ。生まれつき頭良くて可愛い子より凄いよ。あれ見た時、ダーシャには敵わないって思った」

「そういうこと。もともとはできない子だったエリヤも十年かけて、士官学校の秀才にひけを取らないレベルまで来たんだよ。だから、私としては素直に尊敬させてほしいんだけど」

 

 本当にダーシャには口で勝てる気がしない。いや、俺が口で勝てる相手なんて、この世にはいないか。

 

「指揮官やるんなら、そのエリートっぽい見た目を生かした方がいいよ。他人を見て合わせるだけじゃなくて、自分をどう見せるかも考えなきゃ」

「そうなのかなあ」

「ファッションって自分の見せ方なんだよね。それを意識して欲しかったから、ちゃんとした服を買えってうるさく言ったのよ」

 

 ファッション好きのダーシャがうるさく言ってたのは、俺のださい私服に我慢ならなかったからとばかり思っていた。自分の見せ方を考えろって意味があったとは思わなかった。

 

「ありがと。考えてみる」

 

 そう答えると、ダーシャは優しげに微笑んだ。彼女は感情表現が本当に豊かだ。笑顔だけでも一〇パターン以上あって、眺めているだけでも飽きない。特に話したいことがなくても、適当に話題を振ってどんな表情をするのか見たくなる。

 

 エル・ファシルに向かう船ではずっと彼女の客室にいて、二人で取り留めのない話をしていた。たまに話が途切れることもあったけど、それはそれで面白かった。シャワーを浴びる時もベッドに入る時もずっと一緒だった。これほど同じ人とべったりしてたのは人生で初めてだと思う。アルマと仲が良かった頃は結構べたべたしてたけど、五歳も年が離れてたからずっと一緒ってわけにはいかなかったし。

 

 

 

「はい、着きました」

 

 ダーシャに言われて、俺達が第二九九駆逐群の本部に着いたことに気づいた。彼女と話していると、本当に時間を忘れてしまう。第一八七巡航群の本部に向かう彼女と手を振って別れると、中に入って受付の女性にアポイントメントを取っていたことを伝える。しばらくして副官がやってきて、俺を群司令室まで案内した。

 

「エリヤ・フィリップス中佐、只今着任いたしました」

「うん、良く来たね」

 

 第二九九駆逐群司令アーロン・ビューフォート大佐は生粋の駆逐艦乗りだ。駆逐艦長や駆逐隊司令を歴任して、駆逐群司令に先日就任した。これといった武勲はないが、長年航路保安に従事して、豊富な対海賊戦闘の経験を持つベテランだ。今年で四七歳になるが、五年は若く見える。日に焼けたような浅黒い肌に黒っぽい髪。身長は低いものの体は引き締まっている。表情は活き活きとしていて、全身に活力がみなぎっているような印象を受けた。

 

「お久しぶりです。まさか、エル・ファシルで再会するとは思いませんでした」

「あの時の坊やがこんなに大きくなるとは思わなかった」

「とっくに成人してたんですけどね」

「ソリビジョンで見て知ったよ。悪いこと言っちゃったなあって思ってたけど、また会えて良かった」

 

 七年前にエル・ファシルから脱出した時、当時少佐だった彼は脱出船団の旗艦マーファの艦長を務めていた。イラッとして突っかかった俺の無礼を咎めないで、艦長の仕事の難しさを語って聞かせてくれた。自分の大人気なさが恥ずかしくなって、泣き出してしまったのも懐かしい思い出だ。大人というのがビューフォート大佐に抱いたイメージだった。

 

「あの時の優しい艦長さんの副司令を務めることになるなんて、夢にも思いませんでした」

「私もあの時の可愛らしい坊やが自分の補佐役になるなんて、夢にも思わなかった」

 

 口を大きく開けて、真っ白な歯をむき出しにして笑うビューフォート大佐につられて笑ってしまった。

 

「あれから七年、本当に長かったですよ。エル・ファシルに戻ってきて、あなたとまた会えました。生きていて良かったです」

「相変わらず、君は大袈裟だね」

「実際、三回ほど死にかけましたよ」

「ああ、二月のティアマト会戦では、第一一艦隊の旗艦が撃沈される寸前だったよね」

「ええ。あれからもう三ヶ月が過ぎました」

 

 あの時は味方艦の爆発の衝撃で揺れた旗艦ヴァントーズの床に倒れこんで、震えて起き上がれなくなっていた。第九艦隊が来なければ、確実に死んでいただろう。こうしてビューフォート大佐と話していると、生きている喜びがふつふつと沸き上がってくる。

 

「ま、見ての通り、私はただのおっさんだ。大した能はないけど、年食ってるおかげでちょっとは経験がある。わからないことがあったら、気兼ねしないで聞いてね」

「これからもご指導お願いします」

「偉そうなこと言っちゃったけど、私も先日着任したばかりなんだ。群司令の職も初めてでね。初めて同士、一緒に部隊を作り上げていこうじゃないか」

「はい!」

 

 士官に任官してから四年。今回が初めての艦艇指揮となる。艦長経験もないのにいきなり三三隻もの駆逐艦を指揮することになったが、ベテランのビューフォート大佐の指導を受けられるのが幸いだった。三三隻の駆逐艦、一五五五人の将兵を統率していけるのか。不安と期待が俺の中で混じり合っていた。


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