銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十二話:経験の力、そして参謀にできること 宇宙暦795年2月18日 ティアマト星系、第十一艦隊旗艦ヴァンドーズ

 七九五年二月一八日一六時にティアマト星域で開始された戦闘は、きわめて平凡な形で推移した。横一列に並ぶ両軍の艦隊が距離を取りつつ、互いに砲戦を応酬している。どんな優れた用兵家でもいきなり奇策を使ってくるわけではない。最初は正攻法で仕掛けて、お互いの出方を伺いながら主導権確保に務める。提督と参謀にとっては様子見のつもりで仕掛けた攻撃でも、一瞬にして艦艇数十隻を破壊し、将兵数千人の命を奪うことができる。数千の砲撃が飛び交い、爆発とともに人命を奪っていく探り合いだ。

 

「こちら、第三分艦隊。一時方向と一〇時方向に敵部隊確認。司令部の判断請う」

「一時方向の敵は第二二戦隊、一〇時方向の敵には残りの全戦力を持って対応せよ」

「こちら、後方支援集団。第一一輸送群より、一一時方向より彗星出現との報告あり。司令部の判断請う」

「後方支援集団は速度を二〇パーセント緩めつつ、進路を二時方向に転換して回避行動を取れ」

 

 ドーソン中将は前線から飛び込んでくる様々な報告を聞いては、迅速に指示を下していく。戦闘が始まる前は想像もしていなかったほどの水際立った指揮ぶりに驚かされた。歴戦のビュコック提督やウランフ提督ともぴったり足並みが揃い、整然と火線を構築している。精鋭の同盟軍正規部隊であっても、指揮官に人を得なければ良い動きはできない。前の歴史における戦下手の評判とは、いったい何だったのだろうか。

 

 事前にどれだけ綿密な計画を立てても、実際に戦ってみないとわからないことは多い。戦闘中には一兵卒から提督に至るまでの全階層で偶発的な事故、不確実な情報や通信が引き起こす誤解、肉体的精神的疲労、思いもかけない感情的変化、とっさの判断の誤りといったトラブルに間断なく見舞われる。刻一刻と移り変わる戦況を確実に把握して、すべてに的確な対応をするのは、どんな名将であっても不可能だ。誤解と誤断の連続の中で生じた綻びが戦場を次なる段階へと導く。

 

 両軍は砲戦を交わしながら距離を詰めていき、遠距離戦闘から中距離戦闘の段階に移行していった。第十一艦隊旗艦ヴァントーズの司令室にあるメインスクリーンの中では、敵味方のビーム砲とミサイルが乱れ飛び、各艦のエネルギー中和磁場と強弱を競い合っている。砲火が集中して中和磁場が崩壊した艦は、白熱した火球となって真空に消えていく。敵艦より先に中和磁場をぶち破れるほどの砲火を叩き込めるか否かが生死を分ける。味方艦の爆発に巻き込まれてる艦、味方の誤射で破壊される艦も少なくはない。個艦レベルの運命は偶然に左右される部分が大きいのだ。ヴァントーズの周囲でも砲撃が飛び交い、数隻の味方艦が爆発してメインスクリーンを照らしだした。

 

「艦長、旗艦が前に出すぎている。天頂方向へ艦首を四〇度回頭の後、後退せよ」

 

 ドーソン中将はヴァントーズの艦長に後退を指示する。艦隊旗艦は指揮通信機能が充実している。撃沈されてしまえば、仮に司令官以下の全員が退避して健在な艦に司令部を移動できたとしても、指揮系統が著しく弱体化してしまう。しかし、後方に下がり過ぎると、戦況を把握できなくなってしまう。通信の阻害、不正確な報告、報告と状況変化の時間差などによって生じる情報の不完全性は、現在の技術をもってしても克服することができない。陣頭に立って自らの目で戦場を見渡して、五感をフルに働かせてはじめて、戦況の変化に対応できる。陣頭指揮と旗艦の安全の兼ね合いは本当に難しい。

 

 偉そうに解説をしている俺だが、決して暇なわけではない。戦闘中の参謀には命令文の起案、作成、伝達という大事な仕事がある。また、命令が実行されているか否かの確認を通じて、各部隊の状況把握に努める。進言を好まないドーソン中将の参謀であっても結構忙しいのだ。プロ意識の強い参謀の中には、書記官的な役割のみを求められることを潔しとしない者も多いが、それでも今はドーソン中将に命じられた仕事を粛々とこなしている。

 

「やあ」

 

 戦闘中とは思えないのんびりとした声に振り向くと、人事部長チュン・ウー・チェン大佐が俺の背後に立っていた。

 

「ご苦労様です」

「どうだい?」

「どうって、何がです?」

「初めての艦隊参謀。総司令部と艦隊司令部じゃ、仕事も全然違うからね。特に戦闘中の仕事は全然違う」

「思ったほど難しくなくて、拍子抜けしています。司令官閣下が正確な指示をくださるおかげですが」

 

 チュン大佐のような実力派参謀にとっては、ドーソン中将のやり方は面白くないかもしれない。しかし、経験が浅い俺には、ドーソン中将の有能さが頼もしく思えた。慣れない実戦指揮に取り乱していたセレブレッゼ中将とは正反対の頼れる指揮官だ。

 

「戦艦の艦長を二年間務めた他に実戦指揮経験がないのに、ここまでやれるとはね。参謀経験のおかげかな。参謀畑出身の指揮官は戦術能力が高い人が多いから。いい意味で意外だよ」

「長くお仕えしてきましたが、指揮なさったところは初めて見ました。参謀としての仕事ぶりは知っていましたが、指揮官もできるとは。あの方の優れた能力にはいつも驚かされます」

「私は君に驚かされているけどね」

「どういうことでしょう?」

「ドーソン提督をそんなに褒める人って君ぐらいだろう」

「今回の戦いで武勲を立てられたら、みんな褒めるようになりますよ」

 

 ドーソン中将の高い実務能力は誰もが知っている。しかし、どれほど有能であっても武勲がなければ、軍隊の中で尊敬されることはない。持っている武功勲章の数と軍人から受ける尊敬の度合いはほぼ比例する。武勲を立てて昇進したにも関わらず、希望の勲章を貰えずに落胆したという話も珍しくない。

 

 俺が子供っぽい容姿と浅い業務経験にも関わらず、滅多に舐められないのも、エル・ファシルやヴァンフリート四=二で獲得した勲章のおかげだ。特にエル・ファシル脱出作戦で与えられた最高勲章の自由戦士勲章の着用者は、階級に関係なく先に敬礼を受けられるという最高級の礼遇を受ける。ドーソン中将がこの戦いで武勲を立てたら、実力にふさわしい尊敬を受けるようになるはずだ。

 

「えらいね、君は」

「そうですか?」

「それだって、なかなか良く出来てる」

 

 チュン大佐が指したのは、俺の手元の端末に映っている先ほど送信した命令文の下書き。ひと仕事終えたところだから、チュン大佐のおしゃべりに付き合う余裕もある。ドーソン中将は仕事中の私語は好まないが、指揮に忙殺されているためにこちらに注意は向いていない。ウノ中佐らトリューニヒト派の参謀二、三人がこちらをちらっと見てるけど、何も言ってこないから問題はないだろう。

 

「第一艦隊にいた頃から、司令官閣下に手取り足取りご指導いただきましたから。憲兵司令部では副官も務めさせていただきました」

「私が君を指導していたら、ドーソン提督のように褒めてもらえたのかな。初めて、あの人が羨ましくなった」

「ところで大佐は今回の戦いにどんな見通しを持っておいでですか?」

 

 照れくささに耐え切れなくなって、話題を無理やり変えた。ハンス・ベッカー中佐に褒められても否定するなと言われてからは、あまり謙遜しないようにしている。それでも、やはりむずむずしてしまう。特にチュン大佐のような邪気がまったくない人に褒められた時は。

 

「敵軍の動きが良くないね。二ヶ月前のイゼルローン攻防戦で動かした精鋭を休ませてるのかな。皇帝の在位三〇周年記念なんて理由で、質の低い部隊を指揮させられるミュッケンベルガー元帥がかわいそうになる」

「勝てるでしょうか?」

「九〇パーセントってところかな。あの部隊の動き次第だ」

 

 チュン大佐が指差したのは、戦術スクリーンの右上方にいる一万隻にやや足りない敵部隊。現在はビュコック中将の第五艦隊と交戦している。

 

「ああ、なんか他の部隊より動きがいいですよね。今のところ、第五艦隊に押され気味なようですが」

「将兵の練度自体はそれほど高くない。指揮官が優秀なんだろう」

「戦術スクリーンだけでわかるんですか?」

「練度の高い部隊は敵が動いたら、指示を待たずに自分の判断で反応できる。しかし、この部隊は第五艦隊の動きに反応するまでのタイムラグがほんの少しだけある。指揮官の指示だけで動いている部隊だね」

 

 俺が戦術スクリーンの情報を見ても、動きが良いぐらいしかわからなかった。しかし、チュン大佐は敵の練度と指揮官の能力まで読んでいる。これほどの実力差を見せつけられると、感動すら覚える。

 

「第五艦隊の前衛はホーランド少将の分艦隊。指揮官も将兵も我が軍では最優秀。そんな相手と指揮能力だけで渡り合ってる。目が離せないよ」

「押されてるんじゃないんですか?」

「あの部隊とホーランド少将の部隊は一時間ほど戦ってるけど、ずっと一定の距離を保っている。距離を空けながら戦ってるね。接近戦では練度の差が露骨に出る。それにホーランド少将は接近戦が得意だ。敵の指揮官は接近戦に持ちこまれないように戦っている。老練というべきだろう」

 

 帝国軍の中将は一万隻前後の艦隊を指揮する。ラインハルトはイゼルローン攻防戦の武勲で確実に中将に昇進しているはずだろう。あの部隊の指揮官がラインハルトだとすると、何か仕掛けてくる可能性が高い。前の歴史の第三次ティアマト会戦でもホーランドを引っ掛けて、同盟軍を敗北寸前まで追い込んだ。

 

「負ける可能性はありませんか?」

「私が気づくぐらいだ。ビュコック提督とモンシャルマン参謀長もとっくに気づいてるさ。それに…」

 

 チュン大佐は戦術スクリーンを再び指差す。ドーソン中将の第一一艦隊とウランフ中将の第九艦隊。いずれも有利に戦いを進めている。

 

「こちらの敵は崩れかけている。あの部隊だけが奮戦しても、他の部隊が負けたらそれまで。逃げるしかない」

「しかし、昨年のイゼルローン攻防戦では、敵の一個分艦隊に戦況を覆されてしまいました。用心した方がよろしいのではないでしょうか」

 

 昨年のイゼルローン攻防戦では、完璧だったはずの作戦がラインハルトの天才に覆されて、三万隻が二〇〇〇隻に翻弄された。どんな戦況であっても、敵にラインハルトがいる可能性がある限りは不安になる。それだけのインパクトがあの戦いにはあった。統合作戦本部の研究チームが講じた奇襲対策はあるし、隙を見せなければ負けはしないと思う。それでも不安を拭い去れない。

 

「さっき、私は九〇パーセント勝てるって言ったね?」

「はい」

「残りの一〇パーセントがあるとしたら、あの部隊がうちの艦隊に向かって来た場合。ドーソン提督の指揮ぶりはなかなかだが、ビュコック提督とウランフ提督と比べると経験が少ない。やはり、我が軍の弱点はうちの艦隊ということになる。参謀経験豊富なだけあって、ドーソン提督の戦術能力は高い。だけど、偶然を味方につける能力は経験を積まないと身につかない。老練なあの部隊の指揮官と直接戦ったら、何が起きるかわからない」

「偶然を味方につける能力、ですか?」

 

 ヴァンフリート四=二基地の戦いの後、クリスチアン大佐に聞いた言葉を思い出す。

 

『戦場を動かしているのは理屈ではなくて偶然だぞ?偶然に対処する能力が実力で、偶然を味方につける能力が運だ。貴官と戦った相手はローゼンリッターを一瞬で倒すほど強かったのだろう?よほど激しい戦いを生き抜いた猛者のはずだ。ならば、偶然を味方につけるぐらいはしてのける。そうでなければ、そこまで強くなる前に死んでいる』

 

 偶然を味方につける能力。それがラインハルトと俺の勝敗を分けた。エリート参謀のチュン大佐が叩き上げのクリスチアン大佐と同じ言葉を口にしたことに驚いた。

 

「そう。戦いの中には何度も転換点がある。そして、その転換点は偶然やってくるんだ。戦場は偶然の連続だからね。経験を積めば、どの偶然が勝利につながる転換点になりうるのかがわかるようになる。普通は勝機に見えないような偶然でも、ベテランには勝機に見える。多くの戦いを経験して、偶然を知り尽くしたベテランのみが持つ能力さ」

「運とは違うんですか?」

「傍から見れば、運に見えるかもしれないね。しかし、経験が浅い者には見えない運だ。経験を積んで初めて、勝ちにつながる運だと理解できる。それが経験の強さだよ」

 

 要するにチャンスを見抜く能力なのか。多くの戦場を経験して、無数のチャンスを掴んだり逃したりして身につけた眼力。ヴァンフリート四=二基地の時も戦い慣れてない相手なら、銃を向けられただけで諦めてしまっただろう。戦い慣れていたラインハルトは、すぐに撃たなかった俺のミスを利用して、奇襲を仕掛けて逆転に成功した。同じようなことが第一一艦隊に起きたら、とんでもないことになる。

 

「仮にあの部隊と第一一艦隊が衝突した場合、チュン大佐ならどうすれば勝てるとお考えですか?」

「わからない」

「え?」

「戦場に身を置いている指揮官にしかわからない感覚というものがあるんだよ。一歩引いて見詰めている参謀には、戦場で起きる偶然の流れをつかめない。ビュコック提督ぐらいの経験があっても、参謀の立場ではできない。参謀にできることがあるとしたら、衝突させない策を講じる。衝突したらなるべく早く手を引かせる。敵が偶然の中から勝機を拾い上げる前にね」

 

 要するにラインハルトかもしれないあの指揮官とドーソン中将を戦わせるなってことか。チュン大佐はラインハルトの天才ぶりを知らない。それなのに戦術スクリーンから得た情報だけで戦うべきでないと判断した。俺が前の人生で得た知識より、チュン大佐が参謀として身につけた能力のほうがよほど正確な答えを出せる。やはり、今の俺には能力が足りない。

 

「勉強になりました。ありがとうございます」

「心配はいらないと思うがね。こちらに向かおうにも、ビュコック提督率いる第五艦隊を振りきるのは難しいだろう。それに老練な指揮官なら、引き際も知っている」

「でも、やっぱり心配なんですよ。司令官閣下は優れた方なんですが、いまいち頼りないところがあって。だから、支え甲斐もあるのですが」

「よほど、君はドーソン提督が好きらしいね」

「いや、まあいろいろとお世話になりましたから」

 

 チュン大佐はニコッと笑うと、ズボンのポケットからサンドイッチを取り出して食べ始めた。ビニールに入っていないむき出しのサンドイッチをそのままポケットに突っ込んでいたのだ。まあ、この程度なら今さら驚くことではない。

 

「私も君には世話になった。これが毎日食べられるのも君のおかげだ。君がいなければ、ハイネセンに帰るまでチャーリーおじさんの店のパンにありつけないところだった」

「いえ、感謝には及びません。大佐にブルーベリージャムのマフィンを買っていただきましたから」

「対応策を考えておくよ」

「えっ?」

「私はあまり心配していないが、君は心配なんだろう?戦闘中の人事部は他の部ほど忙しくない。君の心配を軽くするぐらいの暇はある」

「い、いいんですか!?」

「あまりあてにされても困るけどね。この状況からあの部隊がどうやって第五艦隊を振りきって、うちの艦隊に向かってくるかはわからない。私はリン・パオやアッシュビーじゃないからね。衝突した場合に素早く手を引く方法を考えよう」

 

 夕食のメニューを考えるかのようなのんびりした口調でそう言うと、チュン大佐は俺から離れてデスクに戻っていく。

 

 参謀は想定される問題に優先順位を付けて、高い順から対策を講じる。理論と計算を積み重ねて仕事をする参謀は、優先順位の低い可能性への対策を後回しにする傾向が強い。策を練る時間は有限だからだ。たまたま手が空いていたチュン大佐が、自分でも優先順位が低いと思っている可能性への対策を講じてくれるというのは望外の幸運といえる。最悪の結果は避けられるかもしれない。しかし、ここであることに気づいた。

 

 チュン大佐は人事参謀、俺は後方参謀。どちらも作戦に関する権限は持っていない。作戦部にはドーソン中将と話せる参謀がいない。参謀長と副参謀長はどちらもドーソン中将と不仲だから、彼らを通して進言することもできない。それ以前にドーソン中将は参謀の提案を聞き入れるつもりがない。俺のようにドーソン中将と話せる参謀でも、提案が聞き入れられることはない。そもそも、俺やウノ中佐らは手足として重用されているのであって、ブレーンとしては期待されていないのだ。

 

 これではチュン大佐が策を考えついても、ドーソン中将に聞き入れさせることができない。あのチュン大佐が可能性が低いと言ってるから、策が必要になる可能性は低いとは思う。それでも、やっぱり不安になる。あの部隊の指揮官がラインハルトであれば、武勲目当てに何らかの手で第五艦隊を振り切って第一一艦隊に突っ込んできかねない。そうなれば、ドーソン中将は実戦ができないという評判を払拭できない。どうすればいいんだろうか。

 

 途方に暮れながら、デスクの上を見るとぐしゃぐしゃになったサンドイッチが置いてあった。ベーコンレタストマトサンドイッチだ。チュン大佐はトマトを食べられない。おそらく、俺のためにポケットに入れて持ってきて、気づかないうちにデスクに置いてくれたんだろう。腹ごしらえをしながら、チュン大佐の策を活かす方法を考えていた。


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