銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十九話:獅子の獅子による獅子のための戦争 宇宙暦794年12月上旬 イゼルローン回廊、イゼルローン遠征軍総旗艦アイアース

 宇宙暦七九四年一一月一九日の戦闘で大きな損害を被ったラインハルト分艦隊が前線から退くと、戦況は再び同盟軍に傾いた。連日のように局地戦で勝利を重ね、前線をイゼルローン要塞に向けて押し出していく。もともと戦力が少ない帝国軍の不利は覆し難く、次第に抵抗も弱まっていった。

 前哨戦における帝国軍の目的は、要塞前面に決戦までに同盟軍を少しでも疲弊させておくことにある。イゼルローン要塞を巡る攻防において決定的な役割を果たすのは要塞主砲トゥールハンマーであって、艦隊戦力ではない。

 

 艦隊戦の勝敗にこだわる必要がない帝国軍は後退を重ね、一二月一日には同盟軍はイゼルローン要塞の前面に到達した。司令室のメインスクリーンには、青く輝くイゼルローン要塞とそれを取り巻く無数の光点が映っている。三万隻の同盟軍に対し、帝国軍は二万隻と推定された。

 

「砲撃開始!」

 

 司令室にロボス元帥の鋭い声が響くとともに同盟軍は砲撃を開始した。帝国軍も即座に応射し、数万の光条が虚空を切り裂き、艦艇の爆発によって生じた光が暗闇を照らす。

 

 同盟軍はD線と言われるトゥールハンマーの射程限界ラインぎりぎりで巧みに艦隊を動かして、突出してきた敵を叩こうとしている。少しでもタイミングを誤れば、たちまちトゥールハンマーの一撃で全軍敗走に追い込まれる危険があった。同盟軍の高い艦隊運用能力があって初めて可能となる戦術といえる。

 

 要塞を背に迎え撃つ帝国軍は、トゥールハンマーの直撃を受けない位置を確保しつつ同盟軍を射程内に誘い込もうとしている。D線を巡る両軍の駆け引きがイゼルローン要塞攻防戦の最大の見せ場と言われる。しかし、今回に限っては前座に過ぎない。

 

 司令部の戦術スクリーンには、同盟軍主力を示す青い点の塊と帝国軍主力を示す赤い点の塊がぶつかり合う合間を縫って、高速で移動する少数の青い点が映っている。ウィレム・ホーランド少将率いるミサイル艇部隊だ。

 

 帝国軍の索敵視野の死角を巧みについて、何重にも張り巡らされた防衛線をすり抜けていくホーランド少将の鮮やかな用兵には感嘆を禁じ得ない。指揮官の卓越したリーダーシップ、参謀が練り上げた緻密な行動計画、指揮官の思い通りに動けるよう鍛えられた将兵が三位一体となって初めて可能になる用兵だ。これだけの動きができる部隊を作り上げたというだけでも、ホーランド少将とそのスタッフの優れた力量は明らかだった。

 

 ホーランド少将が全く抵抗を受けずに要塞に肉薄すると、メインスクリーンの画像が切り替わって要塞表面を映し出す。要塞外壁に数千発ものミサイルが叩きつけられて巨大な爆発が起きると、司令室では大きな歓声がわいた。

 

 敵は浮遊砲台を繰り出して応戦を試みたが、ミサイルの雨に一方的に叩き潰されていく。艦隊主力を後退させてホーランド少将に対応しようとすれば、同盟軍主力が並行追撃を仕掛けて要塞に殺到しようとするのは目に見えている。

 

 帝国軍もまったくの無策だったわけではないだろう。情報参謀が頭脳を結集して、防衛線の穴を徹底的に洗い出して潰していったはずだ。ただ、今回は穴を見つけようという同盟軍の情報参謀の努力がそれを上回ったのだろう。ホーランド少将の用兵と総司令部の参謀の衆知がイゼルローン要塞を圧倒していた。

 

「頼む、勝ってくれ」

 

 ミサイルの衝撃で激しく揺れるイゼルローン要塞を見ながら、手を強く握りしめてそう祈った。司令室にいる他の参謀達も俺と同じ気持ちだろう。イゼルローン要塞を攻略できたら、辺境星域が帝国軍の襲撃に晒されることもなくなる。帝国軍の襲撃に備えて臨戦態勢を取る必要もなくなり、軍事費の負担を大きく減らせる。これまでの攻防戦で散っていった将兵達の犠牲がようやく実を結ぶ。ラインハルトさえ出てこなければ、ここで勝負が決まるのだ。

 

 要塞の外壁が露出して同盟軍の勝利を誰もが確信したその時、ホーランド少将の部隊が閃光に包まれ、ミサイル艇が次々と火球と化していった。死角から出現した二〇〇〇隻ほどの帝国軍部隊が側面攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 今回の作戦を立案した参謀達は要塞周辺にいる艦隊が襲撃してくる可能性を考慮して、想定される襲撃ポイントを徹底的に洗い出して対策も練っていた。それゆえにホーランド少将は一方的に要塞を攻撃できたのだが、参謀達でも発見できなかったポイントからの奇襲を受けた。

 

 防御力の弱いミサイル艇の艦列を突破した敵は速度を落とさずに前進を続け、帝国軍主力と対峙していた同盟軍主力に一〇時方向から突入していった。

 

「二時方向に回頭して、攻撃回避せよ」

「いけません、そちらはトゥールハンマーの射程に入ってしまいます」

 

 距離をとって陣形を広げて、一〇時方向の敵を半包囲しようとするロボス元帥を、総参謀長のグリーンヒル大将が制止した。勝利寸前だった同盟軍は、側面からの思わぬ伏兵にたちまち突き崩されていく。総司令部の参謀達が考えうるあらゆる可能性を検討して練り上げた作戦の死角をいともたやすく見つけ出すような真似ができるのは、ラインハルト・フォン・ミューゼルしかいない。前の人生の歴史とまったく同じ展開になってしまったことを覚り、血の気が引いていく。

 

「ええい、ならば、あの敵を正面から打ち破るまでだ。全軍、一〇時方向の敵に向かえ」

 

 ロボス元帥は後退して帝国軍主力から距離を取りつつ、一〇時方向の敵を迎え撃つよう指示した。後退したことで同盟軍の正面は危険宙域とトゥールハンマーの射程範囲に挟まれた狭い宙域に限定されてしまっている。同盟軍は細く長く展開することを余儀なくされ、ラインハルトの部隊の一五倍の兵力を有していたにも関わらず、その大半が遊兵と化している。ラインハルトは巧みな集中砲火と艦隊機動で、自軍とほぼ同数の同盟軍正面部隊を苦しめていた。

 

 歴史の本を読んだ時は、天才ラインハルトに同盟軍が負けるのは当然の成り行きだと思っていた。しかし、今の俺はロボス元帥の優れた指揮能力、総司令部の参謀達の優秀な頭脳、同盟軍正規部隊の精強さを知っている。ロボス元帥率いる正規部隊の精鋭三万隻を、わずか二〇〇〇隻で翻弄しているラインハルトの用兵を「天才だから当然」と片付ける気にはなれない。

 

 ただただ畏れを感じていると、帝国軍の他の艦隊が細長く伸びきっていた同盟軍の艦列に向かって押し寄せてきた。分断された後に殲滅される同盟軍を想像して背筋が寒くなった。

 

 しかし、グリーンヒル大将はヤン大佐の進言を受けて、帝国軍の艦隊がトゥールハンマーの射程内に入り込んだ隙に予備兵力を投入して戦況を立て直すことに成功。ラインハルトの天才が作り出した戦況は、もう一人の天才ヤンによって覆されてしまう。その後、数日にわたって同盟軍と帝国軍は戦闘を続けたが、決め手を欠いたまま、消耗戦に突入していった。

 

「ミサイルがない?食料が足りない?ああ、そうか。費えばそりゃなくなるだろうよ。で、俺にどうしろと言うんだ!?」

 

 ひっきりなしに舞い込んでくる補給要請に苛立った後方部長のアレックス・キャゼルヌ准将が、通信を切った後でそう吐き捨てた。初日のミサイル艇突撃で一気にイゼルローン要塞を攻略するつもりだったのに、失敗した後も撤退せずに戦闘を継続していたせいで、事前に立てた補給計画がすっかり狂ってしまっていた。物資の充足状況や備蓄状況はかなり悪化している。キャゼルヌ准将がいかに優秀な後方参謀でも物資を無から生み出すことはできない。各部署から殺到してくる補給要請に優先順位を着けて、後回しになる部署には我慢してもらう必要がある。

 

 後方参謀の判断一つで医薬品を与えられない負傷者、食事にありつけない兵士、部品不足で稼働できない艦艇、弾薬不足で戦闘できない部隊などが出てくる。戦場での物資不足は命にかかわる。後方参謀が優先順位を低くつけたせいで、死に追いやられる兵士もいる。多くの兵士が死ぬことがわかっていても、補給量を抑えなければならないことだってある。全軍の補給計画を立てる後方参謀は、兵士達の生死に責任を持つ存在なのだ。

 

 高級指揮官と参謀は自分の目が直接届かない範囲にいる人間の生死にも責任を持つという共通点がある。だからこそ、高級指揮官になる者には参謀経験が求められるのだろう。

 

 目の前の人間に対してのみ責任を持つ立場だった俺には、参謀に課せられた責任はあまりに重い。しかし、その重さをわずかでも経験したことは大きな糧になるはずだ。四=二基地の失敗から指揮経験を欲していた俺に、あえて参謀をやらせようとした人事担当者の意図がようやく分かったように思う。

 

 一二月六日。同盟軍はヤン大佐の立てた作戦にもとづき、混戦状態に陥っていた戦線を整理して挟撃態勢を作り上げる。イゼルローン要塞の右側面に火線を構築して、帝国軍に集中砲火を浴びせた。トゥールハンマーの射程内に押し込まれた帝国軍は、左側面からの波状攻撃によって大損害を被った。

 

 この作戦において特筆すべき活躍をしたのはホーランド少将である。三度にわたって帝国軍に突入して陣列を掻き乱し、崩れたところに激しい砲撃を浴びせて大打撃を与えた。帝国軍を戦線崩壊寸前まで追い込んだものの、二つの小部隊の奮戦によって同盟軍の攻勢は食い止められた。

 

 七日から八日にかけての攻勢が失敗すると、総司令部の参謀達の意見は撤退に傾いていった。これ以上戦闘を継続しても、戦果を見込めないことは明らかだったが、ロボス元帥は決断できずにいた。

 

 二年前の第五次イゼルローン攻防戦では同盟軍は五万隻を動員したが、今回は三万六九〇〇隻の動員に留まった。春のヴァンフリート星系出兵の苦戦が議会の心象を悪くして、イゼルローン攻略作戦の予算を削られてしまったためだ。少ない戦力でのイゼルローン攻略を強いられたロボス元帥は、議会と有権者を納得させられるだけの戦果を収めて、評価を取り戻そうとしていると言われていた。そんな彼が撤退を決断したのは、二〇〇〇隻程度の帝国軍部隊が同盟軍の退路を断つべく動き始めたという報を受けた時だった。

 

 戦術スクリーンには少数の赤い点が青い点が少ない宙域を転々として、恐ろしい速度で同盟軍の勢力圏を移動しているのが見える。帝国軍と入り乱れて戦っていた同盟軍の各部隊の指揮官達は突破しようとする敵を阻止しようと殺到したが、逆撃を受けてことごとく跳ね返された。このような芸当ができる帝国指揮官は、ラインハルト以外にはいないだろう。

 

 意地になった同盟軍は全軍総出でラインハルトを阻止しようと追いかける形になり、ラインハルト以外の帝国軍部隊は後退して、いつの間にか混戦状態は解消されている。しかも、トゥールハンマーの射程のど真ん中だ。前の歴史では第六次イゼルローン攻防戦はトゥールハンマー発射によって決着が着いた。不吉な予感が胸の中に広がっていく。

 

「見ろ!イゼルローン要塞を!」

 

 司令室にオペレーターの悲鳴が響く。イゼルローン要塞に白い光点が浮かび、どんどん輝きを増していくのが見えた。血の気がスーッと引いていき、膝ががくがくと震え出し、お腹がきゅっと痛くなった。周りの人の顔にも恐怖の色が浮かんでいる。慌ててダーシャの顔を探そうとあたりを見回した時、メインスクリーンが眩しく輝いて、巨大な衝撃波が司令室を激しく揺らした。

 

「第二射、来ます!」

 

 オペレーターの悲鳴が再び司令室に響いた。再びメインスクリーンが輝いて司令室を光で満たす。大きな揺れが来て、バランスを崩した俺は仰向けに床に倒れてしまった。照明が赤色の非常灯に切り替わり、火災発生を伝える艦内放送が流れる。

 

 痛む頭をさすりながらゆっくり立ち上がって司令室の中を見回すと、ロボス元帥の周りに参謀が集まっている。アンドリューは元帥の側にいた。キャゼルヌ准将は忙しく端末を操作している。ヤン大佐はベレー帽を顔に乗せていて、寝ているように見える。イレーシュ中佐は腕組みをして、司令室全体を睨んでいるかのようだ。ダーシャはどこだろうと思って歩き出すと、腕に掴まれるような弱い感触があった。

 

 びっくりして振り向くと、不安げな顔のダーシャが立っている。どうしていいかわからず、ただ彼女と顔を見合わせていた。ラインハルトのラインハルトによるラインハルトのための戦いとしか言いようが無い第六次イゼルローン攻防戦はこうして終わりを告げた。

 

 一二月一〇日。同盟軍イゼルローン遠征軍総司令部は正式に作戦中止を表明して、撤退を開始した。同盟軍の戦死者は七五万人、帝国軍の戦死者は三六万人。一度は要塞外壁を吹き飛ばしたものの、撤退の判断が遅れた挙句に敵に倍する死者を出してしまっては、お世辞にも健闘とは言えないだろう。ヴァンフリート星系出兵で落ちたロボス元帥の評価がさらに落ちることは疑いない。

 

 数々の作戦案を立案したヤン大佐、行軍計画を成功させたアンドリュー、帝国軍を戦線崩壊寸前に追い込んだホーランド少将ら若手エリートの活躍は数少ない明るい材料といえる。キャゼルヌ准将を中心とする新しい後方支援体制が円滑に機能したことも明日につながる成果だ。

 

 一二月二四日にハイネセンに帰還した俺は、四日後の二八日に遠征軍司令部後方部から第一一艦隊司令部後方部への転属を命じられた。第一一艦隊司令官の交代に伴う人事異動の一環であり、年明けに着任することとなる。帝国軍が来年の二月か三月を目処に出兵してくるという情報が入っていた。ここしばらく前線に出ていなかった第一一艦隊が迎撃の任にあたることはほぼ確実視されている。疲れを癒やす暇もない。四月から七月まで入院してた分も働けということなのかもしれないと思った。


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