銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十六話:初心者参謀と天才参謀 宇宙暦794年8月中旬 ハイネセン市、宇宙艦隊総司令部

 宇宙暦七九四年八月二日。統合作戦本部はイゼルローン要塞に対する六度目の出兵を正式決定した。

 

 動員されるのは第七艦隊、第八艦隊、第九艦隊の三個正規艦隊三万六九〇〇隻。宇宙艦隊総司令官ロボス元帥が自ら遠征軍の総指揮をとり、総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将以下宇宙艦隊総司令部の参謀に統合作戦本部や後方勤務本部からの出向者を加えた八六名の参謀がこれを補佐する。宇宙艦隊総司令部のビルに設置された遠征軍総司令部には大勢の人間が出入りして、昼夜を問わず出兵の準備に動き回っていた。

 

 先月の末に中佐に昇進したばかりの俺も参謀の一人として総司令部入りすることが決まった。総司令部に設置される七つの部のうち、参謀部門は作戦指導を担当する作戦部、情報活動を担当する情報部、兵站業務を担当する後方部、人事管理を担当する人事部の四つ。俺が所属しているのは後方部企画課。ずっと事務処理をやってきた俺にとって、初めての参謀勤務だった。

 

 後方参謀及び人事参謀と事務員は世間では混同されることが多い。かくいう俺も前の人生では、ヤン・ウェンリーの後方参謀だったアレックス・キャゼルヌを優秀な事務屋と勘違いしていたものだ。軍人になってもしばらくは艦隊司令部の経理部と後方部の仕事の違いが良くわからなかった。

 司令部のスタッフは全体の管理調整を担当するゼネラル・スタッフと特定の専門業務を担当するスペシャル・スタッフに分けられる。後方部の参謀は調達、保管、輸送、配分など兵站全般の管理や調整を担当するゼネラル・スタッフ、経理部のスタッフは事務を専門とするスペシャル・スタッフといえる。第一艦隊総務部にいた頃の俺はスペシャル・スタッフに分類される。副官も司令官の秘書業務を担当するスペシャル・スタッフだ。

 

 同盟軍参謀業務教本によると、ゼネラル・スタッフたる参謀の主な役割は、自分の担当分野に関する研究を行ってデータを蓄積すること、対話や文書によるコミュニケーションを通じて各部門と意見を調整すること、研究や調整によって得られた知見を元に指揮官にとるべき行動を提案して判断を助けること、指揮官の命令を計画書や命令書の形式にして現場に伝達すること、現場と接触して指揮官の命令の実施状況を監督することの五つが挙げられる。

 

 チームワークで分析と検討を積み重ねる参謀に必要な資質は勤勉さ、忍耐強さ、情熱、忠誠心、協調性、対話能力、文章力、知識などだろう。ひらめきより努力、尖った天才より協調的な秀才であることが参謀に求められる。要するにアンドリューみたいな人間が理想の参謀。ドーソン中将はやや…、いやかなり偏屈なところを除けば最高の参謀だろう。

 

 前の人生で読んだ本では、士官学校上位卒業者を参謀として重用したことを同盟軍が敗北した理由にあげていた。しかし、実際に参謀になってみて、学力、体力、リーダーシップのバランスが高いレベルで取れている上位卒業者を参謀にするのは理に適っていると思える。

 

 後方部企画課は補給計画全般の調整と監督を担当する。後方部は他の部と比べて調整と監督の機能が要求される傾向が強いが、企画課はその最たるものといえるだろう。他の後方参謀や下級部隊が提出してくる補給計画を理解できる知識、こまめに連絡を取って関係を保とうとする熱心さ、相手と意思疎通する対話能力と文章力が問われる。

 

 俺は熱心さだけは人並み以上にあるつもりだ。対話能力や文章能力も悪くはないと思う。問題は補給計画の知識が全く無いことだった。二年前に務めていた駆逐艦の補給長の仕事は事務がメインで、後方参謀が作成するような補給計画に関わったことは無かった。現時点の俺は事務経験しか積んでおらず、後方参謀としては使いものにならない。今のままでは会議で発言することも他部門との調整にあたることもできない。

 

 後方部長のアレックス・キャゼルヌ准将も企画課長のカルロス大佐も俺にはまったく期待していないらしく、連絡と文書作りしかできないにも関わらず、冷たい目で見られずに済んでいる。八六人もいる遠征軍総司令部参謀の中には、参謀見習いみたいな若手や記念参加としか思えないようなロートルなど、明らかに戦力外の人も少なくない。俺が参謀に起用されたのも参謀の世界を覗いてこいってことなんじゃないだろうか。

 

 実際、数百万人もの将兵の後方支援を担っているだけあって、後方部には優れた才能がひしめいていた。自分の考えをわかりやすく他人に伝えることに長けた人、簡潔明瞭な文章を素早く作成することに長けた人、問題点を洗い出して改善策を提示することに長けた人、細部への目配りが行き届いている人、膨大なデータを脳内に蓄えて自由自在に引き出せるコンピュータのような人など、とんでもなく優秀な人ばかりだ。同じ空気を吸っているだけで勉強になる。その中で特にずば抜けていると思えるのは、やはりキャゼルヌ准将だろう。

 

 遠征軍総司令部の後方部長アレックス・キャゼルヌ准将は今年で三三歳。統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の腹心である彼は、後方勤務本部次長と中央支援集団司令官を兼ねていたシンクレア・セレブレッゼ中将が失脚した後に同盟軍の後方支援部門の理論的指導者となった。

 

 中央支援集団司令部がヴァンフリート四=二基地の戦いで壊滅したおかげで、セレブレッゼ中将が構築した同盟軍の後方支援システムは崩壊の危機に瀕していた。現在の後方勤務本部長と中央支援集団司令官はいずれも管理能力と調整能力に長けた有能な人物だが、新しいシステムを構築できるほどの理論は持ち合わせていない。既存のシステムの有能な運用者は少なくないが、新しいシステムを構築できるほどの理論と構想力を持ち合わせた人材はそうそう現れるものではないのだ。

 

 士官学校在籍中に書いた組織工学に関する論文が注目を浴びて大企業の経営企画部門にスカウトされた経歴を持つ理論家のキャゼルヌ准将は、ポストセレブレッゼ体制を背負って立つことができる唯一の存在であった。

 

 前の人生の歴史では、アレックス・キャゼルヌはヤン・ウェンリーの下で後方支援と事務処理を一手に担い、その死後はイゼルローン共和政府やバーラト自治区政府の閣僚を歴任した。ヤン・ウェンリー系勢力の指導者には評価が難しい人物が多いが、キャゼルヌに関しては誠実で有能な軍官僚という評価で一致している。官僚という言葉には一般的に事務処理のプロフェッショナルと言うイメージが強く、キャゼルヌも山積していた事務を一日で片付けた、病欠したらたちどころにイゼルローン要塞の事務が滞ったなどといった逸話に事欠かない。

 

 しかし、事務処理能力が高いだけでは単なる事務員以上の存在にはなれないことを司令部勤務を経験した今の俺は知っている。軍官僚、すなわち軍中央や艦隊司令部に勤務する参謀は司令官を助けて業務全般を計画し、事務員を始めとする大勢の専門家の監督指導にあたる立場だ。

 

 伝記作家は歴史の専門家ではあるが、軍事の専門家ではない。キャゼルヌの事務屋としての側面に注目してしまうのは仕方ないことだ。軍事の専門家として頂点を極めたヤン・ウェンリーが同時代を生きた軍人達の評伝を執筆していたら面白いことになっていたんじゃないかと思うが、彼が提督にもなっていない今の時間軸で言ってみても仕方のないことだ。伝記作家があまり注目しなかった参謀としてのキャゼルヌには驚かされることばかりだった。

 

 キャゼルヌ准将が俺にまったく期待していないのは明らかだったが、干されたわけではなかった。それどころか、結構な量の仕事を与えられた。後方業務の知識が無い俺でも頑張ればギリギリで処理できる量と難易度。いい意味で仕事に忙殺されているおかげで自分の無能を嘆く暇もない。全力で取り組んでいるおかげで達成感もある。

 

 俺が特に優しくしてもらっているわけではない。後方部には俺以外にも士官学校を出て間もないのに親のコネで総司令部に突っ込まれた某提督の娘、退役前の箔付けに後方参謀の肩書きをもらった経理一筋四〇年の老中佐のように参謀の仕事が全くできない人がいたけど、干されること無くやり甲斐を持って頑張っているようだ。

 

 キャゼルヌ准将は有能な参謀にもその人物が頑張ればギリギリ処理できるような仕事を与えていた。要するに参謀の能力の見極めと仕事配分が絶妙なのだ。信用している部下にはたくさん仕事を与えて、信用していない部下には書類のコピーすら頼まないドーソン中将とは真逆のスタイルといえる。

 

 個別に細かい指示を出すことをほとんどせずに、会議を頻繁に開いて議論をすることで自分の意見を浸透させていくスタイルも独特だった。

 

 またまたドーソン中将を引き合いに出してしまうが、彼は議論を好まない。彼ぐらいの能力があれば他人の意見を聞かなくても良い仕事ができるし、どんな仕事でも部下の自主性に委ねずに自分で細々と指示を出す方が概ねうまくいく。議論に費やす時間があるなら、直接指示を出した方が早いと考えるタイプだ。ドーソン中将が特に独善的というわけではなく、優秀な人が効率重視で仕事をすると大抵はこうなる。エル・ファシル義勇旅団の参謀長だったビロライネンもそうだった。

 

 議論を重ねる踏むキャゼルヌのやり方は迂遠に見えるが、それでも高い業務能率を達成できているのは仕事配分の妙だろう。議論を通じて参謀の適性を見極めているのかもしれない。セレブレッゼ中将もしょっちゅう部下と言い争っていたのに、会議を開くのが好きだったという。彼らは目の前の効率より、ずっと遠いところを見据えているのだろう。ドーソン中将の緻密で迅速な仕事ぶりには感嘆の念を禁じ得ないが、キャゼルヌ准将はそれより一段高いレベルで参謀業務を捉えている。世の中には本当に凄い人がたくさんいるものだとため息が出てしまう。

 

 これだけ褒めちぎってはいるものの俺がキャゼルヌ准将と親しいということは全くない。業務上の連絡以外では一言も交わしていない。後方参謀の仕事がまったくわからない俺は議論でやりあうこともない。仕事とプライベートは厳密に分ける性質らしく、職場で誰かと特別親しくするということが無いのだ。

 

 組織のトップと参謀スタッフをまとめる上級参謀という違いはあるかも知れないが、スタッフを公私ともに気心の知れた仲間で固めているロボス元帥、信頼しているスタッフとそうでないスタッフの扱いが露骨に違うドーソン中将とは違っていて興味深い。

 

 今回の遠征では知っている人が何人も従軍する予定だ。総司令部には数少ない俺の同年代の友達でロボス元帥の腹心として頭角を現してきたアンドリュー・フォーク中佐が作戦参謀、幹部候補生受験でお世話になったイレーシュ・マーリア中佐が人事参謀、最近トリューニヒトから期待の若手として紹介されたジェイミー・ウノ中佐が後方参謀として所属している。

 

 入院していた時に仲良くなったハンス・ベッカー中佐は第八艦隊第三分艦隊の航法主任参謀、グレドウィン・スコット大佐は第九艦隊後方支援集団所属の輸送群司令を務めている。幹部候補生養成所の同期で唯一の友達だったカスパー・リンツ少佐、ヴァンフリート四=二基地で知り合ったローゼンリッター連隊長のワルター・フォン・シェーンコップ大佐やライナー・ブルームハルト大尉らは陸戦要員として参加する。

 

 総司令部の廊下を歩いていると、キャゼルヌ准将と話しながら歩いているヤン・ウェンリーを見かけた。エル・ファシル脱出から六年ぶりに見かけた彼はやっぱり冴えなかった。おさまりの悪い黒髪のくせ毛も猫背気味の姿勢も大学生のような童顔もあの時のままだ。ほとんど容姿が変わっていないのに驚かされる。

 

 エル・ファシル以降は目立った功績を立てていないが、シドニー・シトレ元帥の引き立てによってエリートコースを歩いている。今は確か大佐だったはずだ。総司令部の作戦参謀らしいけど、作戦部と後方部の連絡は別の人がやっているし、各部門の主要参謀を集めた会議にも出席しない俺が顔を合わせる機会はない。エル・ファシル以来、接点を持たずに生きてきた彼に声をかけようかどうか迷っていると、トントンと肩を叩かれた。

 

 振り向くと、ダーシャ・ブレツェリ少佐の丸っこい顔が視界に入る。入院していた時に知り合った彼女の存在は意図的に忘れようと務めているのに、同じ後方部だから顔を合わせないわけにはいかない。朝っぱらから気分が暗くなる。

 

「あ、おはよう」

 

 俺が挨拶をしても、ブレツェリ少佐からは何の反応もせず黒目がちの大きな目で俺を見ている。挨拶が返ってこないのはわかりきっているけど、総司令部着任から二週間近くも続くとへこんでしまう。

 

「ブレツェリ少佐、そろそろ勘弁してよ」

 

 懇願するように許しを乞うた俺に対し、ブレツェリ少佐は首を軽く横に振る。なんてしつこい人なのだろうか。ショートカットで口も体も人一倍良く動く彼女はさっぱりした性格に見えていたのに、とんだ勘違いだった。彼女はポケットから取り出したメモを俺に渡すと、その場から立ち去っていく。徹底して俺と口をきこうとせず、念の入ったことに口頭で済むような連絡もわざわざ筆談で行うほどだ。

 

 チームワークで仕事をする参謀にとっては、人間関係を良好に保つのも大事な義務だ。ブレツェリ少佐に妥協するつもりがない以上、俺の方から折れるしかないのだろうか。考えるだけで憂鬱な気持ちになった。


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