銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十八話:病床で考える偶然の意味 宇宙暦794年4月14日 ヴァンフリート4=2基地病院

 信じられないことだが、ヴァンフリート四=二基地は占領を免れた。セレブレッゼ中将がダメ元で出した救援要請を受けた同盟軍第五艦隊が四=二付近に姿を現し、衛星軌道上からの攻撃されることを恐れた敵は攻略を断念して撤退したのだ。戦場は宇宙空間に移り、現在は四=二から離れた宙域で艦隊戦が続いている。

 

 四=二基地の同盟軍は曲がりなりにも勝利を収めたことになるが、人的にも物的にも大損害を被った。基地施設は深刻な損害を受けて、後方基地としての機能をほぼ喪失している。倉庫群が破壊されて備蓄物資の大半が灰燼に帰した。整備業務集団司令官リンドストレーム技術少将の戦死が確認され、参謀長ラッカム少将と輸送業務集団司令官メレミャーニン准将が戦闘中に行方不明になり、佐官級の幹部も多く失われた。総司令部は四=二基地の放棄を決定して、現在は司令官セレブレッゼ中将の指揮のもとで撤収作業が行われている。

 

 現在の俺は四=二基地病院に入院して、ハイネセンへの移送を待つ日々だ。ラインハルトとキルヒアイスは撤退命令を聞いて立ち去ったおかげで何とか命は助かったもののかなり危険な状態だった。医療班が駆けつけた時の俺は脳震盪による意識障害を起こしていて、医師の質問にもまともに答えられなかった。吐き気、頭痛、手足のしびれなども併発しており、医療班の到着が遅れたら後遺症が残っていた可能性もあったという。肘関節や鎖骨も酷く損傷していて、こちらは全治三ヶ月と診断されている。絶対安静が解けたのは、ヴァンフリート四=二基地攻防戦が終結した八日後の四月一四日だった。

 

 俺の指揮下にあった基地憲兵隊は八個中隊のうち五個中隊が壊滅し、副隊長と中隊長三人が戦死、中隊長二人が重傷という致命的な損害を被った。入院中で指揮を取れない俺は隊長代理を解任され、新たに任命された隊長代理が三個憲兵中隊の増援とともに四=二基地にやってきている。中央支援集団司令部メンバーの拘束命令も新任の隊長代理が引き継いだ。最重要拘束対象だった八人の将官のうちの三人が戦闘で失われてしまっており、俺の任務は完全に失敗したことになる。暴走してファヒーム少佐とデュポン大尉を死なせたことも含め、後悔ばかりが残る任務だった。

 

 しかし、任務失敗にも関わらず俺の立場は悪くなっていない。それどころか、中佐昇進の話まで出ていた。中央支援集団司令官にして四=二基地司令官でもあるシンクレア・セレブレッゼ中将のおかげだ。

 

 ラインハルトにレーザーブラスターを突きつけられていた気密服の人物は彼だった。姓名と階級を名乗るよう迫られていたが、俺がラインハルトと戦ったおかげで捕虜にならずに済んだそうだ。俺の後に駆けつけたローゼンリッターのウィンクラー中尉、ホイス曹長、シュレーゲル軍曹の三人はラインハルトとキルヒアイスに敗死していたため、俺がセレブレッゼ中将救援の功績を独占することになってしまった。

 

 セレブレッゼ中将は俺に大きな恩を感じているらしく、基地病院で一番良い個室に入れてくれた。基地病院で最も優秀な医師が担当医となり、入院中の食事のメニューは専属の栄養士が作成している。実のところ、セレブレッゼ中将が適切な応急措置をして、撤収中とはいえまだまだ敵がうろついている二七階まで医療班を素早く呼んでくれなかったら、後遺症が残った可能性が高いのだ。俺が五体満足でいられるのはセレブレッゼ中将のおかげとしか言い様がないので、VIP待遇には居心地の悪さを感じてしまう。多くの部下を死なせた挙句に自分一人が功労者扱いで厚遇されるなんて許されるのだろうか。

 

 

 

「貴官は武勲を樹てたのだ。恥じることなどあるまい」

 

 肘の関節を壊されて両腕を使えない俺のためにセレブレッゼ中将から差し入れられたりんごを剥いてくれているのは第一七七歩兵連隊長クリスチアン中佐。第一七七歩兵連隊は最も奮戦した部隊の一つだったが、陣頭で指揮していた彼は大した傷も負うことなく生き延びた。

 

「俺は無茶な突撃や不必要な警告をして二度も死にかけたのに、運がいいだけで生き延びてしまいました。セレブレッゼ中将を助けたっていうのも本当にたまたまです。失敗ばかりなのに運を評価されるのは心苦しいんです」

「馬鹿なことを言うな。運も能力だ。流れ弾で死ぬ奴もいれば、弾幕を何度くぐり抜けても死なない奴もいる。ちょっとしたミスで死ぬ奴もいれば、ミスしても相手がもっと酷いミスをしたせいで死なずに済む奴もいる。その違いは明らかだ。一度や二度なら偶然だが、何度も重なれば立派な能力だ」

「失敗しかしていないのに評価されるって嫌じゃないですか?」

 

 運が能力だとしても、それは評価されるべき能力なのだろうか。評価というのは努力に対して与えられるべきではないだろうか。俺は最初の人生で努力せずに失敗し、今の人生で努力で道を切り拓いてきた。二つの人生の差って、努力の有無の差ではないか。クリスチアン中佐には言えないことだけど。

 

「戦場に出た時点で命を賭けているだろう。命を賭ける以上に評価すべきことがどこにある。努力だけで生き延びられるほど戦場は甘くない。運だけで生き延びられるほど甘くもないがな。使えるものは何でも使わないと生き延びられん。戦って生き延びたこと、それ自体に価値があるのだぞ。死んでしまっては、国のために戦えなくなってしまう」

「なるほど」

「武勲を重ねるには生き延びないといかん。実力で生き延びることもあれば、ミスをしたのに運で生き延びることもある。武勲が多い奴はみんな運も実力もあると思ってよろしい。今回の戦いに納得がいかなければ、次の戦いで納得のいく武勲を樹てろ。それができるのも貴官の運のおかげだ。だから、運は能力なのだ」

 

 生き延びて武勲を重ねることに意味があるということか。だから、運も能力だと。たくさんの戦場を経験したクリスチアン中佐らしい考えだな。ずっとデスクワークだった俺とは世界が違う。でも、これも実戦を経験したからこそ聞けた話だ。付き合いが長い相手でも立場の変化によって、聞ける話が違ってくるって面白い。

 

「貴官はセレブレッゼ中将を捕虜にしようとしていた敵に警告をした理由が自分でもわからないと言っていたな」

「ええ。いきなり撃ったところで敵う相手ではないのは確かでしたが、良く考えたら警告して勝率が上がるわけでもないですよね。本当に良くわからないんですよ」

 

 実のところ、ラインハルトに警告する必要なんてなかったのだ。あれはいきなり撃っても構わない場面だった。普段ならそう判断するはずなのに、あの時判断が狂った理由は自分でも良くわからない。

 

「敵の運が貴官の判断を狂わせたということかもな」

「それはちょっと理屈になっていないような」

「戦場を動かしているのは理屈ではなくて偶然だぞ?偶然に対処する能力が実力で、偶然を味方につける能力が運だ。貴官と戦った相手はローゼンリッター三人を一瞬で倒すほど強かったのだろう?よほど激しい戦いを生き抜いた猛者のはずだ。ならば、偶然を味方につけるぐらいはしてのける。そうでなければ、そこまで強くなる前に死んでいる」

 

 ラインハルトは戦争の天才だったが、幸運に恵まれてきたのも事実だった。不敬罪の無いローエングラム朝では、口の悪い研究者はラインハルトのことを運が良かっただけとか、出会った敵は急に馬鹿になるとか言っていた。人類世界を武力で征服した覇王の天才を疑うなんてくだらないことを言うものだと思っていた。

 

 しかし、クリスチアン中佐の話から考えてみると、ラインハルトは運が良かったおかげで激戦を生き延びて濃密な経験を積んで、天才を開花させることができたのかもしれない。非論理的な推論だけど、幾多の激戦を生き延びる運がある彼を、修羅場を踏んだ経験がない俺程度の運では殺せないということなのだろう。クリスチアン中佐の話は非論理的だけど、それだけに経験から得た実感にとても良く馴染む。まさに人生の先輩という感じだ。

 

 

 

「もらえる物はもらっておけば良いではありませんか」

 

 りんごを勝手に取ってかじりながら朗らかに笑っているのは、ローゼンリッター連隊長代理のシェーンコップ中佐。彼が腹心のブルームハルト中尉と一個小隊を貸してくれたおかげでなんとか生き残れた。今回の戦いでは最もお世話になった人の一人と言っていい。

 

「大して活躍もしていないですよ。俺の戦いぶり、ブルームハルト中尉から聞いてないんですか?」

「あの時の隊長代理殿の任務は司令部防衛。司令官を救ったことでその三割ぐらいは達成したでしょう。負け戦の中の殊勲にご不満でも?」

「本当に格好悪かったんですよ。部下を無駄死にさせてしまいましたし。あと、俺はもう隊長代理ではありませんよ」

「格好良く戦えば司令部を守り切れましたか?部下を無駄死にさせない指揮が今のあなたにできましたか?隊長代理殿は随分とご自分を高く評価してらっしゃるのですな」

 

 シェーンコップ中佐の皮肉が突き刺さる。確かに俺一人が格好良く戦ったところで大勢に影響はなかった。俺の能力でまともな指揮ができるわけもなかった。

 

「おっしゃるとおりです」

「取れない責任まで取る必要はありません。器量にふさわしい範囲で責任をお取りになればよろしい。取るべき責任を取ろうとしない輩よりは殊勝な心がけですがね」

 

 勝敗に責任を持てるような器量ではないということか。わかっているけど、シェーンコップ中佐に真向から言われると心に重く響く。海千山千の彼の口から時折放たれる真剣な言葉はこの上なく鋭い刃となる。

 

「まあ、隊長代理殿は別の責任も負っておいでのようでしたしな。勝敗までは負うのは酷でしょう」

 

 首筋に刃を突きつけられたような思いがした。彼が何の理由もなく、たっぷりと含みを持たせるような言葉を吐くとも思えない。今回の任務は公にできるような任務ではない。憲兵司令部のみならず、最高評議会や帝国憲兵隊まで絡んでいる一大秘密作戦なのだ。司令部メンバーの拘束も別の名目で行うことになっていた。だからこそ、副隊長のファヒーム少佐にすら内容は明かせなかった。シェーンコップ中佐に尻尾を掴まれるわけにはいかない。

 

「憲兵は軍規の番人です。楽な仕事ではないですよ。一〇万人以上の後方支援要員を擁する大基地ですしね」

「その程度の仕事はあなたなら朝飯前でしょう。私的制裁キャンペーンをぶち上げて、パワハラの噂にかこつけて司令部を監視下に置いてのけたあなたにならね」

 

 背中に冷や汗が流れる。シェーンコップ中佐のペースに乗せられたら、言わなくていいことまで言わされかねない。

 

「一罰百戒と言うじゃないですか、パワハラの証拠が見つかれば…」

「あなたが司令部を監視下に置いて何をなさろうとしていたのか、小官はとても興味があったんですよ。憲兵が派遣された基地司令部、補給業務集団司令部、工兵団司令部、衛生業務集団司令部、通信業務集団司令部、整備業務集団司令部、輸送業務集団司令部。これらを全部抑えれば、憲兵だけで基地機能を制圧できますからな。一方、司令部の側は点数稼ぎしようとする連中の目に縛られて動きがとれない。まあ、うまくやったものです」

 

 シェーンコップ中佐はどこまで掴んでいるんだろうか。これ以上口を開くことはできない。この油断ならない人物が現役将官の麻薬密売関与という同盟軍史上屈指のスキャンダルの一端でも掴んだら、どんなことになるか予想もつかない。彼が軍の威信なんてものを尊重する気が全くないことは周知の事実だ。ああ、こんなことを考えてる俺って、まるで悪役みたいだな。

 

「一兵でも惜しい時に善意でブルームハルトと一個小隊を貸すほど、小官が甘い人間だと思われていたら心外です」

 

 獲物を取って食べる猛獣のような笑みをシェーンコップ中佐は浮かべる。要するに監視だったということか。ブルームハルトだけじゃない。司令部と逆方向なのに理由もなくコーヒーを飲みに来ていたシェーンコップ中佐と、俺をスケッチに来ていたリンツも。

 

「偉いさんの弱みの一つも見つかったら面白かったんですがね。どうあがいても、よそ者のローゼンリッターは差別される存在です。足を舐めたくなかったら、恐れられるしかないんですよ。どんな方法を使ってもね」

 

 かつて、リンツから聞いた話を思い出した。亡命者は無能なら笑い者、有能なら生意気と言われ、生意気じゃなかったら敬遠されるという話だ。有能な亡命者集団のローゼンリッターは生意気と言われるか、敬遠されるしかないのだろう。ワルター・フォン・シェーンコップという稀代の危険人物も亡命者として、ローゼンリッターの一員として足を舐めずに生きる道を模索した結果として生まれたのかもしれない。しかし、そんな立場であれば、こんなことを言うのは無防備ではないだろうか。

 

「しかし、こんな話を俺にしてもいいんですか?シェーンコップ中佐の立場で言うには、あまりにも不穏当に過ぎませんか?」

「あなたは不穏当なんて理由では動かんでしょう。ご自分の強さがどこにあるか、あなたは良くご存知のはずだ」

 

 俺は無言でシェーンコップ中佐の言葉に頷いた。彼相手にはごまかしは一切通用しないことを改めて確認させられる。俺の本当の目的も全部見抜いた上で今の話をしていた可能性だってある。

 

「まあ、全部小官の勘違いかもしれませんがね。若いエリートが功を焦って先走った結果、たまたま基地機能を制圧できるように憲兵を配置してしまった可能性だってあるかもしれません。なにせ、フィリップス少佐はお若いですからなあ。エル・ファシルの英雄として何かと注目される立場では、功績がほしくなるのも無理もないでしょう。ご苦労のほど、お察しいたしますぞ」

 

 そういうことにしといてやるよと言わんばかりのわざとらしい口調でそう言うと、シェーンコップ中佐は人好きのする笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「ああ、でも。フィリップス少佐がいれたコーヒーがうまかったというのは本当です。再び陣を並べることがあったら、ぜひ飲ませていただきたいものですな」

 

 うやうやしく一礼すると、シェーンコップ中佐は颯爽とした足取りで病室を出て行った。さんざん翻弄されたけど、それでも格好いいと思ってしまう。この人には何度負けても気持ちよく負けられる。そんな気がした。


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