銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十五話:小心者たちの戦い  宇宙暦794年4月6日午前6時~夕方頃 ヴァンフリート星系4=2基地

 宇宙暦七九四年四月六日朝。既に四=二基地の戦闘配備は完了している。地上戦部隊は装甲服を着用して基地の周囲に築かれた簡易陣地に拠り、後方支援要員は気密服を着て基地の中に籠もって帝国軍を待ち構えていた。俺は警備という建前から装甲服を着用して基地司令部の中央司令室に詰めて、セレブレッゼ中将以下の将官三人を監視している。中央司令室に至る通路は三個憲兵中隊が固めていた。

 

 六時二二分。地平線の彼方に帝国軍の地上戦部隊が現れた。地上からは戦闘車両、空からは地上攻撃機の大軍が津波のように押し寄せてくる。司令部のスクリーンで見ても息が詰まるような迫力だ。直に見ている前線の将兵達のプレッシャーは想像に難くない。あれと戦って生き残らないといけないのかと思うと、絶望的な気持ちになった。セレブレッゼ中将が所在なげにきょろきょろしているのがさらに不安をかきたてる。

 

 敵との通信回線が開く。戦いが始まる前には降伏や和議の勧告、あるいは大義名分の宣伝を目的として両軍の指揮官の間に回線が一時的に開かれる慣例が戦場にはあるのだ。司令官のセレブレッゼ中将がマイクを持って何か言おうとしたその時、シェーンコップ中佐が回線に割り込んで第一声を放った。

 

「帝国軍に告ぐ。むだな攻撃はやめ、両手をあげて引き返せ。そうしたら命だけは助けてやる。いまならまだまにあう。お前たちの故郷では、恋人がベッドを整頓して、お前たちの帰りを待っているぞ」

 

 このあまりにふざけきった宣戦布告に中央司令室は凍りつき、みんな呆気に取られたような顔をしている。帝国軍も同じ顔をしているであろうことは想像に難くない。怒りに顔をひきつらせたセレブレッゼ中将は指揮卓に据え付けられた通信端末のスイッチを入れると、シェーンコップ中佐を呼び出す。

 

「シェーンコップ中佐!いまの通信は何ごとだ。回線が開いたら、まず帝国軍の通信を受けてみるべきではないか。妄動にもほどがあるぞ!」

 

 軍人というより大学教員といった方がふさわしい風貌のセレブレッゼ中将らしくもない怒号に、中央司令室のスタッフは顔を見合わせた。シェーンコップ中佐の返答がよほど気に入らなかったのか、セレブレッゼ中将はワナワナと震えている。

 

「どこが紳士的だ。どこが平和的だ。けんかを売っているにひとしいではないか」

 

 端末に顔を近づけて怒鳴り散らすセレブレッゼ中将を見ていると、帝国軍ではなくて自分に喧嘩を売っていることに腹を立てたのではないかと感じる。普段ならインテリらしくすましている彼が成り振りかまわずに怒声を放っている。

 

「とにかく、これ以後、基地司令官の職分を侵すような言動はいっさい、厳につつしんでもらおう。貴官は貴官の責務さえ果たしていればよい。異存はないな」

 

 セレブレッゼ中将は端末から顔を離して姿勢を正すと、厳しく釘を差した。周囲の視線から、自分がいかに取り乱していたかに気づいたのかもしれない。通信端末のスイッチを乱暴に切ったセレブレッゼ中将は、どしんと椅子に腰を落とす。シェーンコップ中佐の行為に体面を傷付けけられたのは分かるが、いつもの彼ならここまで怒りを露わにしないはずだ。司令官が平常心を失っているような状況でまともに戦えるのだろうかと思うと、不安が募ってくる。他の人達も同じように思っているらしく、中央司令室の空気は重苦しい。セレブレッゼ中将の動揺ぶりを白日のもとに曝したシェーンコップ中佐の行為を少し恨みたくなった。

 

 戦術スクリーンの左側では青い点が横一列に並んで峡谷を塞ぎ、右側では青い点に数倍する赤い点が縦列を作っている。青い点は味方部隊、赤い点は敵部隊を示していた。戦況を把握するために抽象化された画像ではあるが、敵の圧力を感じさせるには十分だ。赤い点が動き出すと、ズラッと居並ぶオペレーターのもとに各部隊や情報衛星から膨大な情報が入ってきた。

 

 前線が動き出すと同時に司令部もまた動き出す。オペレーターが手元の端末に転送してきた情報を元に参謀は分析を行い、それを分析をもとに司令官は指示を出す。前線の戦いでは弾が飛び交い、司令部の戦いでは情報が飛び交う。どちらも分析と判断を誤れば前線の兵士が死ぬことに変わりはない。

 

 青い点と赤い点がぶつかりあって数を減らし、しばらくすると赤い点が後ろに下がる。赤い点が後方で数を増やしながら縦列を組み直している間に、青い点は横列を整える。やがて、赤い点の縦列が再び青い点の横列に向かって突き進んでいく。

 

 メインスクリーンの中では、圧倒的な数の帝国軍の戦闘車両が雨あられのように降り注ぐ支援砲撃を受けながら、同盟軍の陣地を蹂躙していた。抵抗が弱まったのを見計らって、歩兵部隊が陣地を制圧する。味方の兵士はなすすべもなく、敵の車両に踏みにじられ、砲撃で吹き飛ばされ、生き残った者は歩兵によって止めを刺されていく。見るに耐えない光景だった。

 

 そんな地獄絵図が展開される中で、地の利を活かして数に優る帝国軍の攻撃を三度にわたって撃退した同盟軍は賞賛されるべきであったろう。しかし、消耗も激しかった。戦闘継続が不可能になるほどの損害を受けた部隊も出ている。敵は損害を補充できるが、味方はそうではない。消耗戦に持ち込まれたら、いずれは突破される。

 

 不利な時ほど指揮官の力量が試されるが、残念ながらセレブレッゼ中将は優れた指揮官とは言いがたかった。座っていられないのか、立ち上がって指揮卓に手をついて不安そうに周囲を見回し、オペレーターの報告を聞くたびに顔色を悪くしている。判断も遅れがちで参謀に何度も促されてようやく指示を出すという有様だ。せめて、大人しく椅子に座っていて欲しい。見ているだけで不安になる。

 

 参謀はオペレーターから送られる情報をそのままセレブレッゼ中将に送って指示を求めるだけに終始し、まったく補佐の任を果たしていなかった。この人達の指揮を受けて無事に帰れるとは思えない。不安で心臓が激しく鼓動し、お腹が痛くなってくる。背中は汗でびっしょり濡れていた。涙が流れていないだけでも俺にしては上出来だ。

 

「貴官はいかが思われるか」

 

 不安そうな表情で質問してきたのは副司令官にして補給業務集団司令官を兼ねるエマヌエーレ・カルーク少将。今年で五三歳になる彼は企業の重役を思わせる恰幅の良い人物で同盟軍最高の補給管理専門家と言われているが、この場においてはカカシの方がまだ役に立つんじゃないかと思えるぐらい役に立っていない。戦闘配置が決定された時に理由をつけて本来の執務場所たる補給司令所を閉鎖して、補給業務集団司令部の要員ごと基地司令部に移ってきたが、参謀ではないから何の仕事もしていない。

 

 俺も司令室では仕事をしていないけど、一応は通路を守る憲兵三個中隊の指揮官だ。他の各集団司令部に分遣している憲兵中隊と連絡も取り合っている。生きて帰れるか怪しい状況ではあるが、将官全員の身柄確保という最低限の任務を投げ捨てる訳にはいかない。俺と同じ場所にいるのに俺より仕事をしていないカルーク少将は稀有な存在といえるだろう。

 

「さあ、小官にはわかりかねます」

 

 俺に聞くなよと思いながら、表情を出さないように答える。司令部に憲兵を入れたことに文句垂れまくってたあんたにこんな時だけ頼られても困る。

 

「地獄のエル・ファシルを経験された貴官でもわかりかねるか」

 

 そもそも俺はエル・ファシル奪還戦では何もしていないのだが、世間では地獄の戦いをくぐり抜けたことになっている。持ち出されたくないことを持ちだすカルーク少将にイラッとしたけど、真実を知らないのだから仕方ないと自分に言い聞かせる。

 

「何があるかわからないのが戦いというものですから」

「なるほど。さすがはあの地獄を生き抜いただけのことはある。貴官がこの戦いの指揮官であればどう切り抜けるか」

「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」

「その場になってみないとわからないということだな、なるほどなるほど」

 

 曖昧な言葉でお茶を濁しているだけなのにいちいち感心しないでほしい。そもそも、カルーク少将の指揮能力は俺なんかとは比べ物にならないほどに優秀なはずなのだ。実戦指揮と後方支援指揮では勝手が違うのかもしれないが、組織を動かすという点では共通しているのではないか。

 

 世間では後方支援は計画通りに遂行するだけの仕事と言われているが、駆逐艦の補給長として後方支援の末端指揮官を務めた経験から言うと、トラブルによって計画が狂わされることの方が多い。通常業務を管理する能力に加えて危機管理能力を持たないと、後方支援指揮官は務まらない。セレブレッゼ中将といい、カルーク少将といい、危機管理能力に長けた超一流の指揮官がどうしてこんなグダグダになってしまうのか俺には理解できない。

 

「このままでは、完全に制空権を握られてしまう。どうする気だ、シェーンコップ中佐!?」

 

 震え声で質問をするセレブレッゼ中将の声が聞こえる。今度の相手はシェーンコップ中佐だ。さっきからずっとこの調子で前線指揮官に電話をかけまくっては、一喜一憂している。妨害電波が飛び交う地上戦の戦場では有線通信が司令部と前線をつなぐホットラインとなる。それをこんな下らないことに使わないでほしい。みっともねえからやめろよ、と思う。そもそも、制空権確保は防空部隊の担当だ。心配ならそっちに指示出せばいいじゃないか。

 

「おのれ、シェーンコップめ。増長しおって。だから、ローゼンリッターなど信用できんのだ!」

 

 セレブレッゼ中将はシェーンコップ中佐の返答によほど腹が立ったのか、叩きつけるように電話を切った後で罵倒した。相手に聞かれないように言ってるところが格好悪いが、口に出すこともできずに心の中で悪口を言うだけの俺ほど小心ではないと言えないこともない。

 

「状況はどうなっておるんだ!?」

 

 今度は傍らの参謀に状況報告を求める。もはや、何でもいいから人と喋っていないと不安でたまらないのかもしれない。気持ちはよく分かるんだけど、司令官なんだからもっとしっかりしてほしい。

 

「状況はさらに悪化。好転の見込みなし」

 

 参謀はやけくそ気味に声を張り上げて現実を叩きつける。司令官のあまりの醜態にイライラしていたのだろうか。打ちひしがれたようになったセレブレッゼ中将の手が再び電話に伸びる。

 

「どうなのだ、シェーンコップ中佐、今後の予測は」

 

 またも震え声で質問。さっき罵倒したことも忘れて現金なものだと思う。俺だって内心で罵倒した次の瞬間に機嫌を直してニコニコするのは珍しくないから人のことは言えないけど、司令官ともあろう者が俺と同レベルではまずいんじゃなかろうか。

 

 どうやら、今度もシェーンコップ中佐の返事が気に入らなかったらしく、電話を叩きつけるように切った。ほとんどの指揮官は電話がかかってくるなりいきなり切ってしまうようになっており、何度かけても返事してくれるシェーンコップ中佐はまだセレブレッゼ中将に対して親切と言える。ちなみにクリスチアン中佐にかけたらきつい説教を食らったらしく、しおれきったような顔になって二度目の電話はかけていない。

 

「司令官閣下、もうおやめになりませんか。あなたらしくもない」

 

 怒りで顔をひきつらせて何か言おうとしたセレブゼッゼ中将を、うんざりしたような声で制止したのは参謀長のエイプリル・ラッカム少将。四八歳の彼女はセレブレッゼ中将と士官学校の同期で、三〇年近い付き合いになる盟友だ。小太りでそこらのおばさんのような容姿の彼女は、強烈な個性が揃っているチーム・セレブレッゼにおいては欠かせない調整役だ。

 

 目の前の醜態からは信じがたいが、セレブレッゼ中将はリーダーシップが強い反面、自負心が強すぎて妥協を嫌う面があるらしい。それゆえに実力もプライドも超一流の部下達としょっちゅう衝突しているという。部下同士の衝突も絶えない。その衝突の中からチーム・セレブレッゼの強力なエネルギーが生まれると評されているが、激しすぎると崩壊を招くだろう。その制御がラッカム少将の役割だった。実戦の素人である彼女は今回の戦いでは十分な活躍ができているとは言い難いが、それでも動揺を見せずに参謀長としての責務を果たそうとしているのはさすがだった。

 

「エイプリル、すまん…」

 

 ラッカム少将の一喝にうなだれるセレブレッゼ中将。さすがに長年の盟友の言葉は効いたようだ。二人の間に結ばれた絆の強さを感じる。士官学校の同期ってこういうのがあるんだな。イレーシュ少佐が俺に士官学校に入るべきだったと言った理由が実感をもって理解できた気がする。

 

「シンクレア、あなたは攻めには強いけど、守りに回ると弱くなる。士官学校の頃からそうでしたよね。戦術シミュレーションでも攻め一辺倒で守りは考えない。おかげで随分と勝ち点を稼がせていただきましたとも。あなたがいなかったら、士官学校の卒業順位が一〇〇位は落ちていましたわ」

「君がいなかったら、私は首席で卒業できたんだがな」

「なんて図々しい。戦術シミュレーションで全勝したって、トップクラスの優等生を一五人も抜けるわけがないでしょう」

「勘弁してくれよ」

 

 士官学校時代のことを持ちだされて恥ずかしそうに頭をかくセレブレッゼ中将。彼の醜態で沈みきっていた中央司令室の空気はラッカム少将の言葉で一気に和んだ。名参謀の真骨頂を見たように思う。

 

 どうにか落ち着きを取り戻したセレブレッゼ中将であったが、相変わらず戦況に対応しきれなかった。参謀陣もやはり実戦の要領がつかめないのか、十分な補佐ができずにいる。

 

 帝国軍は損害をものともせずに波状攻撃を続け、戦術スクリーンでは青い点が数を減らしながら左側に押し込まれていく。前線部隊は後退を重ねながら必死で戦線崩壊を防いでいたが、既に限界に達していた。メインスクリーンが映してるのは空からなだれ込んでくる敵の大気圏飛行部隊と陸からなだれ込んでくる敵の戦闘車両部隊、そしてそれに続く歩兵の群れ。味方の姿はどこにも見当たらなかった。

 

「第二八山岳連隊は損害甚大につき戦闘継続を断念。第五トーチカ群を放棄するとの報告あり」

「第八七独立高射大隊は敵に降伏した模様」

「第一一一歩兵連隊より通信が入りました。死亡した連隊長アーナンド中佐から指揮を引き継いだ副連隊長ユー少佐が退却の許可を求めています」

「通信業務集団司令部より報告。通信業務集団基地に敵が侵入し、戦闘状態に入ったとのこと」

 

 相次ぐ凶報に中央司令室の空気は凍りついた。戦術スクリーンの中では青い点の作っていた横陣は糸のように細くなり、ついに切れて散り散りになる。数えきれないほどの赤い点が青い点を飲み込み、一気に基地めがけて殺到する。確定的になった破滅の前に中央司令室にいる誰もが為す術を知らずに呆然となっていると、巨大な爆発音が鳴り響き、司令室が揺れた。

 

「こちら、第四中隊。Jブロックの外壁が敵の砲撃によって破壊されました。気圧差による強風のため、現時点では敵が進入するには至っていませんが、風が止み次第進入してくるものと思われます」

 

 ついに敵が四=二基地司令部に侵入してくる。現在の戦力で敵を撃退できる見込みはない。一週間ぐらい前からもしかしたら死ぬんじゃないかとぼんやりと思っていたが、それが現実となったことを覚って血の気がすーっと引いていく。中央支援集団傘下の各集団の司令部に分遣した憲兵中隊との連絡は既に途絶していた。

 

 任務を達成できないまま、こんな場所で死ぬのかと思うとどうしようもなく怖い。もう一度会いたかった人の顔、もう一度行きたかった場所の光景が次々に脳裏に浮かぶ。なぜか故郷パラディオンの実家と家族の顔が浮かんできた時、静かだが力強い声が俺を現実に引き戻した。

 

「シンクレア、指揮権を私に預けてもらえますか?」

 

 中央司令室にいた全員の視線が参謀長ラッカム少将に集中する。

 

「君が迎撃の指揮をとるというのか?」

「ええ、さっきも言ったでしょう。守りは私の方が強いって。経験も戦力も足りない私達には元から勝ち目のない戦いでしたが、やられっぱなしというのも面白くありません。せめて一矢は報いましょう」

「最後まで君には迷惑をかけっぱなしだったな」

「お礼は天国でしてもらいますわ。天国でラ・コロンヌのマドレーヌが食べられるかどうかは知りませんけど」

 

 セレブレッゼ中将に向かってにっこりと微笑むラッカム少将の顔に救われたような思いがした。そうだ、死ぬならきっちり戦って後悔のないように死のう。現実の人生のように何もせずに後悔にまみれるなんて繰り返したくない。

 

「楽しい夢だったな。ここで終わっちゃうのが残念だけど」

 

 誰にも聞こえないようにつぶやくと、副隊長ファヒーム少佐と基地司令部に詰めている三個憲兵中隊の隊長三人を携帯端末で呼び出し、最後の打ち合わせをすることを伝えた。




セレブレッゼ中将の描写は殊更に貶める捏造ではなく、原作とアニメに忠実であることを明記しておきます。

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