銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

40 / 146
第三十三話:不安に耐える戦い 宇宙暦794年3月24~27日朝 ヴァンフリート星系4=2基地

 宇宙暦七九四年三月二四日。ヴァンフリート星系で同盟軍と帝国軍が交戦状態に入ってから、三日が経っていた。各部隊は連携を欠いたまま個別に戦闘を展開しており、総司令部は十分に戦況を把握できていないという。帝国軍もやはり連携を欠いており、戦域全体が無秩序な混戦状態に突入しているらしい。後方支援業務の調整もうまくいっておらず、各艦隊・分艦隊から入ってくる要請を総司令部がそのまま後方基地へ伝達している。

 

 四個艦隊もの大兵力に対する後方支援ともなると、高度な業務処理能力を持っていなければおぼつかない。補給要請がバラバラに入ってきたら、処理すべき業務量は何倍にも跳ね上がる。しかも、通信状態が悪くて連絡も遅れがちだ。後方支援要員は二四時間体制で連絡が入り次第物資を送り届ける準備を整えている。

 

 四=二基地の中央支援集団司令部の負担は想像を絶するものであったが、シンクレア・セレブレッゼ中将の手腕によって破綻を免れていた。膨大な要請を素早くかつ適確に処理していくセレブレッゼ中将の指揮は大軍を寡兵で撃退する名将の用兵を彷彿とさせる。セレブレッゼ中将を補佐する副司令官カルーク少将、参謀長ラッカム少将、各部門の責任者を務める工兵団司令官シュラール工兵少将、衛生業務集団司令官オルランディ軍医少将、通信業務集団司令官マデラ技術准将、整備業務集団司令官リンドストレーム技術少将、輸送業務集団司令官メレミャーニン准将らの手腕も同盟軍最高峰の後方支援のプロだけのことはあった。彼らの拘束命令を受けている俺でも感嘆せずにはいられなかった。

 

 全機能をフル稼働させた四=二基地は慌ただしい雰囲気に包まれていたが、全員が忙しかったわけではない。この基地には後方支援要員の他に二万人ほどの警備・戦闘要員が所属している。全員が単一の部隊というわけではなく、連隊・大隊規模の雑多な地上軍部隊で構成されている。基地警備にあたる二個連隊と憲兵隊以外は必要に応じて前線に投入される予備部隊だ。艦隊戦が決着しそうにない現状では彼らの出番は無く、後方支援部門の喧騒とは無縁でいられた。第一七七歩兵連隊長エーベルト・クリスチアン中佐もその一人である。

 

「今回の戦いはどうなるんでしょうね。こんなぐだぐだした展開の戦いは初めてなんで予想付かないですよ」

「不安か?」

「ええ、なんか落ち着かないですよ」

 

 中央支援集団司令部を監視しながら拘束のタイミングを待つというのは精神力の必要な任務だった。私的制裁追放キャンペーンを大げさに展開しているせいで俺に敵意を向ける人間も多い。ファヒーム少佐を始めとする古参の憲兵は俺の行動をスタンドプレーとみなして反発しているし、シェーンコップ中佐も厄介な相手だ。早く戦いが終わってくれないとただでさえ乏しい精神力が尽きてしまいそうだ。

 

「貴官は実戦経験が乏しいからな。待つことに慣れてないのも無理はないが、いずれ慣れないといかんぞ」

 

 クリスチアン中佐は盛大に勘違いをすると、分厚いステーキにドスンとフォークを突き刺してガブリとかじる。中佐は俺の本当の任務を知らないから、勘違いをするのは当然だけど。

 

「実戦で一番難しいのは待つことだ。不安に押しつぶされそうになる。それに比べたら、戦闘なんて楽なものだな」

「そうなんですか?」

 

 敵を待つだけでストレスになるというのは幹部候補生養成所の授業で習った。発散するために違法賭博や麻薬に手を出す兵士が多い。しかし、死の恐怖はもっと強いのではないだろうか。どっちも実戦では経験したことないけど。

 

「不思議なものでな、長い間戦場にいると、敵と出会うことを願うようになるのだ。敵が出てくればこれ以上待つ必要がなくなるからな。死ぬのがわかっているのに敵を求めて突撃する者さえいる。不安に苦しむぐらいなら、死んだ方がマシと思うのだ」

 

 そういえば、エル・ファシル義勇旅団の時も待つのに耐え切れなくて出戦を志願する義勇兵がたくさんいたなあ。「戦って死にたい」と泣いて直訴してくる人もいた。当時は故郷を取り戻す戦いでお客さん扱いされるのが辛かったんだろうと思ったけど、出番を待つ不安も大きかったのかな。最初で最後の出動命令が出ると、義勇兵の顔は明るくなった。誰が見てもおまけ扱いとわかる命令を喜ぶ理由がいまいちわからなかったけど、不安が消えてほっとしたのかもしれない。メディアが報じる義勇旅団の活躍を事実だと信じてるクリスチアン中佐には言えないけど。

 

「心当たりはあります」

「エル・ファシルか」

 

 背筋がひやりとした。気づいていたのか。

 

「あのリンチも敵の攻撃を待つ間の不安に耐えられなかったのかもな。エル・ファシル本星に逃げこんですぐに敵の攻撃を受けたら立派に戦って死ねたかもしれん」

 

 ホッとするとともに後ろめたさを感じた。クリスチアン中佐は俺の実戦経験の乏しさを心配してくれているのに、俺は隠し事をしている。そもそも、現実においてどのように生きていたかを誰にも言えない時点で、すべての人に隠し事をしてると言える。中佐のように公明正大に生きられない自分が情けなくなる。今の俺は逃亡者ではないが、卑怯者だ。

 

「公明正大に生きるって難しいですね。一時の不安に耐えられなかっただけで、リンチ提督のように踏み外してしまいますから」

 

 リンチ提督のことは他人事ではない。現実の俺は不安から逃れるために酒や麻薬に溺れて、挙句の果てにサイオキシンにまで手を出したのだ。彼のせいで人生を踏み外してしまったけど、それでも恨む気にはなれなかった。クリスチアン中佐の意見を聞いた今は親近感さえ感じる。

 

「誰もが貴官のようには生きられんからな」

「俺が、ですか…?」

「うむ。貴官は公正な男だ。原理原則を踏み外すことはなく、誰に対しても誠心誠意接する。他人を好き嫌いと別の角度で見ることができる。貴官の真価は人格にこそあると小官は思う」

 

 俺が原理原則を踏み外さないのは自分の判断を信じるのが怖いからだ。他人に誠心誠意で接するのは期待を裏切るのが怖いからだ。他人を好き嫌いと別の角度で見ようとするのは自分の好き嫌いを信じるのが怖いからだ。公正とは正反対の存在だろう。

 

「怖いんですよ。自分を信じるのも他人を裏切るのも。公正なんかじゃないです」

「動機はどうあれ、貴官が公正であろうと努力しているのは事実だ。真似事であっても貫き通せば本物になる。救われる者も多いだろう。それで十分ではないか」

「俺は本物になれるんでしょうか…?」

「小官にはとっくの昔に本物になっているように見えるがな。今回の私的制裁追放キャンペーンも実に貴官らしい。勇み足が過ぎてだいぶ疎まれているようだが、原理原則と対話を大事にする態度は立派だ。今度も押し通せ」

「ありがとうございます」

 

 ブラフで始めたキャンペーンだけど、まったく手は抜いていない。私的制裁の基準を明確にすることで言い逃れを防ぎ、説明を求められたらどこにでも出向いた。匿名相談窓口には面会窓口と通信窓口とメール窓口があったが、いずれにもメンバーの一人として参加して、相談者の声を聞くことで対応の改善をはかった。自分で相談窓口に入って生の声を聞くというのはドーソン中将から学んだ手法だ。憲兵隊長室を訪れた人にはコーヒーをいれるけど、これは俺の趣味というか習慣みたいなものだ。

 

「シェーンコップのようなふざけた奴をまともに相手するなんて、小官にはできんからな。三〇秒が限界だ」

 

 クリスチアン中佐は苦々しげに吐き捨てる。堅物のクリスチアン中佐と根っからふざけきったシェーンコップ中佐は水と油だろう。まあ、シェーンコップ中佐と相性が悪くない軍人なんて滅多にいないだろうけど。

 

「ローゼンリッターはならず者の集まりだが、シェーンコップは桁が違う。あれほど権威を尊ばない奴は見たことがない。あいつがローゼンリッターの指揮権を握ったらどれほど恐ろしいことになるか。能力があるからといって、軍人精神の欠片も無い者を引き立てたら取り返しがつかなくなるぞ」

 

 現実の歴史ではシェーンコップはローゼンリッターを率いてハイネセン市で蜂起し、政府に囚われたヤン・ウェンリーを救出した。国家への忠誠心を持たない指揮官と特殊戦能力を持った精鋭部隊の結合はクリスチアン中佐が危惧した通りの結果を引き起こしたことになるが、この世界ではどうなるのだろうか。

 

 

 

 シェーンコップ中佐は副連隊長の他にローゼンリッター第一大隊長も兼任している。第一大隊の首席幕僚たる運用訓練主任を務めるのはカスパー・リンツ大尉。自他ともに認めるシェーンコップ中佐の片腕であり、現実の歴史では最後のローゼンリッター連隊長を務めた。俺の幹部候補生養成所時代の唯一の友人でもある。

 

「そういや、副連隊長がおまえさんのこと褒めてたよ」

「俺を!?」

 

 リンツはマフィンを食べている俺をスケッチしながら驚くべき発言をした。シェーンコップ中佐が俺のどこを褒めるんだろうか。見当がつかない。

 

「コーヒーいれるのうまいって」

 

 そこを褒められるなんて意外だ。シェーンコップ中佐は俺がいれるコーヒーを飲んでも味の論評はしないで、俺が自分で飲むコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れるのをからかってたから。でも、あの人に褒められるような能力や人格は持ってないから、褒めどころといえばそこしかないんだよな。

 

「徴兵される前はコーヒーショップでバイトしてたからね」

 

 実のところ、コーヒーをいれるのは好きだったけど、上達したのはこちらの世界に来てからだ。ちゃんとした道具を揃え、カフェのマスターにコツを教えてもらい、職場の人に飲んでもらって感想を聞いて、最近になってどうにか人に飲ませられるレベルになった。

 

「『人間なにかとりえがあるものだ』と言ってたぜ」

「それ、褒められてんのかな…」

「あの人は素直じゃないからね」

 

 伝記によると、シェーンコップは女性とコーヒーには妥協しない人だったそうだ。イゼルローン要塞がカール・グスタフ・ケンプ大将とミュラー大将に攻撃された際に、迎撃の指揮を取りながら当番兵にコーヒーの味を細かく注文して司令官代理のキャゼルヌを呆れさせたという逸話がある。コーヒーだけは認めてもらえたということか。

 

「それにしても、シェーンコップ中佐はしょっちゅう俺の部屋にコーヒー飲みに来るんだけど暇なのかな。リンツも最近は良く来るよね。ローゼンリッターの仕事はどうなってんの?」

 

 シェーンコップ中佐は二日に一回の割合でコーヒー飲みに来て、リンツは今週に入ってから毎日俺をスケッチに来ている。二人とも要職のはずなのに何してるんだろうか。

 

「部下に任せてチェックだけして、責任は自分が取る。副連隊長流の人材育成法だな。あの人の理想は指揮官が細かく指示しなくても、全員がやるべきことをわきまえて動ける組織だから」

「シェーンコップ中佐ほどの人なら、全部自分で指示した方がてっとり早そうなのに」

「部下にも高いレベルを求めてるんだよ。全部自分で細かく指示しないと動けない部下と、大雑把な指示で思い通りに動く部下。どっちの方が部隊の動きが良くなると思う?」

「後者かな。短い指示で動けるから、伝達速度が速くなる。伝達速度の早さは部隊の動きの早さにもつながるね」

「そういうこと。副連隊長の指揮能力がいかに高くても、部下がそれについていけなかったら無意味だからな」

 

 シェーンコップ中佐が指揮する部隊の精鋭ぶりは有名だ。戦闘に強いのはもちろん、規律の維持、提出される命令書や報告書、物資の管理といった部隊運営業務の質も高い。あの性格でどうやって部下を育ててたのか想像つかなかったけど、大胆に仕事を任せて自分は後見に徹して経験積ませてたわけか。リンツもそうやって育てられた一人と。やっぱりシェーンコップ中佐は凄い。めんどくさい人だけど。

 

「うちの司令官とは真逆だね」

「セレブレッゼ中将か?」

「いや、ドーソン中将」

「ああ、じゃがいも閣下ね。最近は評判良いらしいけど」

「そうなの?」

「憲兵司令官になってから、人を使えるようになったってさ」

 

 そういう評判はちらほら耳にしてたけど、もともとドーソン中将に好意的な人ばかり言ってたからあまり信用してなかった。でも、相性悪そうなローゼンリッターの人まで言ってるってことはわりと一般的な評価なのかな。

 

「憲兵司令部は優秀な人多いからね。ベイ中佐とか、コリンズ中佐とか」

「副官が特に優秀らしいよ」

「ああ、ハラボフ大尉ね」

 

 俺の後任としてドーソン中将の副官を務めるユリエ・ハラボフ大尉は士官学校を上位で卒業した若手女性士官だ。歩くデータベースと言われるほどの知識量に「耳と手が四つある」と言われるほどの処理能力を誇る逸材でありながら、能力を鼻にかけずに謙虚に学ぶ姿勢を持っている。細かいことによく気が付き、人当たりも良い。副官になるために生まれてきた人物といえるだろう。徒手格闘の達人だからボディーガード代わりにもなるし、美人だから目の保養にもなる。引き継ぎの時に妙につっかかってきたのが鬱陶しかったけど、俺の雑な仕事を引き継がされてイライラしてたんだろうな。でも、彼女が特に優秀というのは頷ける評価だ。

 

「いや、前任の副官」

「俺?」

「じゃがいも閣下は良く出来た副官を持ったおかげで変わったという評判だぞ」

「ドーソン中将が頑張った時にたまたま俺が副官だっただけだよ。嫌になるぐらい副官の仕事向いてなかったし」

「まあいいや。とにかく世間はそう見てるってこと覚えとけよ。そして、おまえさんの評判は四=二基地の連中の警戒を招くに十分ってこともな。なんせ、おまえさんは他人のことは良く見えるのに自分のことは全然見えない変わった目を持ってるから」

 

 警戒されてるというのは感じる。どうやら俺は過大評価されやすいたちらしいというのは、エル・ファシルの英雄として騒がれてた頃に気づいた。義勇旅団の頃なんてまったく仕事していないのに有能な指揮官ということになっていて、実像と虚像の乖離がひどいことになっていた。最近は収まってたと思ったけど、有能な副官という虚像が一人歩きして警戒を招いたら面倒なことになる。私的制裁追放キャンペーンに入れ込むことで警戒を逸らす工夫はしていたけど、別の工夫も必要かもしれない。思案していると、リンツはスケッチブックを畳んで立ち上がった。

 

「そろそろ帰る」

「あー、お疲れ様」

「あまり長居すると連隊長殿がうるさいんでな」

 

 ローゼンリッター連隊長のヴァーンシャッフェ大佐は上に忠実で部下には厳格な人物だ。中佐になるまでは寛大で気前も良かったが、大佐になると人が変わったという。リンツに言わせれば将官に昇進するための点数稼ぎということだが、俺から見たら上層部の好意を獲得することで立場が微妙なローゼンリッターの立場を確保しようとしているように見える。前線で戦うリンツとオフィスで仕事している俺の視点の違いでそう見えるのかもしれない。いずれにせよ、ヴァーンシャッフェ大佐とシェーンコップ中佐の仲が良くないことは容易に想像できる。

 

 三月二五日から通信状態がさらに悪化して、総司令部からの連絡がまったく入ってこなくなった。連絡途絶は戦場では珍しくないことだとクリスチアン中佐は言っていた。連絡が途絶すること無く司令部が常に戦況を把握できるなど、創作の世界の話なのだという。しかし、ずっと後方のオフィスで働いてきた俺にとって、連絡手段が使用できないなど初めての経験だ。唯一前線で戦った二年前のイゼルローン要塞攻防戦でも連絡が途絶することはなかった。胸の中に漠然とした不安が生じたが、明日になれば回復しているだろうと考えて通常通りの仕事を続けた。

 

 二六日になっても連絡が途絶したままだった。不安のあまり集中力を失った俺は、シェーンコップ中佐に出すコーヒーの砂糖の量を間違えて笑われてしまった。不安に怯えているのは俺だけではない。

 

 基地の中にも動揺が広がり、中央支援集団司令部は昼からずっと幹部会議を開いて対応を協議している。同盟軍の勢力圏のど真ん中にある四=二基地が戦場になることは考えられないが、同盟軍宇宙艦隊が敗北して前線を突破されていたら話は別だ。基地撤収、最悪の場合は進駐してくる敵との交戦も有り得るかもしれない。

 

 こんな時に軍規の番人たる憲兵隊のトップが不安に揺れていてはいけない。憲兵隊の中隊長級以上の幹部を招集して夕方から深夜まで緊急会議を開き、司令部が撤収を決断した場合や敵と交戦した場合の対応を取り決めた。会議が終わって部屋に帰ると、一人で司令部メンバー拘束計画を検討し、撤収時と交戦時それぞれの修正プラン準備にとりかかる。修正プランが完成した時には既に夜が明けていた。

 

「これを使う必要がなければいいんだけど…」

 

 机の上に置かれた憲兵隊の撤収時及び交戦時対応プランのファイルと、端末の中の拘束計画修正プランを交互に眺める。

 

「長い一日になりそうだな…」

 

 宇宙暦七九四年三月二七日七時。窓の外に広がるのはいつもの暗い空。一睡もしていない俺の目にはどうしようもなく不吉に見える。不安に苛まれながら朝食代わりのマフィンを口に突っ込み、牛乳で流し込むと部屋を出て仕事に向かった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。