銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十六話:じゃがいも鑑定法 宇宙暦792年冬 ハイネセン市、第一艦隊司令部

 じゃがいも参謀ことクレメンス・ドーソン准将はかねてからの噂通り、少将に昇進して第一艦隊後方主任参謀の職を離れた。イゼルローン攻防戦で大損害を受けた第一艦隊は当分の間前線には出られない。参謀たちは損失見積りや補充計画などの作成で大忙しだろうが、現場が忙しくなるのはずっと先のはずだ。現場に口を出したがるじゃがいも参謀もいなくなる。

 

 今年の二月にアイリスⅦの補給長に着任したばかりの俺が忙しい部署に異動させられる可能性は低いはずだった。しばらくはのんびりできるはずだったのに。どこで読み違えてしまったんだろうか。考えるたびにため息が出てしまう。

 

「フィリップス中尉、参謀長からまたご指名だぞ」

 

 気の毒そうな表情を浮かべて俺に1ダースに及ぶ文書作成指示のメモを渡したのは、現在の直接の上司である第一艦隊司令部経理部経理課長ハシュバータル少佐だ。メモには作成する文書の内容案と注意事項がきれいな字でびっしり記されている。指示内容は詳細にわたっているが簡潔で読みやすく、メモを書いた人物が有能であることは一目瞭然だ。念入りなことにメモを書いた日時が秒単位まで記されている。作成者の氏名の署名は全部同じ。

 

『参謀長クレメンス・ドーソン』

 

 少将に昇進したドーソンは第一艦隊の参謀長に就任して、俺の予想を見事に裏切ってくれた。その一週間後、俺は司令部の経理事務を担当する経理部経理課に転属を命じられた。

 

 艦隊司令部には作戦部、後方部、情報部、人事部、経理部、通信部、衛生部、法務部が設置されており、参謀長の監督下で司令部の業務を分担している。作戦部、後方部、情報部、人事部は主任参謀とも呼ばれる部長の下で参謀がそれぞれの分野における分析・計画・監督を担当する参謀部門だ。それに対し、経理部、通信部、衛生部、法務部は専門業務を担当する。イレーシュ少佐が言うには、前者と後者の違いは民間企業における企画部門と事務部門の違いなのだという。そして、駆逐艦補給長から司令部経理部への転属は、末端支店の経理課長から本社経理部への転属のようなものだから、栄転と思って素直に喜んでいいのだそうだ。

 

 しかし、俺は楽しく仕事したいだけで出世したいわけではない。司令部なんてただでさえ激務なのに、仕事を増やすのが大好きなドーソン少将が取り仕切るとなれば最悪だ。栄転でもありがたくない。

 

 切れ者と呼ばれていただけあって、ドーソン少将の実務能力は相当なものだった。指示は簡潔で的確、部署間の連絡は迅速かつ正確に行われるようになり、文書の流れが滞ることも無くなった。フットワークが格段に早くなり、どんな些細な問題でも司令部にすぐ解決に乗り出してくれるため、現場の一部では歓迎されているようだ。ドーソン少将の指揮のもとで司令部機能は飛躍的に強化され、第一艦隊の再編成もかなり早く進んでいる。彼が優秀なのは疑いないが、仕事ができる上司が仕えやすい上司とは限らない。

 

 ドーソン少将は他人に仕事を任せるということができず、何でも自分で指示しようとする。普通の上司は責任者に指示を出して任せるだけだが、彼は頭越しに指示を出すことが多い。文書作成を指示する時も総務部長に指示を出して任せきりにするのが筋なのに、経理部長と経理課長の頭越しに俺宛てのメモを書いて指示を出す。いちいち細かく指示されたら、ストレスが溜まってしまう。有能な彼から見たら、他人の仕事なんて雑でたまらないのだろうけど、過剰なまでに正確を求めすぎるのも問題だと思う。

 

 現場に足を運び、熱心にメモを取ってどんな細かい情報でも拾おうとするだけならいい。しかし、気を配りすぎて、いちいち全部に対処しようとするのは問題だ。艦長レベルで処理できるはずの問題に参謀長自ら指示を出すなんてことも珍しくない。下の人間の提案を積極的に聞き入れようとするのはいい。しかし、アピールするために何の役にも立たない提案を持ち込むような人間の言うこともいちいち真面目に聞き入れてしまうため、司令部は毎日くだらない議論に忙殺されている。こんな司令部で勤務している自分の身が悲しくなってしまう。

 

「やっぱ、俺、嫌われてるんですかね…」

「じゃがいも参謀殿に?」

「ええ。言われたとおりに文書作ると、びっしり手直しが入るんですよ。俺の作る文書が酷いのがわかってるなら、最初から書かせなければいいのに。上手に書ける人はいくらでもいるじゃないですか」

「頭蓋骨にじゃがいもが詰まってる人の考えることは小官にはわからんなぁ」

 

 俺が言い出した「じゃがいも参謀」と言う呼び名は既に第一艦隊全体に広まっていた。今、俺が愚痴っている相手のハシュバータル少佐もその呼び名を使っている一人だ。ドーソン少将は司令部での人望をすっかりなくしてしまっていて、無意味な提案をして点数稼ぎに励む人間以外は近寄ろうとしない。

 

「補給長やってた時にレポート提出したら、何度も再提出させられたんですよ。他の補給長は全然手直しさせられずに受け取ってもらえたのに」

「現場にいた貴官に言うのもなんだが、現場の人の書くレポートってあまり面白くない。若い人は細かい指摘ばかりで全体が見えてないし、ベテランは体裁ばかり整えて『出せばいいんだろ、出せば』って態度が露骨でな。まともに読む気になるのは二〇本に一本ぐらいだ」

「ベテランの人って文章力凄いのに、レポートはつまらないんですか?」

「書式に則った文章は上手だぞ。短い文章に必要な情報を詰め込む技術は芸術的といっていい。だけど、自分なりの視点が必要な文章は書けない。書く気がないといった方が正しい。力の抜き方を心得てるから、本来の仕事と関係ないところでは力を使わないんだな」

「手を抜いても再提出させられないなんて凄いですね」

「明らかに手抜きしてるのに突っ込む隙だけは見せないレポートなんて、再提出させても面白くなる見込みが無いだろ」

「うちの軍のベテランって、本当に煮ても焼いても食えないですね」

「人間は三〇年も軍隊にいたら、妖怪になっちまうってことさ」

「妖怪だったら、あの参謀長も怖くないんでしょう」

「立場が離れすぎてるってのもあるわな。雲の上と雲の下じゃ喧嘩のしようもないから、案外うまくやれるのさ。司令部の参謀と駆逐艦の乗員が喧嘩する理由なんて思いつかないだろ?たまに顔合わせた時にニコニコしてるだけでうまくいく」

「ああ、なるほど」

「じゃがいも参謀殿も遠くから見たら、仕事熱心で気配りができる人材に見えるだろうよ」

 

 でも、俺が補給長やってた時は遠くから見てたけど、そんな良い人には見えなかったぞ。レポートでさんざん苦しめられたしね。他の人から見たらどうなるのかな。

 

 

 

 終業後、日課のトレーニングを終えて官舎に帰った俺は携帯端末をアンドリューにかけてみた。アンドリューが出ると、ドーソン少将について自分が思うことを話して意見を聞いてみる。

 

「じゃがいも参謀をどう思うかって?」

「その呼び名、ロボス閣下の司令部にも広まってるの?」

「うん。うまいこと言う人がいるよね。うちの司令部でも大流行りだよ」

 

 あの真面目なアンドリューが口にするぐらい広まってたのか。言い出したの、俺なんだよなあ。

 

「君らは遠くから笑ってるだけで済むからいいよね」

「うちは苦笑いって感じかな。閣下は雑な人だから、お仕えしてるうちにみんな細かくなっちゃうの。ロックウェル参謀長なんて『うちの大将にじゃがいもの爪の垢を煎じて飲ませたい』ってぼやいてたね。そしたら、コーネフ副参謀長が『粉ふき芋のゆで汁を召し上がっていただいたらいいじゃないですか』って言ってさ。みんな笑ったよ」

「ホント、ロボス閣下の司令部はいつも楽しそうだね。うらやましいわ。うちはひどいもんだよ」

「でも、じゃがいも参謀は仕事はできるんでしょ?」

「うん。指示書とか見ると本当によく書けててさ。あれだけ読みやすく配慮された文章書ける人が、なんで部下に配慮できないのかって不思議になるぐらい」

「へえ、そんな凄いなら読んでみたいな。来年からロボス閣下の副官になる予定なんだけど、なかなか文章が上達しなくて不安なんだよ」

「副官になるんだ。おめでとう」

 

 最初に知り合った時は仕事が覚えられなくて悩んでたのに、今は秘書役の副官に指名されるほどになったんだなあ。やっぱ、アンドリューは凄いや。

 

「なるだけじゃだめだよ。ちゃんとお役に立てないと。副官に指名されたのは嬉しいけど、プレッシャーも大きいよ」

「出世しても実力が伴わなかったらしんどいからね」

 

 義勇旅団にいた頃を思い出す。まったく部隊運営の仕事をさせてもらえなかったけど、今になって思うとそれで正解だった。ちゃんと仕事をしようとしたら、実力が伴わなくてあの時よりずっと落ち込んでいたかもしれない。ブーブリルや義勇兵を統率するなんて無理だっただろうし。シャルディニー中佐のように期待に殺されていたかもしれない。

 

「そうそう。参謀ってむやみに昇進したがる人が多いんだけど、あれは良くないね。早く出世し過ぎると、無理して失敗しちゃうから。士官学校を首席で出た人は早死することが多いんだよ。二〇代で大佐や将官になると、プレッシャーも凄いんだろうなあ」

 

 まったくその通りだ。歴史の中のアンドリュー・フォークは二六歳で准将になって失敗した。けど、今話してるアンドリューはその心配はないだろうな。プレッシャーに向き合いながら力をつけていくはずだ。

 

「俺はその点大丈夫だね。一〇年後ぐらいに大尉に昇進しておしまいだから」

「正規艦隊司令部勤務の二四歳中尉ってエリートじゃん。エリヤと同い年の士官学校卒業者もそれぐらいのポジションだよ」

「ただの事務職だよ」

「経理課でしょ?事務方のエリートコースだよ。現場あがりでも準エリートみたいな人じゃないと配属されない。そもそも、士官学校出てない事務職が二〇代前半で士官やってるだけで普通じゃないよ」

「英雄の名前のおかげだよ。それがなかったら士官やってない」

 

 英雄にならなかったら、幹部候補生養成所を受験しようとは思わなかった。第七方面管区司令部が受験勉強を支援してくれることもなかった。中尉に昇進できたのも英雄の名前のおかげだ。英雄としての評価抜きでは何も成し遂げられなかった。悲しいけど、それが今の俺の実力だった。

 

「エリヤは他人のことは良く見えるのに、自分のことは見えないのな」

「どういうこと?」

「たとえばさ、じゃがいも参謀のことはとても良く観察してると思ったよ。好きじゃない相手なのにちゃんと良い面を見ようとしてるよね。それに他の人の視点を取り入れながら多角的な評価を試みてる」

「普通、他人の事って気にならない?」

「気にするのと見るのは違うよ。気になりすぎて相手がちゃんと見えないことだってある」

「なるほどなあ」

「なんでそこまで自分を過小評価したがるのかは知らないけど、冴えなかったのってハイスクールまでだろ?今のエリヤは誰もが認める優等生なんだから。自分ではそう思ってなくても、他人にはそう見える。それはちゃんと受け止めなきゃね」

 

 他人にはそう見える、それはちゃんと受け止めろ、か。子供の頃からリーダー経験豊富なだけあって、人間関係を良くわかってる。俺が現実でエル・ファシルの逃亡者になってからの六〇年間をどんな思いで生きてきたかを教えてみたら、彼は何と言ってくれるのか聞いてみたい気がする。

 

 この世界で光を浴びれば浴びるほど、自分があの暗闇の六〇年間を引きずっていることを痛感した。最初からこの世界で生まれてたら良かった。そうしたら、素直に自分を好きでいられたかもしれない。

 

「ありがとう」

「好きじゃない人にもちゃんと興味持つっていいことだと思う。ドーソン少将とも仲良くなれる日が来るといいな」

「そりゃねえわ」

「ないよなあ」

「適当こいてんじゃねーよ」

 

 端末の向こうでアンドリューのあっはっはという笑い声が聞こえた。こいつと話してると、クリスチアン中佐やイレーシュ少佐が同年代の友達は大切っていう理由が良く分かる。立場が近かったらもっと楽しいんだろうな。ロボス大将の副官就任が内定してる彼と、艦隊司令部の経理課でドーソン少将にこき使われてる俺では立場が違いすぎるのが残念だ。

 

 年が明けて七九三年を迎えた。第一艦隊司令部は相変わらずドーソン少将に苦労させられている。うんざりしつつもアンドリューがロボス大将の副官に就任したらどんなお祝いをしようかを考えつつ、朝から晩まで書類を作っていた。そんなある日、いつものように朝早く司令部に出勤すると経理部長から呼び出された。まず「俺より早く来る人がいるんだな」と思ったが、その次に上司の上司である経理部長に呼び出されたことを不思議に思った。訝しむながら経理部長室に入る。

 

「おめでとう、フィリップス中尉」

 

 笑顔で俺を迎える経理部長アントネスク中佐。彼に祝福される覚えなんてないんだけど、どういうことだろうか。

 

「君の大尉昇進が内定した」

「え…!?」

 

 今の俺はものすごい間抜け顔をしていたはずだ。なんでこのタイミングで昇進するんだ?

 

「憲兵司令官副官への就任も内定している」

「ええええーっ!!」

 

 やばい、声に出してしまった。大尉昇進だけでもびっくりなのに、憲兵司令官副官就任なんて聞かされて驚きを隠せるほどの冷静さは俺にはない。憲兵司令官と言えば、同盟軍の軍事警察のトップだ。記憶の中ではローエングラム朝銀河帝国のウルリッヒ・ケスラー元帥が憲兵総監だった。その秘書役を務める副官はエリート中のエリートといえる。どうして俺がそんな要職に抜擢されたんだろうか。さっぱり理解できなかった。


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