銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十三話:じゃがいもと補給長 宇宙暦792年春 第一艦隊所属駆逐艦アイリスⅦ

「抜き打ちで調理室のゴミ箱を漁って回ってるんだよ。そんで、使える食材が見つかったらわざわざ担当者呼び出してお説教するの。将官がすることじゃねえわ」

「第一艦隊も大変そうだな。その点、ロボス閣下は細かいことにこだわらないから…」

「あー、はいはい。ロボス閣下えらいよね」

「ちゃんと聞けよ」

「だって、アンドリューはロボス閣下の話になると長いもん」

「ごめんごめん。でも、あの『切れ者ドーソン』がいる時に補給長だなんて、エリヤもついてないな」

「まったくだよ」

 

 携帯端末の向こうのアンドリューに愚痴を吐き出してすっきりした俺はマフィンに手を伸ばす。今日はこれで五個目だ。イライラしていると甘い物が欲しくなる。

 

 現在の俺は第一艦隊に所属する駆逐艦アイリスⅦの補給長を務めている。艦内の経理、物資管理、給食などの責任者だ。部下は下士官の主任三人と兵一五人。給与係長の時と比べると部下の数は倍以上に増えていて権限もかなり大きくなっているが、ルーチンワークの管理がメインであることには変わりない。補給士官としては一般的かつ地味な仕事で武勲とは無縁だったけど、俺の性にはとても合っていた。業務はすぐ覚えられたし、部下もすぐに懐いてくれた。上司である艦長・副長や同僚である航宙長・砲術長・船務長・機関長もみんな穏やかな年配者で俺のことを可愛がってくれた。

 

 五月にイゼルローン回廊への出撃を控えてる第一艦隊はここ数週間、ずっと宇宙空間での訓練に明け暮れていて補給部門も大忙しだったけど、義勇旅団と比べたら天国のような職場だった。それが一変したのはあのドーソンがうちの艦隊に来てからだ。

 

 第一艦隊後方主任参謀クレメンス・ドーソン准将は今年で四二歳。統合作戦本部から出向してきた業務管理のプロフェッショナルで『切れ者ドーソン』の異名を取っているらしい。本来なら大佐が務める主任参謀を准将のドーソンが務めているのは、後方部門が弱い第一艦隊へのテコ入れなのだそうだが、使えないから飛ばされたんじゃないかと俺は疑っている。

 

 自ら作成した献立表を「将兵の栄養状態改善のため」と称して配布して各艦の給食主任の不評を買ったのを皮切りに、「消費電力を5%減らすための節電法」「虫歯を防ぐ歯の磨き方」といった通達を出しまくっている。しかも、通達が守られているかどうかを確認するために自ら抜き打ち検査するものだから、第一艦隊の補給長達は気の休まる暇がない。最近は「食糧の消費状況を把握する」と言って自ら各艦の調理室のゴミ箱を調べて回っていた。使える食材が出てきたら、補給長と給食主任はたっぷり絞られて始末書を書かされるという。みんなピリピリして、すっかり空気が悪くなってしまった。

 

 俺が読んだ歴史の本ではドーソンは後に元帥・統合作戦本部長まで出世したけど、政治家に媚びる以外能がないと言われていた。第一艦隊後方主任参謀を務めていた時にダストシュートを漁って「じゃがいも数十キロが無駄に捨てられていた」と発表して、「じゃがいも士官」とバカにされたそうだ。将来の元帥の有名な逸話が作られる歴史的瞬間に立ち会っているわけだが、全然うれしくない。

 

 この夢の中では何人もの歴史上の有名人に会っているけど、だいたいは本の中の評価と実際に見た印象が大きく食い違っていた。ロボス大将やアンドリューはその好例だ。しかし、ドーソンに関してはだいたい本の通りである可能性が高そうだ。

 

「エリヤも他人に腹を立てることがあるんだな。安心した」

 

 おかしそうに笑うアンドリュー。どこまでも呑気な奴だ。

 

「そりゃそうだよ。俺をなんだと思ってんだ」

「いやさ、いつも人に遠慮しすぎなんじゃないかって思ってたんだよね。でも、こんだけ怒れたら心配いらないな」

「平穏を妨げられて怒らずにいられるほど心広くねえよ」

 

 本日六個目のマフィンに手を伸ばしかけたところで部屋に据え付けられているTV電話が鳴った。こんな時間になんだろうと思って通話スイッチを押すと、給食主任アルネ・フェーリン軍曹の顔が映る。

 

「補給長、後方主任参謀がお見えになりました。調理室の検査だそうです」

 

 ついに来たか、と思った。まさか、業務時間外の夜八時に来るとは思わなかったけど。

 

「わかった。今から行く」

 

 軍曹に返事した後でアンドリューに検査が来たことを伝えて携帯端末を切る。素早く軍服に着替えて調理室に向かう。調理室の扉を開けると、中にはフェーリン軍曹と作業服姿の男がいた。ヘルメットを目深に被ってロール状に巻かれたビニールシートを抱えているその男は俺を確認すると早足で歩み寄ってくる。身長は俺と同じぐらい。つまり、平均よりやや低い。

 

「責任者のフィリップス中尉だな。小官は後方主任参謀ドーソンだ。これより検査を行う」

 

 初めて直に見たドーソン准将は「一分の隙もない」という印象だった。背筋は「中に棒が入ってるんじゃないか」と錯覚するぐらい真っ直ぐに伸び、口ひげは綺麗に整っていて、作業服はしわ一つなく、靴もピカピカに磨かれている。今の格好は自分でゴミ箱を漁るためなんだろうけど、これから汚れ仕事をするのに身なりをきっちり整えてくるあたりに人となりが伺える。しかし、ドーソン准将以外の司令部の人間が誰も来ていないように見えた。どこかで待機していんだろうか。

 

「お疲れさまです」

「うむ。ご苦労」

 

 俺の敬礼に敬礼で応えると、ドーソン准将は調理室の隅に行ってビニールシートを広げると、その上にゴミ箱の中身をぶちまけ始めた。他の誰かが来る様子はない。まさか、本当に一人で来たのか…?旗艦とアイリスⅦの距離はかなり離れてるから、常識的に考えてシャトルの操縦役ぐらいは連れてきてるはずだけど。

 

「ところで閣下はお一人で来られたのですか?」

「うむ。他の者は勤務時間外だからな」

 

 ドーソン准将は振り向かずにゴミを仕分けしながら答える。司令部から公用でやってきたはずの将官が随員を一人も連れてきていないという事態にびっくりした。この時間に旗艦から一人でシャトル操作してアイリスⅦまでゴミ漁りに来たのか。作業着姿のドーソン准将がビニールシート抱えてシャトル操作してる姿を想像してちょっとおかしくなる。

 

「お手伝いしましょうか?」

「これは小官の仕事だから、貴官が手伝う必要はない」

 

 またも振り向かずに答えるドーソン准将。ビニールシートの上を見ると、仕分けられたゴミが整然と並べられている。無駄に時間かけて自己満足で並べているのかといえばそういうわけでもなく、かなりの早さで手を動かしている。俺が同じ早さで手を動かしたら、ぐちゃぐちゃになってしまうのは間違いない。良くわかんないけど、なんか凄い。

 

 仕分け終えたドーソン准将は最後にじっくりと並べたゴミを見渡してから、大きくゆっくりと頷いて俺の方を向く。

 

「フィリップス中尉」

「はい」

「ゴミの中から使える食材は一つも見当たらなかった」

 

 使える食材をまったく残さずに鼻を明かしてやろうと思っていたけど、ドーソン准将が黙々とゴミを漁る姿を見ているうちにそういう気持ちは失せてしまっていた。クソ真面目にこんなくだらないことをやっている彼に毒気を抜かれてしまったのかもしれない。

 

「貴官は小官の気持ちを良くわかっておる」

 

 わからねえよ。その謎の情熱はどこから来てるんだよ。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ドーソン准将はビニールシートの上のゴミを手際良くゴミ箱に戻し、素早くビニールシートを巻いて抱え、再び俺の方を向いて背筋をまっすぐに伸ばした。

 

「明日も早い。早く寝なさい」

 

 そう言うと、ドーソン准将は俺に敬礼して颯爽と調理室から出て行った。なんなんだ、この人は。まったくわけがわからなかった。

 

 その後もドーソン准将は相変わらずジュニアスクールの生活指導主任のような通達を出しまくり、一人で抜き打ち検査に駆け回っては第一艦隊の補給部門のみんなに迷惑をかけていた。正直言って鬱陶しかったけど、調理室のゴミ箱を漁っていた時の姿を思い出すと妙におかしくて、ドーソン准将本人にはあまり腹が立たなくなった。

 

 

 

 宇宙暦七九二年五月六日。昨年の「自由の夜明け」作戦で奪還した航路を通って、イゼルローン回廊に到達した同盟軍四個艦隊五万一四〇〇隻は帝国軍のイゼルローン要塞駐留艦隊と衝突した。五度目のイゼルローン攻防戦の始まりだった。

 

 同盟と帝国の国境には通行困難な危険宙域が広がっており、わずかにイゼルローン回廊とフェザーン回廊の二航路のみ通行可能だった。フェザーン回廊には中立国フェザーンが存在していて艦隊が通ることは許されていない。現実の歴史では七年後の宇宙暦七九九年に帝国がフェザーン回廊を通って同盟に侵攻するが、現時点で軍事使用できるのはイゼルローン回廊のみである。

 

 そのイゼルローン回廊には帝国軍の巨大要塞が陣取っていて、帝国領への侵入を防ぐ防衛拠点と同盟領に進入する攻撃拠点を兼ねていた。帝国軍は敗北してもイゼルローン要塞に逃げ込んで回廊の確保に務めれば、領土が失われることはない。だが、同盟軍が敗北すれば辺境宙域はたちまち敵の攻撃に晒される。

 

 昨年までは広大な同盟領が敵の占領下にあったが、これとて致命的な大敗の結果というわけではなかった。同盟軍が小規模戦闘で敗北して後退するたびに敵は前進して同盟領を奪取した。それが積もり積もって三五有人星系と一九三無人星系を失い、一億近い避難民を出すに至った。負けたら後がないと言う緊張感が倍近い総兵力を持つ帝国軍と互角に戦えるほどに同盟軍を強くしたが、負けが許されない戦いを強いられ続けるというのはきつい。

 

 現在の同盟軍の総兵力は宇宙軍・地上軍・警備隊を合わせて五〇〇〇万を越えるが、これは一五歳から七四歳までの生産年齢人口一〇〇億の〇.四九パーセント、二〇歳から六四歳までの現役世代人口八七億の〇.五七パーセントに過ぎない。「現役世代が軍隊に徴用されているせいで熟練労働者が不足して社会システムが弱体化している」という反戦派の主張は統計的裏付けがない暴論だ。真の問題は常に防衛戦を強いられている同盟社会が終わりのない戦時体制下に置かれていることにある。

 

 現在は国家の財政支出の五割から六割、GDPの約一割が軍事支出で占められている。「資源活用促進法」「平和協力法」「臨時資金調整法」の三法によって、資源や資金は優先的に軍需部門に配分され、技術研究投資も軍事関連が優先された結果、民需部門の成長は停滞した。民需縮小によって生じた税収減少分を戦時国債で補填することで確保された軍事予算を軍需部門に投入し、民需部門のさらなる停滞を招くという悪循環が同盟経済を蝕んでいる。帝国軍に四六時中備えなければならない現状では戦時体制を解除することもできない。

 

 イゼルローン回廊を確保して帝国軍の侵攻を完全に阻止しなければ、この悪循環を止められない。だから、イゼルローン要塞攻略は同盟の悲願なのだ。

 

 というのがアンドリューが研究論文のコピー、統計資料、参考図書リストなどを示しながら教えてくれたイゼルローン要塞攻略の意義。歴史の本に書かれていた「同盟の国是である帝国打倒を成し遂げるために、侵攻路となるイゼルローン回廊を確保する必要があった」という説明よりずっと説得力がある。歴史では主戦派はイデオロギーに固執するあまり戦いを続けて社会の弱体化に向き合おうとしなかった人々で、反戦派は戦いをやめて社会を守ろうとした現実的な人々だとされている。しかし、主戦派も彼らなりの方法で社会の弱体化に向き合おうとしていたのだ。

 

 俺が知る歴史では今回のイゼルローン攻防戦も同盟軍の敗北に終わることになっている。しかし、実際に自分の目でいろんな物を見た印象と本に書かれていることがこれだけ食い違っていると、この世界は歴史と違った展開になるんじゃないかと思えてくる。

 

 そもそも、今の俺は第一艦隊に所属する数千隻の駆逐艦のうちの一隻の補給長でしかない。仮にこの世界が完全に歴史通りに展開したとしても、俺の力ではどうしようもない。与えられた職務に全力を尽くしつつ、アイリスⅦが安全でいてくれることを願うばかりだ。欲を言えば味方に勝って欲しいけど、それは提督や幕僚に任せるしかない。俺がヤン・ウェンリーや獅子帝ラインハルトの部下だったら勝利を信じて疑わずにいられるんだろうけど。

 

「補給長!」

 

 事務室のデスクでぼんやり考え事をしていた俺を現実に引き戻したのは、補給主任ランブラキス曹長の声だった。彼女は食料以外すべての補給物資を管理している。

 

「ああ、ごめん。戦闘要員の着替えの用意は済んだ?」

「はい。戦闘服、下着、靴下。すべて用意完了しました」

「ビーム用エネルギーパックのスペアの引き渡しは?」

「完了しています」

「タンクベッドは?」

「完了しました」

「ご苦労様」

 

 ランブラキス曹長が退出すると、入れ替わるように給食主任のフェーリン軍曹が俺のデスクの前に立つ。

 

「戦闘配食の用意完了しました」

「ご苦労様。もうすぐ戦闘開始だ。持ち場に着くように」

「了解しました」

 

 フェーリン軍曹が俺に背を向けた瞬間、けたたましく警報が鳴り響き、戦闘開始を伝える艦内放送が流れた。

 

「本艦は現時刻をもって戦闘状態に突入した!総員戦闘配置に就け!」

 

 艦長のいつになく緊迫した声に身が引き締まる。六四年前にリンチ提督とともにエル・ファシルから逃亡して帝国軍の追撃を受けたのが俺の唯一にして最後の実戦経験だ。今回が事実上初めての実戦といえる。四年かけて一等兵から中尉に昇進したのに一度も実戦を経験していなかったというのがいかにも俺らしい。

 

「始まったね」

 

 脇の机で端末を操作している経理主任シャハルハニ軍曹に声をかけた後、手元の端末を操作して業務管理プログラムを戦闘バージョンに切り替える。

 

 この端末では艦内の各部署の物資の充足状況と倉庫の備蓄状況をリアルタイムで把握し、必要に応じて担当者に補充指示を出すことができる。端末を使って経理主任の補佐を受けながら、アイリスⅦの後方支援を指揮する。砲塔にエネルギーパックを送り、機関や電測に整備部品を送り、食事や着替えを十分に用意し、休息用のタンクベッドを確保する。それが俺の戦いだ。初めてのまともな実戦に軽い興奮を覚えながら、補給長の戦場である端末の画面に意識を集中した。


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