銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十一話:茶番の幕を引くのは誰か 宇宙暦791年秋 惑星エル・ファシル

 宇宙暦七九一年一〇月八日、自由惑星同盟軍は反攻作戦「自由の夜明け」を開始した。ハイネセンを出発した同盟軍六個艦隊はエルゴン星系からドーリア方面を攻略する宇宙艦隊司令長官シトレ大将、エル・ファシル方面を攻略する副司令長官ロボス大将の二手に分かれて順調に進撃していた。エル・ファシル義勇旅団はロボス大将直率艦隊に属する第二十六揚陸隊所属の強襲揚陸艦二十七隻に分乗していたが、エル・ファシルの到着するまではまったく出番がなく、他部隊の活躍を船内のスクリーンで見物しているだけであった。

 

 衛星軌道上から艦砲射撃、地上の防空基地群を粉砕する艦隊主力、大気圏に突入した強襲揚陸艦から降下する陸戦隊のシャトル、勇壮な歩兵部隊の突撃、敵兵を蹂躙する装甲部隊の姿などが義勇兵の目を楽しませ、ただでさえ旺盛な彼らの戦意はさらに高まった。副旅団長のマリエット・ブーブリルは自ら銃を持って突撃したいと言い出している。看護師とはいえ勲章を受章したほどの戦歴がある彼女にしてこれだから、実戦経験が乏しい民間人出身者の浮わつきぶりはもっと酷い。エル・ファシル全土を義勇旅団だけで制圧できると息巻く大隊長もいるそうだ。参謀達も頭が痛いことだろう。

 

 俺にとっては、義勇兵の高揚も参謀達の頭痛も他人事でしか無かった。司令官が自分の部隊のことを他人事と思っているなど無責任の極みなのだが、メディアに出て喋ったり、人と会ったりするだけで部隊運営にはまったく関与していないのだから、責任の持ちようもない。司令部で大人しく座ってる間にさっさと終わってくれたらいいぐらいにしか思っていない。一日も早くちゃんとした仕事をさせてほしい、努力を求められて結果を出せば、評価される場所に行きたい。しかし、今回の任務はどこまでも俺の期待を裏切ってくれる。エル・ファシル攻略が予想外に長引きそうなのだ。

 

 エルゴン星系からイゼルローン方面に向かう航路はドーリア方面、ダゴン方面、エル・ファシル方面の三つに分かれている。そのうち最も重要なのはドーリア星系からアスターテ星系を経由する航路だ。通行が容易な上に有人惑星が多く、寄港地にも事欠かない。

 

 ダゴン星系からティアマト星系を経由する航路はそれに次ぐ。一二二年前にヘルベルト大公が大軍の利を生かせずにダゴンで敗北したことからもわかるように難所ではあるが、アスターテ星系を迂回してエルゴン星系に行けるため、第二のルートとして有用である。

 

 エル・ファシル星系からアスターテ星系を経由する航路は最も重要度が低い。ドーリア方面航路と競合関係にあるためだ。更に言うと、重要性が低いエル・ファシル方面の十一恒星系の中でもエル・ファシル星系は航路の要所から微妙に外れている。

 

 敵の主力は主要航路のドーリア方面に陣取り、手薄なエル・ファシル方面の敵軍もデリバ・カルデラ星系に集結していて、エル・ファシル星系の守備戦力は艦艇五〇〇~六〇〇隻と地上部隊一個師団程度だろうと思われていた。しかし、実際は二個正規艦隊三万隻と地上部隊一四個師団という大戦力がエル・ファシル星系に集結していた。ロボス大将がエル・ファシル奪還の重要性をアピールしすぎたせいで、帝国軍も勘違いして死守するつもりになってしまったのかもしれない。

 

 帝国軍の意図がどこにあったにせよ、ロボス大将の方針が崩れたのは確かだった。衛星軌道上に陣取る敵艦隊はロボス大将の巧妙な用兵によって分断された後に撃破されたものの残存勢力の一部が惑星エル・ファシルの地上部隊と合流し、二〇万を越える大軍が市街地や山岳地帯に拠って抵抗した。このままではエル・ファシル方面を攻略後にシトレ大将と合流してイゼルローン回廊入り口を確保すると言う当初の予定に支障をきたしかねない。エル・ファシル奪還を最重要課題とアピールしていたからで、封鎖の上で放置して先に進むのは世論が許さないだろう。かくして、惑星エル・ファシルをめぐる戦いは地獄の様相を呈する。

 

 ロボス大将率いる三個艦隊が衛星軌道上から市街地や山岳地帯に地図の書き換えが必要になるだろうと思われるほどに苛烈な砲撃を浴びせ、本国からの増派を受けて八〇万まで増強された地上軍部隊がしらみつぶしに敵陣地を掃討していく。洞穴の一つ一つを焼夷弾で敵兵ごと焼き払い、ビル一つ道路一本を巡って敵味方の死体の山が築かれた。もはや、この惑星に義勇旅団というロマンが介在できる余地はどこにもなかった。

 

 義勇兵は衛星軌道上の揚陸艦の中にずっと留まっていて、決して地上の地獄に放り込まれることがない立場だったが、そのことがかえって彼らの気持ちを沈ませた。自分たちの故郷を取り返すという大義名分のために、まったく関係ない人々同士が凄惨な戦いを繰り広げているという事実は、自分達が戦士ではなくてお客さんにすぎないということを思い知らせるには十分すぎた。

 

 義勇兵は完全にやる気を無くして黙りこんでしまう者と、お客さんであることに耐え切れない者に分かれた。司令部には連日、出戦志願者の嘆願書が届けられた。涙を流して「戦死させてくれ」と俺に直訴してきた者、絶望して自殺未遂を図る者もいた。エル・ファシル義勇旅団の大義は完全に失われていた。

 

 義勇旅団の出番は惑星エル・ファシル攻防戦開始から一ヶ月が過ぎ、組織的抵抗がほぼ潰えた頃にようやくやってくる。砲撃で破壊しつくされたエル・ファシル市内を行進し、半壊した星系政庁庁舎に立て籠る帝国軍司令官に降伏を勧告する。それが最初にしておそらくは最後になるであろう義勇旅団の任務だった。

 

「自由惑星同盟エル・ファシル義勇旅団旅団長エリヤ・フィリップスより、銀河帝国エル・ファシル方面軍司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将閣下に申し上げます。小官は軍人として貴官の一ヶ月にわたる勇戦に心底より敬意を払うものであります。しかしながら、今や貴官は我が軍の完全なる包囲下にあり、食料も弾薬も尽き果て、これ以上の抗戦は不可能であるのも事実です。貴官と部下の方々には勇者にふさわしい名誉ある待遇を約束します。二時間以内にご返答ください。賢明な判断を期待しております」

 

 義勇旅団五一二〇人と正規軍四六〇〇人が取り囲み、戦車砲や火砲の砲口が一斉に向けられている星系庁舎に向けて、ビロライネン参謀長が作った文面をそのまま帝国語で読み上げる。敵将がどのような選択をしようとも、ここで戦いが終わることは確定している。格好良いけど大勢には何一つ影響しない儀式。おもちゃの兵隊を率いるお人形の司令官が演じる茶番にふさわしい幕引きだ。俺にとってのすべての始まりだったエル・ファシル星系庁舎が舞台というのもあまりにできすぎている。

 

 三年前にここのスクリーンでヤン・ウェンリーの記者会見を見たことを思い出した。あの時の俺はこの夢を見始めたばかりでただただ戸惑うばかりだった。あの時、庁舎にいた人達が義勇旅団の中にいたら、この茶番をどんな気持ちで眺めているんだろう。

 

 そんなことを思っていると、ボロボロになったスクリーンに初老の軍人の顔が映る。おそらく敵の司令官だろう。端整な顔に美しい髭を生やしていて、「老紳士」という言葉を体現するかのような人物だ。この苛烈な地上戦を指揮した闘将とは思えない。庁舎を包囲している義勇軍や正規軍の兵士達も俺と同じような感想を持ったらしく、ささやきの声でざわついている。

 

「銀河帝国エル・ファシル方面軍司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリングです。敗軍の将にお心遣いいただいたこと、かたじけなく思います。しかしながら小官は皇恩を蒙ること厚く、一命をもって報いる以外の途を知りません。貴官の配慮には感謝しますが、帝国軍人として受け入れることはできないということをお伝えします」

 

 外見にふさわしく、まったく訛りのないきれいな同盟語でカイザーリング中将は拒絶の意を示した。静かではあるが毅然とした態度で降伏を拒絶するカイザーリング中将を見て、強い後悔が心の中に広がっていく。孤立無援で奮戦した彼の最期が俺のせいで茶番になってしまった。エル・ファシル義勇旅団の存在自体が茶番だったけれど、その幕引きがこういう形だったことに苦い思いがする。

 

 惨めな思いでスクリーンを見ていると、カメラが次第に引いていって部屋全体が映しだされた。部屋の壁には皇帝の大きな肖像画が掛かっていて、カイザーリング中将の他に部下とおぼしき軍服姿の人間が一〇人ほど映っている。全員が体の何処かに傷を負っていた。一人はバイオリンを手にしている。

 

「皇帝陛下に敬礼っ!」

 

 カイザーリング中将が張りのある声で叫んで肖像画に向かって敬礼すると、部下も全員それにならう。これほど整然とした敬礼は生まれて初めて見た。この期に及んでもまだ彼らが秩序を保っているということに感動を覚える。

 

「国歌斉唱っ!」

 

 その声を合図にバイオリンを持っていた人物が演奏を始めると荘厳な帝国国歌の旋律が流れ、全員が演奏に合わせて朗々とした声で歌う。帝国国歌は幹部候補生養成所で帝国語の授業を受けた時に聴いたことがあるけど、今聴いている歌はその何倍も美しく感じられた。今、彼らが歌っている歌の歌詞を理解できたというだけで帝国語を勉強した意味があると思える。自分の目に涙が浮かんでくるのがわかる。

 

「ジーク・カイザー!」

 

 敵将の声に唱和して全員が皇帝を讃えた瞬間、スクリーンの中が閃光で満たされて爆音が轟き、政庁庁舎は大爆発とともに炎に包まれた。帝国軍司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将の壮烈な自爆をもって、茶番から始まった惑星エル・ファシル攻防戦は終結したのだ。

 

「総員、勇敢なる敵将に敬礼!」

 

 俺は敬礼のポーズを取ると、政庁庁舎を囲む兵士達は俺にならって敬礼する。なぜそのような命令を出したのかはわからないけど、そうするのが自然であるように思われた。これが俺が義勇旅団長として自分の意思で発した最初で最後の命令だった。


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