銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

23 / 146
第十八話:エル・ファシルの英雄再び 宇宙暦791年7月26日 ハイネセン市、宇宙艦隊副司令長官執務室

 宇宙艦隊副司令長官ラザール・ロボス大将は今年で五三歳。リスクを厭わず大胆に仕掛けていく用兵に定評があり、四年前のドーリア星域会戦で中央突破からの背面展開を成功させて帝国軍を全面敗走に追い込んだ手腕は用兵芸術の極致と言われる。幕僚としては国防委員会や統合作戦本部の要職を歴任し、対人関係の調整や政治家相手の折衝に優れた手腕を発揮した。大雑把で不注意なのが唯一の欠点だが、それすら将兵には愛嬌と受け取られている。宇宙艦隊司令長官シドニー・シトレ大将とは二〇年以上にわたるライバルであり、切磋琢磨しあって共に同盟軍を代表する将帥に成長し、今年の春に同時に大将に昇進して宇宙艦隊の指揮権を分かち合った。ロボスとシトレが同盟軍の両雄であることを疑う者はいないだろう。

 

 というのが出版物やネットで得たロボス大将の情報。俺の記憶を付け加えるなら、二年後の七九三年に元帥に昇進して宇宙艦隊司令長官に就任するが、七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」で完敗を喫して二〇〇〇万人の将兵を戦死させた責任を取って引退。そのまま療養生活に入り、四年後に死去している。自由惑星同盟滅亡の要因は主なものだけを数えても一〇を下らないが、誰が検証してもロボスの敗戦が最上位に来るのは間違いないだろう。最悪の愚将の汚名を未来永劫負っても仕方がない人物だ。

 

 名将という現在の評価と愚将という未来の評価。どっちがロボスの本質なのかを考えながら執務室に入ろうとすると、俺と入れ替わるように若い士官が出ていった。年齢は俺と同じぐらいだろうか。なかなかの美男子だ。「宇宙艦隊副司令長官のオフィスともなると、容姿も一流の人材が揃ってるんだな」と感心しながらインターホンを鳴らす。すぐに「入れ」と返事が返ってきた。聞くだけで声の主の風格が伝わってくる。緊張しながら中に入る。

 

 広々とした執務室の奥に鎮座しているロボス大将を見た瞬間、名将という現在の評価に軍配を上げざるを得ないことを理解した。どっしりとした肥満体はまるで岩山のようで将帥たるにふさわしい風格がある。眼には鋭気を宿し、口元はキリリと引き締まっている。一見するだけで目の前の人物が衆に抜きん出た存在であることは明らかだった。俺がデスクの前まで進むと、大将は笑顔で頷いて立ち上がって俺の方に歩み寄ってきた。意外と背が低いのに驚く。俺も背が低いけど、大将はもっと低い。

 

「よく来たな、フィリップス少尉」

 

 ロボス大将は俺の肩を叩きながら親しげに声をかける。思わず恐縮してしまう。

 

「貴官のことは前から聞いていた。エル・ファシルでの活躍は言うまでもない。第三管区司令部では従卒の仕事をしながら一生懸命勉強して試験に合格したそうだな。幹部候補生養成所では模範的な学生だったと聞いている。ポリャーネ補給基地のオロンガ司令も素晴らしい勤務ぶりだと褒めていた」

 

 現在の同盟軍には元帥がおらず、八人の大将が全軍五〇〇〇万の頂点に立っている。その一人が一介の少尉でしかない俺についてそこまで知っていることに驚く。エル・ファシルのことなら報道やネットで知ることはできるが、それ以降はしっかり調べないとわからない。ロボス大将は俺の何に興味を持ったんだろうか。

 

「小官のことをご存知だったんですか?」

「私のような立場だと、自分の仕事だけを考えているわけにはいかないのだ。未来のために優れた人材を育てる必要がある。貴官のような優秀な若者に興味を持つのは当然だろう」

 

 この人は駆け出しの補給士官でしかない俺に何を期待しているのだろうか。大将ともなれば、俺なんかより優れた人材はいくらでも目にとまるはずだ。あまりに不可解で混乱してしまう。

 

「我が軍は一〇月に大々的な攻勢に打って出る。あれを見たまえ」

 

 ロボス大将が壁のスクリーンを指すと、星図が浮かび上がった。エルゴン星系からイゼルローン回廊に至る宙域だ。一番左側には青で塗りつぶされたエルゴン星系、一番右側には赤で塗りつぶされたイゼルローン回廊。その間にある星系は全部イゼルローン要塞と同じ赤色で塗りつぶされている。

 

「三年前のエル・ファシル陥落で我が軍の前線はエルゴンまで後退した。第七方面軍は総力をあげて防衛にあたっているが、星系外周部の防衛基地群は今年の三月に突破され、最近はシャンプールの近くまで敵の哨戒部隊が進出している。貴官が二月にシャンプールを離れてから、戦況は急速に悪化している」

 

 シャンプールは受験勉強に励んだ第七方面管区司令部や士官教育を受けた第八幹部候補生養成所がある惑星だ。俺が少尉に任官してマル・アデッタ星系の基地で給与係の仕事をしてる間にとんでもないことになってたのか。

 

「占領された三五星系からの避難民は一億人近い。エルゴンが陥落したらさらに二億人が加わるだろう。それだけは絶対に阻止しなければならん。大攻勢をかけて前線をイゼルローン回廊の手前まで一気に押し戻す。それが今回の作戦の目的だ」

 

 宇宙艦隊副司令長官から軍事情勢を説明されるというぶっ飛んだシチュエーションに頭がクラクラしてしまう。最近は筋の通った出来事ばかり起きていたから忘れかけていたが、やはりこれは夢なのだ。そうとでも思わないと、ロボス大将が俺に作戦を説明する理由がわからない。困惑する俺をよそにロボス大将はスクリーンに向かってスッと腕を伸ばして人差し指を突き出し、左から右に向けて線を書くように腕を動かすしぐさを二回した。それに合わせてスクリーン上に二本の線が浮かび上がる。

 

「今回の作戦では宇宙艦隊から六個艦隊を動員する。エルゴンに集結した後で二手に分かれてシトレ司令長官はドーリア方面から、私はエル・ファシル方面からそれぞれ三個艦隊を率いて帝国軍を排除しながら進軍し、イゼルローン回廊の手前で合流する」

 

 六個艦隊を動かすという壮大な作戦にただただびっくりするだけだ。しかし、それを俺が聞かされる理由がわからない。補給士官の少尉にできる仕事なんて、軍艦の補給部門の主任士官か基地の係長ぐらいだぞ。わざわざ宇宙艦隊副司令長官が説明するような仕事じゃない。

 

「貴官にはエル・ファシル奪還の指揮をとってもらう。エル・ファシルの英雄エリヤ・フィリップスがエル・ファシルを取り戻すのだ」

 

 ロボス大将がスクリーンに向けて伸ばしていた腕が急に俺の方を向き、人差し指がまっすぐに俺を指差す。いつの間にか鋭くなっていた大将の目が俺の目をしっかりと見据える。俺がエル・ファシル奪還の指揮…!?どんどん大きくなっていく話についていけない。こんな感覚は英雄に祭り上げられた時以来だ。

 

「エル・ファシルからの避難民五〇〇〇人が奪還作戦への参加を志願している。我が軍は彼らを義勇兵として受け入れ、近日中にエル・ファシル義勇旅団を結成する予定だ。貴官が旅団長だ」

 

 俺が五〇〇〇人の指揮官だって!?旅団長って言えば普通は大佐だぞ!?むちゃくちゃだ!!

 

「小官が旅団長ですか!?無理ですよ。少尉になったばかりなのに」

「義勇兵部隊の役職と軍の階級は関係ない。仮に一介の民間人が旅団長になったとしても問題ない」

「しかしですね、少尉になったばかりなんですよ。経験が無いですよ。いきなり五〇〇〇人を指揮しろって言われても…」

 

 なんで俺が選ばれるんだよ。八人の部下を使うのもやっとなのに、いきなり五〇〇〇人も指揮できるわけないじゃないか。こんなことになるんなら、ずっとポリャーネ基地の給与係で仕事していたかったよ。

 

 目をつぶって給与係のみんなと別れた時のことを思い出す。

 

 カヤラル曹長は「少尉がおなか空かせちゃいけないから」と言って、クッキーとチョコレートのでっかい詰め合わせ袋を三個も渡してくれた。袋は全部曹長が手縫いで作った袋。ハイネセンに向かう船の中で泣きながら食べた。

 

 シャリファー軍曹は公用語教師っぽい外見そのままの堅物だったけど、最後の最後に「一つだけお願いしたいことがあります」と真面目な顔でお願いされた。ドキドキして何をすればいいか聞き返すと、笑って「少尉のほっぺたを触らせてください。一度触ってみたかったんです」と言われて拍子抜けしたものだ。嬉しそうに俺のほっぺたを指でつついたり、つまんで引っ張ったりしてたなあ。

 

 他の係員とも一緒に写真撮ったり、プレゼントもらったりしたなあ。もうすぐ出発って時に給与係で一番年下のネイサン一等兵が俺の手を握ったまま泣き出しちゃったの見て悲しくなって、俺も涙ボロボロ流して一緒に泣いてた。あれを見た通りすがりの人達はどう思ってたのかな。

 

 まずい、よりによってこんな時に涙がこぼれてきそうになる。そんな俺をロボス大将の声が現実に引き戻す。

 

「貴官に指揮をとってほしいというのは志願者からの要望なのだ。いきなり大任を任されて不安なのはわかる。だが、そこで不安を感じるような者こそ指揮官にふさわしい。功名心に燃えて不安を忘れる者には指揮官は任せられん。誰に貴官のことを聞いても、褒め言葉以外の言葉は聞いたことがなかった。実際に会ってみて、その理由がわかった。貴官以外の指揮官は考えられん。志願者に代わってお願いしたい。義勇旅団の指揮をとってくれんか」

 

 優しく語りかける声が心に染み入る。大将ともあろう人がここまで俺を気にかけていてくれるのかと思うと心が揺れる。旅団長なんてできるとは思えないけど、できないと突っぱねるのも申し訳ない。どうしよう…。

 

「指揮官に必要なのは部下が安心して命を預けられるという信頼だ。エル・ファシルの人々が命を預けるのは英雄であるエリヤ・フィリップスだけだ。幕僚はこちらで用意する。貴官にできないことは全部彼らがやる。不安になる必要はない」

 

 それは軍の都合で作られた英雄像だ、と思ったけど。それでも違うとは言えなかった。一つ一つの言葉に力を込めて強調するロボス大将には妙な説得力があった。

 

「ハイスクールの劣等生が一年で士官学校合格レベルの学力を身につけ、幹部候補生養成所ではベテラン下士官達と競い合って優秀な成績で卒業し、補給基地でもまったく仕事ができない状態から部下の心を掴んでみせた。君は常に努力で不可能を可能にしてきた。ハイスクールにいた時の貴官は少尉となった自分を想像していたか?今の貴官には五〇〇〇人を率いる自分を想像できないかもしれん。しかし、二ヶ月後の貴官はそれを現実にしていると私は信じる」

 

 この人は俺がどれだけ努力してきたか知ってるんだ。知っていてできると言ってるんだ。ここまで言われてできないなんて言えない。ここまで信じてくれる人を裏切るなんてできない。

 

「わかりました。引き受けさせていただきます」

「良く言ってくれた。エル・ファシルの人達もきっと喜ぶ」

 

 ロボス大将はにっこり笑ってポンと俺の肩を叩く。難しい仕事だけど、俺をちゃんと見てくれている人ができると言ってくれたんだ。できるように頑張らないといけない。ロボス大将の期待に応えてみせると心に誓った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。