銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十話:地に足をつけて歩くのが望みだった 788年秋 ハイネセン市

「エリヤくん、最近ソリビジョン見てないんだって?」

 

 俺の顔にメイクを施すガウリ軍曹。彼女は最近俺のことをファーストネームで呼ぶようになった。逃亡直前に会った名前を知らない兵士を除けば、初めてこの世界の俺をファーストネームで呼んでくれた人だ。それにつられて、俺も彼らの前での一人称を僕から俺に変えた。他人行儀の相手には「僕」、気楽な付き合いの相手には「俺」を使い分けているのだ。

 

「ええ。新聞も雑誌もネットも見てません。どこ見ても俺の話ばかりしてるんですよ。耐えられないですよ」

 

 ソリビジョンや新聞は一切見なくなった。端末でネットを見るのもやめた。真の英雄という称賛、作られた英雄という批判、性格や容姿への批評。そういったものが飛び交う空間に耐えるメンタルは持ち合わせていない。

 

「英雄って言われる人は仕事柄たくさん見てきたけど、エリヤくんみたいなタイプは初めてね」

「初めてですか?」

「うん。自分に関する報道見ない人なんて初めて。何て言われてるか気になってチェックしてる人ばかりよ。シャルディニー中佐覚えてる?カルヴナの英雄。あの人なんて隙を見ては端末で自分の名前を検索して、批判の書き込み見つけたら反論の書き込みしてた」

 

 知らない名前だ。同盟軍の英雄なんてたくさんいるから、いちいち覚えていられない。自由惑星同盟における軍隊は、スポーツ界に匹敵する英雄の供給源である。超人的な活躍をした軍人は英雄と呼ばれ、メディアに取り上げられてブームを起こす。しばらくしたらブームが終わって次の英雄が出てくる。自由な社会においては軍人の活躍ですら娯楽として消費されるのだ。俺でも英雄になれるんだから、シャルディニー中佐みたいな小心者がたまたま英雄になってもおかしくはない。

 

「批判されるのは嫌だけど、褒められるのも嫌なんですよ。嫌なものを見たくないだけです。臆病なんですよ」

 

 身に覚えがない事で褒められると居心地が悪い。俺は自分が軍の都合で作られた英雄だということを知っている。他人の都合で持ち上げられる自分なんか見たくもない。俺が持ち上げられたら持ち上げられるほど、逃亡したリンチ司令官達が卑怯者と蔑まれるのも辛かった。

 

 俺達がヤンの指揮で脱出に成功したのに対し、彼らが逃げきれずに捕虜になったのも風当たりを強くした。メディアではリンチ提督を批判する報道が毎日のように流れ、最近は彼の過去の武勲の多くが捏造ではないかという疑惑まで囁かれている。一度失墜すれば、命がけで勝ち得た武勲まで否定されるのだ。

 

 ネットはもっと酷かった。リンチ提督と主要幕僚の詳細な個人情報、彼らの家族への攻撃の呼びかけまで書き込まれていた。かつての自分がリンチ司令官と同じ立場にいたことを思うと恐ろしくなる。

 

「臆病さを認めるのも勇気だぞ。それも死を恐れず敵に立ち向かう勇気より得難い勇気だ。普通は認めたくなくて虚勢を張る」

 

 カメラマンのルシエンデス曹長が真面目な口調で言う。お姉さんのように俺に接するガウリ軍曹に対し、曹長は兄貴分のように俺に接する。最近はこの二人以外とはほとんど話していない。クリスチアン少佐とは業務連絡しかしないし、他の人は持ち上げてくるのでなければ、敬意の仮面の中に壁を作って接してくる。

 

「嘘をつけるほど器用じゃないだけです」

「君は本当にクソ真面目だよな。もっと肩の力抜こうぜ。あんな本ばかり読んでるから、言うことも硬くなるんだ」

 

 ルシエンデス曹長が指さしたのは、テーブルの上に置かれた「同盟軍刑法の基礎知識」「初心者のための経済学講座」の二冊の本。

 

 最近の俺は政治、法律、経済の基本書ばかり読んでいる。この世界がどのような仕組みで動いているかを把握するためだ。刑務所で読書を覚えてからは文学や歴史の本ばかり読んでいた。自由惑星同盟が滅亡するまでの歴史的経緯、有名人の事跡はほぼ頭に入っている。それらの知識を活かせば、うまくやれると思っていた。エル・ファシル脱出の際のヤンが伝記に書いてあった通りの行動をした時は、知識通りに動いていることに興奮を感じた。

 

 しかし、英雄に祭り上げられて、未来の知識がまったく役に立たないことを理解した。俺はこの世界のことをあまりに知らなさすぎる。俺自身が一人の人間として未熟なら、未来を知っていても何一つ出来やしない。かつての俺は漫然と生きているうちにドロップアウトした。せめて、夢の中ではその過ちを繰り返したくない。

 

「この世界をもっと知りたいんですよ。俺は本当に何もわかっていない。そう感じることばかりでした」

「まるで別世界から来たようなことを言うな。最初に君を見た時はそういうふうに見えたけど」

 

 実際、ここは俺にとっては別世界だ。本当の俺はエル・ファシルで逃げて逃げて前科者にまで落ちぶれた老人でしかない。

 

「確かにこれまでと比べたら別世界ですよ。生まれつき英雄と呼ばれてたわけじゃないし」

「生まれつきの英雄のように見えるよ。いや違うな、主人公か。世界は自分を中心に回ってるって本気で思ってるような。ベースボールのエースみたいなタイプだな」

 

 確かに夢の中の自分は主人公だ。しかし、夢の展開が思い通りになることはまずない。殺されることだってある。漫然と見ているだけだからだ。今の俺は夢を見ているという自覚はある。行動次第で状況を動かせることも分かった。状況に流されるだけの現実とは違う。しかし、どう動けばどう変わるのかがわからない。英雄に祭り上げられたことはまったくの予想外だった。

 

 ゲームの主人公はゲームの中の状況を動かせる唯一の存在だが、ルールを知らなければすぐにゲームオーバーだ。状況を動かせるという主人公のアドバンテージはルールを知って初めて生きてくる。だから俺は世界のルールを学ばないといけない。そして、家族や友達と仲良くやって、普通の就職や結婚もする。現実では得られなかった幸せな人生を夢の中で手に入れるんだ。

 

「生まれついてのモブキャラですよ。背景に紛れてるのがお似合いです」

「確かにハイスクールの頃の写真ではそんな感じだったな。見た目はほとんど同じなのに雰囲気が違う。オーラがまったく無い。びっくりした」

「エリヤくんは私服がダサいから」

「ほっといてください」

 

 ガウリ軍曹のツッコミに口先ではむっとしてみせるが、内心は嬉しい。身近に軽口を叩き合える人がいると、心が軽くなる。現実ではそんな相手には恵まれなかった。ルシナンデス曹長やガウリ軍曹との出会いがなければ、今の生活に耐えられなかったかもしれない。

 

 スケジュールにゆとりがあったのも大きかった。クリスチアン少佐が突き上げの中で頑張ってくれているのだろう。時間のゆとりは心のゆとりにつながる。この三人が俺の担当で本当に良かったと思う。

 

「それにしても、俺はいつまで英雄やってればいいんでしょうね」

「今週のウィークリー・プリセント・エイジが君の特集を組んだ。あそこはセンスが古いから、ブームに一番最後に食いついてくる。君の賞味期限はもうすぐ終わるな」

 

 ルシナンデス曹長の予想通り、次の週から急に出演やインタビューの依頼が減り、熱狂の波はあっけなく引いていった。フライングボールにスーパールーキーが現れ、世間の関心はそちらに移っていったのだという。要するに「次の英雄」が見つかったのだ。

 

 統合作戦本部広報室に呼び出されたのは11月末のことだった。そこで俺は広報活動任務の終了と担当チームの解散を告げられた。あっという間に英雄になった俺はあっという間にただの人に戻ってしまった。

 

 

 

 俺達は統合作戦本部近くのレストランで打ち上げを開いていた。同盟全土に展開している大手のチェーンでいろんなジャンルの料理を安価で提供する良く言えば柔軟、悪く言えば無節操な店だ。ヘルシーなジャパニーズがマイブームのガウリ軍曹。食事にパスタが付いてないと機嫌が悪くなるルシエンデス曹長。味が濃くて油っこくないと食べた気がしないと言う軍隊式味覚を持つクリスチアン少佐。好き嫌いは特にないけど、マカロニアンドチーズがあれば幸せな俺。この四人の妥協が辛うじて成り立つのがこの店だった。

 

「かんぱーい」

 

 ガウリ軍曹の乾杯の音頭。彼女とルシエンデス曹長とクリスチアン少佐はワイン、俺はスウィートティーで乾杯をする。

 

 ヘルシーなジャパニーズがマイブームのガウリ軍曹。食事にパスタが付いてないと機嫌が悪くなるルシエンデス曹長。味が濃くて油っこくないと食べた気がしないと言う軍隊式味覚を持つクリスチアン少佐。好き嫌いは特にないけど、マカロニアンドチーズがあれば幸せな俺。この四人の妥協が辛うじて成り立つのがこの店だった。

 

「いい仕事ができたよ。提督にでもなったらまた呼んでくれ。名将に見えるように撮ってやるから」

 

 顔が赤くなっててご機嫌のルシエンデス曹長。ふた口ぐらいしか飲んでないはずなのに。見かけによらず酒に弱いんだな。

 

「俺が提督なんかになれるわけないでしょう。ていうか、職業軍人になるつもりないですよ。兵役期間が終わったら民間で就職します」

「貴官は軍人に向いているのにもったいないな」

 

 肉の塊というよりは脂の塊をナイフで切り分けているクリスチアン少佐の意外な意見。

 

「まさか。体力無いし、頭悪いし、臆病だし。一番向いてない職業なんじゃないかと」

「貴官は良く飯を食う。良く眠る。きっと良い軍人になる」

 

 初対面の時に言われた軍人精神云々のことかと思ったら違うのか。しかし、食事量や寝付きの良さを人に褒められたの初めてだぞ。捕虜交換から帰って実家にいた頃は、いつも親に「無駄飯食い」って言われてた。寝ていたら、「恥ずかしげもなく良く眠れるな」って嫌味言われたな。ああ、こんな時に嫌なこと思い出した。

 

「体力は鍛えればいい。頭は勉強すればいい。勇気は訓練と実戦で身に付ければいい。全ての基礎が飯と睡眠だ。つまり貴官は基礎ができている」

 

 超理論だ。もしかしてこの人の脳みそは筋肉できてるんじゃないか。

 

「どういうことです?面白そうですねえ」

「私も。少佐が食事と睡眠が基本って言ってる理由、気になってたんですよー」

 

 興味津々のルシエンデス曹長とガウリ軍曹。まんざらでもないといった顔のクリスチアン少佐で語り始める。

 

「飯を食わなければすぐへたばるだろう?眠らなくてもやはりすぐへたばる。そんな兵隊が使い物になるか」

 

 あれ?すげえシンプルなのに説得力があるぞ。

 

「でも、偉いさんには食べないで戦う兵隊や寝ないで戦う兵隊がいい兵隊だって思ってる人が多いですよねえ」

「それは奴らが臆病者だからだ!」

 

 何かのスイッチが入ったらしく、急に語気を荒らげるクリスチアン少佐。初対面の時と同じだ。しかし、スイッチを入れた曹長は平気な顔をしている。

 

「戦場では一瞬の隙が命取りだっ!へたばったら動きが鈍る!判断が遅れる!命を賭けて戦ったことがない臆病者にはそれがわからんっ!飯や睡眠が足りずに生き残れるほど戦場は甘くない!甘く見るにもほどがあるっ!」

 

 拳をテーブルに叩きつけるクリスチアン少佐。食器が音を立てる。店員や他の客達はドン引きしてるけど、曹長と軍曹は楽しそうに「なるほど」「面白いですねー」などと言っている。俺もなるほどと思った。単純だけどそれゆえにわかりやすい。

 

「つまり、俺は強い兵隊になる素質があるってことですか?」

「兵隊はもちろん、提督や艦長の素質もある」

「良く飯を食い、よく眠ることがですか?」

「そうだ」

「でも、どっちもあまり体使わないですよね。頭脳を使う仕事じゃないですか?」

「貴官は腹が減ってるのに集中を保てるか?眠らずにまともな判断ができるか?頭だって体の一部だぞ?疲れたら動きが鈍る」

「言われてみれば…」

「我が軍の士官学校は体育を重視している。学力があっても、体育科目の成績が悪い者はトップになれん。反戦派どもは旧時代的だ、だから軍人は頭が悪いのだなどと言うが戯言だ。頭を使いこなすにも体力がいる。疲れやすい体では勉強もはかどらん」

 

 同盟が滅亡すると、士官学校教育批判は同盟軍の敗因を探る人々の定番ネタとなった。その中でも特に体育教育重視は有害図書の閲覧禁止、戦史研究科廃止と並んで、士官教育における反知性主義の典型として強く批判されていた。それに一定の合理性を見出す意見は新鮮だった。

 

「貴官は飯を食う量が多いだけではない。真面目だ。その上足も速い。きっと良い軍人になれる。兵役満了が近くなったら下士官試験を受けてみるといい。軍には貴官のような人材が必要なのだ」

 クリスチアン少佐の表情が初めて柔らかくなった。どうやら、英雄の虚名抜きで俺を評価しててくれたらしい。ちょっと嬉しくなった。ハイスクール時代に50メートル走のタイムが7秒台前半ぐらいだった俺の足が速いという評価は謎だけど。

 

「ありがとうございます。でも、やっぱり民間で就職したいですよ」

「軍人は嫌いか?」

「あ、いや、そうじゃなくて。夢だったんです。普通に就職して、結婚して、子供を育てて年を取っていく。ずっと夢見ていました」

 

 軍隊を何よりも愛している少佐を怒らせてしまったかなと思った。しかし、少佐の表情は柔らかいままだった。

 

「良い夢だな」

「英雄になんてなりたくなかったんですよ。当たり前に生きて、当たり前に年を取りたかったんです」

 

 逃亡者になったせいで得られなかった当たり前の人生。老いてからは平凡な家族連れが何よりも眩しく見えた。自分は何をしていたのだろうと涙が出たものだ。

 

「軍人は軍人である前に市民だ。良き市民こそが強い軍人足り得る。貴官なら良き市民になれるだろう。目上を尊敬し、同輩と助け合い、目下を慈しむ。法律を守り、税金を納め、強い子を育てる。そんな当たり前の市民を目指せ。我ら軍人は市民の当たり前を守るためにこそある。短い間だったが、貴官とは任務を共にした仲間だ。貴官が軍服を着ていようといまいと、小官にとっては家族だ。小官には軍人として、家族として貴官を守る義務がある。ルシエンデス曹長やガウリ軍曹もそうだ。苦しい時は小官らを思いだせ」

 

 少佐の堅苦しいけれど温かい激励に涙が出そうになる。

 

「ありがとうございます。お世話になりました」

 

 深々と頭を下げる。これまでの分も含めて礼を言った。少佐はうなづくと、ずっと黙っていたルシアンデス曹長とガウリ軍曹の方を向く。

 

「貴官らの言う通りだ。ちゃんと話してみるものだな。骨折り感謝する」

「礼には及びません。少佐とフィリップス君が苦手意識持ったままで別れるのもつまらんと思った。それだけです」

「私達も少佐にはいろいろと勉強させていただきました。ちょっとぐらいお返しさせてくださいよ」

 

 三人が笑い合う。陸戦隊叩き上げの少佐と広報畑の二人は相性が悪そうだけど、かなりいい関係を築いていたみたいだった。

 

「苦手意識ってどういうことですか?」

「少佐はこういう人だからね。君と何を話していいかわからなくて困ってたんだよ」

「どんな敵であろうと恐れない小官だが、味方の英雄はな。気後れしてしまう。特に貴官は雰囲気があるからな。申し訳ないが、人に見られるのが嫌だと聞いて少し安心した」

 

 クリスチアン少佐の苦笑。脳内イメージを「意味不明で怖そうだけど良い人かもしれない」から、「良い人」に上方修正した。

 

 それからはそれぞれの今後の身の振り方についての話になった。クリスチアン少佐は広報官に向いていないことを悟って、陸戦学校教官への転出願いを出したという。ルシアンデス曹長とガウリ軍曹は近日中に次の担当が決まるそうだ。

 

「で、エリヤくんはどうするの?」

「休暇とって里帰りしようかなって思ってます。エル・ファシル脱出してからずっと広報活動でしょう?そろそろ休みたいですよ」

 

 確かに、と三人は笑った。


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