銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二十一話:首都進軍 宇宙暦797年4月16日 通信指揮車~ハイネセンポリス市街臨時指揮所

 第三巡視艦隊司令部との回線はすぐに繋がり、参謀長チュン・ウー・チェン准将の顔が現れた。パンを食べる時も戦場にある時もまったく変わらぬのんびりした顔には、どこか人を安心させるものがある。

 

「参謀長、ハイネセンポリス騒乱の情報はそちらにも入ってるかい?」

「ええ、ベッカー臨時参謀長より転送されてきました」

「単刀直入に聞きたい。俺達はどう対応すべきだろうか?」

「ハイネセンポリスに入って、デモ隊を救援すべきと考えます」

 

 参謀長は何の迷いも見せずに即答した。

 

「追い詰められた救国統一戦線評議会が無差別な武器使用に走る可能性はないかな?それに反戦市民連合は、俺達に良い印象を持ってないみたいだ。最悪、三つ巴の市街戦になるかもしれない」

「市民を決して見捨てない。その理想を貫く態度が閣下の最大の力。中心部で軍が市民に発砲している最中に我々が傍観していれば、後でどう説明しても見捨てたと思われるでしょう。その瞬間から、閣下の理想は色褪せてしまいます」

「軍隊が発砲しているのに傍観したという事実の前では、何を言っても言い訳になってしまうね。どう説明しようと、こちらの理屈で見捨てたのは事実だから」

 

 一週間前にグリーンヒル大将と面会した時のことを思い出した。彼の口から語られた遠征軍総司令部の苦しい立場、艦隊決戦で勝利を収めて作戦を終了させるという選択の正当性は、理屈としてはとても筋が通っていた。しかし、総司令部の合理的な選択によって見捨てられた戦友や部下の面影が脳内に残っている限り、許すことなど決してできなかった。

 

「理屈としては理解できても、感情が認めない。閣下はそれを良くご存知のはずです」

「デモ隊を救援に行こう。彼らが俺達を味方と思ってなくても、俺達にとっては保護すべき市民。見捨てるわけにはいかない」

「その通りです」

 

 チュン准将は微笑みを浮かべて軽く頷いた。「合格」と言われたような気がした。

 

「血を流さずにデモ隊のところまでたどり着くには、どうすればいいだろうか」

 

 救援に向かうと決めたら、今度は流血を避ける方法が問題となる。敵部隊も同じ同盟軍には変わりがない。血を流したら、軍の内部に大きな亀裂を生んでしまう。

 

 ハイネセンポリスの外には一四〇万、郊外には一二〇万、市街には一〇万の敵が展開している。そのうち、郊外の部隊は戦力外とみなしても問題ないだろう。デモ鎮圧命令を黙殺して郊外に留まっている彼らが俺達を食い止めようとするとは思えない。忠誠心の厚い市外と市街の部隊が問題だった。空軍力に劣る俺達は、市街地に大部隊を展開する能力を持たない。ハイネセンポリス市街に陣取る一〇万の敵を数で威圧するのは、不可能に等しい。市外にいる一四〇万も状況に応じてハイネセンポリスに入ってくるはずだ。彼らには空輸という選択肢もある。

 

「軍事作戦と考えれば、空軍力が乏しい我々には困難な作戦です。しかし、宣伝戦であれば可能性はあります。我々が『市民を救う』という大義名分を掲げて進めば、それを阻もうとする者は『市民を見殺しにした』という汚名を背負います。そのような汚名に耐えられる将兵はそれほど多くありません。ボーナム総合防災公園では、最も忠誠心の厚いはずの部隊が寝返りました。敵がその二の舞を恐れていることが部隊運用から推測できます。敵にとって部隊は唯一の財産。自壊の危険を犯してまで、閣下が率いる市民軍に強硬手段を用いる可能性は低いと思われます」

「俺達が戦ってるのは、武器の戦いじゃなくて精神の戦いだということをすっかり忘れてた。正義を見失った軍隊ほど脆いものはない。精神的優位に立つ絶好の機会を見過ごすところだった」

 

 やはりチュン准将の意見を聞いて良かったと思う。傍らのニールセン中佐は優秀な作戦参謀だけど、その発想は軍事の域に留まる。政治面も考慮に入れて戦略を立てられる参謀は、チュン准将しかいなかった。

 

「では、すぐに全軍に指示をお願いします」

「わかった。ありがとう」

 

 通信を終えた後、俺は手元の端末を操作して、簡単な指示書を書き上げた。そして、副官のハラボフ大尉に見せてチェックさせる。

 

「問題ありません」

「よし、全部隊と回線を繋いでくれ。そして、指示書を送信」

「はい」

 

 ハラボフ大尉はすぐに指示を遂行し、全部隊と回線が繋がる。俺は通信機の前に立って、マイクを握った。

 

「先ほどハイネセンポリス中心部において、反戦市民連合のデモ隊に救国統一戦線評議会側部隊が発砲。現在も衝突が続いている。我々は市民を守る軍隊。軍隊が市民を攻撃するなど、決して見過ごすことはできない。これよりハイネセンポリス市域に入り、デモに参加した市民を保護する。あくまで諸君の任務は保護であって戦闘ではない。よって、正当防衛及び緊急避難と認められる場合のみ、武器使用を許可する。その他は送信した指示書に従え」

 

 事実関係と方針を伝えた後、軽く一呼吸をする。

 

「我々は今日まで同胞の血を一滴も流さずに、ひたすら団結を訴えてきた。敵は武器を持たぬ同胞に攻撃を加えた。どちらに正義があるかは、言うまでもない。正義なき軍隊は武器を持った群衆に過ぎない。群衆に正義の行軍を阻むことができようか。胸を張って進め。健闘を祈る」

 

 放送を終えると同時に、複数の部隊が「これよりハイネセンポリス市域に進入する」と報告してきた。軍とデモ隊の衝突の報を聞いて進軍を停止し、俺の指示が出るまで待機していたのだろう。クーデター開始から四日目にして、市民軍は首都に足を踏み入れることになった。

 

 

 

 

 日が落ちかけた夕暮れ時の空の下、ハイネセンポリス郊外を市民軍部隊の車列が進んでいく。指揮通信車の拡声器からは、行軍目的を知らせるアナウンスが流れる。

 

「市民の皆さん!我々は首都防衛軍です!現在、反戦市民連合のデモ隊の保護に向かっています!我々の目的は戦闘ではありません!負傷者の収容及び脱出援護が目的です!決して皆さんにはご迷惑をおかけしないと約束いたします!」

 

 一部の部隊は歩道を徒歩で進みながら、本作戦の趣旨と救国統一戦線評議会の暴虐を訴えるビラをばら撒く。事前に用意したビラではなく、部隊の広報担当者がその場で作った文章を輸送車に載せた印刷機で刷った即席のビラだ。刷り上がると同時に配布し、手持ちのビラが切れたら刷り上がるまで待つ。市民軍らしい手作りの宣伝活動と言えよう。

 

 俺達の行動に対し、市民は概ね好意的だった。笑顔で手を振る者、「頑張って」と声を掛けてくれる者、「虐殺者をやっつけてくれ」と叫ぶ者も見られる。

 

 どうやら、俺達が宣伝する前から、多くの市民が発砲事件を知っていたようだ。厳しい情報統制の下でどうやってそんな情報を知り得たのかは分からないが、ただでさえ不人気な救国統一戦線評議会の人気がさらに落ち込んだのは事実である。

 

 郊外の敵部隊は予想通り、俺達を阻止しようとはしなかった。俺のもとに通信を入れてきて、阻止行動は一切しないと約束してきた部隊も複数にのぼった。最も心配だった市外の部隊はハイネセンポリスに入ろうとせず、市外にいる市民軍と対峙中だった。

 

 中立部隊は今のところ静観の姿勢を保っている。市民を救うという大義名分は兵卒や下級将校には通用しても、上級将校には通用しない。彼らは部隊の保全、地位の維持を第一に考える。完全にパワーバランスが市民軍に傾くまでは、静観を続けるはずだ。敵に回らないだけでありがたいと考えるべきであろう。

 

 市民の支持はこちらにある。敵部隊は行く手を阻もうとしない。だが、完全に順風満帆とはいかなかった。

 

「こちら第二義勇師団。前方のメルヴィル橋が破壊されています」

 

 スクリーンの向こうにいるシェリル・コレット少佐は、やや太めの眉を寄せて困ったような顔をしていた。今の彼女は参謀長として第二義勇師団に出向中である。第二義勇師団長は軍事の素人であるため、事実上の指揮官だった。

 

「またか」

 

 俺もコレット少佐につられるように困り顔になる。郊外から中心部に向かう進路上にある橋やトンネルが破壊されたという報告が相次いでいた。

 

「いかがいたしましょう?」

「迂回してもらいたい。工兵がいない義勇兵部隊じゃ、浮橋は作れないからね」

「了解しました」

 

 ぴしゃっと音がしそうな敬礼をして、コレット少佐はスクリーンから消えた。俺は肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息をつき、臨時副参謀長ニールセン中佐の方を向く。

 

「まいったなあ。まさか破壊工作員を足止めに使ってくるなんて、予想してなかった」

「部隊の寝返りを恐れずに、我々を足止めできますからね」

「情報部が敵に味方してることをすっかり忘れてた。工作員は汚れ仕事に慣れてる」

 

 再びため息をついて、ボーナム総合防災センターから転送されてきた情報に目を通す。この指揮通信車の情報処理能力では、市民軍の指揮統制が精一杯だった。各地の情報提供者から送られてくる情報は、従来通りボーナム総合防災センターで処理している。

 

「催涙弾やスタングレネードを使用する軍隊に対し、デモ隊は剥がした道路の敷石を投げて応戦」

「デモ隊が立てこもるアレクサンダービルに軍隊が突入した数分後に火災が発生。出動した消防車は現場に辿りつけず、立ち往生しているとのこと」

「装甲車がデモの隊列に突入、死亡者が出た模様」

「デモ隊の一部がバリケードに火を放って逃亡」

 

 分単位で情勢が悪化しているのが分かる。ハイネセンポリス中心部で生じた軍隊とデモ隊の衝突は、もはや市街戦と言っていい事態まで発展した。

 

「救国統一戦線評議会も反戦市民連合も何をしてるんだ。完全に統制を失ってるじゃないか」

 

 苦々しさを自分の中で貯めこんでおく気になれなかった俺は、傍らのニールセン中佐に愚痴を言った。

 

「しかし、一度火が付いた群衆を落ち着かせるのは、至難の業ですよ」

「反戦市民連合のデモ隊は一三部隊に分かれてグエン・キム・ホア広場を目指していた。発砲されたのはクリスチアン大佐がいた方面のはず。それなのにどうして他の一二部隊まで軍隊と衝突してるんだ?」

「やはり、例の未確認情報を事実と考えた方が辻褄が合うのでは」

「未確認情報は所詮未確認情報だ。軽々しく信用するな」

 

 イラッときた俺は、刺々しさを声に乗せてニールセン中佐に叩きつけた。指揮通信車に乗り組んでいる者の視線が俺に集中する。たじろぐニールセン中佐、不安の色を浮かべるアルマ、「何をいらついてるのか、みっともない」と言いたげなハラボフ大尉。他の者も驚きを隠せない様子だ。

 

「あ、いや、こんな時だからこそ慎重にならなきゃね、うん」

 

 自分が指揮官らしくない振る舞いをしたことにようやく気付き、慌てて取り繕った。たかが未確認情報一つに心を乱されるなど、みっともないとしか言いようがなかった。

 

 先ほど丸めて放り投げた紙を拾い上げて開いた。その紙に記されているのは、「発砲前にクリスチアン大佐がジェシカ・エドワーズを殺害したとの目撃証言あり。真偽は確認できず」という内容の未確認情報。カリスマ的な人気を誇るエドワーズが殺害されれば、確かにすべてのデモ隊が怒り狂って軍隊にぶつかっていくだろう。だが、この推論には無理がある。クリスチアン大佐が武器を持たぬ者を殺害するなど、有り得ないからだ。

 

「閣下、首都防衛軍臨時司令部より通信が入っております」

 

 そう告げに来たハラボフ大尉の表情は、いつもと変わりがない。前任者のコレット少佐は表情だけで通信の重要度が伺えたが、ハラボフ大尉は私信であろうと非常事態の報告であろうと同じような表情で報告してくる。しかし、臨時司令部に残っているベッカー大佐が直接通信してきたというだけで、かなり重要な内容なのは想像に難くなかった。

 

 繋ぐように指示すると、いつになく緊迫した表情のベッカー大佐がスクリーンに現れた。

 

「緊急報告です。ジェシカ・エドワーズ反戦市民連合議長の死亡が確認されました。ルッジェロ・レンティーニ副議長、アンジェリア・ベイリー副議長、マルコ・サフラ事務局長、ジェニース・コシフ執行委員、ガオ・シャオミン執行委員、ラウノ・ヴァンハラ執行委員、レンカ・フラートコワ執行委員の死亡も確認されています。その他の執行委員も行方不明」」

 

 最重要、そして最悪の内容だった。反戦市民連合の党三役が全滅。執行委員は死亡もしくは行方不明。その事実は怒り狂ったデモ隊を抑えられる者、党を代表して救国統一戦線評議会と交渉できる者がいなくなったことを示す。救国統一戦線評議会は武力鎮圧以外の選択肢を失った。

 

「いかがなさいますか?」

 

 ニールセン中佐が俺の判断を問う。

 

「市民軍は反戦市民連合の指導者を助けに行くわけじゃない。市民を助けに行くんだ。そして、この事態を収拾できるのは、市民に武器を使わなかった市民軍のみ。方針は変更せず、前進を続けると全部隊に周知せよ」

「了解しました」

 

 必死で動揺を抑えながら、臨時副参謀長に指示を出した。最悪の事態であっても、司令官が冷静さを失うわけにはいかないのだ。

 

 市民軍は情報部の妨害工作に苦しみながらも前進を続けた。最も前進していた第二巡視艦隊第一陸戦旅団、第五市民空挺旅団、第二四二歩兵旅団、第八三陸戦旅団が一九時頃に市街地まで到達。二〇時頃には、正規軍と義勇軍合わせて三二個旅団一五万人が市街地を守る敵部隊の前面に展開。ハイネセンポリス市街に立てこもる救国統一戦線評議会とそれを取り囲む市民軍。ついに対決の時がやって来た。

 

 

 

 救国統一戦線評議会側の部隊は、時間を追うごとに数を増やしている。市外から余剰戦力を空輸してきたのであろう。市街地の外れには、ハイネセンポリスの空の玄関口と言われるヤングブラッド空港がある。この巨大空港の処理能力をもってすれば、一〇〇〇機や二〇〇〇機の輸送機を受け入れるなど、造作も無いことだ。

 

 市民軍も負けじと数を増やしていた。市街地から逃げてきたデモ参加者、郊外から駆けつけて来た市民、救国統一戦線評議会側の部隊や中立部隊から脱走してきた将兵が加わり、総数は二〇万を軽く超える。

 

 質に劣る義勇軍や一般市民を多く含む市民軍は、自動車でバリケードを築いて防護力を高めている。保護したデモ参加者に食事や医療を提供するための避難所も設置された。隊列を組んだ正規軍将兵や義勇兵がパトロールにあたる。通路は市民が手を繋いで作った人間の鎖、その前に立つ正規軍部隊によって二重にガードされている。

 

 敵は市民軍の前進を阻止しつつ、市街地から逃れてくるデモ参加者を拘束するために、戦闘車両を並べて封鎖線を築いた。しかし、本気で拘束しようと考える者はそれほど多くないらしく、相当数のデモ参加者が封鎖線を素通りして市民軍の元に逃れてきた。

 

 市民軍のバリケードの上には、国旗や同盟軍旗や市民軍旗の他、様々な政治団体や労働組合の旗が立ち並び、全党派連合軍の様相を呈している。日頃から激しく対立してる憂国騎士団、統一正義党、反戦市民連合の旗が並んでいる光景など、驚天動地であろう。

 

 参戦者の中には顔なじみも少なからず含まれていた。最も嬉しかったのは憂国騎士団行動部隊第二大隊長レオニード・ラプシン予備役少佐の参戦だった。

 

「憂国騎士団行動部隊第二大隊九〇名、市民軍に馳せ参ずべくやってまいりました!」

「憂国騎士団は活動禁止処分、行動部隊メンバーは全員拘束対象だったはずだ。貴官の部隊はハイネセンポリスを拠点にしていたはず。良く無事でいてくれた」

「ほとんどの同志が拘束されましたが、残った者を苦心して集めました。数こそ少ないものの軍や警察で鍛えあげられた猛者が揃っております。何なりとお申し付けください」

 

 ラプシン予備役少佐の笑顔に思わずじんときてしまった。彼が所属していたヴァンフリート四=二基地憲兵隊は、俺の未熟な指揮によって壊滅した。それなのにもう一度俺の指揮で戦いたいと笑顔で言ってくれる。これが喜ばずにいられるだろうか。

 

「三年前はヴァンフリート四=二、今はハイネセンポリス。戦場も敵も違うが、市民と国家を守るための戦いには変わりがない。あの時は勝てなかった。今度こそ俺と貴官で勝とうじゃないか」

 

 心からの笑顔でラプシン予備役少佐と握手を交わした。

 

 直接の顔なじみではないものの縁のある部隊も参戦してきた。ダーシャの父親ジェリコ・ブレツェリ准将が司令官を務めるモンテフィオーレ基地兵站集団の補給群、通信群、輸送群が補給物資と機材を携えて脱出してきたのだ。

 

 ハイネセン郊外にあるモンテフィオーレ基地は、後方支援集団所属の支援艦艇が母港とする重要拠点であった。そのため、救国統一戦線評議会の精鋭が厳重に警備している。そんな基地から兵站集団の中核部隊を脱出させるなど、よほど念入りに準備しなければできないことだ。ブレツェリ准将の尽力に心から感謝した。

 

 敵味方の勢力がハイネセンポリス市街地を取り巻く半径三〇キロの円の上に集中しつつある。四月の夜だというのに、汗がじんわりとにじむ。集まった人々の熱気のせいであろう。緊張が高まる中、俺はテントの中に設けた臨時指揮所の中で市民軍幹部とともに作戦を練っていた。

 

「敵が行動を起こす可能性が最も高いのは、夜明け前でしょう。徹夜組の集中力が途切れ、なおかつ闇に紛れることができる時間帯です」

 

 第一首都防衛軍団ファルスキー少将の意見に出席者全員が頷く。過激派の老将は今や市民軍の重鎮であった。

 

「地上戦要員の一部に休養を命じておこう。夜明け前に備えて、元気な戦闘員を確保しておく」

「さすがはフィリップス提督。配慮が行き届いていらっしゃる」

 

 第二巡視艦隊司令官アラルコン少将が俺の指示に同意を示す。歴戦の彼が同意することで、経験の浅い俺の決定に重みが加わる。

 

「敵が攻撃を仕掛けてくるとしたら、第一特殊作戦群が主力になるはず。目標はおそらくこの臨時指揮所。司令部を襲撃して指揮系統を破壊するというのは、特殊部隊の常套手段です」

 

 警護担当のアルマがそう指摘すると、出席者は考えこむような顔になった。第一特殊作戦群はアルマの所属する第八強襲空挺連隊を含む特殊部隊三個連隊からなる。要するにアルマに匹敵する実力者が三個連隊も集まった部隊なのだ。そんな精鋭を今まで温存してきた理由はわからないが、使うとしたらこの場面であろうことは衆目の一致するところだった。

 

 階級こそ中尉と低いものの特殊戦の専門家であるアルマの意見は、幹部会議でもそれなりの重みがある。市民軍幹部は、アルマを中心に特殊部隊対策を練り上げていった。

 

「情報部の工作員にも警戒する必要がありますね」

 

 ようやく合流した参謀長チュン准将は、口元にパン粉が付いたままという緊張と程遠い顔で警戒を促した。アルマの他数名が軽く顔をしかめるが、チュン准将はどこ吹く風と受け流す。

 

「デモ参加者や脱走兵に紛れ込まれたら、水際でのチェックは困難ではないか?」

 

 アラルコン少将が難しい顔で指摘する。数万人に及ぶデモ参加者や脱走兵をいちいちチェックできないというのは、確かにその通りだ。

 

「水際での阻止は諦めて、工作員が狙ってきそうな指揮通信系統、補給系統を重点的に警戒しましょう。敵の入ってくる場所を塞げないのであれば、敵が狙いそうな場所を固めるのです」

「なるほど。そういえば、貴官は情報参謀の経験もあったな」

 

 作戦、情報、後方、人事を満遍なく経験したがゆえの総合力がチュン准将の持ち味である。アラルコン少将は納得したような表情になった。

 

 市民軍幹部は指揮通信系統や補給系統の要所をリストアップして、協議しながら優先順位を付けて行った。そして、「ここを潰されたらまずい」と判断した場所を重点的に警備させることに決める。

 

 その他にも様々なことを話し合って決めた後、市民軍幹部はそれぞれの持ち場に戻っていく。指揮所スタッフ以外に残ったのは、チュン准将やニールセン中佐を始めとする参謀、副官のハラボフ大尉、警護担当のアルマのみであった。

 

「参謀長、パンはある?」

「ありますよ」

 

 簡潔に答えると、チュン准将はポケットから潰れたポテトサンドを取り出した。俺は礼を言って受け取ると、すぐに口に入れた。意識していないのに、顔が笑顔になる。

 

「おいしいね。パンもポテトもちょうど良い潰れ具合だ」

「気に入っていただけて何よりです」

「参謀長から貰った潰れたパンは、戦場では何よりのごちそうだよ」

 

 随分と長いこと潰れたパンを食べていなかったような気がする。ようやくいつもの戦場に帰ってきたような気持ちになった。

 

「フィリップス中尉もいかがですか?」

「えっ、私ですか!?」

 

 不意にチュン准将に声をかけられたアルマは、彼女らしくもなく狼狽した。しかし、潰れたチーズベーコンクロワッサンを手渡されると、たちまち笑顔になってかぶりつく。食べ物で釣られるとは、我が妹ながら情けない。

 

「いよいよだね」

「ええ、いよいよです」

 

 俺とチュン准将は顔を見合わせた。

 

「救国統一戦線評議会は当初想定したよりもずっと堅固だった。反戦市民連合があそこで立ち上がってくれなかったら、物資が切れるまでに自壊の兆しが見えるかどうか、微妙なところだった。四日目の夜に山場が来るなんて、予想できなかった。反戦市民連合を結果として捨て石にしてしまった。なんか申し訳ないよ」

 

 俺は軽く目を伏せた。反戦市民連合は救国統一戦線評議会に与えた打撃と引き換えに、党三役及び執行委員の半数が死亡した。新興組織の反戦市民連合にとって、党の躍進を支えた優秀な指導部の喪失は致命的である。数はまだ不明だが、死亡した支持者の数も万を下ることはないはずだ。軍縮派の彼らと軍拡派の俺は政治的には敵対しているが、それでも一方的な犠牲の上に勝利を得るのは心苦しく感じる。

 

「エドワーズ代議員には期待していました。こんな結果になってしまって、本当に残念です」

「参謀長は反戦派だからね。俺は主戦派だから、あの人とは対立する側だけど。それでも、こんなに呆気なく亡くなってしまうのは残念だね」

 

 自分でも驚くほどに、エドワーズの死に寂しさを覚えた。反戦市民連合を踏み台にしたことへの罪悪感とは異なる感情が混じっているようだ。

 

 エドワーズに対して特に好意を持っているわけではなかった。前の人生でクーデターが起きた時に、彼女が殺害されたと聞いても何とも思わなかった。今の人生でも優秀な政治家とは思うが、好きな政治家ではない。可哀想以上の感情はないはずなのに、どうしてこんなに寂しく感じるのだろうか。

 

「閣下がエドワーズ代議員の死にそこまで落胆なさるとは、正直意外でした」

「本当だね、俺も意外だよ。なんでだろう?」

 

 どうしてそんなに寂しく思ったのか、ほんの少し考えた。頭の回転を良くするためにマフィンを食べようと思って机に視線を向けると、写真立てに飾られたダーシャ・ブレツェリの写真が目に入った。その瞬間、俺はすべてを理解した。

 

 ダーシャがまだ俺の側にいた頃、こんなことを言っていた。

 

「世の中には二つの考え方があるの。一つは好きな人が殺されたら、憎しみが晴れるまで戦おうという考え方。もう一つは好きな人が殺されたら、誰も失いたくないと思って戦いをやめようという考え方。どっちが正しいかなんて、私が決めることじゃないけど。でも、私は誰も失いたくないと思うよ」

 

 好きな人が殺されるなんて想像もしたくなかった俺は、こう答えた。

 

「俺にはわからないや。経験が無い。経験もしたくないよ」

「想像できない?」

「想像したくないと言ったほうが正解かな。好きな人が誰かに殺されていなくなるなんて、考えるだけで恐ろしくなっちゃう」

「そうだよね。たぶん、エドワーズさんもそう思ってた。でも、その恐怖に向き合うしか無かったんだよ。向き合って、もう誰も失いたくないと思った。だから、戦争を止めるために立ち上がったんじゃないかって」

「誰も失いたくないって気持ちはわかるよ」

 

 この時、俺は初めて反戦論者に共感を覚えた。誰も失いたくないという気持ちは、俺の頭でも十分に理解できたからだ。

 

「主戦派も反戦派も理屈じゃないんだよ。もちろん、理屈は大事だけど。でも、根っこは感情。理屈だけで主戦論や反戦論を言う人は信用出来ないな」

 

 最後にダーシャはこう締めくくった。俺は主戦派、ダーシャは反戦派。信じるイデオロギーはまったく違っていたけれど、持っている感情は同じだった。だから、俺達は一緒にいた。

 

「エドワーズ代議員は婚約者を失ったのがきっかけで反戦運動に身を投じた人だ。それは誰もが知っていることだ」

「ええ、そうですね」

「ダーシャ、いやブレツェリ大佐がエドワーズ代議員について、こんなことを言ってた。『好きな人を失う恐怖と向き合って、誰も失いたくないと思った。だから、エドワーズ代議員は戦争を止めようと思ったんじゃないか』ってね。そんな彼女も今はいない。俺は好きな人を失った恐怖に向き合いながら生きている。無意識のうちにそんな自分とエドワーズ代議員を重ねていたのかもしれないね」

 

 俺は軽く微笑んだ。ダーシャのことを話す時は、絶対に笑顔を作ると決めている。

 

「なるほど。よくわかりました」

 

 チュン准将も微笑みを返す。マイペースな彼だが、他人の気持ちには敏感だ。参謀の仕事の何割かはコミュニケーションである。優秀な参謀は戦略戦術のみならず、他人の気持ちも理解できなければならないのだ。

 

 パンを食べていたアルマは、時間が止まったように固まった。その目は涙で潤んでいる。ダーシャの親友であり、その死を看取った彼女の中には、まだ深い悲しみが残っているのだ。

 

「ア……、いやフィリップス中尉。ブレツェリ大佐は自由主義を愛していた。今のハイネセンにいたら、きっと命がけで救国統一戦線評議会と戦おうとしたはずだ。俺達が彼女の分も戦おうじゃないか」

 

 アルマは何も言わずに頷いた。

 

「戦いましょう」

 

 真剣な顔つきのニールセン中佐が声をかけてきた。驚いて周囲を見ると、指揮所にいる者はみんな神妙な顔になっている。ここが狭いテントの中ということをすっかり忘れていた。

 

「戦うぞ!」

 

 照れくささを吹き飛ばすかのような大きな声で叫んだ。他の者も一斉に俺の叫びに応じ、テントの中は「戦うぞ!」という叫びに満たされた。チュン准将はその様子を一人微笑んで眺める。市民軍と救国統一戦線評議会の戦いは最終局面に入ろうとしていた。


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