銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

129 / 146
第百十三話:抵抗への脱出 宇宙暦797年4月13日 ハイネセン郊外の車道

 俺は公用車に乗って、ハイネセン郊外の第二巡視艦隊司令部へと向かっていた。前後には第五空挺軍団司令官パリー少将が着けてくれた護衛が乗り込んだ警護車が各一台。その他に第一三九〇連隊所属の一個歩兵中隊が民間仕様のジープ、トラック、ワゴン車、セダンなどに分乗して従う。第一三九〇連隊に所属する他の九個中隊も別方向から、やはり民間仕様の車で第二巡視艦隊司令部を目指す。

 

 第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将の拘束及び兵力接収が俺の任務だった。表向きは視察ということになっている。第一三九〇連隊の兵士が民間仕様の車を使っているのは、相手に俺の目的を察知させないためだった。

 

 第一三九〇連隊とは別に、陸戦指導員の名目で呼び寄せた第八強襲空挺連隊二個小隊の分乗した車が数キロ後方の民間車の車列に紛れ込んで走っている。妹のアルマが率いるこの部隊は、最悪の事態を想定して用意した。彼らの存在を知っている者は、俺と参謀長チュン准将と副参謀長ニコルスキー大佐と副官ハラボフ大尉のみ。まさに切り札である。

 

 午前一一時、公用携帯端末に接続したハンズフリーイヤホンから、若い女性の声が聞こえてきた。声の主は首都防衛軍司令室オペレーターのナターリヤ・セーニナ曹長。第三六戦隊司令部でオペレーターをしていた人物だ。

 

「こちら首都防衛軍司令部、こちら首都防衛軍司令部。聞こえますか?」

「聞こえるよ」

「では、始めます」

 

 セーニナ曹長はいささか緊張気味に開始を告げた。首都防衛司令部に入ってきた情報を俺に逐一報告するのが彼女の役目である。

 

「ハイネセン中心部のコモンウェルス通りに、極右組織のデモ隊二〇〇〇人が集結中です。暴動に発展する恐れありと判断した首都警察は、機動隊二個連隊を出動させました」

 

 情報部からの情報通り、国家救済戦線派はハイネセン中心部に極右組織のデモ隊を集めた。警察はデモ隊の倍近い人数を動員して、押さえ込もうとしている。

 

「また、ハイネセン中心部に通じる道路や地下鉄駅に検問所を設置して、デモに参加しようとする極右組織の支持者を取り締まっています。武器所持や公務執行妨害の疑いで多数の逮捕者が出た模様です」

 

 検問所を設けてデモ参加を阻止する行為は、同盟最高裁に憲章違反と判断された前例がある。法的には限りなく真っ黒に近い手を警察が打ってくるなんて、予想を超えていた。しかし、それだけ真剣なのだろう。なにしろ、民主主義の運命がかかっているのだ。

 

「司令部に『軍隊が市内をうろついているが、どういうことか』という問い合わせが殺到しています。各部署から人員を集めて応対要員を増員していますが、追いつきません」

 

 軍も動き始めたようだ。市街戦演習の名目でハイネセン市内に出動し、反乱部隊の進軍を阻止するのだ。市民の不審を買うのは、織り込み済みだった。連隊規模の演習を行う際は、遅くとも二週間前から近隣住民に周知する決まりになっている。地上部隊九個師団と一個正規艦隊が何の知らせも無しに市街地に現れたら、不安になるのは当然と言える。

 

 問い合わせに対しては、「演習だから心配ない」と答えるように指導していた。司令部公式サイトにも掲載させた。それでも、慌てて問い合わせる市民が後を絶たないようだった。国家救済戦線派を欺くために直前まで伏せていたせいか、まったく周知が進んでいないのだろう。クーデターが鎮圧されるまでの数時間とはいえ、現場に大きな負担は掛けたくない。

 

「首都政庁のメール配信サービス利用も検討するように、ニコルスキー副参謀長に伝えておいて欲しい」

「了解しました」

 

 首都政庁は防災情報、防犯情報などを市民の携帯端末にメール配信するサービスを行っている。首都防衛司令部から正式に依頼をすれば、演習の件も配信してくれるはずだ。

 

 セーニナ曹長が伝えてくれる情報は、すべて鎮圧作戦が順調に進んでいることを示していた。極右のデモ隊はパリー少将の空挺軍団と首都警察機動隊が抑えてくれる。首都政庁も厳戒態勢にあった。極右暴動とギーユ第二副市長の市長代行就任を阻止できれば、敵は部隊を出動させる大義名分を失う。強引に出動させたとしても、ルグランジュ中将の第一一艦隊と地上部隊が守りを固めている。

 

「統合作戦本部長代行はイゼルローン方面軍に、ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの反乱鎮圧を指示しました」

 

 クーデター鎮圧と平行して、地方平定作戦も始まった。イゼルローン方面軍に方向の離れた四つの反乱を鎮圧させるなど、一見すれば愚かに思える。前の歴史では、ヤン・ウェンリーに嫉妬したドーソン大将の愚策と酷評された。しかし、現状ではこれが最善の策なのだ。

 

 第一一艦隊はクーデター鎮圧に必要な戦力。第一艦隊の配下にはクーデターに加担してる可能性のある軍部の大物と関係の深い部隊が多いため、手元に置いて監視しておきたい。辺境総軍はシャンプールの反乱で機能を停止した。そうなると、イゼルローン方面軍以外に、反乱鎮圧にあたれる部隊は見当たらなかった。

 

 ひと安心した俺は、イヤホンを右耳だけ外す。そして、ドライバーのジャン曹長に声をかけた。

 

「第二巡視艦隊司令部に着くまで、あとどれぐらいかな?」

「三〇分ぐらいですかねえ」

「そうか。渋滞につかまって、無駄に時間を食ってしまった」

 

 本来はクーデター鎮圧作戦開始から三〇分以内に、第二巡視艦隊司令部制圧に着手する予定だった。しかし、思わぬところで時間を浪費して、予定が遅れている。クーデター参加予定者の中に名前は無いアラルコン少将の拘束は、鎮圧作戦全体の中ではさほど重要では無い。状況次第では中止しても構わないと、ドーソン大将に言われている。だが、万が一ということもある。俺が手間取ったせいで計画全体が破綻してしまってはまずい。

 

「最近は予定なんてあってないようなもんです。バスや地下鉄の遅れもひどくなってます。前は五分か一〇分遅れで運行してた路線でも、二〇分の遅れがざらじゃないですよ」

「作戦はスピードが命だよ。交通管制センターの予算をけちったおかげで失敗するなんてことになったら、目も当てられない。今後は国防委員会からも交通関連予算増額をはたらきかけないといけないね」

「正規艦隊なんかより、そっちに予算つけてもらいたいですよ。でなきゃ、私らドライバーは仕事になりゃしません」

「俺もそう思うよ」

 

 半ばおどけるような口調で言うジャン曹長に同意した。

 

 これまでの軍部主流派は、国内を戦場とする治安戦を「汚い戦争」と嫌って、対帝国戦にばかり力を入れてきた。そのツケがエル・ファシル危機、海賊活動の活発化などを招き、クーデター鎮圧作戦にも悪影響を及ぼした。一段落したら、治安戦にも力を入れなければならない。いざという時に大部隊を素早く国内展開できる態勢を作っておかなければ、本土決戦になっても有効な防衛ができないだろう。

 

 そんなことを思っていると、左耳に着けたままのイヤホンから流れてくるセーニナ曹長の声に雑音が混じりだした。首都防衛司令部は最高級の通信機を使っている。滅多なことでは雑音など入るはずもないのに、どうしたのだろうか?

 

「雑音混じってるよ?通信機にトラブルでもあったの?」

 

 俺の質問に対して返ってきたのは、より一層酷くなった雑音だった。

 

「セーニナ曹長、何があった?貴官が答えられないなら、司令部通信大隊の隊長に代わってくれ」

「……司令部が……の……攻撃を……」

「良く聞こえない!もっと大きな声で頼む!」

「……通信妨害……受けて……」

「攻撃!?通信妨害!?」

 

 どうやら、首都防衛司令部が攻撃を受けているようだ。心の底からこみ上げてくる恐怖を抑えつつ、質問を続ける。

 

「誰だ!?誰の攻撃を受けてる!?」

「……空挺……、第四九空挺旅団……」

 

 氷の刃を当てられたような寒気を首筋に感じた。第四九空挺旅団長ウー・フェン大佐は、ハイネセン中心部の鎮圧部隊を指揮するパリー少将の腹心だ。そのウー大佐が率いる部隊が裏切ったとしたら、鎮圧作戦は根底から崩壊する。

 

「本当に第四九空挺旅団なのか!?」

 

 否定を期待して問い返した。しかし、イヤホンから聞こえてくるのは雑音のみ。首都防衛司令部との通信を切った後、統合作戦本部のドーソン大将に通信を入れた。しかし、こちらも雑音しか聞こえてこない。

 

「まさか、統合作戦本部も……」

 

 事態を把握するため、そして最悪の予感を打ち消す情報を得るために、ルグランジュ中将の第一一艦隊司令部、パリー少将の第五空挺軍団司令部に通信を入れた。しかし、返事は無かった。

 

「いや、たまたま通じないだけだ。通信が混み合ってるんだ、きっと」

 

 今度は国防委員会に通信を入れる。大きな雑音が聞こえると同時に通信を切って、宇宙艦隊総司令部、後方勤務本部、地上軍総監部、第一艦隊司令部など、情報が集まりそうな軍機関に次々と通信を入れる。

 

「また雑音か!」

 

 イラっと来た俺は、イヤホンのコードをひっつかんで乱暴に引っ張った。俺の耳から外れたイヤホンが車の窓ガラスに当たって音を立てる。

 

「司令官代理閣下」

「なんだ!?」

 

 反射的に振り向くと、左隣に座っている副官ハラボフ大尉の端整な顔があった。いつもと同じ優しさのかけらもない冷ややかな視線。「何を焦ってるんですか?馬鹿じゃないですか?」と言われてるような気がする。

 

「指示をお願いします」

 

 視線に負けず劣らず冷たい声でハラボフ大尉は指示を求める。冷静沈着な彼女も指揮官たる俺の指示がなければ動けないのだ。取り乱している場合ではない。落ち着いて指示を出さなければ。

 

「チュン准将に連絡を取る。携帯端末を用意してくれ」

「了解しました」

 

 俺はハラボフ大尉からクリーム色の丸っこい携帯端末を受け取った。部下の家族名義で契約したばかりの民間用端末だ。ハイネセン市中央部が制圧されたら、公務用携帯端末の使用をやめて、別の端末を使うことに決めていた。

 

 軍から支給される公務用の携帯端末は、中央通信管制司令部が管理する通信網を使用する。敵が中央通信管制司令部を制圧した後も使い続けたら、通信内容を傍受される危険があった。だから、秘密司令部に逃げこむまでは、敵が把握できていない名義の民間用端末を使って、味方と連絡を取るのだ。チュン准将、ニールセン中佐ら司令部の外にいる者もこういった端末を使用して、俺と連絡を取り合う。

 

「もしもし、俺だけど」

「私です。連絡お待ちしておりました」

 

 番号を入力して送信ボタンを押すと、数秒もしないうちにチュン准将が出た。こんな時だというのに、いつもと変わらずのんびりした声だ。

 

「昼食はどうした?」

「もう食べました」

「どれぐらい食べた?」

「もう満腹です」

「それは良かった」

 

 念には念を入れて、俺もチュン准将も符丁を使って会話している。チュン准将が第三巡視艦隊司令部に到着し、部隊を完全に掌握したことを知って安心した。

 

「閣下はお召し上がりになりましたか?」

「まだ食べてないよ」

 

 第二巡視艦隊司令部に到着していないことをチュン准将に知らせた。

 

「では、夕食は私が用意しましょう」

「よろしく頼む」

「デザートはクレープでよろしいですか?」

「ああ、それでいいよ」

 

 ハイネセン中心部で反乱軍が蜂起するケースを想定した対クーデター作戦「クレープ計画」の発動、俺が秘密司令部に入るまでチュン准将が指揮権を預かることなどを取り決めた。

 

「それでは、楽しみに待っております」

「ありがとう」

 

 最後に軽い挨拶を交わしてから、通信を切った。クレープ計画はチュン准将に任せれば大丈夫だろう。あとは俺が秘密司令部まで逃げきれるかどうかが問題だ。

 

 クリーム色の端末をシートに置くと、再び公務用携帯端末を手に取った。第一三九〇歩兵連隊長モロ中佐に、アラルコン少将拘束作戦の中止と行軍目標変更を伝えなければならない。敵がハイネセンポリスを制圧して、交通封鎖を完成させるまで、どんなに早くともあと一時間はかかる。それまでに第一三九〇歩兵連隊を俺の身辺に集結させ、警護体制を整える必要があった。

 

「あれ、出ないな」

 

 モロ中佐と回線が繋がらなかった。もう一度発信してみたが、やはり繋がらない。何かのトラブルがあったのだろうか?こんな時だけに、何でも悪い方に捉えてしまう。

 

「うわっ!」

 

 ジャン曹長は大声をあげて、右に急ハンドルを切った。俺の上半身はバランスを崩して、ハラボフ大尉の右肩にぶつかってしまった。

 

「曹長、どうしたんだ!?」

「前の警護車が急に後退してきたんですよ!」

「なんだって!?」

 

 身を起こして前を見ると、確かに前の警護車がとんでもない勢いで後退してきていた。ジャン曹長がハンドルを切らなければ、衝突していたに違いない。

 

「畜生っ!」

 

 ジャン曹長の声とともに車が急加速し、俺は前に倒れこんで前部座席にぶつかった。

 

「曹長……!?」

「今度は後ろの警護車が急に加速してきたんです!こうしなきゃ、派手にぶつけられてましたよ!いったいどうなってるんですか!?」

「俺に聞かれても困る!」

 

 何が何だかさっぱり理解できなかった。前後の警護車に乗り込んでいるのは、パリー少将が付けてくれた空挺あがりの猛者である。警護中に車間距離を取り損ねるなんて、彼らのキャリアからは信じられないミスだった。

 

 窓の外を見ると、こちらが回避した後も二台の警護車は強引に車間距離を詰めようとしてきた。たまりかねたジャン曹長が右側に車線変更しようとすると、後ろから猛スピードで走ってきたバスが脇に付けてきて進路を塞ごうとした。第一三九〇歩兵連隊の将兵が乗ったバスだ。

 

 間一髪ですり抜けて車線変更に成功すると、今度は車線を逆走してきた大型トラックが前方から迫ってきた。かわしたら今度はワゴン車が左後方から接近してくる。

 

「少将閣下、我が軍の運転マナーは狂っちまったみたいですよ!」

 

 次々と接近してきては、進路妨害しようとするジープ、トラック、ワゴン車、セダン。公用車はそれを間一髪でかわしていく。高速道路の上で繰り広げられる映画のワンシーンのようなカーチェイス。観客であれば堪能できただろうが、残念なことに俺は画面の中で追い回される側だった。

 

 どんなに鈍い俺でも、ここまで来ればさすがに気づく。パリー少将が付けてくれた護衛、そして第一三九〇連隊の将兵は、クーデター側に味方して俺を狙ってる。右ポケットに忍ばせた発信機のスイッチをこっそりと押した。これで後方にいるアルマの部隊は、異変に気づいてくれるはずだ。

 

「エリヤ・フィリップス少将!あなたには逮捕命令が出ています!直ちに車を降りてください!」

 

 キャンピングカーを偽装した隠密作戦用指揮車のスピーカーから流れるモロ中佐の声が、俺の推測を裏付けた。味方に見捨てられたことはあっても、明確に攻撃を受けるのは始めてだった。同じ同盟軍の制服を着た者と戦わなければならないと思うと、恐怖で体全体が震えてきた。

 

「止まりますか!?」

「冗談じゃない、行けるところまで突っ走ってくれ!」

 

 俺らしくもない即断即決だった。特殊訓練を受けた第八強襲空挺連隊の兵士は、市街地では一〇倍の一般兵に匹敵する戦力を発揮する。二〇〇人前後の歩兵と七七人の特殊部隊隊員が市街地で戦えば、間違いなく後者が勝つ。アルマが到着するまで時間を稼げば助かる。それに同じ軍服を着た仲間を平気で攻撃してくるような連中は怖い。

 

「アイアイサー!」

 

 俺の指示を受けたジャン曹長は公用車を急加速させて、敵の車列の隙間をすり抜けた。だが、敵の車はおよそ三〇台。圧倒的な数の前に、公用車はあっという間に右の路肩に追い込まれた。前後と左側は、敵の車でガッチリブロックされてしまった。

 

「あなたは完全に包囲されています!これ以上の抵抗は無意味です!降伏してください!」

 

 スピーカーからは、モロ中佐の降伏勧告が流れてくる。車から降りた敵兵は銃を構えて、公用車を取り囲む。

 

「どうします!?」

「車からは降りない。外に出て頭に銃を突きつけられてしまったら、俺達はおしまいだからね。とにかく時間を稼ぐ」

 

 徹底抗戦の意志をジャン曹長に伝えると、腕組みをして座席に深く腰掛け直した。内心はいつものように不安に満ちている。心臓はとんでもない速度で鼓動する。背中は冷や汗でびっしょりだ。

 

「今すぐ車から降りてください。小官は閣下の勇名をお慕い申し上げております。あまり手荒な真似はしたくないのです」

 

 敵兵の列から進み出てきた四〇代の士官が車の窓に顔を寄せて、俺に直接呼びかけた。少佐の階級章を付けているところから見て、連隊作戦主任あたりだろうか。

 

「逮捕命令というのなら、逮捕状が出ているはずだ。見せてもらいたい」

 

 こうなった以上、アルマが到着するまで徹底的に時間を稼ぐしか無い。徹底的に難癖を付けることに決めた。

 

「ご覧になってください」

 

 あっさりと少佐は逮捕状を示した。緊急逮捕令状の書式通りに作られている。だが、令状請求者の欄には「首都戒厳司令官 フィリップ・ルグランジュ中将」のサインが記され、逮捕理由の欄には「戒厳令法第一〇五条に基づく行政拘束」と記されている。今回の鎮圧作戦にあたっては、戒厳令は施行されないはずだった。ルグランジュ中将が俺の逮捕状を請求するというのもおかしい。

 

「なんだい、これは?戒厳令が施行されたなんて聞いてないよ?」

「正式な発表はまだですが、本日正午をもって施行されました」

「ハイネセンで戒厳令が施行される際は、首都防衛司令官をもって戒厳司令官に充てるはずだ。なぜ小官ではなく、ルグランジュ中将が戒厳司令官なのだ?」

「フィリップス少将の指揮権は、戒厳令施行と同時に剥奪されました。現在はルグランジュ中将が首都防衛司令官代理を兼務しています」

 

 俺とルグランジュ中将は、協力して国家救済戦線派のクーデターを阻止する仲間のはずだった。昨日は一緒に食事をして、再会を約束してから別れた。そんな相手が戒厳司令官に就任して、俺の逮捕を命令したという。サインも間違いなく本人のものだ。何がどうなっているのか、俺にはさっぱりわからなかった。だが、うろたえたら相手に付け込まれてしまう。無理筋でも、強気に出るべきだ。

 

「そもそも、その戒厳令は正式なものなのか?首都防衛司令部は、攻撃を受けているという報告を最後に連絡を絶った。ハイネセン中心部の軍機関もすべて連絡が取れなくなった。何者かが混乱をいいことに、戒厳令が施行されたなどと嘘を言いふらしているのではないか?貴官らはこの逮捕状が正規のものかどうか、ちゃんと確認したのか?」

 

 今度は逮捕状を偽物と決めつけた。少佐の顔に困惑の色が浮かぶ。どうやら、事情をちゃんと知らされていないらしい。

 

「小官らは上官の命令を受けただけですから」

「貴官の上官は誰だ?」

「モロ連隊長であります」

「連隊長は誰から命令を受けた?」

「戒厳司令官直々のご命令です」

「戒厳司令官とは誰だ?」

「ルグランジュ中将閣下です」

「本当にルグランジュ中将の命令なのか?何者かが騙っている可能性はないのか?そもそもサインが違うじゃないか。小官は去年の春までルグランジュ中将の副参謀長だったんだ。偽のサインなんかで騙せると思ってほしくないな」

 

 逮捕状のサインがルグランジュ中将の直筆ということはわかっていた。しかし、目の前の少佐がそれを知っている可能性は低い。仮に知っていたとしたら、それはその時だ。

 

「少々お待ちください」

 

 心底から困り果てた様子で少佐は言うと、携帯端末を取り出した。誰かと連絡を取っているようだ。車の外にずらりと並んでる敵兵を見てると、「いきなり発砲してきたらどうしよう」「手榴弾を投げてくるかもしれない」なんて考えが次々と浮かんでくる。恐怖に飲み込まれることを恐れた俺は、少佐が携帯端末で話している間に視線を車内に戻した。

 

 ジャン曹長の顔は真っ青になっている。順調な時は楽天的なのに、逆境になるとたちまち悲観的になってしまうところは、俺と良く似ていて親近感を覚える。ハラボフ大尉は冷ややかに俺を見ていた。屁理屈をこねる俺を軽蔑しているかのような目だ。

 

「閣下、非常用携帯端末に連絡が入っています」

 

 ハラボフ大尉に指摘されてクリーム色の携帯端末を見ると、小刻みに震えていた。画面に映っているのは、アルマに渡した非常用携帯端末の番号。救援の到来を予感した俺は、緊張しながら受信ボタンを押した。

 

「あと一分です!車のドアロック解除!身を伏せて、目をつぶって、耳を塞いで!繰り返します!車のドアロック解除!身を伏せて、目をつぶって、耳を塞いで!スタングレネードを使います!私の言ったことをそのままみんなに伝えてください!」

 

 ゆっくりはっきりした口調でそう言うと、アルマからの通信は切れた。言われたとおり、ハラボフ大尉とジャン曹長にアルマの指示を伝える。ジャン曹長は半信半疑でドアロックをすべて解除すると、運転席に伏せて耳を塞いだ。ハラボフ大尉も身を伏せて耳を塞ぐ。部下が指示を守ったのを確認した俺が身を伏せようとすると、ドアの外からモロ中佐の声がした。

 

「フィリップス少将!ごらんください!逮捕命令が正規のものであるという証拠です!納得いただけたら、車から降りてください!従っていただけない場合は、不本意ではありますが、無理にでも降りていただきますぞ!」

 

 モロ中佐が持ってきた証拠とやらにほんの少しだけ興味が湧いたが、今はそんなものを気にしている場合では無い。身を伏せると、「都合の悪いことには目を背けるのか」みたいな言葉が聞こえたような気がしたが、構わず目をつぶって耳を塞いだ。何も見えず何も聞こえない世界で、心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。たった数十秒が途方もなく長く感じられた。前の人生を含めても、これほどアルマを心待ちにしたことはなかった。

 

 その瞬間は唐突にやって来た。固くつぶった目でもはっきりと分かるほどの強い光、塞いだ耳でもはっきりと感じるほどの爆音が俺の周囲を満たした。しばしの静寂の後、公用車のドアが開き、腕を強い力で掴まれる感触がして、車外に引きずり出される。

 

「エリヤ・フィリップス少将閣下!救援に参りました!」

 

 ゴーグルを着用して、ヘッドホンのような物を首にぶら下げたアルマは、長身をまっすぐに伸ばし、堅苦しすぎるぐらいに丁寧な敬礼をした。彼女の背後では、ゴーグルを着用した第八強襲空挺連隊隊員がライアットガンや特殊警棒を使って、スタングレネードの音と光にやられて動けなくなった敵兵を制圧している。

 

「目標確保!撤収!」

 

 そう叫ぶと、アルマは右手に持ったホイッスルを吹いた。第八強襲空挺連隊隊員はピタッと戦闘を中断して、目にも見えない早さでアルマや俺を守るようなフォーメーションを作り上げる。アルマの部下の一人がリュックの中から対閃光ゴーグルとヘッドホンを取り出し、俺やハラボフ大尉やジャン曹長に手渡した。

 

「こちらを着用してください。ゴーグルは遮光用、ヘッドホンは耳栓です。もう一度スタングレネードを使います」

 

 言われるがままに、ゴーグルとヘッドホンを着用した。アルマがもう一度ホイッスルを口に当てると、第八強襲空挺連隊隊員は一斉に首にぶら下げたヘッドホンを耳に着用。そして、一斉にスタングレネードを投げる。強い光と爆音が奇襲に浮足立った敵兵をさらなる混乱に陥れた隙に、アルマ隊に守られた俺達は素早く離脱した。

 

 

 

 俺とハラボフ大尉とジャン曹長は、アルマの運転する車に乗って移動中だった。全員私服に着替えている。

 

「まるでアクション映画のワンシーンみたいでしたよ。それにゴム弾と特殊警棒使って、一人も殺さずに済ませたでしょう。いや、本当に凄かったですなあ」

「三分もかかってしまいました。まだまだ改善の余地があります」

 

 ジャン曹長の褒め言葉にも、アルマはまったく喜びの色を見せなかった。

 

「そんなもんなんですか?」

「ローゼンリッターなら、二分半もかからずに完了させられる作戦。この差は命取りですね」

「中尉殿のおられる第八強襲空挺連隊と、ローゼンリッターは互角って言われてるんじゃないですか?」

「それは過去の話です。二年前にワルター・フォン・シェーンコップという方が連隊長に就任してから、ローゼンリッターの戦力は飛躍的に向上しました。今は別の方に連隊長をお譲りになりましたが、シェーンコップ連隊長が残した人材とノウハウは生きています。当分はローゼンリッターの優位は動かないでしょう」

 

 あれだけ鮮やかな奇襲を決めた第八強襲空挺連隊の精鋭ですら、シェーンコップが鍛え上げたローゼンリッターには及ばない。妹が語った真実は衝撃的だった。

 

 前の歴史では銀河最強の陸戦部隊と言われ、今の人生ではヴァンフリート四=二で共に戦ったローゼンリッターが強いことは分かっている。しかし、別の精鋭部隊と比較してなお強いとプロに言われると、また違った説得力がある。

 

「へえ、どの世界もてっぺんは大変なんですなあ」

「大変だからこそ、上り甲斐もあると私は思っていますよ」

 

 アルマはにっこりと微笑んで、優等生的な答えを口にした。彼女がこういう人間なのはわかっている。それでも、肉親がよそ行きの対応をしているところを見ると、なんか違和感がある。

 

「フィリップス閣下。どの辺りまで来たら、車を乗り換えますか?」

 

 あまりにもアルマの言葉が丁寧すぎて、自分に話を振られたと気づくまで一〇秒ほどかかった。公私のけじめをきっちり付けているのは立派だが、いつも俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでる妹に「閣下」と呼ばれると、自分のことでないような気になってしまうのだ。

 

「三キロ先のバーナーズタウン駅前に、レンタカーショップがある。今の車は駅前に入る前に乗り捨てて、レンタカーに乗り換えよう」

「検問対策はいかがいたしましょうか?」

「警備部隊の駐屯地域は避けて、外征部隊の駐屯地域を移動する。外征部隊はその性格上、地域の地理に疎い。警備任務にも慣れていない。外征部隊の敷いた非常線は、幹線道路周辺を除けば雑になる。治安戦の常識だ」

「地域の地理に強い警察が動き出せば、区画道路も危ないかもしれませんが」

「ここに来るまでを思い出してくれ。街中に出動してたのは軍隊だけで、警察は出動していなかった。おそらく、敵の中に警察を動員できる立場の者はいない。動員できるようになるまで、しばらくは時間がかかるはずだ。その間に距離を稼ぐ」

「承知しました」

 

 妹を納得させた俺は、クリーム色の携帯端末を操作した。通信機能、ネット閲覧機能ともに使用不可。敵はハイネセンポリス全域に通信規制をかけたようだ。通信が生きていれば、市内の反クーデター勢力が結集する隙を与えてしまう。俺がクーデターを起こすとしても、二四時間は通信規制をかける。経済活動に支障が出るため、それ以上の規制はかけられないが。

 

 今度は車載テレビのリモコンを入れる。どのチャンネルを付けても、ひたすらCMを流し続けている。敵はハイネセンポリスのテレビ局も制圧したようだ。情報発信機能の独占は、クーデター成功には不可欠である。いずれ、敵のクーデター声明が発表されるはずだ。

 

 ハイネセンポリス中心部がクーデター勢力に制圧されたケースを想定した対クーデター作戦「クレープ計画」の主眼は、ハイネセンポリス外部にいる勢力の結集にある。

 

 ハイネセンポリスの外に駐屯する地上軍の合計は、およそ一六〇万。地上での戦闘力は侮りがたいが、一部隊で一五〇万前後の兵力を抱える第一艦隊、第一一艦隊に比べれば弱い。宇宙艦隊直轄下にある分艦隊単位の独立部隊ですら、数万から数十万の兵力を持つ。軍事力勝負なら、ハイネセンポリスの正規艦隊を手中に収めた者には決して勝てない。だが、惑星ハイネセンの地上で内戦をするつもりなど、俺にはなかった。

 

 ハイネセンポリスの人口はおよそ五〇〇〇万。一都市の人口としては、全宇宙でもフェザーン市に次ぐ規模である。しかし、惑星ハイネセンに居住する人口一〇億の五パーセントに過ぎない。敵が惑星ハイネセンの軍隊をことごとく手中に収めたとしても、直接軍政を敷ける範囲はハイネセンポリスとその衛星都市の人口二億程度が限界である。クーデター派の部隊が地方都市にある放送局や通信センターをことごとく制圧することも不可能だ。

 

 敵が支配を確立する前に、地方都市を掌握して拠点とする。そして、放送局で大衆にアピールし、通信を使って地方有力者と交渉し、惑星ハイネセンに住む一〇億の過半数を味方につける。同盟の官僚や軍人は、市民の顔色をいつも伺っている。こちらが市民の支持を得れば、クーデター勢力の主体的な支持者以外は、容易に切り崩せる。

 

 いかに素早くハイネセンポリスを脱出できるか。いかに大衆に存在をアピールできるか。すべてはスピード勝負だった。「クレープ計画」は一週間以内の決着を目標としている。それ以上時間をかけたら、敵が惑星ハイネセンの支配を完全に固めてしまう。そうなれば、経済的軍事的に弱体な地方星系では対抗できなくなる。

 

「見てください!テレビが映りました!」

 

 ジャン曹長に言われて車載テレビを見ると、放送席が映し出された。背後にはあるのは、質素な国立放送ニュースのセットでもなければ、瀟洒な民間放送ニュースのセットでもなく、大きな同盟国旗。これだけでクーデター勢力の性格が伺えるような気がする。

 

 誰がクーデターを企てたのか、ハイネセンの要人はどうなったのか、そしてクーデター勢力は何を企てているのか。車内の全員が固唾を呑んで注目していると、スクリーンの中に三〇代後半の軍人が着席した。

 

「宇宙暦七九七年四月一三日、軍は統治能力を喪失した最高評議会及び同盟議会に代わって、自由惑星同盟政府の全権を掌握した。最高評議会、同盟議会、同盟最高裁判所の権限を停止し、新たな統治機関として、自由惑星同盟救国統一戦線評議会を設立する。評議会は国家正常化のため、全土に無期限の国家非常事態宣言及び戒厳令を発令した。同盟憲章は一時的に停止され、立法・行政・司法の全権は、すべて評議会に帰属するものとする。すべての同盟市民及び政府機関は、評議会の決定に従う義務を負う」

 

 カメラではなく原稿に目線を向け、早口で宣言を読み上げる人物は、国防研究所上席研究官ティム・エベンス大佐。前の歴史でクーデターを起こした人物であった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。