銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百十二話:民主政治防衛計画 宇宙暦797年4月12日 首都防衛軍司令部~国防委員会~首都防衛軍司令部~官舎

 四月一二日午前八時二〇分、首都防衛軍司令部で副官のハラボフ大尉から今日のスケジュール説明を受けている最中に、ドーソン大将からの緊急連絡を知らせる特別な呼び出し音が鳴った。この音が鳴った時は、誰であろうと部屋の外から退出する決まりになっている。ハラボフ大尉が退出して一人になった俺は、通信端末のスイッチを押した。

 

「フィリップス少将、芋ゆで会の日取りがわかった」

 

 ドーソン大将は暗号を用いて、情報部がクーデターについての決定的な情報を掴んだことを伝えた。

 

「いつでしょうか?」

「明日だ」

「明日ですか!?」

 

 そう遠くないうちに始まると思っていた。今すぐ始まってもいいように準備を整えた。だが、日取りがわかると、やはりびっくりしてしまう。物質的な準備はできていても、心理的な準備ができていなかったことに気づいた。

 

「そうだ、こちらも早くコロッケを作らねばならん」

 

 緊急会議の開催を伝えるドーソン大将の声は震え気味だった。明らかに狼狽している。俺がしっかりしなければ、戦いにならない。冷静になるよう、自分に言い聞かせた。

 

「わかりました。具はどういたしましょう?」

「牛と豚の合挽肉を用意してもらいたい。ちょうどピカリングマートの特売日だ」

「急ぎ用意いたします」

 

 緊急会議の場所は国防委員会庁舎六階の第二会議室。国防委員会の事務総局に話を通し、すべてのスケジュールをキャンセルして会議に出席しても、決して怪しまれない口実まで用意してくれたそうだ。統合作戦本部長代行に就任してからは悪い面が目立つドーソン大将だったが、こういった手回しの良さはさすがだった。

 

「パン粉の心配はいらない」

「ご配慮いただき感謝いたします」

 

 国防委員会から迎えのヘリを寄越してくれるという。対策会議に出席こそしていないが、もともとクーデターの話を俺に持ち込んできたのは、国防委員長ネグロポンティだった。緊急会議開催にあたっても、最大限の便宜をはかってくれる。政治家を味方に付けたら、本当に心強い。

 

 通信を切った後、部屋の前で待機していたハラボフ大尉を呼び寄せて指示を出した。

 

「国防委員会の事務総局から、緊急の呼び出しを受けた。今からキプリング街に向かう。予定は全てキャンセルしてくれ」

「了解しました」

 

 指示を受けたハラボフ大尉は、一秒たりとも無駄にしたくないと言わんばかりの早足で部屋を出て行く。ドーソン大将、ネグロポンティ、そしてハラボフ大尉はみんな自分の仕事をしようと努力している。俺も自分の仕事に全力を尽くすべきだった。

 

 

 

 首都防衛司令部と統合作戦本部の間は車で移動すれば三〇分ほど、地下鉄で移動すれば五〇分ほどかかる距離にある。最近は交通管制システムのトラブルが多いため、倍近くかかることもあり得る。しかし、ヘリを使えば一〇分もかからない。急ぎの用がある時はヘリに限る。

 

 統合作戦本部屋上のヘリポートに到着すると、ドーソン大将から言われたとおりの口実を使って受付を通過し、第二会議室へと向かう。何の因果か、三日前に誘いを断った査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将とエレベーターで乗り合わせてしまって、少し気まずかった。

 

 九階でグリーンヒル大将が降りると、入れ替わるように壮年の男性士官が乗り込んできた。その人物が国防研究所上席研究官ティム・エベンス大佐であることを理解した時、ますます気分が落ち込んだ。

 

 一一年前に廃止された士官学校戦史研究科出身のエベンス大佐は、主に教育研究畑でキャリアを積んできた学者軍人だった。戦略家としても一流と言われ、統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部でも活躍。アムリッツァ会戦では第八艦隊所属の戦隊を率いて武勲を立て、机上の理論家に留まらないところを見せた。会戦終了後に遠征軍総司令部作戦主任参謀のステファン・コーネフ中将を公衆の面前で殴打するという事件を起こし、准将から大佐に降格されたと聞いて、学者らしからぬ意外な一面に驚いたものだ。

 

 政治的にも問題は無い。リベラルかつ合理主義的な教育を志向するウィンターズ主義派に属し、全体主義的かつ精神主義的教育を志向するグリニー主義派の教育者が多い国家救済戦線派とは、激しい対立関係にある。

 

 何の問題もないはずのエベンス大佐を見て気分が落ち込んだのは、彼が前の歴史でグリーンヒル大将の参謀格としてクーデターを起こした人物であるという記憶を呼び起こされたせいだった。しかし、今の歴史ではそのような素振りは見られない。

 

 俺の読んだ戦記では、エベンス大佐についてはさしたる記述もなく、単に軍国主義者とだけ記されていたが、現時点では自由主義者に近いように思える。士官学校校長時代のシドニー・シトレ元帥がウィンターズ主義的教育を推進したこともあって、同盟軍で最も自由主義的な旧シトレ派と、教育研究部門のウィンターズ主義派は、友好関係にあるのだ。

 

 不吉な記憶を頭から振り払い、エレベーターを降りる。第二会議室はすぐに見つかった。ネグロポンティとドーソン大将が隠れ蓑になる会議をでっちあげてくれたおかげで、人目を気にせずに堂々と中に入っていった。

 

 会議に参加したのは、一四名であった。軍人は統合作戦本部長代理ドーソン大将、第一一艦隊司令官ルグランジュ中将、情報部長ブロンズ中将、第七歩兵軍団長フェーブロム少将、第五空挺軍団司令官パリー少将ら一一名。文民は最高評議会議長秘書官オーサ・ヴェスティン、国防委員長補佐官オネスト・カッパー、国家保安局警備部長エルキュール・コラール警視監の三名。

 

 最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの代理人ヴェスティン、国防委員長ネグロポンティの代理人カッパー、警察官僚の代表コラールの出席は、事態が軍部単独で対処できる範囲を越えていることを示していた。

 

 情報部が入手した大量の証拠文書のコピーに目を通し、隠し撮り画像や盗聴記録を試聴した出席者の顔からは、どんどん血の気が失われていった。

 

「まさか、これほどの計画が水面下で進行していたとは」

「六月事件、いや建軍記念日事件を凌ぐ規模ですな」

「民主政治の危機ですぞ、これは」

 

 出席者が驚くのも無理はない。国家救済戦線派のクーデター計画は、実に良く練り上げられていた。軍事政権樹立寸前までこぎつけて、「民主主義が危篤状態に陥った一二時間」と言われた九〇年前の「建軍記念日事件」ですら、俺達が立ち向かおうとしている敵には及ばないように思える。

 

 一三日正午を期して、ハイネセンポリス中心部で極右組織のデモ隊が暴動を起こし、騒乱状態を作り出す。同時刻に暴徒を装った愛国青年団行動部隊が首都政庁に乱入し、ハイネセンポリス市長と第一副市長を拘束する。市長権限を継承したクレマン・ギーユ第二副市長は、非常事態宣言を発令して軍の緊急治安出動を要請。ここまでが第一段階となる。

 

 地上軍一三個師団は暴徒鎮圧を名目にハイネセンの中心部まで進軍して、素早く政治経済の中枢を占拠。空軍四個航空団は上空から、水上軍三個戦隊は海上から、宇宙軍二個戦隊と軌道防衛隊は衛星軌道上からハイネセンポリスを封鎖する。ハイネセン中枢部の占拠、政府や軍の要人の拘束、ハイネセン市内の同盟軍制圧を成し遂げた時点で第二段階が終了。

 

 ハイネセンを軍事的に制圧した反乱部隊は、全土に戒厳令を発令。最高評議会メンバー全員を解任し、同盟議会を解散させる。統一正義党代表マルタン・ラロシュを首班とする暫定政権が全権を掌握して、クーデターは完了する。

 

「首都政庁のクレマン・ギーユという男は、党派色のない実務官僚を装って出世街道を歩んできましたが、その正体は極右のフィクサーです。長年にわたって奴を重点的に監視してきた我々がクーデターの陰謀を見抜けなかったとは、面目ありません。統一正義党系列の組織が明日の昼にハイネセン中心部でデモを企画しているという情報は、こちらにも入っております。首都警察の機動隊、そして我らの対テロ部隊を動員して、デモ隊を封じ込めましょう。軍部には反乱部隊の鎮圧をお願いしたい」

 

 反体制活動取締りの責任者コラール警視監は、警察官僚らしからぬ率直な態度で非を認め、全面協力を申し出た。

 

「非常事態法に基づく緊急治安出動であれば、国防委員会や統合作戦本部を通さずとも部隊に直接出動を要請できる。過激派もうまい策を考えたものだ」

 

 フェーブロム少将は腕組みをして、治安作戦の専門家らしい見解を示した。最近は狭量さが目立っていたが、敵の力量を正しく評価できるだけのプロ意識は持っているようだった。

 

 自由惑星同盟は建国以来、何度と無くクーデターの危機に晒されてきた。しかし、国家救済戦線派の計画は、完成度、規模ともに過去のどの計画をも凌ぐ水準にある。出席者の中で冷静さを保っていたのは、ルグランジュ中将、ブロンズ中将、パリー少将、コラール警視監ぐらいだった。情けないことだが、俺も冷静でいられない多数派に属している。

 

 会議室がさわめく中、議長役のドーソン大将は胸を逸らして、大きく咳払いした。しかし、さわめきは止まらない。傷ついたような表情を見せた後、ドーソン大将はさらに大きく咳払いした。ざわめきが止まると、自分の威厳を再確認して満足気な表情になった。

 

「これで過激派の意図ははっきりした。明日を決行日に選んだのは、明後日のトリューニヒト議長再選阻止が目的だろう。議長辞任と選挙無効を主張する地方反乱軍の動きとも、つじつまが合っている。だが、奴らの思い通りにはさせん」

 

 重々しい言葉とは裏腹に、声は明らかに上ずっていた。未曾有のクーデター計画に立ち向かうプレッシャーは、凡人には重すぎるのだ。ドーソン大将は、救いを求めるような目でパリー少将を見る。

 

「パリー少将、説明を頼む」

 

 声に応じて、不敵な表情と鋼のような肉体を持つ地上軍の名将が立ち上がった。ほぼ同時に正面の大きなスクリーンに、部隊配置が詳細に記されたハイネセンの市街図が映し出される。

 

「こちらをごらんください。敵は二個空挺師団を除き、すべてハイネセン郊外に駐屯している部隊です。予想される侵入経路は八つ。何事もなければ、一時間以内にハイネセン中心部の制圧が可能でしょう。それに対し、我々はこのように対応します」

 

 パリー少将が軽く手を振ると、同盟国旗のマークが付けられた部隊が移動して、ハイネセンポリスの外周部と中心部で円を作った。

 

「演習を名目に部隊を出動させて、二重の防衛ラインを形成。外周部にはタムード准将とランフランキ准将率いる六個師団が展開して、郊外からの侵入を防ぎます。中心部には小官が率いる三個師団が展開して、外周部で食い止めきれなかった敵を防ぐとともに、市内に潜む敵を制圧します。ルグランジュ提督率いる第一一艦隊艦艇部隊は衛星軌道上に、アンデルベルグ准将率いる第一一艦隊大気圏内空軍は上空に、ネチャエフ准将率いる第一一艦隊水上部隊は海上に展開。ジョフレ少将率いる第一一艦隊陸戦隊は、不穏な部隊の牽制にあたります」

 

 地上軍と第一一艦隊の連携によるハイネセン防衛構想が示されると、出席者の間から感嘆の声が漏れた。政治好きのトリューニヒト派将官でも、心に軍服を着た人達だ。これほど大規模な宙陸統合作戦に、軍人としての興奮を感じずにはいられないのである。

 

「このような大動員をせずとも、事前に首謀者どもをことごとく検挙してしまえば良いのではありませんか?首都憲兵隊の六個憲兵連隊、国家保安局の対テロ部隊三個大隊でかたが着くでしょう。足りぬとあれば、首都警察の機動隊一〇個連隊もいます。正規艦隊まで動かす必要があるとは思えませんが」

 

 議長秘書官ヴェスティンが疑問を呈した。この太った中年女性は、トリューニヒトが代議員に初当選した時から私設秘書を務めた懐刀である。表向きの地位こそ低いが、出席者の中では屈指の実力者だった。

 

「これだけの計画を立てる相手です。事前に察知された場合の対応策も用意しているはずです。憲兵を動かして首謀者を逮捕しようとしたことが仇となった建軍記念日事件の例もあります。敵の計画が動き出して、修正不可能になった段階で一網打尽にするにしくはありません」

 

 パリー少将は大物秘書の鋭い視線を悠然と受け止めて、大部隊を動員すべき理由を説明する。

 

「敵の計画が動き出した段階で、既に手遅れだったということにならなければ良いのですが」

「情報部の活躍で我々は敵の計画を事前に察知しました。むしろ、動き出してもらった方がやりやすいのです。下手に手を出して、敵が計画を修正してくれば、事態があらぬ方向に動く可能性もありますので」

「敵は暴動を鎮圧するという名目でクーデターを起こすそうですが、クーデターを鎮圧するという名目で出動した部隊がクーデターに参加するなんてことになれば、あらぬ方向どころではありませんよ」

「忠誠心が疑わしい部隊には、すべて待機を命じてあります。出動するのはすべて議長閣下に絶対の忠誠を誓う部隊です」

「前々から忠誠心を疑われる程度の者には、反乱など到底おぼつかないでしょう。ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールで反乱を起こした部隊の忠誠を疑っていた者がいましたか?」

「ほう、秘書官殿は軍の忠誠心をお疑いになりますか?」

「何事であれ、完璧であるという前提で話を進めるのは、私の趣味には合わないのですよ」

 

 地上軍の名将と秘書官の非友好的な議論が続く。小心なドーソン大将は困ったような表情で行方を見守っている。

 

「ヴェスティン秘書官、少々お言葉が過ぎるのでは」

 

 コラール警視監が静かな口調で秘書官をたしなめた。神経質なインテリっぽい外見に似合わず、相当な胆力のある人らしい。『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』では、憂国騎士団の黒幕の一人と名指しされていたが、それほど悪い人には見えなかった。もっとも、俺に疑われるようでは、悪党など務まらないだろうが。

 

「私も長年反体制活動の取締りに従事してきましたが、事を急ぎすぎて取り逃がしてしまった経験は何度もあります。身内の恥を晒すようですが、二年前の第七方面管区司令部襲撃も事前に察知できていたのです。しかし、功を焦ったシャンプール支局の勇み足でテロリストを取り逃がしてしまい、所在を掴もうと躍起になっている間に事件が起きました。我々は昨日、陰謀の存在を情報部から知らされたばかり。準備不足のままで対テロ部隊を動かしたら、こちらの動きを敵に知らせることになりかねません」

 

 豊富なテロ対策の経験に裏打ちされたコラール警視監の意見は、全員を納得させるに足るものがあった。「国家保安局は第七方面管区司令部襲撃を事前に察知していた」という一部でささやかれていた噂が事実であるというさりげない告白の衝撃も説得力を高めた。ヴェスティン秘書官はコラール警視監とパリー少将の顔を見比べた後、軽く頷いて姿勢を正した。

 

「小官の意見もコラール警備部長と同じだ。やましいことをする者は、とかく用心深い。いつもこちらの動きに目を凝らして、何かあれば逃げ出そうと考えている。だから、こちらの態勢が整うまで泳がせておかねばならんのだ。パリー少将の案を採用したいと思うのだが、皆の意見も聞かせてもらいたい」

 

 自分だけが重々しいと信じるような口調で、ドーソン大将はパリー少将の案に対する支持を表明した。会議室の大勢が決したのを読んで意見を述べるあたり、小心者らしくて共感してしまう。

 

「フィリップス少将、貴官の意見はどうだ?」

 

 俺を指名したドーソン大将の魂胆が痛いほどにわかって、少し悲しくなった。ルグランジュ中将あたりに意見を求めたら、異論が出てくるかもしれない。だから、同意してくれそうな俺を選んだのだ。実際、俺は対案を持っていないから、同意するより他にはないのだが。

 

「異存はありません。ただ、質問があります」

「ほう、なんだね?」

「小官の役割についてです。忠誠心に問題がある首都防衛軍を動かさないというのはわかるのですが、首都防衛軍司令部を離れるのはまずいのではないでしょうか。アラルコン少将の拘束は別の者に任せても問題無いはずです」

 

 クーデター鎮圧作戦において、俺は一個連隊を率いて第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将の拘束に向かうことになっていた。だが、情報部の工作でアラルコン少将の部隊は動けない状態にある。危険人物ではあるが、司令官代理の俺がわざわざ市中心部から車で一時間もかかるような場所まで出向く必要があるとは思えない。信頼の置ける大佐か中佐を差し向ければ、それで十分ではなかろうか。

 

「そういうわけにはいかないのだ」

 

 答えたのはドーソン大将でも立案者のパリー少将でもなく、情報部長ブロンズ中将だった。

 

「なぜでしょうか?首都防衛軍司令部は非常時に備えて要塞化されています。たとえ航空支援を受けた一個旅団に襲撃されても、二個大隊の警備部隊だけで三時間は持ちこたえられる設計です。二個大隊を臨時に増員しましたから、もっと長く戦えます」

 

 クーデターが発生したら、警備部隊を率いて首都防衛司令部に立てこもり、陥落が避けられなくなった段階でヘリか非常通路を使って脱出するつもりでいた。過去の戦史を紐解くと、成功したクーデターは概ね四時間以内に目標をすべて制圧している。最終的に司令部が陥落しても、首都制圧に手間取れば、反乱軍の求心力は大きく低下するはずだった。

 

「その警備部隊に裏切り者がいる。どれほど堅固な要塞でも、内応されたらあっという間に陥落してしまう」

「裏切り者ですか?国家救済戦線派に浸透されていない部隊を選んだつもりでしたが」

「誰が裏切り者かは不明だが、入手した文書の中に記された首都防衛司令部攻撃計画では、警備部隊の内応を前提としているような記述がある。工作は既に完了していると見るべきだろう」

 

 ブロンズ中将は俺の持っていた計画に死刑宣告を下した。どこまでも国家救済戦線派は先手を打ってくる。大丈夫と思っていた部隊にも内応者がいるとなれば、司令部に篭って抗戦する計画は、放棄しなければならない。

 

「首都防衛司令部が安全でないとわかった以上、貴官がハイネセン市内にいても無意味だ。郊外に出るのがベストと考える。仮にパリー少将やルグランジュ提督が敗北した場合は、接収したアラルコンの部隊、首都防衛司令官の非常権限で召集した部隊をもって、ハイネセン奪還に動いてもらいたい」

 

 話を引き継ぐように、ドーソン大将はクーデターが成功した場合のハイネセン奪還という俺の本当の任務を語った。参謀に作らせた三つの対クーデター計画は、いずれもクーデター成功後の反撃プランまで視野に入れていた。首都防衛司令官の非常権限を行使して、クーデター側に味方していない部隊を召集し、ハイネセン奪還にあたるのも予定のうちではあった。ドーソン大将の指示は、俺が自主的にやろうと思っていた戦いを鎮圧作戦の中に公式に盛り込んだものといえる。

 

「身に余る大任ですが、信頼に背かないよう力を尽くします」

 

 表情を引き締め、明るい声を作って命令を受諾した。謙遜でも何でも無く身に余る大任だとは思っていたが、ドーソン大将の信頼に応えなければならない。ただ、残念なことに俺の体は決意を裏切って、腹痛を訴えていた。

 

 

 

 会議終了後、俺はルグランジュ中将に誘われて、国防委員会の食堂で一緒に食事をした。今日のメニューは中華。いつもの俺はパフェやケーキを出す店でしか食事をしない。第三巡視艦隊司令官に就任した時も食堂でパフェを出すと聞いて安心したものだ。こういう機会でもなければ、中華を食べる機会は無かった。

 

「相変わらず、貴官は良く食べるなあ」

「そうですか?まだ、三杯目じゃないですか」

「それはチャーハンだけだろう。貴官の中では、エビ餃子三皿、饅頭五個、中華粥二皿、春雨サラダ二皿は無かったことになっているのか?」

「まだラーメン食べてませんから」

「意味が分からん」

 

 ルグランジュ中将は呆れ顔で麻婆豆腐を口にした。

 

「ラーメンで思い出しましたが、第一一艦隊司令部のカフェでランチを食べると、食後にアイスクリーム付いてきますよね。まだやってるんですか?」

「なんでラーメンで思い出したのは知らんが、二月末でやめたぞ。食堂運営費が削られてな」

「残念です。俺達軍人の力が至らないばかりに、こんなことになってしまいました」

 

 不況の影響がカフェのメニューにまで及んでいる事実に、心が激しく痛んだ。去年の帝国領遠征以降、景気悪化は留まるところを知らず、ついに恐慌の時代を迎えた。失業率と物価は上昇し、株価とディナールの価値は暴落した。そして、おいしいアイスクリームが食べられなくなってしまったのだ。

 

「そんなに悲しい顔をすることもないだろう。いずれ、良い時代も来る」

「スイーツは嗜好品です。それが食べられなくなるということは、嗜好品を楽しむ経済的余裕が社会から失われているということを意味します。生きていくために必要な物しか食べられない時代って、想像するだけでも恐ろしいですよ。希望を持たなければならないのは分かっていますが、それでも落ち込んでしまうのです」

「貴官は良くも悪くも現在しか見ない男だと思っていた。だが、国家の未来を憂いているのだな」

「当然でしょう」

 

 パフェやケーキが食べられなくなるかもしれない未来。いくら脳天気な俺でも、そんな未来を予感して憂いずにはいるなんてことは不可能だ。

 

「貴官のような若者に希望を与えられない社会。何としても、変えねばなるまいな」

「どうなさったんですか、いきなり」

 

 急に真剣な表情になったルグランジュ中将に、ちょっとびっくりしてしまった。

 

「ああ、いや、なんでもない」

「驚かさないでくださいよ」

「すまんな。私はそろそろ行かねばならん」

「そういえば、これから査閲部に行かれるんでしたね」

「まあ、書類仕事は苦手だが。今回ばかりは人に任せておけんのでな」

 

 ルグランジュ中将は苦笑して席を立った。これから演習に偽装したクーデター鎮圧部隊の出動計画を、査閲部に提出しに行くのだ。

 

「苦労のほど、お察しします」

「敵を欺くのは望むところだが、味方を欺くのはどうもやりにくいな。それに一緒にいるだけで空気がまずくなる奴もいる。こんな仕事はこれきりにしたいものだ」

「同感です」

 

 俺とルグランジュ中将の価値観は、それほど近くはない。しかし、今の愚痴には心から共感できた。味方を欺いてると、どうも気分がすっきりしない。とげとげしいトリューニヒト派軍人の作る空気は苦手だ。

 

「今の仕事が終わったら、また飯でも食おう。スイーツがうまい店にしようか」

「甘い物、苦手じゃありませんでしたっけ?」

「私は苦手だが、妻と娘が好きなんだよ。休みの日になると付き合わされるもんだから、知りたくもないのに店だけは覚えてしまう」

 

 二倍の敵に背後から襲われてもこうも困らないだろうと思えるような困り顔を、ルグランジュ中将は見せた。同盟軍屈指の名将が妻子に付き合って、苦手なスイーツを口にしてるところを思い浮かべると、気持ちが少し上向いた。

 

「おい、笑っただろ?」

「気のせいじゃないですか?」

「まあ、貴官には真面目くさった顔は似合わん。へらへら笑ってろ」

 

 大きな口を開けて豪快に笑い、右手で強く俺の肩を叩くルグランジュ中将。前の歴史ではクーデター派に参加したが、今の歴史では鎮圧側にいる。海賊討伐作戦の時に感じた不吉な予感が外れてくれて、本当に良かったと思った。

 

 

 

 首都防衛軍司令部に戻った俺は、さっそく司令部首脳会議を開いた。鎮圧作戦の概要を伝えて、明日の役割分担を決めた。

 

 俺は情報部長ベッカー大佐とともに一個連隊を率いて、アラルコン少将の拘束及び第二巡視艦隊の接収にあたる。表向きには部隊視察を装い、動員する部隊もこちらの意図を悟られないように中隊単位に分散して、第二巡視艦隊司令部に向かう。

 

 参謀長チュン准将は打ち合わせの名目で作戦部長ニールセン中佐を連れて、第三巡視艦隊司令部に赴く。俺が司令官を務める第三巡視艦隊は、首都防衛軍では唯一信頼できる戦力だった。俺がクーデター派に拘束もしくは殺害されたら、チュン准将が第三巡視艦隊を率いて代わりに対クーデター計画を実行する手はずだ。

 

 副参謀長ニコルスキー大佐は首都防衛軍司令部に残って、防戦の指揮をとる。できればニコルスキー大佐も連れて行きたかったが、司令部のトップとナンバーツーとナンバースリーが全員不在なのはまずい。責任者が務まる者を一人は残しておかなければならなかった。

 

「例のものは用意してくれた?」

「もちろんです」

 

 幹部達が一斉にかばんを開けると、一〇個近い新品の携帯端末がテーブルの上に並んだ。彼らの家族の名義を借りて新規契約した携帯端末だ。

 

「ありがとう。お金は全部俺が払う」

 

 財布を取り出して、契約にかかった費用をすべて現金で支払った。明日の戦いでは、これが何よりも強力な武器となる。

 

「ハラボフ大尉、例のものは用意できた?」

 

 無言で副官が差し出した紙袋には、衣服とハイネセン市の地図が入っていた。地図は一〇〇パーセント、いや一二〇パーセントの出来だった。作戦に必要な重要施設が種類ごとにマークされている。衣服は何というか、予想通りだった。仕事は完璧なのに、服選びのセンスだけは完全に狂ってる。困った顔でハラボフ大尉を見たが、いつもの冷たい表情のままだった。

 

 気を取り直して、「クレープ計画」、「タルト計画」、「エクレア計画」のファイルを取り出した俺は、幹部達と最後の詰めを行った。国防委員会の会議結果を踏まえた形で計画を修正し、それぞれの役割を確認した。

 

「これでできることは全部やった。あとは護衛の計画だけど、それは後で担当者と直接打ち合わせをする」

 

 こうして、首都防衛軍司令部は明日のクーデター鎮圧作戦に向けた最終調整を終えた。仕事を定時で切り上げさせ、明日に備えて十分な休養をとらせた。もちろん、俺自身も早めに眠りについたのである。

 

 

 

 目覚めたのは朝六時。ダーシャがいなくなって半年以上が過ぎ、一人で迎える朝にもすっかり慣れてしまった。カーテンを開けたら、眩しい朝日が部屋に差し込む。

 

「そういえば、いきなりカーテンを開けて良く怒られたっけな」

 

 ダーシャは服も下着も付けずに寝る。だから、彼女がベッドから出てすぐに、軍隊に入った時から起きてすぐに反射的にカーテンを開ける習慣が身についていた俺がカーテンを開けると、丸っこい顔を子供のようにむくれさせて怒るのだ。何も言われずにカーテンを開けられることすら、今は寂しく感じてしまう。

 

 頭を横に激しく振って意識を現在に戻すと、急いで身支度を整えた。そして、ダーシャの画像データが詰まった小型記憶媒体をポケットに入れる。今度はいつ官舎に戻れるかわからない。二度と戻れない可能性だってある。どんな端末を使っても、ダーシャの画像を見られるようにしておきたかった。

 

 四月一三日、天気は快晴。ハイネセンの一番長い一日が始まろうとしていた。


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