銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二話:義眼の誠実、獅子の統率 宇宙暦797年2月24日~25日 フェザーン自治領主府

 自由惑星同盟とゴールデンバウム朝銀河帝国の捕虜交換交渉が二月二四日、フェザーン自治領主府で始まった。両国とも捕虜交換を心の底から望んでいるのは周知の事実であり、合意が半ば成立したような状態である。交渉はもっぱら実務レベルの調整に終始すると見られていた。

 

「我々が用意した資料です。目を通していただきたい」

 

 帝国側代表の宇宙艦隊総参謀長パウル・フォン・オーベルシュタイン中将が出してきた資料の厚みは、同盟側代表団の面々を唖然とさせた。同盟側が提示した資料をノートとすると、帝国側の資料は辞書だった。前の歴史で最高の策士と恐れられたオーベルシュタインは、いきなり先制攻撃を仕掛けてきた。

 

「心配は無用です。すべて同盟公用語で記載しました」

 

 オーベルシュタイン中将はひとかけらの愛想も混じってない口調でそう付け加える。そんな問題では無いと言いたげな同盟側代表の国防副委員長ハリス・マシューソンの表情は、彼の義眼には映っていないようであった。

 

「ほんの少しだけお待ちいただけますかな?これだけ充実した資料でしたら、すべて目を通すまで時間もかかります。別室で落ち着いて読ませていただきたく思うのですが」

「構いません」

 

 マシューソンの申し出をオーベルシュタインは二つ返事で受け入れる。同盟側代表団は資料を持って別室に移動し、対応を協議することになった。

 

「まいったな、あちらも一刻も早い交渉成立を望んでいるとばかり思っていたが」

 

 軍人家族問題担当国防委員ジョスラン・ミレーは、困惑を隠そうともしない。虚勢を張るよりは人間らしいが、政治家がそれでいいのかと少し思う。

 

「あちらの代表は見るからに油断ならなさそうな奴だ。文面にどんな罠を仕込んでるか、知れたものではではない。一言一句、見落とさないように読まねば」

 

 前の歴史を知る者なら誰でも同意しそうな意見を苦々しげに述べたのは、広報担当国防委員タリク・アベラだった。優秀な官僚は単語一つで天地を入れ替えることができる。アベラは場当たり的に有権者に迎合するパフォーマンス屋と言われていたが、プロの政治家だけあって警戒すべきところはちゃんとわかっていた。

 

「事務総局から人は出せないと言われたから、実務の出来る人材をあまり加えなかった。だが、こんなことになるのなら、無理を言って引っ張ってくるべきだった」

 

 マシューソンは顔をしかめながら、後悔を口にする。オーベルシュタインの出してきた資料に記されているのは、ほとんどが実務的な事柄だった。国防委員達は政治のプロではあるが、実務には疎い。軍人の随員はトリューニヒト派の躍進に伴って中央入りした人ばかりで、統合作戦本部や国防委員会での勤務経験が豊富ないわゆる「軍官僚」はあまりいなかった。

 

 四〇〇万人の捕虜を全土の収容所から集めて、受け渡し場所のイゼルローンまで移送するとなると、膨大な事務作業が発生する。帝国領遠征の敗戦処理も続いている。国防委員会にいる実務向きの人材は、みんな忙しかった。合意を確認するだけの交渉に人を割く余裕などなかった。他の委員会は政権交代を見据えて対応策を練っていて、やはり人を割く余裕が無い。だから、代表団は実務に疎い者ばかりになったのだ。

 

「フィリップス少将がおられたのは幸いでした」

 

 唐突に俺の名前が出たことに驚き、声のした方を見る。発言したのは俺より一歳上の若手参謀バルト・クローン中佐だった。どうしたことか、あちこちから同意の声があがる。

 

「そうだ、フィリップス提督は法務に強い」

「そして、あのドーソン提督に鍛えられた軍政畑のエースだ」

 

 期待の眼差しが俺に集中する。天井に視線を向けて気付かぬ風を装う。だが、マシューソンが早足で俺のところに歩み寄ってきた。ここまで間合いを詰められては、知らん振りできない。

 

「フィリップス提督」

「はい」

「貴官は。帝国法にも強いと聞く」

「ええ、まあ」

 

 曖昧に言葉を濁す。確かに帝国法は理解できる。帝国領遠征の際に占領統治に必要になると思って、基本五法典と軍事法典を学んだからだ。しかし、それがあのオーベルシュタイン相手にどれほど役に立つだろうか。

 

「貴官が頼りだ。帝国が文面の中に仕掛けた罠を法務のプロの目で見抜いてもらいたい」

 

 マシューソンは俺の肩を強く叩いた。頭がくらくらしてくる。オーベルシュタインの策謀に対抗させられるなんて、悪夢でしかなかった。

 

 心を落ち着けるために、テーブルの上に置かれていたコーヒーに砕いた角砂糖を三個入れて飲み干す。糖分を補給した俺は、国防委員のヤーナ・コロトコワとファン・イーニンを呼んで協力を要請した。弁護士出身のコロトコワは法律に明るく、元ケイマン星系警察幹部のファンは実務に強い。オーベルシュタインらをあまり長く待たせることはできない。こちらが礼を失すれば、オーベルシュタインに付け込む口実を与えてしまう。隅々まで精査するには、時間も人数も足りなかったが、全力で取り組むしか無かった。

 

 三人がかりで一言一句をなぞるように資料を読み込んだ。生涯でこれほど熱心に文字を読んだ経験は、数えるほどしか無い。一国の威信を賭けた交渉の成否が俺達にかかっているのだ。他の交渉団メンバーにも目を通してもらい、一致団結してオーベルシュタインが文面に仕込んだ罠を探し続けた。

 

「そろそろよろしいでしょうか?」

 

 部屋の外から自治領主府スタッフの声がする。帝国側の代表団を待たせ過ぎると、会談場所を提供してくれた自治領主府のメンツも潰してしまう。そろそろ潮時だった。

 

「申し訳ない。今から戻ると伝えてくれ」

「かしこまりました」

 

 マシューソンはスタッフが歩き去っていったのを確認した後に、俺達の方を向いた。

 

「コロトコワ委員、ファン委員、フィリップス提督。資料の中におかしな所はあったか?」

「私の見た範囲では文章に曖昧さがまったくなく、おかしな部分は見られませんでした」

「コロトコワ委員と同意見です。もう少し時間があれば、あるいは見つかるかもしれませんが」

 

 コロトコワとファンは揃って罠の存在を否定する。

 

「フィリップス提督は?」

 

 マシューソンの問いにすぐ答えることはできなかった。コロトコワの言う通り、帝国側の資料には曖昧なところがなく、どうとでも解釈できる余地を残す官僚的作文術は使われていない。抜き出した確認事項が異常に多いために長くなっているが、文章自体はとても簡潔で誤読の余地が皆無。丁寧に細部を詰めて、お互いが納得してから合意したいという気持ちすら感じられる。相手がオーベルシュタインでなければ、誠実さを賞賛してもいい文章だった。

 

「引っかかる部分があるのかね?」

 

 俺の沈黙を問題を発見したためと、マシューソンは受け取ったようだ。しかし、文章には何の問題もない。これだけ誠実に書かれた文章から罠の存在を見出すとしたら、一〇倍の人数と時間が必要になるだろう。出してきたのがオーベルシュタインであるという一点のみに、引っ掛かりを感じる。

 

「特にありません」

 

 そう答えるしか無かった。疑う根拠は前の歴史の記憶のみ。今の歴史で俺との接点は皆無。現時点では同盟は彼の経歴すら把握していない。「何となくですが、あの代表は信用できません。きっと罠があるはずです」なんて言葉には、何の説得力もない。警戒すら促せない。第六次イゼルローン攻防戦の時と同じだ。具体的に罠の存在を証明できない以上、できることはなかった。

 

 会議の席に戻った後は、お互いが提出した資料を巡るやりとりが続いた。不審な点を感じたら、質問をして説明を聞く。納得しかねる部分があれば、妥協が成立するまで話し合う。

 

「一四五ページのこの部分では、『我ら』という主語が国防委員会を指すのか、貴国の国民を指すのか、少々わかりにくいですな」

「ええと、国防委員会を指していると解釈してください」

「しかし、それでは次の文と意味がうまく繋がりませんな」

 

 オーベルシュタインの鋭い追及を受けたマシューソンの額には、脂汗を流れている。同盟側の資料は文章が少ないために、細部では言及されていない部分が多かった。一方、帝国側の資料は説明が尽くされていて、突っ込める余地は少なかった。

 

 同盟の資料作成者が無能だったわけではない。交渉を形式的なものと考えていたために、仕事が甘くなってしまったのだろう。国防委員会の人員は帝国領遠征の戦後処理、そして捕虜交換に割かれてしまっていて、形式的な交渉で使う資料なんかに手間を掛けられない。

 

 帝国も同盟に負けず劣らず忙しいはずだ。リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸とブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合は、公然と兵を集めて対決の時に備えていた。捕虜交換関係の事務作業もある。門閥貴族出身の軍官僚の中には、ラインハルトに非協力的な者も多いだろう。人手が足りない時に手間暇かけて充実した資料を作って、位階が高い者なら誰でも良さそうな交渉に知恵袋のオーベルシュタインが出てくる。ラインハルト陣営がここまで力を入れる理由が理解できなかった。

 

 交渉は二日間続いた。信じがたいことであったが、オーベルシュタインはきわめて誠実な交渉相手だった。手の内は全部明かし、説明を惜しむこともしない。言葉尻を捉えようともしないし、言質を取ろうともしない。ひたすら丹念に見解の相違を洗い出しては、納得するまで話し合う。

 

 しかも、親切だった。帝国と同盟が非公式に交渉を持つと、どちらの言葉を使って交渉するか、どちらが上座につくかなんてことで揉めることが多い。相手を公式な交渉相手と認めていないために、共通の外交礼式が存在しないからだ。しかし、今回はまったく揉めなかった。頼まずともオーベルシュタインは同盟語を使ったし、儀礼的な部分でも全部こちらに譲ってくれた。こちらが出した資料の内容を改善するアドバイスまでしてくれた。

 

 交渉というものは、大きく分けて二種類ある。一つ目は激しく言葉を戦わせ、相手の揚げ足を取ろ、譲歩を引き出す敵対的交渉。二つ目は自分を理解させる努力と相手を理解する努力を重ねて、信頼関係を築いていく友好的交渉。今回の交渉は後者の典型であった。

 

「次に帝国と交渉する時もあの人に出てきてもらいたいものだ。手強いが好感は持てる。思い通りにならなくても、納得はさせてもらえそうだ」

 

 控室で休憩している時に、そんなことを言った国防委員もいた。前の歴史の記憶だけで判断するなら、陰謀の下準備か何かと疑うところだ。しかし、俺がこの目で見て判断する限りでは、オーベルシュタインという人は、隙あらば他人を引っ掛けようとするタイプではないようだった。誠実で信頼できるという印象だった。

 

 そう言えば、トリューニヒトが大犯罪者アルバネーゼ退役大将を「信義に厚い」「優れた謀略家ほど信義を大事にする」と評したことがあった。もしかしたら、それはオーベルシュタインにも当てはまるのかもしれない。ここまで真摯に他人に向き合える人物であれば、他人を排除する時も真摯に取り組もうとするだろう。決して相手を見くびらず、丁寧に追い詰めていくに違いない。仮に策略家でなかったとしても、敵には回したくないタイプだ。

 

 二月二五日の一七時に同盟と帝国は合意に達した。日時は三月一〇日、場所は予想通りイゼルローン要塞。たったの一三日しか余裕がない。トリューニヒトは三月末の投票日前に記念式典を開きたいし、ラインハルトは一日でも早く帰還兵を自軍に組み入れたい。過密スケジュールになるが、やむを得ない。

 

 会議終了後、俺達はフェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーが主催する晩餐会に招かれた。帝国の代表団も全員出席して、一緒に食卓を囲む。タキシード姿のフェザーン人を挟んで、同盟軍の礼服と帝国軍の礼服が並んでいる有様は、なかなか壮観である。

 

 出てくるのはフェザーン風のフルコース。ヨタというサワーキャベツのスープ、マスのコーンフラワー焼き、オリーブのパン、ムール貝のワイン煮、鹿肉のロースト、プロシュトという豚の生ハム、野菜サラダ。最後はクレムシュニタというクリームケーキで締める。舌が貧しい俺にも最高の素材を最高の技量で調理したことが分かるほどに美味だった。

 

 前の人生ではまだ捕虜だった俺が、今は同盟軍の少将としてフェザーン自治領主が主催する晩餐会に招かれている。まるで夢のようなひとときだ。料理が少なすぎるのが残念であったが、何事も完璧とは行かない。明日のカフェレストラン「ジャクリーズ」が本番なのだと、自分に言い聞かせる。

 

 帝国側の出席者は三分の二が軍人だった。二〇代半ばから三〇前半の者がやたらに多い。その年齢で准将や大佐の階級章を付けている。少将の階級章を付けている者は二人いた。前の歴史の本で見覚えがある顔は、髪型に特徴のあるゴッドハルト・フォン・グリューネマン少将のみ。他の者は途中で戦死、あるいは出世コースから外れて歴史に名を残せなかったのであろう。ラインハルトが標榜する実力主義の苛酷さを垣間見たような気がした。

 

 同盟軍の出席者のうち、軍人は二分の一。年齢は二〇代から五〇代まで様々。階級は准将と大佐が多い。高い階級に昇った軍人が無能なはずはないが、明らかに帝国軍より見劣りするように思えた。覇気の量が格段に違うのだ。

 

 覇気の違いは文民の出席者の間にも見られた。帝国側の文民は軍人ほど若くはなかったが、それでも三〇代の者が多い。彼らが噂に聞く若手改革派官僚なのだろう。貴族特権制限、中央集権改革を主張して、今や帝国政界の主要プレイヤーとなった者達だ。

 

 同盟の文民はほとんどが政治家だった。年齢は若くても四〇代、最年長は七〇近いマシューソン国防副委員長。伸長著しいトリューニヒト派の代議員として羽振りを利かせる彼らであったが、政治家というより政治屋と言った方が適切で、主張らしい主張があるわけではない。国政に議席を持つだけあって、頭は俺なんかよりずっと切れる。オーベルシュタインと話を詰めていった際の手際もなかなかのものだった。しかし、帝国の若手改革派官僚と比べると、はるかに覇気に欠ける。

 

 友好を深めるべき席なのに、帝国側も同盟側も自国だけで固まってしまっている。覇気に富んだ帝国側から見れば、同盟側は志の低い凡人ばかりに見えて興味を感じないのかもしれない。凡人が多い同盟側から見れば、帝国側はギラギラしすぎていて付いていけないように見えるのだろう。かく言う俺も帝国側の人と何を話せばいいかわからなくて、同盟の政治家や軍人とばかり話してる。

 

「それにしても、貴国の高級士官の方々は皆お若いですなあ。私など六〇を過ぎて、ようやくあなたと同じ准将でした」

 

 マシューソンが最も年配に見える帝国軍准将に話しかけているのが見えた。年配と言っても四〇代前半。同盟であれば、まだ中堅である。

 

「ローエングラム元帥閣下はまだ二〇歳ですからな。トップが若くなれば、しぜんと下も若くなります。小官は一番の年寄りなもので、いつ時代遅れになるか冷や冷やしておりますよ」

「ヴィンクラー准将は老いなどとは無縁のように見えますが、私の思い違いですかな?」

「自分ではまだまだ若い者に負けないつもりですが、そんなことを言ってる時点で年寄りですな」

 

 ヴィンクラー准将と呼ばれた人物は、大きく口を開けて笑った。良くも悪くも凡人揃いの同盟側出席者と合わない帝国側出席者の中にあって、世慣れた感じの彼は話せる存在として引っ張りだこだった。

 

「アムリッツァの戦いでローエングラム元帥麾下の部隊と戦ったが、信じられないぐらい戦意が高かった。あそこまで粘るなんて想像を超えていた。どのような統率をすれば、あのような軍隊を作れるのだ?」

 

 ジャクリ准将の質問は、俺がずっと知りたかったことでもあった。他の軍人もそう思っていたらしく、一斉に耳をそばだてる。

 

「簡単な話ですよ。食事を良くする。清潔で快適な兵舎を用意する。酒や賭博は大目に見る。給料水準を引き上げる。部下をかわいがる者を指揮官に任命する。親しく声をかけて、常に気にかけているとメッセージを送り続ける。功績にはいささか過分と思えるほどの報酬を与える。それだけのことです」

「本当にそれだけなのか?」

 

 ヴィンクラー准将の答えに、ジャクリ准将は納得がいかないようだ。フェザーンに向かう船中で聞いた話では、部隊運営に熱心な印象を受けた。だからこそ、当たり前のことをしただけでこれだけの効果が上がるとは信じがたいのだろう。

 

「ローエングラム元帥閣下は予算を取ってくるのがお上手な方でしてね。あの方の配下に入った部隊は、運営予算が五割増額されました」

「ああ、なるほど。アイディアがあっても、予算がなければ実現はできん。実現に移したとしても、途中で予算がなくなって中途半端に終わる。ローエングラム元帥麾下の方々が羨ましい。小官もそれぐらい予算を取れる上官がほしい」

 

 ジャクリ准将はため息をついた。他の同盟軍人も同感という表情を見せる。彼らがトリューニヒト派に入った理由の一端が何となく理解できた気がした。そして、旧シトレ派のエリートに敵意を燃やす理由も。

 

「予算の他にもう一つ秘訣があります」

 

 得意げなヴィンクラー准将の言葉に、再び全員が耳をそばだてる。

 

「ぜひお聞かせ願いたい」

「これまでの我が国は皆さんも御存知の通り、身分で昇進が決まっていました。佐官の四〇パーセント、将官の八〇パーセントを門閥貴族出身者が占めていたのです。何不自由ない環境でエリート教育を受けた彼らは、平民どころか下級貴族ともほとんど接することがありません。ですから、兵士、下士官、下級将校の気持ちがまったくわかりません。待遇に気を配ろうとせず、功績を立てた者に目をかけようともしない。そんな指揮官のために命を賭けられますか?」

「無理に決まっている」

「そこに現れたのがローエングラム元帥閣下です。下の者の言葉に耳を傾け、待遇を良くしてやって、功績に厚く報いる。自分達の気持ちをわかってくれる理想の提督ですよ。奮い立たずにいられますか?」

「貴官の言うとおりだ。話を聞いているだけでも血がたぎってくる。直に部下となった者であれば、なおさらであろう」

「ローエングラム元帥閣下が平民や下級貴族出身の若手を指揮官に取り立てた理由もそこにあるのです」

「おお、ぜひ聞かせてくれ!」

 

 話を聞いている同盟軍人達の目は、好奇心で輝いている。ラインハルトの部下が語るラインハルト人事の真実。軍人であれば、興味を持たずにはいられない。

 

「門閥貴族出身の指揮官はみんな下の者の気持ちがわかりません。低い身分から出世した者でも階級を上げて門閥貴族と付き合うようになれば、影響されて下の者の気持ちがわからなくなります。門閥貴族出身者の指揮官、低い身分出身のベテラン指揮官にも能力の高い者は少なくありませんが、ローエングラム元帥閣下は『指揮官は兵士とともに戦うべきである。それができない者は指揮官ではなく無能というのだ』と言って、一切登用しませんでした。それゆえに、若手から人材を求めることになったのです」

 

 理路整然としたヴィンクラー准将の説明に、同盟軍人はみんな感嘆の声をあげる。俺も例外ではない。自分の知識が塗り替えられる瞬間というのは、とても心地良い興奮を覚える。

 

 ラインハルトが若手ばかり登用した理由は、門閥貴族やベテランに有能な人物がいなかったためと、前の歴史の本に書かれていた。しかし、ラインハルトの引き立てた若手が台頭する前の帝国軍指揮官が無能だったとは思えない。彼らが一進一退の攻防を繰り広げた同盟軍指揮官も有能だった。門閥貴族やベテランの優れた指揮官を使わずに、未熟な若手を起用した理由が理解できなかったが、ヴィンクラー准将の述べた「兵士の気持ちがわからない者は、どんなに能力が高くても無能とみなす」という基準が加われば納得できた。

 

「ローエングラム元帥閣下は統率というものをよくわかっておられるのだなあ」

「指揮官は部下を見て戦わねばならんのだ。我々の取り組みはやはり正しい」

「ずっと軍中央や艦隊司令部で勤めてた連中には、それがわからん。ほとんど部隊を経験せずに提督になる。だから、部下ではなく理想を見て戦おうとするのだ」

「そのくせ、あやつらの方が兵に人気がある。まったくもって理解できんわ」

 

 同盟軍人はラインハルトに対する賞賛と、旧シトレ派のエリートに対する批判を口にした。ラインハルトに自分達、門閥貴族に旧シトレ派を重ねているらしい。不満は理解できる。しかし、他国の軍人の前でそれを口にするのは、さすがにみっともない。

 

「階級対立は我らだけではないのですな」

「うむ。我が国にも貴国の門閥貴族のような輩がおるのだ。軍服を着た貴族だな、奴らは」

 

 頭の痛いことに、ヴィンクラー准将に向かって、旧シトレ派エリートの批判を始める者まで現れた。

 

「他国の者が聞いて良い話なのでしょうか?」

「構うものか。知られて困る話でもない」

「まあ、お気持ちはわからんでもないですな。今だから言えますが、小官も門閥貴族の上官に『弾は前から飛んでくるとは限らんぞ』と教えてやりたくなることは再三ありました」

 

 一度付いた火は止まらない。トリューニヒト派士官の口は旧シトレ派の悪口を吐き続け、ヴィンクラー准将は苦笑を浮かべながら応じる。マシューソンら政治家も止めようとせず、薄笑いを浮かべる。

 

 トリューニヒト派は凡人集団だ。良く言えば地に足がついていて現実的、悪く言えば視野が狭く目先の感情や利益に左右される。軍人も政治家も旧シトレ派エリートに対する反感を優先して、ここが外交の場であることを忘れてしまっている。悪い部分が出てしまった。

 

 ドーソン大将かロックウェル大将がいたら止めてくれるはずだ。あの二人も凡人だが、けじめには厳しい。しかし、ここにいない人に期待しても仕方がなかった。この場にいる最高位の軍人である俺が止めなければならないと思い、席を立って歩き出す。

 

「しまった」

 

 気づいた時は遅かった。慌てていたせいか、足がもつれて盛大に転んでしまったのである。周囲の視線が一斉に俺に集中する。

 

「おお、大丈夫ですか?」

 

 歩み寄ってきたのはヴィンクラー准将だった。政治家や同盟軍人もやや遅れてやってくる。

 

「だ、大丈夫です……」

 

 ヴィンクラー准将が差し出した手を取って立ち上がった。俺が格好悪いのはいつものことだが、今回は一層格好悪い。

 

「はっはっは、酒が過ぎたのでしょう。今宵の酒は実にうまい。いずれもフェザーン産の逸品です。お気持ちはよくわかります」

「ご心配おかけします」

 

 どうやら、飲み過ぎたと勘違いされたらしい。酒は一滴も飲んでいないのだが、シラフで転ぶよりはまだ格好がつくと思って、否定はしなかった。

 

「それにしても、あなたはお若いですなあ」

「小官がですか?」

「ええ、一番階級が高いのに一番お若くていらっしゃる。ローエングラム元帥閣下と同年輩のようにお見受けします」

 

 ヴィンクラー准将は帝国軍人というよりフェザーン人ビジネスマンと言われた方が納得できそうな笑いを浮かべる。他国の軍人から見ても、自分に貫禄が欠けていることがはっきりして、ちょっと落ち込んだ。

 

「そ、そんなに若くないですよ。来年で三〇ですし」

「それにしたって、二九歳で少将ではありませんか。我が国の名将ミッターマイヤー提督もあなたと同い年です。さぞ武勲を重ねられたのでしょう」

 

 ヴィンクラー准将の主君はあのラインハルトだ。年の割に高すぎる俺の階級を武勲の結果と思うのも無理もない。しかし、前の歴史で全銀河屈指の名将と言われたウォルフガング・ミッターマイヤーと比べられて誇れるような武勲などない。さすがの俺でも、身の程は知っている。ミッターマイヤーと同レベルなのは、身長ぐらいだ。

 

「いや、それほどでも」

「若いのになかなか謙虚でいらっしゃる。過去の武勲を誇らず、未来の戦いを見据えておられるわけですな」

「そういうわけではないですよ。実際、威張れるようなこともしてませんし」

「貴国は武勲がない者に、自由戦士勲章やハイネセン記念特別勲功大章を授与するような国ではないでしょう?名誉戦傷章も二つお持ちだ。言わずとも武勲のほどは伝わります」

 

 どう答えていいかわからない。胸につけている武功勲章の半分は、エル・ファシル脱出作戦とエル・ファシル義勇旅団の虚名で得たものだ。同盟でもそれが虚名だと知らない者がほとんどなのに、ヴィンクラー准将に理解できるわけがない。

 

「フィリップス少将は我が国の若手士官でも随一の人材。エル・ファシル脱出作戦では、動揺する三〇〇万の民間人を救出。エル・ファシル奪還作戦では、義勇軍を率いて活躍、ヴァンフリート基地では、司令官を救出。エル・ファシル動乱では、テロ部隊と戦って内戦を食い止める。終わりなき正義作戦では、参謀として海賊鎮圧に貢献。アムリッツァでは、最後まで戦場に踏みとどまって勇戦。苦境にあってひときわ活躍する勇者です」

 

 鼻高々に俺の功績を並べ立てるのは、マシューソンだった。ラインハルトに仕えるヴィンクラー准将の前で誇れるような功績ではない。しかも、最初の二つは完全な虚名なのだ。心臓が恥ずかしさのあまり止まりそうになる。

 

「若手随一の人材は、ヤン・ウェンリー提督と聞いておりました。アスターテ、イゼルローン、アムリッツァのいずれでも我が軍に苦杯を飲ませた方です。しかし、そのヤン提督以上の人材がいるとなると、我が軍のみが人材を誇るわけにはいきませんな」

 

 ヴィンクラー准将がヤン・ウェンリーの名前をあげると、政治家や同盟軍人の顔色が少し変わった。彼らは旧シトレ派エリートの典型と言われるヤンに対して、あまり良い感情を持っていない。

 

「確かにヤン提督の武勲は赫々たるものです。しかしながら、軍人に求められるのは武勲だけではありません。忠誠心、人望、信頼性、責任感、協調性といったものも大事です。フィリップス少将はそれらも含めた総合力で随一であるとお考えください」

「ほう、貴国は人柄に階級を授けるのですか。なかなかに興味深い」

 

 皮肉交じりのヴィンクラー准将の言葉に、周囲の顔色はさらに変わる。

 

「人柄ではありません。能力です」

「能力を示すのは、武勲ではありませんかな?」

「功績は戦場のみで立てるものでもないでしょう?組織を運営すること、強い部隊を作ること、事務を処理すること、予算を引っ張ってくることも立派な功績です」

「おっしゃるとおりです。しかしながら、それはすべて勝利のための努力。勝利につながって初めて評価されるべきもの。組織を守るだけで評価されては、命を賭けて戦った者が浮かばれないのではありませんか?組織を守るための努力ではなく、勝利のための努力を評価すべき。その思いがローエングラム元帥と兵士を結びつけているのです」

「しかし、組織無くしては勝利もありえませんぞ」

「なるほど、その点においてヤン提督はフィリップス提督に劣ると」

 

 ヴィンクラー准将は口角を上げてにやりと笑う。周囲の態度から何かに気づいたようだ。

 

「いえ、決して劣るとは申しません。武勲では若手どころか同盟軍全軍でもヤン提督に及ぶ者はいないでしょう」

「武勲だけでは随一の評価を授けられないと、おっしゃったではありませんか」

「我が国は民主主義国家。多様な価値観の存在が前提です。当然、軍人の評価基準も一つではありません」

「なるほど、あなたの基準はヤン提督を随一であると認めない。そういうことですか」

 

 図星を突かれたマシューソンは黙り込んでしまった。タナトス警備管区司令官を務めていた頃に、管区内に赴任したヤンが挨拶に来なかったことを九年経った今も根に持っている。そんな噂がマシューソンにはあった。そんなことはないだろうと思っていたが、もしかしたら事実なのかもしれない。

 

 ドーソン大将もそうだが、凡人は小さな非礼をいつまでも忘れないのだ。頭の一つも下げて、「あの時は申し訳ありませんでした」と謝りさえすれば、きれいさっぱり許してくれるのだが、謝らなければいつまでも怒りを持ち続ける。

 

「世の中にはどうあっても認められない相手がいる。それは事実です。私の場合は一〇年ほど前の上官ですな。部下は命令通りに動くのが当たり前。失敗すれば部下の無能を罵って厳罰を下し、成功すれば命令した自分の手柄と言って昇進や勲章を独り占め。抜群に優秀で皇室への忠誠も厚く、理想的な指揮官と評価されてましたが、それは門閥貴族の評価です。私にとっては最悪の上官でしたよ。選民意識で凝り固まってるくせに功績は抜群。だから、見下すこともできずに怒りが溜まっていくわけですな」

 

 感慨深げにヴィンクラー准将は語る。

 

「理想を語りたがる戦争屋。選民意識で凝り固まってるくせに功績だけは多い。奴らとまったく同じだな」

「そうだ、だから武勲だけで評価してはいかんのだ」

「自由惑星同盟は自由の国だ。軍人も多様な基準で評価するのが正しい」

 

 周囲は同意にかこつけて、ヤンや旧シトレ派エリートを評価したくない理由を口にする。シトレ派とロボス派のトップエリートが軍に君臨していた頃には、思っていても言えなかった二流エリートや叩き上げの本音。それがロボス派崩壊、トリューニヒト派躍進によって吹き出した。

 

 いったい、同盟軍はどうなってしまうのだろうか。トップエリートとそれ以外の断層はとてつもなく深い。ビュコック大将やルフェーブル大将は非エリート出身の提督だが、架け橋にはなっていない。俺もやはり架け橋になれないのだろうか。

 

「我らにはフィリップス提督がいる。奴らだっていつまでも武勲を誇ってはいられまい」

「あの第一二艦隊にあってひときわ奮戦した提督だからな。機会さえあれば、ヤン提督に劣らぬ武勲をあげるだろう」

 

 周囲がちらちら俺の方を見る。あの天才と武勲を競うなんて、冗談でも考えたくなかった。才能の桁が違いすぎる。ヤンへの反感から、分不相応に持ち上げられてはたまらない。一滴も酒を飲んでいないのに、前の人生で悪酔いした時のような気分になっていた。


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