銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百話:超法規的攻勢 宇宙暦797年1月中旬~2月6日 ブレツェリ家

 極右組織憂国騎士団によるロボス退役元帥邸焼き討ち、そして帝国領遠征の戦犯に対する宣戦布告は市民を驚愕させた。マスコミはこぞってトップニュースとして扱い、ロボス元帥邸が焼け落ちる映像を流し続けた。憂国騎士団の公式サイトにアップされた宣戦布告の動画は短時間で凄まじいアクセス数を記録した。

 

 映画のワンシーンを思わせる宣戦布告の翌日から、憂国騎士団は戦犯の自宅や勤務先などを次々と襲撃。一週間で一二か所が破壊された。私刑とみなして批判する者はごく一部に留まり、大半は積極的にせよ消極的にせよ歓迎した。破壊される建物の映像がテレビで流れるたびに、市民は溜飲を下げた。

 

 正義のための暴力を肯定して四〇億人を抹殺したルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのアンチテーゼとして建国された同盟では、どのような理由があろうともテロは否定されるべきものとされる。公の場でテロを正当化する発言をすれば、常識を疑われてしまう。昨年のテルヌーゼン補選では、憂国騎士団を選挙妨害に投入したことがトリューニヒト派候補の敗北を招いた。そんな国でテロが歓迎されるというのは、異常事態である。

 

「リベラリストとしての私は暴力を容認できない。しかし、私はリベラリストである前に感情を持った人間である。私の感情は不正な戦争に責任を持つ人々が無罪となることを容認できない」

 

 経済学者マイク・ベインズは、苦渋混じりにそう語った。彼の長女エミリアと次女アナベラは民主化支援機構職員、甥のスチュアートは地上部隊隊員として帝国領遠征に参加したが、占領地に取り残されて行方不明になった。暴力は許せないが戦犯はもっと許せないというベインズの言葉は、憂国騎士団に消極的支持を与える大多数の心情を象徴していた。

 

 当初は控えめに論評していたマスコミも世論の流れを見極めたのか、次第に憂国騎士団の肩を持ち始め、今では一部リベラル系を除くほとんどのマスコミが肯定的な報道をしている。ネットでは憂国騎士団を「義士」「正義の味方」「真の愛国者」と賞賛する書き込みが溢れた。各地の支部には入会希望者や献金が殺到しているという。今や憂国騎士団の白マスクは正義の象徴であった。

 

 主戦派も反戦派も憂国騎士団の暴力を容認する現在の風潮に危機感を抱く者は少なくない。彼らの多くは自分に暴力が向けられることを恐れて口をつぐんだが、公然と批判する者もわずかながら存在する。

 

「我が党の中にも憂国騎士団を正義の味方と称える者が少なくないと聞く。だが、私は諸君に問いたい。最も尊重されるべき人間の尊厳を打ち砕き、恐怖によって屈服させようとする者のどこに正義があるのか?法を踏みにじり、ほしいままに振る舞う者のどこに正義があるのか?『テロリズムが歴史を建設的な方向に動かしたことはない』とアーレ・ハイネセンは語った。今こそ、あらゆる暴力を否定する同盟憲章前文の精神に立ち返らなければならない。正義はただ法と言論によってのみ実現されるのだ」

 

 最良のハイネセン主義者と言われる最高評議会副議長兼財務委員長ジョアン・レベロは、進歩党の会合でそう訴えた。

 

「戦争を起こすのは言葉です。戦争を起こそうとする者は言葉を使って人を戦争に同意させ、言葉を使って暴力を振るう理由を人に与えます。人を説くことができなければ、戦争を起こすことはできません。政治家、軍部、民主化支援機構、メディアが一体となって、あの愚かな戦いを正当化しようと皆さんを説き続けました。彼らを拳で殴りつけたところで、彼らの言論から正当性を奪うことはできません。彼らを徹底的に議論で打ち負かさなければ、彼らを本当の意味で裁くことはできません。言論を暴力で断罪することはできないのです」

 

 急進反戦派の指導者である反戦市民連合代議員ジェシカ・エドワーズは、非暴力闘争の理念を強調し、憂国騎士団の暴力では戦犯を断罪できないと述べた。

 

 また、ハイネセン記念大学教授デズモンド・エインズリー、ウィルモット賞作家アキム・ジェメンコフなど反戦派文化人五一名は、「あらゆる暴力を否定する」という内容の共同声明を発表。左派政党の環境党、楽土教民主連盟も暴力容認の風潮が強まっていることに懸念を示した。

 

 幹部が襲撃対象となった軍部も憂国騎士団の活動を快く思っていなかった。大多数は反軍的な世論に遠慮して沈黙を保ったが、宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック大将、イゼルローン方面管区司令官ヤン・ウェンリー大将のように不快感を露わにする者もいた。ヤン・ウェンリー大将は、反暴力法違反を理由にイゼルローン要塞における憂国騎士団の活動を禁止するとともに、要塞憲兵隊に徹底的な取り締まりを命じた。

 

 しかし、彼らの声は圧倒的な支持の声に押し流されてしまった。憂国騎士団への疑念を口にした者はたちまち白眼視された。ネットで懐疑的な書き込みをしたら、それに一〇倍する罵倒が浴びせられた。遠征反対派の論客として鳴らしたレベロやエドワーズ、アムリッツァの英雄であるビュコック大将やヤン大将は、批判こそ受けなかったものの声望を落とした。

 

 ここまで憂国騎士団の人気が高まると、スポンサーの一人とされる最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトが関係しているのではないかと疑う者が出てくるのは、必然的な成り行きである。そして、彼が筋金入りの遠征反対派であったことを知らない者はいない。一連の襲撃事件との関係を問われたトリューニヒトは、「彼らは愛国者だ」とのみ答えた。

 

 警察は憂国騎士団の襲撃を一切阻止しようとせず、事件後もおざなりな捜査しかしなかった。憂国騎士団行動部隊に、警察OBが大勢在籍しているのは周知の事実だった。トリューニヒトは国家保安局公安副課長を務めた元警察官僚で、現在も警察と太いパイプを持っている。

 

 直接的な証拠は何一つなかったが、多くの者はトリューニヒトが憂国騎士団に密命を下して、戦犯に罰を与えたと信じた。低下する一方だった支持率は、憂国騎士団人気の高まりとともに上がり始めた。

 

 遠征継続決議をめぐる中央情報局とフェザーン駐在高等弁務官事務所の情報操作疑惑について内偵捜査を進めていた国家保安局が、一月末に強制捜査に乗り出すと、トリューニヒトの支持率はさらに上昇した。これまでの優柔不断な姿勢をかなぐり捨てて徹底捜査を指示したこと。そして、国家保安局とそのOBであるトリューニヒトが一心同体のように見えたこと。この二つが市民に「正義の断罪者」というイメージを強く植え付けたのだ。

 

 そして、民主化支援機構元幹部、遠征推進派のオピニオンリーダーが次々と国家刑事局に身柄を拘束された。いずれも交通違反、公的手続きの不備といった通常なら罰金か注意程度の微罪である。たった二キロのスピード違反で拘束された者、引っ越しの翌日に「居住地と免許証に記載された住所が違う。不実記載だ」と拘束された者もいた。遠征にまつわる不正行為を取り調べるための別件逮捕であることは明らかだった。強引過ぎる手口に批判もあったが、大多数の市民は喝采を送った。

 

 警察と憂国騎士団を使って断罪を進めるトリューニヒトの支持率は、上昇というより直進に近い勢いで伸びていった。支持率が七九パーセントまで達した二月五日、トリューニヒトはとんでもない爆弾を投げ込んだ。

 

「我が改革市民同盟は本日の臨時党役員会にて解党を決定しました。昨年一一月に執行部を一新してイオン・ファゼカス作戦に反対した者を中心に党改革に取り組んできました。しかしながら、イオン・ファゼカス作戦を最も強く支持した党が存続していること自体が有権者に対する裏切りではないかと思い至り、解党して謝罪するしかないと判断したのです」

 

 一世紀以上の歴史を誇る二大政党の一角を選挙前月に解散する。そのニュースは同盟全土を驚愕させた。

 

「もちろん、改革市民同盟が一四六年にわたって守り抜いてきた主戦派の灯火が消えることはありません。イオン・ファゼカス作戦に責任を負う者、古い体質を引きずる者のいない新党を近日中に結成し、主戦派の灯火を移し替える所存です」

 

 遠征前からずっとささやかれてきたトリューニヒト新党がこのタイミングで結成されると予測できた者はいなかった。改革市民同盟を解散するなんて、想像を絶していた。

 

 改革市民同盟は支持率が低迷しているとはいっても、二大政党の一角である。一世紀以上かけて全星系全惑星全市町村に支部を作り、あらゆる業界とパイプを築いてきた。集票能力、集金能力は他党の追随を許さない。政権を狙うならば、改革市民同盟の組織力を使った方がいいに決まってる。

 

 また、トリューニヒトが新党から排除すると明言した遠征推進派議員や長老議員は、党支部と業界団体の大半を握っている。彼ら抜きで新党を作れば、集票力と集金力は著しく弱くなる。全国防衛産業連合会、全国航空宇宙産業連盟、全国銃器工業連合会、全国水素エネルギー協会、全国自動車産業同盟といった軍需関係業界団体、同盟軍地方部隊、国家警察の支持を受けるトリューニヒトは、大政党の有力議員の一人としては強力だが、政党のオーナーになるには心許ない。

 

「ほんと、大丈夫なんですかね」

「君がトリューニヒト議長を信じずに、誰が信じるんだね?」

「いや、トリューニヒトはいい人ですよ。でも、ちょっと頼りなくて」

「親近感を感じるとか?」

「それはないです」

 

 今日の俺は俺はブレツェリ家でテレビを見ながら、ジェリコ・ブレツェリ准将が作ってくれたオムレツを食べていた。ブレツェリ准将は雑誌のページをめくっている。

 

「昨日党を解散したばかりで新党の名前も発表してないのに、全選挙区に候補を擁立するとか言い出してるからな。確かに信じろという方が難しい」

「あの人は受け狙いで適当なことをポンポン言っちゃうところがあるんですよ。そこが魅力といえば魅力なんですが、頼りないですよね」

「だが、最近は有言実行じゃないか。ひょっとして、本当にやってしまうかもしれんぞ?」

「実行しすぎです」

「確かにな。こちらとしては泣き叫んで地面に這いつくばってくれたらそれで満足なのに、議長は半殺しにする。そこまでされても困るのだが」

「そうなんですよ」

 

 ブレツェリ准将の表現は、俺の気持ちを的確に表していた。ロボス元帥の家が炎上した時は、確かに気分が良かった。しかし、連続すると自分が望んでいる断罪ではないという気持ちになってくる。憂国騎士団の圧倒的な暴力の前では、相手が被害者に見えてきて気分が悪いのだ。自分が被害者で相手が加害者に思える程度に手加減してくれないと、断罪した気にはなれない。微罪逮捕もそうだ。

 

 やはり、正当な手続きによる断罪でなければすっきりしない。法によって権利を擁護された加害者が丁寧な手続きによって犯した罪を一つ一つ暴かれ、文句のつけようもない加害者であることを証明されて、ようやく俺の被害意識は満たされる。

 

「君には悪いが、次の選挙は議長には入れないでおくよ。あの路線で突っ走られてはたまらない」

「進歩党に入れるんですか?」

「地方部隊を苦しめた副議長の党など冗談じゃない。反戦市民連合に入れる」

「でも、あの党も国防予算削減するって言ってますよ?」

「しかし、エドワーズ先生のお父さんは地方が長かった。地方が長い退役軍人の候補もたくさん立てている。いざ政権を取ったら、無茶な予算削減はしないんじゃないか。エリート揃いの進歩党よりはよほど地方に配慮してくれそうだしな」

 

 ブレツェリ准将は後方勤務本部直轄の中央支援集団に着任したばかりだが、キャリアの大半を地方で過ごしている。だから、地方部隊が基準になるのだろう。

 

 ジェシカ・エドワーズの父親は、補給専科学校を出て経理畑でキャリアを重ねた人物だ。中佐まで昇進し、退役時に大佐に名誉進級した。士官学校事務長や第六艦隊経理部長代理を務めた経験もあるが、地方勤務の方が長い。父のキャリア、そして戦死した婚約者が軍人だったという背景が軍部におけるエドワーズ人気に貢献していた。

 

「まあ、確かに進歩党よりはマシそうですね。地方部隊でトリューニヒトのキャラが苦手な人は、反戦市民連合に入れるでしょう。あの党は庶民の党ですし」

「エドワーズ先生は国防もよく勉強してる。先週の討論番組であのヴェンタカラマン先生をこてんぱんにやっつけてた」

「トリューニヒト派屈指の国防問題の論客をですか」

「よほどいいブレーンが付いてるのだろうな。反戦市民連合は本気で政権を取りに行くつもりのようだ」

 

 臨戦状態にある自由惑星同盟では、国防政策に通じていない政党は、政権担当能力が無いとみなされる。反戦派もその例外ではない。国防予算を削減するなら、少ない予算で帝国と戦える現実的なビジョンも同時に提示しなければならない。例えばレベロは国防予算を削減する際に、軍部のブレーンと相談して作成した少数精鋭化戦略を提示した。

 

 今度の選挙では軍部改革が焦点となる。反戦市民連合は軍人好みの経歴を持つエドワーズに優秀な軍事ブレーンを付けることで、国防に強い党というイメージを打ち出そうとしているのだろう。地方部隊経験者を立候補させるのは、シトレ系の反戦派エリート軍人が立案した進歩党の少数精鋭化戦略と一味違う反戦的国防ビジョンをアピールするためではないか。

 

「そうなると、ますますトリューニヒトが不安ですね。一体どうするつもりなんだか」

「今の議長の資金力では小政党がせいぜいだからな。政権を握っている間に人気稼ぎに励んで、次の政権党とより有利な条件で連立しようとしてるのかもしれん」

「ああ、なるほど」

 

 オムレツの最後の一切れを飲み込みながら頷いた。

 

「おいしかったかい?」

「ええ。フェザーン風の味付けおいしかったです」

「卵を六個も使ったから、大雑把な味になったのではないかと思っていたが。君の舌に合ったようで何よりだ」

 

 ブレツェリ准将は顔をほころばせていた。しかし、俺に言わせれば卵を六個しか使っていないからこそ、味が繊細になったのだ。ダーシャにオムレツを作ってもらう時は、いつも七個か八個は卵を使ってもらってた。

 

「これ読むかい?」

「あ、どうも」

 

 俺はブレツェリ准将が読んでいた雑誌を受け取った。国防委員会が発行している同盟軍の広報誌『月刊自由と団結』の最新号。今月はイゼルローン方面軍提督特集だった。

 

「なかなか面白かったぞ。今話題の部隊だしな」

 

 ブレツェリ准将は人の悪い笑いを浮かべる。そういう心臓に悪い冗談はやめて欲しい。イゼルローン方面軍司令官ヤン大将は、トリューニヒト派の要塞憲兵隊長コリンズ大佐を更迭したばかりなのだ。表向きの更迭理由は「麻薬中毒者が起こした立てこもり事件の時の不手際」だったが、憂国騎士団を真面目に取り締まろうとしなかったのが真の理由であることは明らかだった。こんな時にイゼルローン要塞司令官なんかに任命されたらたまらない。宇宙艦隊か辺境総軍に行きたい。

 

 冗談を聞き流して、広報誌のページを開く。一ページぶち抜きでヤン大将の写真が掲載されている。直立不動で敬礼し、引き締まった表情をしている。九年前とほとんど変わらない童顔には青年らしい活力がみなぎり、中肉中背の体格が均整がとれているように見える。見るからに颯爽とした青年提督だ。あの身なりに無頓着なヤンをここまで格好良く撮れるのは、統合作戦本部のカメラマンルシエンデス准尉しかいない。

 

 もう片方のページには彼の戦歴や逸話が軍人好みの暑苦しい文体で記載されていた。この文中のヤンは、忠誠心、責任感、勤勉、公正、規律といった軍人的美徳を完備した理想的な軍人であった。事実に反することはまったく書いていないが、修辞の力によって読者を誘導しているのだ。ヤンの戦歴よりもライターの腕に感嘆させられた。ただ、ヤンは間違いなく憮然としていると思う。

 

 次のページは、要塞駐留艦隊副司令官エドウィン・フィッシャー少将の記事だ。見事な銀髪に整った口ひげを持つダンディな紳士である。ルフェーブル中将と似たような経歴を歩んだようだ。士官学校を下位で卒業後、ひたすら軍艦乗りとしてキャリアを積み、五〇を過ぎて大佐で退役するかどうかの瀬戸際に功績を立てて准将に昇進。それから六〇近くまで大過なく務め、アスターテ会戦後に第四艦隊の残存戦力を率いてヤン傘下に入った。現在は部隊運用経験の乏しいヤンの片腕として手腕を振るっている。前の歴史で記録が少なかった彼の詳細な経歴は、とても興味深かった。

 

 その次のページは、第二分艦隊司令官グエン・バン・ヒュー少将の記事。カメラマンを睨み殺すつもりなんじゃないかと錯覚するぐらい、鋭い目つきの中年男性だ。前の歴史では短慮な猛将というイメージだったが、意外にも結構なエリートだった。正規艦隊と軍中央機関を往復しながら階級を上げていき、三七歳で准将に昇進。アスターテでは第六艦隊で戦い、第一三艦隊が成立すると第六艦隊の残存戦力を率いてヤンの傘下に入った。積極性と猛訓練ぶりに定評があるそうだ。

 

 そのまた次は、第三分艦隊司令官オーギュスタン・ダロンド少将。線の細いエリートといった風貌の中年男性。これは聞いたことのない名前だ。アスターテで第二艦隊に所属して奮戦し、その残存戦力を率いてヤンの傘下に入った。ヤンの少将級分艦隊司令官の中で名前が残っているのは、フィッシャー、グエン、アッテンボローの三人だが、同盟軍の一個艦隊は四個分艦隊で構成される。ダロンド少将は名前が残らなかった四人目なのだろう。勤勉で忠実な提督らしい。

 

 分艦隊司令官紹介の最後のページは第四分艦隊司令官ダスティ・アッテンボロー少将。弱冠二七歳で少将の階級を得た俊英中の俊英であるが、ダーシャには物凄く嫌われてた。前の歴史ではヤン配下最優秀の用兵家として勇名を馳せた。士官学校を二位で卒業した後、統合作戦本部や正規艦隊司令部で参謀としてキャリアを重ねた。提督になる前に経験した部隊勤務は、駆逐艦艦長一度のみ。絵に描いたようなスーパーエリートである。アムリッツァで奮戦し、第一〇艦隊残存戦力の一部を率いてヤンの傘下に入った。

 

 今度は一ページで三人の提督がひとまとめに紹介されている。司令官直轄部隊を率いる三人の准将だ。浅黒い肌に精悍な顔立ちのヘラルド・マリノ准将は、艦隊旗艦ヒューベリオンの艦長から昇格したばかりの若い提督である。ルーカス・マイアー准将の肥満体は、この戦歴ならば闘将の貫禄と言えよう。ベテランらしい不敵な面構えのガオラン・スラット准将は守勢に強く、オーバーヘルレンの岩の異名を……。

 

「えっ!?」

「どうしたんだ、いきなり変な声をあげて」

「すみません、ちょっとこれ読んでもらえますか」

 

 俺は今読んでいるページをブレツェリ准将に見せて、ある単語の上を指でなぞった。

 

「ガオラン・スラット准将と読めるが、この名前が何かしたのかね?」

 

 俺の見間違いではないようだ。経歴欄にも「エル・ファシル動乱で活躍」と書いてある。やはり、この提督は俺の知るガオラン・スラットと同一人物であるらしい。違うのは階級と表情だ。

 

 一昨年に俺はエル・ファシル警備艦隊所属の第一三六七駆逐隊司令に就任した。その時に首席幕僚を務めていたのが、ガオラン・スラット少佐だった。下士官から三〇年近くかかって少佐まで昇進しただけに技能は低くなかったが、向上心と緊張感が完全に欠けていた。手抜きをするのが癖になっていて、細かく指示をしなければ動こうとしない。日の当たらない部署を歩いているうちに向上心を無くしてしまった無気力軍人の典型だった。

 

 エル・ファシル動乱終結後、警備艦隊の生き残りが全員一階級昇進した際にスラット少佐は中佐に昇進した。少佐と中佐では格段に仕事の質が変化する。俺の評価では少佐止まりの人。中佐レベルの仕事に着いて行けないんじゃないかと思った。その後は興味を失って、アムリッツァから生還した後の安否確認でも名前を検索しなかった。

 

 忘れ去っていたはずの無気力な少佐がいつの間にか提督になっていたという事実は、衝撃的であった。経歴を読んでみると、アスターテ会戦の功績で中佐から大佐、イゼルローン攻略の功績で大佐から准将に昇進。帝国領遠征中の勇戦でオーバーヘルレンの岩の異名を得た。要するにヤンの部下になってから、急に働き始めたのだ。

 

「どうした?何を落ち込んでいる?」

「この人、俺の下では全然仕事しなかったんですよ。それがヤン大将の部下になった途端、急に仕事しだして提督までなっちゃったんです。自分が凄くダメな上司に思えてきて……」

「ヤン提督は第二艦隊、第四艦隊、第六艦隊の敗残兵をまとめて、数ヶ月であれだけ強力な部隊を作った。統率の天才と自分を比べても仕方あるまい」

「まあ、おっしゃるとおりなんですが」

 

 確かにあのスラットにやる気を出させたという一点だけでもヤンは天才だ。彼の下にいれば、あのカプランだって提督になれるのではなかろうか。

 

「性格は君の方が良いと思うがね」

「准将はヤン大将をご存知なんですか?」

「いや、まったく面識はないが」

「気休め言わないでくださいよ。ますます落ち込んじゃうじゃないですか」

「いや、根拠はあるぞ。ヤン提督は反暴力法違反を理由に憂国騎士団の活動を禁止した。反暴力法の筆頭発議者は議長だ。つまり、ヤン提督は議長が議員立法として提出した法律を使って、憂国騎士団を封じたわけだな」

 

 議員立法の筆頭発議者は、法案作成の際に中心的役割を果たした議員が務める。俺の方が性格が良いとブレツェリ准将が言った理由がわかった。

 

「きっついことしますね」

「ヤン提督は艦隊戦以外の戦いもなかなか強いようだ」

 

 俺はブレツェリ准将のように笑ってはいられなかった。トリューニヒトに対してあからさまに喧嘩腰でいる実戦部隊最高幹部の存在は、とても心臓に悪いのだ。

 

「それにしても、反暴力法の筆頭発議者なんて良くご存知でしたね」

「君は私より法律に詳しいのに知らないのかい?」

「法律の条文と判例は暗記しても、発議者までは覚えられないですよ。反暴力法は一昨年の対テロ総力戦の最中に山のように作られた治安関係新法の一つだから、なおさらです」

「私も勉強したわけではないよ。たまたま、これを読んだばかりだったから覚えてただけさ」

 

 ブレツェリ大佐は棚の上に置きっぱなしの『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』を指さした。反戦ジャーナリズムの巨匠ヨアキム・ベーンが書いたルポルタージュの名作である。ダーシャの遺品でもあった。何度も読もう読もうと思ったけど、結局読まなかった。

 

「治安関係新法の発議者全員の名前が載ってるんだよ」

「憂国騎士団のルポなのに、どうしてそんなことまで書いてるんですか?」

「読んでみたらわかる」

 

 これまで読まなかったのは、憂国騎士団にいまいち興味を持てなかったせいだった。しかし、今や憂国騎士団は世論を左右する存在となった。興味を持たずにはいられない。今こそ読むべき時かもしれないと思ったその時、つけっぱなしのテレビから、ニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。

 

「本日二〇時四五分、銀河帝国より史上最大規模の捕虜交換の申し出がありました。最高評議会は臨時閣議を開いて対応を協議中です」

 

 画像は切り替わらず、テロップだけが流れた。しかし、そのニュースはどんな画像よりもショッキングであった。前の人生で捕虜収容所にいた俺が帰国するきっかけ、そして迫害に晒されるきっかけとなった捕虜交換。日時はだいぶずれたものの今の人生でも発生した。

 

「ほう、最近は妙なことばかり起きるな。まるで違う世界に入ってしまったかのようだ」

 

 ブレツェリ准将の呟きは、何かの本質を的確に捉えているように思われた。


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