銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第七話:知識の限界、無限の可能性 宇宙暦788年5月下旬 エル・ファシル脱出船団旗艦、駆逐艦マーファ

 エル・ファシルから脱出した船団は一週間近く帝国軍の追撃に怯えながら航行を続けていた。俺は成し崩し的にヤンの助手ということになって船団の旗艦である駆逐艦マーファに同乗しているけど、ほとんど口は利いていない。ヤンは艦橋に詰めっぱなしで指揮をとっていて、帰ってくるのは寝る時ぐらいだ。身の回りの世話と言っても着替えの用意とベッドメイクぐらいしかやることがないし、仕事の手助けをする能力もない。

 

 そういうわけで俺はとても暇だった。この艦には本来の乗員に加えて民間人が五〇〇人も乗ってるせいか、どこを歩いても人に出くわす。やたらと声をかけられ、写真を撮らせてほしいと言われる。こんな気持ち悪い奴がいるって笑い者にする気なんだろうか。鬱陶しくてたまらないので、食事と助手の仕事の時以外は自室に閉じこもってヤンの荷物の中にあった本を勝手に読んでいた。

 

 俺が暇なのとは対象的にヤンは多忙を極めている。民間船の船長や軍艦の艦長たちに指示を出し、上がってくる文書に目を通して決裁する一方で、不安を訴えてくる民間人に対応する。それらの仕事を全部一人でこなしていたのだ。ヤンがレーダー透過装置を付けなかったのは結果を知っている俺からすれば当然の判断だったが、そうでない人達は不安で不安でたまらなかったようだ。寄せ集めの船団一〇〇〇隻を一人で指揮する苦労は想像を絶する。日に日に疲労の色が濃くなるヤン。

 船団には軍艦も混じっている。その艦長はヤンよりずっと階級が高い中佐や少佐だ。それなのになぜヤンが一人で仕事を背負い込まなければならないのか。食堂でのんびりと朝食を食べていたマーファの艦長を見た時に怒りが爆発した。

 

「中尉が艦橋に詰めっぱなしなのに、なぜ艦長が食堂でのんびりしているんですか!?食堂で食べる暇があるなら、中尉を手伝えばいいでしょう?あなたもリンチ司令官みたいに全部中尉に押し付けるんですか!?」

 

 少佐の階級章を付けた三〇代半ばに見える艦長は意外にもまったく怒りを見せず、参ったなあという感じの顔をした。

 

「坊や、私達のような専科学校卒の軍艦乗りは一隻の艦を動かす方法しか学んでないんだ。数百隻や数千隻の船団を動かせる能力があるのは士官学校で参謀教育を受けたヤン中尉しかいなくてね。本来なら提督と参謀数人で指揮するような船団を中尉一人に任せてしまってるのは心苦しいよ。でも、私の能力では中尉の補佐を任されても何もできない。かえって足手まといになってしまう」

 

 それに…、と言ったところで艦長の表情に苦笑が混じる。

 

「この艦に乗ってる八〇人の部下と五〇〇人の民間人の命を預かるのもそれはそれで大変でね。中尉に全部押し付けて自分だけ楽してるわけじゃないのさ」

 

 変なことを言ってしまった、と思った。俺の他に五人ぐらいの下働きを使っていた麻薬の売人だってまとめるのに苦労してた。それを思えば、八〇人の乗組員をまとめる艦長の苦労なんて想像を絶するじゃないか。まして、全員の命にかかわることなのだ。

 

 歴史の本に登場するのは数百、数千隻もの艦隊を指揮する提督とそれを補佐する参謀だけだ。艦長なんて提督や参謀の言うことを聞いてれば務まると思ってた。艦長の苦労なんて考えたこともなかった。自分の想像力の乏しさに泣きたくなる。本を読んで少しは賢くなったつもりだったのに何もわかっていなかった。

 

「申し訳ありませんでした」

「ははは、いいんだよ。私だって艦長になる前はわからなかった。命令するだけで楽な仕事だって思ってたよ。何でもやってみないとわからないね」

 

 艦長は手の平を左右に振るジェスチャーをして笑った。食事中に何もわかってない若造に絡まれたのに笑って許してくれる。なんて懐の広い人なのだろうか。自分の視野の狭さが本当に情けない。

 

「泣かなくたっていいじゃないか。坊やはまだ若い。経験していないことがわからないのは仕方ないよ」

 

 政庁や船内ではさんざん坊や扱いされてムッと来ていたけど、艦長の坊や扱いには何とも思わなかった。八〇年間生きてきて本も色々読んだけど、この人に比べたら確かに坊やだ。ずっと孤独に生きてきた。人と関わった経験が圧倒的に少ない。人間は年を取れば賢くなるというのは嘘だ。長く生きただけで経験をまったく積み重ねていない子供のような年寄りもいれば、若いのに豊富な経験を積んだ老賢者のような子供だっている。

 

 知識だけでは駄目だ。ちゃんと経験を積まないといけない。きっちり生きて、喜びも悲しみも知らないといけない。切実にそう思った。

 

「はい」

 

 涙を拭いながら答える。夢の中だけどやり直すチャンスをもらったんだ。逃亡者にならなければ、それでめでたしめでたしじゃないんだ。頑張らなきゃいけない。

 

「いつか人の上に立った時に、こんなこと言ってたおっさんがいたなって思い出してくれたら嬉しいな」

「僕が人の上に、ですか?」

「まだ二〇歳にもなってないんだろ?この先何があるかわからないよ。もしかしたら、代議員や提督になる日が来るかもしれない」

 

 そういえば帰った後のことは考えてなかった。頑張ったら結果も付いてくるんだよな。この世界の俺は何をやっても侮蔑される存在じゃないから。評価されて人の上に立つ可能性はあるんだ。さすがに代議員や提督はないだろうけど。

 

「名前を教えていただけますか?」

「私の名前かい?」

「はい。ご指導いただいたこと、絶対に忘れません」

「大袈裟だね。そんなに畏まって聞くほど大層な名前でもないよ。アーロン・ビューフォート。ただのおっさん」

 

 ビューフォート艦長に深々と頭を下げる。そういえば、艦長はずっと俺を未成年だと思い込んでいた。いつか再会した時に訂正しよう。目標が一つ出来た。そう思った時、チャイム音が鳴る。

 

「緊急放送です。当船団は友軍のエルゴン星系巡視艦隊と接触。これより友軍の保護下に入り、エルゴン星系の惑星シャンプールに向かいます」

 

 食堂は爆発するような歓声に包まれた。手を叩く者、拳を振り上げる者、抱擁し合う者。皆それぞれのやり方で喜びを表す。ビューフォート艦長が俺に向けて両手を上げる。俺も両手を上げてビューフォート艦長の両手にハイタッチした。

 

 その後は艦内をあげてのどんちゃん騒ぎになった。艦長命令で食料と酒を放出し、皆で生きて同盟領の土を踏める喜びを分かち合う。ずっと前に禁酒治療を受けて酒を断った俺はジュースで乾杯した。アルコール入ってないのにテンションが上がってしまって、人につられてわけもわからず大笑いし、知らない人と肩を組んで歌った。女の子数人と意気投合して端末アドレス交換もした。

 

 三日後、俺達は艦からシャトルでシャンプールの宇宙港に降り立った。そこで待っていたのは港内を埋め尽くすような数の群衆。エル・ファシルからの避難者を激励する言葉が連ねられた横断幕やプラカード。記者、カメラマン、放送車がズラリと並ぶ。軍隊が整列して俺達のために通路を作り、軍楽隊までいる。あまりもの熱烈な歓迎ぶりに腰が抜けてしまった。これから何が始まるんだろうか。


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