銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第九十二話:頂上接戦の行方 宇宙暦796年11月2日~8日 アムリッツァ星系第七惑星周辺宙域 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 初日の攻勢が失敗に終わった後も帝国軍の戦意は衰えを見せず、両軍合わせて二〇万隻が繰り広げる人類史上最大級の会戦は激しさを増している。

 

 一一月二日一一時、再び帝国軍は動き出す。昨日の攻撃で同盟軍左翼は手強いと見たのか、中央と右翼に攻撃を集中した。

 

「今日の帝国軍は昨日とはうって変わって、距離を取っての砲戦に徹しているね」

「勢いに任せての接近戦では、我が軍を崩せないと判断したのでしょうか」

 

 作戦部長代理クリス・ニールセン少佐はいぶかしげに応じる。

 

「でも、砲戦じゃもっと崩せないよ」

 

 俺はスクリーンの中を指差した。同盟軍の砲撃は帝国軍の艦を的確に捉えて潰していく。一方、帝国軍の砲撃はなかなか命中しない。同盟軍は砲撃の命中率、回避行動の的確さにおいて、帝国軍にはるかに勝っていた。こういった技術は時間を掛けなければ身につかない。ラインハルト・フォン・ローエングラムがいかに天才であろうとも、各艦の乗員の砲術能力や操艦能力を急に引き上げることはできないのである。

 

「どういうつもりなのでしょう?ローエングラム元帥ほどの名将がそれに気付かないとは思えないのですが」

「俺にもわからない。でも、いきなり打撃部隊に突っ込んでこられるよりはずっとやりやすい」

 

 昨日の苛烈な接近戦と比べると、だいぶ余裕のある戦いだった。乱れ打ちしながら遮二無二突っ込んでくる敵戦艦は、戦い慣れてない俺に強烈な威圧感を感じさせる。数百機で蜂の群れのように躍りかかってくる艦載機部隊を見ると、不安で心臓が高鳴った。彼らと至近距離でやり合わなくていいというだけで、だいぶ気が楽になる。

 

 接近戦と比べると損害が少ないというのも有難い。長距離の撃ち合いと至近距離のぶつかり合いでは、直面する火力の勢いが全然違う。接近戦は敵味方の損害率がとてつもなく跳ね上がる。だから、普通は砲戦や戦術機動によって敵の艦列を乱してから接近戦を挑む。艦列が乱れてない敵にいきなり接近戦を挑んで一方的に叩きのめすことができるラインハルトやホーランド少将は、例外中の例外なのだ。

 

 帝国領遠征が始まった時点で六五四隻を擁していた第三六戦隊は、撤退戦で一一パーセントにあたる七七隻を失った。そして昨日の戦いで六三隻を失い、現在は五一四隻が残っている。通算すると第二分艦隊に残っている三個戦隊の中で最も多い二一.五パーセントの損失。戦力的に苦しいのはもちろんだが、それ以上に拙い指揮で部下を無駄死にさせたという事実が重くのしかかる。

 

「損害が少ないに越したことはない」

 

 軽く目を伏せて呟く。戦えば戦死者が出るのは当たり前。それでも、なるべく死なせたくない。そう思って練度の向上に取り組んできた。

 

 部下を死なせたくないと心の底から考えている指揮官でなければ、部下は命がけで戦ってくれないと、クリスチアン大佐から聞いたことがある。部下を死なせることに心の痛みを覚えつつ、死ねと命令する。その矛盾の中で苦悩するのが統率なのだそうだ。部下にとって、俺は命を賭けるに値する指揮官なのだろうか。自問自答せずにはいられない。

 

「敵が後退を始めました!」

 

 それほど意外な報告ではなかった。まともな指揮官なら、同盟軍と帝国軍の損害比が不公平過ぎることにいずれ気付く。

 

「追いますか?」

「やめとこう。損害が多いといっても、敵の艦列は乱れてない」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐の問いに、かぶりを振った。

 

「了解しました」

 

 合格といった表情で参謀長は答える。型通りの質問に何の面白みもない返答。形式的なやりとりではあるが、指揮官の意志を明確に示す重要な儀式である。わかりきっていることでも指揮官がはっきり言わなければ、部下は困ってしまう。

 

 一分後、第二分艦隊司令部から追撃をしないようにとの指示が送られてきた。ベテランであればいちいち確認するまでもないことも、経験が浅い俺には確認しておかなければならないと考えているのだろう。その心配はとても正しい。昨日の戦いでは司令部に注意されるまで、突出しすぎていたことに気付かなかった。

 

 一五時三二分には同盟軍右翼を攻撃していた帝国軍左翼部隊も後退し、前線はしばらくの間静寂に包まれた。戦えば体力と気力と物資を消耗する。損害が出にくい砲戦であっても、その事実に変わりはない。失われたものが補充されるまで、次なる戦いを始めることはできないのである。

 

 帝国軍の再攻勢によって戦闘が再開されたのは、六時間後の二一時五〇分だった。敵戦艦部隊は遠距離から同盟軍正面にビーム砲や対艦ミサイルを叩き込んできた。同盟軍は回避行動を取って砲撃の直撃を避け、駆逐艦部隊を繰り出して対艦ミサイルを迎え撃つ。駆逐艦部隊の防衛網をかいくぐった対艦ミサイル、回避行動によっても避け得なかった砲撃は、各艦が展開した中和力場によって受け止められる。さっきより火力の密度が薄い。

 

「今回は巡航艦部隊が砲戦に参加していないな」

「巡航艦の長距離火力は戦艦のそれと比べても半分以下だ。別の使い方を考えているんだろうよ」

 

 参謀達がささやいていた「別の使い方」はすぐに分かった。高速で接近してきた敵巡航艦部隊は、散開して上下左右から回り込もうとしてきたのである。それを駆逐艦部隊が護衛する。

 

「巡航艦と駆逐艦は敵巡航艦に応戦せよ!」

 

 俺は巡航艦部隊と駆逐艦部隊を繰り出して、上下左右から迫ってくる敵を迎え撃たせた。艦の機動性、乗員の操艦能力、指揮官の戦術能力ともに同盟軍が優っている。巡航艦同士の機動戦では同盟軍が有利だ。しかし、駆逐艦の半数をミサイル迎撃に割かれてしまっていて、護衛戦力は帝国軍が優位にあった。

 

 砲戦と機動戦の組み合わせ自体はきわめて一般的な戦術である。手数を繰り出すことで主導権を握り、戦艦部隊の火力網か巡航艦部隊の機動防御が崩れたら、予備戦力を投入して一挙に突破を図るのが狙いだ。

 

「敵の指揮官は総じて判断が早く、単純な手数勝負に向いています。将兵の練度が低いために直線的な戦術しか使えないという欠点も手数を増やすことでカバーできます」

「どこまでも嫌らしい相手だね」

 

 歴史の本の中のラインハルト・フォン・ローエングラムは華麗な戦いをするというイメージだった。しかし、俺がこの目で見てチュン大佐が分析したラインハルトは、二〇歳になったばかりの若者とは思えないぐらい老獪な戦いをする。同盟軍の長所を殺し、帝国軍の短所をカバーできる戦法ばかり選んでくる。

 

 俺の手元にある五〇〇隻程度の戦力では、目の前の戦場に対応する以上のことはできない。両軍合わせて二〇万隻以上が集い、一個艦隊規模の戦力がまるまる予備戦力として運用されるような戦場で戦隊司令官にできることは手持ちの戦力を使って、担当戦区で優勢に立てるよう努力することぐらいであった。

 

 戦闘が始まってから八時間経過して日付が一一月三日に変わってもなお、帝国軍の攻勢は続いていた。相変わらず勢い先行で無駄な動きが多い。しかし、秩序は良く保たれていて、こちらが反撃を加えても容易に崩れなかった。

 

「敵は疲れを知らないのかな。そろそろ疲れてきてもいい頃だと思うんだけど」

 

 俺が口にしたのは予測ではなく期待だった。味方の砲撃命中率と回避率はともに著しく低下していた。敵の勢いはやや弱まっていたが、それ以上に味方の動きが鈍くなっている。肉体的な疲労は戦う意義を見いだせない側にこそ、より重くのしかかるのだ。

 

「戦術スクリーンを見てください!右翼が動き出しました!」

 

 オペレーターに促されて戦術スクリーンを見ると、同盟軍右翼部隊が急に前進を始めた。いつの間にか帝国軍左翼部隊の陣形は大きく乱れている。

 

「どういうことだ、これは?」

「時間を掛けて少しずつ火線をずらし、敵が気づかないうちに誘導していたようですね。ルフェーブル中将らしい老練な用兵です」

 

 戦術スクリーンを見たチュン大佐はひと目で右翼で起きていることを見抜いた。彼の洞察力と分析力を戦況解説の役にしか立てられないことが申し訳なく感じられる。指揮官として未熟な俺が戦えているのはチュン大佐の補佐に負うところが大きい。しかし、統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部で全軍の作戦立案に携わって初めて能力を発揮できるのではないか。俺の下にいるのはもったいないのではないか。そんなことを考えてしまう。

 

 ルフェーブル中将の策によって生じた帝国軍左翼部隊の乱れは、攻勢に転じた第三艦隊と第一〇艦隊が叩きつけた火力によってさらに拡大していた。ロボス元帥はすかさずルイス少将の部隊を投入して、帝国軍左翼部隊に止めを差そうと試みる。

 

 一方、ラインハルトの判断はわずかに遅れた。帝国軍の予備が到着するより早く、同盟軍右翼部隊はルイス少将との合流を果たして全面攻勢に転じた。陣形をズタズタに切り裂かれた帝国軍左翼部隊は潰走状態に陥ったかに見えた。味方の劣勢に浮き足立ったのか、俺の正面に展開している帝国軍部隊の動きに混乱が生じる。

 

「もしかして、勝てるんじゃないか」

「この機に乗じて左翼か中央で全面攻勢に出れば、帝国軍の戦線は崩壊するぞ」

 

 司令室のあちこちで、勝利を期待する声があがる。そして、ロボス元帥もその期待にこたえるように予備を動かした。中央にアップルトン中将率いる第八艦隊、左翼には自ら率いる直轄部隊が向かう。ラインハルトも浮足立つ味方を支えるべく、予備をすべて前線に投入。史上最大の会戦は三日目にして最大の山場を迎えた。

 

「第八艦隊が到着次第、全面攻勢に転ずる!総員突撃準備せよ!」

 

 司令室のスピーカーから、司令官代理シャルマ少将の叱咤が聞こえる。俺が第三六戦隊に陣形再編を指示しようとしたその瞬間、オペレーターが絶叫した。

 

「敵左翼部隊が前進しています!」

 

 潰走状態の敵左翼部隊が前進するなど有り得ない。そう考えてメインスクリーンを急いで切り替えたら、確かに漆黒に塗装された部隊が低速で前進していた。陣形が乱れたまま、じりじりと進む帝国軍左翼部隊。何が起きているか、まったく理解できない。

 

「どうやってあの状況で踏み留まったんだ!?」

 

 俺の問いに誰も答えない。チュン大佐ですら合理的な説明を見つけられずにいるようだった。

 

 同盟軍右翼部隊の進撃は停止し、やがて押し負けたかのように後退を始めた。帝国軍が一光秒前進するたびに同盟軍は一光秒後退する。帝国軍左翼部隊が原因不明の奮戦を続けている間に、ラインハルトが送った救援が到着した。もはや突破不可能と見た同盟軍右翼部隊は攻撃継続を断念。中央と左翼も予備と合流した帝国軍と短時間交戦した後に後退する。ラインハルトは崩壊寸前の戦線を立て直すことに成功した。

 

 アムリッツァ星域会戦三日目の残りの時間は、補給と再編に費やされた。四日目の四日三時四七分に戦闘が再開され、五日目が終わってもまだ終わらなかった。

 

 アムリッツァにおけるラインハルトとロボス元帥の力量はほぼ互角であった。ラインハルトが迂回部隊を繰り出せば、ロボス元帥はすかさず予備を送って阻止する。ロボス元帥が帝国軍の乱れに乗じて翼側突破を図ったら、ラインハルトは前線に出て食い止める。お互いの読みと反応が的確なため、どんな手を打ってもすぐに対処されてしまって、決定打を与えることができない。老いた巨星と若き獅子の対決は、戦史でも稀な名勝負の様相を呈していた。

 

 六日目と七日目の帝国軍の攻勢は限定的なものに留まった。大攻勢を準備中であると判断した総司令部は、来るべき決戦に備えて全軍に警戒を促した。

 

 七日目の一一月七日九時二六分、同盟軍中央部隊の眼前に三万隻近い帝国軍の大戦力が出現した。先頭に立つのは優美な流線型の白い戦艦。アスターテ星域会戦の勝利によって、その存在を周知されることとなったラインハルトの乗艦ブリュンヒルドである。これまでの戦いの結果から、同盟軍の中央が左右両翼に比べて弱いことを見抜き、自らの指揮で中央突破を図ろうとしていることは明白であった。

 

「総員、戦闘準備」

 

 そう指示を出す俺の声にはやや震えが混じっていた。ラインハルトの展開速度は異常なまでに速く、同盟軍中央部隊はろくな備えができていないうちに応戦することを強いられたのである。中央部隊指揮官のアル・サレム中将は勇猛で統率力にも優れているが、即応能力に欠ける。副指揮官のブラツキー少将は粘り強い戦いぶりをするが、自分の持ち場以外に視野は及ばない。奇襲を得意とするラインハルトとの相性は最悪であった。

 

 ロボス元帥は直轄部隊を率いて同盟軍最精鋭の第八艦隊ともに救援に向かっているが、それまで俺達がもちこたえられるとは到底思えない。練度の低い帝国軍を奇襲に近い早さで展開してのけたラインハルトの手腕にすっかりのまれてしまっていた。

 

「撃て!」

 

 俺が指示を出した瞬間、帝国軍から苛烈な砲撃が降り注いできた。一瞬、第三六戦隊ではなくて帝国軍に指示を出してしまったんじゃないかと考えたほどである。初日のキルヒアイスの攻撃を受けてもギリギリで持ちこたえた同盟軍中央部隊の戦線は、暴風のようなラインハルトの猛攻の前にあっさり崩壊した。

 

「第一二艦隊暫定旗艦ジャガンナート撃沈されました!シャルマ少将は脱出できなかった模様!」

 

 第一二艦隊司令官代理アイーシャー・シャルマ少将戦死の報を受けた司令室は、一瞬凍りついたかのように見えた。司令官ボロディン中将が消息を絶ち、副司令官ヤオ少将が拘束された後の第一二艦隊をまとめてきた女性提督の死は大きな衝撃だった。

 

「第四四戦隊司令官バレーロ准将戦死!第四四戦隊は副司令官ムラーデク大佐が指揮を引き継いで後退中です!」

「第一〇〇戦隊より入電!『戦線崩壊しつつあり、至急来援を乞う』とのこと!」

 

 オペレーターは第一二艦隊が崩れていく様子を伝える。第三六戦隊の戦列も崩壊しつつあった。旗艦アシャンティの周囲は、味方艦の爆発光によって照らしだされている。敵の放つ対艦ミサイルやビーム砲がアシャンティ目掛けて殺到し、中和力場とせめぎ合う。

 

 去年のティアマト星域会戦で第一一艦隊旗艦ヴァントーズが撃沈寸前まで追い込まれた時とまったく同じ状況だった。違うのは立場である。あの時の俺は参謀だったが、今は司令官だ。気絶しそうなほどに怖かったが、それよりも不安そうに俺を見詰める部下の目が怖い。

 

「参謀長」

 

 精一杯平静な表情を作って、この場で唯一落ち着きを失っていないチュン大佐に声をかける。

 

「戦術スクリーンを見てください。敵の先鋒は第一二艦隊を突破した後、第一機動集団と第九艦隊に向かって行きました。ローエングラム元帥の目的は突破であって、殲滅の意図は見られません。アスターテの時と同じです」

 

 チュン大佐が言ったとおり、第一二艦隊を突破したラインハルトの先鋒は、後ろに控える第一機動集団と第九艦隊に突入していた。俺達が現在戦っているのは、その後続である。よく見ると彼らもまっしぐらに進んでいて、戦列崩壊した第一二艦隊を丁寧に潰そうとはしていない。

 

「そうだ、ローエングラム元帥は二兎を追わない」

 

 アスターテ星域会戦が始まってすぐに第四艦隊本隊を急襲して指揮系統を破壊したラインハルトは、無力化した残存部隊に見向きもせずに、まっしぐらに第六艦隊本隊に向かっていった。第六艦隊本隊を壊滅させた後もやはり残存部隊に見向きもせずに、第二艦隊本隊を狙った。残敵掃討に手間を割かれることを嫌ったのだ。

 

「突破に時間をかければ、我が軍の左翼部隊と右翼部隊、そして予備部隊に包囲されてローエングラム元帥は敗北します。だから、速攻で中央を突破しようとしているのです。この一撃を凌ぎきれば、敵は駆け抜けていきます」

「これだけの勢いで迫ってきている敵を避けることはできない。凌ぐしか無いね」

 

 チュン大佐の言葉に頷くと、俺はマイクを握った。

 

「ローエングラム元帥の目標は突破であって、殲滅ではない!今の一撃を凌ぎきれば、敵は去っていく!無茶を承知で言うが、あと三〇分耐えて欲しい!三〇分耐えれば、我々は生き残れる!」

 

 中央部隊が突破されて全軍が崩壊したら、今の攻撃を凌いだところで俺達は生き残れない。だが、今の攻撃を凌がなければ、全軍が崩壊する前に死んでしまう。後のことは生き残ってから考えればいい。必要なのは今この瞬間を生き残る展望を示すことだった。

 

「第九艦隊旗艦パラミデュースが機関部に被弾!」

 

 メインスクリーンは帝国軍のミサイルが突き刺さり、あちこちで小さな爆発が起こっているパラミデュースの艦体を映し出していた。アル・サレム中将の生死は不明だが、健在だったとしても他の艦に司令部を移すまでは動きがとれない。分艦隊単位での戦闘を強いられる第九艦隊には、ラインハルトを押しとどめる力はない。

 

 崩壊への道を突き進んでいた同盟軍中央部隊にあって、第一独立機動集団は唯一戦線を維持していた。ブラツキー少将は目の前の敵に集中しなければならない状況で力を発揮する指揮官であると言われていたが、その評価の正しさをこの目で確認した。第一二艦隊を盾にしようとする嫌な人だけど、ロボス元帥に信頼されるだけあって、指揮官としての実力は本物だった。

 

「もしかして突破されずに済むんじゃないか」

 

 そんな甘い期待が頭の中に浮かんだが、慌てて振り払う。ブラツキー少将がいかに勇敢でも手持ちの戦力は五〇〇〇隻程度。三万隻のラインハルト相手に長く持ちこたえるのは難しい。

 

「見てください!第一三艦隊が!」

 

 オペレーターの報告で戦術スクリーンを見ると、いつの間にかヤン中将率いる第一三艦隊が同盟軍中央部隊の側面に入り込んでいた。第十三艦隊は第一二艦隊や第九艦隊の残存部隊をかばうように展開すると、細長く伸びきったラインハルトの艦列に痛烈な横撃を浴びせる。

 

「嘘だろ、なんで間に合ったんだ?左翼はどうなっている?」

「左翼では第五艦隊が単独で敵の攻勢を阻止しています」

 

 戦術スクリーンの左翼に視線を向けると、確かに第五艦隊が二倍近い帝国軍の攻勢を阻止している。どうやら、いち早く中央部隊の危機を察したヤン中将がビュコック中将に左翼を任せて、救援に向かっていたらしい。

 

 第一三艦隊の強烈な側面攻撃を受けたラインハルトはそれでもなお前進を続けた。そのまま同盟軍中央部隊を突破した方が安全と判断したのであろう。しかし、ヤン中将の攻撃でラインハルトの勢いは確実に弱まった。第一二艦隊や第九艦隊の指揮官の中には、部隊再編を果たした後に攻撃に加わる者も現れた。ブラツキー少将の勇戦も続いている。

 

 第三六戦隊は既に危機を脱していた。現在は第一三艦隊の艦列の後方に下がって、部隊を再編し直している。損害は予想よりずっと少なかったが、俺の運用手腕が未熟なせいか再編作業は思うように進まなかった。

 

 ラインハルトが同盟軍中央部隊を突破するか、第一三艦隊の救援を受けた同盟軍中央部隊が防ぎきるかの瀬戸際の攻防に終止符を打ったのは、ロボス元帥直率部隊と第八艦隊の前線到着であった。

 

 ロボス元帥が巧妙だったのは、ラインハルトの前方を塞ごうとせずに進路に平行して陣を敷いたところにある。それによってラインハルトはロボス元帥とアップルトン中将によって構築された火線上を通らなければ脱出できなくなったのだ。仮に方向転換して後方か側面から逃れようとしたら、同盟軍中央部隊の袋叩きに合う。もちろん、ロボス元帥とアップルトン中将もこれ幸いとラインハルトを叩きのめそうとするのは言うまでもない。

 

 絶体絶命の窮地に陥ったラインハルトの判断は素早かった。そのまま前進したのである。全面に立ち塞がる同盟軍中央部隊の隊列の中で最も薄いポイントに火力を集中して突破したラインハルトは、驚くべき速度でロボス元帥の構築した火線上をすり抜けながら大きく旋回すると、別の戦線から救援に駆けつけてきたキルヒアイス艦隊の支援を受けて、そのまま離脱してしまった。こうして、同盟軍は最大の危機を脱したのである。

 

 

 

「三日目の我が軍の攻勢は敵左翼部隊の黒い艦隊の奮戦で失敗した。そして、今日の敵の攻勢はヤン提督の判断で防がれた。皮肉なものだな」

 

 深夜の司令室で人事部長ニコルスキー中佐はプロテインバーをかじりながら、他の参謀と今日の戦いの感想を話し合っていた。

 

「あの黒い艦隊、凄かったですよね。まさに鉄壁というべきか」

 

 メッサースミス大尉のその言葉に、食べていたハムサンドを吹き出しそうになった。ラインハルトの部下の中で黒い艦隊といえば、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの黒色槍騎兵艦隊だ。前の歴史の黒色槍騎兵艦隊は、最大の損害を敵に与える代わりに自分も大損害を被る艦隊と言われていた。それが全軍の崩壊を防いで、鉄壁と呼ばれたのはどういう巡り合わせだろうか。

 

「目の前の敵は、これまで戦ってきた門閥貴族の提督とは全然違いますねえ。門閥貴族が大好きな大火力重装甲の巨大艦も出てきてませんし。戦艦も巡航艦と一緒に突撃できるような高速艦ばかりですよ」

 

 潰れたクロワッサンを手にした後方部長レトガー中佐は、使っている艦の違いから門閥貴族とラインハルトの違いを語る。

 

「ローエングラム元帥配下の部隊の戦意は総じて高い。粘りもある。指揮官はみんな積極的で判断も早い。今は未熟だが経験を積んだら厄介な相手だ」

 

 ニコルスキー中佐の言葉に全員が頷く。

 

「我が軍もなかなかのものですよ。ヤン中将やルイス少将がいるじゃないですか。分艦隊司令官クラスでは第八艦隊のフォール少将、第一三艦隊のグエン少将。准将クラスでは第三艦隊のハンクス准将、第五艦隊のデュドネイ准将、第八艦隊のエベンス准将、第一〇艦隊のアッテンボロー准将とか」

 

 作戦部長代理ニールセン少佐はこの会戦で武名を高めた二〇代や三〇代の提督の名前をあげる。俺の名前が上がっていないのは仕方がない。俺以外に二〇代の戦隊司令官は四人参加しているが、アッテンボロー准将以外は見るべき活躍がなかった。

 

「中堅やベテランはこちらの方が優秀ですしねえ。まだまだ人材では負けませんよ」

「だが、ビュコック中将は今年で定年だぞ。ルフェーブル中将はあと二年で定年。あの二人の穴を埋められる人材はそう簡単には育つまい」

「大将に昇進すれば、定年は五年伸びますよ」

「大将ポストの空きがなかろう。あったとしても、ビュコック中将やルフェーブル中将はオフィス勤務に向いてない。軍中央の要職には就けんよ」

「残念ですねえ」

 

 中将の定年は七〇歳だ。前の歴史ではビュコック中将は定年ギリギリで大将に昇進したが、それは帝国領侵攻作戦の失敗によって、大将候補となる昇級リスト上位の中将が大勢失われてしまったからだった。

 

 この遠征でもウランフ中将が戦死、ホーウッド中将とボロディン中将が行方不明になっているが、アップルトン中将は健在だ。アル・サレム中将は重傷を負ったものの一命を取り留めている。遠征参加者の中から大将昇進者が出るとしたら、昇級リスト上位で予備部隊としての武勲もあるアップルトン中将だろう。レトガー中佐がビュコック中将やルフェーブル中将の用兵手腕を惜しいと思う気持ちも理解できる。しかし、軍隊が官僚組織である以上は、ニコルスキー中佐の予想通りになる可能性が高い。

 

 戦いが続いているのに人事を考えるなんて、皮算用かもしれない。しかし、戦いが終わった後の人事に思いを馳せられるような状況にあることは歓迎すべきである。撤退戦の最中はアムリッツァに着いた後のことを考える余裕もなかった。

 

 今日で一〇個目のマフィンを食べながら、司令室の中を見回す。参謀長のチュン大佐と副官のコレット大尉はタンクベットで仮眠をとっている最中だった。

 

 情報部長ベッカー中佐は参謀達の会話に加わらず、デスクで何やら考え事をしているようだった。アムリッツァ会戦が始まってから、仕事に関わりない発言はほとんどしていない。かつての同胞との戦いに思うところがあるのだろうか。

 

 人事参謀のカプラン大尉は若い女性オペレーターと何やら楽しげに話していた。雑談しかできない人材を司令部に置いておいても意味が無い。女性であるコレット大尉に堂々と体重を聞くような空気の読めなさも困る。ハイネセンに帰還したら、彼を転属させる口実を考える必要があるだろう。

 

 部屋の片隅では統括参謀アナスタシア・カウナ大佐がダンボールを敷き、毛布にくるまって仮眠していた。タンクベッドで仮眠すればいいのに、無駄に真面目である。起きてても俺を見てるだけだし、寝顔はそんなに悪くないのだから、ずっと寝ててほしい。

 

「閣下」

 

 不意に声をかけられて振り向く。紙袋を手にしたチュン大佐がいた。

 

「参謀長か。もう仮眠終わったの?」

「ええ。今から夜食をとろうと思いまして。もちろん、閣下の分もありますよ」

 

 そう言うとチュン大佐は紙袋の中から食パンを取り出した。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って食パンを受け取り、口に入れる。

 

「何も塗ってない食パンもうまいでしょう?パン本来の味を楽しめるんですよ」

 

 変人の考えることはさっぱりわからない。しかし、突っ込むのも面倒なのでまったく別の話題を振った。

 

「そろそろ、この戦いも終わるかな?」

 

 俺の唐突な話題転換に驚く様子も見せずに、チュン大佐は少し考えこむような表情になった。

 

「そうですね、これ以上は敵も兵站が苦しいはずです。アムリッツァ星系内に未だ兵站拠点を確保できていません。兵站拠点に使えそうな惑星の中で一番近いのは、ゲルダーン星系の第二惑星。ちょっと遠すぎますね」

「一〇光年だったっけ?それは確かに遠すぎる」

 

 開戦から一週間が経ち、一進一退の攻防が続いたものの帝国軍は同盟軍が三つの惑星を軸に築きあげた防衛ラインを突破できずにいる。消耗戦になれば、アムリッツァ星系の中にいくつも兵站拠点を持っている同盟軍の方が有利である。だからこそ、帝国軍は積極的に仕掛けてきた。

 

「今はどうなっているか知りませんが、皇帝の重病が続いているとしたら、ローエングラム元帥は長く前線にいられないはずです」

「ニュースを見れれば、そこら辺も少しは分かるんだけど」

 

 第一二艦隊に対する通信封鎖は今も続いていた。戦闘に関する情報だけはブラツキー少将を通して入ってくるが、他艦隊との交信は未だに禁止されている。友人知人の安否もわからない。放送電波やネットも遮断されているため、同盟や帝国で何が起きているかも伝わってこなかった。

 

「早く終わって欲しいですね」

「まったくだ」

 

 今日の帝国軍の攻勢で第三六戦隊は一〇〇隻近い損害を出した。もはや単独で戦隊として行動できる戦力ではない。第一二艦隊の戦力は半個艦隊にわずかに満たないところまで落ち込み、司令官代理と第四分艦隊司令官を失った。

 

 同盟軍全体の損害率は一五パーセント程度だった。弱体な中央部隊に損害が集中し、左翼部隊と右翼部隊は損害が少ない。予備部隊はほとんど損害を受けていない。数字の上では戦闘継続可能だが、第一二艦隊としては不可能といったところだ。

 

 戦意の低下も深刻だった。第一二艦隊は総司令部に強い不信感を抱いている。ロボス元帥の用兵は見事であったが、人間として信用できるかどうかは別である。どれだけ優れた用兵家であっても、監視役を付けて最前列に立たせるような人物を信頼できるはずがない。情報遮断も将兵の心に不安をかきたてる。そして、損害も大きい。戦意が下がる理由こそあれ、上がる理由はなかった。

 

 自分達の置かれた現状にため息をつきながら食パンを口にした直後、緊急連絡時を伝える呼び出し音がけたたましく鳴り響いた。この会戦で緊急連絡が入るのは初めてであった。どんな激戦の最中であっても通常連絡に留まっていた。いったい何が起きたのだろうか。体中の神経に緊張が走る。

 

 スクリーンに現れた第二分艦隊参謀長ジェリコー准将は、病人のように見えた。度重なる心労が体を蝕んでいるのだろうか。アンドリューを思い出して心が痛む。

 

「総司令部からの通達があった。『〇時三〇分から全軍に向けて緊急放送を行う。全将兵は必ず視聴せよ』とのことだ。この通達を第三六戦隊に伝えてもらいたい」

「全将兵に視聴を義務付けるなんて、どんな内容なのでしょうか?」

「私にもわからん。撤退が決まったのではないかと予想しているが」

 

 ジェリコー准将のそれが予想ではなく、期待であったのは明白であった。

 

「小官もその可能性が高いと推測します」

 

 俺もジェリコー准将に期待を伝える。もはや、戦いが続く可能性を口にしたくもなかった。期待にでもすがりたい気持ちだった。

 

 ジェリコー准将との交信を終えた後、俺は部下の群司令に緊急放送を試聴せよとの通達を伝えた。群司令は一人を除いて「撤退ですか?」と期待混じりに問うてきた。もちろん、俺も「そう予想しているが」と期待を伝えた。

 

 司令室では参謀やオペレーターらが時計を見ながら、メインスクリーンの前で緊急放送が始まるのを待っている。旗艦アシャンティの各所にある大きなスクリーンの前でも同じ光景が繰り広げられていることだろう。

 

「三、二、一…」

 

 秒読みをするカプラン大尉の声が終わり、時計が一一月八日〇時三〇分を差した瞬間、真っ暗だったスクリーンが明るくなり、ロボス元帥の顔が映しだされた。


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