銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第八十八話:指揮官の義務 宇宙暦796年10月22日~24日 シファーシュタット星系 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 第五艦隊司令官ビュコック中将がマイクテストを装って流してくれた情報は、折れかけていた俺の心に希望を与えてくれた。分かってくれる人がいる。それだけで反乱覚悟の行動が報われたと感じることができた。第一二艦隊の将兵は同じ思いを抱いていることだろう。

 

 精神的な面だけではない。自分の眼と耳だけで得られる情報には限界がある。味方が眼と耳を使って得た情報を共有できなければ、真っ暗闇の中を手探りで歩くも同然になってしまう。味方からの情報提供が常に行われると無条件に信じていたことに、通信封鎖を受けるまで気づかなかった。

 食料と燃料は相変わらず不足している。将兵の体力も限界に近づきつつある。不注意による事故がほとんど起きていないのが不思議なぐらいだった。一日四回、六時間おきに行われるビュコック中将のマイクテストだけが俺達を支えていた。

 

 一〇月二二日にベルンハイム星系に集結した第二分艦隊は、第一二艦隊の集合場所となっているレムフェルト星系を目指した。本隊はアインベルク星系、第一分艦隊はパーゼヴァルク星系、第三分艦隊はウッカーラント星系、第四分艦隊はエーデミッセン星系から、それぞれレムフェルト星系を目指している。第一二艦隊の全部隊が集結すれば、一万二〇〇〇隻を超える。帝国軍に遭遇したとしても、十分対抗しうるはずだった。

 

 航行は驚くほど順調に進み、シファーシュタット星系で合流当日の一〇月二四日を迎えた。一〇日二四日〇時を知らせる時報と同時に、俺は第三六戦隊旗艦アシャンティの司令室で自らマイクを握り、配下の全部隊に向けて放送を流した。

 

「今日は一〇月二四日だ。本隊と合流する日である。レムフェルト星系への到着予定時刻は一六時頃。到着後には本隊に同行している後方支援集団から食料と燃料の補給を受けることもできる。諸君に苦労をかけるが、あと一六時間の辛抱だ。頑張って欲しい」

 

 放送を終えた俺はマイクのスイッチを切って、司令室に詰めている参謀達、そして民主化支援機構職員リンダ・アールグレーンの顔を見回す。

 

「ちゃんとできたかな?」

 

 俺の問いに対する答えは全員の拍手だった。

 

「上出来です、フィリップス閣下」

 

 アールグレーンは笑顔で答えてくれた。俺より一歳上の彼女は、もともとは進歩党代議員の事務所でアナウンス担当スタッフをしていた。民主化支援機構が各惑星に設置するプロパガンダ放送局「自由放送」のスタッフを募集した際に志願して、シュテンダール自由放送のアナウンサーになった。シュテンダール脱出後、第三六戦隊の将兵の士気を高揚させる艦内放送をできるようになりたいと考えた俺は、彼女にアナウンスの指導を頼んでいた。

 

「ありがとう。大事な放送だったから、絶対に失敗できなかった」

「もともとフィリップス閣下は喋り慣れていらっしゃいますから、あまり心配なさる必要はないですよ」

 

 確かにアールグレーンの言う通り、俺は不特定多数に向けて喋ることに慣れている。エル・ファシルの英雄、エル・ファシル義勇旅団長としてメディアに出まくった経験がこんなところで生きるとは思わなかった。

 

 アールグレーンが自室に戻るために司令室から出て行くと、もうすぐ始まるビュコック中将のマイクテストを聴くために、非常用通信回線を開いてチャンネルを合わせた。参謀達も耳をすませる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。聞こえるかな」

 

 すっかり聞き慣れたビュコック中将の声が流れてくる。今の俺達には、何よりも温もりが感じられる声である。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。我が軍はついに敵を確認した」

 

 いつかはその日が来ると思っていた。それでも、身構えずにはいられない。前の歴史で起きたような凄惨な撤退戦がこれから始まるのだろうか。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。二三日二〇時頃、ノルトルップ星系で第二輸送業務集団が敵の襲撃を受けそうになったが、護衛部隊が事前に察知して事無きを得た。第二輸送業務集団は安全宙域まで退避している」

 

 第二輸送業務集団が助かったと知って安心した。この部隊はグレドウィン・スコット准将に率いられて、本国から送られてきた物資のうち、イゼルローンに近い星系から集められた分を前線に運ぼうとしていた。占領地を放棄した現在は、各艦隊に補給する物資を運んでいたはずだ。この部隊が助かれば、味方はイゼルローンに到着する前に補給を受けられる。また、司令官グレドウィン・スコット准将は、俺の三次元チェス友達だった。無事に済んで本当に良かった。

 

 奇襲を事前に察知できたのは、五〇〇〇隻もの護衛部隊が付いていたおかげだろう。半数を偵察に回したとしても、一〇〇近い偵察隊を編成して抽出できる。護衛部隊の司令官ポルフィリオ・ルイス少将は数を生かして、念入りな偵察を行ったに違いない。

 

 前の歴史では、同盟軍輸送部隊は帝国軍のジークフリード・キルヒアイスに急襲されて壊滅したはずだった。それなのに今回は回避できた。やはり、前と今の歴史は展開が違う。遠征軍三〇〇〇万のうち、二〇〇〇万が戦死した空前の大敗北は回避できるかもしれない。そんな期待をしてしまう。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。ボルゲン星系で恒星フレア、ズンダーン星系とミヒェルシュタット星系で強い宇宙線が確認されている」

 

 いずれの星系も俺達の使うルートから外れていた。これで航路障害に出くわす可能性は低くなった。事故さえ起きなければ、間違いなく本隊と時間通りに合流できる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。安全を祈る」

 

 〇時のマイクのテストは終わった後の司令室で安堵していたのは、俺だけだった。参謀達の顔には、緊張の色が浮かんでいた。一瞬だけ不審に思ったが、すぐに理由がわかった。

 

 彼らは前の歴史を知らない。前の歴史で起きた輸送部隊の壊滅が避けられたからと言って、展開が変わったと喜ぶ理由はない。むしろ、敵が輸送部隊襲撃を企てたという事実に戦慄を覚えるのではないか。前の歴史との違いに浮かれて見落としていたけど、辺境でもかなりイゼルローン寄りの位置にあるノルトルップ星系まで敵が入り込んでいる現状はかなり危うい。喜んでいる場合ではなかった。

 

「まいったね。この先はいつ敵と遭遇するかわからないと見るべきだ」

 

 ようやく俺が参謀達と危機感を共有できたところで、司令室のメインスクリーンから緊急連絡時の呼び出し音が鳴った。この音が鳴った時はこちらが交信を許可しなくても、勝手に通信が繋がるようになっている。それだけ重要かつ緊急な連絡ということだ。一体何があったんだろうか。悪い予感がする。

 

 スクリーンに現れたのは、第一二艦隊司令官ウラディミール・ボロディン中将だった。第二分艦隊司令部ではなく、その上位の第一二艦隊司令部からの連絡。これはただ事ではない。

 

「第一二艦隊本隊は三分前にアインベルク星系第三惑星近辺にて、敵と戦闘状態に入った。兵力はおよそ三〇〇〇。ほぼ同数の後続も接近しつつある。いずれも巡航艦を主力とする高速部隊である」

 

 ボロディン中将自ら率いる第一二艦隊本隊は三個戦隊約二〇〇〇隻。そのうち二つは戦艦を主力とする対艦打撃部隊、一つは攻撃母艦を主力とする航空打撃部隊。いずれも予備戦力として投入される精鋭であった。万全な状態であれば、三〇〇〇の帝国軍相手に後れを取ることはない。しかし、現在は物資は乏しく、将兵は疲れきっていた。しかも、同数の敵が接近している。明らかに分が悪い。

 

 戦闘を回避して離脱しようにも、三倍の兵力を持つ高速部隊を振り切るのは容易ではない。それに加えて、第一二艦隊本隊には、シャルマ少将率いる後方支援集団本隊が同行している。離脱も難しい。

 

 遅滞防御に徹して、援軍がアインベルク星系に到着するまで粘り続ける以外、第一二艦隊本隊が生き残る道はなかった。しかし、一番近くにいる第四分艦隊もアインベルク星系に到着するには、最速でも一二時間はかかる。それまで三倍の敵の攻勢に耐え続けなければならない。敵の後続が現在確認できている三〇〇〇だけとも限らない。第一二艦隊本隊は絶体絶命の危機にあった。すぐにアインベルク星系へ救援に向かわなければ、間違いなく壊滅する。

 

「作戦部長代理!第二分艦隊はこれから救援に向かうはずだ!行軍計画の修正に取り掛かってくれ!情報部長は現在地からアインベック星系に至る宙域の情報を第一二艦隊の共有ライブラリから引き出して、分析にあたるように!」

 

 俺は顔色を変えて、作戦部長代理クリス・ニールセン少佐と情報部長ハンス・ベッカー中佐に指示を出した。彼らは部下の参謀を呼び集めてさっそく作業に取り掛かる。参謀達は非常時にあっても、プロとしての仕事を果たそうと頑張ってくれている。司令官の俺もしっかりしなければならない。

 

 本隊を助けに行っても、遠すぎて間に合わない可能性が高い。間に合ったところで待ち構えていた敵に叩きのめされるだけで終わる可能性も高い。しかし、死刑覚悟で俺達を救おうとしてくれた司令官を見捨てるわけにはいかなかった。死ぬのは怖いが、ボロディン中将を見捨てて逃げるのはもっと怖かった。そんなことをしたら、一生前を向いて歩けなくなってしまう。

 

「救援は不要である」

 

 救援は不要。スクリーンから流れるその言葉に一瞬耳を疑った。

 

「本隊はアインベルク星系にて遅滞戦闘を行う。本隊が時間を稼いでいる間に、諸君には少しでも遠くまで逃れてもらいたい。シャルマ少将もいずれ諸君に追いつく」

 

 全滅覚悟で味方のために時間を稼ぐ。救援が間に合わないと見切っても、戦闘開始からわずか三分でそんな決断をするなんて、俺の理解をはるかに超えていた。どうして、あっさりと命を投げ出せるのだろうか。スマート過ぎて闘志に欠けると評された紳士提督の壮烈な決意に全身が震える。

 

「諸君を一人でも多く生きて帰らせるのが指揮官たる者の義務である。諸君が進む時は最先頭に、退く時は最後尾に立つのもまた指揮官たる者の義務である。だから、遠慮することはない。胸を張って本国に帰れ。それが指揮官たる私が諸君に課す義務である」

 

 ノブレスオブリージュ。高い地位を持つ者はそれに見合った義務を背負わねばならない。出会いと運に恵まれて高い地位を得た凡人に過ぎない俺には、あまりに重過ぎる理念だ。軍人に自制と無欲を求めるシトレ派の主張には付いていけないと感じる。だけど、ノーブレスオブリージュを本気で背負って、命を投げ出してまで貫こうとするボロディン中将の姿は、考える余地も無く格好良いと思ってしまう。人間の世界にただ一人神話の登場人物が降り立ったかのようだった。

 

「第一二艦隊に属する本隊以外の部隊の指揮権は、本時刻をもって副司令官ヤオ・フアシン少将に委ねる。ヤオ少将は歴戦の名将だ。必ずや諸君を祖国に連れ帰ってくれるであろう。自由惑星同盟は自由の国である。自由の国は諸君に自由であることのみを求める。国のために死ぬ人間ではなく、自由のために生きる人間であることを求める。自由は何よりも強いと私は信じる。自由な生を全うせよ。それが私の第一二艦隊司令官としての最後の命令である」

 

 ボロディン中将の表情は、いつもと変わらず穏やかだった。死を覚悟しているのに、どうしてこうも落ち着いていられるのであろうか。俺には理解できない。理解できないが美しい。

 

「諸君は指揮権を剥奪された私に最後まで付いてきてくれた。良き部下にめぐり会えたことに感謝する」

 

 深々と頭を下げて、ボロディン中将は最敬礼をした。死刑覚悟で遠征軍を救うために無断撤退をした彼は、俺達を逃がすために勝ち目のない戦いを挑もうとしている。自分を死地に追いやった権力者への恨み言を一言も言わず、ひたすら部下を案じている。なんと素晴らしい指揮官なのだろうか。胸が熱いもので満たされていく。

 

 シトレ派の理念に忠実なボロディン中将の言葉は、俺やトリューニヒトの考えとは真逆のものだった。しかし、理念に賛同できなくても、理念を貫こうとする姿には共感できる。そのことを初めて知った。

 

 意識せずとも体中が引き締まって直立不動となり、それから上体がスーッと前に傾いて、最敬礼の姿勢を形作った。両目からは涙が滝のように流れ出た。

 

 司令室にいる者は誰もが命令されたわけでもないのに、俺と同じように最敬礼の姿勢をとっている。あのカプラン大尉ですら、例外ではなかった。スクリーンからボロディン中将の姿が消えた後も司令室にいた者は、ずっと敬礼を続けていた。

 

 

 

 指揮権を引き継いだヤオ少将は、新たな合流場所をモルシェン星系に定めた。アインベック星系に敵が出現した以上、レムフェルト星系は安全とは言えない。近い距離にいる第一分艦隊と第四分艦隊をハウネタール星系、第二分艦隊と第三分艦隊をヒルダース星系で合流させ、それからモルシェン星系へ向かおうという計画だった。そこでアインベック星系を脱出したシャルマ少将の後方支援集団とも合流する。

 

 第二分艦隊の一員としてヒルダース星系をまっしぐらに目指すアシャンティの司令室のスクリーンに緊急連絡時の呼び出し音が再び鳴ったのは、ボロディン中将の最後の命令から五時間後のことであった。

 

 スクリーンに現れた司令官代行のヤオ少将は、全部隊に非常用通信回線を開くように命じ、使用するチャンネルをメモで示した。マイクテストには一時間早い。また不測の事態が起きたのだろうか。指示を出したのが第二分艦隊からの命令伝達役になっている参謀長ジェリコー准将ではなく、司令官代行のヤオ少将というのも不安をかき立てる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。第三艦隊はモルシェン星系、第七艦隊はドヴェルグ星系、第九艦隊はテマール星系、第一〇艦隊はエッケンダール星系で戦闘状態に入った。第五艦隊はアーデルスリート星系、第八艦隊はホレンバッハ星系、第一三艦隊はフロンテンハウゼン星系で間もなく戦闘状態に突入する」

 

 前のマイクテストからたったの五時間で全艦隊が戦闘状態突入もしくは突入寸前。ビュコック中将の口にしたその事実は恐怖を呼び起こすには十分であった。後退しつつ戦力を集中していた同盟軍は、まっしぐらに追いかけてくる帝国軍についに捕捉されたのだ。しかも、第一二艦隊が新たな集合場所に定めたモルシェン星系まで戦場になっている。

 

 占領地放棄命令が出たのが一八日だから、どんなに早く撤収した艦隊でも艦隊単位での集結はまだ果たせていないはずだ。どんなにうまくやっても、せいぜい半数といったところではなかろうか。分散している同盟艦隊に同時攻撃を仕掛け、お互いに援護する余裕を与えずに各個撃破していくのが帝国軍の戦略であろう。

 

 戦場となっている星系は、ほとんどがイゼルローン回廊寄りであったが、ドヴェルグ星系だけは帝国内地寄りだった。暴動で撤収作業が進まないまま、取り残されてしまったのだろう。第七艦隊の本隊に所属しているジェルコ・ブレツェリ大佐の生還も絶望的になった。俺に「死ぬな」と言った人が死んでしまうなんて、運命の皮肉としか言いようがなかった。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。生きて帰ってきてくれ」

 

 ビュコック中将の声には悲痛さがにじんでいた。二〇歳以上離れた友人のボロディン中将が味方を逃がすために敵中に踏み止まったことは、もう知っているのだろうか。

 

「参謀長。俺達は何があっても生きて帰らないといけないね。ボロディン中将の命令を果たすため、そしてビュコック中将の厚意を無にしないために」

 

 参謀長のチュン・ウー・チェンにそう語りかけた瞬間、敵襲を知らせる警報がけたたましく鳴り響いた。

 

「二時方向と一〇時方向から、敵が二手に分かれて接近中!総数はおよそ三〇〇〇!三〇分から四〇分後に接触する見込みです!」

 

 オペレーターの声が司令室に響き渡る。メインスクリーンには、二方向から弧を描くような動きで第二分艦隊の側面に回り込もうとする敵部隊が映っていた。第五六戦隊を欠く第二分艦隊はおよそ二〇〇〇隻。数の面では分が悪い。

 

 敵の主力艦は高速の巡航艦のみ。戦艦や攻撃空母の姿は見られない。巡航艦に数倍する駆逐艦が側面援護にあたる。極端に機動力に偏った編成だった。敵が数と機動力の利を生かし、第二分艦隊を左右から挟撃しようとしているのは明らかである。

 

 ボロディン中将の本隊を攻撃した部隊もやはり巡航艦を主力としていた。第一二艦隊攻撃を担当する敵艦隊の司令官は、かなり機動力に偏った編成を好むらしい。同盟軍で偏った編成が許されるのは戦隊レベルまで。分艦隊以上は単独でも戦えるように、バランスのとれた編成をとっている。艦隊レベルでも偏った編成が許される帝国軍とは、編成構想が根本から異なっていることをこの目で理解できた。

 

 敵の指揮官が何者かは分からないが、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムのもとには無能者はいない。ラインハルトに仕えた提督の中で最優秀とされるのは、獅子泉の七元帥と呼ばれる七人の元帥とそれに準ずる評価を受けた六提督の一三人。それに次ぐのがラインハルトの親衛艦隊や十三提督の艦隊で分艦隊司令官を務めた三六人の提督。前の人生では、彼らの盛名を嫌というほど耳にした。

 

 アンドリュー・フォークが言ったとおり、現時点の彼らは未だ経験が浅い。しかし、俺だって経験が浅い。まして、あちらはあのラインハルトが将来性を見込んで登用した人材だ。勇敢さ、リーダーシップ、戦機を読む嗅覚などは俺よりずっと優っているに違いない。提督として初めて戦う相手がラインハルトの部下だなんて、本当についていない。どうしようもなく不安になってしまう。

 

「フォーメーションBに変更せよ。完了後、二時方向に全速前進」

 

 サブスクリーンから聞こえる第二分艦隊司令官エドガー・クレッソン少将の指示が俺を現実に引き戻した。そうだ、俺は指揮官なのだ。第三六戦隊の将兵、そして行動を共にしている支援部隊や民間人の命運を背負っている。相手がラインハルト本人であろうと、不安に怯えてはいられない。

 

 俺の指揮卓の戦術コンピュータには、分艦隊参謀長ジェリコー准将からデータが送られてきた。第二分艦隊がフォーメーションBを採る際の行動手順データに、クレッソン少将の意図を説明する文が簡潔に付け加えられている。

 

「二時方向と一〇時方向の敵は、勢いがあるもののタイミングが合っていない。連携に難がある敵には、各個撃破が有効である。敵が挟撃態勢を作り上げる前に先手を打つ。攻撃的なフォーメーションBをもって二時方向の敵を全力で突破する」

 

 クレッソン少将は国防委員会での勤務歴が豊富な軍官僚で、性格も事なかれ主義のお役人といった感じだった。それなのに驚くほど攻撃的な作戦を提示していた。

 

 意図を理解した俺はジェリコー准将から送られてきたデータを参謀長チュン・ウー・チェン大佐のコンピュータに転送すると同時に、指揮用回線を通じて部隊指揮官達に指示を出す。相手が何者であろうと、一緒に部隊を作り上げてきた指揮官を信じる。日頃から培ってきた技量を信じる。訓練の時と同じように部隊をちゃんと動かす。それあるのみだ。

 

「フォーメーションBに変更せよ。完了後は第三四戦隊と第五二戦隊を援護する」

 

 第二分艦隊がフォーメーションBを採る際には、打撃力に優れた編成の第五二戦隊と第五六戦隊が先頭を切って敵中に突入し、標準的な編成の第三四戦隊と第三六戦隊が援護にあたる。しかし、今回の戦いでは第五六戦隊が欠けていた。そこで第三四戦隊が代わりの突入部隊として打撃力を補い、第三六戦隊のみが援護を行うのである。

 

 チュン大佐はキーボードをせわしなく叩いていた。第三六戦隊に所属する各部隊の行動手順データを指揮官に送り、俺の意図を説明する文を付け加える。行動手順データは各部隊でも保管しているが、確認のために送るのである。ジェリコー准将が俺にデータを送ったのも同じ理由だった。

 

 指揮官は俺の出した指示と参謀長の送ってきた詳細をもとに部隊を動かす。第三六戦隊の指揮官達は敵を目前に控えているにも関わらず、素早く陣形を再編してのけた。メインスクリーンに映る第三六戦隊の整然とした動きに、胸が熱くなってくる。心身が疲弊しているにも関わらず一糸乱れぬ動きを見せてくれる精鋭は、この俺の部下なのだ。

 

 第三四戦隊と第五二戦隊もあっという間に陣形再編を終えて、第二分艦隊のフォーメーションBは完成した。そして、勢いに任せてバラバラに向かってくる二時方向の敵に突入していった。第三六戦隊は広範囲に火力を投射して、敵の機動を牽制する。

 

 味方の戦艦群は駆逐群の援護を受けながら突進して、ミサイルとビーム砲の大火力を敵に叩きつけた。防御力場が弱い巡航艦を主力とする敵は次々となぎ倒されていくが、一向に怯む様子を見せずに前進を続ける。身分と階級の高さがほぼ比例している帝国軍は、上下の結束が極めて弱い軍隊であった。凡百の指揮官がこんな強引な用兵をしたら、帝国兵はたちまち逃げ散ってしまう。目の前の敵の統率ぶりは常識を超えている。手に汗がじんわりとにじみ、緊張で腹が痛くなる。すがるような気持ちでチュン大佐に話しかけた。

 

「帝国軍には珍しく戦意が旺盛な部隊だね。艦隊運動が稚拙とはいえ、厄介な相手かもしれない」

「このような統率は凡将のなせる技ではないのは確かです。しかし、用兵にはあまり慣れていないようですね。防御の弱い巡航艦で強引に前進を続けようとするのはいただけません。巡航艦の長所である足を自分から殺してしまっています」

 

 冷静な分析に安心した。俺から見たら得体のしれない強敵でも、チュン大佐には穴が見える。彼が参謀長で本当に良かった。

 

「どうする、参謀長?」

「火力密度を高めましょう。牽制から撃破に目標を切り替えるのです。今なら面白いように当たるでしょう」

「そうだね。せっかく巡航艦が得意の機動戦を捨ててくれているんだ。少しでも打ち減らさないとね」

 

 チュン大佐の意見に従い、援護砲撃の投射範囲を狭めて高密度の火線を構築した。第三四戦隊と第五六戦隊の攻撃を正面から受け止めていた敵は、側面から飛んでくる第三六戦隊の砲撃に勢いを削がれた。足が止まったところで、味方の巡航群が上下から敵に躍りかかっていく。駆逐群は敵に肉薄して、巡航群を援護する。

 

 巡航艦は戦艦に比べると火力も防御も弱いが、その分機動性に優れる。死角からの敵の脇腹を食い破るのが巡航艦の真骨頂であった。正面の戦艦群と上下の巡航群の攻撃の前に、足を封じられた敵の巡航艦は次々と火球と化していった。敵がいかに優れた統率力の持ち主であっても、三方向からの攻撃には対応できない。

 

「よし!全速で敵中を突っ切れ!」

 

 クレッソン少将の合図で第二分艦隊は敵の艦列に空いた穴に殺到していった。戦艦と巡航艦が広げた穴を駆逐艦に守られた揚陸艦、補給艦、輸送艦などが通り抜けていく。穴は断裂となって、敵の艦列をずたずたに切り裂いた。

 

「敵の援軍が来る前に離脱する!速度を緩めず、前進を続けろ!」

 

 第二分艦隊は勢いに乗ってそのまま突き進み、敵を突き放していった。撃破された部隊はもちろんのこと、もう片方の部隊も第二分艦隊を追ってこようとはしなかった。

 

「やったぞ!」

 

 司令室はこの不毛な遠征で初めて獲得した勝利に湧き上がった。味方や住民相手の不毛な戦いを強いられ、ようやくまともな敵と巡りあって勝つことができた。嬉しくないわけがない。俺も提督としての初めての戦いを何事も無く乗り切ったことに安心した。

 

「無事に終わって良かった。用兵には自信がなかったけど、どうにか仕事ができたよ」

 

 脇に控えているチュン大佐に話しかける。彼とは勝利の喜びを真っ先に共にしたかった。

 

「敵が欲を出して我々を撃破しようとしてくれたおかげで助かりました。巡航艦の機動力を生かして、徹底的にこちらの機動を阻害してきたら厄介でした」

「後続が来るまで足止めされたら、俺達は確実に負けるからね」

「積極性は指揮官にとってもっとも重要な資質です。敵の指揮官もそこを見込まれて起用された人物なのでしょう。しかし、今回はそれが我々に幸いしました」

「クレッソン少将の指揮も良かったよ。敵のミスに恵まれ、上官に恵まれ、そして参謀長のような部下に恵まれた。俺は本当に運がいい」

 

 俺一人だったら、巡航艦で強引に突っ込んできて、なぎ倒されてもひるまずに前進を続ける敵にびびってしまっていたに違いない。理解できない相手というのは、何が起きるかわからない戦場においては最も恐ろしい相手だからだ。

 

 しかし、チュン大佐は相手の非常識な統率力を評価しつつ、冷静に弱点を見抜いた。クレッソン少将は敵の連携の悪さを見抜き、一点突破をはかることで離脱に成功した。正規艦隊で鍛えられた精鋭が俺の手元にいたのも幸運だった。指示を出せば、すぐに思い通りの動きをしてくれる。

 

「運は引き寄せるものです。運が強いというのは立派な能力です」

「俺も偶然を味方に付けられるようになってきたのかな」

「もともと閣下には偶然が味方に付いているでしょう」

「まさか」

「閣下は何度と無く命拾いをしています。そして、大勝負は絶対に落としません。一度や二度であれば偶然です。しかし、何度も重なったら、能力とみなして良いのではないでしょうか」

 

 チュン大佐の指摘を受けて考えてみる。今の人生になってから、間違いなく死ぬと思ったことが三回あった。人生がかかった大勝負で負けたことも無い。たまたま大功が転がり込んできたこともあった。

 

 漠然と「俺は無能なのに、運が良かったおかげで若くして提督になれた」と考えていた。しかし、こんな幸運が続くというのは、確率論的に考えるとおかしい。たしかにこれは能力の一つと考えていいのかもしれない。

 

「そうだね。偶然と考えるにはあまりにできすぎている」

「実力で得た勝利でも運で得た勝利でも、勝利は勝利です。閣下は勝てる指揮官になれるかもしれませんね」

 

 まさか、と言いかけてやめる。俺が勝てる指揮官にならなければ、その分だけ部下が多く死ぬ。ヴァンフリート四=二では俺の未熟さゆえに、部下を死なせてしまった。ゲベル・バルカルの戦いでもちゃんと経験を積んでいたら、戦死者を少しは減らせたかもしれない。なれるわけないなんて言っていてはダメだ。指揮官であるからには、勝てる指揮官を目指さなければ。差し当たっては、イゼルローン要塞に戻るまで勝ち続ける。そして、一人でも多くの部下を生きて帰らせる。ボロディン中将が最後に語った指揮官の義務を果たす。

 

「そうだね。なってみせる。俺が勝てるよう、これからも助けてほしい」

「おまかせください」

 

 チュン大佐は笑顔で見事な敬礼をした。俺も笑顔を作って敬礼を返す。方針を決めて指示を出すのは指揮官、各部隊に説明を添えて詳細を伝達するのは参謀長。良い参謀長を得なければ、勝てる指揮官にはなれない。チュン大佐が参謀長でいてくれるなら、きっと俺は勝てる指揮官になれる。そう思った。


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