ライオンはネズミの力が分からない。
故に加減なんて出来ず。
だからこそ、強い筈の彼女こそが触れるのに臆病になってしまうのだった。
星の綺麗な夜空の下。煌めく星々を見上げながら、小鍛治健夜はその輝きに懐かしさを覚える。
久しぶりの長野で迎えた夜。街の中で蝉の鳴き声を聞きながら、健夜は緊張からその手をぎゅっと握る。
友達との旅行に長野を選んだのは、間違いとは思わない。けれどもいざ独りになってつい、彼の元へ連絡してしまったのはどうなのだろうと彼女は思う。
避けていたのは自分なのに、今となって。そんな風にベンチに座りながら健夜は悩んでいると、ふと声がかけられた。
「健夜さん、迎えに来たよ」
振り向くとそこに居たのは見違えるほどの長駆に、懐かしい金色の髪を年相応に整えている彼の姿が。
思わず考えていた全てを忘れて笑顔になって健夜は彼、京太郎へと饒舌に話しかける。
「京太郎くん、ありがとう。いやー……こーこちゃんたら酷いよね。私を置いてっちゃうんだもの」
「福与さん、急な仕事が入ったんだって?」
「そう。ごめんねって急いでタクシー乗って行っちゃったけど……でもその後一人寂しく帰ろうとしたら、近くに京太郎くんが居たっていうのは不幸中の幸いだったかな?」
「俺としては単純にラッキーだったかな。健夜さんと二人きりって相当に久しぶりだからさ」
「そうだねー……」
立ち上がり、二人並ぶ。そしてどちらがというわけでもなく、揃って彼らは歩き出した。
まるで遠いあの日の何時ものように、健夜と京太郎は並んで帰る。
そんな昔と変わらない今に、くすりとする健夜。何となく、彼女は星空が先より近くに感じられた。
そして、彼女は今まで京太郎から逃げていた自分のことを情けなく思い、勇気を出して言葉を紡ぐ。声が震えはしなかったと、思いたい。
「そういえば京太郎くんはもう、健夜お姉ちゃん、って呼んでくれないの?」
「……流石にそれは恥ずかしいな」
「そっかー……もうおっきいもんね。身長なんて私とこんなに違うし」
「俺からしたら、健夜さんが年をとって小さくなったようにも感じるな」
「なっ! 京太郎くん私、まだアラサーだからね!」
しかし、そんな小さな勇気は当たり前のように京太郎に優しく包み込まれた。
むしろ、気を遣ったのかどうなのか、ふざけられまでしてしまう始末。年齢のことをからかわれるのは業腹だったが、しかしその柔らかな眼差しの前にはどうしても怒りは続かない。
だから、ここで健夜は舞い上がっていることを自覚する。そして、冷静になるためにも息を吸って吐いた。
ふと、十年前と少し様変わりした帰り路に、あの日あんなに恐ろしいものを見たような目をしていた彼と、今共にあれるおかしさを思い出す。
「京太郎くん」
ただの親戚の子供。しかし自分の中の特別な位置にも居る彼に、健夜は問う。
「私のこと、怖くないの?」
そう、少年とためしにやってみた麻雀の対局ともいえないお遊び。
そこで深き力の断崖を示し、生まれてはじめて恐れられてしまった健夜は、もう一度彼に怖がられるのが、怖い。
「はぁ……」
まるで乞うような下からの視線。初恋の彼女の涙目に、京太郎は少しぐらりとする気持ちを覚えた。
グランドマスターなんて言われても、こんな愛らしいところは変わっていないのだな、と考えながら彼はまた自分の中の想いの変わらなさにも気づく。
しかし、と京太郎は微笑む。変わらないものはあっても、十年も経てば変化なんて沢山にあって然るべきもの。
十年前まで夏休みになるたび避暑にやって来ていた健夜と共によく行っていた駄菓子屋は潰れてしまった。
かと思えば、須賀家には数年前からカピバラという家族が増えたりもしている。
そして、小さな頃テーブルゲームが好きだった京太郎はそのうち身体を動かすことにハマり、そうして怖くても忘れられなかった麻雀に再び取り組むようになっていた。
深淵を覗いて、その闇は愛せなかった。けれども。
「怖いわけあるもんか。健夜さんは、俺の憧れだよ」
「京太郎くん……」
その深みにのめり込む。そんなことだってあるのだろう。健気にも恐れを呑み込みながら、少年は笑んだ。
確かに、壊れそうになった。一時、牌に触れることだって出来なくなったのも間違いない。
それでも、何時だって京太郎は遠く飛躍していく健夜の凄さを追いかけていた。実際のところはやりのおもちに惹かれたこともあったが、まあそれはご愛嬌か。
とにかく、彼は恐怖とともに、健夜という存在が忘れられなかったのだ。
何時か内気な少女を助けたのも、ハンドボールを一度の挫折で辞めてしまったくらいにのめり込んでいたのも、健夜の影を追い、少しでも近寄りたかったから。
そして、再び牌を掴んだのも。それも全て。
「俺は何時かさ。こうしているだけじゃなくて、本当の意味で健夜さんの隣に並びたいんだ」
「それは……」
「分かってるって。そんなことが俺に無理だってことくらい。咲……まあ、本物の才能を持っているやつが身近にいるから、これより上の健夜さんになんて敵わないだろうなって思うよ」
「なら」
「でもさ」
そこで、京太郎は言葉を区切る。そして心配そうに見上げる健夜に茶目っ気たっぷりの笑顔を見せて、彼は言うのだった。
「福与さんのネット配信見たよ。未だに健夜さん、寝間着ジャージなのな」
「あ、あれは……うぅ、恨むよこーこちゃん……」
「ま、そんなことはどうでもいいんだけれどさ」
「どうでもいい? そんなこと!?」
唐突に友だちがやって来たと思ったら寝間着を全世界配信されていたというトラウマを思い出させられた健夜は慌てる。
そんな彼女の珍しくもない姿を見ながら、京太郎は続けた。
「アレをみて思い出したよ。健夜さんは麻雀は冗談みたいに強いけれど、それでも普段は結構駄目だったりする人だった」
「うう……京太郎くんの前だと格好つけてたつもりだったんだけど……」
「だからさ。俺はせめて、健夜さんを支えられる人間になりたいんだ」
「……え?」
驚く健夜。それに、今までずっと会いもしないのにこんなの言うのは重いかもしれないけどさ、と零しながら京太郎は言う。
「怖くなんてあるわけないよ。俺は、健夜さんのことが好きなんだから」
そうして、まっすぐに彼は彼女を見た。健夜はその瞳の中に、輝く星を見る。きらきらと夢に瞬く想い、それを受け取り。
「あ。う、うぅ……」
彼女は耐えられなかった。辛かった。泣きたくなるくらいに、そんな健気さが愛おしくって。
怖がらせてしまって、怖かった。そして、これ以上怖がらせて傷つくのは嫌で逃げて回って。
そんな、あんなに恐ろしい思いをさせてしまった彼が、それを克己して、自分を愛してくれるなんて嘘みたいなことで。
「信じ、られないよぉ……」
泣き崩れる健夜に、京太郎は怖じずに一歩近寄って。
「大丈夫。俺は怖くないから」
そうしてあの日の怖がる自分を怖がる少女を抱きしめた。
ライオンはネズミの力が分からない。ネズミはライオンの力が信じられない。
でも、そんな二人であっても、想い合うことは出来るのかもしれなかった。
次のカップリングは誰がいいでしょうか?
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京照
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京淡
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京咲
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京桃
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それ以外