最近随分と忙しなくなってしまったのもありまして、中々筆の進みが悪かったのです。
更には続きを書くと言ってもどれがいいだろうとうじうじ悩んでいたので、もう10面ダイスさんに頼ることにしました!
いつものやつですね……それでコロコロしたところ出たのは0!
つまり10話の京はやということになったのですねー。
急ぎ書いてみましたが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです!
いち足すいちは、に。そんな子供でも出来る計算を間違えた。
ならもう間違えないとすることは、正しい。
とはいえ、そんな学びの切っ先でのつまづきなんて、子供心が忘れてしまうもの。楽しみに進む気持ちが、後悔を糧へと変えていく。
聡明で天才、とすら言えたその女性にとっては忘却しきった、靴の底。大事な大事な立脚点でしかないのだろう。
「うーん……」
しかし、ちょっと立ち止まってしまった大人が恋愛の初っ端でやらかしてしまったとしたら、中々前へと進めなくなってしまうのかもしれなかった。
牌のおねえさんとしてのトレードマークのツーサイドアップにずっとまとめている髪は、解いたところで多少の癖が残る。
それを気にして弄る指はか細くも円かだった。
今更になって、今まで自分がやってきた彼へのアピールの拙さに気づいた瑞原はやりは、まだ子供と言っていい年頃の友達に向かって話し出す。
「ねえ、咲ちゃん」
「なんですか?」
「あのね。はやりはね、ずっと私なんて京太郎くんの彼女さんにはふさわしくないと思ってたの」
「……それは、ちょっと勝手ですね」
「あはっ☆ そうだよね。たとえそうでも京太郎くんは好きでいてくれるのに、それでも彼のことが好きで好きで仕方ないのに、怖がっちゃって」
ぼうと過去を望むようにはやりは上を向く。そこには、古びた天井があるばかりだが、しかしセピア色はどうにも心を乗せるに易い。
しばらく彼女がそうしている様子を、同じこたつに入り込んでみかん山盛りの天板に顎を安堵させている咲は見つめた。
はやりは、まるで高校生の自分よりも童顔にすら思えるほどの愛らしい女性だ。そして得意をぶつけ合ったところで敵わない、尊敬すべき先達。
また、たまたま京太郎の家に遊びに行って会った時に、彼との関係も語らずに誤魔化したずるい人でもあった。
そしてすったもんだを乗り越えた今。すっかり仲良くなった茶目っ気溢れる大人の女の人が、こんなに気弱にしているなんてつまらない。
「はぁ」
ため息ひとつ。咲は勝手知ったる須賀家の空気をたっぷり吸い込んでから、語り出した。
「京ちゃんは、スケベでバカな、ただの男子高校生ですよ? はやりさんと比べちゃったらそれこそ凄いところなんて見つからないくらいに普通です」
「はや……」
思うは、好きな彼のこと。それが罵言に近くなってしまうのは、親しさ故のことだったろうか。
それを、仲違いでもしたのかと勘違いして心配そうにこちらを見つめるはやりの鳶色の瞳に、咲は微笑みを返す。
子供を諭すように、彼女は言った。
「だから……怖がらなくていいんです。むしろ京ちゃんは意外と怖がりだから、親しくなった後はこっちから行かないとダメなんですよ?」
「えっと。でもはやりが押しても京太郎くんはむしろ引いちゃってたけど……」
「それは、はやりさんが勘違いしていたからですっ! あんな物量で圧倒するのは間違ったやり方ですからね!」
「わっ☆ ……どうしたの、咲ちゃん?」
「いえ。ただ段ボール箱何箱か分からなくなるくらいの量送られたプレゼントを家に運ぶのを、偶々近くに居たからって京ちゃんに手伝わされたことを思い出しただけですー」
「あわわっ☆ あの時はごめんねっ」
差出人瑞原はやり。そんな段ボール箱が無数に。そして牌譜や教本が詰まった一つ一つはなかなかの重さ。
愛の物理的な重さに困っていた京太郎の手伝いをしたことを、後悔と共に思い出した咲の表情は苦い。頬を膨らませ、ぷんとするのだった。
「……ふふ」
けれども、そんな苦ばかりがこの真っ直ぐな女の人からもたらされる訳ではない。
エンターテイナーとしてではなく、ただの人間としてのはやりの柔らかなところに触れた覚えのある咲は、彼女を嫌うことなんて出来なかった。
だから、ただそっぽを向いただけで絶望的な表情をする大人の素直さを笑ってから、本当の気持ちを口にする。
宮永咲は、好きな人が好きな人と幸せになることが、本当に良いことだとやっと信じられるようになったから。
「はやりさん。あなたはただ……好きって、そう言うだけで良いんだと思います」
「でも……」
好き。それは本当のこと。けれども、この恋は果たして口に出したら嘘になる。
だって、そんな二言ばかりではとても足りない。もっと熱いものが、心の奥でたぎっているのに。
そんな悔しい思いと照れ。そのせいではやりには殊の外想いを伝えることが難しいのだ。
けれど、それを察しながら、咲は静かに言うのだった。
「だってそれは、私が出来なかったことですから。……でも、はやりさんは出来たんです。自信を持って下さい」
そう。宮永咲は、ずっと須賀京太郎のことが好きだった。はやりよりもずっと早くに恋をしてきたのだ。
けれども、ずっと怖がっていた。咲は自分は彼のタイプじゃないとか、本当に彼のことが好きなんだろうかと言い訳ばかりして、逃げていたのだ。
そして、成就しなかった恋がある。だから、応援したい恋がある。
微笑む咲に、はやりは。
「うん。分かった!」
ただ、やっと輝くような笑顔を見せることが出来たのだった。
「京太郎くん好きだよ☆ 大好き☆」
「うおっ、どうしたんですか急に」
「急に、じゃないよっ☆ ずっと好きだったの!」
甘い匂いに、柔らかな感触。どう我慢したところで頬が緩んでしまうそれを受けながら、京太郎は縋るはやりを抱きしめ返すことを迷う。
本当に、どうしてしまったのだと思って。
何しろ、一人ペットのカピバラの餌を買いに出かけてくるその前までアンニュイな雰囲気を彼女は醸し出してた。
能天気にも見えるはやりとて思い耽ることだってあるだろうし、これはこれで愛らしいと思っていた京太郎だが、しかし帰ってくるなりハグである。
その元気さについていけず、助け手を探す青年。しかし、先程まで一緒にのんびりしていたはずの、ぽんこつ幼馴染の姿が見当たらない。思わず京太郎はつぶやいた。
「えっと、あ。咲はどこに……」
「むぅっ。今は咲ちゃんじゃなくてはやりを見て☆」
「うおっ、どうしちゃったんだ、はやりさん……」
そして、余計な考えで、更にはやりのこころに火がついてしまう。甘々な雰囲気に、京太郎は怖じる。
ちなみに咲は、こたつの中で楽しんで空にしたみかんの皮を十段重ねにして捨ててから、京太郎が帰ってくる前に去っている。
彼女はきっと、はやりがこうなることが分かっていたのだろう。そして、こんな空気の中放って置かれたら砂糖を吐くのが自然の流れ。咲が黙って帰ったのは賢明な判断だった。
「ふふ☆ 私はね。ずっとどうかしちゃってるよ?」
「えっと?」
「キミに、恋しちゃってる☆」
はやりは、はにかんだ。怖い気持ちを、奥歯に力を入れることでやっつけて。
恋に落ちるのが音で聞こえないならば、果たしてどうやって確かめればいいのだろう。
そして、この胸元で燃える想いは、一体どうすればいいのか。
「そう――――瑞原はやりは今、京太郎くんに愛されたくて生きてるの。そんなの間違ってるよね? でも、それが私の答えなんだ☆」
その答えのひとつが、愛言葉。想いは伝えるものでもあるのだから。熱に浮かされた、間違い。けれどもそれだって本気。
そして、想いに想いを返したくなるのも、愛の常。火は、移る。
「あ☆」
「はやりさん」
京太郎は、愛おしくてたまらない彼女を抱きしめて、愛言葉を返す。
「俺は、自分が足りていないのが怖いです。でも――そんなことよりもずっと、俺ははやりさんを愛したいのだと、気づきました」
いざ抱いてみれば柔っこくてどうも頼りない、けれども人々を楽しませて元気にしようとして叶えてきた彼女。
そんな、尊いものをただの学生でしかない自分が手にして良いのかと、京太郎はずっと悩んでいた。でも、それも終わりだ。
眼と眼を合わせ、心より想いを告げようと彼は口を開き。
「だから――むぅっ」
とても艷やかで温いもので、黙らせられた。
そしてしばらく。糸を残した合間すら惜しむように、彼女は。
「京太郎くんって、美味しいんだね☆」
はじめて知ったよ、と戯けるのだった。
いち足すいちは、に。
でも好きあった二人はもう、ひとつ。
はやりはようやく、そんなあたりまえを理解できたようだった。