でも次回③で終わりですー。次こそ早めを目指しますね!
この後ヤンデレ白糸台③を投稿した次には京恭ですので、お待ち下さいー。
自分も中々終わりが見えないことにひーひー言っていますが、頑張ります!
菫さん
弘世家、といえば東京、いいや全国でも指折りの名家である。
家が大きい、土地が広いは当たり前。その豪奢の全てが、静に沈んでいる。和に倣っているわけではなく、弘世家が和の代表。そう思ってしまうくらいに格式高い一族の一人として、弘世菫は生まれた。
いわゆる、お嬢様。しかし、本人は特にそれを嫌いもせずに受け止めて、そこらに蔓延る普通一般にも習った。向上心の高さに、深い度量。それによって、菫は誰からも一目置かれるようになった。
見目の整いを心がけてみれば、あっという間に幼い華となる。習い事では抜きんでるまで励み、特に得意のアーチェリーに至っては大会で負けなし。
そんな菫は勉学だって当たり前に行うことの一つ。辛くもなければ楽しさこそ勝り、そのお陰かガリガリ学ばずとも花丸だらけの答案と馴染めた。
それでいて、普通を劣りと思わず認める器。それを多くが優しさと捉え、殊更周囲の女子は熱狂する。流石にファンクラブまでが出来てしまっては菫も眉をひそめたが、それくらい。
基本的に、菫は百点満点を出し続け、険を作らず過ごしていた。
「菫ちゃんって、アホだな」
「え?」
だがしかし、それこそが間違いだと、少年は言うのだった。
「上品、と言うには少し贅が過ぎるな」
様式に合わせ、久々にドレスに身を包みながら、菫はそんな風に呟く。サテンのドレスは、彼女の未発達の身じろぎに合わせて、滑らかに揺れた。
パーティに慣れきった喜色のない子供。それで口を開けばこれでは、まことにかわいげがないものだろうと思う。だが、どうしたって無駄に育ちきった審美眼が、この場の華美にバツをつけるのだ。
財閥として有名な龍門渕。その娘の誕生パーティという名目のお披露目兼社交練習場。
その表層、資本の多寡でいえば日本でも随一の一族の誇りをかけた上質な飾りにすら、しかしどうにも菫は洗練されていない野暮ったさを感じてしまう。
絢爛豪華。しかしそこには飾らなければいけないそのままの自己に対する自信の薄さが透けて見えてしまった。
「ふぅ。こう思うのは、驕っているようで良くないな……」
菫は果実の唇から、小さく溜息を吐く。そして龍門渕は何もかもが半端だと、そう評した先日の祖父の言葉を思い出す。
財閥の系譜とはいえ、歴史が足りない。黄金にすら最早洒脱さを見いだせない、そんなレベルの大家ですら弘世家のこの国に張った根の深さと比べればもの足りなかった。
無意識に、そんな家の子であることの誇りが出てしまい、恥じる菫。これは頭を冷やさなければ、と彼女は財界の魑魅魍魎達とにこやかに会話を続ける両親から離れた。
流石に訓練されているために、子供の自分すら見逃さずに都度避けてくれる給仕たちに道を譲られながら、大人達の会談の谷間を歩む。
「っと」
「あ、ごめん!」
そして、安堵しきった菫は突如大人達の間から表れた少年にぶつかりかける。急なことであったが、持ち前の運動神経で菫が反応し、ぼうっとしていた男子も良い反応をみせたことで何事もなかった。
とはいえ、明らかに上等な年上女子に衝突しかけるなんて、あまりに気が抜けたことだと反省した少年は疾く頭を下げる。
そんな彼に、菫は微笑んで言葉をかけた。
「なに、お互い何もなかったことだ。悪いことなんて何一つ起きてもいないというのに、君が頭を下げることはないよ」
「あ……そっか、ありがとう」
下がった金の頭は再びぴょんと持ち上がり、彼は笑顔を見せる。
少年の顔に見覚えはない。その金の毛髪に龍門渕との繋がりが伺えるが、それくらい。菫も見ず知らずに優しくするのは得意だが、もっとも必要以上にすることはない。
とはいえ、その笑顔は人を見るのに長けた菫であっても素敵に思えたので、彼女も倣って微笑むのだった。
「うん。笑顔の方が好ましいな。私は弘世菫」
「菫ちゃん、か。俺は須賀京太郎っていうんだ」
「そうか……なあ、京太郎。君が良かったら一緒に会場を見て回らないか?」
「いいの?」
「ああ、一人ではつまらなかったからね」
涼しげに菫は話したが、しかしつまらなかったというのは本当のことだ。
何しろ、先に語らった龍門渕の一人娘は子供に過ぎた。必死に自分と背比べをしようとし続ける者の相手をするのは疲れるものだ。
そして、それが終わってみれば可愛がるフリをして近寄ってくる大人共の相手を笑顔で務めるばかり。これには菫も少し面白みのなさを感じてしまうのも仕方ない。だからこそ彼女は表裏のない様子の京太郎を伴に選んで、しばらく暇を潰そうとしていた。
「あら、
「貴女は……」
しかし、そこに現れたは、パーティの花。品を捨てて足早にやって来た主役に、周囲はざわめく。
そう。社交のいろはを教わったばかりの龍門渕透華は、そんなものを投げ捨てて菫のもとへとやって来たのだった。
そして、その目的は彼女の言から分かるように、勿論。
「透華おねーちゃん」
「京太郎! お久しぶりですわ! 元気でしたか?」
「うん。透華おねーちゃんも元気?」
「もっちろんですわ! 衣は寂しがっていましたが、私はこれっぽっちも京太郎と中々会えないことを寂しがっていたりなんて……」
べったり。京太郎にくっつく透華を見た菫は、なるほど関係性においてそういう言葉はこういう様態に使われるべきものなのだな、と理解できた。
それほどまでに、場を忘れた粘度。肌がくっつきかねない程の距離に、少女は遠慮なく寄っていた。そして、険を持って龍門渕透華は弘世菫を見つめる。
これは、自分が厄介な
「これは知らないとはいえ、少しお邪魔だったかな? では私は……」
「あら、菫さんお待ちになって。これでも私、貴女を邪険にするつもりはありませんわよ?」
「そうだよ菫ちゃん。俺たちと一緒に話そーぜ?」
白々しい言葉と、笑顔の本音。あまりにあからさま過ぎるその様子に、彼らがあまりに擦れていないことに首を傾げたくもなる。
正直なところもうこの二人に関わり合いになりたくなかったが、しかし表面上とはいえ場の主役に留め置かれてしまってはどうしようもない。
菫は、ため息を飲み込んだ。
「ああ、そうだな。少し一緒させてもらおうか」
そして、少女は笑顔を仮面として、腹をくくるのだった。
須賀の家は、龍門渕の傍流。とはいえ、須賀家は当時弘世家も注視していた先端分野にて頭一つ抜けた成果を出している会社の代表を務めてもいた。
父が社長。幼き京太郎もそういう認識くらいは持っていたそうだ。しかし、それだけでしかない、とも言えたが。
酔狂にも、あまりに普通の子として育てられたお坊ちゃんである京太郎は、何時かバカ正直に本家龍門渕の問題に顔を突っ込んで手を伸ばし、その全てをぶち壊しにしたのだそうだ。
語る透華の言葉があまりに称賛に偏っていたために不確かだったが、そんなことをパーティの残り時間の殆どを使って語られた。
そして、後。
「うーん……京太郎ー……」
「透華おねーちゃん、寝ちゃったね」
「その、ようだな……」
三々五々、お開きになり始めた中で確りと寝入る透華のその手は二人と結ばれていた。
なんだかんだ、初めての社交の場ということで気疲れしていたのだろう、ぐっすりしてしまったのもパーティが終わったということで緊張の糸が切れてしまったが故だというのは菫も理解出来る。
しかし、それにしてもどうして私の手をも握ったまま寝入ってしまったのだと、菫も文句の一つでも言いたくなった。
だがまあ、衆人環視でそんなことを口にしてしまうのは、上手いことではない。だから努めて黙っていると、きょとんとした京太郎が言った。
「ん? 菫ちゃんって、こういうの嫌だったか?」
「いや……」
正直に、嫌と言えたらどれだけ楽だろうと、菫も思う。しかし、減点を恐れる彼女には子守をすら嫌ともいえない。
静かに首を横に振る、菫。そんな彼女を見た京太郎は。
「菫ちゃんって、アホだな」
「え?」
あっけらかんと、そう言うのだった。京太郎は優しく笑みを作ってから、続ける。
「嫌なら嫌って言って良いんだよ? 窮屈だったら言って良いんだって。――――皆が皆菫ちゃんみたいに頭いいわけじゃないんだから、言わなきゃ分かんないからさ」
「お前は……」
途端、優しさの前で菫は分からなくなる。
お利口こそ、優れた処世術。それを信じて満点をばかり貰っていた菫。
けれども、そのための我慢をアホらしいと彼は言った。そんな文句に、ぐうの音も出ない自分に気づいた菫は愕然とする。
自分に素直なだけで、磨かれてもいない。しかしなるほど、これは。
「大器、だな」
「おじい、様……」
それを眺めていたばかりの老人が、輪から一歩進んで京太郎を一言で語った。
それが自分の祖父であることに気づいた菫はそちらに顔を向けるが。その厳格を前にしたまま、何一つ気負うことなく京太郎は言った。
「たいき? 俺は京太郎って名前だよ、おじいさん」
「ああ、なるほどなあ。ワシの孫娘をよろしくな、京太郎」
「うん!」
そして、平素から眼光一つで大人を震え上がらせる翁をその仕草一つで微笑ませる。
なるほどこれは、見誤っていた。小さいものはどちらだったのか。彼女が今も眠りの中で彼に縋っているその理由もまたよく理解できて。
菫は、吹き出す。
「ふふ、あはははは!」
「菫ちゃん?」
何も分からずに首を傾げる京太郎の前で、菫は思う存分に笑んでから。
「はは……よろしくな、京太郎」
ただ、それだけ言った。
龍門渕透華は、須賀京太郎のことが好きである。
弘世菫もまた、須賀京太郎のことが好きである。
そんなことが広く龍門渕に弘世の家に縁のある家々に知れ渡るのに時間はかからなかった。そして、両家が本気で彼を囲おうとする動きもまた、迅速極まりないものだったのだ。
「え? 婚約? そんなの俺には早すぎるって! しかも相手透華おねーちゃんに菫ちゃんって……俺たちが仲良くしてるからってなんでもくっつけようとすんなよなー、大人たち」
しかし、どうにも世間とズレている京太郎はそんな本気を本気にすることなんてなかった。京太郎は須賀京太郎のまま、年上彼女たちと親しむ。
「京太郎! 誕生日プレゼントですわ! その、プレゼントは……わた」
「あ、透華おねーちゃんも来たんだ。いや、ついさっき菫ちゃんが来てさ」
「失礼している……それにしてもプレゼントがどうのこうの言っていたが……そのまるでラッピングされているかのような衣装はひょっとして?」
「な、なんでもありませんわー! 私を京太郎に貰ってもらおうなんていう魂胆なんて、ありませんの!」
「あ、解けた」
「脱げたな……」
「きゃあっ、二人共凝視しないで下さいな!」
大人しく言祝ぐよりもと、京太郎は菫に透華に全面の親愛を受ける。
「よしっ。折角だし、皆で遊ぼうぜ!」
「……仕方ないな」
「ま、待ってくださいまし! せめて運動できるような格好に……きゃ、いつの間にか服が替わって……ハギヨシ、ナイスですわ」
そして、次第に彼らの喜色は飛び跳ねた。
遊び戯れることこそ子供の全力。得意と得意を擦れあわせ、三人はきゃきゃあ高い音色を響かせる。
「はは……楽しいな」
そんな稚さの中で、微笑むこと。そのあまりの楽しさをはじめて知って、ますます彼女は彼に傾倒することとなった。
「やあ、菫……さん」
「ん? どうした京太郎? 私のことは前のようにちゃん付けでも良いんだぞ?」
「いやさ……最近ハンドボールのクラブチームに入ってさ。上下関係っての教わったんだよ」
「だから、二つも年上の私に礼儀を払わなければと思ったのか? なら、それは間違いだ」
「間違い?」
「なに、私と京太郎との仲には親愛以外が入る余地なんてないさ。むしろ、もっと私に寄りかかれ」
「うわぁ、菫ちゃんめちゃ格好いいな。流石はふた桁もファンが居るだけはあるなあ」
「お前は口が裂けても私を可愛らしいとは言えないのか……あと、ファンは最近三桁になったようだな……」
「おぉ……」
そんな中、どうにも先達として立ちたがる菫に京太郎が気を引かせることがありもしたが、それも一言で解消。
嫌に女性人気がありすぎる、そんな菫のどうしようという本気の相談を京太郎が聴いたりもした。
「差し入れを断るのも大変でな……断るのは一言でいいが、彼女らの手作りの苦労を思うと心苦しい」
「あのさ。前にも言ったけどさ……そもそも付き纏われるの嫌だったら止めろって言ってもいいんだぞ? 人を想うってのも限度があるって。菫ちゃんって嫌でも平気な顔してることあるからさ、心配だ」
「……そう見えるか?」
「好きなことだけしろとは言わないけどなぁ……俺は嫌なことに慣れるのも良いことじゃないと思うんだよな。ハンドやっててつくづく思うんだ」
「そうか……嫌なら止める……」
そんな、風にして付かず離れず。周囲から見れば驚くほど奥手な交流は続くのだった。
「にしても、京太郎はヘボだじょ……どうしてあそこでドラの四索が切れたんだじぇ?」
「いや……正直俺も悩んだんだけどさ。チャンタに三色同順があるからもう無理に持ってなくても良いかなって……」
「それで京ちゃん、染谷先輩の清一色に振り込んじゃうんだから……後ろであーってなったよ……」
「染めてたんだって後で気づいたんだよな……正直俺、あの時優希とかの捨て牌とか見てなかったわ」
「染谷先輩もわざとミエミエにやってくれてたのに……やれやれだじぇ」
「マジか……うっわ本当に格好悪いな、俺」
「ふふ。役を作るのに懸命になりすぎてしまうのは初心者にありがちなミスですから、これから気をつけていけばいいと思いますよ?」
「おぉ……俺に優しくしてくれるのは和だけだな……これからもお世話になります、和先生!」
「えっと、先生ですか? それは、その……」
「もう、京ちゃんったら和ちゃんに変なこと言わないの!」
そして、高校に上がり、なんとなく懇意にしている年上女子ふたりがハマっている遊戯に触れることで、京太郎はいち麻雀部員として清澄の地にて日常を謳歌することになる。
どうしてか男子が一向に入ってこない麻雀部にて、京太郎は当たり前の交流を楽しんだ。ここでは金持ちの息子でもハンドのエースでもなく、むしろ曰くただのヘボ。
一般家庭と言いながらカピバラを飼っているということに和あたりには違和感を持たれたが、それくらい。少年はそのまま平凡に浸ることで、大器を忘れる。
「良かったな。京太郎」
勿論、彼女たちはそれを忘れることなんてなかったが。
それは、ある日。
京太郎が麻雀をはじめたということを喜んだ透華が衣ハウス――少女を閉じ込めるような動きはもうなく、ただの遊戯場と化している――にて衣と透華、ハギヨシとで彼から点棒をこれでもかと奪い去った後のこと。
暮れかけの空の下、仲のいい
「京太郎! その……好きですわ!」
「ん? 俺も透華姉ちゃんのことは好きだぞ?」
「鈍感!? いえ、そっちの好きではなくてですね……その、恋愛的な好きといいますか何と言いましょうか……」
「恋愛って……透華姉ちゃん何変なこと言って……」
本当に、変なことだと、京太郎は思う。自分との間には既に確かなものがある。
お互い好きであり、それでいい。それを越えて貪り合うことなんて、はしたないことだ。
そんなことを、京太郎は幼心に誰かに聞いていた。真心に似せた毒。大器はそれを飲み込み、歪んでいた。
受け取りきれずに惑う少年。しかし、想い募らせた少女は頑強。真っ直ぐに、彼女は彼のためにも続ける。
「いいえ、私は決しておかしなことは言っていませんわ。恋愛は京太郎、あなたが思っているよりよっぽど当たり前にあって良いものです。それを否定するのは怖がりというものですわ」
「そう、なのか……」
「ええ。それで京太郎。勇気を出して教えて下さいな。――あなたは誰が、一番好きなのですか?」
「えっと、その……」
少年は、困る。傷つけたくはない。けれども。
どうしてだか
「菫ちゃんだけど」
平らに、まるで嘘のような。けれども、それは本心でもあったのだ。
「はは……」
それを盗み、聴いていた彼女は笑う。
近く、京太郎に対する愛のみを好きとして、それ以外の全てを嫌って捨てた少女は。
「本当に、私はアホだったな」
残骸となってしまった富貴を思い出しながら、ありきたりな涙を一つ零す。
「それでも、私も好きだよ、京太郎」
言葉に震え、ごく小さな居の中彼の画で造られた闇にて、彼女は再び昏く凝った。
尭深さん
渋谷尭深といえば、麻雀の高得点プレイヤーとして有名である。
あの、宮永照の居なくなった白糸台にて大輪を咲かせ、三年時には最多得点記録を更新するに至った、強者。
生来からの大人しさと優しさが溢れる、どこか押しの弱そうな見目に反してのその実力に、ファンはそれなり以上に多い。
とはいえ、それに無自覚でのんびりと過ごしてしまうあたりもまた、らしいといえばそうなのかもしれなかった。
半ば押し付けられるように渡されたファンレターをその手に、困惑した様子で尭深は言う。
「……まさか、バイト先でこんなの貰うなんて思わなかったね」
「いや……尭深先輩なら納得ですよ。なにせこの前も、麻雀雑誌の表紙飾ってましたし。大学生でっていうのあまりないみたいですよ?」
「あれは……宮永先輩が忙しかったみたいだから、その代打。高校の縁でカメラマンさんが知り合いだったから、受けたの」
「いや、プロの代わりになれるっていう時点で凄いことに気づいて下さいよ……」
尭深にとっては見上げる長身である京太郎が、肩を下ろしてがっくり。
美人で、謙虚。長じた部分に無自覚な先輩に、彼はたびたびそのアンバランスさを不安がる。
自己評価があまりに低すぎて、これでは悪い奴だってそれを良いことに関わりを持とうとしかねない。
沸き起こる庇護欲――危なっかしい幼馴染とこの頃随分と疎遠になったためか――をくすぐられた京太郎は、本屋のバイトで偶々顔を合わせた知り合いなだけの少女に構いたがった。
しかし、そんな青年を見て、尭深は口角が上がることを禁じえない。ファンレターを店名がプリントされたエプロンに入れながら、彼女は笑う。
「ふふ……」
「どうしました、尭深先輩?」
「京太郎君って、心配性だなって思って。大丈夫。私だって自分が有名だってくらい分かってるよ?」
「いや……それでは足りないかと」
「足りないの?」
「ええ。それだけじゃなくて、尭深先輩がどれだけ魅力的なのかっていうのもまた……と」
有名の自覚。しかし、それでは足りないと京太郎は熱弁しようとして、ようやく彼も二人の間に失われつつある距離に気づく。
それは、聞くふりをしてどんどんと尭深が寄ってきていたことが原因だ。
柔らかな笑みに、崩れきらない整いが眩しい。吐く息が、互いにかかりそうだ。
これほどまで近寄って気にしないなんてあまりに無防備、とは思う。直ぐに注意したくはあった。だが京太郎も男である。
可愛い女の子をいたずらに突き放すような気にはどうしてもならず、なにも言えずにしばし。沈黙を笑顔で飲み込んだ尭深はそして。
「ふふ……私って、そんなに魅力的?」
そう、言った。
「美味しい?」
「はい! いや、正直お茶の良し悪しはよく分かんないんですけど、尭深先輩に淹れてもらうとなんか……ほっとしますね」
「ふふ……それは良かった」
一人のためのアパートメントに、二人。京太郎は尭深のもてなしを受けて、ほころばせる。
青年の本心からの褒め言葉に、笑みを続ける尭深。じっと彼を見つめる彼女はメガネの曇りすら気にならない。
年離れた妹を郷里に置いて、一人暮らしはちょっとさみしいというそんな言葉。
それを本気にした京太郎は尭深のアパートに顔を出すことをいとわなくなった。はたしてどっちが危なっかしいのか、とは彼女の思いである。
「緑茶って良いですよね……これまでペットボトルでばっかりでしたけど、尭深先輩の注いだのを呑んだらなぁ。うーん……後で急須買おうかな?」
「良かったら、お家から持ってきたお古があるんだけれど……どう?」
「良いんですか? いや、でも……」
「ううん。使わないのは勿体ないから。それに、どうせ安物」
「そう、ですか……なら」
「ん」
短い返事を置いてから、とたとたと歩んで奥に消えた尭深はそのままごそりごそりと、戸棚を漁りだす。
尭深には趣味が四つある。麻雀に読書に園芸。そして、お茶入れだ。
麻雀が殊更達者であるが、それ以外の趣味もどれも熱たっぷりに入れ込んだもの。
高校時代それらの趣味は、メガネを友にするくらいにのめり込んだ読書は少しポンコツな先輩との話の種になったし、唯一の日を浴びる趣味の園芸はそのため虫に慣れていたがためによく同級の少女の趣味である釣りに連れて行かれる原因となった。
「ぐぅ……」
「ふふ」
そして。今回も趣味のお茶入れは働くこととなった。どうしてこの後輩は、お茶を呑む度に寝入ってしまうおかしさに気づかないのだろうと、尭深は微笑む。
そう、京太郎は尭深の家でぐっすり。ソファに倒れ込んでよだれを垂らしている。その前のテーブルに探し出した、二桁万円はする茶器をそっと置いてから、彼女は彼に顔を寄せる。
「ん」
そのまま、尭深は京太郎に口づけた。そして、口の端に流れる液の後を這わせるように彼女は舌で撫で、もう一度唇に唇を寄せる。
そしてそのまま口内に舌を入れた。
「んぅ」
舐る。いやむしろ食むような勢いで彼女は彼を味わった。
しかし、どうしようもなくそれは柔らか。花を弄るような愛を持って尭深は京太郎を愛する。触れる離れる、その程度の快感ばかりで決して達さない。
「はぁ……」
だからこそ、これ以上はとてもではないが了承のない今ではとても出来やしないのだ。
もっと己を刻んでみたい。でもしかし。そんな葛藤は彼の呑気な寝姿にて急速に収まっていく。
「……ちょっと、苦い」
唇をぺろり。彼にあげた茶の苦さを味わって、尭深は再び微笑んだ。
ああ、可愛い。食べちゃいたいな。
そんな想いは決して口から出ない。
「っ……うわっ、ひょっとしてまた俺、寝てました?」
「うん。ぐっすり。……バイト帰りだったし、きっと疲れてたんじゃないかな?」
「それなら、尭深先輩も同じじゃないですか……うわ、情けないな、俺。体力どんだけ落ちてんだよ……最近多いな、こういうの」
起き抜けに、全身のダルさを覚えながら落ち込む京太郎。微笑む尭深はその横で、もう少し頻度を落とさないといけないかなと冷静に考える。
それもそうである。未だ彼に感情の芽しかなければ、収穫には程遠い。拙速にも少し味見してはいるが、しかしそれで鮮度を落としてはいけないのだ。
恋愛。それは尭深にとって花ではない。糧、なのである。だからこそ、彼女にとって彼は必要なものだった。
そっと急須を入れた袋を胸元に持って京太郎に寄りながら、尭深は言う。
「情けなくてもいいよ」
「そうですか? いや、流石に迷惑ばかりかけて申し訳ないなと……」
「迷惑をかけても、いいよ」
「そんな……」
懐の深さにますます恐縮する京太郎。そんな彼に、尭深は。
「それまでどんな労があったって、収穫は喜びでしかないから」
ほそくほそく、目を細めてじっと見つめながら、そう微笑むようにして真顔で言うのだった。
花枯れた後に、実はつけるもの。それをもぎ取ることは彼女にとって。