境界線上の守り刀   作:陽紅

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七章 刀、悩まず 【朱】

 

 

 右を見る。赤いフィルターを通しているみたいな、ちぃと不気味な町並み。

 

 左を見る。赤い……あー、面倒くさいな。同上同上。

 

 後ろ。同上、まぁ、通ってきた場所じゃあない、ってことは確かさね。

 

 前。略。

 

 

 

「……はぁ、こりゃあもしかしなくても、『厄介事』ってやつなのかねぇ?」

 

 

 ……特に期待してない返事もなし、と。直政は、肺を空にする勢いでため息を吐き出す。

 朝に喜美に叩き起こされて、ほかの面々に引っ張られて押されて、その結果がこれである。祭りの出店で買い食いも、冷やかしすらできていない。

 

 実質通り練り歩いて、わずらわしい男連中に見られただけだ。ガチで寝てりゃよかったかねぇ、という呟きも致し方ないだろう。

 

 

(ったく……こんなガサツな女のどこがいいんだが)

 

 

 ──客観的に見て、自分は『女らしい』からかけ離れている女であると直政は自認している。

 

 性格的に、お洒落だのなんだのが苦手だ。化粧だ何だの時間があるなら寝てたいし、石鹸でも香水でもどうしようもない機械油の匂いは、とうの昔に諦めている。

 

 そういった方面では、梅組のほかの女衆に圧倒的に負けているだろう。化粧品の類を一つも持っていないと正直に言った時は、一同から信じられないものを見るような目で見られたのも記憶に新しい。

 

 

 

(……男好かれ、しようもないさね。こりゃ)

 

 

 寝る前に湯を浴びてそれなりに洗ったというのに、鼻を近づければ微かに機械油のにおいがする。直政は慣れているからそうでもないが、まず嗅いで良い顔はしないだろう。

 

 

(女らしくもなし、化粧っ気もなし。終いにゃ匂いも……ってか)

 

 

 いやになる。自分の女っ気の無さに……ではなく、どうにもマイナスに向きがちになってしまった考え方に。

 

 直政はどうにもあれ……嫌気の大罪をやられて以来、気分が沈みがちになっていた。大罪の効果などはとっくに切れてるだろうにも関わらず──芯のあたりが、ズンと重かった。

 

 みんなでいる時はそうでもないのだが、一人でいるとらしくもなく考え込んでしまう。しかも……その方向は、決まって後ろ向きだ。

 

 そしてまた後ろ向きに考えが進もうとして──頭を振って、それどころではないと意識を変える。

 

 

(ウジウジしてる場合でもないか……しかし、ものの見事に分断されてるさね……どうするか)

 

 

 町並みは英国、祭りの最中だというのに人っ子一人いない。普通に考えて、英国の連中が結界でも張って自分たちを引き込んだ、とほぼ正解の予測を直政は立てる。

 

 大穴で異世界召喚、という、トーリや点蔵たちが中等部二年のころに喚いてたあれを思い出し……即座にないない、と一人首を振ってた。

 

 

「ふぅ──」

 

 

 銜えていただけのキセルに火を入れて、一吸い。

 メンソールだから匂い云々はうるさく言われないが、それでも『人ごみだから』と控えてた。人ごみじゃないなら、遠慮はいらないとばかりに大きく吸いこみ、紫煙を吐き出す。

 

 

 ……メンソールが、良い具合に頭をスッキリさせた。

 

 

(──個別に分けた、ってことは、十中八九『各個撃破』が相手の狙い……やばいね。何人か弱体化の上に白兵戦は不得手ってのもいるよな)

 

 一緒にいたナルゼ。そして、聞いた話ではあるが、正純もこの祭りに来てるらしい。片や戦力が激減している特務で、片やそもそも戦力ですらない副会長だ。

 かなりやばいだろう。

 

 ──智や喜美は心配するだけ無駄、と早々に切り捨て。ミトのやつが変に気負って気張ってなけりゃいいが、と心配し。

 

 

 

「やれやれ……人の心配より、自分の心配をしろってね」

 

 

 ……第六特務、それが直政の役職。

 そして、武蔵の武神乗りでありながら、その地摺朱雀(武神)から引き離されてしまった、絶賛戦闘能力激減中の一人だ。

 

 

 

(止めの字たちとの稽古で、多少の体術格闘も出来るちゃあ出来るが……)

 

 

 ──クキュウ……。

 

 

「……せめて、なにかしら軽く食っとくんだったねぇ」

 

 

 ああ、一人でよかったさね、聞かれずにすんだ……こんなことなら昨日の晩、面倒くさがらずにちゃんと食っときゃよかったか……と、一人反省とも後悔とも取れる表情で、いつもより細めの腹を摩る。

 

 

(意図せず兵糧攻めかい……ずいぶんと情けないさね)

 

 

 ……ある程度戦えるとはいえ、精々護身用の延長線。純粋な戦闘系に来られたら厳しい。崩しや投げといった、至近距離でしかやり様がないから、戦種によっては一方的にやられる可能性だってある。

 逃げるにしても、正直数時間かそこらで限界が来るだろう。第一、どこへどれだけ逃げればいいのかすら皆目検討も付かないときていた。

 

 ──通神は案の定つながらないから、助けも呼べない。

 

 

(……アサマチあたりが何かしら動いているとは思うが……それが間に合ってくれるって考えるのは、ちと楽観が過ぎるさね……ちとキツイが、持久戦に持ち込むしかないか)

 

 

 運がいい──というのも変だろうが、直政の相手はまだ来てない。

 身を隠すなり、場所を変えるなり。今のうちにいろいろできるだろう。

 

 

「(そうと決まれば、即行動ってな)……にしても、腹減ったね……」

 

 

 そんな、独り言を呟いて。

 

 

 

 

 

   「なんだよ、腹減りか? ──食うかい? ドーナツで悪ぃけど」

 

 

 

 

 

 ──返事が、返ってきた。

 

 

 

 

 

 声のした方向……通りの向こうから、のんびりと歩いてくるのは……赤い世界でやけに映える、どこか優しげにも見える──『緑色』。

 

 直政は機関部を通してではあるが、『艦』という乗り物に携わっている。

 だからこそ、知っていた。当然のように。

 

 

 

「──グレイス、オマリ?」

 

「Tes.……とでも返しておこうか。武蔵アリアダスト教導院、総長連合第六特務の直政」

 

 

 

 ……英国には、()()の女王がいる。一人は当然、英国の頂点こと、妖精女王エリザベスだ。彼女であることに間違いはない。

 

 だが、もう一人。女王の字を与えられた女傑がいるのだ。

 

 

 その人こそ──グレイス・オマリ。海賊『女王』として、世界に名を知られている船乗りだ。

 

 

 蔓草の生える深緑の髪は、木霊という種族の証。英国式の女子制服を、ほとんど覆うようにして緑色系の布を纏っている。船乗りを象徴する木製のオールを肩に担ぎ……

 

 

「ったく、シェイクスピアの馬鹿もわかってねぇよなぁ……祭りの真っ只中におっぱじめるとか、こっちの都合も考えやがれってんだ」

 

 

 それとなく身構えている直政に対して、なんの迷いもなく──淡々と、それも仲間うちに対する愚痴をつらつらと並べながら歩み寄っていく。

 折角子供たちと~やら、こっちに丸投げしやがってアポー女王め~やら……日頃からいろいろと溜め込んでいるものをブチ撒けながら普通に歩いてくるものだから、直政にしても『それとなく』より上の身構えを取りづらい。

 

 

 そして、手を伸ばせば掴める距離まで接近を許してしまい──

 

 

「……ってなわけで、だ。付き合ってもらうよ、直政。アタシの『命令違反』にさ」

 

 

 オマリがニヤッ、と笑って突き出してくる紙袋。目の前の紙袋からは、花蜜を使った菓子の好い香りが、仄かに香っている。……よく見れば、オールに掛けるようにして、大きめのビンが二本ぶら下がっているではないか。

 

 明らかに、戦場に持ってくる持ち物ではない。強いて言うなら『持ち寄り飲み会』の装備だ。

 

 

「…………」

 

 どんな『ってなわけ』があってこんな状況になっているのか、一応考えてみて、皆目検討もつかない直政は──考えるのをやめた。

 

 

「……酒のツマミに、ドーナツってのはありなのかい?」

 

「はっ、ドーナツなめんな。これでも結構稼いでるし、有名でもあるんだぞ? ほれ、座れるとこ行くよ。

 あと──実はこの空間な、町並みだけじゃなくて食い物とか飲み物とかも完全に再現されてるみたいでね。祭りの出店もそのまま……しかし店員はいないと」

 

 

 わかるよな? と──。

 

 

 

 ……あまり、女性が浮かべてはいけない類の笑みが二つほど浮いてしまったことは、ここだけの秘密である。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 このままでいい

 

 そう願うのは、安定か妥協か

 

 

配点【男女の距離】

 

 

***

 

 

 外はサクサク、中はフンワリ。取り出した瞬間に広がる洋酒と花蜜の香りは格式高く。しかし、口に含んだ瞬間に満たされる甘みと素朴さは、どこまでも親しみやすく。

 お値段はお手頃からお高くまで。客によって品は変わらず価格だけ変動するという、なんとも不思議なそのドーナツ。

 

 名を『ホール・D・ロジャー』──世界の銘菓を決める催しの、そのドーナツという品目の中で五年間連続で十本指に名を連ね続けている、ドーナツ界の重鎮である。

 大切な人への送り物にも、家族で摘む三時のおやつにも最適のお菓子なのだ。

 

 

 しかし、そんな銘菓であるにも関わらず、製作者は自身の名を公表しようとはしなかった。英国の名産なので英国在住ということだけはわかっているが、それだけだ。

 

 

 ……もっとも、妖精女王がつけた『ホール・D・ロジャー』、という菓子名のせいで、『ああ、あの人なのか』と、英国のほぼすべての住民に暖かい目で見られたのは、当人も思い出したくない記憶らしい。

 

 

 そしてその銘菓は──。

 

 

 

「ほーぅ……ドーナツも有りさね。こりゃあ、酒のほうを合わせてるのか?」

 

「はっはっは、Tes.Tes.ってな。 正確にゃ、ドーナツに使ってる花蜜に合わせてんのさ。ちなみに、酒もアタシの手製だから外しようがそもそもないってな」

 

 

 今、酒飲みのツマミとなってその役目を果たしていた。

 ちなみに、オマリの持参した二本の酒瓶のうち、一本は既に干されている。二本目も半ばを切っており、ペースを考えれは、直に干されるだろうことは間違いない。

 

 テーブルの中央にあるドーナツを筆頭に、隙間を作るまいと様々な品がところ狭しと並んでいる。空き皿もそれなりに多く……お二人が出来上がりつつあるのも、また間違いない。

 

 

 ……尤も、オマリはどうかは知らないが、直政は完全に出来上がらないようにしっかりと抑えてはいたが。

 

 

「──いまさらだけど、いいのかい? 英国的には、アタシ(役職持ち)を倒せって話なんだろ? 命令違反どころの騒ぎじゃないさね」

 

 

 警戒は……すでにしていない。

 していないが、よくよく考えなくてもオマリが現在進行形でやらかしていることは大事だ。仲間が戦っているのに──なんてそれらしい理由をつけたら、なおのこと。

 心配をするわけではないが、直政的にはそれで事実助かっているので、それが理由で彼女が罰せられるのは目覚めが悪いのだろう。

 

 

「本当に今更だな……あー、アタシはそもそも、この襲撃には反対だったんだよ。祭りの最中に水差すような野暮、ふざけんなってね。

 それに、大前提として武蔵と事を構えるのだって乗り気じゃなかったんだ。海上じゃあ、国としての建前半分、エリザベスたちに半ば押し付けられた半分だったし」

 

 

 オマリはキッパリと言い切り──箸でグサリ、と行儀悪く粉物を突き刺して豪快に食いついている。

 

 

「この祭りにしたって、薬物中毒と駄眼鏡娘が主催なだけで、エリザベス(総長兼生徒会長)ダッドリー(副長)セシル(副会長)の三人は実質関わっちゃいない。サボってたって、罰せられようがないのさ。『任せた』とは聞いちゃいるが、『どうしろ』って言葉は聞いてないしね。

 ……ま、アイツらが関わってたとしてもアタシは無視してたろうけどな」

 

 

 ケラケラと静かに笑っているオマリは──本気だ。

 もしも今、挙げた権力上位者たちから命令が来たのだとしても、ノラリクラリと拒否するだろう。

 

 

「まあ、相手が相対を望んでたんなら話は別だったが、幸いにもハラペコ娘だったからね。食い物で釣ればご覧のとおりさ」

 

「やかましい」

 

 

 実際、見事に一本釣りされている状態の直政に言い返せる言葉はない。

 オマリにしても、自身は『船を操る者』で直政は『船を維持する者』……国は違うが、心情的に非常に戦い辛い相手でもあった。

 

 

「 さ ぁ ー て 。 女二人の酒の席で、政治だ責任だなんて話じゃ、花は咲かないよなぁ?」

 

 

 真面目な話から一転。オマリがニヤリとした笑みを浮かべ--直政はその逆、ひどく渋い顔で視線を他所へ向けた。

 

 

「いるだろ? いるんだろ? 良いと思ってる男とか好きなやつとか。ほら吐いちまえよ、お姉さんが相談に乗ってやるぞ?」

 

 

 経験上、直政は知っている……これは恋バナに飢えまくった、機関部勤務のおばちゃんたち。あのお歴々が踏み込んでくるときの笑顔と同じものだ。

 そして経験上、この笑顔は『情報を聞きたい』のではなく、『恥ずかしがるさまを見たい』だけということもわかっている。

 

 だから、当然対処法も心得ていた。

 

 

 

「──いるさね。たぶん、惚れてるって言える男が一人。だけど……そんだけさ」

 

 

 言ってしまえば良いのだ。もちろん、一から十まで暴露する必要はない。これだけの情報で、あとは勝手に盛り上がってくれる。

 

 

(それに……アタシじゃ、敵わんだろうしね)

 

 

 思い浮かんできた顔は──見てくれは悪くない、と思う。まぁ──悪くないだけで、街中を歩かせたとしても、基本的には誰も振り返らないだろう。振り返ったとして、体の大きさか異様な数の刀に対してだ。

 

 だというのに、あれの周りには人が集まる。集まってくる。

 男はかけがえのない、前に漢字一文字をつける友として。女は友から、さらに踏み込もうとして。そうして踏み込もうとしている女たちは、一癖も二癖もあるくせに、補って余りある魅力的な面々ばかりなのだ。

 

 

 特筆して家事が得意なわけでもない。可愛らしさも、綺麗さだって持ち合わせていない。

 

 

 ──そんな女が……。

 

 

(ちっ……アタシはいつから、こんなに後ろめたい女になったのかね)

 

 

 ガリガリと頭を強く掻き、半分ほど残ったグラスを一気に煽る。

 そして、その直前に浮かべてしまった、卑下するような、自嘲するような笑みは……目の前の海賊女王にしっかりと見られていた。

 

 

 

 

「……一人、ね。奇遇だな。アタシも一人、惚れてる男がいるんだ」

 

 

 そう言って、オマリは体を反らして天井を見上げて……何年前だったか、と記憶をたどる。

 

 

「歴史再現上の、アタシの海賊としての、最初のデカイ仕事の時さ。出航間際に引き止められてね。引き止めたくせに『あのそのあのその』と女々しくってねぇ。

 だからアタシからソイツの胸倉つかんで……まぁ、してやったのさ」

 

「…………そ、そっか」

 

 

 ……オマリは明言にしないが、直政は口を口で塞ぐ行為なのだろうと察する。

 

 そしてその話の当時、オマリは『ソイツ』氏が言おうとした言葉が『引止め』の言葉なのだと思ったのだという。だから、士気云々に関わるため言わせまいと行動したのだが……。

 

 

「『気をつけて、いってらっしゃい』、ってさ。……初めて言われたよ、あんな言葉。それが悔しくって、『おう、かえったぞ』って女々しいあいつにやり返してやろうとしたらよ……いろいろ不運が重なりまくって、ズタボロで帰還することになっちまったのさ」

 

 

 今でも、思い出す。船はボロボロ、船員も死者がいないのが奇跡の有様。オマリ自身、かなりの深手を負っていた。それでもかろうじて英国へ戻り、『ソイツ』氏と再会できたのだという。

 

 ──傷だらけのオマリを見るや否や、彼女を背負って医療施設まで駆け抜けたのは今でも武勇伝でもあり、向かっていた医療団とすれ違いになったのは、今でも黒歴史扱いだ。

 

 

「んで、ソイツが今でもアタシの旦那やってるわけだ」

 

「……砂糖でも吐きそうさね。惚気話は他所でやってくれよ」

 

 

 苦々しい顔で何かを吐き出す仕草をする直政を、まあまあと手で制し、オマリは『説教』を続ける。

 

 

「……そんで、子供ができた。かわいいもんさ……泣かないように必死に我慢して『いってらっしゃい』って言ってくれて。帰ってきたらワンワン泣いて『おかえりなさい』だ」

 

 

 教導院の授業で、ある学年で『自分の目標』を決めるという催しがだいたい毎年あり、そこでグレイス家は決まって『海賊になってお母さんを守る』と示し合わせたわけでもないのにやってのける。

 ……オマリの毎年の目標は『今年こそは泣かない』だ。ちなみに果たされたことは一度としてない。近年に至り、教導院があえてやっているのでは? といらない疑いさえ抱くほどだ。

 

 

「だから、アタシは絶対に帰ってくるんだ。どんなに惨めでも、這い蹲っててでも、家族が待ってるこの英国を守り抜いて、な」

 

 

 ──それが、それこそが。海賊女王の原点にして、原動力。

 

 そして、この在り方によく似た生き方をする男を……直政は、よく知っている。

 

 

「──いいぞぉ、家族は。……いいぞ、子供は」

 

「…………」

 

「なあ、直政……アンタ、まだ18だろう? そりゃあ末世やらなにやらあるだろうけどさ……アンタはまだ、これからじゃないか。自分で自分を、諦めてやんなよ」

 

「アタシは、別に──……」

 

 

 ──直政自身が驚くべきことに、オマリの言葉を否定しきることが、できなかった。

 

 オマリは二の句を失っている直政をしばし眺め……瓶に残っていた酒を、直接口をつけて豪快に飲み干す。

 

 

 見れば、テーブルの上の皿も、ほとんどが空だ。

 

 

「っはぁ……説教なんてガラじゃないこと、するもんじゃないな……さあ、そろそろお開きにしようか。ほかの連中のドンパチも、粗方終わってるみたいだしね。

 ……悩むな、迷うな、なんて言わないさ。むしろ盛大に悩みまくって迷いまくれ。でもって、一個でも笑顔が多くなる選択を選びな──そうすりゃ、大体正解になってるさ」

 

 

 

 ──じゃあな、と片手を挙げて去っていくその背中を──直政はただ、見送った。

 

 

「……正解なんて、そもそもあるのかよ……『コレ』に」

 

 

 直政の足元に一本の矢が現れたのはその、ほんの数秒後のこと。

 赤い世界が拭い取られ、現れたのは──緋色、止水だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空間に割り込むようにして現れた止水は、かなりと言えるほどにはあった速度を、数歩で完全に止める。

 

 

「マサ! ……もう、やっぱりお酒飲んでましたね!?」

 

「……なあ、まず『無事だ』ってことを確認しようぜ……っていうか智。お前たちだって俺に運ばせて後ろで飲み食いしてたから、人のこと言えないだろ」

 

 

 止水の肩越しに、身を乗り出してビシィと指差してくる巫女だったが、運び手の非難の眼から逃れるように、そそくさと背の向こうへ戻っていく。

 

 

 止水の、お前『たち』、という複数形の言葉にどうなっているのかと覗き込んでみれば──刀たちで形作られている大きな荷台に、一同が集まっていた。

 

 全体的にぼろぼろのナルゼに、激闘明けと思われるずぶ濡れのネイト。この二人が負傷組なのだろう。すでに応急手当ては終わっているらしい。今は眠っているようで、横になったままだ。

 

 そして、何かの術式を両手で支えている正純と、先ほどのとおりの智。

 

 

 狙うほどの野生がない男だとわかっているが、見事に女衆の大体がそろって──。

 

 

「……喜美はどうしたんさね? 一緒じゃないのかい?」

 

 

 ふと、一番目立つ女がいないことに気づく。どうしたのか、と直政は智と正純を見るが、返ってきたのは苦笑だ。

 

 

「あ、ああ。私のところに来たのが、クリストファー・ハットンって名前のリビングボーンでな。その……止水が頭を鷲づかみにしたときに、不意打ち気味に顔合わせてしまったみたいで……」

 

 

 ほら、と示された先。直政からちょうど影になっている止水の背中に、それはいた。

 

 

 着流しは床敷き代わりに使われているため、緋の上着は袴内から引き出されて着崩れていた。

 

 その上で、その背が人一人分、しっかり膨らんでいる。小さいがなにやらブツブツと聞こえてくる。耳を澄ませば『クッフッフたかがカルシウム、美容の元よそうそうアハハハハ』といった言葉が延々と聞こえてきて──逆にホラーだった。

 

 そんなものを間近で聞かされ続けた止水はたまったものではなかったろうに、苦笑を浮かべるだけで済ませているのは、流石と言うしかないだろう。

 

 

 ……何気に副会長が若干不機嫌そうに見えなくもない。『緋衣隠れ』を真似されたとでも考えているのだろう。

 

 

 

 

「さあマサ、乗ってください──そろそろ、トーリ君たちのところへ行ってみましょう。どんな形であれ、そろそろ結論が出ていると思いますし」

 

「出していてほしいものだがな……まあ、最悪は私の一存で決めるさ。止水、もう一っ走り、頼むぞ」

 

「できれば、先にネイトとナルゼを武蔵に運んでやりたいところだけど……しょうがないか。

 ……ほら、直政」

 

 

 促すように──低い位置に伸びてきたのは、左手だ。

 なんてことはない。ただ、乗りやすくするために。ただそれだけ……特に考えもなく、無意識に差し出された手。位置からして、足を掛ける場として用意したのだろう。

 

 

 その手を、いつもどおり使おうとして。──思いとどまる。

 

 

(手……ねぇ)

 

 

 ──風呂で自分が言った言葉を、ふと、思い出した。そして、改めてその手を見てみる。

 

 ……大きな手だ。自分と比べたら、指の一関節分は間違いなく大きいだろう。

 それに、長年刀を握り続け振り続けたためか、手の甲・掌関係なく、柔らかさや繊細さなど微かにもない。

 

 

 堅そうで、痛そうな……武骨な手だ。

 

 

 その手に、足ではなく、手を……義手ではない左手を乗せてみる。足場にと用意した止水は少しばかり疑問顔だが、それならそれで、と位置を上げた。

 

 

 安全やら安定を考えたら少し力をこめて握るのが普通であるのに、不思議と止水は握ってこない。加減を考えたら包んでいる程度だ。

 

 決して、止水からは握ってこない。だが決して、取り落としてしまうことがないように……繊細な、大切なものを扱っているように、そっと、包むだけだ。

 

 

「……アタシが気付いてなかっただけ、か」

 

「何に……?」

 

 

 キョトン顔で疑問符をあげている止水に、上がりかけた口端を無理やり押さえつけた不機嫌顔を返し、勢いを付けて刀の荷台へと飛び上がる。……しっかりと着地するまで離されることのなかった手は、今まで少しも意識していなかったものだ。

 

 

「マサ、顔赤いですよ……どれだけ呑んだんですか」

 

「……美味い酒と美味い肴が用意されてたんだ。しょうがないさね」

 

 

 それで誤魔化せたのは智と正純くらいだろう。

 

 事実、着流しから顔半分ほどを覗かせる喜美は、意味有り過ぎな眼で、直政を見つめていた。

 

 




煙草女『読了、ありがとうございました──っと』

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