境界線上の守り刀   作:陽紅

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二章 刀、眺める 【中】

 

 

「全く――武蔵の民は皆冷たい。帝のご子息、東君のご帰還だというのに麻呂以外の出迎えもいないとは……」

 

「ははは……ですけど、いまは授業中ですし。帰還が騒がれるのは聖連が良い顔しません――ついでに言うと、余も静かなほうがどちらかと言えば……」

 

 

 どこかの絵本に出てきそうな、『これぞ王様!』という身格好の金髪の中年。笑顔になることがほとんど稀なその顔は、いつもどこかむっすりしていた。

 その隣を、大きな旅行カバンを引きながら付き従う少年――多分少年。もしかしたら少女。男子制服を着ているから8割方、いや7割方、きっと男子。

 

 ミスマッチ過ぎる二人は、一つだけ共通点を持っている。

 それは、人の上に立つ義務があること。

 

 

 金髪の王様風の男は『風』ではなく、事実、この武蔵の王である。武蔵アリアダスト教導院教頭兼武蔵王・ヨシナオ。

 

 そして、帝が子・東。その小柄な身体に圧し掛かる重圧、責任。それらは、簡単に推し量れるものではあるまい。

 

「――ふむ。東君はかわらぬな。……しかし、君をよりにもよってあの外道連中の巣窟たるクラスに入れるとは……学長もなにを考えているのか」

 

 

 何かを思い出しているのか、ヨシナオの額には二つ三つと血管が浮かんでくる。

 

 

(麻呂を『麻呂』と呼んで良いのは、麻呂だけであるのに……!)

 

 

 言うに事欠いて、あの不可能男。敬意を払うどころか名前さえ呼んだこともない。

 

 扉が近づくにつれ、ある個人限定で忌まわしい記憶ばかりが蘇ってくる。

 

 

 

(いかんいかん、王たるもの、冷静に、冷静に――)

 

 

 

『『『『野球~す~るなら、こういう具合がどうでしょか~♪ Jud!! セーフ! よよいのよい!』』』』

 

 

 ――なれるか。

 

 

『ヨッシャアオレの負けぇ!』

 

『『『『Booooooooooooooooooooo!!!!!』』』』

 

 

 ……。

 

「……」

「……」

 

 

『おいおいそんなに熱くなんなよみんな! ……暑さにかけて、もう一枚いきたくなるじゃねぇか……!』

 

『ハイハーイ、そーちょー二枚目の脱衣だよー! ……ガッちゃん、ちょっと落ち着こっか? 単行本一冊くらいのネームとかどんなペン速?』

『止水ヌードキタこれでかつる』

 

『妄想の中で止水殿がすでに剥かれている件について。っていうかトーリ殿、なんで止水殿目隠しさせてるでござるか? はっ! プレイ! そういうプレイでござるなJud!!』

『ンフフフ。止水のオバカの化け物じみた動体視力なめんじゃないわよパシリ忍者。浅間の零距離ズドンを掴めるんだから!! っていうか愚弟勝ちなさい! あと一枚よ! あと一枚で桃源郷よぉ~♪ 二枚行けば理想郷(アヴァロン)!!』

 

 

 冷静でなくともいい。せめて、何らかの思考をしていたかった。とヨシナオは語る。隣の東はパチパチと目を瞬かせ――自分が入るだろう扉の向こうから聞こえてくる騒ぎを把握しようと頑張っていた。

 

 

『いいから出版会社に連絡を入れろ!! ページ数は未定だ!! ……できなくともやれ! 稼げるぞこれはぁ!』

『え、マジでシロジロオレ撮るのかよ!? しょうがねぇなぁ撮らせてやるよ撮影料はいらねぇぜん♪』

 

『『『『『『……はっ(鼻笑)』』』』』』

 

『鼻で笑いやがった!? なんだよオレのヌードだぞ!?』

『黙れ歩くわいせつ物陳列罪。貴様のヌードになど数ミクロンの価値もない。良いか、止水の裸体を写真集にして――競売にかける!』

『あ、あの、きょ、教室のま、前に誰か――』

『スタートはいくらですの!?』

『良いかよく聞け金づるども! 浅間神社系列の秘密通神板で開催された『剥いてみたい男子ランキング』というものがあってだな』

 

『し、知りませんよ? 私は断じて知りませんからね!?』

 

『あ、ちなみに総長はランキングの候補にすら挙がってないからねー。なんでも、見飽きた、新鮮味がない、とか。実はシロ君も三位入賞してたんだけど、止水くんは、うん。『着物越しでもわかる重厚な筋肉ハァハァ』とか色々あったわよ!

 何はともあれ、第三回戦!!』

 

 

『『『『野球~す~るなら、こういう具合がどうでしょか~♪ Jud!! セーフ! よよいのよい!』』』』

 

 

 ピタリ、と音がやむ。……思わず身構えた二人を誰が咎められようか。

 

 

 

『『『『『『『『『『ワァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』』』』』』』』』』

 ――パリンッ!

 

 

 窓が負けたらしい。だがよく、がんばった。

 地の文が入るタイミングを失いつつあるなど、正直初めての経験である。

 

 

『あー、っと、今のは俺の負けでいいのか?』

『ええそうよ止水。でも安心なさい? 目隠しのアンタをこの賢姉がぬ、脱がしてあげるから、じっと、そう、じっとし、てなさい?』

『手が震えてるわよー? それとトーリ。君はなんで勝ったのに悔しそうなのよ』

『ああ!? 脱ぎたいんだよ察しろよ先生!!』

 

『Jud.スタンバイOKです。喜美様、フルバーストお願いいたします。――――以上』

 

 

『『『『『『何時の間に!?』』』』』』』

『ウフフ、それじゃあご期待にお答えして……スー、ハァ……ご開帳ぉ~♪』

 

 

 

「え、えっと、教頭先生、その、どういう状況なんですか?」

 

 きょとんと見上げてくる、何一つ理解していない東の純粋な顔を見て、ヨシナオはただただ、世界を呪った。

 

 『野球拳』なる脱衣勝負など帝の子供に教えられるものか。

 

(否。違う! そうではない! ここは神聖なる学び舎、かような俗事が許されて良いものか!!)

 

 自分は王である。しかし同時に、この教導院の教頭なのだ。教員なのだ。

 生徒を正しい方向へ導くのが、絶対の使命なのである。

 

 全身をやる気にみなぎらせ、顔をキリリとさせてから、扉に手をかける。

 ……心拍良し、覚悟完了。

 

 前に進む決意は我に在り。

 

 

 

「貴様らぁああ!!! 神聖なる学び舎で一体何、を……」

「ん? おー! 麻呂に東じゃねぇか! どうしたんだよそんなとこに突っ立ってねぇで入れよ!」

 

 

 パンツ一丁なバカは、とりあえず置いておこう。

 問題は、現在進行形で目隠し脱衣プレイをされている青年だ。鼻息荒い少女に、絶対肌をなぞるように和服を肌蹴られ、少しずつ肌色の面積を増やしていく。

 

 

 その青年を、ヨシナオもよく知っている。鈴という少女が梅組の精神的なストッパー兼良心としたら、止水は物理的なストッパーだ。

 残念ながら学力はお世辞にもいいとは言えないが――教師としてのヨシナオにして、止水は東と並び、お気に入りの生徒といえよう。

 

 そのお気に入りの東も顔を真っ赤にして、手で眼を覆いながら――ちゃっかり指を開いて止水の艶姿を記憶に焼付けようとガン見している。

 

 

(――東君、それは、女子のしぐさであるからして――)

 

 

 容姿も大変あいまって、もう乙女にしか見えない。

 現実逃避のヨシナオ王。しかしどうか、彼を責めないでやってほしい。

 

 

 黒翼の魔女が掛け算をつぶやいて鼻血を噴出し、

 生徒会の会計が無数の通神を操作して眼を血走らせ、

 無数の男子生徒が敗北に膝を付き、

 無数の女子が堂々とガン見か顔を逸らしてのチラ見、

 

 盲目の少女が預けられた緋衣に身を包みながらえへへとはにかみ、

 教師が総じて全員を煽り、

 バカがハンカチを噛んで悔しがり、

 武蔵の総艦長が本格的な撮影機器を担いで――

 

 

「……麻呂、もう、ゴールしていいよね?」

 

 

 『おうち帰りたい』オーラのヨシナオは、なぜかいつもより親しみやすく感じたそうな。

 

 

 

 

***

 

 

顔を洗えば見えてくる

 

 衣服をさらせば見えてくる

 

心を閉ざせば重くなり

 

 言葉にすれば軽くなる

 

 

配点《本当の私》

 

 

***

 

 

 

「っ!?」

 

 

 階段を上る途中にて、バッと振り返る正純。手には質素な花束と、水面揺れる桶。じっと眼を凝らした先は、遠く見えない教導院の方角だった。

 

 

「なんだ……いま、とてつもなく惜しい瞬間を見逃した気が……」

 

 くしくも、それは武蔵王ヨシナオがお家帰りたいと願った瞬間である。

 しかし、他人から見れば『いきなりなにやってんだこの人』ものの奇行だ。

 

 

「Jud.正純様、そのような場所で何をなさっているのですか?」

 

 幸いにも、周囲に人がなく、そんな眼で見られることも無かったが。

 階段先で竹箒装備のP-01sが、無表情の中に半眼を見せる器用な顔で、正純を見ていた。

 

「へ? P-01s!? お前どうしてここに――あ、いや、掃除か……」

「Jud.ここの掃除は日課にしておりますので。正純様は――」

 

 

 正純の手にした花束を見て、正純の顔を見て、また花束を見て。『!』とひらめいたらしい。

 

 

「逢瀬ですね、分かります」

「何をどうとったらそうなるのか小一時間問いただしていいか? こっちも見ろ! それに墓所でデートとかイヤだぞ私は!」

 

 では、どの様な場所がよろしいのですか? と即座に切り返され、思考する。

 

「どのようなって――そ、そうだな。夜景が綺麗な食事処――は、合わないな。そういう柄じゃないし。たとえば……満点の星空の下で、肩を寄せ合って焚き火でもしながら取り止めのないことを話し合う……とかか?」

 

 

 ふむふむ。となにやら採点するように二度三度頷かれ、正純は身構える。

 

 

「Jud.率直に申しまして……

 

 

 正純様は予想以上に乙女なのですね」

 

「はっ? いや、これは!? そ、そう! 一般的な意見だ、うん!!」

「……ですが、野外で火を起こす、という少々野生的なことを正純様本位で考えるとはあまり思えませんが……」

 

 では、誰を本位にしたですか?

 言われ、改めて妄――想像を重ね。そのハテまで突っ走ってみたところ。

 

 

「っ!?」

「Jud.お顔が真っ赤ですが、大丈夫ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

「……あんまり、いじめないでくれ……」

「いえ、正純様が勝手に自爆しただけかと。……正純様は、よくこちらの墓石の手入れをなさってるようですが」

 

「ん? あぁ、母の――と言っても、遺骨もなにもないから、形見の品を入れているだけの墓だが」

 

『本多家之墓』と刻まれた墓石の前に二人は並んでいる。他の墓石と比べても頻繁に参られているのが、墓石や周囲の様子を見れば明らか。

 

「といっても、『母』なんて分からないか。自動人形は魂で生まれてくるから、両親とかそういう概念はないもんな……」

 

 人は両親より生まれる。よほどが無ければ愛を受けて育ち、しかし喪失を経験する。

 自動人形は魂より生まれる。愛など受けずそのままの姿かたちであり、しかし喪失を経験することはない。

 

 ――極論にもなっていない。と正純は自身、墓を前に後ろめたくなっていることを自覚した。

 

 

「――Jud.私には両親は分かりませんが、率直に申しまして、お母様がお好きなのですね、正純様は」

「ああ。好きだよ……大好きだ」

 

 覚えている。母が好きだといった、質素でも可愛らしい花を。

 ……覚えている。通し道歌を、子守唄の様に枕元で歌い、教えてくれた母を。

 

 

 

「――私は、もともと三河にいたんだ。三河の君主、松平には『二つ』の本多が必要だとされていてな……。

 一つは、松平四天王の一角である『本多 忠勝』を筆頭とする()の本多家。そしてもう一つは、『本多 正信』を筆頭とする()の本多家。私の父は、その正信を襲名しようとしたが、適わなかった」

 

 

 草むしり――は必要ないらしい。眼に見えて届く範囲で、雑草は一本も生えていない。

 

「そして……その代わりに、私が正信の子・正純を襲名しようとしたんだが――それも適わなかった。突然松平家が、家臣団の人払いを行ったんだ。……詳しい人数は知らないが、かなりの数の家臣たちが左遷や役の免除をうけて――家臣団の代わりを自動人形達が執り行うことになった」

 

 持ち無沙汰になったその手は、無意識に胸へと当てられる。衣服を通して、心臓の鼓動がとても近く――。

 

 

「……私が、『女では襲名に不利になる』という理由で……胸を削り、性別を変える手術をする直前だよ……もっと早くか、もっと遅くかしていてくれれば、こんな中途半端にはならなかったのに……父も目標を無くして武蔵に渡って……三河に私と残った母は『公主隠し』にあって、消えてしまった――」

 

 

 記憶にあるのは、不自然にふくらみだけを残した寝具。そして、ふすまに描き残された――不気味な血印の二境紋のみ。

 

 

 

 

「なんでだろうな……っ、私は、手放してばかりで――かっこ悪い話さ……」

 

 

 こみ上げてきた何かを落とさないために、慌てて顔を上げる正純。くだらない話をした、と自嘲して――隣がやけに静かなことに違和感を覚える。もとより自動人形ゆえに物静かだとしても、些か静か過ぎはしないだろうか……。

 そして、横を見れば、しゃがみ込んでいる格好は変わらず、背を向けている自動人形かいて、

 

『ばれてない? いけてる?』

「Jud. ばれておりません。いけております。正純様はなにやらトリップしていらっしゃるようですし、我々の作戦は完璧です」

 

 覗きこんでみれば、数匹の黒藻の獣達がなにやら雑草らしきものに群がり、自動人形はなぜか誇らしげにサムズアップしていた。

 

「えと、P-01sさん? 聞いてたか私の話? いや、別に率先して聞いてほしかったわけではないんだけど、いや、さすがにいまの話を無視って……あとばれてるからなお前ら」

「あ、ばれた。ですがJud. 全て聞いておりましたとも。ええ。もちろんです。それに、P-01sの中にあった正純様に対する疑問も一つ解けました」

 

 表情は変わらず、正純に向き直るP-01s。

 

 

「……正純様の男装癖は、正純様の趣味によるものではなかったのですね、なんと……!」

 

「……は?」

 

『まさずみ だんそう? だんそう の れいじん?』

『ちがう まさずみ ヅカ』

 

『『『ヅカ! ヅカ♪』』』

 

 

 ご存知だろうか。

 人間、突然とっぴなことが起きると、今までの感情起伏を忘れて、呆然とするらしい。

 

 いうまでもなく。今の正純がそうであった。

 

 

「――正純様?」

 

「……はっ!? いや、うん、なんでも、なくはないけど――とりあえずお前の中にあった誤解が解けてよかった、のか?」

「Jud. おめでとうございます」

 

 正純の中の自動人形に関する常識のいくつかが音を立てて崩れ去ろうとしている。そして、その原因となったP-01sはそ知らぬ顔で――白から青へと、変わっていく空を見上げていた。

 

 

「――ステルス航行に入っていたのですね。忘れていました」

 

「定時報告で言っていただろうに……まあ、つまるところ――」

 

 

 ……もうすぐ、三河か。

 

 

 

 武蔵航行進路方向。複雑な思いで見つめる正純と、ただそれに習って、無感情に同じ方向を眺めるP-01sがいた。

 

 

 

 

 




読了ありがとうございます。

 書けあげて「あれぇ……?」となった今回。

 登場人物たちの手綱を握ろうとしましたが諦めました。手綱自体がないんです。どうしようもないじゃないですか……

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