境界線上の守り刀   作:陽紅

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一章 刀、居らず  【上】

 

 

「すまない……私は、もう、ここまでの、ようだ……」

 

 

 悔しさに双眸は潤みに溢れ、苦しみに表情はただ歪み。

 それでも、息を絶え絶えにしながらも、必死に想いを伝えようとする彼女のその震える手を、しっかりと握る。握り返す。

 

 

「なにを、何を言っているんですか正純……! そんなこと、言わないでください……!」

 

 ……握り返した浅間 智は思う。何故、どうして、こうなってしまったのかと。

 

 そして、問う。

 

 

「だから、私言ったじゃないですか……!

 

 "ちゃんと朝ごはん食べてきてくださいね" って! 言いましたよね私!? いい加減自分が貧弱なのを自覚してください!」

 

 

 『村山』上層部にある公園の一部にて、そのどーでもいい寸劇は繰り広げられていた。

 ちなみに、その情景を高速のペン捌きで描写し続ける黒翼腐女子がいるが気にしない方向で。

 

 

「ち、違うんだ。バルフェットも朝食抜いてるっていうから……その、同じ様な体型の私でもやれるんじゃないかって、ほら」

 

「いーい貧乳政治家? ……あのムパーイはムパーイでもあれは戦えるムパーイよ? 戦えないムパーイのあんたが真似したって同じように出来るわけないでしょう? ……っていうか浅間? その、ね? いくらなんでも『貧弱』って、ドストレートすぎないかしら……?」

 

「……はっ!? んんっ! 

 ちょっ、喜美!? ムパーイムパーイ言っちゃだめですよ! 人の体型をネタにするなんて! するなんて!!」

 

「ムゴッ!?」

 

 

 智がやたらと、体ネタを始めた喜美に食って掛かる。ちなみに、自身の貧弱発言(失言)は棚に上げておくようで。

 

 まあ、それがアデーレを気遣う美しき友情からくる行為ならば良かったのだが、根底には『コレで自分へ来る被害が少しでも減れば』などと考えているあたり、彼女も武蔵の住人なのだろう。

 

 ちなみに、正純を抱えている状態で身を乗り出したため、息が絶え絶えだった正純の顔面を圧迫している胸部装甲があり――。

 

 

「おーい。……どうでもいいけど、そのままだと正純が本気で窒息するわよー?」

 

「「あっ」」

 

 

 

 ――先導していたオリオトライの若干遅い注意が届き、正純は『狙撃巫女の乳圧迫による窒息死』というカオス死因を回避することが出来た。

 

 

 

 

「――どうして朝っぱらから死にかけないといけないんだ……?」

 

 

 早朝訓練――だったよな? と、正純は一人で理不尽な事件に対する考察に入る。教導院から村山の先端にあるこの公園まで走破する、という早い話が早朝のジョギングの強化版といったところか。

 走る際に邪魔だったために結んでいた髪を下ろし、生命のありがたさを実感しながら、正純は一息つく。

 

 公園内にて思い思いの休憩を取る梅組の仲間達を眺め、その中に、居るはずの姿を探して、しかし失敗する。

 

 

(……だいたい、何で止水が来てないんだ?)

 

 

 武蔵アリアダスト教導院の制服ではない緋衣。過剰なほどに見えるくせに、激しい動きをしても余り音を鳴らさない刀塊。体の大きさもそこに加えれば、まず見逃すはずがない。

 そんな彼は、今現在いない。オリオトライにも連絡が無いために無断欠席となったのだが……。

 

 

(ミリアムと東の欠席はしょうがないとしても……うーん)

 

 

 正純は再び唸る。

 何が気になるか、といえば、止水が『無断』で欠席した、という事実だ。

 

 

 平時において、あの刀は外道ぞろいの中でも常識側といえる。――戦時においては今はスルーだ。

 常識がある程度あり、学力のほうに反映されない真面目さがあるから、まず欠席するにしても何かしらの連絡があってしかるべきである。それがないということは……。

 

 

「大丈夫だろうか……」

 

「……アンタのほうこそ大丈夫なのかよ? ……上の空で黒藻に水やってるとか、正直心配になるレベルさね」

 

『 まさずみ? 』『 まさみず? 』『 ??? 』

 

 

 煙管から紫煙を上らせつつ直政が、呆れたような眼で正純に隣に立つ。半ば無意識に側溝へと流していた竹筒型の水筒の中身はとっくに流れきっていて。

 

 ――確かに、傍からみれば、怪しいことこの上ない。

 

 

「直政……休憩はもういいのか?」

「Jud. アンタが休憩抜けしてるってことは、大体の連中がそうだってことさね。点蔵辺りなんざ、そもそも疲れてすら――」

 

 

「直政殿! お待たせしてござる」

 

 

「――いないんだ。あれくらいに、とは言わないけどね。もうちょい体力とかつけたほうがいいさね」

 

 

 風のように竹筒水筒を持ってきた点蔵と、それを何事も無く受け取った直政。

 

 

「……そう、だな」

 

 

 と、そんな光景を見ても、特に何も思わなくなってきた正純。――順調に染まってきているようだ。

 それが良いのか悪いのかを別として。

 

 

 

「ああ、そうだ。ついでってわけじゃないんだが、一つ聞いていいか? すっごい今更な質問になるだろうけど」

 

「ん? ああ……。『どうして武蔵は英国へ向かっているのか』だろう?」

 

 

 ご名答、いや、この場合はご明察というべきだろうか。

 とにかく直政は無言で頷き、正純に先を促す。促されて正純はまず苦笑を浮かべた。

 

 

「っていうか、やっと聞いてくれたな。GOサイン出したのは私なんだが、誰一人理由を聞いてこないから、少し不安だったんだ。何人かは予想しているだろうが――馬鹿は理解してないだろうなぁ……絶対。

 んん、それで、英国を選んだ理由は……いろいろ細かい理由はあるが、大きな理由としては『英国を今後の基準にするため』だな」

 

 

 基準? と直政が鸚鵡返しに問い返せば、正純もJud.と短く返す。

 

 

「……私たちがコレから行く英国は、極東を暫定支配していない中立国なんだ。それに、領土の大半が『浮遊島』だから――先の重奏統合争乱においても被害を受けず、また極東側に何もしていない。

 中立で、その上聖連加盟国の中でも大国。さらに極東や武蔵に特に思うところがない。そんな相手になるべく高い基準を作って、今後の他国との交渉カードを作るのが目的だ」

 

 

 

 正純の言い回しに、ふと直政は違和感を得た。

 

 各国が持つ極東の暫定支配地は、早い話『重奏統合争乱で失った土地諸々の補填』だ。浮遊島であったから争乱の被害もなく、だから暫定支配地も要らず、故に中立。

 

 ……一つをわざわざ二つに分ける、意味とは何か。

 

 

「――まあ、いろいろ細かいこととか面倒なことがあるんだろうけど、機関部(あたし)はただ武蔵を飛ばし続ける。それだけさね。

 ――あんたらが決めた進路を、あんたらが望む速さで、な」

 

 

 ……どうして彼女はいちいちこう格好いいのだろう、と正純はいろいろと自分より大きな直政を見上げる。

 

 紫煙を吐き、ニヒルな笑顔を見せてくる直政の姿は堂に入っていて、力仕事しているだけあって体は引き締まってるのに女性らしい肉感の凄まじい感じがチクショウめ……!

 

 

「……正純、アンタなんか眼が怖いんだけど、あたしなんかしたか?」

「気のせいジャナイカ? ……まあ、なにはともあれ、武蔵のトップがどう判断するかなんだがな……」

 

 

 その馬鹿――もとい、トップたる武蔵アリアダスト教導院総長兼生徒会長たるトーリは、いつもどおりに騒ぎの中心に居る。

 

 現に今も――。

 

 

「おいおい見ろよ! さあ見ろよテンゾー! ホライゾンの手作りドリンク! おめぇのパシリドリンクなんかもういらないもんね! 俺、これからリア汁、じゃねぇリア充よろしくするからなざまぁみさらせぇ!!!」

 

 

 ――全裸、だった。

 コカーンに展開させている黄金色の自主規制がそのまま全身に広がらないかなぁと数名に思わせながら、手にした竹筒水筒を高く掲げている。

 

 そんなトーリだが、教導院前からこの村山公園まで、アヒンアヒンゼヒーゼヒー喚き散らしながら大層見苦しく、しかも体力や運動神経的な理由で正純の近くを走っていたのだ。

 正純にしても――住民の、同情の視線がなんともいえなかった。

 

 

 そんな全裸が腰に手を当て、手を当てた腰を二度ほど前後させ、竹筒を煽る。

 

 そのまま一気に行くのかと思いきや、喉の上下は一回きり。武蔵の至宝に『太陽』と言われたに相応しい笑顔を浮かべ、ホライゾンへ向かう。

 

 

 

「―ァ――ル、―ポ――リ―???」

 

 

「「「「「え――言語障害?」」」」」

 

 

 自身の持つ竹筒を差しながら、何かを言っているはずなのにトーリの声は聞こえない。いつもの芸かと思いきや――トーリの顔は真面目な笑顔だった。

 トーリは自分の頭を振り、両の頬を張り。発声練習の後、問う。

 

 

「ンン!

 えー、ホライゾン様。私一つお伺いしたいことが御座います。差し支えなければ、こちらの飲み物の詳細をお聞きしても宜しいでしょうかカka?」

 

 

(おい! 馬鹿が敬語を使ったぞ!? あと最後のほうなんかラップ!?)

(ふむ。……武蔵の最期か。……ハイディ。今まで、こんな私によく付いてきてくれた。礼を言おう)

(シロくん……!)

(はっや! 守銭奴夫婦の展開が早過ぎですよ!? いや、あの、否定も何も出来ないんですけどね)

 

 

 嫌な予感がした。違う。嫌な予感しかしない。

 トーリが敬語を使ったことという、末世級の一大事もそうだが……おそらく、ソレをさせるだけの何かがトーリにあったということだ。

 

 

 そしてそれを成したものが――未だトーリの、手の内にある。

 

 

「ほう。ホライゾンが朝早くからトーリ様のためにお作りした渾身のスポーツドリンクに文句がおありですか」

「いえいえそんな滅相も御座いません。しかしながら、ええ、はい。その――とてもすばらしく残新な味でしたもので、はい」

 

 

 うやうやしく頭を下げる全裸の執事――そんな幻が見えた数名も遠い目で世の終わりを憂いだす。 

 

 

「さすがはトーリ様ですね。一口飲んだだけで『ソレ』の価値に気付かれるとは。……ホライゾン、少々侮っておりました。

 

 ……そちら、つい先日商品化されました、某ゲテ物製作委員会の新作だそうです。たしか、『トドメの一献・スポーツコーンスープ【終の極み】』なるスポーツドリンク(爆)だそうで」

 

 

 おい、どこからツッコムよ? と一同が顔を見合わせながら二人からジリジリと距離を取る。

 ――君子は危うきに、生贄を差し出すのだ。

 

 

「なるほど、ドロッとしたコーンの甘さの中にレモンの酸味にコレでもかと主張する塩気がまたなんともモmo藻喪母……」

「桃ではなくコーンだと言っています。……ちなみに、店主様に味見していただいたところ、『なつかしいなぁ……! 大酒飲んで花畑見たときの朝みたい! ……あれ、おばあちゃん……?』 との好評を頂きました。

 まあ――どこからどう判断いたしましても、ええ、ゲロですが」

 

「「「「「「「自覚あるんかい!!」」」」」」」

 

 シレッと言い切るホライゾンに総員のツッコミが炸裂するものの、その無表情を崩すには至らない。

 

 

「ささ、まだ中身が残っているでしょう? さあ、ぐぐーっと早々に処――堪能してください」

 

「早々に堪能って何だよ!? っていうかおめぇ今絶対『処理』って言おうとしたろ!? ……うっわ、やべぇこれ後からジワジワきやがる……!」

 

 

 全裸だから、鎖骨の上当たりからだんだんと青くなっていくのがよくわかる。芸能の神と契約しているからこその芸なのだろう。

 

 

 ホライゾンはさあさあと促し、トーリがジリジリと追い詰められていく。

 そんな光景を『なつかしい』と思う面々と、『戻ってきたんだ』と想う面々が、どこか微笑ましげに対岸の火事を眺めていた。

 

 そこへ――ホライゾンが、さらなる爆弾を投下した。

 

 

「ふむ――実はホライゾン、オチはまだ残しておりまして。本日かなり早い時間からこの毒ぶ――ドリンクを用意をいたしまして、はい。

 

 

 

 ……ええ。あり余った時間で、この場にいる皆様の分もご用意しておいたのです」

 

 

 

 ――梅組一同は何時の間に芸能系の神と契約したのだろうか。サァ……という音とともに、顔色が青くなっていく。

 皆が青い顔のまま青い顔のトーリへ視線を送り、視線を受けた全裸はホライゾンの死角にて細かく首を左右に振り――……手近にいた面々にゾンビが掴みかかった。

 

 

 

「は、離すのです! 小生まだ死にたくありまうわぁ口臭げぼいぃ!!」

 

「イキャー!? なんか、なんかフニャっとしたの当たったー!? ちょ、ソーチョー! ナイちゃんの羽離してぇええ!!」

 

「マルゴット!? て、テンゾー! 変わり身の術よ! ほら、マルゴットの代わりに逝ってきなさい!!!」

 

「だから字が違うでござるって! ってあああ!? 待ってトーリ殿! マフラーはらめぇえええ!!!」

 

 

 

「げきやくも みんなでのめば こわくない   とぉり」

 

 

 

「「「「「「お前一人で死ね!」」」」」」

 

 

 死にたくないと嘆くもの。短い人生だったと空を仰ぐもの。いまいち状況が掴めていないもの。自分の分を飲ませる相手を探す外道。

 それを、何時の間にか距離をおいて、「仲いいわねぇ」と放任するアマゾネス。

 

 

 ――なんてことはない。いつもどおりの光景だった。

 

 

「――ふぅ。皆様、人の話……ではなく、自動人形の話は最後まで聞くものですよ? 25人分の水筒など、ホライゾンが持っているようにお見えになりますか?」

 

 そんな中、ホライゾンは両手を軽く広げ、自分が手ぶらであることをアピールする。

 

 

「手ブラってロマンだよな!?」

 

 

 そう言って自分の胸を手で覆う馬鹿は総意でスルーした。

 公園のどこかに隠しているのかと周囲を見回しても、遊具やらの影にはなにもない。

 

 

「――私の木の葉には何も見えませんね」

 

「待て待て。あのホライゾンだぞ? 無いと安堵させてから絶望させるはずだ……つまりどこかに隠している可能性は極めて高い――例えば……だみ声でどこぞのポケットより取り出す、とか」

 

「ですけど、我が王の口以外から、その、あれな匂いはしませんわよ?」

 

 

 ヒソヒソ、とホライゾンを見たり周囲を観察したり、能力の無駄遣いを盛大にしながら、自分たちの安全を確保していく。

 

 

「皆様ホライゾンのことをどう思っているのでしょうか……正真正銘、ホライゾンは手ぶらです。

 

 ええ、実は、作ったは作ったのですが、どこをどう考えましてもホライゾンに運搬が出来るわけもなく――そんなときに『多摩』様を拉致なさっている止水様を丁度発見いたしまして」

 

 

 何故かサムズアップ。

 

 

「説明をしたところ、運搬については快く引き受けてくださったのですが……困ったことに、味見をした直後に猛然と一人がぶ飲み大会を始めまして、なんと皆様分を完飲なさってしまったのです。ホライゾンが咄嗟にトーリ様分だけは確保いたしましたが」

 

 

 …………。

 

 

 言葉、無く、音すらも……無く。

 

 

「え、えっと、あのよ、ホライゾン? そん時によ、ダムの奴、なんか言ってなかった? 多分俺宛に」

 

「ふむ? ……あ、Jud.そういえば、何か言っておりました。一言、『ごめん』と。

 

 ……全く、謝るくらいなら何故飲み干すのでしょうか。ホライゾンには理解できません。せっかく皆様が体を張ったギャグが出来るように――」

 

 

 

 

***

 

 

「くっ! 止水! しっかりしな! ここで気失ったらアンタマジで召されちまうよ!? 」

 

「カハッ……! グヌッ……ウ……!」

 

「――すまぬ遅くなった! 武蔵中の胃薬と解毒剤を持ってきたのである!! ……っ、止水君、今助けるのであるよ……!」

 

「ヨシナオ王! ああ、酒井学長いいところに! 悪いけど浅間神社に通神飛ばしておくれ! あれの元作った連中野放しにしたらマズイよ!」

 

 

「……え、これどういう状況? 朝飯食べに来ただけだよ俺? なんで穏やかモーニングタイムが修羅場な野戦病院化してるのこれ?

 

 ……えー……」

 

 

 

***

 

 

「……ねぇ」

 

「何も言うな。……皆、わかっている」

 

 

 空を見上げたネシンバラの言葉をノリキが遮る。その彼も拳をギュッと握り……暴れようとする感情を必死に抑えていた。

 

 

「あ、あのー……それってそんなに不味い系なんですか? いや、においからしてゲテ物系ってのはわかるんですけど……」

 

「おうアデーレ。……いや、だめだ。『なら飲んでみろ』って普通やんだけど、これはダメだぜアデーレ。俺の全裸が常時ボケだからいまんところ『常時ツッコミ』な感じで大丈夫っぽいんだけど……」

 

 

 水筒を揺らし、音からしてまだ半分以上残っているだろう中身を見る。

 

 ――ここにいる全員で半口ずつくらい逝けば、飲み干せるだろう量だろう。

 

 

 

 それを側溝に流すという案も浮かんだが……黒藻の獣達が何かを覚悟したように集り出したので廃案。

 

 ではどうする? と、梅組一同が唸り出したとき――武蔵全艦に、緊急を意味する警報が鳴り響いた。

 

 

 

『――後方にステルス状態にて急速接近する艦影補足! クラーケン級二、ワイバーン級六!

 

 ――アルカラ・デ・エナレス教導院の校章を視認! ……三征西班牙(トレス・エスパニア)の攻撃艦隊です! ――――以上!』

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「「「「……よっ、しゃあッ!」」」」」」」」

 

 

 

 

 

 ――これからの武蔵の歴史の中で奇襲を受けることは幾度かあるだろう。しかし、おそらく、ガッツポーズでその火蓋が切られるのは、これが唯一かもしれない。

 

 

 


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