『……おい浅間! 聞こえてっか!? 前に申請してた俺の『契約』!! あれ、認可してくれ!!』
――。
彼の声が、響く。
目を閉じて、それを聞いて。その意味を理解して――眼を、開けた。
まず真っ先に見るのは彼の姉。しかし、彼女はこちらを見るどころか、気さえ向けることなく……どこまでも優しくて、そしてどこまでも……悲しそうな、そんな顔で、ただ戦場を見ていた。
自分で決めろ……と、そういうことだろう。二人そろって、もう一人の幼馴染と合わせて。本当に困らせてくれるものだ。
「本気、ですか……?」
『ああ、本気だぜ? 俺はいつだって、本気だ』
この問に、意味は無い。一々問わずとも、最早それしかこの状況を打開する方法が無いことくらい、智にも分かる。
しかしそれでも……『もっといい方法があるのではないか』『もっと、別の手段があるのではないか』と――無意味と知りつつも、足掻いてしまう。
足掻いて足掻いて――それでも、何の、かすかな可能性の欠片も見付からなくて。今、至ってしまったのだ。
巫女として使い慣れた契約申請用の通神板を、ハナミと一緒に開く。いつもなら嬉々として手伝ってくれるハナミも、一つ一つの作業の合い間に、何度も何度も智を伺いながらで――作業は遅々として進まない。
『……ったく。なぁに迷ってんだよ浅間。これ、【王様の命令】だぜ?』
その言葉に、初めて智は通神の向こうのトーリを見る。いや、睨んだ――というべきだろうか。
(――私が背負う
【王の命令は絶対】。彼を王と定め、いまこの戦場を往く者は須らくその臣民であり、故に臣民に、王命を拒否する権利など当然無い。しかし逆を言えば……それにおけるすべての責任は、命を下した王に帰属するということである。
だから――。
「お願い、と、してなら……! 聞いてあげます」
それが、精一杯の、反抗だった。
(――背負わせて、やるもんですか。だってこれは、私の背負うべき、業なんですから……!)
『そっか……Jud.!! んじゃあ一丁頼むわ!! ……っていうか、もしかして怒ってる――?』
「当たり前でしょう!!! ……でも、分かってましたから。二人とも、こっちがいくら言ったって、いくら止めたって。聞いてくれない事くらい、止まってくれない事くらい――十年も前から、こっちは経験済みなんです――!」
十年前の馬鹿も、そして、今の馬鹿も。馬鹿だからこそ、言葉の説得なんか聞きやしない。
(――十年前の方なんかは、私涙ながらだったんですよ!? それなのにあの人は人の頭ポンポンして優しい顔で慰めてなんかきて……! 狙ってますよねあれ絶対落としに――)
『 あれ? 穢れ反応 ……? 』
「ンン! ……浅間神社契約者、葵・トーリ担当、浅間 智。葵・トーリ本人から申請されていた新規術式を通した上位契約を受理し、神社へ上奏します。……ハナミ」
『 っ……うんっ! いよぉーおっ! 』
――誰も考え付かない、否、思いついたとして一笑にするような契約。理論上可能というだけで、普通に考えたら何の益も、それどころか不利益しか生まないその契約が、今。
小さな小さな、その拍手を以って。
――八百万の神々に、通っていく。
「……ちゃんと、覚えていますよね? ――要請された加護は、ウズメ系ミツバの加護を転用した『契約者の全能力の分配と伝播』でした。……これで貴方は、貴方と共に往くすべての人達に、貴方のすべてを……分け与えることが出来ます」
(葵・トーリのすべて……? それが一体なんの役に立つと……)
一連の流れを静観しつつ――ヨシナオは思う。今この状況において、この状況の打破において。それに一体何の意味があるのか、何の価値があるというのか。
誰よりも非力。そして無能であるが故に聖連から武蔵の総長にと推された男。
(……? 地震、であるか?)
空になって久しいカップとソーサーが、小さな音を立てて揺れた。――否。揺れている。尚も……、否。更に、強く――!?
「あ、貴方、これは……」
(違う! 地震などではない……! これはまるで、武蔵そのものが鳴動しているような――まさかっ!?)
思い出した。
思い出せた。
彼の男は馬鹿で、馬鹿であるが故に総長で。総長のくせに生徒会長でもある。……そして、今日。ヨシナオ自身の采配によって、更に『兼』が増えたことを。
「……そうかっ! この為か! だからこそ『王』になる必要があったのか――!!」
「この為、ですか……?」
「T、いや、Jud. 今の奴は、この武蔵の副王を『兼業』している。つまりその権限にして武蔵全体の1/4を個人の意思で自由にできるのだ。――つまり」
一際に大きく揺れ、そして、それが唐突に収まる。武蔵八艦から収束された『何か』は、地中を、遮るすべてを砕いて進む。
それは荒れ狂うもの。それは、制御されるべきもの。
故に、収まったのではない。向けるべきものを、定めたのだ――!!
「……流体であるよ。この武蔵に、あらゆる形で寄せられた膨大な流体の1/4を、奴は自分の采配で自由に使用する事が出来る――!!」
そして大地から、いよいよ飛び出した
(もしそれが本当に可能なのだとしたら――あらゆる条件を問わず、彼と共に戦うものは、己の術式を無限に使い続けることが出来る……!)
もちろん、だからといって無限に戦うことが出来るわけではないだろう。――しかし、消耗を一切気にせず戦い続けることが出来るというのはかなりの強みだ。
少なくとも、ヨシナオはそんな相手と敵対したいとは思わない。消耗がないだけではなく、止水の術式もあわせて発動されていれば、朽ちることの無い不死身の軍勢――化け物と言い表していいほどに、強力な武力だ。
(だが……これだけの術式、止水君同様なんの代償も無く行使できるわけが無い……! 葵・トーリ……ッ!! 貴様は一体、何を捧げるというのだ……!?)
――それは、笑うことなく唇をかみ締め続けた智と。笑うことなく、その光景の一切を優しげな悲しげな顔で見守り続けた喜美を見れば。
……なんとなく、だが。
理解することが、出来た。
――接続は完了し、青い気炎のような流体が、彼の体より立ち上る。
そしてトーリから、全員へ。位置にして心臓……心へと。思いの丈を乗せた青き焔は伝播していく。
***
手を伸ばせる 足も踏み出せる
届くと分かっている 届かせたいとも思っている
あと、何が必要か
配点 《覚悟》
***
『わわっ、やった、再起動! ……っていうかこれすごいですよ!』
抗争の開始より今まで。基本運搬される重盾であったアデーレの機動殻の復活を皮切りに、削られ底を突いていた拝気も、そして疲れで大幅に減じられていた対内流体が、満ちていく。満ち溢れていく。
決して無限などではないが、それでも人の身にすれば無尽蔵とも言うべき力の奔流に、無力に打ちひしがれていた一同は、希望を見た。
「これなら……! おい、こんなこと出来るなら最初からやってくれ!」
一人のその言葉をはじめとし、幾人かがそれに倣う。これがあったなら、止水に無理をさせることも、それどころか、彼が無茶をする前に、抗争を終わらせることができたはずだ、と――。
『本当は、させたくありませんよ……! こんな事――』
「浅間殿……どういう、ことにござるか」
『……この術式の加護の条件、つまり奉納ですが……。芸能の奉納として『喜の感情』――つまり、嬉しさの感情を術者が持ち続けることが奉納になります。
……ですが、もしもその真逆――哀しみの感情を得たなら……奉納は失敗、穢れたものとみなされ、その穢れた全ての能力を禊ぎ、消失します』
全ての能力。それは、なにも腕力と言った身体能力や、剣術などの技術能力だけに留まることはない。
思考する
――生きる、
『つまり……今後『悲しい』という感情を持てば――貴方は
理解しているのだろう。それが、どれだけ理不尽な内容であるか。
納得しているのだろう。その道を、己が意思で選んだのだから。
……だが当然、理解することも、納得することさえ出来ない者共がいた。
「――けるな……っ! ふざけるな!! なんだそれは!? 『悲しいと思ったら死ぬ』だと!? 無理に決まってるだろうが――意味が無いだろうそれじゃあ! 助ける為にお前が死んだら、何にもならんだろうが!!
……他に、方法があっただろ……? なんでこんな術式を使った……っ!?」
いきなり距離をつめられ、いきなり胸倉を掴まれ。咎めるような、請うような数多の視線を一心に受けても、トーリは笑っていた。
「なんでって、そりゃ決まってんだろ?」
一拍ほどの間を置いて。
「――守りてぇ人がいるからだよ」
そこからまた一拍ほど。さらに、深く息を吸った彼は、前を見た。
「守りてぇ人がいる。そんでもってよ、失いたくねぇ奴もいるんだ。……俺は馬鹿で、何にも出来ねぇけどよ……カッコ悪ぃことだけはしたくねぇんだ。それに……」
笑顔が少し、はにかむ様に。
「十年だ。俺は十年もウダウダやってて――アイツに全部背負わせちまった。一緒に背負わなきゃいけねぇのに、十年もずっと、アイツにばっか背負わせちまったんだよ。……そろそろ、並びてぇんだ」
掴む手の力は、いつの間にか緩み。トーリの力でも、軽く払うだけで解くことが出来た。
幾多の視線を向けられる中、トーリは誰よりも前へ出る。誰よりも、止水に近い位置で、彼を見る。
「ん~、このまま突撃してもさっきのリプレイしちまうだけだよなぁ……おーい! 誰かぁ! 教皇総長&大罪武装を何とかできる『何か』を持った方~!! ぅお助っけPLEeeeeeeeeeASE!!!」
『その役目、私がもらうぞ!!』
通神、いや、これは直接だろうか。凛とした声が、戦場を翔ける。
『武蔵アリアダスト教導院――生徒会『副会長』、本多 正純!! 教皇総長に対し、対論による一騎打ちを望むッ!! ……旧派の『首長』であるならこの申し出、まさか断りなどはしないだろうな!?』
「おいおいセージュン気合入ってんな――でもまだ俺、決めてねぇんだけど……」
だがナイス! と親指を立てる。もっとも――正純が居るのは崖の上らしいので見ることは出来ないだろうが。
『友の窮地にいてもたっても、といったところか――よかろう。 その一騎打ち、受けてたとう!』
その返答に、どこかで馬鹿だ、いや男らしいんだ、という二分の評価が出たことはさておいて。
一騎打ち、つまりは一対一の対決ということである。――続けてつまり、不特定多数に影響を及ぼすだろう大罪武装『淫蕩の御身』も、正純との一騎打ちに勝敗どちらにせよの結果が付くまで、使用が出来なくなった。
『……葵。おそらく、私に出来るのはここまでだ。――止水のこと、頼んだぞ』
「おう、わかってるっての。それよか、セージュンこそ大丈夫かよ?」
『Jud. 安心しろ、最低限の時間は稼ぐつもりだ。それに、『こちらに来い』といわれているんだが、こんな切り立った崖を私が降りられるわけがない。精々、降りられる場所までぐるっと回るさ』
正純が居るだろう場所は、高さ30mは優に超える崖の上。ぐるりと迂回すれば――どれだけ急いでも一時間はかかるだろう。
当然、崖の上を進むにあたり、慎重な足どりで一歩一歩、確かめながら行くのだから――まず夜までかかるだろう。
『が、き、貴様!? 男……じゃないんだよな、そういえば――くっ、ああもういい分かった!! こちらが往くからそこでじっとしてろぉおお!!!』
「……うっわ。セージュンあくどいなぁ……けどま、これで問題も解決して障害も取っ払えたわけだな」
ドドドド、という足音と土煙を巻き上げながら走っていくインノケンティウスを苦笑いで見送れば、舞台は完成だ。
――後は役者が、通るだけ。
――覚悟を一つ、決めるだけ。
「お前は……ッ」
深呼吸。
「お前は……俺たちに、命の上を進めというのか? ……俺たちに、誰かの未来を犠牲にした未来を生きろというのか……!?」
「そんな難しく考えんなって――。安心しろよ! 俺、葵・トーリは《不可能の力》と共に、ここに居るぜ?」
……ああ、そうか。まだなのだ。まだ失われていないのだ。
だが、なにもしなければ。ただこうして、俯いていれば――それこそ、総てが失われる。
「……俺がお前らの不可能を、全部なにもかもすべて、受け止めてやる!! だからお前らは――残された『可能』の力を持って行け!
さあ眼ぇ開けろ! 俯いてる奴は顔上げろ!! 背けてる奴は前を見ろ!!!」
言われるがままに。
眼を開けて。顔を上げ――前を見た。
眼に映るは乱れる敵陣。隙ばかりしか見えない陣形は、もうこちらを何の障害にもならないと思っている証拠だろう。
そんな僅かな隙間から見えたのは、懸命に繋がんと、抗い続ける一人の刀。大罪武装が解除されてもその状況を打破できる力がもう無く――それにも関わらず、その場から逃げようともせず、何かを待っているように。
(――待って、くれているのかよ……!!)
「可能しかないお前らが、諦めちまったことはなんだ!? 今、お前らが心からしてぇことはなんだ!?」
……また、貫かれた。言葉はもう、届かないだろう。
言葉では、届かないのなら――。
「さぁ、『行け』……っ!」
……友の、下へ。
「行けよ……!」
……今も一人戦う、ただ一人の、友の下へ。
――かつて救えなかった――
「行けよ、『俺たち』っ!!!」
―― 190年も待たせてしまった、戦友の下へ!!!
「「「「「「「「「「「「「「――Judgement.!!」」」」」」」」」」」」」」」
供給される流体が、一気に青き焔を猛らせる。それがトーリの意思か、それとも、警護隊全員の意思が統一されたが故の最適化なのかは分からない。
――今、そんな野暮なことは、無用だ。
一気に駆ける。武器の類は大罪武装で分解されてしまったが、武器ならばあるとばかりに、両の拳を握り締めた。
「――? ……ふん、聖罰者共が。わずかばかりに回復した程度の見せ掛けで、崩せると思うな!!」
地面につきたてられた盾の硬いこと。思い切り叩き付けた拳から嫌な音が聞こえたが――痛みは無い。
……その事実が、更に心を高ぶらせた。
「「「……ああ、我らは偽り無く、聖罰を受ける者なりッ!!」」」
誰かが言った。自分たちは、『罰』を受けるべき者共だと。
盾と盾の間に身体をねじ込み、ありとあらゆる術式をありったけ使い、こじ開けていく。
距離にして20歩。まだ、遠い。
「「「「更に我らは……! 罪を重ね……王の可能性を食らいて進む大罪者なりッ!!」」」」
誰かが応じた。自分たちは、誰かの犠牲の上を駆けていく、大罪者だと。
道を作る。作った道にまた誰かが飛び込み、また道を作る。
距離にして、10歩。まだ遠い――!
「「「「されど我ら……されど、我らは!!!」」」」
距離にして。後、1歩。まだ遠い……!!
……そしてついに――その背に、並んだ。
――まだ、足りぬ――!
「「「「「「「「「 王に哀しみを、与えぬ者なりッ!!!!! 」」」」」」」」
……並ぶだけでは足りないと。もう一歩、いや何歩でも。全力で防御壁を作り、膝を付いている止水を中心に、陣を作っていく。
剣戟と銃声を間近に、後ろから聞こえてくる重々しく地面に膝を突く音と、荒い息に唇を強く噛んだ。
チラリと振り返れば、一瞥しただけで満身創痍とわかるほどだ。赤に染まっていない場所は無く、全身に軽くは無いいくつかの傷が痛々しい。
(くそッ……何で……!?)
それが、たまらなく不甲斐なかった。いくつかの傷以上に流れた血は、自分たちの所為なのだ。涙が滲み、視界が歪むほどに――その事実が、悔しくて。
(なんでこんなにっ……『嬉しい』んだよ……!!)
だが悔しさより、圧倒的に心を占めたのは――『歓喜』だった。
それも一人二人ではない。涙を浮かべていない者を探すことのほうが難しいほどに、堪えていない者などいないほどだ。
「……悪いな、っ随分……! 待たせた……ッ!!」
だが何故か、涙を流すことに疑問を感じることは、一切無かった。
――190年前、正純の言葉を聞けば、神州……極東が、重奏統合争乱の折、守り刀にすべてを押し付けて見捨てたように思えるだろう。
……それは、違った。
共に、立ちたかったのだ。例え役に立てなくても、例え足手まといになってしまったとしても――例えそれで、滅んだとしても。
「
涙は尽きることなく、止め処なく――後から後からあふれ出した。
190年という年月の中で、一体いくつの代を重ねただろう。守り刀という名を、今日初めて聞いたはずだ。止水という彼を――この日初めて、知ったはずた。
だが……嗚呼、やっと。――やっとだ。
――やっと俺たちは、共に立つことが出来る。
……荒い呼吸の中に……笑うような呼気が混じった。
「……止水。おめぇ、まだいけるか?」
点蔵たち梅組に護衛されるように遅れて到着したトーリが、止水のやや前に立ち告げる。士気は高い。力も十分すぎるほどにあるから、止水一人を抜いたとて、ホライゾンには届くだろう。
心配そうに聞いてくる声は、そのまま、止水の身を一心に案じてのものだろう。
「ん……Jud. 意地でも行くよ。――トーリに任せて寝てたら、なんか怖いしな」
「おいおいそんだけ言えりゃあ大丈夫だな! あれ……本気じゃねぇよな? まあいいや、さあ行くぜ! ラストスパートだ!!!」
読了ありがとうございました!