境界線上の守り刀   作:陽紅

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九章 それぞれの分岐点 【弐】

 

 

 まず足が力を失い、その両膝がまっすぐ大地に落ちた。

 

 中々に痛そうな状況だが、幸いにも柔らかい土と生い茂る草々がクッションになり、痛覚を刺激することはなかった。

 

 そして、足に続き、全身が力を失って前に倒れていく。──痛み云々の前に意識は既にないのだろう。いや、あるべき所に戻った、と言うべきだろうか。

 

 その大きな体──止水が前のめりに倒れる……その前に、その体を支えたのは桜枴だった。

 

 

 

【……気張れや、当代】

 

 

 

 桜枴が知り得る全てを伝え、他愛もない雑談に興じていたが……ついに時間がきたのだろう。もう少し話したかった気がしないでもない。主に惚れた女がいるのかどうか、野暮極まりない話題だが、諦めるとしよう。

 

 子孫にあたる止水の身を支えて、改めてでかいなぁ、と思う。180中程の身長で、鍛えられているがどちらかと言えば痩せている方である桜枴と比べると、身長差よりも体格の差が浮き彫りになった。肩幅など桜枴二人分は軽くあるだろう。

 

 そして何より、重い。『意識を失った人間は重い』──という重心云々の理由はあるだろうが……これは、この重さは……委ねられた命の重さだ。

 

 

 

【──……っ】

 

 

 

 重い。重、過ぎる。

 

 それを改めて実感して……込み上げてきた熱を、桜枴は唇を強く噛んで堪え、上を高く見上げることで抑えた。

 

 

 決壊は……しかし、防げなかった。

 

 

 

【……すまん……ほんにっ、ほんにすまん……!】

 

 

 支えた方も膝を落とす。腕を回し、頭を抱え……力なく倒れる子を、ただただ抱き止めた。

 

 ──大きくなった、のではない。『大きく成らざるを得なかった』のだ。より強くなるために……より多くを、守り抜くために。

 

 その事実を痛感し、そして、痛感することしかできない己の無力さに、桜枴はただ、涙を流した。

 

 

 

【……『止水の名』ぁ持っとるオンシにワシは……ワシらは、なんもしてやれん……っ】

 

 

 

 

 

 『止水』の名前の、その真意。

 

 

 

 六護式仏蘭西との抗争前に義経が言ったように、名前の一字に植物を(なぞら)える守り刀の一族において、その名は異端極まりない名前だった。

 

 だが、『過去に例がないか』と聞かれれば……否、という答えが返ってくるだろう。

 

 

 

 

 ──水を止められれば、植物は枯れる(死ぬ)。これは、自然界では当然の理だろう。

 

 

 だが、擬えているとは言っても彼らは当然ながら、植物ではない。己で考え、行動できる動物であり人間なのだ。水が止められると分ったならば、相応の行動を起こすだろう。

 

 

 そして何より──彼らは、守り戦うことを貫き続けた血族だった。

 

 

 

 その名は予言……あるいは予知という言葉が恐らく適切だろう。

 

 それが脅威に抗い続けた一族の血の為せる業なのかどうかは定かではないが、その子の誕生が、当代の一族全員に伝えるのだ。

 

 

 『一族総出。それも、全員が決死の覚悟で挑まなければならない程の大禍が迫っている』と。

 

 

 滅ぶかもしれない。故に──『止水』。

 

 

 ……だからこそ、それまでに肉体を鍛えに鍛え、業を磨きに磨くのだ。

 

 

 抗えるように。

 守り抜けるように。

 

 

 そうして、一族全員が止水の名の下に集い、大禍へ……その決戦に臨む。

 

 

 滅ばぬように。

 

 水を止めるその禍を、超えてなお、生き抜くために。

 

 

 実際、長い一族の歴史の中で、両手で数えられるほどではあるが、『止水の名を持つ守り刀』が産まれたことがあった。

 そして、その時節に起きた星やら時やら次元やらの終焉を……大きな犠牲を出しながらも、一族はなんとか超えてきたのだ。

 

 

 

 

【なんでじゃあ……なんで、こげなもん、一人にばっか背負わすかよ……っ】

 

 

 

 だが──……その名を伝える相手が、もう、誰もいない。

 

 たった一人の末裔は、たった一人で、『止水の大禍』に臨まなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 そしてそれは……もう、そう遠い未来の話ではない。

 

 人狼女王との激闘を経た止水は、さらに強くなるだろう。『鋸』『釵』はまだいいとして、使えば最期とされる『鐚』まで使い、なお生き残ったのだ。

 

 今はまだ経験こそ浅いため『一族最強の最有力候補』止まりだが、それも時間の問題だ。御霊達に"一族の集大成"と言わしめるほどの大器は、晩成を待つことなくもうほとんど出来上がっている。

 

 

 止水が真に一族最強となった時……それこそが、大禍の始まりだ。

 

 

 

 

 

 守り刀、最強。

 

 

 

 ……時代が時代であれば、と。そう思わずにはいられない。

 

 十三の刀衆達を背に従え、己が一刀の下に、大禍を払う一族史上の最強の頭領になっただろうに。

 

 

 

【時間か……っ】

 

 

 

 桜枴は、ついに来たその時に呻く。

 

 抱えていたその体が、緋色の燐光を伴って消えていく。意識が戻ったことで仮初めの体も流体に帰っていくのだろう。腕はすり抜け、空を切った。

 

 

 わかっていたことだ。

 

 ……なのに、拳を握る力は、弱ることなく強くなった。

 

 

 ──意味はない。

 

 

 行くな、と言ってやりたい。自分が同じ立場であったら、苦笑しか返さないだろうと思えて言えなかった。

 

 一緒に行ってやりたい。亡者でもいい、死霊でもいい──と、もし自分に付いてきたら「静かに寝てろ」と墓場に叩き返すだろうから、体は動かなかった。

 

 

 だから。この葛藤に……意味は、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 この葛藤は、この感情は──……無粋だ。

 

 

 

 

【ったく……『全部を守る』ば、大言ぞ吐きよってからに……!】

 

 

 

 顔を裾で、削るような強さで拭う。

 

 

 

 

 『守りにいく』と戦場に赴く血族に、慰めも労わりも、涙も同情も無用。

 

 

 送るべきは、その信念を貫くだけの、誓いの言葉。

 

 託す想いは、戦い、守り抜くための意思。

 

 

 

『……やってみろや! おんしの全部! 全霊ば賭けて、やってみせぇ!』

 

 

 

 天へ吠える。どう考えても届くことはないだろうが……構うものかと声を張り上げた。

 

 届け。そして……もしも。もしもその大言壮語、見事天晴れ果たせたのなら。

 

 

 

『──()()()()()()()、おんしの手ぇでここに差しに、戻ってこいやぁ!!』

 

 

 

 

 桜枴が両腕を広げて示した『ここ』。彼に見せたかった、唯一の場所。

 

 

 初代の大樹の、根元の一角。大樹に抱かれるように拓けた大地に突き刺さるのは無数の、今にも砕け散りそうな刀達だ。

 

 数にして、五十を超えるだろうが百には満たない刀達。

 そのいずれもが、刀身全体に錆が浮き、鍔は砕けて柄布は解れ、柄木そのものが風化して崩れているものも少なくない。最早刀という武器として使えはしないだろう。

 

 

 脇差から大太刀まで種類は多様である。止水が戦闘の際に抜く白銀の刀とは比べものにならないボロ刀だが……どれだけ錆び朽ちていようと、()()()()は一本としてなかった。

 

 

 

 『誉の根元』──どこかふざけた、しかしどこか誇らしそうに、桜枴は此処の名を伝えた。

 

 ……本当ならワシも此処に刺さっとるはずなんじゃがの、と付け足して。

 

 

 

 錆びたボロボロの一刀一刀が、何れかの時代の、守り刀の心刀であると桜枴は止水に語った。

 

 守ると誓い、そして、見事その誓いを果たし守り切った守り刀の心刀は、役目を終えて刃としての役目も終えるのだという。

 

 この地に自らの心刀を差すこと。それが、歴史に名を残さない一族が、唯一刻める『証』なのだ。

 

 

 

 長い歴史。一代で千人はいた守り刀は、全代総数にして数億──年代が定かではないのでさらに桁をあげるかもしれないが──なるはずだ。

 

 なのに、本懐を遂げることができたのは『五十を超える』ほど。

 

 

 それが多いのか少ないのかは……果たして誰が、決めるのだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

錆びた刀は鞘に戻れない

 

折れるか否かは、誰が知るのか

 

 

 誰にも知らず、知られることなく

 

 

 配点【手の内に答えを握る者】

 

 

 

***

 

 

 

 二代は自分に並んで飛び出す気配をいくつか確認した。

 

 女鬼武者──

 

 忠勝()が存命であれば『はぁ!? お、お前、巴御前に会ったのか!? サインは!? ちゃんとサイン貰ったんだろうな!? 蜻蛉切のメーター部分の余白はその為にあんだかんな!?』と大人気なく悔しがっただろう超有名人である巴御前。

 

 ……──の声に言葉に、その意味に。胸を熱くし鼓動を高めた者たちが、自分と同じように弾かれるように飛び出したのだろう。

 

 速度に自信のある自分に並ぶような速度が何人かいるようだ。

 

 

 だが。

 

 

「一番槍は譲れんで御座る……!」

 

 

 一歩毎に、加速術式『翔翼』を割っていく。道から屋根へ飛び上がる時には術式を無数に割って、さらに加速を重ねた。

 

 同時に飛び出した連中をあっという間に突き離し、未だ武蔵に落下途中の無賃乗艦二人組に突貫した。

 

 

 

「先輩! やべぇ……!」

 

「わかってる! 武蔵の副長だろ!?」

 

 

 東国無双の娘。そして武蔵の副長。今の二代には、それしかない。武一辺倒を自覚しながら、武蔵最強には程遠いのだ。というよりも未だに三河親善試合からの再戦が果たせていない。そろそろ寝込みを襲うか、本気で考えていた。

 

 

「それもだけどちげえよ! あんたの武装、全部バラされてる!」

 

 

 肉眼で表情が分かるほどに接近したところで、鬼の方の顔が「なにぃ!?」とばかりに歪んだ。

 

 武装……はて、なんのことでござろうか。

 

 

 内心で首を傾げながら駆ける二代のかなり後方で、足を止めた無表情系人妻が、火薬式の砲で徹甲弾を乱打した。

 

 

「巴御前の話を聞いていなかったのですか本多 二代! ()()()()は50mと教えられたでしょう!?」

 

「……あ!」

 

 

 あ、じゃねぇよ! と武蔵一同の感想が一致したところで、事を明かそう。

 

 とは言っても話は簡単で、勝家の持っている武装やら能力やらの全ての情報を巴御前が全てバラしただけだ。

 

 

 攻としては神格武装『瓶割』。蜻蛉切と同時期に三河で造られた兄弟武装であり、その力も蜻蛉切にほぼ類似して『刃に写ったモノを割()する』というもの。

 守としては聖譜顕装『意欲の慈愛・新代』。M.H.R.R所有の翼を模した塔盾型の武装であり、その力は『敵対行動を一瞬停止させる』というもの。

 

 そして、五大頂として織田信長より勝家に授けられた──『擬神(ミカール)』。

 

 その力は『使用者の扱う武装を、使用者の実力に応じて()()させる』というもの。

 

 

 ──中々に反則だろう? と忌々しそうに呟いた巴御前の言葉。

 

 割砕の射程は約三十m。蜻蛉切と大凡同じであるそれは、実質射程無視という理外へ。

 聖譜能力はおよそ五mほどの半径は、十倍以上の広範囲という、最早外法へ。

 

 

 

 故に勝家を中心にして、約五十m。近接戦術師にとっては十分遠距離と言える間を取らなければならないのである。

 

 そこに踏み込めば一瞬を奪われる。その一瞬を立て直す数秒の内に、必殺の威力を持つ割砕が奔るのだ。だから、その五十という距離を意識して、倒すというよりも武蔵から落とすことを考えろ、と。

 

 

 ──二代の体は、すでに二十m踏み越えていた。

 

 

 無数の徹甲弾を全身に喰らい、しかし何事もない様子の勝家に誾が戦慄する。軽い航空戦艦なら十分堕とせる火力が、牽制にすらならないのだ。

 

 

(常軌を逸するにも程があります……! まるで要塞……本当に生き物ですか!)

 

 

 その要塞のような鬼が動いた。

 

 

「へっ、向かって来てくれて嬉しいぜ武蔵副長! ()()()……!」

 

『──やらせるかってなぁ!』

 

 

 拡大された女の声が、勝家の言霊をかき消すように響く。瓶割の刃はすでに二代を写しているが、何事かと視線だけは向けた。

 

 見開く。『風を唸らせるほどに勢いよく回転する銀色の巨大な柱』が、二代の後ろから、猛然と二代を追い越して勝家に迫った。

 

 

「なんっ……ちぃ!」

 

 

 銀の柱は、七mはあるだろう巨大なレンチだ。受けたところでさしたるダメージはないだろうが、流石に重さでは負ける。弾かれれば武蔵艦上から落とされるだろう。

 投擲の残心をとっている赤い女型の重武神がわずかに見えたが、すぐに接近したレンチに隠れて見えなくなった。

 

 

 割断・割砕ともに、発動の最低条件は『刃に写す』という動作だ。故に、全身を覆えるほどの遮蔽物に身を隠せば、最初の一撃だけならば簡単に対処できるのである。

 

 

 だから、二代は突き進む。レンチに追い付き、回転するレンチを足場にして上に飛んだ。

 

 『レンチの影に隠れて接近している』という勝家の先入観を超えて二代が──武蔵でも数少ない勝家の防御力を突破できる力をもった武者が、やっと着地した二人の頭上を取った。

 

 

 

ー*ー

 

 

 

 ──ったく、貸し一つさね。

 

 

 投擲の残心も終え、手近な建物の影にすぐさま隠れる武神……『地摺朱雀』の肩の上で、直政は苦笑う。

 

 ……この()()()()()において、残念ながら武神戦力は不向きが過ぎる。格闘戦重視の朱雀は勝家にすれば瓶割の良い的になってしまい、成政相手でも小回りが利く上に武神を砕ける威力を連発できる。

 

 

 だから──戦わない。

 

 昂ぶる心を理性で抑え……巨大な武神で裏方に徹し、味方の最善となる形で、要所要所でドデカいサポートをするのだ。

 

 

 

 『守り刀を守る』……二代が巴御前の言葉に得た熱を、当然直政も胸に宿している。

 

 でも。

 

 

 

(──それで無理して怪我すりゃあ、止めの字も気分よくないさね)

 

 

 

 見上げるほどの巨躯が、片腕で抱きかかえられる程にちっこくなった様を思い出して苦笑する。……初対面の時に母親と言われたからだろうか、妙に意識して眠れなかったり変な夢を見たりしてしまったのは墓場まで持っていく秘密だ。布団の上でゴロゴロしてなんかいない。

 

 

 ──遮蔽物越しの激突音。割断と割砕が互いを喰いあったのだろう。聞こえる音に悲鳴の類は無く、飛んでくる指示にも副長への指示か注意だけなので、二代はどうやら無事らしい。

 

 

 そして、武蔵の一番槍に続いて、武蔵に集まった戦人たちが、道やら屋根やらを駆けていった。

 

 

 

 要らずの忍者に、勇士の気概を掲げた鬼僧侶。犬の武神に伝説の女武者。元西国無双も嫁と合流して夫婦共同作業を始めている。

 

 さらに特務勢半数・最強戦力のない武蔵勢にしても、武蔵野艦橋の上でギリギリ動ける程度に改修された従士の機動殻を盾に武蔵の主砲と大罪の姫がすでに敵高速艦に狙いをつけている。黒翼白魔女と半竜、そしてその半竜の背に乗った三拳の労働者も戦線に入った。

 

 通神板を見れば、先の抗争で緋衣を纏った元三河警護隊を主軸にした武蔵警護隊の指示伝達が矢継ぎ早に飛び交い、武蔵と鈴を中心に武蔵艦長衆が防壁・艦制御に全霊を向けている。

 

 

「過剰戦力で悪いね、五大頂。アンタら、タイミングが悪かったんさ。

 ──どいつもこいつも、ぶつける相手が目の前にいるのにぶつけられなくて、燻って、燻りまくってるとこに、八つ当たり出来る相手が来ちまったんさ」

 

 

 恐れさせ、忘れさせて、消えていく。

 

 

 ふざけんなと憤る反面、鈴がいなかったら──そう思うと本当に肝が冷える。

 

 

 説教は持ち越された。制裁は、ぶつける体が揃ってからだ。なにせ、罪人は武蔵の至宝を泣かせた大罪人だ。アマゾネスの厳罰が可愛く思える外道衆の本気外道が猛威を振るうだろう。

 

 

 その種火に燃料が突っ込まれ、風が吹いた。ならば、後は燃えるしかない。

 

 

 

***

 

 

 

 一方、武蔵が大炎上している頃。かなり離れた森の中で、眠り続けていた男がやっと眼を覚ました。

 

 パチリとむくりが完全に同時で……その同時の直後、むにゅんという擬音が脳内に響く。

 

 

 

「うにゃあ!?」

 

「…………。え、と。とりあえず、おはよう、でいいでござるか? 止水殿」

 

 

 慌てた羽音と遠ざかる猫のような悲鳴がマルゴットで、隣と言える近場にいた点蔵が、どこか狐につままれたような雰囲気で挨拶を告げる。

 

 

 本日未明。やっと動けるように、やら、未だ要介護、といった状態だったはずだが……止水が体を起こしたその動作は、あまりにも軽い。

 

 なお、点蔵は努めて、『顔を真っ赤にして胸元を抑えているクラスメート』を意識の外に外した。

 ……膝枕の状態で、その寝顔を微笑みながら眺め……顔と顔、口と口を近づけようとしては躊躇って……という光景はしっかりと撮影確保しているので、相方の黒翼にでも高値で売り付けてやるとしよう。

 

 

(数時間、寝ただけでござるが……)

 

 

 確かに止水の自然治癒力は人並みはずれている。だが、あくまで人間が基準であり、特化系の異族などに比べるとずっと劣る程度のものだ。

 それが、なんらかの異常で行われなかったからこそ、あの状態だったはずだ。人狼女王との戦い以降眠っていない、というトーリの証言からして、睡眠によってその異常が解除された、ということなのだろう。

 

 

「んー、Jud. まあ、間違ってないんじゃないか? あとマルゴット、なんかその、ごめん」

 

 

 返事もまた軽い。唸りながら首を動かし、『ゴキ』やら『バキ』の類似や派生系の関節音を豪快に慣らしていく。

 

 首が終われば、背中、背骨。上半身を前に倒し、腰回り。再び背を倒し、体を丸め……全身を伸ばすその反動で、なんと立ち上がった。

 

 

「……。とうとう、人間やめちゃった感じでござる?」

 

「──うん。やった本人が言うのもあれだけど……自分自身ちょっと怪しく思ってるわ」

 

 

 ふらつく様子はない。それどころか、五日間ほぼ寝たきりで凝り固まった全身の関節を豪快に鳴らして解している。

 

 見た目がまだミイラ男もどきの重傷者であるせいか、違和感が本当に凄まじかった。

 

 

 

 その様を見た周囲の現地女衆が、武蔵慣れしていないせいだろう。それぞれがしていた作業を止めて言葉を失っているほどだ。

 

 女達の装いを見るに、数十人はいるだろう女達は例外なく戦闘系。だというのに敵意やらはなく、距離感的には同じ試合を見に来た観戦者のようだ。

 

 

 全身を解した止水がやっと視線に気付き──誰? と首を傾げたところで、目の前に聳え建つ鉄塔……その最上階付近から何かを叩きつけるような異音が響く。

 

 

「……。なんちゃら二世か?」

 

「思い出そうと頑張ったようでござるが、その程度なら潔く諦めたほうがよかったでござるよ。

 ……ミトツダイラ殿が相対している最中でござる。戦闘開始、五分少々と言うところでござるか」

 

 

 そっか、と短い返し。

 

 

「おいおいねーちゃんたちぃ! 手ぇ止まってるじゃんかよー! ちょ、肉焦げる肉焦げ……お!? ダムやっと起きた感じか」

 

「やっと起きた感じだ。……で、トーリ。お前はなんで俺の服をエプロン代わりに付けてんだよ」

 

 

 呆然とする女衆の間から顔を出したトーリは、止水の言うように緋色の布を体の前面に付けている。なお、例に漏れることなく、全裸だった

 

 ……さすがの止水も嫌だったらしく、少し顔をしかめている。

 

 

「揚げ物作ってたらよ、油撥ねて熱いのなんのって! だから、いい大きさだったんでつい!」

 

 

 何が「だから」なのか、という理解は早々に諦めた。それよりも先に確認することがありそうだからだ。

 

 

「おば……あー、ネイトの母ちゃんもそっちか」

 

 

 ──確認終。一瞬だが、どえらい気配が膨れ上がった。それにビクリと反応した女達が視線を向けた先に人狼女王がいるのだろう。

 メアリも見当たらないが、点蔵が何もせずにこうしている時点で問題ないと判断する。

 

 まだほんのり赤い顔で唸っているマルゴットはとりあえず放置しておくとして……この場にいないのは、ネイトだけだった。

 

 

「点蔵。お前から見てさ、ネイト……なんか掴めたか?」

 

「……下地は出来上がっているかと。あとは、欠片ほどのきっかけさえあれば、という塩梅でござる」

 

 

 点蔵の答えに、止水は再び「……そっか」とだけ言葉を返す。言葉を濁してはいるが──未だ、掴めていないのだと。

 

 あと少し、あと一歩。

 

 ……武芸に限らず、ありとあらゆることにおいて、到達する直前の最後の一押しが最も難関である。それをよく知ってるからこそ、点蔵は言葉を濁したのだろう。

 

 

 

 完成形は見えている。それを行うに十分な身体能力はとっくに備えている。

 

 なのに、できない。長く苦しいその挫折は、時としてその道そのものを諦めさせてしまうほどの、大きなものだ。

 

 

 

 

 止水の決断は刹那。行動は即座であったが……それを、点蔵が横に伸ばした腕が余裕を持って止めた。

 

 横目にマフラーと帽子で隠された横顔を見るが、忍者は変わらず塔を見上げていた。

 

 

「──言っても無駄だ、というのはわかっているでござる。しかし自分、ウッキー殿から『トーリ殿と止水殿を奪還せよ』とパシリ依頼されているのでござる。故に……」

 

 

 一息。そして苦笑を挟み、告げる。

 

 

()()()とも、無事に戻ってきてくだされ。……酒屋一件の奢り、良い店をようやく見つけたのでござる。中々に穴場でござるぞ?」

 

「……? ああ、あれか。うん、Jud. 」

 

 

 返事に若干の間があったのは、いつものことだから気にしないでおこう。……この借りだけは、絶対に忘れさせてやるものか。

 

 

「んじゃあ、ちょっくら行ってくるよ。あ、そうだ、一応確認なんだけど

 

 

 ……なに二世だっけ、上にいるの」

 

 

 

 一同のズッコケが、見事にシンクロした。

 




読了ありがとうございました!

誤字脱字修正にご協力していただいている皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。
見落とし多くてすみません……!

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