境界線上の守り刀   作:陽紅

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次で人狼女王戦終了といいましたが……


終わりませんでした……!


六章 刀、散るは『鐚』

 

 

 

 高襟に隠された口元

 

 目深な鉢金で覆われた眉元

 

 

 ──それらを隠れ蓑にして、彼が真に隠そうとしたもの

 

 

配点 【泣かせないために】

 

 

 

***

 

 

 一族の外見特徴である黒い瞳と黒い髪。緋色の衣は盛大に巻かれた鎖の中なのだろうか。

 

 鎖の塊の上に乗る顔は若い。年の頃は正純たちに近く、精々が二十を超えるかどうか、という程度だろう。少女というほど幼くなく、しかし女というほど熟れてはいない。そんな絶妙な年頃の、しかし引き込まれそうな魅力を持つ美女だ。

 

 

【とりあえず、貴女にバレてしまったようなので記憶の改竄は解きますね? 実はこれ、地味に疲れるんです。私の力の本質から生じる……まあ、おまけのようなものですから。

 ──『どう疲れるのか』と聞かれるとお答えするのが難しいのですけれど……例えるならそうですね、『蟻を殺さないように何度も踏まなきゃいけない』感じでしょうか?

 

 ふふふ、全く、それを十万近い人数にやれ、なんて……【鋸】と同じように私のことを『絶対に使わない』なんて言っていたくせに、人使いが荒い子ですよね? 一体誰に似たんでしょう】

 

 

 楽しそうに、嬉しそうに話す彼女に、正純はどう返せばいいのかわからずに言葉を窮していた。

 

 今まで会った事のある一族の御霊たちとは、明らかに彼女──【鐚】は異質だった。鎖に雁字搦めにされている姿は止水の鎖蓑虫と大差ないはずなのに、その姿はただ見ているだけで筆舌しがたい不安を抱かせる。

 

 

 

 

 ……その鎖から解き放ってはいけない。彼女だけは、絶対に。

 

 

 よく喋るその言葉の中に滲む、隠しようのない狂気が、正純のその思いをより一層強くした。

 

 

【ああ、ごめんなさい。私ったら一方的にお話してしまって……ほかの人たちよりも出番自体は多いのですが、こうしてのんびり何方かとお話しする機会なんてなかったもので、つい舞い上がってしまったようです。

 ええと、どこまで話しましたっけ。……ああ、そうそう。一族から遠ざけるために記憶を改竄するのですが、貴女のように掛かり方が甘かったりふとした切っ掛けがあると思い出されてしまうんですよ。だから一緒に『関わる事すら忌避する位に恐怖を抱かせる』わけですが……まあ、最期くらいちょっと失敗してもいいですよね?】

 

 

 耳から入ってくる甘い言葉に思考を持っていかれそうになるが、首を振って無理やり治す。掴んだ情報だけは、絶対に逃がさない。

 

 【鐚】の力──『記憶の改竄』。過去からの記憶をどうこうできるのなら、現在の感情を操作することも容易いだろう。

 

 

 

(さっき諦めると言ったのは、自分の命のことか……!)

 

 

 あのままいけば、ネイトとトーリは無事に帰還を果たしていただろう。そしてそのまま武蔵が出港すれば……武蔵は強国・六護式仏蘭西の猛攻に()()()()()()()()切り抜けた、という成果を各国に知らしめることが出来る。

 

 それは、今後あるだろう列強国との外交、その際の大きなアドバンテージとなるだろう。

 

 

 

 ……尤も、そんな政治的なことを止水が考えるはずもない。

 

 

 

 彼は、もっと単純だ。

 

 トーリを救い、人狼女王が一先ず彼を諦めるだけの距離を、武蔵が行くまで時間を稼ぐ──ただ、それだけだろう。

 

 

 そして、それを成すために……止水は、自身の生還を捨てている。でなければ、『自分を忘れさせる』という手など取らないはずだ。そして、最期くらい、という【鐚】の言葉──。

 

 

「くっ、ミトツダイラ! 銀鎖で止水を拾えるか!? ネシンバラ、機関部と部隊の指示を頼む!」

 

『正純!? いきなりなにを、それに止水って……』

 

「本当だよ! 本当にいきなりなに言ってるんだいヅカ本多くん!? なんか嫌な予感は僕もしてるけど、指示の急遽変更は現場が混乱する。取り敢えず落ち着いてくれ!」

 

 

 なんとか挽回しよう、と正純が声を荒げるが周りの反応が鈍い。まるで、これ以上なにかをする必要性をなにも感じていないかのような……止水の存在を、未だ思い出していないような。

 

 

 ──おかしい。先ほど【鐚】は改竄を解くと、確かに……。

 

 

【ああ、ごめんなさい。言葉足らずでしたね。

 ──貴女にバレてしまったようなので『貴女の』記憶の改竄は解きますね? という意味だったのですが……まあ、些細な意思不疎通、認識の違いです。気にしないでください】

 

「……っ!」

 

 

 さも、どうでもいい事ですよね、と言わんばかりの【鐚】の自己申告に苛立つ。

 

 自分の一族……極端に言えば家族の危機である。にも関わらず、嘲笑すら浮かべそうな物言いに正純は怒りを覚えたが、それどころじゃないと無理矢理抑え込んだ。

 

 

(どうする!? 確かに今から指示を変えたところで、余計に混乱するだけだ……それに、止水は人狼女王の足元……回収できるか……!?)

 

【いえ、出来ないと思いますよ? 普通に考えて無理です。こういう場面でよく呼ばれる私でさえ、あれほど高位の『神域到達者』は見た事がありません。諦めないことは美徳かもしれませんが、往生際が悪いのはいただけません。あの王の子を救えるんですから、それで満足しておくことをオススメしますけど】

 

 

 

 脳裏に最悪がよぎり、それを否定しようとしたら、その最悪を現実として突きつけてくる。

 

 ──抑え込んだ怒りが、膨れ上がった。

 

 

 

 

【ふう……私を睨むのは、それこそお門違いというやつです。この結果はあの子が弱かったことと……貴女方があの子を信じきれなかったが故のものですから。

 ──信じていた、という反論は受け付けませんよ? 今回の一件が始まる前に『一人で戦う』とあの子はハッキリと言ったはずです。なぜ言う通りにしなかったんですか?

 

 あれは『貴女方を危険な戦場に行かせたくない』という思いが大半でしょうが、『自分一人なら大丈夫』というのも絶対にあったはず。逆に言えば……】

 

 

 【鐚】を縛る十二の鎖の内、大半がその拘束を音を立てて強める。まるで「その先は言わせない」とばかりだが──それでも、彼女の言葉を止めることは出来なかった。

 

 

 ──これは、これだけは、絶対に告げる。

 

 ……告げねば、気が済まない。

 

 

 

【……『貴女方が出しゃばってくると大丈夫じゃなくなる』ってことなんですよ?

 

 嗚呼……ほら、また。見てくださいよ。そうこうおしゃべりしている内に、あの子が命掛けで勝ち取った『唯一の成果』まで台無しになってしまうようです】

 

 

 

 ──なにを言っている。という疑問は浮かばなかった。それとは違う疑問が、真っ先に脳裏を過ったからだ。

 

 

 

 『なぜ自分だけが【鐚】の力から抜け出せたのか』

 

 

 そして、

 

 

 『未だ思い出せない、皆との差は何か』

 

 

 

(……なまえ……?)

 

 

 手掛かりはあった。

 

 しすい、と。黒藻の獣に復唱するように呟いた瞬間から、彼に纏わる全ての記憶を一気に取り戻した。

 

 

 忘れさせられた記憶を取り戻す『鍵』が『名前』なのだとしたら……もう一人、正純の指示を受けて、鍵を得た者がいる。

 

 

 

 

『な、一体なにを……! 血迷ったでござるか!

 

 

 ──ミトツダイラ殿!』

 

 

 

 答えに至った瞬間、点蔵がその答えを叫んだ。

 

 ……銀の鎖の、女主人。空中にて王との中継を担っている銀髪の騎士が──軌道を力技で変え、鎖の一本を刀へと飛ばしていた。

 

 

 

―*―

 

 

 

 騎士が無理に動いた事で、朱雀の釣り上げた軌道が崩れる。

 

 翔ける半竜は速度を重視しすぎた形態のため、大幅にズレた軌道に合わせる事ができず。

 

 その背に乗る忍は騎士の暴挙を取り直そうとするも、後ろ腰に帯びる刀に違和感と焦燥を抱いて本来の動き・思考ができず。

 

 槍の女武者は蜻蛉切の鏡面に人狼女王を写そうとするが、不幸にも敵と味方が一直線に重なっていて割断を成すことができなかった。

 

 

 

 ──全てが最悪の形で連鎖する。一つのほころびが全てに影響を及ぼし、脆く崩れていく。

 

 きっかけがネイトなのか、正純なのか。それとも黒藻の獣たちなのか、はたまた止水なのか。言い出せばキリがなくなってしまうだろうが、致命的な隙であることに変わりは無かった。

 

 

 殺意を込めた連打。それに反撃し、生き残って尚自分を止めようとする相手に抱いた驚愕は、とっくに抜けている。

 目測で測る意味も無い。一足の跳躍で届く距離に全員がいる。まとめて打ち据えれば、それで終わりだ。

 

 

 …… 足を掴まれてこそいるが、所詮細い枯れ枝が一本絡まった程度。造作無く引きちぎれる。

 

 

 

 

 

「……い──せな、……」

 

 

 

 

 ……だが。

 

 

 掠れにかすれ、声になっているかさえも怪しいか細い音だったが──人狼女王は、確かに『行かせない』と聞いた。

 

 

 機械仕掛けの腕は大破し、至る所で火花が散っている。掴まれている足首に微かな握力を感じるが、それすらもなぜ動いているのか、さっぱりわからなかった。

 ……その本体も満身創痍である。全身の骨を砕き、肉を潰し、臓腑の幾つかはもう使い物にならないほど、徹底的に破壊した。奇跡的に迅速かつ的確な処置が間に合ったところで、おそらく彼の命は一時間と保たないだろう。

 

 

 ……だと、いうのに。

 

 

 

「…………」

 

 

 足首を掴む力が、微かに……ほんの僅かにだが、確かに強くなる。

 そして酷くか弱い力で、足が引かれた。……守るべき者たちから、少しでも自分を遠ざけようとするかのように。

 

 

 

「いか、せ、ねぇ……ぞ……ぜ、たいに……っ!」

 

 

 眼は虚ろで、意識があるのかさえ怪しかった。

 

 だだそれでも……『守る』というその信念を、この男は少しも、僅かたりとも、曲げていなかった。

 

 

 

 逡巡する。

 

 ──この行動を無視するのは、あまりにも無粋だ。

 

 

 

 

「……その気概に免じ、一つ、チャンスを差し上げますわ」

 

 

 戯れだ、とテュレンヌは自覚し、苦笑する。

 

 流石に無いだろう、無理だろう……そう思うその傍ら、『この子ならば』と期待し想像する自分がいた。

 

 

「もう一度、あと一度──立ち上がり、私の前に立ち塞がりなさい。もしそれが出来たのなら……あなたの王であるあの子を、そうですわね……五日は食わぬと誓いましょう」

 

 

 そう言って、人狼女王は鋭く飛んで来た銀鎖を無造作に掴む。止水を救うために伸ばされた銀鎖は当然止水には届かず……それどころか、かつての主人であり、また圧倒的な技量の前に呆気なく操者権限を奪われてしまった。

 

 

「もう、銀鎖の使い方がなっていませんわね。母がお手本を見せてあげますわ」

 

 

 握り方、手首のしなり。たったそれだけの動作で全ての鎖が複雑に動き出す。トーリを掴む鎖が撓み、低い位置で離す。武蔵へ伸ばされ朱雀に掴まれていた鎖は乱れ、少なくない被害を朱雀とその周囲に齎らし、戻る途中で翔ける半竜たちを強かに打ち据えた。

 

 空中にて制御を失ってしまった四人は、最早ただの『的』だ。そして的を撃ち抜くために、人狼女王は『銀十字』を高速で展開・構築し、その砲口に力を溜める。

 

 ……足を掴む力が増した。

 

 

「あら、安心していいですわよ? 貴方の時に加減の仕方はちゃあんと覚えましたから」

 

 

 そう言って跳ぶ。掴まれていたが、何度も言うように大した障害ではない。

 

 

 

 距離を計算し、構える。四つの的はうまい具合に纏めたので範囲に問題はない。

 

 ──最も近い場所にいた自分の娘の顔が見え、悔しそうに歪んでいるのにほんのすこし罪悪感が湧いたが、これも弱肉強食(自然の摂理)。この挫折をバネにして、母のいる舞台(ステージ)に上がってくることを祈りつつ。

 

 

 

「──『戦乙女の神鉄槌(ワルキューレ・マルトー)』」

 

 

 

 砲口を向け、打つ。全方位広域に渡る力を前方だけに絞ることで、威力と射程が強化された一撃は、四人は元より武蔵にすら届くだろう。

 

 

 

「あら?」

 

 

 だが、娘よりも先に、割り込むように飛んで来た二本の杭のような()と黒い手の軍勢に直撃した。

 

 ──拮抗は刹那。人狼女王が後出しで力を込めたことで平然と押し勝つが、手加減を重ねた神鉄槌の威力は大幅に削られ、四つの的を強打するだけとなった。

 

 

 

 

 

「……私としたことが、忘れてましたわ。武蔵の姫、大罪武装──そして」

 

 

 

「あれが……ズドン巫女……!!」

 

 

 

 

***

 

 

ホラ子『──ホライゾンよりも浅間様が真打扱いされている件について。皆様、どういうことですかこれは。引き立て役になってしまったホライゾンといたしましては『妥当ですね』と判断いたしますが』

 

約全員『それどころじゃねぇよ!』

 

 

***

 

 

 

 的扱いされた四人ではあるが、決して諦め、状況に甘んじたりはしなかった。

 

 

 強固な甲殻を持つウルキアガは、全身を大きく広げることで防御に優れない二代と点蔵の盾になった。

 

 その半竜の動きに的確に応じたのが二代だ。未だ成功したことのない『事象の割断』をこの土壇場で成功させ、自分たちと武蔵の『距離を割断』することで衝撃の始点から多少ではあるが遠ざけることに成功する。

 

 

 逆に、何もできなかったのが点蔵とネイトだ。

 特に人狼女王に一番近かったネイトはダメージが大きい。防御しようのない範囲打撃で全身を叩かれ、意識を手放して武蔵へと吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 それを見届け──双聯・梅椿と銘打たれた武蔵切っての剛弓が、大きな音を立てて地面に落ちる。

 

 

 術式符をこれでもかと貼り付けたために杭のような太さになってしまった二本の矢と、その剛弓。その一組を体を回すようにして収納空間から引き出し抜いて、照準。

 走狗であるハナミを呼ぶ暇もなかったので、込められる内燃拝気をただ只管ありったけ込めて、射撃。

 

 

 その一連の動作を二秒程で行い……智は消耗と反動で崩れ落ちた。

 

 

 最悪だ。これ以上ないほどに、最悪の状況だ。唯一武蔵で抵抗できる可能性がある四人が一蹴され、トーリが再び敵の手に落ち……そして、()()が一人戦場に残ってしまったことを、彼女は理解した。

 

 

 

「はっ……はっ……」

 

 

 気怠い。三河の時とは違い、意識を失う寸前まで拝気を込めた反動だ。慌てて表示枠からやってきたハナミが必死に処置を行い、大気中の流体を還元して微量にだが補填してくれているのでギリギリ意識が保てている。

 

 

 ……これ以上の『射』は、多分きっとできない。そう無意識に思うほどの一撃は、しかし容易く打ち払われた。

 

 

 

「っ……なんで、ですか」

 

 

 へたり込むように座る足が、強い鉄の匂いのする液体で汚れる。赤黒いそれは確認するまでもなく血で……彼がここに激突し、そして両腕を引きちぎったときに溢れたものだろう。

 

 『残された両腕の術式保全』……智ほどの術者が行えば、一週間くらいであればほぼ時間停止の状態で保管することができる。血液の流れを失った瞬間から細胞の死滅は始まる云々を言うまでもなく、保全が早ければ早いほど繋がる可能性が上がり、また後遺症の可能性も低くなるのだ。

 

 

 片腕四刀。計八刀で縫いつけられた腕を目の当たりにした時、智はあまりの凄惨な光景にわずかに尻込みをしたが、しかしすぐさま立ち直ったのは、流石というべきだろう。

 

 

 ──だが、保全のために真っ赤に染まった緋の着流しを剥がした所で、それは込み上げた。

 

 

 

 堪える間もなく溢れ出した『涙』と、押さえる暇もなかった『怒り』で、視界も思考も塗りつぶされた。

 

 

 

 

「私達が、弱いからですか……? 頼りに、ならないからですか……!?」

 

 

 見てしまった。

 

 

 彼が十年もの間、ずっと、隠し続けていたモノを。

 

 

 

 ──両腕に刻まれたそれは、幾多数多もの傷()だ。それらは総じて古く、明らかに今回の抗争で負ったものではない。

 

 皮膚表面積の七割にも及ぶだろう傷痕……その数と大きさは、英国で武蔵に加わったメアリの比ではなかった。

 

 

 傷に傷が重なり、治りきる前にまた新しく傷を負い……抉れ、歪になったそれの傷痕たちに、智は当然見覚えがない。だが、予想も仮説も簡単に立てられる。

 

 

 止水は──人体に馴染みやすい緋の流体で、擬似的な皮膚を作り、それで覆うことでひた隠しにしたのだ。

 

 

 起きている時は当然として、寝ているときも、酒に酔っている時でさえ。

 

 ……誰かと会い、言葉を交わし、笑い合っている時でさえ。

 

 

 ……そうして隠して、なんでもないように振る舞うのだ。

 

 

 

「バカ……!」

 

 

 

 ──滲んだ視界の中で、智の優れた視力が……傷だらけ、傷痕だらけの一人の男の背中を捉え……そして、ゆっくりと意識を手放した。

 

 

 

 

***

 

 

 

 『もう一度立ち塞がれば、トーリの命が五日伸びる』

 

 

 ……このおばさん、ホンットーに性格が悪い。ネイトに遺伝しなくてよかったホント。

 

 

 そんな事をこの危機的・絶望的状況で言われれば、立つしかない……のだが、もう全てを出し切ってしまって何も残っていなかった。それどころか──

 

 

(……確実に、死ぬな。こりゃあ)

 

 

 

 王刀【鋸】の行使。そして、ほとんど間を置かず、微刀【釵】と悪刀【鐚】の同時使用。

 

 ……契約した刀たちから常時供給される流体では二刀行使の維持が精一杯であり、体の治癒に回せる余力がなかった。

 

 

 意識が、どんどん薄れていく。比例して真冬の寒空で水浴びでもしたように体が冷えていき……反比例で、体の至る所にできた致命傷からの出血は減っていった。

 

 

 

 ──死が、もう目の前まで来ている。それはきっと、覆しようのない確定事項なのだろう。

 

 

 

(じゃあ、もう、いっ、か。死ぬんなら──……

 

 

 もう、隠す必要も、ねぇだろ)

 

 

 嘘を吐くのは苦手だ。瞬間的にバレる。……何回か吐く前にバレるほどの、筋金入りの嘘下手だ。なんでバレたのか教えて欲しい。

 

 

 ──だが隠す事は、意外と上手いのだ。……そこに本人の意思があるかどうかは別として。

 

 

 

 そして『傷痕(コレ)』は、珍しく意識して隠してきたことだった。

 

 十年前、傷だらけのミイラ男のような状態でバッタリ会ってしまった智に泣かれて、それ以来ずっと、ひた隠しにしてきた。

 

 

 緋の流体で作った擬似的な皮膚。見た目感触は肌と同じで、なんと触覚すらある。一度かければ風呂に入ろうが寝ようが触られようが、本人が外すまで外れない。止水自身も忘れてしまうほどに高性能な代物である。

 しかし──浅間神社で諸々の調整をする際、その時だけはどうしても外さなければならない。……智に傷痕を見せるわけにもいかないので、彼女が携わる事を頑なに拒み、時には逃げ回っていた理由がこれだ。

 

 

 

 ……それを、外す。自らの意思で、外す。

 

 もう、隠す意味がなくなったから。

 

 

 

 ……傷痕を隠すために使っていた流体は僅かな、それこそスズメの涙ほどの量だ。それを、動かない体を動かすために回す。……傷の治癒には回さない。無意味だからだ。

 

 

 

 うつ伏せから蹲り。そこから、震えながら膝を立てて……体を持ち上げる。

 

 

 ──荒い呼吸。一息ごとに命を削られるような吸い吐きの中で、苦笑。

 

 

 

(わかってたけど……汚ねぇ体だな)

 

 

 ──見える胸、腹、脇腹。そして、自分では見えない背と首と、顔。

 

 どこか一部だけを見ても、十を軽く超える傷痕が目についてしまうだろう。一度バラバラにして無理矢理繋ぎ合わせたかのような、そんな体だった。

 その上に今回の人狼女王との戦い……戦ってる気が相手にあるのかどうかわからないが……そこで負った諸々の負傷で、血やら泥やら、色々と酷いことになっている。

 

 

 

 ……十年の結果がこれだ。十年前に智に泣かれた時よりも、さらに酷くなっているのだから嫌になる。

 

 『また泣かれるかなぁ』と考えたが、すぐに『【鐚】の力で忘れているだろう』と開き直った。

 

 

 そして、その目前に、一撃を放ち終えた人狼女王が降りてくる。驚愕し、そして歓喜する笑顔を湛えて。

 

 

 

「ふふ、ふふふ。個人的にはそっちの方が好みですわね。こう、野趣あふれる感じがしますもの。男の子は優しく、しかし優しさのなかにもしっかり野生がありませんと。でも、なぜ隠していましたの? 傷を気にするような、繊細な性格でもないでしょうに」

 

 

 人狼女王は満面の笑みを浮かべている。無理だろう、と思いつつ期待した。それに、目の前の男の子は応えてくれたのだ。しかも何やら自分好みの変身まで遂げている。

 

 ご機嫌になるな、というのが無理な話だろう。

 

 

 

「……いーや、結構、気にするぞ?」

 

 

 確かに、傷痕なんかどうでもいい。それが守ってできた傷なら、むしろ一族としては誇るべき勲章だろう。

 だが──。

 

 

「辛そうに、泣かれると、さ。酒が──美味く、なくなるんだ」

 

 

 ──どうせ浮かべるなら、涙よりも、笑顔のほうが酒に合う。殊更、女の涙は酒には絶望的に合わないのだ。

 

 言葉は幾度も途切れる。痛みと、失いそうになる意識を繋ぎ止めようとする歯の食い縛りのせいだろう。しかし、言い切った。

 

 

 

 言い切って、立ち上がった。

 

 

 

「……なあ、トーリさ。ちゃんと寝てるか?」

 

「ふふ、気絶とは言いませんのね? ──鼻提灯ってワタクシ、都市伝説の類だと思ってましたのに……それがどうかしましたの?」

 

 

 契約している芸能神が云々、本気で寝ている時にしか鼻提灯(それ)はできないらしい。本人談だが、真面目に悔しがっていたので本当なのだろう。

 

 ……立ち上がりこそできたが……それだけだ。目の前の最強は、『立ち塞がれ』と言った。

 

 

 

「決まっ、てんだろ? 馬鹿な男の……」

 

 

 ──情けないこの姿を。

 

 

「……下らない意地、だよ」

 

 

 ──トーリにだけは、見られたくない。

 

 

 

 

  覚悟を決める。

 

 

 

   この最強は言った。

 

 

 

 ──ここが『人間の限界だ』と。

 

 

 

(……『人のままで守れない』ってんなら、簡単だ。()()()()()()()()()

 

 

 

 

 己を捨てる。

 

 どうせ死ぬ。ならば、ここで何を惜しもうか。

 

 

 

 ──その上で、祈り、願う。

 

 

 

 

   自分はもう、皆と共には行けないだろうけれど。

 

 

   せめて、皆の行く道が……辿る未来が。ほんの少しでも……安らかなものになりますように。

 

 

  続けてこの最強は、こうも言った。

 

 

(……『永遠の鍛錬でも届かない』っていうのなら、越えればいい……!)

 

 

 

 

 行け。

 ……生きろ。

 

 

 泣いて。

 笑って。

 

 ……生きろ。

 

 

 

 

 その為ならば。

 

 ──くれてやる。この命。

 

 

 

 

 

   ……永遠の、その先へ……

 

 

 

 

  ──*──

 

 

 

 

 バキン

 

 

【……嗚呼。結局、こうなるのですね。まあ、わかりきっていたことですけれど】

 

(鎖が、壊れ……!? な、なんだ、この怖気は!?)

 

 

 

 ……バキン。バキン。バキン。

 

【一応説明しておきますと、私こと【鐚】は各流派の御霊で唯一、代変わりを行った()()()なんです。ああいう人理から外れた『神域到達者』を止めることを主眼に置き生み出された流派……『対神』を追求した一派です。だから、一族の中でも結構強いですよ? 自慢になりますが】

 

 

 ──バキン。バキン。バキン。バキン。バキン。バキン。バキン。

 

 

【……ですが、私の生まれた時代というのが神域到達者が現れなくなった時代でして。そんな時代でも戦争はずっとずーっと続いていたんです。馬鹿馬鹿しいですよね。

 

 そんな時、ふと思ってしまったんですよ。うちの一族は守る守ると言っておきながら、いつも後手後手に回ってしまって守れないんです。そこで私は考えました。『どうしたら後手に回らなくて済むのだろうか』と。

 

 

 ──答えは簡単。『先に滅ぼしてしまえばいい』んですよ。守りたい人たち以外の全てを滅ぼしてしまえば──ほら、守り抜ける。

 まあ……それを実行しようとしたら一族総出で私を討ちに来まして。大人気ない当時の頭領や十二流派の筆頭を中心にした数百人と切った張ったで大陸一つ沈めてしまう大喧嘩をして、相打ちの末にこうして鐚の御霊となり封印されていたわけですが】

 

 

 

 ……バキン……!

 

 

 

 

 幾重にも幾重にも巻かれていた十二の鎖。その全てが、砕かれた。

 

 

【 ──『悪名戦離(あくめいせんり)()()

 

 ……先ほど、言いましたよね? 『記憶の改竄や恐怖伝播はおまけだ』って。あの子があのまま死んでしまうんじゃないかって不安でしたが、無事に伏線の回収ができました。

 ──感情や記憶の操作なんて回りくどいことをしなくても、恐怖なんて、簡単に抱かせることができるんですよ】

 

 

 鎖から解放され、そこから現れたのは、華奢な体だった。

 

 ……病的なまでにその肌は白く、また痩せ細った体にボロ切れのような緋色の布を纏っている。

 

 

【では、さようなら。ああ、しっかり捕まっていたほうがいいですよ? もう三十秒経ちましたから】

 

 

 トン……と。全ての枷から解放された体が、無造作の跳躍で高く飛ぶ。同時に、武蔵全艦が大きく跳ねた。

 急激な加速。軋み、歪み──崩落するIZUMOから焦るように距離を取っていく。

 

 転がり、倒れ……それでもなんとかしようと足掻こうとする正純を眼下に見送り……【鐚】は吐息を一つこぼした。

 

 

 

【……本当、後手に回ると難しいですね】

 

 

 生前の感傷を一蹴し、武蔵を見送った【鐚】はさらに空を蹴り、加速する。

 

 神域到達者……人狼の女王だという女を前に、命を捨てた、己が子孫の下へ。

 

 

 

 見上げてくる敵を見つめ、ふと思い出す。そういえばあの女、止水が腕を引き千切る前、なにやら下らない事を止水に問うていた。

 

 

【…… なにが【我ら(守り刀の一族)】を突き動かすのか、でしたっけ。ふふ、理由なんてありませんよ。

 

 ……けど、それでも強いて言うのなら──】

 

 

 

 

 ──聞こえてしまったからですよ。

 

 誰にも助けを求められない人が、最後の最期まで堪えて……それでも、虚空に向かって小さく呟いてしまった『助けて』という声が。

 

 

 ──見えてしまったからですよ。

 

 残酷な運命を前に、拳を握り歯を食い縛って、必死に受け入れようとして……それでも、堪えきれない涙に震える小さな背中が。

 

 

 

【……一族の血に刻まれた、悔恨の記憶。刀より生まれし【守り刀の一族(我ら)】が、刀のころより受け継いできた原初の信念。ただ、それに従っているだけですよ。その子も、そして私も】

 

 

 

 ──ただ願った。守りたいと。

 

 

 そして、誓った。

 

 ……この残酷で、理不尽な運命を断ち切る、一振りの刃になるのだと。

 

 

 

 たとえそのために、どれだけの悪名を飾ろうとも。

 

 たとえそのために、どれだけこの身を窶そうとも。

 

 

 

【でも……この永劫に続く呪いも、やっと、終わる】

 

 

 

 

 

 止水の大きな背に【鐚】がぶつかり、そのまま体に()()()()

 

 軽い衝撃に踏鞴を踏む止水──耐えきれず崩れるだろう、と予想したテュレンヌだったが、強く大地を踏みしめるその足にその予想は覆された。

 

 

 ──今にも消えそうだった命の火が、その存在感が、爆発的に膨れ上がる。

 

 同時に、わずかに見える傷のない肌が強い褐色に、黒い髪が色素を失い蛍火色に、瞬く間に染まっていった。

 

 

「ぐぅ、あ……っ」

 

 

 

 苦悶。そして、僅かに残っていた【釵】の義腕が音を立てて粉々に砕け、その断面と背中から耳を塞ぎたくなる異音が鳴り……。

 

 

 

 両腕の傷をさらに広げるようにして、白骨色の鋭利な甲殻を有する異形の双腕が()()()

 

 そして、堪えるように丸めた背中の肉が割け、大きな肩胛骨が露出し──肉と骨を材料に、先の双腕と同形状の二対四腕が形作られる。

 

 

 総じて、三対六腕。

 

 仏教──かの鬼神の姿を彷彿とさせる、その姿。

 

 

 

 

 

「■■■■■■■■■──────っ!!」

 

 

 

 ……憤怒の形相を浮かべ、狂ったような咆哮を上げるその姿に。

 

 理性や人格……記憶すらも、残っているようには見えなかった。

 

 

 

 

 




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