境界線上の守り刀   作:陽紅

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時間が掛かってしまって申し訳ありません……少々スランプ気味です。

……息抜きで別作を書いています。仕上がり次第では投稿するかもしれません。


三章 決戦前の支度場 【明朝】

 

 

 ――深く、暗いところに沈んでいた意識が、耳に入ってくるチチチという鳥の鳴き声で、ゆっくりと明るい方へと浮かび上がってくる。

 

 

(あさ……?)

 

 

 思考が鈍い。布団が心地いい。早朝の低い気温と、自分の体温で程よく温かい布団が浮かんできた意識を再び沈めようとする。

 

 抗うように薄っすらと眼を開ければ、見慣れない部屋の見慣れない壁……そこで初めて、自分の体が横向きに寝ているのだと、里見 義康は自覚した。

 

 

(ここ、は……)

 

 

 ぼんやりと、思考を回して記憶を辿る。――里見にある自室でも、IZUMOにいる武蔵に合流するために乗船した輸送艦の一室でもない。

 

 

(……ああ、そう……たしか、守り刀の、男の家に)

 

 

 名前はなんだったか――確か、シスイ、と。止める水だったか。

 

 ……自分の鈍すぎる思考にふと疑問を抱くが、昨夜の会談で強い酒を呑んでいたことをジンワリと思い出す。――酒は苦手だ。舌が未熟なのか味覚が幼いのかわからないが、今だに美味い酒というものに出会ったことがない。

 

 酒を頭から追いやる。うろ覚えだが、会談の後に止水に案内されて武蔵に乗り、そのまま時間も時間で、止水の家に義頼とともに厄介になったのだ。

 

 

「…………」

 

 

 その際、予想だにしていなかったデカイ屋敷にポカンと口を開けて惚けてしまったことを思い出して唸り……風呂やら部屋やら、『女だから』という理由で色々優先なり優遇なりしてもらったことへの、妙な気恥ずかしさにも呻る。

 ――異性の家に宿泊した、というのも何気に人生初だ。

 

 

 大きく息を、鼻から吸う。肺一杯に酸素を取り入れて、わずかに残る眠気を払う。

 

 ――風呂で洗った自分の髪の匂いと、部屋に敷き詰められている畳のい草の香り――そして、ほんのりとほこり臭い……。

 

 

「……ん?」

 

 

 違和感は、その臭いだけではない。

 

 横になって眠る己の背中、それ越しに気配が一つ。布団の中だ。つまりは同衾しているわけである。

 

 

 ギギギ、と錆び付いているかのような動きで、寝返るようにして振り返る。

 

 

 

 ……いた。

 

 

 

「コホン……おはよーうございまぁああ――っす!! 武蔵モーニングサービス! 『早朝ファラオの目覚め"添い寝コース"』で――す!」

 

 

 

 肺一杯に吸い込んだ息はそのまま、『ぎ』からはじまる悲鳴のデカさに変換されることになった。

 

 

 

 

―*―

 

 

 

 家の中に反響する濁音系の悲鳴を聞いて、炊事場に立つ男二人は揃って苦笑を浮かべた。

 

 

「……トーリの仕掛けが発動したか。悪いな義頼」

 

「構わない――とは言わないが、義康(アレ)も張り合っていたからな……自分で指定した時間に起きなかったほうが悪いだろう」

 

 

 大きな鍋の前に立ち、中身をゆっくりと混ぜているのは義頼で、焼き魚やらの盛り付けをしているのが止水だ。

 

 ――炊き上がりの米の、胃袋をこれでもかと刺激してくる匂いが炊事場に立ち込めている。

 

 

「半升炊いたけど――足りるかなぁ」

 

「いや、足りるだろう? 私と義康とお前の三人だぞ? むしろ余るんじゃないか?」

 

 

 

 人よりも一回りも二回りも体の大きな止水は、当然人の倍は軽く食べるだろう。そこに朝をしっかり食う派の義頼と義康を合わせるとそれなりに消費するだろうが――それでも半升という量を消費できるとは義頼には思えなかった。

 

 

 ――なお余談ではあるが、一升の米を炊いた場合、一般的な茶碗でおよそ十五人分である。

 

 

 そんな友人の思いをよそに、止水は吐息を一つ。

 

 

(……俺の『昼飯』……残るかなぁ)

 

 

 いつもならば、自身の昼飯として残りの米を握り飯にする。大きなものが三つできるのだが……基本飢えている正純とアデーレにやってしまうので残り一つが止水の分だ。しかし、今日は客人である義頼、義康がいるので握り飯は二つしかできないだろう。

 

 

 

 

「――しかし、難儀だな武蔵も。……そして、お前も」

 

「はは……慣れてる、ってほどじゃあねぇが、三河で姫さん助け出す時に覚悟は決めてるよ」

 

 

 力任せに戸を開ける音、続けて慎みを全無視して駆け出していく足音を聞きながら、二人は言葉を交わす。義康がトーリを探しに出撃したのだろう。

 昨夜の会談――色々なことが決まり、そして同時に色々なことが先送りにされた中で、去り際に久秀が特大の爆弾を二つ落としていったのだ。

 

 

 武蔵に来い。そう提案した正純に、久秀はその答えを先送りにした。そして、そこに条件を出したのだ。『松永 久秀()を御するだけの力と資格を見せろ』と。

 

 具体的には十五分。……武蔵へ攻撃が始まる昼の三時だ。そこから、十五分待って出航しろと。

 

 ――攻撃に耐えるだけの力と、完成しているであろう包囲を突破する力。現場でそれを見せろと言ってきたのだ。

 

 

 

 集中砲火はまず免れないだろう。その上、地上からは精鋭たちが押し寄せてくるのだ。英国での損傷が癒え切っていない武蔵には相当厳しい難題である。

 そう判断して義頼は、苦笑する。

 

 その武蔵の単騎最高戦力である男は、シャモジを手に……何の気負いもなく炊き立ての米をほぐしているのだから。この家庭的場面を見て、半日もしないうちに世界有数の大国と戦争が始まると誰が思おうか。

 

 

「……それによ? 世界征服掲げてる奴を、俺たちは『王様』にしてるんだぜ? 強い奴らが相手になるってことは最初っからわかってたしな」

 

 

 迫る強敵に慌てることも、ましてや身構えることも、故に無い。

 

 ――ただ戦って、守るだけなのだと。

 

 

「初志貫徹、いや、お前の場合は不器用なだけか」

 

「ひでぇなぁ――まあ否定はできないんだけど」

 

 

 言葉を交わしつつ、朝食の支度をする二人の手は止まらない。

 

 さて全裸討伐に出陣した義康の分はどうしようか、と悩む止水に、義頼が止めを打ち込んだ。

 

 

「で、久秀公が残していったもう一つの爆弾はどうするんだ? ――早めに対処しないと、大変なことになるぞ?」

 

「…………」

 

 

 去り際、おっさんが残した下世話な笑みを浮かべて投下した爆弾。

 

 

 

 

 

 

 『東宮もそうだけど、おめぇもさっさとガキつくれぇよう?』

 

 

 ――キョトン、とする止水と、その彼に集中する視線にニヤリと笑い。

 

 

 『だってよ、おめぇがガキいっぱいこさえりゃ、また『一族』になんだろぉ? 若気の至りで一人や二人……三人四人ってよう』

 

 

 エロジジイとしか表現できないような笑みをニシシっと浮かべた久秀を最後に思い出す。

 

 

「間違いではない。……確かに、正しいことなのだがな」

 

「……その前に、俺は相手すらいないんだけどなぁ」

 

 

 自分たちには女っ気がないからなぁ、と止水と義頼は苦笑を浮かべ合い、朝食を完成させる。

 

 真面目故か無知故かバカ故か、久秀の含みある言葉に対して、二人は一切の疑問を抱いていなかった。……若気の至りで増えていった数が、純粋な兄弟姉妹だと本気で思っていたのだ。

 

 

 ……その久秀の言葉に『いずれ、おいおいな』と返した――返してしまった止水は、自分がどれほどの失言をしたのか一切気付いていない。同席していた正純とナルゼが、止水を置き去りにして武蔵に文字通り飛んで帰るのを見送り、義頼・ 義康の両名を武蔵に案内したのが昨夜の終わりだ。

 

 そして明けて、現在。梅組女子連合の面々と連絡がつかなくなっているのだが、炊き立ての白米に顔を綻ばせている止水くんが、それに気付くことは……なかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

「……どーして浅間神社(ウチ)が会場になったんでしょうかねぇ」

 

「ふふふ、細かいわよおっぱい。生地膨らんで強制的に懐広くなってるんだから見逃しなさい? 女連中で会議する時はアンタん家って決めたじゃない。――この私が!」

 

 

 

 息を吐くように告げられた喜美の暴言に、智は苦笑顔のまま青筋を浮かべて、虚空にあるなにかを握り潰すように指を鉤にする。

 

 ――大きな部屋の一室。所狭しと布団が敷き詰められたその場に、梅組の女衆のほぼ全員が揃っている光景は、どこか圧倒するものだった。

 

 

 それぞれが好みで長襦袢か半襦袢を寝巻きとしており、その上『女しかいないから』と結構な着崩れを平気でさせている。……気の弱い男なら、その桃源郷に心を奪われること間違いないだろう。そして、日頃のあれやこれやを思い出して脱兎の如く逃げ出すのだ。

 

 

 

「あ、あのぅ、先輩方? 私がここに連れてこられた理由、わからないんですけどぉ……」

 

 

 そして、できれば、その脱兎を今すぐしたい人物がここにも一人。

 

 

「へぇ……アンタでも『借りてきた猫』になるんだねぇヒロ。焼肉来る前は『武蔵最強のズドン巫女も怖くないね!』って大見得きってたじゃないさ」

 

 

 肘を立てて頭を支え、片膝を立てて寝る――所謂『鑑賞スタイル』で寝転ぶ直政の近く。その背中に引っ付くように体育座りで小さくなっている、唯一の梅組部外者である三科 大だ。

 

 寝て起きて、「知らない天井だ」というベタな台詞を言おうとして――そこが、起床直後の微睡み空間の龍の巣であることを思い出した。

 

 

「ちょっ!? マサ先輩!? ああああ違うんです! それは、そのっお腹へってちょっとテンションおかしくなってたというか! ごめんなさいなんでもしますから命だけはぁぁああ!!」

 

「……こ、後輩の子だと同じ対応でもダメージ来ますね……! えっと、三科さん? お互いに色々と誤解があります。まずはそこの解消を」

 

 ――「武蔵最強はしーちゃんじゃないの? それかベルさん」

 ――「わ、たし? 戦え、ない、よ?」

 ――「鈴さんは同時に『戦う気を無くさせる』ですから……ズドンは戦わせてすらくれません。開戦前ズドンされたら即投了です……」

 ――「それに間違ってないわよマルゴット。ズドン巫女ってジャンルじゃあ浅間が最強でしょ? あ、でもそれなら世界史上最強のズドン巫女ってことじゃない?」

 ――「射殺巫女とかゴルゴ巫女とかミコー・ザ・ヘッドショットとか、私みたいに意図的に名前変えてる訳でもないのに芸名多いのよあのおっぱい。つまりそれだけそういう実績があるってことよ? 少なくとも、武蔵全域はあの巫女のキルゾーン(ズドン射程)……!」

 

 

「……するまえに、ちょっと、ちょおっと、待っててくださいね? ええ、あそこの超失礼な上級生共に、ちょおっとOHANASHIして来ますから。ええすぐですよー?」

 

(上級生()……)

 

 

 ……迫真の演技で悲鳴が上がるその度に、黒い羽根がチラチラと舞う……きっと、敷き詰められた布団の羽毛だ。そうに違いない。

 

 

 

「まあ、私も半分、拉致されてきたようなもんだからなぁ……まったく、今日の三時には六護式仏蘭西が攻めてくるっていうのに」

 

 

 布団から上半身を起こし、下半身を掛け布団で隠しているのは正純だ。……喜美から強制で半襦袢を着せられているので膝上二十cmと……中々に際どい格好である。

 

 それをちらりと見たヒロが自身の胸をペタペタと触り、ついでお尻を摩り……綺麗な『orz』姿勢を決めたのは、昨夜の遅い時間帯のことだ。

 

 

「――で、どういう具合に落ち着いたんですか? スイ先輩の『一夫多妻容認発言』で、先輩方結構燃え上がってましたけど。私途中で『これ以上関わっちゃイカン!』って本能的に意識落としたんで結果とか」

 

((((この子も意外とやりおるわ……))))

 

 

 さも、何事もないように寝た、では無く意識を落としたというヒロ。

 

 

「その辺アタシも知りたいさね。途中でほとんど寝てたから、話半分以上聞いてないし……そも、どうでもよかったしね。――記録係り押し付けられたの、ミトじゃなかったかい?」

 

「ええ。……喜美が布団を丸めて、仮想相手に四十八手の受け手の実演をおっ始めた所は『しばらくお待ちください』で乗り切りましたけど」

 

 

 鏡を前に髪を整えているネイトが手を止め、表示枠を軽く操作して全員に投げる。

 

 ――『第何回か不明、梅組女子会議』と題打たれたレポート系の文章が、延々と下に伸びていた。

 

 

(……しばお待(しばらくお待ちください)のあとの『3時間』……ほとんどエロ講義してたってことじゃ?)

 

 

 ヒロは、盾代わりにしている直政を見る。直政は寝起きもあって少し眠そうだが、特に内容に対して自分のように違和感やら驚愕をしているようには見えない。

 

 ――梅組の異常さと、先輩である直政の凄さを垣間見たヒロであった。

 

 

「……で、結局。色々終わるまで、現状維持――って。この会議の意味、全然ないんじゃないのか?」

「『抜け駆けあり、妨害は良心と応相談』に『同盟あり』が加わった感じかな? ナイちゃんはそもそもガッちゃんとタッグだから、今更って感じだけど……」

「あー、お二人は重婚可な地方の出身ですからねぇ。いや、まあ自分もですけど……でも実際は結構男性の方に色々あって破綻するケースが多くて滅多にないですよ? 極東は一夫多妻も多夫一妻も禁止してますから……そのー」

 

 

 アデーレが言い辛そうに、指をモジモジとさせながら、視線を明後日の方向へ飛ばす。

 

 ――なお余談だが、史実上の戦国時代において、妻が複数人いた武将はそれなりにいる。早い話が正室と側室であり、天下泰平を掴みとった徳川将軍家は『大奥』というシステムですら作っていたのだ。

 

 ……さらに余談、ではないが、止水の発言が『意味違いではなかろうか?』という点には――もちろん、全員が()()()()()()。梅組のローカルルールで『勘違いを訂正できなかった奴が悪い』という鬼掟があるので、この状況は止水の不備となる。

 

 

 

 

「――所で、今更なんだけど……ここに集まった全員は、もう隠す気ないって思って良いのかい?」

 

 

 という、あっけらかんとした直政の言葉に――時間の停止をヒロは見た。

 

 ……秒針が約五回動くだけの時間しっかりと止まり、順次再起動していく。

 

 

「えっと、なにを隠すと……」

 

「いやだから――『止めの字に惚れてる』ってことをだよ。

 

 本人知らないだけでほぼ公言してる喜美とかマルゴット達に、鈴はもう言うまでもないさね? アタシもまあ、布告したわけだけど……アデーレやら正純、あとアサマチにミトもか? 話題にするだけでワタワタする連中は実際の所、どうなんさ?」

 

 

 躊躇いつつ聞き返す言葉に、直政は鋭くズバリと言葉を返す。背後から後輩の、『なんかすげぇものを見る視線』が来るが、今は放置だ。

 ナルゼの背中……翼の付け根の間を踏み付け、どこに隠していたのかさっぱりわからない弓に、どこから取り出したのかもさっぱりわからない矢を番えている智の状況も放置する。

 

 

「な、なんかマサ、英国終わってから、ほんと、吹っ切れましたね」

 

「アンタこの状況! この状況の方が色々と吹っ切れてるわよ! ――あんっ、ちょ、付け根グリグリはっ、だ、ダメっ……!」

 

「ふふふ、良い声で鳴くじゃないナルゼ! そしていいわよ直政? ライバル確認するのも大切なことだものね? まあ、アデーレはともかくそこの貧乳政治家は自分が女なんだって完全無欠に自覚する大前提があ・る・け・ど……」

 

 

 喜美が向ける意味ありげな流し目の先で、二人がビクリと肩を跳ねさせる。

 

 ……智とネイトだ。なお、肩が跳ねたせいで指から矢が抜けてナルゼの頭から拳半個分外れて布団を貫通しているが、それに意識を向けているのは当事者のナルゼと梅組部外者であるヒロだけなので割愛する。

 

 

「え、と……喜美? 私とミト、ですか?」

 

「Jud. アンタたち、止水のおバカにラブ向けてるのはわかるけど……それと近いレベルで愚弟にも最近ラブ向けてるわよ? まあ、浅間は幼馴染最古参な上に愚弟の神道契約の管理者で、内面的な接点も多いし――母ちゃん本能、刺激されまくりだものね」

 

「……えっ、と」

 

 

 言葉が、濁り……滞る。

 

 「母ちゃん本能じゃなくて母性本能でしょう!」――という切り返しを予想していた面々が、その予想を裏切られて呆気に取られていた。切り返すべき言葉、つまりは反論だ。それが無いという事は……。

 

 

 弓が、落ちる。

 

 

「えっと、ちょっと、ちょっと待ってくださいね? え――?」

 

「……あらやだ、アンタ、自覚完全になかったの? ふふふ。じゃあ、言葉で返さない内心回答で問一。

 

 『貴女の一番好きな人は誰ですか?』」

 

 

 混乱とまでいかないが、眼に見えて挙動不審になる智に、しかし喜美が優しそうな笑みを浮かべて問う。

 

 ……少しの間の沈黙を挟んで、どこか迷子の幼子のように身を縮めた智が、小さく、答えが出たと頷きを返した。

 

 

「『問二。二番目に好きな人は誰ですか?』」

 

 

 問題の意図を理解したのか、頷きの間が先ほどよりも短い。

 

 ――じゃあ、と喜美が一呼吸置いて。

 

 

 

 

 

 

「『二人への好意の差は、どれだけありますか?』」

 

 

 トーリと止水の、その差は何か。

 

 双方との付き合いの長さはほぼイコールだし、目の前の姉ともそうだ。

 どちらも方向性は違うがバカだ。それも、どちらも自分を犠牲にしていくバカである。

 

 しかも、そのバカに思いっきり浅間神社が介入しているのだ。止水の守り刀の術式然り、トーリの能力分配然り。

 

 

 ……しかし、この二人に関する事で智が直接関わっているのは、トーリの術式だけだ。喜びの感情を持ち続ける事で他者に分配される、武蔵の副王としての権限。

 それは、戦場において無尽蔵とも言える流体を供給できる、武蔵アリアダストの切り札の一つと言えるだろう。だが強力であるがゆえに……悲しみを抱けば消失するという代償が付いてくるのだ。智が気を割かない訳が無い。

 

 逆に、守り刀の術式に智は一切関わって――否、関われていない。十年前から今にいたるまで、現神主である智の実父がこれを担当している。何よりも、智の介入を止水本人が頑なに拒んでいるのだ。

 負傷を肩代わりするという止水の術式も確かに危ういが、裏返せば『誰も負傷しなければ問題無い』のである。その上、当人も最近は色々と人外染みてきているので、多少の事では揺らがないだろう、と。

 

 

(三河以降……っていうより、愚弟のあの術式を認可してからかしら)

 

 

 

 智の意識が、少しずつではあるが、次第に――止水だけではなくトーリにも向けられている。

 

 

 

 そしてそれは、同様にネイトにも言える事であった。

 

 

 一人の女性である。しかし同時に、ネイトは武蔵の騎士でもあるのだ。止水の高襟を強奪(本人は貰ったと豪語するが)したが、その高襟の下で、黒いチョーカーがしっかりと巻かれているのを喜美は知っている。それは、中等部の時節の一件で、ネイトがトーリを王と定めた所以の品だ。

 

 戦時であれば、止水は言わずもがな武蔵が誇る最高戦力。その下位互換である上に鈍足であるネイトは、止水の戦場では役に立てる場面はほとんど無い。

 逆に、騎士としての王の……トーリの側にいれば、その力と頑強さは大いに発揮できるだろう。つまり、必要とされるのだ。

 

 

 

 三河を超えて、英国を終えて。ここに至って、二人は――揺れている……迷っている。それに近いようでそうでない……決め兼ねているとも言えるだろう。

 

 

 

 押し黙り、伏せた二人の顔は――早朝に、まず浮かべるものではない類の表情だった。

 

 

 

「ふふ、その辺の答えもしっかりしなさい? ……まあ、もし愚弟を想うなら言いなさい? ホライゾンと一緒である意味私の未来義妹になるわけだから、お姉ちゃん頑張っちゃうわよ?」

 

「いや、頑張るって何をですか……」

 

「何って決まってるじゃない! 男一人で女三人! つまりは4、っぶふ――」

 

 

 突き付けたのが喜美ならば、有耶無耶にしたのも喜美だった。

 

 

 言わせるかと飛来した無数の枕に撃沈し……枕投擲に参加しなかった組に珍しく参加した二人は、どこか重い溜息をつくのであった。

 

 




読了ありがとうございました!

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