境界線上の守り刀   作:陽紅

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 ……三期、始動致します。――以上。


六護式仏蘭西編
序章 始まる前の早朝場


 

 

 

ANA「ねえ……」

 

竜 犬「はい、なんでしょうお嬢様」

 

ANA「すこし聞きたい、いえ……聞いてほしいことがあるの。とっても抽象的で、何も決まってないようなことなのだけど……」

 

竜 犬「とりあえず、おっしゃってみてください。どのような問題も、問われなければ答えようがございませんので」

 

 

ANA「そうね、じゃあ……私、どうしたらいいかしら? どう動くのが、正解だと思う?」

 

竜 犬「『お嬢様の思うまま』――でよろしいかと。お嬢様の選択がどのようなものであれ、私が、私の全霊をもって、その先を正しくいたしますので」

 

 

ANA「――完璧だわ、貴女」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 ――ああ、これは、夢だ。

 

 

 そう明確に、夢の中で判断できる時を『明晰夢』というらしい。日常的な夢から非日常的な夢、過去の思い出や、もしかしたら特殊な能力で未来の夢も見るかもしれない。

 

 

 世界の全てが、黒で覆われた世界。その世界には、どこまでも果てしなく伸びる白い階段が唯一としてあった。厚さ数センチ、幅一メートル、奥行きで30センチほどの真っ白な板が、数億、数兆と……天体を見る望遠鏡でも果てが見えないほどに伸びている。

 

 

 

 ――ああ、これは、きっと夢だ。

 

 

 時に人は、現実でも、そう思い込みたくなる瞬間がある。唐突すぎる状況の激変や、理解の許容量を超えた時、その現実を夢だと思い込むのだ。

 

 

 だから、彼は――その光景を夢だと判断し、その光景を、夢だと断じたかった。

 

 

 

 ……何もない黒の世界、無限に伸びていく白の階段を――這い蹲りながら、遅々として……しかし一時も休まずに登り続けていく、一人の男。

 全身に襤褸を幾重にも巻きつけ、その全身を引き摺るようにして、一段、一段と登っていく。

 

 

 音はない。ないが、大きく開いた口と絶えず上下する肩が、男の疲労の度合いを嫌でも知らせてくる。

 

 

 ――上に伸びる無限が、下にも長く、果てなく続いていた。

 これを、この襤褸を纏う男は登ってきたのだろう……たった、一人で。

 

 

 胸に熱がこみ上げてくる。

 

 

 肩を貸して、共に登ってやりたい。――できなかった。

 

 ならば声を大にして、もう休めとも、頑張れ、とも、届けてやりたい。――できなかった。

 

 

 意地の悪い夢だと唇を噛む。祈り願うことしかできない夢など、早く覚めればいいのに。

 

 

「…………?」

 

 

 

 登っていた男が、次の段に掛けた手を止める。目の前の階段しか見ていなかった目が上がり、釣られて顔も上がって、周囲を見回した。溜まりに溜まった疲労の所為でその動きは遅い。

 やがて、気付く。気付いて――笑った。

 

 

 線の細い、まだ少年と言ってもいい年齢の男は汚れた顔でニッコリ笑い、また階段を登り始める。

 

 

 遅々として、遅々として……しかし、顔は上がって先を見据え、わずかながらに、その速度を上げて。

 

 

 

 男は無限へ、登り挑んで行った。

 

 

 

***

 

 

 

「…………けま、  す。―― 上」

 

(……あれ、俺……?)

 

 

 

 意識が重い。頭の回転……は日頃からそもそも早い方でもないからいいとして、深い眠りから覚めた直後の、筆舌にしがたい感覚があることを止水は自覚していた。

 視界がぼやけて、それにまだ眠い。頭の下に程よい柔らかさの枕があって……これはもう『You.二度寝しちゃいなYO』、という神々の啓示に違いない。声が幼馴染(トーリ)にとてつもなく似ているが、神の啓示ならば仕方ない。寝よう。

 

 

 

「(ボソッ)再三ご起床要請をいたしましたが起きられる気配がございませんので、(ボソッ)このまま自然起床を待つことにいたしましょう。――以上。」

 

 

 聞き慣れた声が、聞き慣れない位置から若干聞き取りづらい声量で降りてくる。背を追い越したのはもう数年前のことだ。なのに、寝ている自分の真上から……真上?

 

 

「では、失礼します。止水様――」

 

「……何、やってんの、武蔵さん」

 

 

 

 

   ―― 総艦長 武蔵 が ()()()()()いた ! ――

 

 

 

 寝ている止水の真上から、その頭を抱きしめるように体を丸くしようとしていた武蔵が、ピタリと止まる。後頭部の程良く柔らかいのは、彼女の腿だろう。完全に逆さまの顔の位置からして、所謂『女の子座り』で止水の頭を乗せているらしい。

 

 ……薄っすらとある寝る前の記憶では、止水は自分の腕を枕にしていたはずだった。どこかで武蔵が入れ替えたのだろう。

 

 

(……膝枕って、実際膝を枕代わりにすると、絶対痛いよな……どっちも)

 

 

 アデーレたちも頭乗っけてたの(もも)だし。膝じゃなくて腿枕じゃないのか? と、そんなしょうもないことを考える。

 

 なお余談だが、艦長たち自動人形の肌は着任当初は強化陶器製だったのだが、止水が中等部へ上がるころには柔らかい人工皮膚のものに変更されている。理由は不明だが、当時の総長連合生徒会のメンバー(男衆)は、むしろサムズアップして推奨、予算を組んだらしい。

 

 変更当初はいろいろと熾烈を極めた攻防があったのだが……止水はその記憶を、瞼を閉じる動作と共に封じ込める。自分は嫌な過去は振り返らない主義なのだ。

 

 すると、頭上の武蔵の気配が変わった。

 

 

「……。ふむ、寝言ですか。寝言ですね。やれやれ寝言でくらい素直に姉と呼んでほしいものですが。まあその辺は良いとして。そこまで頑なに姉呼びを固辞されるならこの武蔵、考えがございます。――以上。」

 

 

 寝ているという相手に何故意味のわからん宣言をするのだろう、と半目を開けて見上げると、なんと武蔵の顔が降下を開始したではないか。その過程で眼が少しずつ閉じられ、薄桃色の唇が小さく窄まり――

 

 

 その行動がなにを意味するのか。流石の大木もそれがわからないほど、おバカさんではなかった。

 

 

 

「……いやいや待って待って待って待って!! 起きてるから! 俺起きてるから武蔵さん!」

 

 

 

 ――起きないとマズイ。

 

 具体的に何がどうマズイのかはわからないが、本能でそれを察知した止水は急いで体を起こす。その際、頭同士の衝突を避けるべく体を捻らせるのも忘れない。

 

 

「――Jud. おはようございます。止水様」

 

「うん、おはようございます。……で、何いまの……」

 

 

 いえ、と武蔵は一言置いて立ち上がり、合わせた動作で侍女服のスカートに付いた僅かな芝などの草を払い、身を整える。

 

 

「止水様がいつまでも私の呼び方を姉と戻さないので……ここはひとつ、別方向からの攻勢に出るべきであると判断いたしました。――以上。

 なお、情報ソースは武蔵野が偶然目撃した『立花ご夫妻の接吻目覚まし』を参照にしております。――以上」

 

「あっはっは。……だめだ全っ然意味がわかんねぇや」

 

 

 姉と呼ばなくなった、だから、姉と呼ばせようとしている……ここまではわかる。いつものことでいつものやりとりだ。そこから何故別方向に向かったのがさっぱりわからない。立花ご夫妻を参考にしたのも謎だ。

 

 ……止水は自分の頭の出来が悪いことを重々承知している。ゆえに、この一連を難題と判断し――早々に忘れることにした。

 

 

 

 

 吐息をひとつ。伸びも合わせて、関節を二度三度鳴らす。……朝露の名残がまだあるので、まだそれなりに早い時間なのだろう。

 

 

「……俺たちがIZUMO来てから、どれくらいだっけ」

 

「今日でちょうど二週間になります。――以上。……各艦の外殻修理状況は全体平均で七割強。左右一番艦『品川』『浅草』両艦を除けば、ほぼ九割となります。――以上」

 

 

 IZUMOにある巨大艦船用ドック……現在武蔵は、その内側にて守られるようにその巨体を休めている。

 先のアルマダ海戦で受けた損傷を改修しているのだ。

 

 先陣を切っていく左右一番艦の被害はやはり大きい。そして、被害は大きいが居住区や公共施設などがない貨物艦ゆえに、どうしても優先度は低くなる。他後方艦の修繕を優先させたこともあって、一番艦の修復度はかなり低かった。

 

 

(航行はギリギリ可能、ってところかな。……今日あたり、俺も前のほうに呼ばれるか……な)

 

 

 耳をすませば、トンテンカントンテンカン、と早朝ゆえの騒音考慮がされた作業音が四方のあちらこちらから聞こえてくる。朝の工事バイトに参加している学生たちだ。結構良い金になる、とノリキや点蔵が率先して受けていたのを思い出した。

 

 

「……俺だけ別口で、()()バイトさせられるとはなぁ」

 

「勤労、ご苦労様です。――以上」

 

 

 『早朝から大掛かりな修繕作業をするためには?』という内容は、武蔵がIZUMOに到着してから真っ先に議題に上がった。武神や大型重機では静音作業ができないので、基本は人力となる。しかし、人力ではどうしても作業効率に限界がある――というもどかしさがあった。

 

 だが、この議題はすぐに解決することになる。

 

 

 武神よりも膂力があり、ある程度の足場さえあれば静音行動・高所危険作業も可能という、もう人間やめてーらな労働力(止水)が投入されたことで、問題は一気に解決したのである。

 

 

 「なぁ、俺の意思は? あのー……」という個人の意見が聞こえたが、すぐさま説得・論破されて「ですよねー……」と肩を落とすことになる。

 深夜のうちに資材やら機材やらを全て止水が運び、早朝現場にやってきた作業班がすぐに修理作業を開始する。放課後は放課後で武神や大型重機が翌日の資材機材の運搬を気にしなくていいので、時間ギリギリまで修理作業を行えるという最大効率が実現したのだ。

 

 

 

(まあ……今の武蔵はある意味、『俺が守れなかった結果』だからな……これくらい、やんないと)

 

「止水様? ――以上」

 

 

 言葉にせず。苦笑することでなんでもないと返す。――国の思惑やら女の意地やら、色々な要因があって、止水はアルマダ海戦に参加すること自体ができなかった。

 

 しょうがない、と誰もが思い、そして言うだろう。……だが、それで納得や理解ができるほど、自分は頭がよろしくない。

 

 

 また大きく伸びをすることで、残っていた眠気を追い払う。腹の空きが少し気になるが、朝食にはまだ些か早過ぎる時間だ。

 

 

 

「どうすっかな……っと?」

 

 

 

 止水たちのいる場所からちょうど見えるアリアダスト教導院。そして、そこへ繋がる長い階段があり、その一番下の周辺に群れと言える単位の犬が陣取っている。犬種や大きさはそれぞれだが、皆一様に走っていたためか舌を出して早いサイクルの呼吸を繰り返している。

 

 

「武蔵早朝名物『アデーレ様ワンちゃんトレイン』、どうやら終着のご様子ですね。――以上。……生まれて間もない幼犬も成犬の背中に乗っての参加とは。将来大物になるかと――以上」

 

「……名物って、アデーレが? それとも犬の行進が?」

 

「名前からして当然セットです。――以上。なにやら遊んでもらえると思った犬たちがアデーレ様を追いかけるようになったのが切っ掛けとのことで、『追いつかれたら飛び付かれて全身舐め回されるから自然と足が速くなった』とアデーレ様ご本人が以前おっしゃっていました。――以上。

 アデーレ様の周回記録を日々の日課にしている自動人形もいるほどですので、武蔵の名物と言ってもよろしいかと――以上。

 

 ……後続は、やや遅れてミトツダイラ様……そして、合流は浅間様ですね。――以上」

 

 

 アデーレが階段を登りきったあたりで、漸くネイトが階段前に辿り着く。……そのまま駆け上がらず数秒ほど見上げているのは、おそらく重い系のため息でもついているのだろう。やがて、一段飛ばしで階段を駆け上がり始めた。

 

 

 その速度は決して遅くはない……のだが、それはあくまでも一般生徒からすればの話だ。彼女の役職である特務クラスからすると、彼女の脚は圧倒的に遅い。

 

 速度特化である点蔵や二代はもとより、高速移動手段のある双嬢の二人やウルキアガも当然として――特務勢でネイトが移動速度で勝てるとしたら、朱雀に乗っていない状態の直政だけだ。――そもそも、武蔵唯一の武神戦力である直政を身体能力の比較にあげること自体がおかしいのだが。

 

 

 彼女自身も鈍足(それ)を弱点と理解しているらしく、『自分の利点はパワーとタフネスだ』とはっきり言い切っていた。

 

 

 アデーレが軽やかに登って行った階段を、倍近い時間をかけて登っている。

 

 銀鎖という特殊武装によってかなり広範囲を攻撃できるが、その戦場に移動するまでにかかる時間が、大きなマイナス評価となってしまう。

 

 

「――止水様は、『いつものように』アドバイスなどはなさらないのですか? ――以上」

 

「一応はしたんだけど……こればっかりは、教えてわかるようなもんじゃないからなぁ」

 

 

 苦笑する。口下手ながら、口が達者な友人たちの力も借りつつ、助言はすでにしているのだ。

 

 それをネイトもなんとなく理解して、なんとかしようとしても出来ず……それが悩みとなり、深く考えこんで鍛錬に身が入らない悪循環が生まれかけている。そこで『どうにかしなければ』とさらに焦り――といった具合だ。

 

 

 全身に力が入りすぎている。それでは、疲れるだけなのだ。

 

 

「……しゃあない。たまには、『やって』やるかな」

 

 

 なにをですか? と隣にいる武蔵が問う中で、屈伸と伸脚をワンセット。武蔵がなにも言わず側で見守る中……数歩の助走の後、二メートルを超える体躯は風と空を切って跳んだ。

 

 

 

 

 

「……いってらっしゃいませ、止水様。――以上」

 

 

 見送る。そして、見送りの挨拶を告げ、静かに表示枠を開いた。

 

 

 

武 蔵:『――各艦長へ、総艦長『武蔵』から業務連絡。これより武蔵は()()()()()()()()()()()の処理のため、擬似再起動を行います。各艦長は有事の際、独自の判断で行動するように――以上』

 

武蔵野:『Jud. 連絡内容を把握いたしました。――以上。しかし、なにがあったのですか武蔵様? 現時刻より数時間前から意識共有が切られていましたが。――以上』

 

品 川:『あと、私たちが共有している記録域がほぼ上限一杯な上に上位権限でロックがかかっているのですが。――以上』

 

村 山:『お猫様記録集が開けません……! その上本日分の記録が保存できません武蔵様……! ――以上』

 

青 梅:『……早朝のこの時間から本日の分を……? 流石に記録しすぎではありませんか村山。――以上』

 

奥多摩:『武蔵様、ご指示通りに周囲の封鎖、および監視見張り完了いたしました。……後ほど、報酬である感覚記録の共有をお願いいたします。――以上』

 

全艦長:『……。――以上』

 

武 蔵:『Jud. 感覚記録の共有は擬似再起動終了後に行います。――以上。ですが、立花誾様に心構えなどのご指導を受けてからの共有を推奨いたします。――以上

 

 では、擬似再起動を行います。――以上。』

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「あら」

 

 

 そんな声を上げたのは、少し前まで竹ベンチで虫の息だった喜美だ。顔を隠すために同伴でジョギングしていた智からジャージの上着を奪い、胸の生地の伸び具合をからかいつつ貧従士を暗黒面に導きつつ――微笑みを浮かべた。

 

 長い階段を、少なくとも数十以上は飛ばして跳んできたであろう緋衣。大量の刀を全身に帯び、特に音を立てることなく、かなりあった速度を着地の一歩で完全に減じてみせた。

 

 

「んふふ、なぁに止水。アンタも浅間の型取り饅頭食べに来たの!? でも残念でした! 完売よ! でも型取れる饅頭ならまだここに二つ残ってるけど、食べる?」

 

 

 腕を組んで胸を張る幼馴染は、朝っぱらからまた意味のわからんことを言ってくるから困る。アデーレが虚ろな眼でリンゴ系の果物を捥ぐ手の動きをしているのも気になったが、きっと饅頭と聞いて空腹が極まったのだろう。

 

 

「(正純の分と、アデーレの分のおにぎり用意しとくか)……なあ智、喜美のこれ、流していい感じのやつ?」

 

「――もう、そこでかーちゃん巫女に振るんじゃないわよ止水のおバカ」

 

「流しましょう! ええ、賢明な判断ですよ止水君! 喜美あとで超叱りますからね? 朝っぱらからなに(たが)外してるんですか!」

 

 

 眦を上げたもう一人の幼馴染……基本クラスの面々は十年以上の幼馴染しかいないのだが、見慣れたやりとりに苦笑を浮かべる。

 

 

「ふう、はぁ……朝から、ふう、騒々しいですわねぇ」

 

 

 だから、あまり見慣れない幼馴染の状態は、そこでは異様なほどに目立つものだった。

 

 欄干にすがりつくようにして、正しく『なんとか立っている』ネイトが、絶え絶えな呼吸のままで苦笑する。

 ……できれば止水からもう少し距離を取りたいが、今動けば確実に転ぶ。その無様を晒すくらいなら『少し汗臭い』と思われる方が――それもそれで乙女として嫌だが――まだマシだった。

 

 

「全艦一周がこんなに大変だったなんて……走ってみて、改めて武蔵の大きさを実感しましたわ……」

 

 

 チラリと見れば、同じコースを自分よりハイペースで駆けていたのに息切れすらしていないアデーレがいて、またチラリと視線を動かせば、同じ年齢なのにいろいろと差のある巫女と姉がいる。

 

 ――理不尽だ、という感情を抱いてしまうのは、己が狭量だからだろうか。

 

 

(そんなことを考える余裕があるなら、自分を高めればいいだけですのに――『戦いの象徴』である騎士が、戦う者の中で一番微妙だなんて……笑い話にもなりませんわね)

 

 

 

 後ろめたい考えだ、という自覚はある。そして、その考えに続こうとしたのは自嘲か、良くて溜め息だろう。

 

 

 ……しかし、反応する間もなく接近され、首に近い両肩に手を置かれたことで、そのどちらも掻き消された。

 

 

 

「ひ、あん!?」

 

「……。えと、ごめん。でもネイト? お前、前よりさらに敏感になってないか? 俺まだ手置いただけだぞ……?」

 

「い、いきなり肩に手を置かれてびっくりしただけで、ひゃんっ!?」

 

 

 硬い手の硬い指。それが肩の筋を、優しく、しかし強くグリッと揉み上げてくる。そこから生まれるわずかな痛みと強い快感にビクリと全身が跳ねたが、肩を押さえられているので殆ど動かない。

 

 

 

「き、急になんですの!? ぁんっ、ちょ、一回とまってぇん!? ちょっと! 」

 

「いや、まーたネイトが小難しいこと考えてそうだなーって思って」

 

「それがどうしてこの行動に繋が、んあ……っ、そこっ、あんっ」

 

 

 アデーレと喜美が『録音』と字を表示枠に浮かべ、その隣で智が自分の肩を軽く触り、一つ頷いて熱い視線を止水に向けて送っている。

 

 

(じょ、女子に味方がいませんわ!?)

 

 

 ただの肩もみ、と断じることは簡単だ。

 

 されど、十八歳という年頃の男女が、無自覚にやっていいものではない……とネイトは考えている。当然触れ合うほどに接近するわけで、しかもされる側はする側に完全な無防備を晒すことになるのだ。

 ――そりゃあ確かに、止水のことは信頼しているし好ま……憎からず思っている。だが、いかに親しいとしても、男と女だ。躊躇いとか気恥ずかしさとか……。

 

 

「止水君! 次っ、次は私ですからね!? 一人だけーとかダメですから、ここは平等に! そうしましょう!」

 

「ククク、この我欲全開巫女め……男に肌触らせるのに躊躇いがないとか、もう色々とアウトよね!?」

 

「……あのぅ、自分しかツッコミ役がいないんでツッコミますけど……喜美さんがそれ言うんですか?」

 

「ツッコミにスマッシュ返すわ! ――私、肌見せびらかしはするけど、気安く触らせたりはしないわよ? 美しい華が人知れず大事に蔵われてたら世界の損失じゃない!

 ……あ、止水のおバカ、私は個室でよ? アンタにマッサージさせると本気で顔蕩けるから――ほら見なさい、そこのオオカミのだらしない顔!」

 

 

 結局触らせてますよね、とアデーレの呟きが聞こえたが、それどころではない。喜美に指摘され、無意識に半開きになっていた口を指を噛んで堪える。

 ――その仕草こそ余計に『そういった行為』を連想させることに騎士が気付くことはなく……喜美とアデーレの出している表示枠が、録音から録画に変わっていることにもネイトは気付かなかった。

 

 

 

 

 握られ、解かれ……少しづつ慣れてきて、やがて、風呂に入っている時のような温かさと気持ちよさだけが肩から広がっていく。

 

 

 

「……肩揉んで(こうして)ると、やっぱりネイトは人狼とのハーフなんだなぁ、って改めて思うよ」

 

「やっぱり、って言いますと……自分たちと何か違うんですか?」

 

 

 呟きに応じたのはアデーレで、Jud. と肩もみを続けながら止水は頷く。

 

 

「今普通に肩揉んでるけどさ、結構これでも力込めてるんだぞ? リンゴとかスイカくらいなら簡単に潰せるくらいには……」

 

「す、スイカ……ちなみに、止水さん。握力いくつですか?」

 

「二年の時に測定器ぶっ壊してから測ってない」

 

 

 ネイトの肩に視線が集まる。

 

 

「ん……三河で堅木の扉に、あっ、指を食い込ませてましたもの。今更ですわ。ん、そこもう少し強めで……それに、私の場合ほかの人だと力足らず、でっ、くすぐったいだけですもの」

 

 

 頑強であるがゆえの悩みですわ、と苦笑を浮かべる。続けて、

 

 

「それに、止水さんには負けますけれど、私の頑丈さも今更ですわ。八年前に備前IZUMOで――……ぁっ」

 

 

 

 

 ――手の開閉運動が止まるよりも、ネイトが口を閉ざす方が、若干早かった。そして、ネイトが言葉を出すよりも、手指が動き出す方が早かった。

 

 ……アデーレと智が顔を見合わせ互いに言葉を探し、喜美は吐息に合わせて、肩を下げる。

 

 

 後ろ上から、短い間隔の苦笑が聞こえた。

 

 

「――とりあえず、『気にすんな』って言っておくぞ? 八年前なんて、懐かしいなぁで済ませておけばいいんだ。……まあ、あの時は『トーリがいなくてよかった』って思ってたのは覚えてるけど」

 

「ククク、この大バ刀……この賢姉様もいなかったわよ? そういう細かい所もちゃんとなさい? じゃないと『良い男』になれないわよ?」

 

「……だから、俺は別にその『良い男』ってのになりたいわけでは――ハイJud.Jud. なりたいです良い男に」

 

 

 それでいい、と満足そうに笑みを浮かべる姉への苦笑いもそこそこに、止水は手を止め、終わりだ、とばかりにネイトの頭にポンと手を乗せる。

 ……その仕草に、よく自分の頭に手を乗せてくる王を思い出し、やはり通じるモノがあるのだろうかとネイトも苦笑した。

 

 

(……この人なりの、励まし、なんでしょうね。)

 

 

 肩を揉み解し……そのままの意味で、『肩の力を抜け』――と。

 

 ……言葉で言わず、遠回りな行動で示すところもどこか、王と刀は似ている。

 

 

 

「ふふ……レディの頭に無闇に手を置くなんて、紳士がすることですの?」

 

「……良い男の次は紳士か。お前ら、俺をどうしたいの?」

 

 

 降参か、お手上げか。おそらく後者だろう。武蔵の刀は参ったとばかりに、両手を上げた。

 

 

 

 それとほとんど同時に、教導院の鐘が静かに、しかし響き渡るように鳴る。

 

 

 ……朝の六時。この場の面々の一日の始まりは、ほかの住民たちよりもはるかに濃いものとなった。

 

 

 

 

***

 

 

始まる前に始めることが

 

始まってしまっていたのは、いつからか

 

 

 配点【予鈴】

 

 

***

 

 

(もげろ)話》

 

 

「あの――点蔵様、たまには、お寝坊をしませんか?」

 

「メアリ殿? いや、自分は忍ゆえ、さすがにその手の失態は出来んでござるよ。しかし、唐突にどうしたのでござるか?」

 

「いえ、その……少し小耳に挟みまして……キスでおはようございます、というのをしてみたいなと……」

 

 

「……。

 

 それはさておき、メアリ殿。自分、ちょっと寝不足なようでござる。自室で寝てくる故、登校時間になったら起こしてもらえないでござるか?」

 

 

「……! Jud.! お任せください、点蔵様!」

 

 

 

 なお……武蔵通神板に新設された号外板『あの忍者』は、本日大炎上をする予定である。

 

 

 




読了ありがとうございました!

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