境界線上の守り刀   作:陽紅

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ついに、英国編最終章です。


十七章 『 Save you from anything. 』 前編

 

 

 

 目の前にあるその光景を見るのが耐えられず……視線を、顔から背けようとした、直前。

 

 

 

「……ダメよ? 目を逸らしちゃ」

 

 

 

 ――正純の隣から、そんな声が来た。

 

 

「葵……」

 

「アンタも、しっかり見届けてやんなさい。それがきっと、私たちの『義務』よ。……結果がどうであれ、ね」

 

 

 喜美だ。武蔵に戻ってまだあまり時間が経っていないのだが、いつの間にか着替えたらしい。露出の多いいつもの制服姿だ。……なんで着替える前の方が露出が少ないんだ、とか正純は色々思うのだが、こういう奴だったとも思い直して黙っておく。

 

 それに、その目は最初から正純を見ていない。……刀と剣の対決を見届けようと、しっかり前を向いていた。

 

 

 ……ビシリ、ビシリという崩壊の音は断続してなおも聞こえる。

 大きな音の時には、傍目に見ても大きな亀裂が走る巨大な刀の様を見て、正純は……嫌な連想をしてしまったのだろう。

 

 

 

 

 

 ――押しているのは、刀だが。

 

 ……砕けていくのもまた、刀だった。

 

 

 拮抗後の進退の結果だけを見れば、折れた刀は剣に対し、優勢であるだろう。

 

 ……しかし、それを見ている誰もが、もうじきに来るであろう刀の敗北を予感していた。

 

 

 

「……最初、クロスユナイトを羨ましいと思ったが……これをやらないといけないんだと思うと、正直……な」

 

「フフ。あの犬臭い忍者はアレで色々と本当に残念無念な忍者だけど……私たちの中で唯一、止水のおバカを殴ってでも止めようとした男だもの。……だから、止水のおバカもあんな賭けを言い出したんじゃない?」

 

 

 大きな胸を強調する様に組まれた腕。――やっぱり大きいなぁコイツ、という感想を正純が抱く前に、それに気付いた。

 

 ……喜美の二の腕。その下部を握る喜美の手の力が、若干強めであることに。

 

 この姉が砕けていく刀に、何も思うところがない訳がない。――それが、どんな思いで、どれだけ強いのかは正純には測りようもないが、穏やかなものでないことは確かだ。

 

 

 

 ……それに気付かなかったことにして、正純も前を向く。

 

 

 

「勝ったら武蔵の住民全員へ最深の術式深度での守り。負けたら、現状維持のままで点蔵たちがそこから除外……か」

 

「怒る?」

 

「……クロスユナイトたちが負けたら……な」

 

 

 

 ――結果が全て、とは言わない。辿り着くまでの過程が大切であることを、もちろん正純は知っているし、例え成せず、実らなくても……そこまでの過程を無駄だとは思わない。無駄と言った相手に反論すらするだろう。

 この場合、満足する結果を得られさえすれば、過程にあったマイナス的な予想に意味はない。もとより……すでに最深度の守りの対象になっている正純は、点蔵たちが勝とうが負けようが、己の現状は変わらないのだ。

 

 

 

(コレ、どうしろっていうんだ、私に……)

 

 

 

 止水に守りの術式からの除外させるには、最低限、止水本人に『守る必要がない』と納得させるだけの武力を示す必要がある……の、だろう。

 ……武力でのぶつかり合いでは、正純は逆立ちしても止水に勝てない……そもそも逆立ち自体できるかどうかすら怪しいのだが、その辺は今は関係がないので割愛する。とにかく、絶対に無理だということは確かだ。

 

 

 

 だが、諦めたくない。――諦められないと、胸の中で燻る熱がしっかりとある。

 

 

 

 

「ンフフ、一丁前に女の顔しちゃってまー。……あ、それはそれでいいとして。ちょっと貧乳政治家。私がここにきた理由なんだけど……おバカと犬忍者+αのガチンコが終わったら、多分アンタが終戦宣言するのよね?」

 

 

 

 ――ガラリと、本当にガラリと話が変わった。

 

 だが、終戦の宣言は重要なものなので、それに関することならば聞かないわけにはいかない、と胸の熱が空回りしかけるのを抑える。

 

 

「あ、ああ。多分そうなるだろうな。……それがどうかしたのか?」

 

「いや、ね? 多分全国放送ってるじゃないコレ。なのにアンタ……

 

 

 

 

 その『小悪魔コス』のまま、『来週もまた見てネ♪』やるの? 男の熱い決闘~とか、色々と何? ……余韻とかそーいうの、全力でブッパする気なのアンタ?」

 

 

 

***

 

 

 

「っ、ん? なんかっいま、聞こえなかったかっ?」

 

【ふはは! 大方、我らがぶつかり合いに滾っておるのだろうよぉ!】

 

 

 

 そんな感じには聞こえなかったけどな……なんて感想を抱きつつ。

 

 

 ――止水は、吹き飛びそうになる意識を、奥歯を砕かんばかりの食いしばりで堪えていた。

 

 『王賜剣(エクスカリバー)』・一型(コールブランド)

 

 古今に変わらず、最強と名高き伝説の剣の名は、伊達でもなんでもない。その上、直前にこれでもかと注ぎ込んだ止水……守り刀の流体で、その威力はさらに割増されているだろう。

 

 

 この瞬間こそ意地で何とか押してはいるが……断言できる。大海賊刀が砕ける前に押し切れることは――ない。

 

 

 ――敗北は、必至だ。

 

 

「くっ……――!」

 

 

 ……だからこそ、止水は――守り刀は、さらに前へと進む。刀の崩壊がさらに早まり、もはや半分の刀身のどこを見ても亀裂が走っている状態だ。

 

 必至である敗北を自ら早めるようなその行為に、後ろから懐疑の視線を感じるが、鎧は笑っていた。止水も苦しそうだが、しかし笑っている。

 

 

【不思議か? ……だがな、これが当然よ。

 

 ――我が一派に限らず! 守り刀の御旗を掲げる者に、悔しくも『敗北』と、歯がゆくも『守れず』の字は数多とあった! 全知全能などではない、所詮我らも矮小な存在であるが故に!

 

 しかし……!】

 

 

 一歩……は、出来ない。半歩も無理だ。なけなしの全力を振り絞っても、足の大きさすら厳しい。

 だから――すり足のように進む。……わずか、ほんの数ミリだが。それでも、前へ。

 

 

 そうある止水を、そうあろうとする己の子孫たる末代の姿を隣に感じ――『鎧』は、今にも泣きだしそうなほどに……笑った。受け継がれていることが、本当に嬉しくて、笑う。

 

 

 

【っ我が一族が! その魂に『後退』の二字と、『守らず』の三字をっ、刻んだことなど一度としてない!】

 

 

 例え、目の前に敗北が待ち受けていたとしても。例え……進んだ先に、何もなかったのだとしても。

 

 背の後ろにいる、守るべき者を守るために。……この一族は、ただただ愚直なまでに、前へと進む。

 

 

 

 故に『男』は吠える。世界に知らしめるように。

 

 故に『鎧』は心猛る。世界に見せつけるように。

 

 

 

 これが我が――我らが一族の、最たる頂に至る者の姿であると。

 

 

 

 

 告げて……しかし、その時は来た。

 

 

 ……分厚い刀身から落ちた巨大な破片が、剣圧の余波で吹き飛んでいく。

 

 誰もがその光景を、沈黙を持って見守り……とうの昔に限界を超えていた巨刀は……。

 

 

 ――まるで、何かを祝すように、高く――どこまでも澄んだ音を響かせ……そして――

 

 

 

「…………」

 

 

 

 そして――ついにして……砕けた。

 

 

 振り切ったのは黄金の光剣。打ち砕かれたのは――銀色の巨刀。

 

 

 

 あっけない決着だと……そう言われるかもしれない、そう思われるかもしれない幕引き。粉々に砕け散る銀色の鋼が、海に落ちる前に、緋の焔に燃えて消えていく。

 

 振り切った姿勢で、しかし軽くなった右腕の重さに――止水は眼を一度見開き、やがて受け入れるように、そっと眼を閉じた。

 

 

「……()()()()、俺の負け――か」

 

 

 『大海賊刀』が砕けたことで、その状態も解除されたのだろう。天鎧不動の右腕が消えていき、合わせて変質していた止水の右腕も、間もなく通常の肌色に戻っていった。

 

 

 

「悪いな、『鎧』。……お前にも黒星、つけちまった」

 

【――ふん。やはり最初からその魂胆であったか。まぁ、わかってはおったがな……要らぬ気遣いよ。誰ひとりとして傷つかぬ黒星ならば、いくらでもこの身につけるがいい。

 

 それよりも……我の方こそ、ボウズには感謝せねばなるまいて】

 

 

 姿勢を直し、『鎧』は落ちていく銀を――消えていく緋を見上げる。

 

 ……かつて、星を守りし英雄は、その胸に灯った未知の感情を確かめるように、音なき心臓の上に手を置いた。

 

 

【……我は数多の敗北を知っているが……よもや、こんなにも胸の内が晴れ渡る敗北があろうとは。

 

 ――『勝利よりも嬉しき敗北』など、ほかの連中は誰も知らぬであろうよ】

 

 

 一族の敗北。それは即ち『守れなかった』ということに他ならない。

 

 負けたくないのに負けたことは当然として、()()()()()()()()()()()()こともあり……それは常にして、苦く辛いものでしかなかった。

 

 だが。

 

 

【――ああ、これはいい。友の門出にこうして錦を飾ってやれるなら……幾度かあった勝利よりも、この黒星こそを我は誇ろうぞ】

 

 

 心からの笑顔で相手のことを祝せることなど――男は、経験したことがなかった。

 

 

「そっか……」

 

 

 満足そうに笑い、セグンドたちに別れを告げつつ消えていく『鎧』に苦笑し――

 

 

 

 

 

 

――『っ、これにてっ! 英国、三征西班牙(トレス・エスパニア)間の歴史再現、アルマダ開戦を……終了する!

 

 

 ――って、わぁ!? ま、まて! ちょっ、写すなぁ!』

 

 

 

 

 

 

「…………何やってんだ? あいつ」

 

 

 盛大に焦っている自国の副会長の、慌てまくりの終戦宣言に――止水はポカンと呆けていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 背中を見てきた

 

 背中しか、見ることができなかった

 

 

 しかし、隣立つのは、きっと己ではない故に

 

 

   ――背に背を向けて、並び立つと決めた

 

 

 配点【背中合わせの並び立ち】

 

 

 

***

 

 

「決めた……決めたぜ俺は――っ!」

 

 

 男の決意。それは、苦渋に満ちていた。悩みに悩み――ずっと抱え込んでいた何かを切り捨てる……切り捨てるそれは、己の半身のような物で、だから――。

 

 

「いつか、こんな日が来ると思ってたんだ……それが、それがただ今日だったってだけのことだろっ!?」

 

 

 血を吐くようにそう叫び、それを一度胸に強く抱き――振りかぶり、投げる。

 

 

 

「さらばだ!

 

 

 ……いつ捨てようかと機会を伺ってた我が秘蔵のエロ草紙! 奉納のために、逝けぇぇぇえ!!」

 

 

 

「……カップリングが崩れたのよ! どうすりゃいいのよ! 正純が女とか! ……止×正で途中まで上げてた草案をばれる前に、ほぉぉおうのぉぉぉお!!」

 

「ガッちゃん? もしかしなくても酔ってる? 大声でそれ言ってる時点で意味な……うわ、うわぁ、このしーちゃんの上裸、見たまんま……」

 

 

 ……涙ながらに、R元服の品々を大火に投げ入れる男衆に混じり、見知った黒髪の有翼特務が見えた気がして、さらにはあまり聞きたくなかった単語も聞こえた気がしたが――気にしないでおこう。気になっても、今はどうでもいいと許せる。

 

 

 ……今はとても、気分がいいのだから。

 

 なぜなら。

 

 

 

「ああ――美味い」

 

 

 やっと、やっと。……自分が心から美味いと思える為に造った酒が、ようやく、ようやく……飲めたのだから。

 

 

 少し大きめの御猪口に、手酌で注いだ澄んだ緋色。香りは強くも優しく、廃材の除去という名目で『歴史再現的に結構まずくね?』と、なかなか黒に近いグレーゾーンな巨大焚火の、燃焼の時に出る独特な強い匂いにも負けていない。

 

 

 すでに幾度も唇と喉を濡らしているが、数秒香りをしっかりと堪能し――クッと一息で口に含み、舌の上で転がす。冷やしても熱しても美味いが、今回は冷やした。長い時間をかけて熟成させ、たどり着いた味。酒精の度数は中々に高いが、そういう酒特有の喉を焼く熱さは弱い。心地よい冷たさが舌で踊り、喉を楽しませ、腹で落ち着かせるような温もりに変わる。

 

 

 

 武蔵の銘酒、『緋の雫』。醸造主である止水が、それにこの上なく舌鼓を打っていた。

 

 

 

 アルマダが集結し、そのまま武蔵へ帰投。戦勝祝いだと騒ぎをおっぱじめた総長に倣い、一同が羽目を外していた。

 

 

 ――その中で止水は一人……少し離れた場所で隠れるように、こっそり酒を飲んでいる。

 

 

「はぁ……」

 

 

 酒に酔っていつもより熱を帯びている呼気が漏れる。

 点蔵とメアリによって防がれたとはいえ、武蔵へ向けて全力攻撃をすると宣言した罪悪感……なんてものではない。それでみんなに少し距離を置かれている……という訳でもない。

 

 

(智の説教か――延期はしてもらったけど、やだなぁ)

 

 

 一気に増やした刀との契約を黙っていたこととか、勝手に守りの術式の深度を変えようとしたことだとか。

 

 帰還早々に、まるで予知していたかのように現れた武蔵に捕縛され、そのまま連行。額にいくつか血管を浮かばせた激怒ズドンの下に連れて行かれた。トーリの号令で祭りが始まっていなければ、そのまま鎖蓑虫・長時間説教のコンボが決まっていたに違いない。

 

 

 ……ようはこの男、早い話が現在ズドン執行待ちなのである。

 

 

 注ぎ、また、干す。……捕まった後のことを考えると少し気分が下がるが、今は、この酒を楽しもう。おそらく、今日のズドンはない。今ズドンを恐れている連中が離れている今が、ゆっくりとこの酒を楽しむチャンスなのだ。

 

 注いで、しかし口に付けず。止水は、苦笑を浮かべた。

 

 

 

「――誰も寄ってこない。だから、お前も来やすいんだよな。……なぁ、点蔵」

 

「……相変わらず、自分を忍ばせてくれんでござるなぁ……」

 

 

 気配なく音もなく。そこに現れたのは……メアリを連れた点蔵だった。

 注いだ緋の、揺れる水面だけを見ていた止水がどうやって気づいたのかメアリには皆目見当もつかなかったが――点蔵が苦笑しているだけなので、いつものことなのだろうと納得している。

 

 

「止水殿……なぜ」

 

 

 

 

 誰もいない。できれば、だれにも聞かれたくない状況で、聞きたい……否、問いたいこと。

 

 

 

「なぜ、先ほどの相対……『鎧』殿を呼んだのでござるか?」

 

「…………」

 

 

 巨大で、強大な力を見せつけた『鎧』。有する巨大な刀は砕け、敗れこそしたが……あれほどの力を止水が所有していると世界に知らしめたのだ。

 それも、個人で大罪武装の超過駆動を防ぎ、さらにはやりようによっては超えられると見せつけた、直後で。

 

 

 だが、もしも止水が、あの勝負の時に点蔵たちに本気で勝利する気があったなら……呼ぶべきは『鎧』ではなく、『鈍』であったはずだと、点蔵は考えている。

 

 

 『鎧』は確かに巨大かつ強大。自然災害から守るためにと作られ、隕石を砕いたという力は本物だろう。

 

 だが、あの場において――王賜剣一型と対決するに至っては、最悪と言っていいほど相性が悪かった。

 

 

 実体を持つ刀は、振るわれて初めて攻撃力が出る。高密度の流体が高速で移動することで威力を生む王賜剣と拮抗してしまえば、結果はわかりやすい。

 

 ならば、超高速かつ遠距離に斬撃を飛ばせる『鈍』こそ、呼ぶべきではなかったのか――と。

 

 そう問う点蔵に、止水は答えず、ただ笑う。

 ……確かに、鈍なら確実に勝てただろう。光剣が出現し、振り下ろされるまで。少なくとも、『鈍』であれば数十の斬撃を軽く飛ばせただろう。

 

 

「仮に俺がそれで勝ったとして……お前がそれに納得したとは、俺は思えないんだがなぁ」

 

 

 雫を飲み干し、また手酌。

 

 ……そうなったら絶対に反論したであろうと思う手前、点蔵は反論ができない。

 

 意地が悪かったかと苦笑し、悪い悪いと呟いた止水は、また煽る。

 

 

 

「……実際、負けるつもりは無かった。あのまま押し切れるなら、俺は押し切るつもりだった。……まあ、ちょうど艦の隙間狙って、武蔵に当てる気だけは無かったけど……それでも、勝ちには行ってたぞ?」

 

 

 嘘は――無い。この男との付き合いは長いが、止水は嘘をつけるほど器用でも、利口でも無い。さらに酒が入っている今……言われる言葉は、そのまま本心だろう。

 武蔵に当てる気だけはなかった、ということは……術式の深度の件は本気でやるつもりだったのだろう。個人の深度は浅間神社が管理しているが、三河でも――英国に入る直前にナルゼにもやっていたように、最深度への変更だけなら止水の意思一つで可能だからだ。

 

 

 ――あんまりやると、浅間殿がブチ切れるでござるよ?

 

 ――ああ、それもう遅いぜ。後日説教だ。……時間制限なしかなぁ……。

 

 

 ざまぁ、と心底から浮かんだ思考を刹那の間に追いやる。今は真面目に、問わねばならない。

 

 

 

「では……」

 

 

 

 忍は、唾を飲む。

 

 

 

「自分とメアリ殿を、守りの術式の対象から外す……というのも?」

 

 

 

 

 刀は、少しの間をおいて、酒を飲んだ。

 

 

 

「――Jud. 俺から言い出した賭けだしな……そして、お前はその勝負に勝った。

 

 ……俺からした約束は、もう二度と違えんさ」

 

 

 手酌を止め、瓶に口をつけて一気に煽る。大きな瓶だが、これまでに殆ど呑んでいたのだろう。大きく四度ほど喉が鳴って、空になる。

 

 立ち上がり、歩を進め――止めて足を肩幅に開けば、そこが場になった。

 

 

 

「――まずは、と」

 

 

 柏手。止水の身から緋の流体が揺らめくように上る。

 上り、しかし霧散せず。止水の身体から離れて、胸の前で一枚の表示枠を形成した。

 

 

 

(……これが)

 

 

 点蔵はそれを――初めて見た。

 

 守り刀の術式。止水が常時行使している守りの術式【きみがため】の、制御系を行うための表示枠だ。

 一般に使われる通常のものとは違い、止水が己の意思で守り刀の流体を束ね、その表示枠を出さなければならないが故に、一族以外の誰も……武蔵の神道術式を総括する浅間神社の神主でさえ、手出しができない秘奥。

 

 梅組の……もしかしたら、双主として止水と並び立ったトーリですら見たことがないそれを……点蔵は今、目の前にしている。

 

 

 ……その表示枠に盗み見れた、その言葉。

 

 

 

    

―― 君がため 最早惜しまぬ 命さえ ――

 

 

 

 書き記されたそれは、君のためならば……君を守るためならば、己の命など最早惜しむほどの価値はないと謡った、改悪の句。

 かの術式を、浅間神社が施した『封印』を突破して、万難万災を奪う守護神に昇華させる、鍵たる言葉でもあったはずだ。

 

 

 

(……『上の句』だけ、と思ってござったが――『下の句』も、あったのでござるな)

 

 

 

 その五七五の後に続く、七音。

 

 ――そして、終を飾る七音の、計十四音。

 

 

 命を賭して守ると誓い……その上で、守りの刀であるこの男が、心の底から望むもの。

 

 

 

 

     

―― 『共』に笑えし  明日のためなら ――

 

 

 

 ……点蔵が強く、固く拳を握る。食い込んだ爪で皮膚が裂けて血が滲むが、雫となる前に隣にいたメアリがそれに気付いて、何も言わずに、自分の掌でそっと包み込んだ。

 

 

 その二人の行動を知ってか知らずか、止水は続けて、左手の平を表示枠に押し付ける。術式が止水本人を認識し、表示枠が解けて再び流体そのものに戻り――

 

 

 夜空に、幾条もの緋色の軌跡を描いて、四方八方へと飛んで行った。

 

 

 千は軽く、万すら容易く超えるだろう緋の帯は、細い帯もあれば太い帯もある――その中で、武蔵の連結帯ほどはあるだろう三本が一番太いだろう。

 

 

 

 ――その帯が、目を奪われていた点蔵とメアリの胸に当たり、止水をつなげた。

 

 あえてその感覚を言葉にするならば……後ろからそっと、背中か肩に手を添えられているような、そんな感覚。

 ……点蔵には、少しばかり、懐かしいものだった。

 

 

「止水殿――っ!」

 

「だー、落ち着け。『約束は守る』って言ったろ」

 

 

 話が違う、と掴み掛ろうとした点蔵を言葉で制し、止水は動く。

 

 

「『二人を除いて全員に』なんて、器用なことができる術式じゃないんだ。……だから、全員に一度結んでから――」

 

 

 いまだ可視できる緋帯を左手で纏め取り――、

 

 ……右手で抜いた、小太刀ほどの刀の『峰』を当てて――わずかな逡巡のうち――……斬った。

 

 

 断ち切られた緋帯が、溶けるように消えていく。合わせて、背に……あるいは、肩に添えられていた手が、離れていった。

 ……名残惜しげに、しかし、『行け』と言葉を投げかけられているような残滓を残して……点蔵とメアリ。この両名が、守りの術式から、除外された。

 

 

 祭りの騒ぎが止まり……周りが別の、どこか焦りをにじませる騒ぎに包まれていく中で、その三人に言葉はなかった。

 言葉を失っているのは点蔵だけだ。長年望み、そして成り――達成感が来ると思っていたのに、胸中は悪い意味で落ち着かない。

 

 

 

 

 

 ……だから、まだ続いている止水の行動に反応したのは、茫然としている点蔵の隣にいる、メアリだった。

 

 

 

 『何か』を、下から投げる動作。速度は緩く、当てる――というよりも渡す、という意図のそれ。

 条件反射にて受け取った点蔵は、その『何か』を掴んでから認識して……今度こそ、思考を止めた。

 

 

 

 それは今しがた緋帯を断ち切った、小太刀ほどの長さの刀、だった。

 

 長さの割に幅が広く、反りが全くない直刀拵えのその一刀は――英国の地にて砕けた、点蔵の愛刀によく似ている。

 飾り気のない、鮮やかな緋色の鞘。質実剛健を追求した、鍔と柄。

 

 

「止水、殿? これは、一体……」

 

「守り刀が鉋一派。そいつは、その内の一本だ。……まだ付喪神は宿ってないが、信念たる『折れず曲がらず』に、偽りはない。

 

 ――メアリを守るんだ……必要だろ?」

 

 

 なんのつもりか。そう問おうとした点蔵に答えた止水の言葉は、少しずれたものだったが――……『刀を、託す』。

 

 それが、刀を用いて守り抜くと誓い立てた一族にとって、どれほどの、どれだけの意味を持つのか。

 ――受け取った刀は、重さ以上に……重かった。

 

 

「ここも騒がしくなりそうだなぁ……。俺は、別の場所で飲みなおすとするよ。じゃあな、ご両人」

 

 

 ――言葉を失い、しかし何かを言おうとする点蔵に、何も言わせず。止水は笑って、のんびりとその場を後にした。

 

 

 残された二人、しかし男は何も言わず、女はその隣にただ寄り添って、男に倣って双子月を見上げている。

 

 ――刀の足音が聞こえなくなり、騒ぎの中心が遠ざかっていくのも聞いて、新調されたばかりのマフラーが少しずつ濡れていくことになんて気付かずに。

 

 

 

「……律儀で、まじめで……すごい方ですね。止水様は……」

 

「っ、――Jud. しかしあれ、で……あれで融通が利かぬところも多ござってな。本当にっ、頑固で分からず屋で……! こっちの気なんて知ったことかと無理をする御仁でござってな……されど。

 

 ……自分の大切な、かけがえのない友人の一人にござる」

 

 

 止水の去って行った方向。きっと見つかったのだろう。騒ぎが明らかに大きくなり、知った声が色々と飛び交っている。

 

 

 それを背に、若き忍は、揺るがぬ誓いを、一つ立てる。

 

 

 

 ――()()()()、先駆者に倣い。……己の命よりも大切だと思うこの人を、ただ守り抜くことを。

 

 




読了ありがとうございました!

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