境界線上の守り刀   作:陽紅

124 / 178
十五章 アルマダ海戦 【壱】

 

 

 目を閉じる。すると、当然視覚情報が遮断される。

 

 鼻からゆっくりと空気を吸う。強い潮の香りの中に、わずかに残るのは煙と硝煙の匂いだ。

 

 

 そして肺でしばし溜め……吸う時の倍ほどの時間をかけて、口から吐き出す。

 

 

「……呼吸はいい。生きとし生けるものすべてが生きるために、最も必要なものだ」

 

 

 再び吸う。大きく大きく――肺、いっぱいに。

 

 

「だというのに。いくら吸っても―― 金 が か か ら ん 。うむ、実に素晴らしい」

 

 

 ……さて、個人を表現する描写はもう必要ないだろう。呼吸の時は無表情だったのに金からの六文字が凄まじく素敵な笑顔になり、金六文字が終わった瞬間に何事もなかったかのように無表情に戻っている。

 

 ゆったりとした作りの袖広・裾広の、ハイディとペアになっている衣装に身を包んだシロジロは、武蔵野の艦橋の一角でそんな、取り留めのない事を呟いていた。

 

 

 気分がいい。金がかかっていないのに。だから、なおのこと気分がいい。正のスパイラルだ。つまり黒字が延々と続く……笑いが止まらんな。

 

 

 

『シロくん!? ちょっと大丈夫!? なんかこっちの体素表で出ちゃいけない脳内麻薬がドバドバ出てる事を示す信号が鳴り止まないんだけど!?』

 

「ふふ。ハイディ、帰ったらお前で女中ゴマだ……発声練習をしておけ。今日は私も回ろう」

 

 

 気分がいい。体が、芯の方から心地よい熱を宿している。熱くなるなど商人として、金に魂を捧げた金の使徒としてあるまじきことだが。

 

 

(今日……いや、今宵だけは、私は許そう。シロジロ・ベルトーニを。私個人としてここにいるのだから、なんの問題もあるまい)

 

 

 ――ああ、本当に気分がいい。

 

 砲音が聞こえ、爆音に揺れる。そして硬質な鈍い音が断続して聞こえれば、おおよその戦況はわかる。揚陸艦が接艦し、揚陸部隊が雪崩れ込んできたのだろう。だがそれはシロジロの予想よりも少し遅い……アデーレが予想以上に頑張った成果だろう。

 

 

(ふむ。今度、割の良いバイト先()紹介してやろう。あの従士の人気は今やかなり高い。働いて欲しいという店や企業は多いはずだ。私は紹介料が貰え、アデーレは良い時給バイトに就け、企業は人気者を雇えて宣伝できる。くくく、All Winではないか)

 

 

 ストッパーはいない。なぜならここにはシロジロ一人だからだ。……艦橋のどこかで大きな大きなくしゃみが聞こえたが気にすることはないだろう。とりあえずシロジロは気にしないことにした。

 

 

「……やっと来たか。ようこそ。無賃乗車はいただけないが、歓迎しよう。手ブラでな」

 

 

 閉じ続けていた目を開く。おおよそ二十から三十名ほどだろう人数が近付いてきていたのは、慌ただしい足音ですでにわかっている。その先頭、足音なく……しかし隠れる気なんてサラサラない大声で檄を飛ばす男が自分の相手になるだろうことも。

 

 

「っと? ……お前は確か武蔵の、会計だったか? 一応聞いとくが、商人がこんなところで何やってんだ?」

 

「ふん、一応なら聞くべきではないな。時間と労力の無駄だ。……と、いつもの私ならば答えただろう。だが私は今とても気分がいい。だからサービスで答えてやろう」

 

 

 口角を僅かに釣り上げて笑みを作る。

 

 

「この(※)艦橋は、武蔵の弱点の一つなのだ。自動人形たちが多く詰めているために多勢で守り辛く、しかし相手に攻められやすい――」 ※ 艦橋:甲板上にある高所に設けられた指揮所のこと。

 

「ゆえに本来であるなら実力の高い少数精鋭――つまり特務クラスが担当すべき防衛箇所なのだが、生憎とその面々がほぼ全員出払ってしまっているのでな。商人であるこの私が、わざわざこうして守りに来ているのだ」

 

 

 

 ――商人である私がなぜ、やら、人材不足だな全く、等々と愚痴をグチグチ言いながら……しかしシロジロは、わずかに両足を開き、体の余計な力を抜いて――構える。

 隆包はその動きを見て思わず苦笑した。なぜなら、その動きは戦いに嫌々来ている男の行動とは思えなかったからだ。

 

 気合を入れる。目の前の男は確かに商人だが、そこにいる男はまごう事無き戦士であったからだ。

 

 

「……部長」

 

「お前ら手を出すなよ……これは、こいつは俺の相手だ」

 

 

 隆包は当初、自分の相手には武蔵副長である二代が来るだろうと予想していた。先の戦闘のこともあり、ここで彼女と明確に決着をつけることを心のどこかで望んでいたのかもしれない。

 

 だが、目の前に立つ男……シロジロ・ベルトーニ。『冷面(れーめん)』と付けられる程の無表情だが、その奥にある熱情のなんと猛々しいことか。

 

 

三征西班牙(トレス・エスパニア)、アルカラ・デ・エナレス教導院、総長連合副長! 弘中 隆包! スポーツマンシップに則り、正々堂々と勝負しようぜ!」

 

「極東、武蔵アリアダスト教導院生徒会会計、シロジロ・ベルトーニだ。受けて立とう。貴様に金の力を魅せてやる……!」

 

 

 

 

***

 

 

「おい、バルデス兄妹……の、妹の方」

 

「なにその覚え方!? 超失礼じゃない!? 私にはちゃぁんとフローレス・バルデスっていう相応しい可憐な名前があるんだよ!」

 

 

 フローレスという名が可憐かどうか、そして、その名を名乗る彼女が可憐かどうかはさて置いて。

 

 ノリキは、拳当てを直しながら、問う。

 

 

「兄の方はどうした? 姿が見えないようだが」

 

「――ふん! あのバカ兄貴なら、この前の武蔵襲撃の後に変なモノ拾い食いして、お腹壊してずぅぅぅっと保健室で唸ってるよ! ゲロみたいな臭いする飲み物なんかフッツー飲まないでしょ!」

 

「……そう、か」

 

 

 なぜだろう。途轍もなく、途方もなく、ノリキはその飲み物に覚えがあった。

 

 

「『いつも頑張ってるお兄ちゃんへ』って手紙が添えられてたらしいけど、私がそんなことするわけないじゃん! ちょっと考えればわかることだったのに、この大変な時期に全くもう……!」

 

「…………、そう、か」

 

 

 ――どうしよう。途方もなく、途轍もなく、ノリキはそういうことをしそうな馬鹿に覚えがあった。

 

 

「まぁ、あんなヘドロみたいな兄貴は放っておいて、いざ尋常に勝負!」

 

 

 ちなみにバルデス兄妹の兄の方の名前は、ペデロ・バルデスである。ヘドロではないのであしからず。

 

 ノリキは少しの間目をつぶり、未だ苦しんでいるであろうバルデス兄に黙祷を捧げ、拳を打ち鳴らして構えた。

 

 

「Jud. その勝負受けて立つ。……行くぞ。三発殴って、バルデス妹を倒せ……!」

 

「だから! その個人指定超失礼だっての!」

 

 

 

***

 

 

 

それはだいたい

 

やらかして、色々と手遅れになって気づくこと

 

 

  配点【事実未確認】

 

 

***

 

 

 

「……始まりましたか」

 

 

 空に響く攻撃の音と、絶えず聞こえる怒号のような雄叫びを遠方に……立花 誾は既に武蔵に乗艦を果たしていた。無人の居住区の中をどこか気落ちしているような面持ちで歩を進める彼女は、自分の敵となる人物を探していた。

 

 しかし――まさか、そのうちの1人がそもそも武蔵にいないとは、夢にも思わなかった。

 

 

(いや、だって、守り刀は武蔵最強の戦力では無いのですか? 武蔵と英国の首脳陣営は何を考えているのですか? ……あれ、私の思考がおかしいんでしょうか? いやいや、そんなはずは……)

 

 

 主に英国の妖精女王のせいですからねー? と言う空耳が武蔵の艦橋の方から聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。おそらく、自分が思いもつかない高度な政治的やりとりがあったに違いない。

 

 ――そんな結論をつけて、誾は静かにため息をつく。

 

 

 早くも、武蔵に来た二つある理由の内の一つがご破算になってしまった。

 

 好戦的とは言えない夫が、しかし武人として自分から戦いたいと吐露した初めての人物だ……興味がないわけがない。以前英国で気を当てられて一歩とは言え、退いてしまったことも挽回したかったのだが……。

 

 

(まぁ、いないものは仕方ありません。ならばもう一つの本命を果たすことに全力を注ぐといたしましょう)

 

 

 気を持ち直す。自分がここへ来た本当の理由。愛する男の名を取り戻す……そのために。

 

 

「よもや、敵地に入って敵が来るのを待つことになろうとは。我ながら大それたことをしたものです……もしかしたら部隊での対応をされるかと思いましたが――

 ……その心配も、ないようですね」

 

 

 ザッ、と言う地を蹴るかすかな音に誾は、思わず笑みを浮かべる。

 

 かすかな音は、遠くでその音が鳴ったことを示す。そしてそのかすかな音から一度もそれ以降の音を出すことなく目前まで跳躍してきたその女。

 

 

 ――誾が知る限り、武蔵でそんな芸当ができる現役の女学生は、彼女しかいない。

 

 

「待っていましたよ……武蔵副長、本多 二代」

 

「――こんなものを送りつけられては、侍として応じないわけにはいかんで御座るからな」

 

 

 藍色の強い、長い黒髪を風に揺らし、蜻蛉切を携えた武蔵の女武者がそこにいた。『こんなもの』と言いつつ表示枠に写したのは、果たし状と題を振られた一通の通神文(メール)だ。

 

 

 たった一文、武蔵のある場所を示すだけの短文と、『立花 誾』の名前のみ。

 

 

 

 ――武蔵側にしてみれば、それで十分だった。十分すぎるほどだった。

 

 ……現在、武蔵は半数の特務が諸事情により欠員している。その残っている半数の中で純粋な戦闘系の特務は二代だけであり、また、立花 誾という強力な単騎戦力を抑えられるのも、また二代だけだ。

 

 一般生徒たちでは、どれだけ人数を揃えたところで時間稼ぎもできないだろう。準備に多くの時間と金を掛ければ抑え込むことも可能だろうが、今回はさすがにそれはできない。かといって放置するには立花 誾と言う相手は大きすぎる。放置してしまえば、一時間と待たずに武蔵は敗北の二字を掲げることになるだろう。

 

 

 二代が飛んでくるのも当然のことだった。

 

 

「……私の行いが、逆恨みであることも。そして、この行動で宗茂様の襲名解除が撤回される確証がないことも――重々承知の上であります。ですが、返していただきます。私のすべてを……!」

 

 

 足は肩幅より広く、少し沈む前傾の姿勢は突撃の構え。彼女の左右に術式が展開し、出現した術式火薬式砲火

十字砲火(アルカブス・クルス)』がその威を見せつける。

 

 

「宗茂殿が襲名解除とは……かの御仁には拙者、自身が未熟である事も含め、あの一戦で多くを教えていただいたもので御座る」

「……それ、は」

 

 

 

 誾は二代の言葉に、二人の間に微かながら絆を感じた。戦う者が時折得る、常人にはあまり理解されないタイプの絆だ。それでも敢えて説明するならば『昨日の敵は今日の友』という言葉がわかりやすいだろう。

 刃と刃を交え、研鑽してきた己の武を持って競い合う。スポーツにも通じるが、命をかけているのでより重い。

 

 

 武士の一刀は、万言にも勝る。

 

 

 ……誾と宗茂の始まりもそうだった。最初の彼は『立花 宗茂』の襲名を望む、何の力もないド素人の名もなき青年。西国無双の名を欲したいつもの芥連中と思い、問答無用で叩きのめして治療院送りにしたにも関わらず、彼は体に包帯を残しながらまた挑み、挑み続けてきた。

 

 木棒はやがて鉄棒に、そして真剣に変わっていって、『神速の襲名ができたので治療費は大丈夫』と少しズレた発言を微笑みながら言ってきたのも覚えている。

 

 

 青年は、類い稀な才を持っていたのだろう。瞬く間に実力を付けていった。そして、遂には誾の両腕を落とし……同時に、多重襲名で彼女が名乗るはずだった『立花 宗茂』の名も奪った。

 

 ……その後にも不意打ちしたり毒を盛ったりしたのですが……と、武蔵の外道ですらドン引きしかねない呟きは誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 その思い出に微笑みを浮かべ、そしてより一層決意を固める。あの日々を取り戻すのだという、決意を。

 

 

 

「――あれは、充実した一時に御座った。いや、照れ隠しに英国弁で言うなれば――セックスした仲で御座るな。うむ」

 

 

 笑みを浮かべて、ほんのり微笑みを浮か――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――…………。はっ!? すす、すみませんっいい今一瞬意識を飛ばしてしまったようですええそうです。あ、あの、ああああ貴女とむね、宗茂様がどんな仲と……?」

 

「む? 大丈夫で御座るか? いや、拙者と宗茂殿は、英国弁でいうならばセックスした仲で御座る、と」

 

 

 肩幅に開いた足が膝から落ちる。前傾姿勢はそのまま前に倒れ、左右の火砲は力なく倒れてしまった。

 

 見事な……それこそ、教本に載せて後世のお手本にすべきだろう美しい『 orz 』が、そこにあった。

 

 

(オチ、落ち着くのです私私の名前は立花誾であの人は宗茂様でこの目の前の女は本多二代でってそこはどうでもいいのですいえよくはありませんがこの際はどうでもいいことです考えなさいこの女が嘘を言っている可能性もってそもそもこの場で嘘を言う必要はどこにもありませんしそれにそれに危機に瀕した男性はそういう昂りが強くなるとも父が言っていましたしだからって宗茂様がそのえっと屋外でそういうことを致すとはいえ私はその吝かではそのあのえっと……)

 

 

「勝敗が決するまで、おおよそ五十は(槍を)交えたで御座ろうか。宗茂殿は大層な速さで御座った……拙者、流石に戦慄を禁じ得んで御座る」

 

「ご、五十!? 速さ、え、いや……そ、そうです! 病み上がりで体調が――そそ、それに相性も! 私との時は……!」

 

 

 

 致命的に大切な何かが食い違っている、ということに気付けないまま、誾は混乱し続ける。それでもやはり恥ずかしいのか、言葉が尻すぼみになってしまうのは仕方ないだろう。

 

 

「まあ、もっとも……結局のところ、あれは止水殿の一人勝ちで御座るよ。よもや、あれ程の御仁であったとは……」

 

「へ?」

 

 

 

 ――誾は、生まれて初めて、頭が真っ白になる、という経験をした。

 

 

 確かに、複数人でそういう行為をする人たちもいる、という情報は知っている。なお情報源は極秘だ。エロゲ制作が趣味だと公言しているのにこういう事は隠したいらしい。

 あの時……確かに宗茂と止水は、なにやら長年の親友みたいに親しげな雰囲気を作っていたのを誾は通神越しに見ていた。そして二代と宗茂が相対すると決まって……しかし、止水が去るのを確認したわけではない。雰囲気で察しただけだ。

 

 

 

(ま、まさか宗茂様、おと、男として負け……いえ、違います! これも相性、この女と守り刀の相性がやたら良かっただけのこと! 私とであったなら宗茂様の圧勝ですとも!)

 

 

 なお、この時三征西班牙(トレス・エスパニア)の某所と英国の某所で、二人の男が仲良く『眠りながら酷い顔で魘される』という見事なシンクロを見せたのだが……これは完全な余談だ。英国側は側近にいた妖精女王に『そんなに嫌か? そんなに嫌か私が!?』と誤爆されて悪化してるのも余談余談。

 

 そして、事件が起きている現場。間違いを正してくれるツッコミ役が不在であるため、誤解が誤解のまま突っ走っていく。orz状態の誾が『拘束して……』やら『食事とその方面のドリンクを……』などなど、当事者達が聞いたら説得を諦めて協力して全力逃走しそうな危険ワードを呟き始め――。

 

 

「ふふ、あはは――……♪」

 

 

 壊れた。

 

 

 常人が見たら軽くドン引きする動きで、ゆらりと無拍子で立ち上がり、カクカクとこれまた常人が略な笑顔を浮かべて、告げる。

 

 

 

「取り敢えず、貴女を叩き伏せましょう。ええ。その後に守り刀を捕獲して……夫の、宗茂様の恥辱を晴らさねば……!」

 

「むむ? 止水殿はダメで御座るぞ? なにせ、拙者の方が先に御座るからな。武蔵では予約制で御座って……そういえば拙者の番は何時になるので御座ろう……?」

 

「……武蔵の公的財産なのですか守り刀は!? ――純朴そうな男に見えてなんというフシダラ益荒男……!」

 

 

 英国側の男がさらに魘され出した……ような気がしたが、気のせいだろう。

 

 

 

 誾は呼吸を一つ置く。――それで、すべての思考を切り替える。武家の娘、そして武家の妻の必須スキルだ。

 肌に感じる戦意と、首後ろを焼く殺意に、二代も蜻蛉切を二度三度舞わせ、構えた。

 

 

 

 合図は無い。しかし二人はタイミングを合わせたかの様に同時に突撃し――激突した。

 

 




読了ありがとうございました!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。