境界線上の守り刀   作:陽紅

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十三章咲誇編 最高に良い女の必須条件 【参】

 

 

 

『――おっ? お前が正純の走狗になったって子か? ……ありがとな。正純のこと守ってくれて』

 

 

 会って早々、なんだかよくわからないけどお礼を言われた。

 いたくてくるしくて、もうイヤだな、帰りたいなって思っていたら、気がついたら大きくてゴツゴツした手の中にいて、いたいのもくるしいのもあんまり感じなくなって。

 

 なんだろう、と思って見上げたら、なんか大きな人がいた。片手でも十分なのに、自分の体を両手で包んで、目線を同じ高さまで上げている。

 

 

 だれ? と首を傾げていたら、『俺は止水。まあ、よろしくな』って、笑った。

 そのあと、痛くなくなったからなのか、すごい眠くなってそのまま手の中で寝てしまって。

 

 

 起きたら大きい人も一緒に寝ていてビックリした。怪我が早く良くなる、 という寝床を作ってくれて、そこから離れると本当に痛くなったからまたビックリした。大きい人は不思議だけどすごい人みたい。

 

 それから、ふらっといなくなったり、またふらっと帰ってきて美味しいお菓子を持ってきてくれたり。あと、いろいろお話もしてくれた。

 

 

 

 『ちょっと、今からお前のご主人探してくるよ……夕暮れくらいには帰れ……るといいな』  ゴメイワクおかけします。

 

 『走狗用の饅頭だってよ。食うか?』  わーい。

 

 

 

 『そっか。……母ちゃんと離れて、か。そりゃあ寂しいし、心細いよな。やっぱり』 ……うん。

 

 『でもさ、母ちゃんがまだ生きてるなら、また会えるかもしれないだろ? その時に、『頑張ってるよ』って胸張って母ちゃんに報告できたら、母ちゃんも喜ぶんじゃないかな』  なにを、頑張ればいいの?

 

 

 『なにってそりゃあ……なんだろ?』 えー……。

 

 

 

 『あー、ならさ、俺も頑張って武蔵を守るよ。これまで以上に。お前が『正純のとこに来てよかった』って、武蔵に来てよかったって思えるようにさ。だから、お前も自分の『頑張ること』ちょっとでいいから探してみてくれ』

 

 

 

 

 そう、言ってた。

 

 

 あの大きな人が言ってた……守るって、どういうことなんだろう。

 

 あの時、いたくて、くるしくって、いろんなところに助けてって伝えただけなのに。それだけなのに、大きな人はお礼をいってた。『守ってくれて、ありがとう』って。

 

 

 

 

 【!契約者危機!】

 

 

 

 

 

 大きな音と、ゆれにビックリして起きたら、目立つ色でそんな四角いのが浮かんでいた。契約者……あの人の、この包帯を巻いてくれたひとのことだよね?

 

 危機は……たしか、怖いことだ。

 

 

 

 つまり、あの人がいま、怖いことにあっている。そして多分、あの、大きな人は動けない。

 

 

 

 

 まもる……。

 

 

 

 【地脈間移動がオススメ! 契約者との距離が離れていても、走狗が地脈のラインを通して、流体化移動、主人の下で再構成されます! しかし、走狗側で主人を認識しておく必要があり、親密な主従関係でなければ場所の指定が曖昧になり、最悪の場合走狗が消失します!】

 

 

 親密……思い出そうとしたあの人の顔に靄がかかってる時点で、親密もなにもない。

 

 どうしたらいいんだろう……?

 

 

―*―

 

 

「…………」ハラハラソワソワ

「……なあ、アサマチ。そんなに気になるなら、アンタが素直に行って色々教えてやりゃいいんじゃないのかい?」

 

 

 

 眼下。艶のある深い藍色の髪を見ながら、直政は問うように告げる。

 

 その二人が通りかかったのは、本当に偶然だった。

 海戦という普段の航行と違う動きをしているからだろうか、艦体への無理な圧力がいたるところに生じており、その圧力を禊いで祓うことで分散できる高位の巫女と、物理的な損傷の修理のために機関部修理班が慌ただしく動き回っているのだ。

 

 そんな中で、なにやら門の陰に隠れてコソコソしている智を直政が発見し、何故か巻き込まれて今に至る。

 

 

「シッ! ちょっと静かにしてくださいマサ! いまあの子が自分でなんとかしようとしてるんですよ!? 見守ってあげないでどうするんですか!」

 

(思考が完全に『初めてのお使いに出した子供をこっそり後つけて見守るかーちゃん』さね。……ん?)

 

 

 正純が危ないんじゃないのか? とも直政は思ったが、ここまで余裕を見せているということは()()大丈夫な危なさなのだろうと思い直す。

 そうして再び、アリクイの子に視線を向ければ、黒い饅頭のようなものが跳ねて近付いていて……。

 

 

(ありゃ、黒藻の獣かい……?)

 

 

 『まさずみ あぶない?』『たいへん?』

 

 

 

「……正純って、なにげに人以外にやたらモテますよね」

 

「正純がモテるなら止めの字どうすんさね? 走狗に神様連に自動人形、最近じゃ犬鬼もか。あと喜美やらミトも」

 

「…………。

 あ、今のってツッコミ入れとくべきですか?」

 

「Jud. 『私の名前が入ってない』ってか?」

 

「ち、ちが……っ! いえ、その……違いません、けど……ま、マサだって自分の名前入れてないじゃないですか!」

 

「あー……あたしは、ほら、人間だからね」

 

 

 一瞬言い淀んだ直政に疑問に近い違和感を覚えるが、今は自分が非人間指定されてる事に物申すべきだろうと智は判断する。自分はあそこまで人間狂ってないし、肉を米やら野菜やらに例えて全肉食事など比喩無し肉食系でもない。

 

 

 『まさずみ おしえる』『ともだち たすけて』『おねがい』

 

 

 ……物申そう、として。

 

 黒藻たちのたどたどしくも、しかし純粋な言葉を聞いてしまって口を噤む。あんなんでも友人だ。広い心で受け止めるとしよう。

 

 

 

 そうして、黒藻の獣が一匹、二匹と増えていく。『危機に瀕している正純を助けたい』という、その一心で。

 

 その際、上陸に失敗して側溝に落ちてしまった数匹に思わず姐御が身を乗り出したりしたが、寸前のところで思い止まっていた。

 

 

 

 『まさずみ せーじか』『はらぺこ いきだおれ』『ヅカ』

 『しすいのおにぎりだいすき』『うすいの』『ヅカ!』

 『ぜーきん はらえてる?』『すべるきゃら』『ヅ・カ』

 『いまコアクマ』『しすいにみせてない ざんねん』『ZUKA』

 

 

「あの……なんかやたらとヅカを強調してる子いません?」

 

「大切なことだから二度三度、ってことだろ? ……滑るっていうか、正純はありゃ滑らされてるんだろ。おもにウチの姫に」

 

 

 あー、そういえば私もやらされたんですよねぇ、と。

 姫と政治家に嵌められて、全国放送の場で盛大に滑らされたのはまだ智の記憶に新しい。

 

 そんなトラウマの扉が開きだした智をよそに、アリクイの子は一つ一つ丁寧に、慎重に作業を進めていく。時折、首にある正純が巻いたであろう包帯を見ながら。

 

 

 

 『あ、おわすれ さいきんちょっと――』

 

 

 

 あらかた伝え終え、あとはないかと審議している黒藻たちの中で、一匹が思い出した。意識を共有できる彼らはすぐにそれを理解し、一斉にアリクイの子の方を見る。

 

 ……最近、つまり最新情報だ。これが入れば……

 

 

 

 

 

   『『『『あざとい子』』』』

 

 

 

 ……それを聞いた直政の表情が固まる。思考もごく短い時間だが、確かに止まった。

 

 

「は、入った最新情報! これで飛べます! ハナミ! 私の権限で出せるありったけの対霊の攻撃術式ブチ込んで! 理由? んな細けぇこたぁいいんですよ!」

 

 

 固まった隣、なにやら智がテンション高めに色々と始めている。……あんな情報で飛べると本気で思っているらしい。

 流体化していくアリクイの子を心配しつつ見送りながら、直政はポツリと呟いた。

 

 

「――つか、誰さね。黒藻たちに間違った言葉の意味教えた奴は……」

 

 

 誰だと問いながらも――直政の脳裏に浮かんだのは姫の姿。そして、武蔵のどこかで、それはもう棒読みなクシャミを言葉にする副王の姿は……奇跡でも偶然でもなく、必然的に完全一致したのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「…………」

 

「…………」プルプルガタガタ……

 

 

 胸の内で昂ぶっていた心が、少しずつ落ち着いていくのをネイトはハッキリと自覚する。早く、そして自分の耳にまで聞こえていた鼓動も呼吸のごとに速度と強さを落としていった。

 

 満月の高揚と彼と彼の血の匂いからくる興奮は未だしっかりとあるが、戦いの滾りが消えていく。そして……久しく感じていなかった『自身の勝利で終わる戦闘』の余韻に浸って『いた』。

 

 ――過去形なのには、ちゃんとした理由がある。

 

 

 目の前に力なく膝をついて俯く、英国の猟犬ことF・ウオルシンガムの後ろ姿。勝者と敗者の関係は如実に現れ、これ以上ないほどに結果を物語っている。

 

 だが、ネイトはその後ろ姿を見てなどいなかった。

 

 

 視線は自分の手……その上に、『ちょこん』という擬音がそれはもうピッタリな感じでへたり込んでいる、小さな存在に向けられている。

 赤みの強い茶色の髪に、10センチほどの二頭身。目の前で俯く自動人形を小さくデフォルメしたような……

 

 

「……へ、へるぷ、みー……ぷ、ぷりーず」

 

 

 震えながら、つっかえながら。しかし命だけはと願ってくる小さな存在に。

 

 

「いくらですの? お持ち帰りは可ですのこれ?」

(あなたが自動人形のOSでしたのね?)

 

「……?」

 

 

 思わず心と言葉が逆に出た。しかし、両手でハグして頬ずりしなかっただけでもネイトは頑張ったほうだろう。日頃、喜美や智が契約している走狗……ウズィやハナミと戯れているのを見て、気取って澄ましながら内心では羨ましいと指を咥えていたネイトには、小さく可愛らしい存在が手の中にいるというだけで身悶えものなのだ。

 

 ……首を傾げるミニウオルシンガムに、ハッと我に返って何でもないと咳払いで誤魔化し、そして取り繕うために笑みを浮かべる。

 例によって顔の大半は高襟で隠れているが……雰囲気と目元で笑みを浮かべているのだとウオルシンガムは察したようだ。

 

 

「……剣を下ろした相手を攻め立てるなど、そのような行為はしませんわ。騎士道に反しますもの。ですけど……この勝負、私の勝ちでよろしいですわね?」

 

 

 勝敗を明確にするためのネイトの言葉。それに、僅かに逡巡してから、ミニウオルシンガムは項垂れるようにして頷きを返す。敗北に悔しがっているのだろうか、それとも敗北を上司(エリザベス)に伝えた時のアレコレだろうか。

 

 ……頭を抱えて、何かを想像したか、思い出したのだろう。さらにガクブルしながら『ぷりーず、くいーん(おねがい、じょうおう)のーのー(やめてやめて)』と唸るミニウオルシンガムを見る限り、後者の線がかなり濃厚な気がした――どこの国でも一番上に苦労しているのは変わらないらしい。

 

 

「『ある程度予想できる』なんて羨ましいですわね……さて」

 

 

 言外にこちらのほうがすごい、と。そして内心で、厄介度合いはと告げて、苦笑を一つ。ネイトはそのまま近くにあったなるべく平らな瓦礫の上に、掌に乗せたミニウオルシンガムをそっと……若干、名残惜しげに下ろす。

 

 

 

 勝負は終わり、勝敗は、決した。己の勝利で。

 

 ならば騎士として。なにを置いても真っ先に、その勝報を伝えるべきであろう。

 

 

 善は急げとばかりに焦るような手付きで表示枠を開き、登録している相手に通神を繋げようとして――……しかしピタリと、ネイトは止まる。

 

 

 

「…………これ、は」

 

 

 

 ――先に、どちらに報告すべきですの?

 

 

 武蔵の騎士としてこの戦いに臨んだのだから、真っ先に勝報を伝えるべきは(トーリ)だ。割れた爪に王が自ずから施してくれたマニキュアは今もしっかり残っており、爪を補強してくれている。これのおかげで戦いに集中できたのは言うまでもない。

 

 しかし、呼吸のたびに肺を満たしてくる二つの匂いが……そして、いまも視界の下のほうに見える色が……それを躊躇わせる。

 

 

 血の匂いは満月と合わせて、ネイトに流れる狼の血を滾らせ力を生み……男の匂いは英国(他国)でありながら、まるで武蔵にいるような安心感をネイトに感じさせてくれた。これも、この戦いにおいて大きな勝利要素だったろう。

 

 

 

「んー……」

 

 

 選ぶは王か、刀か。

 

 選ぶ自分は騎士か、別の何かか。

 

 

 選ぶは馬――……どちらも同じくらいの馬鹿だから、この方面で比べるのは止そう。ドングリの背比べだろう。

 

 

 指を顎に当てて、悩むこと数秒。二つに一つ……生真面目なネイトのことだ。どちらを選んでももう片方に不義理か、それに似た思いを抱いてしまうだろう。

 

 片や、守り支えなければと決意した王。

 片や、戦場にあって共に戦うと誓い立てた刀。

 

 

「ふふ……簡単ですわ。どちらか悩むなら――どちらにも同時に伝えてしまえばいい。……ですわよね?」

 

 

「?」

 

 

 トラウマになりかけている記憶の回想から戻って、いきなり問われても首を傾げることしかできないミニウオルシンガムに微笑みを返し、銀狼は跳躍。日頃よりも躍動感に満ちた銀鎖を操り、開戦の際に立っていた高い柱の頂へ登る。

 

 

 幼いころにあれほど恋い焦がれた二つの月、それを、二人の男に見立てようとしている自分に気付く。

 

 これではまるで――自分が二つの月を求めているようではないか……。

 

 

 

「Aa……――――」

 

 

 

 ――『ア』の音を生む口の形から、長く響く『オ』の音へ。

 

 静かに、されど遠く遠く、海さえ越えて渡りそうなその遠吠えは、英国にある全ての森の獣達の総毛を立たせ、しかしすぐさま安堵させるものだった。

 

 

 狩りは成った。今宵、銀の狼が獲物を求めて駆けることは、もうないだろう……と。

 

 

 

 

 

 だが、『どちらかを選ばなかったこと』を、そう遠くない未来で彼女が深く悔やむことになろうとは。

 

 ……血と月に酔い満足げに、そして何より誇らしげに笑うネイトには――予想すらできないことであった。

 

 

 

 

 

 

 鳴り止まない殴打の拍手が二人の若き作家を讃え。

 

 幼い勇気を振り絞った爆音が景気良く乱発し。

 

 月下に高らかと遠吠えが響き……。

 

 

 

 緋色を纏う者は、その三つの音をしっかりと聞き届け……隠れていない口に笑みを浮かべた。

 

 そしてその笑みを、己の下でうつむき奮える黒翼に向け――次いで、驚愕している二人の盾にも向ける。

 

 

 

 

 ――ヘタレかけた忍を送り出す戦は今、最高潮(クライマックス)を迎えようとしていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 物語の醍醐味

 

 使い古されながら絶対に廃れないその王道

 

 

  覚悟も誓いも、とっくにしてると

 

 

 配点【遅れてくる主役の法則】

 

 

 

***

 

 

 

  ――『何やってんだよ。ナルゼ』

 

 

 上から降ってくる聞き慣れた男の声に……ナルゼは、自分の腹を見るように思いきり俯いて、その顔を隠した。

 

 顔を、今の顔を……絶対に見られるわけにはいかない。汗やら土ボコリやらで汚れた顔なんて見せられるか。

 

 

「う、うるさいわよ。ちょ、ちょっと休んでただけじゃない……!」

 

 

 汚れた顔――それ以上に……悔しくって。

 ……でも、堪らなく嬉しくって。

 

 どうしようもなくって……泣いてるのか笑っているのかわからないような顔を……見せられるわけがない。

 

 

(……なによ。……なによなんなのよ!? こんなの、絶対に狙ってるわ――喜ぶなって……意識するなってのが無理じゃない……っ!)

 

 

 緋色が見えた瞬間に、ナルゼは顔を隠した。真っ先に浮かんだのは助けに来てくれたことへの『喜び』の感情だが、助けてもらって喜ぶような、そんな弱い女と思われたくなかった。

 

 ……思われたくないのに、表情筋が言うことを聞いてくれないのだ。

 

 

 

 目的を成すべきなら、点蔵の援護に向かうべきだろう。

 

 戦力で考えるなら、正純の元へ駆けるべきだろう。

 

 確実に状況を進めるなら、ネイトかウルキアガの戦場に赴くべきだろう。

 

 

 だと言うのに。

 

 

 

 だと、言うのに……。

 

 

 

「あ、あんたこそ何しに来たのよ……! まさか、道に迷ったー、なんておバカなオチじゃないわよね」

 

 

 いつもの皮肉もノリが悪い。……それもこれも、全部彼のせいだ。 

 

 ――彼が、ここにいるせいだ。

 

 

 今、彼は守りの術式を使っていない。聞いた話では、術式の構成上ある程度の精度で居場所の特定や追跡もできるそうだが……使っていないのに、ピタリと現れたのは――乙女思考的に運命を感じてもいいだろう。

 

 

 最初から手を出さなかったのも、おそらく最初の英国戦と同じようにナルゼを信じていたのだろう。……英国の副長副会長相手に汚名返上を、見事に果たすだろうと。

 

 そしてそれを見届け――ナルゼの危機に呼応したに違いない。

 

 

 

 

  ――『迷うかよ。これでも、真っ直ぐここまで来たんだぜ? ……お前を守るために、な』

 

 

(ああ、また緩んだ。だらし無い表情筋ね。一体誰のよ? ――ええ、私のよ。何か文句ある?)

 

 

 顔に熱が昇ってくる。鏡を見なくても、耳まで真っ赤になっていることがわかる。しかし――なぜだろうか、今日の、今夜の彼は日頃からは想像もできないクリティカルなワードをクリティカルなタイミングで発してきやがる。

 それがまさしく『効果は抜群だー』といった感じで、弱ったナルゼをここぞとばかりに攻め立てるのだ。

 

 

 だからこそ、ナルゼは落ち着こうとして深呼吸をしようと決める。鼻で吸って肺で止めて……口からゆっくり吐き出して、落ち着こう――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれえ?」

 

 

 

 

 顔が地面に近いせいか、土と石の匂いが強い。そして……自分を荷重から守る者の匂いもした。彼の装いを考えれば、緋衣のテントのなかにいるようなものだ。

 

 だから、その匂いも、きっとその男のものだろうと。ちょっと意識してみたら、素っ頓狂な声が出た。

 

 

 

 想像していた汗の匂いも、昔背負われ……顔をうずめた時に嗅いだ男の子の匂いも、しなかった。

 

 その匂い……いや、その香りは……仄かだが、己を飾るためのものだ。ナルゼの趣向からは僅かに外れるが、良い香りだと思える、上品な香り――香水だ。彼が付けるかと聞かれたら首を横に振る。

 

 

 そしてこれは、おそらく……だが間違いなく『女物』の香水。

 

 

 ナルゼはゆっくりと顔を起こす。そして、振り向くように見上げて……自分を跨いで立つ相手の顔を見た。

 

 

 

 

 

  ――『なんだ、案外気付くの遅かったな? ――……止水かと思ったか?』

 

 

 顔が見えない。しかし隠しているわけではないのだろう。胸部に聳える豊かな豊かな双子山が、見上げるナルゼから自然に顔を隠してしまっているのだ。だがかなり長い髪の色から、人物の特定は容易だった。

 

 

(ああ、くっそ。やられた……)

 

 

 勿体振る御来光のように谷間から顔をゆっくりと覗かせる。その口元にある『腹話』と刻まれた術式を解きながら……ニンマリと、笑った。

 

 

 

 

「ザンネン! 『ただの』じゃ済まない高嶺の賢姉様でした!!」

 

 

 

 

 ――変わらず、揺らがず。

 

 ……揺らがず、変わらず。

 

 

 ――……高嶺の花が、英国に降りた。

 

 

 




賢 姉『あら、これ私が読むの? フフフ、しょうがないわねぇ、高くつくわよ? 読了感謝してあげるわ! この賢姉が! だから有難く思いな……【通神途絶】

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