境界線上の守り刀   作:陽紅

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またのサブタイトルを、『スーパーネシンバラタイム』


十三章簒奪編 紡ぐは二つの物語

***

 

 

 たとえ 批判されようとかまわない

 

 たとえ 自己満足だとわかっていてもかまわない

 

 

  自分が楽しめれば十分だと 強がろう

 

 

  それで 一人でも笑ってくれる物が描ければ 満足の笑みを浮かべられる

 

 

 

   配点《二次制作》

 

 

***

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 英国某所、某詰所にて常駐警備の任についていた二人の男が、どこか遠い目をして仕事についていた。

 

 時折、爆発音や雄叫びやら絶叫やらが聞こえてくるが、自分たちの仲間がその解決に走っている。この二人は念のための留守番要員だった。

 

 

「なぁ……」

 

「言うな。何も。俺たちは何も見なかった。見なかったんだ。……いいな?」

 

「……Tes.」

 

 

 

 一人が何かを言おうとして、一人がそれを言わせまいと強く遮る。

 

 

 しばらくの沈黙が続き……二人は、どちらともなく、自分たちの間の地面に視線を向けた。ほんの数分前まで、そこには煉瓦調の路面があった。あった、はずだった。

 

 だがそれはぽっかりと――この場合はすっぱりと、だろうか。綺麗に消え失せていた。

 

 

 

「「……」」

 

 

 あと十センチ左右のどちらかにずれていれば、二人のどちらは確実に無事では済まなかっただろう。あともう少し深く切り込んでいれば、二人のどちらも確実に無事では済まなかっただろう。

 

 ……あの忍者がこの場からさっさと駆け抜けていなければ、二人は以下同文。

 

 

 

「――なぁ、一応、追いかけるか?」

 

「だから何も言うなって。そもそも追いかけて追いつくと思うのか? っていうか走れるのお前? ……俺まだ足すくんでて動けないから、追いかけるならお前一人だぞ?」

 

「紳士の情けだ。黙っててやるよ……実は俺も腰抜けかけて、歩くのも若干難しいんだ」

 

 

 ゆえに、二人はその場の警護を続ける。追いつかない忍者を追いかけるよりも、もしかしたら来るかもしれない後続を阻むほうが意味がありそうだったからだ。幸いにして、ほかの警備人員は出払っているので目撃者はいない。二人が互いに黙っていればいい。

 

 

 

 まぁ――普通ならば、警備兵としては罰則モノの職務怠慢だろう。敵を通してしまったのだから。

 

 

 ……だが、幸いなことに、二人には言い訳ができる。

 

 見上げた屋根の上。その肩に三つ足のカラスを乗せた盾符の一人が、見送ることを選んだのだ。

 

 

 

 視界を奪うために忍者が脱ぎ捨てた上着と、斬った感触を誤認させるために砕かれた二本の忍刀。そして、黒い羽を散らしたカラスの捨て身の特攻という三重妨害の前に、忍者の突破を許してしまった英国の槍。

 

 ……彼ほどの戦士が突破されたのだ。そして追いかけないのだ。自分たちもきっと、許されるだろう。追いかけなくていいと思った、とでも白状すればいい。

 

 

 

「まあ、結局は我らが女王のご機嫌次第だけどな……」

 

「――だからさ、何も言うなって俺さっきから言ってんじゃん。くっそ……考えないようにしてたのに」

 

 

 通神帯(ネット)の書き込みではやれ『女王がフラれた』だの、『ついに相手の男を監禁しだした』だの、見つかったら唯では済まないだろう書き込みがちらほらと上がっている。

 そして、唯では済まなかった奴らの余波が二人にも及ぶだろう、確実に。

 

 

 それを想像した二人が吐いた溜息は、重く、長かった。

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 ――英国第三階層。そこに現れた二人の巨人。その歩みによる轟音もまた、重く長いものだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

『刃を振るえ、(いかづち)の神よ。鋭く疾き刃群をもって反撃の隙を与えるな』

 

《狂える王よ。構わずに重撃を下せ。汝が受けた過去の傷に比べれば、嗚呼、なんと軽いものであろう》

 

 

 

 英国に現れた二人の巨人は、なにをとっても対照的だった。

 

 

 眩い金色の鎧を纏い、重厚な体をもって、巨大な対の西洋剣を。

 

 古びた襤褸のような和装に、軽快な体をもって、長大な一振りの刀を。

 

 

 互いに剣戟を打ち込み、夜の街に幾度となく火花を咲かせ、鐘の音のような大きな音を響かせる。

 

 

 

「まさか、神様を呼び出すなんてね。やるじゃないか。『天神・道真』……君の言葉が正しいなら、極東の文芸の神だね。これが君のとっておきかい? No.13」

 

「君ほどの書き手が相手だからさ。道真が文学の酔いを得るために自分から降りてきたんだよ……第一、僕みたいな未熟者が『神降ろし』なんて出来るわけがない。そもそも、神職でもないのに神様を喚んだりしたら、一生武蔵巫女の狙撃を警戒しなくちゃいけないからね。

 僕なんかより、そっちこそ大盤振る舞いじゃないか。――それは、無料で見せていい劇じゃあないだろうに」

 

 

 そう呟き、一滴の汗を浮かべてネシンバラは金色の巨人を見上げる。

 分厚い全身鎧を纏い、頭部からは加齢による灰髪が揺れている。ところどころにある王冠の意匠と、肩越しに見える二本の柱……これは、玉座のモチーフだろう。

 

 

 ……老人、王冠と玉座。そしてなにより、英国という国から連想できるのは……シェイクスピアが執筆した四大悲劇のなかで、最も壮大と名高い作品。

 

 

 

 ――『リア王』――

 

 

 

 ブリテンの老王が対の巨剣を握り、英国の地を今再び踏み締める。それも――兄弟とも同胞とも言える同作者の作品……マクベスの敵として。

 

 

「言葉を返そうか。『相手が君だからこそ』だよ」

 

 

《狂える王よ。哀れな王よ。愛する者に裏切られた汝の哀しみは測れるものではない。その哀しみを剣に乗せ、払うように敵を打ちすえろ》

 

 

 その巨大な剣に技はない。ただただ力に任せたままの剣戟だ。三人の愛娘の内二人に裏切られ、その上己を救ってくれた最愛の末娘まで喪った感情のままに振るわれる。

 

 だが、その大きく振りかぶるその予備動作でリア王が『どんな一撃を見舞おうとしているのか』が、ネシンバラには容易に推測できた。

 

 ……資料として知っていても、シェイクスピアは実際に剣など振り回したことがないのだろう。文章表現で大きく魅せるため、大げさになっているのかも知れない。

 ネシンバラ自身も振り回した経験こそないが、振っている姿を日頃から見ているのだ。

 

 

 だからこそ。単純に威力がとてつもないだけに、その一撃は脅威となる。受け流しても被害がでると判断し、回避のための言葉を打ち込む。続いて、大振りの一撃のあとに生じる大きな隙を打つ文を……。

 

 

 

《続けるがいい、憤りのままに。一度や二度で汝のその傷は癒えることはない。王よ、続けろ。汝の哀しみで向かい立つ者を押し潰せ》

 

 

 

 作る間もなく、シェイクスピアの言葉が結果を生んだ。

 右の剣が上から下へ。左の剣は左から右に。左が左へ返り、右が下から瓦礫を巻き込み空を裂き。そして右が左が左が右が右左右左左右……絶え間なく。

 

 例えるならば、それはすべてを吹き飛ばす嵐か。それともすべてを飲み込む雪崩か噴火か。とにかく、ネシンバラの脳裏に浮かんだものは、等しく災害だ。人間一人の力でどうにかできるものではない。

 

 

 

(おかしい……いや、()()()()()! いくら『拒絶の強欲』から内燃拝気が供給されるにしたって、これだけの攻撃密度を保てるわけが……)

 

 

 リア王の猛攻のなか、ネシンバラは道真の回避と自身の回避をなんとかこなし、シェイクスピアを……彼女が左手に持つ黒白を見る。

 

 それは、極東が姫、ホライゾン・アリアダストの感情の一つ。

 大量破壊兵器とカテゴリされる大罪武装でありながら、盾の形状をしている……強欲の罪を冠する武装だ。単体での攻撃力はほとんど無く、できて頑丈な装甲で殴るくらいだろう。

 

 

 ……恐ろしいのは、その超過駆動。装備者が受けた痛みを流体に変換し、内燃拝気として供給する力だ。シェイクスピアは『自身の執筆した作品への 精神的な痛み(批評)』をその対象にし、個人では到底賄えない拝気を使った広大な演劇空間などを行使する。

 

 

 

 だが――それを考慮しても、武神の倍はあるだろうリア王の猛攻を維持できるとは思えない。それこそ、精神崩壊してもおかしくないほどの苦痛を受けなければ……。

 

 

 

「……まさか!?」

 

「どうしたんだい? そんなに慌てるなんて、キミらしくないよ。 No.13」

 

 

 対面していたからだろうか。それとも、彼女の繰り出す軍勢やリア王の巨軀に気を取られていたからか。ネシンバラは、初めて()()に気付いた。

 

 

 ……小柄な体の、小さな背中。そこから伸びる帯が途中で大きく弧を描いて曲がり、またその背中に戻っていく。

 その帯の数は一本や二本では済まない。目測で十数本、しかもなお続々と増えて行く。

 

 

 痛みは、他者から与えられるだけとは限らない。自分で自分を酷評することも、また痛みを生む……精神的な自傷行為とでも言えばいいのだろうか。

 

 

「あの日……ボクらがいた施設から逃げ出したあの日。キミはこう言ったね。『これからは皆、別々の道を行こう。今後、どこかで偶然会っても、他人の振りをしよう』って」

 

「…………」

 

 

 ――ねえ。

 

 

 

 

 

「どうして、あの時……『私』を一緒に連れて行ってくれなかったの……?」

 

 

 

 

 

 ……帯の数が、一気に増えた。

 

 その劇の一幕なのか、荒々しい猛攻を続けていたリア王が剣の切っ先を下に向ける。そして、込み上げるなにかをこぼさぬように天を仰いで、音のない咆哮を上げた。

 

 何かに耐えるような呼吸を一つはさみ、しかしすぐに何事もなかったような顔で、シェイクスピアは言った。

 

 

「――わかってるんだよ。あの時、ボクたちに必要だったのは過去じゃ無くて、それを切り捨てた未来だった。……そんなこと、わかってるんだ」

 

 

 だけど。それでも。

 

 

《……王は自らの正しさを信じ、その力を振るう。その先に悲劇があると理解しながら、しかし『正しいのだ』と己に言い聞かせて》

 

 

 言ってほしかった。

 

 手を取って、なんて言わない。ただ……その言葉を言ってほしかった。

 

 

 

 ――『一緒にいこう』――と。

 

 ……ただ、その一言を。

 

 

 

 巨大で強大な対剣が、今までよりも強く――必殺の意思を持って振り下ろされた。

 

 未熟者は、短く……しかし深い呼吸を一つ入れ、文を生んだ。

 

 

 

『――立ち向かえ、力よ。王の正しさに』

 

 

   よけぬのか?

 

 と、道真から無言の問いが来たように感じた。次いで。

 

 

   ――楽しませよるわ。

 

 と、道真が勇んだのも感じられた。

 

 

 極東の貴族は足を踏み込み、深く腰を落とす。真上からくる剛撃を、大刀を盾として道真は受けた。

 

 周囲の建物が揺れるほどの衝撃が生まれ、ビリビリと鼓膜を揺らす轟音が響き――全身を軋ませながらも、道真は耐えた。

 

 

『……行くぞ、力よ。王の正しさの下へ。宣言するよ。【 今、そこへ行く 】と』

 

《来てみよ力よ。そして王よ。悲劇を生む正しさを、抱える価値があると示せ》

 

 

 そこへ行くと言ったものの、しかし、道真の動きは今までの軽やかなものではない。先ほどの一撃を耐えられたが、ダメージが大きすぎるのだろう――動きはどこかぎこちなく、そして遅かった。

 

 それは致命的な隙となり、彼女と狂える王がそれを見逃すはずもなく。

 

 

《……若く、しかし力なき刃を払い、そして貫け、王よ。それで、終わりだ》

 

 

 その紡がれた言葉の、その通りになった。

 軽く容易く払われた大刀は天高く跳ね上げられ、武器を失い体勢の崩れた道真の胴を貫いた二振りの大剣は、その身を引きずるように抜き放たれ――ガランガランと音を立てて地面に落ちた。

 

 

 倒れていく道真に、膝を突き、両の手を天へと掲げるリア王。

 

 

 

《――王は泣く。己の正しさゆえに。愛する者のその亡骸を抱き、絶叫し――》

 

 

 勝敗は決した。流体に還元されていく道真の巨体は、倒れきる前に虚構に消えるだろう。

 

 悲劇は悲劇のまま変わることなく。――その幕を、今静かに

 

 

 

【――いまここに、稚拙な書き手が稚拙な文で、書き記すとしよう】

 

 

 

 ……下ろすことを、未熟者は許さなかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

【思うことも、言いたいことも多々多々あるだろう】

【しかし、どうか】

【未熟者の記すこの物語を、どうか、最後まで読み進めてほしい】

 

 

 唐突に文調が変わったことに、シェイクスピアは抱いた諦観を忘れた。ネシンバラの紡いでいるそれは、本編ではない。いうなれば前書き――作者が読者へ語る私事だ。

 どうか、と二度繰り返すその文法は……よほどそれを願ってのことだ。

 

 

(いまさら、何を……?)

 

 

 願うというのか。

 

 疑問はそして、さらに増える。ほとんど消えかけている道真の流体が、また収束し始めたのだ。それも道真に還ろうとしているのではない。――新しいなにかを、形作ろうとしている。

 

 

【そして、最後まで読まれたのなら】

【作者に対するありとあらゆる誹謗中傷と共に】

 

【……頭の片隅に、ほんのひとかけらでもいいから、記憶していてほしい】

 

 

 風切り音にシェイクスピアが空を仰げば、天高く打ち上げられた大刀が、重力によって落ちてくるのが見えた。

 ……空を切るように回転をしながら落ちてくる刃は、恐怖を抱かせるには十分であり……収束され形作られた『手』が、それをためらいなく掴み取った。

 

 

 そして――手から、腕肩胴と、順番に形を成していく。

 

 

【――緋を纏い、刀携えし一族の】

 

【……たった『六字』の、その銘を――】

 

 

 ……まるで、運命やそれの類が、歴史に残すまいと躍起になっているかのように一枚、一文、一語に至るまで、ありとあらゆる情報が残さず消失している――とは酒井の言だ。

 事実、どれだけ時間をかけて調べても、やっと二つ前の代の名が、誰彼かの口から知れる程度なのだ。

 

 故に人伝――口伝でのみ語り継がれるその一族は、刹那的には広く知れ渡っても、一代二代と重ねるだけで、あっけなく忘れ去られてしまう。

 

 

 ならば、自分がそれを記そう。

 

 いまだ、知名度の欠片もない無名の作家だけれど。

 

 『幾重言葉』という『奉納した文章の内容を再現する』術式を持って。言葉をリアルタイムで文章に変えることで、言葉と文の二つの形で刻みつける。

 

 

 ――そして、同時進行で、両手で別の物語を再構成していく。

 

 

(うっわ、きついなこれ……でも……!)

 

 

 ――悲劇など認めない。ただ、その一念を持って。

 

 

 

【猛れ緋炎よ】

 

【そしてその身を包み、闇夜を照らせ】

 

 

 それは暗がりで迷う子供の、家路を照らす灯火のように。

 

 それは寒さに震える者達の、冷えた身を温める焚き火のように。

 

 

 作り上げられていくその身体。その表面を緋色の炎が揺らめきなぞり、衣を成す。形は、前で合わせるそれは和装だ。

 

 

 掲げるように天を衝いていた道真の大刀は、新たに現れたその巨躯には程よい長さの刀。わずかな風を伴って横に払われると同時、その全容の形成が完了する。

 

 

【誓いはすでにその胸に在り】

 

 その名。

 

【……掲げた刀は、王の下】

 

 守り刀の一族。

 

 

 ……モデルは彼だが、彼をそのまま再現したわけではない。すらりと高い背に程よく鍛えられた体は、どちらかといえば、元となった道真に近いだろう。

 あの時代に――この劇の舞台となった、あの時代に。『もしもかの一族がいたのなら』という――ネシンバラの妄想だ。

 

 

 そして緋纏う武人は、しかし膝を突く老王に刀を振ることなく片足を一歩を引いて半身になった。

 

 まるで、これから来るだれかに、その道を譲るように。

 

 

 

『さあ、舞台は整った。……悲劇を生む正しさを止めろ、力よ』

 

 

 再び、文調が変わる――いや、戻る。より力強く、英国のすべてに響かせんと。

 

 

「正しさを止める、って……どうやって!? 悲劇はもう成ったんだよ!? もう、もう……遅いんだ!」

 

『それがどうした!』

 

 

 

『立てよ王位の簒奪者! いまこそ玉座への道を進め!』

 

『正しさに涙する孤独な王を、その心が絶望に染まってしまうその前に!』

 

『行け、進め! 王位を簒奪する者よ! 汝が道は――既に汝の『友』の手により斬り開かれている!』

 

 

(まさか、まさかまさかまさか……!?)

 

 

 シェイクスピアは――全身に鳥肌が立つのを感じた。

 緋の武人が振り返る。『遅かったな』と軽口を発するように見た先で、舞台袖から現れるように歩んでくるのは青を纏った若武者――。

 

 

「……マク、ベス?」

 

 

 友を裏切りその命を奪い、王を殺してその玉座を我が物とし。

 しかし、国という重圧に耐えきれず、暴君に堕ちた愚者。

 

 ……だが、嗚呼。ここにあって悠然と立つ若武者の浮かべるその表情の、なんと精悍なことか。

 

 

「ありえない……こんなのマクベスじゃない! マクベスは友を裏切って簒奪を行ったんだよ!? そのマクベスに並ぼうとする者がいるはずない! それに、王位の簒奪を完全にしたマクベスなんて……!」

 

「そうだね。確かに劇としては失敗だ。でも、『これから作られる物語』に『ありえない』なんてものこそありえないんだよ。シェイクスピア!」

 

 

 ネシンバラはマクベスの呪いを受けてから、少なくとも二桁に上る回数、その物語を読んだ。

 最初のほうは自業自得とだけ思えて、回数を重ねると同情を抱いて。そして、これで最後と読み終えた時……ふと思いついたのだ。

 

 

 ……どうして誰も、マクベスの隣にいてあげなかったのだろうか、と。

 

 誰かが隣にいなかったから、止めてくれる者がいなかったから――マクベスは悲劇のうちに没してしまったのではないか、と。

 

 ならば……もしもその隣に、王命もなにも物ともしない、間違っていたら拳骨を振り落してくれるような――そんな友がいたなら? 

 王位についたその後も、臣下としてではなく、バカな話を交わして笑いあうだけの……そんな友がいたなら?

 

 

 それは、なんでもないただ一読者の妄想だ。しかし、それが原点となって――今。緋と青の若武者を、ここに召喚させたのだ。

 

 

【刃は鋭く、しかし常に守るために振るわれた。その信念の下に、ただただ真っ直ぐに】

『行くぞ友よ。守るために。たとえ刃交えることになったとしても、その悲しみから守るために!』

 

 

 幾重言葉によって二つの物語が重なり、重なった物語が力となって前へと進む。

 

 対し、リア王は立つ。幕はいまだ降りておらず、己の敵はまだいるのだと――落とした双の剣を取って、新たに現れた二人を迎え撃つ。

 

 

 ――シェイクスピアは、何も言わなかった。いや、何も言えなかった。

 原作者はいつの間にか観客席に座っていて……原作では絶対にありえないその光景に、ただただ見入っていた。

 

 

 振りかぶり、振り下ろされた双剣は……しかし、緋と青の持つ刀と剣にあっけなく砕かれた。

 

 武器を失ったことで、狂える王は正気に戻ったのだろう。そして、数秒とせず己が身を貫くだろう刀と剣を想像し、そっと眼を閉じた。

 

 

 

    ――ああ、やっと……やっと、この狂気を忘れ……眠れるのか。

 

 

 執筆されて、どれだけの年月が経っただろうか。読まれる度、演じられる度に狂い、裏切られ、失い……慟哭した。

 それがいま、仮初ではあるかも知れないけれど……自らの死で、終わろうとしている。

 

 

 

『【……許せ、王よ』】

 

 

    ――?

 

 

『【その孤独に気付けなかったことを。その悲しみを、一人背負わせてしまったことを、どうか……許せ】』

 

 

 王は再び眼を開く。予想した、自分を貫くだろう金属の冷たさが来ることはなかった。

 

 その代わりに、全身鎧の老王を包んだのは温もりだ。老王の身をいたわるように、支えるように――緋と青の若武者が前より、その左右から老王を抱き留めている。

 

 

「えっ? あ……」

 

 

 そして、その眼下……小さな書き手たる少女にも、同様のことが起きていた。

 

 ――耳元で語られる声に、少し、背筋が震えた。

 

 

『【胸を張れ、英雄たちの王レイア。その王位は簒奪されるものだが、その名は永久に語り継ごう』】

 

 

 『王の命を奪わない』簒奪者マクベスも……また、今宵限りの破綻劇だろう、と。 

 

 

《……今は安らかに眠れ、王よ。長き旅路の果てがここだ。もはや、汝を苛むことはない。その意思は、簒奪者に受け継がれた》

 

 

『ああ、簒奪者は王と共に在る』

【守る意思は、その名と共に受け継がれゆくだろう】

 

 

 

 風が、抜けた。金と青――そして緋色は、それぞれの色の光となって英国の空へと霧散していく。

 

 

 拍手はない。歓声もない。

 

 なぜならその光景を見ていた者の全てが、呼吸すら忘れて――ただただ魅入っていたのだから。

 

 

 

***

 

 

 三色の光が空に消え、劇の終了と共に英国の街を防護していたシェイクスピアの演劇空間もその効果を終える。

 

 それを確認しながら……ネシンバラは勝利の余韻を味わえないでいた。

 

 

「え、えっと……そろそろ離してくれないかな?」

 

「……やだ」 

 

 

 両脇の下から背中へ。その細腕のどこからそんな力が出ているのかと聞きたくなるほど強く、ネシンバラは抱き返されていた。

 ちなみに、もうとっくにネシンバラは腕を離している。抱きしめた、といってもほんの数秒のことだ。

 

 

「なんだよあれ。……あんなのずるいよ。反則だよ。マクベスはボクの演劇空間を利用したとしても、あの赤い方の拝気はどうやって確保したのさ?」

 

「あ、ああ。簡単なことさ。あの一族が大好きな神様たちと交渉したんだ。『彼らの物語を書くから先行投資してくれ』ってね。まだ書き出したばかりで、原稿用紙10枚にもならない途中作品だけど」

 

 

 ……身をよじり、何とか脱出を試みながらネシンバラは答える。

 答えて、これから大変だと苦笑する。なにせ、『境界線上へ向かう物語』と【緋纏う刀の一族の物語】の二作を同時執筆しなければならないのだ。

 

 

「簒奪を成功させたマクベスに、心からの安らぎを得たリア王……か。破綻はしたけど、なんだろう。良い気分だよ」

 

「悲劇じゃないからね。誰だってトゥルーエンドのほうが気分いいさ。だから」

 

 

 そろそろ離して? 

 やだ。

 

 

「もうちょっとこのままでいさせてよ。……大罪武装の無茶な使い方したからかな、ちょっと心細いんだ」

 

「完全に自業自得だよね。それぇ!?」

 

 

 ネシンバラの背中に鋭い痛みが走る。どうやら抓られたらしい。

 

 

「ねぇ――『私』、頑張ったんだよ? 英国に来てから。あの日、他人のふりをしようって言われて、でもキミに見つけてもらえるように有名になろうって。もうちょっと、こうさ。なにかないの?」

 

「ぼ、ボクと私ってどっちかに統一しない、のぉ!?」

 

 

 ネシンバラの背中に以下略。

 位置と体勢の関係でお互いの顔は見えないが、とりあえず、わざとらしく話を逸らそうとする未熟者を睨んでおく。

 

 ――だがニヤリと、未熟者からは見えない笑みを浮かべた。

 

 

「まったく。キミが書いたノルマンコンクエスト3じゃないんだから、いまどき鈍感主人公なんてはやらないよ?」

「おい待てちょっと待て何で君がそれを知ってるんだ!?」

 

 火事場の馬鹿力か、それとも別の、秘められた眠れる闇の力か。ネシンバラはシェイクスピアを自分から引き放すことに成功する。

 

「あれ、いまだに疑問なんだよね。『セクシーダイナマイトビーム』だっけ。あれってダイナマイトなの? ビームなの? 頭のセクシーってなんでつけたの? ねぇ?」

「やめろ! やめて! 僕の黒歴史の扉を開くなぁ!?」

 

 それに。

 

「ヒロインの御姫様が、双子っていうのも当時としては斬新だったかな? しかも、重婚エンド。……挿絵はなかったけど、短い文章だったけど……二人とも眼鏡してたね。

 ……ボクでも私でも、キミ的には問題ないんだよね?」

「…………………」

 

 

 その時、『あのメガネ \(^o^)/(wツwンwダw) 』という弾幕が英国の非公式通神帯にてぶっ放されたという。

 

 

 絶句しているネシンバラに、してやったりと笑みを浮かべるシェイクスピアは、彼より一歩離れ、いつも持ち歩いている紙袋からそれを取り出す。

 反撃を、いや反論をと思考を加速させていたネシンバラは、取り出されたものに我に返る。黒と白のツートンカラーの盾――大罪武装だ。

 

 

 シェイクスピアはそれを両手に、ネシンバラへと差し出した。

 

 

「いいのかい? 襲名とかそういうのは……」

 

「Tes.約束だからね。君が勝ったら大罪武装を渡すって。それに襲名解除ならたぶん大丈夫だよ。『シェイクスピア』を襲名できるのは、私しかいないだろうからね。

 それに……本当に欲しいものを手に入れた私には、もう強欲なんてものいらないから」

 

 

 強気な発言だ。それは自信の表れなのかもしれないが……それでも、国防の要の一つを個人の意思で他国の者に渡したとなれば、少なくない批判を彼女は受けるだろう。

 

 

 

「ねぇ、ちょっとだけ――眼を閉じていてくれないかな?」

 

 

 だからこそ、ネシンバラは――……?

 

 

「えっ……。ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ!!?? 待って、ちょっ、え? こんな急展開なの!? もうちょっとあれ、こう、ほら!」

 

「ほら、早く」

 

「何でそんな急に積極的なにょさ!? えっとあの、その、こ、こうでいいの!?」

 

 ギュッと閉じた眼。そして、気持ち顎は高め。

 そして、重くはないが、確かに重量のあった大罪武装の重さが両手から無くなる。

 

(ああ、確かにそうだよね。それがあったら出来ないからね。うん)

 

 

 次いで、タッタッタ、と自分から遠ざかるような足音。期待した顔のある一部分同士の接触やらはない。

 

 

「あ……あれ?」

 

 

 恐る恐る片眼を開ければ、遠ざかっていく背中。目の前にいたはずの彼はいない。

 

 

「『大罪武装は僕が『奪った』! 我が名は『簒奪者(マクベス)であるが故に!』ってことさ。八大竜『王』にだって、それはきっと有効だろう?」

 

 

 唖然としながら、茫然としながら――シェイクスピアは『してやったり』という笑顔のネシンバラを見るしかない。

 

 

 

 ……簒奪は成った。マクベスは、王となった。

 

 

「ふふ、あはは……」

 

 

 王となるマクベスがいるのなら、マクベスと共にいたいと願う王がいてもいいだろう。

 

 だが、なによりも、その前に。

 

 

 

「――ばかぁぁああああああ!!!!」

 

 

 乙女心を弄んだ大罪者に、普段の彼女からは考えられないほどの大声で、ありったけの罵声を叫んだ。

 

 

 

 




十三章 やらかしその三、と四? でした。

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