「ふふっ」
……思わずこみ上げてきた笑いの感情を、メアリは隠すことも、 ましてや、抑えることもしなかった。
外が騒がしいと窓から覗けば、己の処刑場になるだろう『剣の場』は占拠され、宴会場へと変貌している。それを見て数秒ほどポカンと惚けていたら、なんと極東の妖精『
「……海藻は、潤滑油にはなりませんよ?」
聞こえはしないだろうが、一応指摘はしておく。
やがて飽きたのか、それとも諦めたのか。足の付け根に纏っていた海藻を周囲の面々へと投げつけだした。きっと、ああして何かしらの加護か祝福を周りに振りまいているのだろう。被弾した者も広まれとばかりに手近の者に投げつけている。
――賑やかだ。ここ最近の英国では、考えられなかったほどに。
「あっ……」
そんな中、メアリが不意に感じたのは妹の、エリザベスの気配だ。相当感情を高ぶらせているのだろう、結構遠くにいるはずの彼女の気配を強く感じる。こちらに向かっているようだが……やたらと早いのは何故だろうか。
『総員撤収ー!! ……妖女が来るぞぉぉっ!!』
『『『な、なんだって――!?』』』
『よ、幼女ですとっ!? ど、どこですか!? こんな外道ババアの巣窟にいてはダメですええ小生が手厚く保護しなければっ! 』
約一名、他とは反応が全く違う気がする。そして、それに対してなにやら周囲の精霊たちが強い引きの感情を見せているのは何故だろう。
メアリが、はて? と首を傾げて見守る中、広場にあった賑やかさは慌ただしさに変わる。空き瓶やら空皿やらを片付け、残り物を一気に頬張って詰まらせて胸を連打していたり。
……賑やかな一時は、どうやらこれで終わりのようだ。
『ちょっとマサ! どさくさに紛れて何回収してるんですか!? それ私が注文したお酒ですからね! ちゃんと残しておいてくださ……じゃなかった! トーリ君も変態してないで逃げますよ! なんか激オコでプンプンしてるどエライ大きさの流体反応がこっちに来てますから!』
『イヤン、オコなの? ……ああくっそ自分でやってキモイぜこれ! つーか時間切れか! まあいいや……おいよぉく聞けメ
……一瞬ドキリとしたメアリだが、彼が指名した名前は似ているが違う名前だ。それに指差した場所も違――。
『あー、you? ノってるとこ悪いのだが、おそらくメ
――Hiッ、Take2ゥ!!』
『――いいかぁ、よぉく聞けメアリ、ってやつ!』
て、適当――!?
……と、何気に人生初かもしれないツッコミを内心に収め、『よく聞け』と言われた通りに気持ちを改める。
『俺は見てのとーり! エク剣を抜けなかった! だけど全っ然悔しくねぇ! ……く、悔しくなんかないんだからねっ!?』
――なぜ二度も悔しくない旨を言葉にしたのでしょうか、とまた首を傾げるメアリを他所に、言葉は続く。
『俺の
……だけど、安心してくんな。
誰かが。俺じゃねえ……俺の仲間の誰かが! この空気読めねぇ伝説の剣をそぉいっと引っこ抜いてやる! そんで、この邪魔な剣がなくなったこの広場でまた宴会やらせてもらうからよ! そんときはおめえも参加だ! 一発芸やらせっから覚悟しとけ!?』
――高らかに。そして、なんの躊躇いもなく、『
その宣言を聞いて、そして、その光景を夢想して。
……『彼の誰か』のところで、誰にも聞こえないほど小さな小さな声で――メアリは一人の男の名を、呼ぼうとして。
「……その席には、どうかエリザベスを呼んであげてください。私はもう、十分過ぎる程にいただきましたから」
その返事は、誰よりも見苦しく撤収していく肌色の背中に届くことはないだろう。
見せてもらった宴会は英国・武蔵関係なく、誰も彼もが楽しそうで……これから来るであろう英国の未来を、重ねることができた。
……その未来の光景に、呼ぼうとした男の姿があって。
そんな未来に……自分がいないその光景に、ズキンとした何かが、鋭く走った。
―*―
『なんだこのとてつもない酒の匂いは!? なにがあったのだここで!?
っ!? ……だ、ダッドリー? 貴様、やはりそういう趣味だったのか? ……日頃から鉄球足枷は、その、歴史再現とはいえ流石にやり過ぎだと思っていたが……いや! たとえどの様な性癖だろうと私は気にせんぞ!
……だがジョンソン。貴様はダメだ。正直気持ち悪い』
『ンンー!? (泣)』
『レディイイイ!? そんなGOMUTAIな! この薬剤漬けの肉体美のどこがキモイと……!』
『鏡を見てこい。そこに投獄モノの変態がいるはずだ。……それよりも王賜剣・二型は無事か!?』
『――えへへ、しすいだー……♪』
『なんだ、珍しくベロンベロンだな喜美。……ああ――Jud.Jud. 止水だぞーっと。いい子だからお家帰ろうなー』
『ん……。だっこー』
『な、なあ……これ、葵姉、だよな? なんだか幼児退行してないか?』
『よいしょっと。ん? ああ、喜美の酔い方の……なんだ? 最終形、って言えばいいのかな。限界超えると子供っぽくなるんだよ。まあ、安心しろよ。この状態なら、むしろいつもより無害だから』
『えへへー……しーすいー♪』
『…………。おい止水。さっさとしゃがめ。私が乗れないだろ』
『――あれ? なんで正純が不機嫌になっ……あ、Jud. すみません、どうぞお乗りください』
―*―
――英国の某聖剣広場にて、『妙な滑り気』のある聖剣の惨状に、悲鳴とも絶叫とも取れる某女王の声が上がってから、およそ数時間。
太陽は真上に近く、春の陽気も麗らかな……航空都市艦【武蔵】が武蔵野。その心臓と言える機関部を、一つの影が走っていた。
「班長殿、頼まれた工具と資材でござるよー」
「お。Jud.Jud.ごくろうさん。そろそろ良い時間だから、お前さんも昼休憩いってきな」
――訂正 。一人の忍者が、パシ……バイトに勤しんでいた。時間あたりの給料が発生しているのでパシリではない。
……働きに対して労われることが滅多に無い点蔵は、機関部のバイトに心の底から感動していた。
高所作業やら危険場所は多々あるが、武蔵内で高位にランク付けられる忍者である点蔵にとってはなんでも無いことだ。それに色々と手当がついて給金UP。さらには感謝もされてモチベーションもUP。
……軽く本気で、転職を考えてしまったのは内緒。
(うむ。誰とは言わんでござるが、うちのクラスの連中はむしろ文句を言ってくるでござるからなぁ……)
一足先に昼食へと向かう班長を見送りながら、点蔵は苦笑を浮かべていた。
そもそも、労ったり、感謝の言葉を口にしそうな面々もクラスにいるにはいるが、そういった良心系メンバーは前提条件として点蔵をパシらない。もしくは点蔵と同じように使われる側だ……誰とは言わないが。
そして、いつもならば、ここで外道連中の過去外道を思い出して、ため息の日間回数を増やすのだが……点蔵の頭に浮かんできたのは、外道連中の、誰でもなかった。
「……思えば自分、『様』などと、名の後に付けて呼ばれたのは初めてでござったなぁ……」
初めて『彼女』にそう呼ばれた時……情けなくも、数秒ほど意識を止めてしまった。一瞬同名の人物が側近にいるのではと考えた程で……。
「いかんでござるな――これでは、忍として失格でござる」
「へー、忍って失格とか合格ってあったのか。……ん? でも忍として失格、ってどういう基準でなるんだ?」
「いや、そういう制度はないでござるけど、こう、心情的に? あと基準でござるが、そりゃあもちろん私情で精神グラったりでござるよ。『忍』という字は、『刃』にて『心』を律する者にあれ、ば……」
何気なく問われたから、何気なく答えた。ただ、それだけのこと。
もっとも、周囲に誰もいないと認識していたからこその独り言だったのだ。
全く気づかなかった、いつからそこに……などなどの感想・思考が、瞬きの間に頭をよぎっては消えていく。
あー、本当に末期でござるよこれ……と、反省と修業密度の見直しと、滝行も追加して……とため息をつきながら点蔵が振り返れば――。
よっ。とばかりに片手を上げる、先ほど誰とは言わなかった……自分と同じく使われる側によくいる止水が、なにやら葉包みを小脇に抱えてそこにいた。
「ふむう――止水殿の握り飯は相変わらず特大でござるなぁ。お、具は卵焼き。当たりでござるか」
止水と点蔵は甲板の際に並んで腰掛け、揃って、顔の半分は余裕で隠せそうな大きさの、白い三角形を崩していた。
点蔵担当のおにぎりからは半熟気味の黄色が、止水のおにぎりは薄紅色がそれぞれ覗いている。
「(やっぱ横着しないで解せばよかったなぁ)あ、わるい。多分ハズレだ。賞味期限ギリギリの卵だったから。
まあ、特に大きさとか考えないで握ってるからな。……最近は『自分用』っていうより『正純救助用』になってるんだけど――アイツ、普通にこの大きさ平らげて、しかも物足りなそうに見てくるんだよ……」
「賞味期限過ぎてないなら無問題でござるよ。あと、正純殿ぇ……」
あの細い体のどこに収まってんだろうな、腹ペコキャラ認定待った無しでござるな、と男二人は未だ両手に余る大きなおにぎりを眺める。
身体の大きな止水はともかく、点蔵はむしろ身軽たれ、と忍者らしい意識から食事を抑える傾向なため、2/3を減らした現時点でも十分すぎるほどだというのに。
――尚、どうでもいい余談なのだが。頬にご飯粒を付けて目をキラキラさせて見上げてくる復活直後の正純を一目見ようと、一時期仕事をサボってストーキングしていた政治家や商人がいたらしい。
閑話休題。
「……そういえば自分、まだ止水殿に礼を言っていなかったでござるな」
「
いやいや、と首を振る点蔵。
「――英国で、自分がウォルター殿に斬られた時にござるよ。あの時止水殿が間に合っていなければ、恐らく自分は無事では済まなかった。最悪、死んでいたでござろう。
それに……考え無しに遮二無二に突っ込んで、危うく自分の所為で武蔵と英国の関係が悪化するところでござった」
「――あー、あの時のか……」
両国合同会談やら、今朝の
「礼を言われる程のことでも無いけどな……でも、久々に見たよ。お前があんなに感情むき出しで動くなんてさ。
――で、どうするんだ?」
「……どうする、とは?」
「ん。メアリ、だったか? アイツの処刑だよ。
ア……なんとか海戦のキッカケだろ? それに二人分の歴史再現があって……ああ、あとエクスカリバーの強化、ってのもあったか」
一本ずつ指折り数えで、三つ。宙に視線を彷徨わせているのを見ると、他に何かあったかどうか、思い出そうとしているらしい。
点蔵はそれを見ながら、そして聞きながら。
(な、なんと……止水殿が正確に理解しているでござるよ……!?)
――結構本気でビックリしていた。
止水のことを脳筋……とまではいかないが、腕力解決がデフォルトであると点蔵は長年の付き合いで知っている。だからこそ、メアリの処刑の政治的な背景をしっかりと理解していることに驚愕したのだ。
そして、それと同時に。
「いや――自分には、どうしようもないでござろう」
言葉にされ、
政治的視点から見れば、メアリの死は英国の歴史再現でも重要な案件の一つであり、また国土防衛力の強化はどの国でも最優先事項の一つだ。同盟関係とはいえ、英国にとって武蔵は他国。点蔵が行動を起こそうものなら、外交問題になることは明らかだ。
そして、個人の視点から見ても……。
「――自分は、忍者でござるからな」
『命令』以外で、忍者は行動してはならない。私情でその業を使ってはならない。それが、忍の掟だ。
だからこそ、どうやってメアリを掻っ攫うのかという意味で言ったのだろう止水の『どうする』を、メアリを救いに行くのか否かの『どうする』に聞き変えたのだ。
そして何よりも……
(メアリ殿が、それを望んでいるかもわからんでござるから、な)
あの時、止水が『処刑は英国の総意か』と聞いた際、メアリは『自分の意思だ』とはっきり答えた。
……死を望んでいる訳ではないだろうが、彼女は、英国に命を捧げる覚悟を終えている。その覚悟を阻み砕くだけの確固たる何かが、点蔵にはない。
「…………」
言っておけば、よかった。若しくは、聞いておけばよかった。自分が彼女をどう思っているのか、彼女が自分をどう思っているのか。
その上で、点蔵は思う。
もしかしたらトーリは……そして、今隣にいる止水は、こんな後悔を十年も抱えていたのか、と。
「……なぁ点蔵。昼休憩ってまだ時間あるのか?」
その隣から、声が来た。声の前にはため息があり、さらにその前には、立ち上がる動作があった。
唐突な行動、そして話題の変化に戸惑うが、考えるのに夢中で無意識にサボってしまったのか!? と、点蔵は慌てて時間を確認する。
「え、えーっと。あ、まだ大丈夫でござるな。あと、三十分くらいは」
「そっか。んじゃ、腹ごなしに
ーー疑問の声を上げる間もなく。
点蔵は、重力に対して水平に投げ飛ばされる感覚を、久々に味わっていた。
読了ありがとうございました!