境界線上の守り刀   作:陽紅

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気がつけば百話、これまでお付き合いいだだき、本当にありがとうございます……!

さて、題名からお分かりになりますとおり、今回はあの方メインです。


百話記念番外編 【麻呂の坂道】

 

 

 ――左から右へ。左から右へ。それを繰り返すこと十数度、視線は端から端を、少しずつ下がりながら絶えず絶えず行き来する。

 

 年季を感じさせる羽ペンはコツコツと一定のリズムを刻み、広くはないその室内では唯一の音楽になっていた。

 

 

「……む?」

 

 

 その動きが止まり、刻んでいたリズムもまた止まる。

 A4サイズの表示枠の一点を険しい顔で眺め、別口で新しい表示枠を出し……そこに描かれた円や折れ線の図を睨む。

 

 

「ふむ……」

 

 

 険しい顔は解かれ……しかし今度はどうしたものかと思案げに眉を寄せる。

 そのまま数秒ほど維持し、「うむ」と羽ペンを走らせる。

 

 ――加筆は数行から数語で簡潔に。そして、一番下の空白に、認可のための『武蔵王 ヨシナオ』と書き入れる。

 

 完了だ。

 

 

「よし。これで、表層区画の大まかな整備は終わりであるな……」

 

 

 呟きをこぼしたは――もうお分かりだろうが――武蔵王ヨシナオである。処理の終えたそれをもう二度ほど見直し、問題確認して、送るべき担当者へと送信する。

 

 

 三河で武蔵決起の際――全体的に見れば少なく、極一部と言えるだろうが、それでも数百人近い人数が武蔵を離れていった。

 その判断が間違っている、とは言わないがヨシナオも人だ。彼らに思う所が無いわけではないが……逆に取れば、それでも残ると声を上げたのが今残っているのだと思えば、自然と口角は上がっていく。

 

 

 ……話を戻すが、人がいなくなればその分、『空白』が生じる。作業員などの人員もそうだが、航空都市艦という極狭い領土しかない武蔵にとって、数百人分の空き家をそのままにしておくというのは無駄以外のなにものでもない。

 

 ないのだが、空いた家というのが、戦時になれば真っ先に被害を受けるような表層区画や大通りに集中していたのだ。

 

 その上、そう言った区画の家屋は大体が商業用に改築されたものばかりであり、一般住居としては生活するには少々扱い辛い。

 

 

 この大きな二つの難点ゆえ、この案件は長い時間をかけることになるだろう、と長期戦覚悟で挑んだヨシナオなのだが……。

 

 

「全く……王を裏切る民とは、感心できんな」

 

 

 なんとなんと、まさかの10日ほどの日程で終了してしまったのである。とんでもない空回りで終わってしまった覚悟に、ヨシナオも苦笑を浮かべずにはいられなかった。

 ――武蔵っ子の行動力に脱帽……いや脱王冠である。外さないが。

 

 

(それにしても――移転や新店舗開店を望んだ者たちは、例外なく親世代より前から武蔵に戸籍のある、謂わば『古参』の者……偶発か、示し合わせたのかはさておいて……)

 

 

「――いや、これは不粋な詮索であるか」

 

 

 ――商売魂逞しい民で王様としては嬉しい限りである。

 何故か現役時代に戦闘系訓練を一般生徒よりかなり多めに積んでいる連中が多い気がするのだが、気のせいだろう。人生何事も挑戦だ。

 

 

「……さて、と」

 

 

 ヨシナオは『予定通り』に空いてしまった時間を確認する。夕方にはまだ早く、しかし昼というには些か遅い。……そんな微妙な時間帯だった。

 

 

(……そろそろ、であるか)

 

 

 ふむ、と一つ頷き、ヨシナオは徐に引き出しから手鏡を取り出す。髭や髪を軽く眺め……軽く整え、準備完了。

 

 ――ノックの音は、その直後だった。

 

 

「(うむ。時間通りであるな!)……開いているのである。入りたまえ」

 

『しっ、失礼しまーす……』

 

 

 躊躇いまくっている扉が恐る恐ると開き、その隙間から躊躇いまくっている影が伺う様にして顔を覗かせる。

 

 

「あ、あのぅ……スミマセン。自分、なにかやらかしちゃった感じ、ですか……?」

 

 

 開口一番、その上入室すら終わっていない内に、申し訳なさそうに謝罪を繰り出したのは……武蔵の従士、アデーレ・バルフェットだった。

 

 

「……ふむ。では聞くのであるが、君自身に何か、身に覚えがあるのかね?」

 

「いやぁその……多分、無いとは思うんですが、というか無いと思いたいと言いますか……」

 

 

 王様に呼び出されるなんて今までなかった、というのも当然あるだろうが、従士としての彼女の家系が萎縮させているのだろう。

 滑り込ませるように入ったはいいが、ガチガチに固まっていた。

 

 そんな状態にも関わらず、あはは、と笑うアデーレにヨシナオもこっそりと苦笑を返す。

 

 

「それはよかったのである。麻呂もその様な話は一切聞いていない。まあ、安心したまえ、注意や叱責で呼んだわけではないのであるよ」

 

「は、はぁ……」

 

 

 事実だ……アデーレのは聞いていない。

 ……アデーレのは(・・)

 

 

(……そういった意味では、葵・トーリこそこの場に呼び出さなくてはいけないのであるが……)

 

 

 そうしたらそうしたで、『二次被害』『状態悪化』という単語たちが「呼んだ?」とばかりに大挙してくるから質が悪い。それに、今日はなにやら果物屋で栗を買い漁っていたという。

 

 ……『マロがマロンでマロンマロン』とニタリ笑いで意味不明なことを呟いていたという報告もあった。……せめてイガなしであってほしいものである。

 

 

「んん! まあ一先ずかけたまえ。今、紅茶でも用意しよう」

 

「うえ!? い、いいです! お構い無くっ」

 

「なに、麻呂の休憩も兼ねているのであるよ。それに、一人分も二人分も、些細な差であるからな」

 

 

 二つのカップを湯で温めつつ、蒸らしなどの工程をなれた手つきでこなすヨシナオ。ついでに、戸棚から丁度偶然二切れ残っているケーキも取り出しておく。

 

 ――背中越しに感じる気配は、まだどこか硬い。

 

 

「……最近はどうかね? アデーレ君たちもいろいろと、忙しそうに動いているようだが」

 

「――え、と。Jud. 三河警護隊の皆さんとの連携だったり、有事の時の連絡網の整備とかいろいろ……見直せば見直すほど埋めないといけない所が出てきまして……」

 

 

 また、アハハ。

 と、しかし今度はどこか力なくアデーレは笑う。

 

 ……日々の授業と生活のためのバイト、それに加えて慣れない作業だ――当然、疲れているのだろう。

 

 

「でも、今頑張っておかないと、いざって時にホント大変ですからね! 今のうちにできることをできるだけやっておかないと!」

 

「ふふ……確かに、そうであるな(そちらの心配は無用、か)」

 

「あの、今なにか……ってうおおお!? そ、そのケーキは!? え、マジですか!?」

 

 

 今までの流れをぶった切って、ガタッと身を乗り出して眼を輝かせるアデーレの反応に、ヨシナオは内心で小さくガッツポーズを決める。――朝早くから並んだ意味はあった。

 

 そしてそれを、何でもないように差し出すのが武蔵王、ヨシナオ流だ。実際、ケーキ一つで緊張を無くせるなら安いものである。

 

 

「……さて、アデーレ君。君にわざわざ来てもらった理由なのだが……」

 

「あ、Jud.! な、んでしょうか」

 

 

 ヨシナオは頷きを一つ挟む。

 

 

「――アデーレ君の所有している機動殻……名は確か『奔獣』であったかね? その機動殻について聞きたい――いや、確認しておきたいことが何点かあるのだが」

 

「え、えっと……機動殻、ですか――? はっ!? ま、まさか自分、知らない内に違法改造とか、しちゃってたりなんかしてました……!?」

 

 

 まさか……と件の機動殻のように青くなるアデーレに、ヨシナオは首を横に振ってその答えを否定する。

 その動きに安堵するアデーレだが……ではなんだろう、と首を傾げた。

 

 『奔獣』の件で、ヨシナオがわざわざ呼び出す理由。それが他に、本気で思い浮かばない。

 

 

 

「わからないかね? ……整備費であるよ」

 

「はあ……整備費、ですか」

 

 

 ――間。十数秒。

 

 

「整備費!?」

 

「Jud. ……どうして君がそこまで驚くのかはこの際置いておくとして。

 ……アデーレ君。あの機動殻の整備・改良諸々だが、さきほどの話から聞く限りすべて自身で行っているようであるな?」

 

「え、えと……はい。元々自分の父の持ち込みでしたし……あっ、でも必要な免許とかはちゃんと取ってやってますから!」

 

 

 ……知っている。

 

 調べて、知って……心底感心したのだから。

 

 

 アデーレの父が遺した――とは言うが、なにも今の『奔獣』の形がそのまま残っていたわけではない。アドバイスをした、と言う機関部の翁の話では、装甲などは経年劣化でスクラップ寸前――相当ボロボロだったそうだ。

 

 生存用の幾つかの機構とシステム回りは特筆して頑強だったらしく、いまでも現役とのことだが……殆ど全改修の勢いだったそうだ。

 

 

 だがそれを、アデーレは直してみせたのだ。しかも、たった一人で。

 

 出来るか出来ないかで言えば、きっと――出来るのだろう。だが、誰も実際にやろうとはしないはずだ。

 武神程、とまでは流石にいかないが、機動殻だって維持費だけでも相当な費用がかかる。

 

 ……個人でも出来なくはないだろうが……『学生』個人では相当な無理をしなければならないだろう。実際、無理をしてきたはずだ。

 

 

「アデーレ君が従士として戦場へ赴く際、当然あの機動殻を使用するのであろう? ……今までの武蔵の状況であれば、現状そのままでもなんとかはなったであろうが――。

 

 これからの武蔵の行動を考えれば、その体制ではあまりにも『弱い』と判断せざるを得ないのであるよ」

 

「そ、それは……そうですけども……」

 

 

 アデーレも、考えてはいるのだろう。

 

 ……考えて……しかし答えが出せないでいた。

 

 

 三河での抗争では大きな損傷もなかったが、今後もその幸運が続くとは思えない。

 そして、あの機動殻の役目は、誰がどう考えても『盾』だ。

 

 

 一度や二度なら連戦も可能だろう。……だが、その後は当然改修なりをしなければならなくなる。それは当然、ゲームのように一瞬で、とはいかない。専門のチームですらあり得る事態なのだから、アデーレ個人ではさらに切実な難題だろう。

 

 

 ……もし、その改修が間に合わなければ……別の誰かがその盾の役目を負うことになる……ということなのだ。

 

 

 そして、その役目を負うのは必然的に『彼』であり……。 

 

 ……そしてすでに、起きてしまっている。

 

 

 

「……っ」

 

 

 ……膝の上でギュッと拳を作るアデーレに、ヨシナオは何故か、優しげな笑みを浮かべた。

 

 

「安心したまえ。今日君を呼びつけた本題は、その『解決策』についての話なのである」

 

「……へ?」

 

 

 まさしくポカン、と呆けるアデーレに思わず笑いそうになるが、意地で堪える。

 

 ……カッコいい王様で今日は決める、と決めたのだ。

 

 

 

「……武蔵は今後、残念ながら多くの戦闘に参じていくことになるであろう。そして、生徒会会計の言葉を借りるようであるが、戦争には莫大な費用がかかるものである。

 多くの国では、これを『戦時予算』などとして処理するのである。

 

 怪我を負った兵の保障や給金然り、施設や武装の購入や修理然り。……そして、武神や機動殻の整備費なども、当然然りであるな」

 

「……え、じゃ、じゃあ、もしかして自分もそれを使えるんですか!?」

 

「……当然、と言いたいのであるが……アデーレ君の機動殻は、武蔵の国としての備品ではなく、アデーレ君個人の所有物である。……引き出せたとしても、戦闘でできた負傷の修理費の程度であろう」

 

 

 ちなみにだが、直政の地摺朱雀は根本的に条件が違う。機関部作業の主力である朱雀の整備費などは機関部の予算でしっかり確保されていたりする。

 

 

 ……ヨシナオの言葉にアデーレは一瞬ため息をつきかけて――それをぐっと飲み込んだ。

 

 ――修理費のみ、ということは改良や維持の費用は当然含まれない。最低限戦場に出て戦うことはできるが、『前』には進めない。

 

 三河では殆どお荷物のような状態の機動殻のままだ。

 

 

(いえ、十分です……むしろ、破格すぎるくらいですよ!)

 

 

 全く手の打ちようもなかった中で、修理費という大きな壁を壊せる目処が着いたのだ。これ以上甘えてしまっては、とても従士とは名乗れない。

 

 ――バイトを増やして、節約すればまだ色々捻出できるはず、と。飲み込んだため息を爆発させるような勢いで決意を決めて……。

 

 

「……と、そこで。不足する維持費や改良費は麻呂の方で立て替えておくのである。アデーレ君は存分に武蔵の従士として」

 

「――ほぇ?」

 

「活躍……ほ……? アデーレ君?」

 

 

 抜けた。魂的なものが、今度こそ完全に、スポンと。

 

 

「ふむ……? なにか不明な点でもあるのかね?」

 

「いやあのぅ……ええぇ、と?」

 

 

 おかしい。……おかしいはずである。――多分、おかしいのだ、きっと。

 

 

 だが――ニヤリと笑う王様を見てアデーレは『あ、これはこっちの意思に関係なく流れるままに終わるパターンだ』と、早々に色々をあきらめた。

 

 

 そのおかげで……と言えば語弊があるのだろうが。

 

 『スポンサー』ならまだしも……『公費ではなく自腹ゆえ無問題』『機械弄りが趣味だから気にするな』などの色々と突飛すぎるヨシナオの発言にアデーレが気づくことはなく……静止がかかることも、またなかった。

 

 

 

***

 

 

『失礼しましたぁ!

 

 ……ょぉっしゃぁ……! なんかよくわかりませんけど運向いてきましたよ自分……っ!』

 

『あらあら……アデーレさんったら。なにか良いことでもあったんですか?』

 

『へ……? どぅおわぁ!? お、王妃様!? ど、どうしてここに……!』

 

『夫に相談……。いえ、丁度いいですね。実はアデーレさんにお願いしたいことがありまして……』

 

『丁度いい? 自分に……、ですか?』

 

『ええ、アデーレさんに是非……♪』

 

 

配点【……麻呂の家内が、本気を出してきた件について】

 

 

***

 

 

 ――本日の最大案件を無事にこなしたヨシナオは、再び一人となった執務室で冷めきった紅茶で喉を潤していた。

 冷めてしまって風味が飛び、渋味すらある紅茶は本来の味からは程遠く、とても美味いとは言えないが……。

 

 

「やれやれ……情けないものであるな。全く――」

 

 

 ……緊張で早口になり、それによって喉が乾ききっていたヨシナオには、そんな紅茶でも心地いいものだった。

 

 

 ……『伝えるべき本題』はしっかり伝えられた。

 

 しかし、

 

 ――『伝えたかった本題』の方は……いまだ、ヨシナオの懐で形を保っている。

 

 

 ……今の時代、書類関係は大体にして表示枠投影型……つまりは通神を用いたものが主流だ。かさばらない、持ち運びに手間取らない、余程がなければ紛失しない――等々、利点を上げればキリがないだろう。

 

 だが、何事にも例外が一つや二つ必ずあるように……紙媒体の書式を敢えて用いて、確かな『形』にして残す場合も、当然にある。

 

 

 例えば『婚姻届け』……数多の襲撃・妨害に遭いながらも役所へ届け、新居の爆破予告されながら受理されたり。

 

 例えば『出生届け』……純真に目を焼かれる苦痛に呻きながら送られる祝辞を受けて、先輩方の激励を受けたり。

 

 

 

 ……ヨシナオの懐にあるそれも……そんな、『家族』に関係する書類の、一つだった。

 

 

 

「『魔が差した』……そうに違いないのである。麻呂はもっと、思慮深いのであるから。

 さて……麻呂も動かねば。まずは機関部の翁に機動殻改良案の依頼と……いや、先に整備ドックの充実が先であるか――いっそ、麻呂の自宅の近くに建ててしまうと言う手も」

 

 

 自称『思慮深い』ヨシナオは草案を煮詰めていく。長年の施政者としての経験が無駄に発揮されまくったせいで、専用の工場まで計画が詰められたところで。

 

 

『お仕事中失礼しま……あなた?』

 

 

 ……奇跡的に『待った』がかかった。

 

 通神呼び出し。相手は……見間違うことなき自分の妻。

 

 

「む……!? す、すまぬ。すこし考え事を……新しい工場の草案をであるな……あ」

 

 

 表示枠の隅に出ている時刻に、苦笑する。

 アデーレがこの部屋を出たのが夕刻前だというのに、今はもう夜に分けられる時間帯だ。

 

 随分と集中……いや、没頭していたらしい。

 

 

『あなた?』

 

「……ああ、いや。何でも無いのである。うむ、何でも無い。――それよりも、どうかしたのであるか?」

 

 

 画面の向こう――は室内のようだ。そこでいつもの……いや、いつも以上に穏やかな笑みを浮かべている妻がいる。

 

 ――なにか良いことでも、あったのだろうか。

 

 

『ええ。実は、是非あなたにも見ていただきたいんです。今からこちらに来られませんか?』

 

「今から……であるか? ふむ……まあ、今日の仕事は全て終えているから問題はないであるが……」

 

『では、今すぐこちらに。あまり、お待たせしてもいけませんから』

 

 

 場所の指示、そして重ねるように急ぐようにと付け加え、表示枠は落ちる。

 

 うむ――流石は現役時代体育会系。行動が機敏であるな。しかし気になるのは……。

 

 

「麻呂に、見せたいもの……?」

 

 

 待たせるのも悪い……とは業者かなにかだろうから良いとして。ヨシナオ自身は何かしらを注文した覚えもないので、なんとも言えない。

 

 ともあれ、待たせては確かに悪い。業者もそうだが、妻とて女性。女性を待たせるのは紳士ではない。

 幸いにも指示された場所は近い……というより、同じ施設の中だ。ヨシナオの記憶が正しければ、早足で数分とかからないところにある来賓用の応接間――だったはずだ。

 

 

(『非公式での他国からの来客』――は、流石に考え過ぎであるか)

 

 

 ともあれ、妻を待たせては悪い、とヨシナオは足を急がせる。そして何事もなく目的の扉の前にたどり着く。

 

 

「入るのであるよ、麻呂に見せたいものとは――」

 

 

 ……ヨシナオはこの後、この行動を大変後悔することになる。ノック云々ではない。いや、確かにそれも大切だが、それではない。

 

 

 『覚悟』だ。入る直前に、それを怠った。

 

 

「いったい、なんで……」

 

 

 扉を開けて、その向こうにいる二人を視界に修めた瞬間に――ヨシナオの頭は完全にフリーズした。

 

 立っているのは、妻だ。日頃から穏やかな笑みを浮かべているが今日はそれに増してニコニコと、幸せそうに微笑んでいる。

 

 

 

 ……そして、その彼女の――前。

 

 

 椅子に浅く腰かけ、妻の手を肩に添えられた――美しい淡い青と白のドレスを見事に纏った、一人の『花嫁』がいて。

 

 それがヴェールの向こうで……恥ずかしそうに……はにかんでいた。

 

 

 

「……ブゴッハァァ!?」

 

「って、えぇぇっ!? 涙と鼻血の同時噴水!? なんでですか!?」

 

「あらあらうふふ……♪」

 

 

 

  ――事後処理中。しばらくお待ちください――

 

 

 

「くおぉう……! ま、麻呂としたことが――はっ!? 花嫁! 花嫁は無事であるか!? そしてどこの馬の骨であるかぁぁ!?」

 

「あなた、大丈夫ですから。少し落ち着いてください」

 

「!? す、すまない。うむ……しかし、『麻呂に見せたいもの』というのがアデーレ君であったとは……」

 

 

 片手で鼻を、片手で涙をやりくりしつつ……ヨシナオは改めて、アデーレをよく見る。

 いきなりの流血沙汰に苦笑を浮かべているが……その出で立ちは『式を目前にした花嫁』そのもの。

 

 ほんの数時間前には、吹っ切れた悩みで美味しさ倍増のケーキに蕩けていたのだが……髪は高く結われ、淡く化粧もされているらしい。

 

 

 そして……アデーレが纏っているウエディングドレス。これに、ヨシナオは見覚えがあった。

 

 ……あって当然だ。なにせ、自分の隣にいる女性が――かつて同じように、自分の隣で身に纏っていたのだから。

 

 

(そう言えば……『娘』か、『相手の方』に使ってもらえれば――と昔はよく言っていたであるな)

 

 

 ヨシナオの妻とアデーレでは……まあ、体型にかなり差がある。

 あるのだが、そのドレスには僅かな遊びがあるだけで……完璧にアデーレ用に仕立て直されているのが伺える。

 

 

 

 ……母から、娘へ。

 

 そんな思考のせいでまた熱いものが込み上げたが、二度目の失態は根性で回避した。

 

 

「アハハ……い、いやぁ。自分、こんな凄い服着たことないので……あの、変じゃないですよね?」

 

「まさか変など……よく、似合っているであるよ。本当に。

 ――うむ。そうであるな。記念、というわけではないであるが……写真で残しておくべきである。絶対に」

 

「あなた、いい考えですね。では撮りましょう。絶対に」

 

 

 アデーレ、反論できず。

 

 『恥ずかしいから形に残したくない』という思いは、残念ながら武蔵王家には届かなかった。

 そして、どちらもかなりフットワークの軽い王様王妃様なのだと思い知ることになる。

 

 

「――武蔵総艦長。君の持っている最高品質のカメラを一式借りたいのだが。なに……被写体? はは……麻呂の『知り合い』の晴れ姿であるよ。今から――」

 

「アデーレさんアデーレさん。……『お相手』は誰がいいですか……♪」

 

「……お相手!?」

 

 

 

 そんな感じで、トントン拍子に。

 

 どこの家庭でも、探せば一枚や二枚は出てきそうな……そんな『家族写真』は、撮影された。

 

 

 

 ろくな説明もなく、脱がされ着せられて……拉致同然の扱いでも快く応じてくれた花婿役の彼には、後で食事でも奢るとして。

 

 儚さとは程遠い、まるで夏に咲く向日葵のような満面の笑顔を浮かべている花嫁が並び。

 

 

 ……その両隣には、誰よりも近い場所で見守る、笑顔の両親がいた。

 

 

 

《おまけ》

 

 

 

「おっ! マロマロ見っーけ! くらえ試作栗三昧!!」

 

 

 かけ声に振り返れば、そこにいたのは案の定の男。そして、飛来してくる栗系食品の山。

 

 

「ふっ……この程度かね? 総長兼生徒会長。武蔵副王も兼任しているというのに……成長が見られんな」

 

「あ、ずりぃぞマロ! 描写なしで攻略とか! 味みろよ味!」

 

「モンブランケーキは中々であった。利益も取れるだろう。ジュースは要改良か、諦めたまえ」

 

「えーっと、マロ……? おめぇ、なんかあった? おーい……」

 

 

 

 武蔵王・ヨシナオ。

 

 ……ただいま自身人生史上、最強を絶賛記録中。

 

 

 

 




読了ありがとうございました!

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