奇談モンスターハンター   作:だん

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1節(5)

「謝って欲しくないのじゃ……」

 

 先程までの元気は何処へやら。

 急にしおらしくなってしまうファルローラに対して、エレンも困ってしまう。

 

 エレンからすれば、自分が立場上“お姫様”であるのは理解しているのだが、今までが今までだ。

 

 何かしら発言しようものなら、『エレンシア様がそのような事をなさる必要はございません」と切り捨てられ、何かしら手を動かそうとすれば、『エレンシア様のお手を煩わせるものではございません』と拒絶されて来たエレンである。

 

 ましてや、稀に“御目通り”になる王族達、本来はエレンからすれば血縁者になるはずなのだが、皆一様にエレンを居ないものとして扱う。

 

 義母──と言っていいかは判断しかねるが、王妃に至ってはあからさまに冷たい視線をぶつけ、徹底的にエレンの事を無視し続けた。

 

 実の父である国王とは、時折目が合う事があったはあったが、それ以上エレンに歩み寄ることはなかった。

 

 第二王子は、年頃の男の子だからだろうか、美しいエレンにチラチラと視線を寄越すことはあっても、母の手前、決してエレンに話しかけるようなことはなかったし、何よりもエレンがショックだったのは、民草から聡明と称えられる第一王女の一言であった。

 

 

『話かけるでない! (けが)らわしい!』

 

 

 幼い自分は、よくそこで泣き崩れなかったものだと、今思い返すと感心するエレンである。

 

 本当は、悲しいという感情が振り切ってしまい、泣くことすら出来なかっただけなのだが、彼女は確かにその一言以降、周りに対して何の影響も与えないようにと努めて来た。

 

 余計な発言はせず。

 常に、必要がなければ自室に籠もって本などを読んで過ごし。

 部屋から出なければならない時には、絶対に人より前に立たない、歩かない。

 

 これ以上他人に不快な思いをさせぬよう、自身を清潔に保ち続け、独学で教養や礼儀作法などを学んでいった。

 

 そんなエレンからすれば、血縁者(おうぞく)とは、自分を汚いものとして扱う存在でしかなかった。

 

 この小さな、末のお姫様以外は。

 

 最初は彼女も、上の姉や兄、母親などの真似をして、エレンを無視していたはずであった。

 だが、いつの頃だろうか。

 

 コルナリーナがエレンのお付きの侍従となり、彼女の周りの召使い達に片っ端から暇を与えていった頃であろうか。 

 今までの態度から一転、「姉上! 姉上!」としょっちゅうエレンの側へと寄ってくるようになり、主に教育の時間を脱出し、離れ屋敷に忍び込んで来ては、彼女に遊んで貰おうとせがむのであった。

 

「申し訳ありません……」

 

 もはや条件反射になってしまっているにであろう。

 エレンが再び謝罪の言葉を吐くのを、隣に座る第三王女は泣きそうな顔で見つめ返すのであった。

 

「もう、よいのじゃ……」

 

 泣きそうになるのを必死に堪えると、ファルローラは精一杯の気力を振りぼってそれだけ口にするのであった。

 

「それより、姉上! わらわは、ずっと聞きたいと思っておったのじゃ!」

 

 一瞬だけ俯いて目尻にたまった涙を拭うと、ファルローラは顔を上げて先程までの元気を復活させてエレンに話しかける。

 

「姉上、お城からお出になられていたこの四ヶ月間。聞けばモンスターハンターとしてご活躍だったとな?」

 

「え? ……ええ」

 

 エレンがおずおずと応えるのに、ファルローラはさらに興奮したように「まことか!?」と眼を輝かせる。

 

「う〜む! 流石はエレンシア姉上じゃ! ミスト兄様みたく口だけではないのじゃ!」

 

 凄い凄いと大興奮のファルローラに、エレンの頰もついに緩んでしまう。

 

 自身の出生の事情さえなければと、思わずには居られなかった。

 

 ちなみにミスト兄様とは、ミストルティン・バルドル・シュレイド王子の事である。

現国王の唯一の息子にして王国の第二王子だ。

 

 歴史や文学に理解のある読者諸君であれば、違和感に気づいたかも知れない。

 唯一の男児なのに第二王子(・・・・)なのか、と。

 

 古代より続くシュレイド王国。

 現在は西の王国と東の共和国とに別れてしまっているが、もとはひとつの巨大な王国であった。

 

 その古代王国からの王族の数え方であり、最初に生まれた御子(みこ)が男であろうと女であろうと第一王子、または王女となるのである。

 

 然るに、現在の西シュレイド王国の御子達は上から順に長女が第一王女。

 長男が第二王子。

 次女が第三王女となる訳だ。

 

 そして、その第二王子と第三王女の間に、虚位(いないはず)姫の存在があり、それがエレンシア姫。

 つまりはエレンという訳だ。

 

 話を本編に戻そう。

 

「口だけ……ですか?」

 

 エレンが問いかけた途端、ファルローラの顔がパァっと華やいだ。

 

 エレンが話に乗ってくれたのが嬉しくてしょうがないのだろう。

 

「そうじゃ! ミスト兄様は、口では『僕が民を苦しめるモンスターを退治してくる!』などと言うには言うのじゃ」

 

 そう言って、ファルローラはその兄の姿を思い浮かべたのか、少しだけ口を尖らせる。

 エレンが相槌を打つのを本当に嬉しそうにしながら、会話を続ける彼女を見て、エレンはふと、思うのであった。

 

…もしかして、昔の私は、今のファルローラ王女と、ある意味同じ気持ちだったのかな?と。

 

 心を開いて欲しい人に心を閉ざされる苦しみは、エレン自身が一番わかっていたはずなのに、自分はこのまだ幼いお姫様に、同じ悲しみを与えてしまっているでは無いか。

 

…ディーンさんに見られたら、怒られちゃいますね。

 

 ふ、と。

 エレンの口から、先程までとは違う笑みがこぼれた。

 

「……エレンシア姉上?」

 

 その様子に、いざ兄の日々の愚痴をぶちまけたらんとしていたファルローラが、ポカンとした顔でエレンを見上げる。

 

「どうしました? ミスト王子が、その後どうされて、ファルローラ王女は怒っちゃったんですか?」

 

 極力、相手を安心させるよう優しい声で聞き返すエレン。

 

 だが、ファルローラはエレンが予想したような、兄の愚痴を今こそ洗いざらい全て言いまくってやろうと、勢いよく喋り出したりはしなかった。

 

「……ふぇ……」

「ふぇ?」

 

 よくわからぬ声がファルローラからこぼれ、エレンがよくわからぬままおうむ返しに言った途端であった。

 

「びえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっっっっっ!!!!」

「ふえぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!??!」

 

 突如、わがままな第三王女の目から大粒の涙が零れ落ちたかと思うと、瞬く間に涙のダムが決壊。

 

 盛大な鳴き声と共に、ファルローラの瞳からド派手にあふれ出したので、エレンも情けない悲鳴をあげずにはいられなかった。

 

 あまりの大泣きに竜車は停止し、爺やや騎士たちが「何事か!?」と雪崩れ込んで来たのだが、皆エレンに抱きついて大泣きするファルローラと、それを必死にあやしながら、今日一番の困った表情を浮かべるエレンの姿を見て、同じ様に困り果てるのであった。

 

「あ"ね"う"え"っ! あ"ね"う"え"ぇ"ぇ"ぇ"ぇ"ぇ"ぇ"〜〜っっ!!」

 

 泣きじゃくる自分を、困り果てながらも優しく抱き締めてくれる姉の華奢な胸に顔を埋めながら、ファルローラはなかなかに泣き止まなかった。

 

 

・・・

・・

 

 

 それは、忘れもしない三年前の寒冷期の終わりであった。

 

 (とう)を過ぎ、本格的に帝王学などを教育され始めたファルローラは、甘やかされて育って来た事もあってか、まともに授業を受け終える事もできず、しょっちゅう途中で投げ出しては、方々に逃げ回り、逃げた先でわがままの限りを尽くして周りに迷惑を振りまいていた。

 

 そんなある日の事である。

 

 たまたま王宮仕えの誰かが飼っていたのであろう子豚(プーギー)が一匹、なんとも珍妙な服を着せられて、王宮の中庭をうろついていた。

 

 前記の通り、お勉強(・・・)を逃げ出したファルローラが、むしゃくしゃした気分で鉢合わせたものだから、哀れなその子豚(プーギー)はわがままな第三王女の格好の八つ当たりの標的となった。

 

 蹴飛ばされ、小突かれ、追いかけ回されて、方々に逃げ回った子豚(プーギー)が最後に逃げ込んだ先が、エレンが過ごしていた離れ屋敷であった。

 

 意外に思うかも知れないが、子豚(プーギー)の脚は速い。

 

 必死に逃げたプーギーは、今よりさらに幼い頃のファルローラをぶっちぎって離れ屋敷の庭へと駆け込んだ。

 

 かなり遅れを取ったファルローラが、息を切らしながら離れ屋敷の庭に到着した時に、“それ”を見たのであった。

 幼いながらも眼を見張る光景だったと、ファルローラは思う。

 

 

「まぁ、どうしたの? こんなに傷だらけで……」

 

 

 それは、今まで自分が両親や兄妹姉妹の様に、無視し軽蔑していたエレンシア姫が、自分が八つ当たりしていた子豚(プーギー)を優しく抱き上げ、慈愛に満ちた表情で声をかけていたのだ。

 

 気がつけば、見惚れていた。

 

 美しいともてはやされていた自分の一番上の姉など、塵芥(ちりあくた)に思える程。

 むしろ神々しいとさえ思った。

 

 ただ、それだけである。

 ただそれだけで、ファルローラは今までの自分を恥じた。

 

 わがまま放題をではない。

 

 エレンシア姫への自分の態度である。

 あれ程まで、他者を慈しむ者が居るなんて、想像もしなかった。

 

 あんなに慈愛に満ちた表情で、見つめられた事など、少なくとも自分が覚えている記憶の中には無かった。

 

 エレンシアは、子豚(プーギー)を抱き締めたまま、困り果てていたが、すぐに彼女の侍従であろう、金髪の美しい女が側へ駆け寄り、二人で子豚(プーギー)の手当てを始めた。

 

 咄嗟にファルローラは物陰に身を隠した。

 

 何故だろうか。

 その時は、自分がその子豚(プーギー)を傷付けた犯人であると、視線の先でぎこちなく手当てを手伝うエレンシアにだけは知られたくなかったのだ。

 

 それ以降、ファルローラはエレンシアの事が気になって仕方がなかった。

 

 爺やに無理矢理聞き出した。

 

 エレンシア姫は、違う母から生まれたのだと。

 自分の母上とは、別の母上がいたのだと。

 

 だから、エレンシア姫は自分の母上から冷たくされているのだと。

 

 なんと言う事だろう。そう思った。

 

 自分の姉は、自分が蝶よ花よともてはやされる中、自分の想像を絶する生き方を強いられて来ていたのだと、そう思った。

 

 ならば自分だけは、あの美しく清らかな姉を助けねば。

 そう、いつの日にか思う様になっていたのだった。

 

 だが、暇を(強引に)作っては彼女の元に訪問するも、エレンシア姫は、自分には決して心を開いてくれなかった。

 

 後から知った。

 一番上の姉がその昔、『話しかけるな穢らわしい』と罵ったそうだ。

 

 それ以降、エレンシア姫は自ら進んで人前に姿を現さなくなったという。

 

 以来。

 もともとわがまま放題だったファルローラは、姉に代わって両親や姉兄に食ってかかる様になった。

 より一層のわがままの限りを尽くし、(完全にとばっちりだが)ハンターズギルドにまで無理難題を突きつけた。

 

 まぁ、完全に空回っていたわけだが、彼女なりに不器用に、不幸な姉を思い続けていたのだった。

 

 それが、ようやく報われた気がしたので、涙が溢れて止まらなかったのである。

 

 ひとしきり泣きじゃくったファルローラは、再び爺やからハンカチを受け取ると、先程よりも汁まみれになっていた顔面をゴシゴシとこすってサッパリすると、「面目ないのじゃ」と恥ずかしそうに笑うのであった。

 

「いえ。大丈夫ですか?」

 

 と、やはり此方を気遣って来る姉。

 

 だが一体彼女に何があったのか、前までとは違う自分と姉との“距離”に、ファルローラはもう一度、意を決して先の願いを口にするのであった。

 

「姉上、お願いじゃ」

 

 彼女にしては信じられぬくらいに殊勝な態度に、エレンが頷いてみせるのを確認し、ファルローラが言う。

 

「お願いじゃから、わらわにそんな敬語を使わないでたもれ」

 

 お願いじゃから、わらわを妹として扱ってたもれ、と。

 

 そう、“居なかったはず”の姉君に、わがままな第三王女は生まれて初めて、殊勝な姿勢で懇願するのであった。


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