一見すると、山猫にも似た印象を受ける迅竜であるが、その見るからに獰猛そうな面構えが、外見以上に危険な存在の証明であるかのようだ。
体面は甲殻ではなく、本来は鱗から生えた黒い体毛で覆われている。
しかしこの個体、通称
飛竜種にしては比較的小型な方に分類されるのだが、この白疾風は他の迅竜に比べてひとまわりかふたまわりほど大きかった。
「そんなっ!?ここ王都のど真ん中だよね!?なんで本土にモンスターが入って来られるのっ!?」
リコリスが悲鳴めいて叫ぶが、いかに信じられぬ事とはいえ、眼前事実は揺るぎない。
モンスターの脅威から最も遠い、本土と呼ばれる城塞都市の絶壁は、今まさに突破されたのである。
そんな彼女の反応がよほど気に入ったのだろうか。
くつくつとくぐもった笑い声をあげ、バーネットが口を開く。
「城塞都市の防壁を設計増築したのは私なのだよお嬢さん。警備の穴くらい把握してあるさ」
言うや、気取った仕草でパチンと指を鳴らす。
するとどうだろう。
強力無比で名を轟かせる“白疾風”の二つ名を持つナルガクルガが、それを合図に高く跳躍すると、何を思ったのかエレン達の頭上を跳び越え、あっという間に遠くへと去っていくのであった。
「えっ!?」
「ニャに!?」
それを視線で追うリコリスとネコチュウが、予想外の出来事に声を上げる。
当然、バーネットと一緒にこの場で白疾風と対決せざるを得ないと考えていたからだ。
だが他のメンツは、バーネット卿の考えを察知したのだろう、青ざめた表情でバーネットを睨むのであった。
その視線を受けるバーネットが、いよいよ笑みの皺を深くする。
「流石に、乱戦になって可愛い姪御を傷つけるわけにもいかんからな。
その言葉を聞くや聞かぬやのタイミングで、既に彼らは動いていた。
「フィオール!それに、ハンター用の装備を着ているものは、すぐに市街地へ向え!」
「承知!」
自身の身分を示すために、ふだんからフィオールとミハエルは対モンスター用の装備を着たまま行動していた為、今回の様な迅速な対応ができるわけだが、まさか本当に本土内でこの武装が役に立つ日が来ようとは。
「ミハエル!リコリスさんにエレンさん!続けっ!」
彼の声に各々応えて駆け出すが、しかし。
「おっと、何処へ行こうと言うのだエレンシア。お前は私と共に来るのだよ」
例の超加速をもってして、エレンの前に現れるバーネット。
だが、エレンに手を伸ばす彼をフィンの斬撃が妨害する。
鋭い一撃がバーネットの紫の装束を切り裂くが、やはり件の身体能力により、身体に刃が到達する前に身を引いた様である。
「ぐっ!おのれ!」
「そう簡単にやらせはせんさ」
だが、妨害は出来たものの、バーネットはエレンをこの場から逃がすつもりはない様であった。
おそらく、エレンが移動しようとすれば何度でも妨害を行うであろう。
「ネコチュウ!君が来てくれ!」
「コル!エレンさんを頼むぞっ!」
走る尻目にミハエルとフィオールが叫び、それによって二手に別たれた仲間達。
フィオール、ミハエル、リコリス、ネコチュウが白疾風を追い。
残ったバーネットを、フィン、エレン、コルナリーナで相対する状況となった訳だ。
急ぎ走り去るフィオール達の背中が見えなくなると、残ったフィン達とバーネットの睨み合いにも終わりが訪れる。
「さて、君には聞きたい事が山ほどあるんだが、果たして答えてくれるのかな?」
抜き身の長剣を下げたまま尋ねるフィン。
問われたバーネットは、陰険に嗤うのみだ。
「語る言葉も無し……か」
少しだけ悲しげに呟くと、長剣をかつての友に向けて「是非に及ばず」と対立の意思を示すのだった。
「ハァーッハァッ!」
陰湿な笑みが急遽、狂気じみた嘲笑へと変わり、バーネットが踊りかかった。
尋常ならざる身体能力はそのままに、手にした細剣がフィンの首を斬り飛ばさんと迫り来る。
だが、相手は無双を誇る
ただ速いだけの剣が彼に届くことは無い。
乱雑に振り回された都合五回の斬撃を、余裕すら感じさせる動きで躱してみせるや、躱し様に弾いた剣によって体制を崩したバーネットの腹に蹴りを入れ、彼を弾き返したのである。
見事。ただその一言に尽きる。
先程までとは打って変わって攻めに転じたバーネットの攻撃を、いとも簡単に完封して見せたのであった。
「
よろけながらも踏みとどまったバーネットが、忌々しげに吐き捨てる。
「まだまだ、私の目も曇ってはいないのでね」
応えるフィンは、余裕の中にも高い緊張感を損なってはいない。
「……凄い」
眺めていたエレンが、思わず声を漏らす。
自分たちが四人がかりで対応できなかった相手に対し、完全に上を行っている。
「そりゃあ、私とフィーちゃんのお師匠様だもの。当然ですよ」
コルナリーナがそれでも注意深く戦いの様を伺いながら、自らの師の卓越された技の冴えに眼を見張る。
英雄フィンと言えば槍。そう皆が想像するであろう。
しかし、彼の技量は既に武器を選ばぬ練度まで練り上げられており、誰が言ったか
「相変わらず、武芸に関してはてんでなっていないなルドルフ」
事もなげに言ってのけるフィンに、鼻を鳴らしてバーネットは言い返す。
「貴様のそういうところが、本当に嫌いだよフィン」
言うや、再びフィンへと襲いかかるバーネット。
エレンとコルナリーナが、援護に入ろうとも入れぬ程の攻防が、今まさに展開されるのであった。
・・・
・・
・
王都の街はかつて無い混乱の最中にあった。
突如として飛来した、白い毛並みの大型モンスターによってである。
急遽王都の中心部の広場に降り立った白疾風は、広場に並んだ露店や植えられた樹々を薙ぎ倒し、設置された豪奢な噴水を破壊した。
一瞬何が起こったのかわからず、あっけに取られていた人々は、運悪く白疾風の着地点付近にいた者たちが巻き上げた血飛沫によってようやく恐怖という感情を思い出し、我先にと逃げ惑う。
わらわらと自身の周りを逃げ惑う人々に苛ついたのであろう。
白いナルガクルガは一声吠えるや、長く太い尻尾をぶるんと振るった。
流石にナルガクルガから人々は遠ざかってはいたのだが、そこで驚くべき事が起こったのだ。
なんと、白疾風が振るった尻尾はその鋭さから大気同士の摩擦を生み出し、衝撃波となって逃げ惑う人々を切り裂いたのである。
まさに飛ぶ斬撃、
哀れな犠牲者は上半身と下半身を分かたれ、首を落とされ、手脚を切断されるのであった。
これを目の当たりにした民草は、老若男女問わず、衛兵までもが一目散に逃げ出し、白疾風は容赦なく背後から人々に襲いかかった。
そして、フィオール達が追いついた頃には、決して少なく無い数の屍が、広場に出来上がってしまっていた。
「遅かったか!」
口惜しげにフィオールが叫び、ミハエルが珍しく怒りに燃えた眼を白疾風へと向ける。
対して白疾風は、只々逃げ惑うだけだったモノ以外の存在を認識し、彼等へと向き直った。
睨み合いも一瞬のみ。
自身に挑みかからんとするハンター達めがけ、白疾風は足場にしていた石畳をけった。
「っ!?」
ひと跳びでハンター達の頭上を飛び越え、一瞬で背後に回り込んだ白疾風が彼等に襲いかかる。
「散れっ!」
フィオールの掛け声に反応してハンター達が飛び退る中、振り下ろされた白疾風の爪を大盾で防ぐフィオール。
フィオールに仕掛けることにより、一瞬動きを止めた白疾風目掛け、左右からミハエルとリコリスが走り込む。
しかし彼等が攻撃を仕掛ける前に、フィオールが防御から反撃に転じる前に、驚くべき跳躍で白疾風は再び彼等の頭上を跳び越えていた。
「あっちニャ!」
標的が急に眼前からいなくなり狼狽した仲間達に、彼等から下がった位置に立つネコチュウが声を張り上げて、仲間達に注意を促す。
ネコチュウの指し示す方向に目を向ければ、今まさに先のように尻尾を振り抜き、真空刃を飛ばさんとする白いナルガクルガの姿があった。
「二人とも、私の後ろに下がれ!」
フィオールが叫んで仲間二人の前へと走り出るや、右腕の籠手にセットされた大盾を白疾風へ向けて突き出した。
刹那である。
ぶおん。と、恐ろしい風切り音を上げて、白く
大きな弧を描いて飛来する飛ぶ斬撃を、フィオールは辛くも防ぎきったのである。
恐ろしい
「ありがとっ!フィオールさん」
「助かったよ」
礼を言う二人に「構わん」とだけ応じるフィオールは、一旦開いてしまった距離を縮める為、展開したままでは行動の邪魔となるガンランスを背中のマウントへと戻す。
うまく反応できたのは、到着前に白疾風がこの広場で人々めがけて今の真空刃を何度か放つのを見たからだ。
おかげで何人もの死傷者を出してしまったのだが……。
「リコリスさん。万が一今の
自身のガンランスと同じく、武器と盾をセットで扱う片手剣を持つリコリスにそう声をかけると、彼女は勢いよく「了解っ!」と返すのであった。
反撃にとハンター達が駆ける。
白疾風は再び先程の真空刃を放つが、やはり素早く展開したフィオールの大盾がこれを防ぎ切る。
真空刃が霧散したその傍から飛び出し、ミハエルとリコリスが白疾風へと肉薄する。
ミハエルが右側面、リコリスが左側面からだ。
二人が息を合わせた絶妙なタイミングで、自身の得物を白疾風の前脚へと叩きつける。
しかし。
「くっ!?」
「うわっ!?」
二人から苦しげな声が上がり、振り下ろされた得物はその刃を白疾風の前脚に生やされたブレード状の翼に弾かれてしまったのだ。
「ンニャァッ!」
完全の死に体状態になってしまう二人だが、もう一人の仲間であるネコチュウが、反撃に移ろうとしていた白疾風の顔面めがけて勇敢に飛びかかり、かの竜の視界を一瞬だけ妨害してくれたおかげで、なんとか体制を整えて安全圏へと脱出することができたのであった。
「くっ、なんて硬い翼だ」
「ネコチュウ!大丈夫っ?」
リコリスが、首をぐるんと振るわれた勢いで振り落とされたネコチュウに声をかける。
彼を心配する声に対し、二、三度バウンドしながらも果敢に立ち上がるネコチュウは、右手を突き上げて無事をアピールするのであった。
入れ替わりに仕掛けるのはフィオールだ。
「シィッ!!」
鋭く吐き出される呼吸と共に、恐ろしく鋭い突きが白疾風を襲う。
狙うは眼球。しかし、あわや済んでのところでその身を躱され、再び大きく跳躍した白疾風は、またハンター達から距離を取るのであった。
「まったく、イラっと来る戦い方をするね」
着地し、此方を威嚇する白疾風を睨み返しながら、ミハエルが珍しく毒を吐く。
白疾風の取る戦法は、此方の射程外からの攻撃を主軸にした
密着しての乱打戦に持ち込む双剣とは相性が悪いのだ。
加えて、先程の蹂躙である。
温厚な彼が怒るのも無理もない。
「まったくだよっ。ちょこまかと逃げ回っちゃってさ」
リコリスもふくれっ面で追随する。
彼女の片手剣も、攻撃面では手数を稼ぐ武器である為、高速で逃げ回られては思う様に戦えない。
双剣同様、あまり相性がいいとは言えないのだ。
「避難状況は……」
フィオールがこの隙にと、広場で逃げ遅れた者がいないかを確認する。
どうやら、あらかたこの広場からは脱出できた様であった。
「あの飛んで来る斬撃、なんとかなんないのかなぁ?」
「ある程度目が慣れてくれば、避ける事はそこまで難しくないと思う」
悔しげに言うリコリスに、ミハエルが冷静に返す。
この何合かで、白疾風の真空刃のおおよその効果範囲や、斬撃の速度などは見て取れた。
ミハエル自身は勿論のこと、フィオールの
「だが、おいそれと避けてしまっては、広場の周りの家屋に被害が及んでしまうな」
ミハエルの言葉を引き継いだフィオールが、やはり苦々しく呟くのだった。
王都の中でもかなりの広さを誇るこの広場だが、やはり広場の周りには家屋が建ち並んでいる。
今はこの状況であるから、広場付近の家の中に残っている者はいないとは思いたいのだが、辺境と違って本土内の人間の危機意識など想像を絶する程低いのだ。
レンガや石で作られた家屋など、大型モンスターの前では障子紙に等しいと言う事が解っていてくれるとは思えない。
「まったく。ますますもって、イラっとする相手だ」
再び毒を吐くミハエルは、ギリリと奥歯を噛みしめるのであった。