10月4日朝 鎮守府提督室
「へっ!?きょ、教育・・ですか?」
提督室に居る事自体に緊張していた名取は、提督の話を聞いてびくりとした声をあげた。
朝、一緒に食事を取っていた長良、名取、由良の3人は、秘書艦当番である扶桑から声をかけられた。
「食事が済んで、落ち着いたら提督室に来てくださいね」
長良と由良は
「んー、提督室って事は出撃かなぁ」
「ソナーと爆雷の備蓄が沢山出来たって言うし、潜水艦討伐かもね!」
という感じで淡々としていたが、名取だけは心臓が口から飛び出るのではという程緊張していた。
別に何かやましい事があるわけではないのだが、提督室に入ると物凄く緊張する。
元々提督の指示をきちんと聞かねばとは思っていたのである。
しかし、テーブルの角が脇に当たった時に「ひゃうっ!」と変な事を口走ってしまった。
それ以来、提督室に呼ばれるだけでその事を思い出し、極度に緊張してしまうのである。
「いや、名取が教壇に立ちなさいという訳じゃないよ」
「す、すみません・・・」
「教育で色々と事務手続きが増えているので、そこを引き受けて欲しいんだ」
「なんか体が鈍りそうね~」
長良は腕を伸ばし、んっんっと動かした。
体を動かす事が大好きな彼女は、球磨、多摩、天龍と毎朝ランニングをする仲間である。
「事務方と違って専属までは求めないよ。教育方から声をかけられたら手伝ってほしい。」
由良が口を開く
「確かに、出撃の無い時の基礎訓練や仮想演習も、そろそろネタ切れですしね」
「手伝うのはいつでも良いわよ!水雷戦隊として働ければ良いし!」
その時、名取がおずおずと口を開いた。
「あ、あの、あの」
「ん?何かな?」
「あの、えっと、わ、私は、専属でも良いです」
「そうかい?」
「日々の教育で事務作業はあると思いますし、わ、私は、あ、あの、あまり、出撃・・したくない・・です」
これが名取の精一杯だった。提督の提案とも、他の人達とも違う意見を提督に向かって説明する。
心臓が破裂しそうだった。
すると、扶桑が、
「それでは、名取さんが専属、応援で長良さんと由良さんという事にしましょう。依頼は教育方からで良いですか?」
「え、えと、私が応援を頼んでも良いですよ?」
「名取さん・・応援を頼めますか?遠慮してしまいませんか?」
「えっ!あっ、あのっ、でもっ」
提督がまとめた。
「ん。それじゃあ教育方、名取、両方から応援を頼めるようにしよう。長良、由良、良いかな?」
「名取の事はいつもちゃんと見てるから、辛そうだったら自主的に手伝っても良いですよね?」
「勿論だ。そうしてくれると助かる。それから名取」
「ひゃいっ!?」
「誰でも得手不得手はあるし、苦手な事を苦手と認めるのは決して恥ずかしい事じゃないよ」
「・・・」
「長良も、由良も、扶桑も、もちろん私も、名取を仲間として心配してる。」
「・・・」
「だから、出来る事で手伝ってくれれば良いし、無理はしなくて良いよ」
「す、すみません・・」
「それじゃあ3人とも、よろしく頼む。扶桑、すまないが妙高を呼んでくれ」
「はい、解りました」
「えっ!名取ちゃん手伝ってくれるの!嬉しい!」
妙高がどうしても手が離せないという事で代わりに来た羽黒は、説明を聞いてそう答えた。
提督は思った。そういえば羽黒と名取は仲が良かったな。意外と良いコンビかもしれない。
「は、羽黒ちゃんが困ってるなら手伝いたいなって、思って」
「名取ちゃんなら相談しやすいし、長良さんも由良さんもお友達なので私も助かります」
「じゃあ羽黒、妙高達にも伝えておいてくれ。で、いつから手伝ってほしい?」
「可能な限り早くお願いしたいです。既に大変な事になってるので・・・」
「わっ!私は今からでも!」
「長良も由良も予定は大丈夫かな?」
「ええ、特に何もないです」
「先生の部屋ってそういえば見た事ないわ!」
「じゃあ、まずは状況説明兼ねて、教育棟を見て来たらどうだい?」
「そうですね」
「じゃあ羽黒、すまないけど案内を頼んで良いかな?」
「はいっ!」
長良達が出て行ったあと、扶桑がぽつりと言った。
「名取さん、羽黒さんが来た後、随分顔色が良くなりましたね」
提督が頷いた。
「最初から真っ青だったからいつ倒れるかと気が気じゃなかったよ」
「名取さんの提督室恐怖症、いつか治るんでしょうか」
「提督室恐怖症?」
「ええ、この部屋に入ると失敗するんじゃないかと凄く緊張するそうなんです」
「私、何かしたかな?」
「提督は何もしてないですよ。それは名取さんも解ってるんです」
「じゃあ名取と話をする時は教育棟で話をした方が良いのかな。なんか可哀想で見てられん」
「んー、名取さんの場合は、それも良いかもしれませんね」
「どうせなら楽しく過ごして欲しいものな」
「教育事務の仕事が合うと良いのですけれど」
「・・・・・・。」
長良達は呆気に取られ、羽黒はガリガリと頭を掻いた。
教育棟の中の職員室は全講師共同の大部屋だった。
しかし現在は、書類倉庫と言われても納得出来る位、紙の山があらゆる机を占拠していた。
しばらく見ていると、奥の方からひょこっと頭が見え、
「おっ!長良じゃん!どうした?」
「あっ!天龍居たの!?見えなかった!」
「もう書類に潰されそうだよ。長良助けてくれよ」
「その為に来たんだよ~」
「えっ!本当か!でも俺、今金欠だぞ?」
「個人的なアルバイトじゃなくて、提督から頼まれたんだってば」
「そっか!そりゃ助かる!じゃあ全部片付けてくれ!」
「主砲撃てば一発よね!」
「じょ、冗談です長良様!燃やさないでください」
長良はくるりと振り向くと、
「天龍の分、手伝ってきて良いかな?」
と、囁いた。
羽黒達はにっこり笑うと、
「いってらっしゃい!」
と、送り出し、
「じゃあ名取ちゃんと由良さんは私達の書類を手伝ってくれる?」
「良いですよ!」
「よ、よろしくね、羽黒ちゃん」
「こちらこそ!」
「あら?」
足柄は職員室に入った時に違和感を感じ、すぐ原因に気づいた。
「ねぇ羽黒ぉ、ここにあった書類知らない?・・あ、居ないか」
「あっ、砲撃編の小テストですか?」
「あら名取さん、由良さん、こんにちは。そうそう、その紙。そろそろ採点しないといけないんだけど」
「あと5枚くらいですからちょっと待ってくださいね」
「えっ?採点してくれてるの?」
「はっ、はい・・まずかったですか?羽黒ちゃんにやって良いって言われたんですけど・・」
「いいえいいえ、やって良いの!というか物凄く助かるわ!」
「じゃ、じゃあ、ちょっと待っててくださいね」
その時、羽黒が帰って来た。
「足柄姉さん、授業終わったの?」
「ええ。ところで何で名取さんと由良さんが書類に埋もれて採点してるの?」
「教育事務方になってくれたんですよ。名取ちゃんが専属で、由良さんと長良さんが臨時」
「え?長良さんも居るの?」
「さっきまであっちで天龍さんと成績つけてたと思うんですけど・・・」
全員でそっと覗くと、ペンを持ったまま寝息を立てる二人の姿があった。
「ち、力尽きてるじゃない・・・」
「この量を一度にやろうとしたら無理よ・・・」
「とにかくこんな所で寝てたら風邪ひいちゃうわよ。運ばないと・・・」
「皆さん何やってるんですか~?」
「書類崩れたの?大丈夫?」
「怪我人か?運ぶぞ」
「あ、龍田さん、妙高姉さん。那智姉さん。名取ちゃんと長良さんと由良さんが事務方になってくれたんだけど」
「張り切り過ぎちゃったのかしら~?」
「その通りです」
「天龍ちゃんは私が背負っていくから、長良ちゃんお願いして良いかしら?」
「一人で大丈夫?手伝うわよ」
「うふふ、慣れてるから~」
そういうと、龍田はひょいと天龍を肩に担いでいった。
「・・・・じ、じゃあ、由良さん、手伝ってもらって良い?」
「も、もちろん。一緒に運びましょ!」
その後、天龍をゆうゆうと担いで歩く龍田の姿は多くの人の目に留まり、様々な憶測が流れた。
この事を青葉が突撃取材したが、
「うふふふふふ、内緒~」
と、はぐらかしたので、噂は噂を呼び、ますます受講生は龍田に忠誠を誓ったのである。